六話
何とか間に合いました
火傷もほぼ完治して、私は教頭の訓練に参加する事になった。
訓練は朝の六時に、隠れ家付近で行われるということだった。
私は少し早めに来て、ぼんやりと空を見上げていた。
朝から張り切って照り付けている太陽は、まだ何もしていない私の体から、勝手に体力を奪っていった。こんなんでは昼には大変な事になるな……。私はそう思いながら、教頭が現れるのを待った。
ほどなくして、教頭を含む全員が集まった。
「お、本格的な訓練にはセレナとラルクが初参加だな。じゃあもう一回訓練の事について話すぞ」
こんなに暑いのにも関わらず、教頭は今日も黒い長袖の服を着ていた。 私はちょっと教頭の感覚器官を疑ってしまった。
「お前達は、まず魔王の有力な手下と互角以上に戦えるようにならなければならん。のんびりとやっている訳にはいかない。というわけでだ、お前達はより強力な魔法を覚える必要がある。aクラスだけの魔法では、サタンはおろか、オーガ相手でさえ辛い。だからこれからはどんどんbクラス、ひいてはcクラスの魔法を習得していく事を目標に訓練をやってゆく。もっとも、セレナは既に使えるようだがな」
最後のは皮肉めいた調子で付け加えて、教頭は私とラルクを見遣った。
「でも、そんなの習ってませんよ。どうやって使うかもさっぱりなのですが」
ラルクが聞いた。
「ふむ、それは心配無用だ。私が教えてやる。他の者はいつも通り練習を始めろ」
教頭がそう言うと、レイとウィルはそれぞれ魔法の練習を始めた。練習しているのはbクラスの中では簡単なもののようだ。ウィルが練習しているのは以前私も試した事がある。
「よし、ではおまえ達には、教えるところから始めるが、二人はどのくらい知っているのだ?」
「僕は知識としてなら、少しは。でも使った事はありません」
「私はbクラスなら、三つ使えるわ」
「そうか、セレナは、『水の渦』の