1 若草の民の少女
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「えー、ここ墓地街なの? ボク、自然派の生活してたから森の街の方が良かったな」
地下一階層にある地図屋のカウンターに手をかけ、広げられた地図を背伸びでのぞき込みながら小柄な少女が残念そうに言う。頬をふくらませ、明るい色の髪をゆらゆらと揺らしているそのさまはどこか小動物を思わせた。
それに対し、カウンターの向こう側にいる地図屋の男は熊のように大柄で、その体格に相応しく大きな声で「森の街に徒歩で行くなら丸一日はかかるぞ」と応じる。
「転送門を使えばすぐだが、そっちは金がかかる」
「いくらくらい?」
ちょこんと首をかしげる少女に男は指を一本立てて答えた。
「転送料は魔石一個だ。多少の価値変動はあるが、大体銀貨十枚くらいだな」
「銀貨十枚って、いいところの道具が新品で買えるじゃん」
丸い目をいっそう丸くし、大きな声をあげて少女が驚く。
そんな彼女の言葉に地図屋の男――フランクが今度は首をかしげてみせた。
「道具? 嬢ちゃんは何をやってたんだ?」
「木を切ったり鉱石を掘ったりして、手に入れた素材を売ってたよ。ボクのところだと山師って呼ばれる立派なお仕事だったんだから!」
腰に手を当て、自慢げに胸を張って少女が答える。
その『山師』としての腕を買われて彼女はこの地に『招かれた』のだろう。
ここには有翼の賢人たちによって様々な人間の魂が召喚され、やって来る。いずれ訪れる終末の戦いにおいて戦力となるべく、新たな生と肉体を与えられ、自己研鑚に励むのがこの地に招かれた者たちのつとめだ。
地図屋のフランクは少女の言葉に感心したような声をあげ、納得したという風に大きく頷いてみせた。
「なるほど、それなら嬢ちゃんがここに送られたのは間違ってねえな。なんたってここは魔石そのものが採れるし、地上墓地に行けばそこらを歩き回る魔樹っていう木の化け物がいる。そいつらを切り倒せばかなりの儲けになるぜ。魔術師の杖や、魔具の素材になる貴重な木材が採れるからな」
「本当?」
儲けと聞いて山師の少女が興味を引かれたように目を輝かせ、カウンターに身を乗り出す。
それにフランクも調子を合わせるように顔を寄せ、ここだけの話だというような口調で言葉を続けた。
「それだけじゃない、魔樹による被害を重く見ているレンジャーたちからは討伐の報奨金まで出るぞ」
「最高!」
「だろ?」
「ちょっと、初心者にいきなり魔樹狩りの話なんてよしなさいよ」
盛り上がる二人の頭上から不意にそんな若い女の声が割り込み、聞こえよがしの大きなため息を落とした。
「死体が一つ出来上がるだけなんだから」
「何だモニカ、いつになく仕事熱心だな。交替にはあと一時間はあるぜ?」
顔を上げてからかうように言うフランクに、モニカと呼ばれた地図屋の同僚は肩をすくめてみせる。
「ちょっと用事を思い出してね。あんた、最近シーカを見かけた?」
「いや、そういや見てねえな」
「やっぱり。てことはサンプルも届いてないわよね?」
「ああ。そろそろ届けに来る頃だったか」
すっかり忘れていたという口調で言い、頭をかくフランクにモニカが頷く。
「ちょうど自治局から地上墓地の様子を訊かれていてね。どうせ報告するなら新しいサンプルもあればと思ったんだけど、まだ来てないなら直接彼のところに行ってみるわ」
「じきに日が暮れるから気を付けろよ」
きびすを返したモニカの背に真面目な口調でフランクが声をかける。それにモニカは「判ってるわ」と肩越しに答え、手を振って地上に続く階段の方へ歩いて行った。
その真っ直ぐな背を見送ったあと、おもむろに少女が顔を上げ「サンプルって何?」とフランクに尋ねる。
「地上墓地で採れる魔石さ」
フランクはどこか不安そうな表情を浮かべ、階段の方を見つめたままそう答えた。
小さな子供の使いでもないのに、やけに心配そうに同僚を見送るフランクの様子が少女には少しばかり奇妙に見える。
しかし彼女はあえてそれには触れず、別の関心事を口にした。
「ここでは地上でも魔石が採れるんだね。魔石って暗いところにしかできないんだと思ってたよ。洞窟とか、地下とかさ」
「こいつはちょっと特殊でな。そもそも売り物になるようなものじゃないし、地上にできるやつはどれも穢れちまってて……」
言いながらフランクは興味津々といった様子の少女の顔を見返す。
「……採掘もするなら嬢ちゃんには教えておいた方がいいな」
ぽつりと呟いてフランクはその場に屈み込むと、足下に置かれた木箱をおもむろにあさり始めた。少女は背伸びをしながらそれをカウンター越しにのぞき込む。
やがてフランクは目的のものを見付けて立ち上がると、背の低い少女の方へ腕を伸ばしながらそれを見せてやった。
「ほら、こんな具合だ」
「うわあ、真っ赤」
フランクが差し出したのは、彼の手のひらにすっぽりおさまるサイズの小さなガラス瓶だ。そこに入っている結晶のかけらを見て少女が目を丸くする。
「これが魔石なの? 普通は魔石って青っぽい色だよね。紫がかったのは見たことあるけど、こんなどす黒い赤色は初めてだよ」
それにフランクは頷きながら「穢れのせいでこんな色らしい。採掘は禁止されてるから見付けても採るなよ」と釘をさすように言う。
「採掘したところでまず値が付かないし、見付けた場所をうちに報告してくれれば未発見のものなら魔石十個分、つまり金貨一枚の報奨金が出るからお得だぜ」
その言葉に少女は「金貨!?」と驚いた様子で声をあげる。
「太っ腹だね」
「まあな。とはいえ、嬢ちゃんがこれを見付けられるのは当分先かもな」
「何で?」
「この赤い魔石が生成されるのは地上に立ってる石塔の近くらしいが、そのあたりは特に死霊が多いんだよ」
それを聞いて少女があからさまに顔をしかめ、気味悪そうに言った。
「やだ、ここ死霊なんているの?」
それにフランクは「山のようにいるぜ」と返し、小さなガラス瓶を再び木箱の中に戻しながら言葉を続ける。
「何せ地上は戦場跡だからな。それも相当ひどい戦いだったらしい。死人の血と呪詛のせいで、霊樹とまで呼ばれてた木の賢者たちは狂って魔樹になっちまってるし、連中がおとなしくなる夜は夜で、浮かばれない魂が死霊となってうろついてる。地上には永遠に安息など来ないだろうと言われたことさえあったんだ、こんな色をしているとは言え、魔石が生成されるようになったのは大した変化だろうよ」
そう言って体を起こしたフランクに不思議そうな表情を浮かべて少女が首をかしげてみせた。
「変化って、何があったの?」
「墓守さ」
「墓守?」
おうむ返しにくり返す少女にフランクが頷く。
「さっきモニカが会いに行くと言っていた、ルル・シーカって奴だよ。埋葬した端から死霊が生まれるってんで放置されてた地上墓地に出入りし、死霊たちからいつの間にか墓守なんて呼ばれるようになった変わり者だ。今は地上に引っ越して名実ともに墓守みたいになってるが、その前から墓標代わりの石塔を建てては慰霊じみたことをしていてな。それが功を奏したのか、最近は死霊たちが多少おとなしくなったって話だ」
「そんなことで変わるんだ。すごいね、墓守って」
意外だといった様子で声をあげる少女に、フランクは大きな肩を器用にすくめて答えた。
「そんな気休めみたいなものでも、連中にはなぐさめになったのかもな。何しろ見捨てられたと言ってもいいくらい、これまで手付かずになっていたんだ。今はアーチだけになってるが、一時は地上墓地につながる出入り口に門があって、許可がないと出入りできないように封鎖されてたくらいだし」
そう言いながら腕を組み、フランクは地下第二層へ続く階段の方へ顔を向けた。
「地上が危険なもんだから、地下には海の街まで続く隧道だって掘られたんだ。翼人たちが昔に造ったらしいが、今でもちゃんと機能してる。景色が変わり映えしないのが欠点だが、道が整備されてて馬車も通るし、何よりそのでかさはなかなか壮観だぜ」
それを聞いて少女がへええと驚嘆の声をあげる。その大きな目には好奇心の色が見て取れた。
そんな少女にフランクはにやりと笑いかける。
「とにかく、そんなわけだから夜に地上に行くのはおすすめしないし、地上で赤い魔石を見付けても採らないこと。もし見付けたら報告してくれ」
「はーい」
元気な返事にうんうんと機嫌良さそうに頷くフランク。
その様子を見てとって、ついでとばかりに甘えるような口調で少女はもう一つ疑問を投げかけた。
「ちなみになんだけど、その赤い魔石って使い道はないの?」
「使い道か。それは俺たちも知りたいところだよ」
フランクはそう答えて太い眉を寄せ、表情を曇らせる。
「正直な話、使い道どころか安全かどうかもまだ判っていない、というのが現状だ。いろいろ調べてはいるが、地上墓地のこととなると腫れもののような扱いになるのは今も昔も同じでな。人手も資金も充分じゃない。ただ、専門家の中には赤い魔石を危険視する声もあるし、今は少しでも情報を得ようと定期的にサンプルを収集しては研究の真っ最中ってわけさ」
「なるほどね」
ふむふむと相槌を打つ少女を見下ろし、フランクはカウンターに広げた地図を指差しながら言葉を続けた。
「石塔は地図のこことここ、あとこのあたりに立ってるから、極力近寄らないようにな。戦闘に相当自信があるなら地上で魔樹を探すのもいいだろうが、採掘できるなら地下で魔石を掘るのが一番手っ取り早く稼げていいだろう。魔石屋は第四層にも何軒かある。持ち込めば質や量に応じて適正価格で買い取ってくれるはずだ」
そこまで言って地図を丸め、それを少女に手渡す。
「このあたりのことが判るその地図はそのまま持っていってくれていい。この墓地街の詳細な地図や、他の街の位置も判るでかい地図は必要な時に買ってくれ。他の階層にも地図を売ってる店はあるが、真っ先に更新するのはうちだから最新の地図が欲しい時はここに来な。俺か、さっきのモニカのどっちかがいるから」
「判った。ありがとう、おじさん」
差し出された地図を受け取り、少女はにこりと笑顔を返す。
それにフランクは片方の口の端を持ち上げ、「嬢ちゃんにおじさん呼ばわりされるいわれはねえな」と皮肉めいた口調で言った。
「俺はギリギリ二十代だし、嬢ちゃんは若草の民だろ。小さな子供に見えるが、そのしっかりした物言いから察するに成人してると見た。俺たち流枝の民の子供ならそうはいかねえからな」
「やだ、レディーの歳を詮索しないでよ」
丸めた地図でぽこりと腕を叩たたかれ、フランクは大げさに肩をすくめてみせる。
少女はそれにいたずらっぽく笑い返し、「それとボクは『嬢ちゃん』じゃなくシアっていうの。これからよろしくね」と言って手を振り、地図屋の下もとを元気に走り去って行った。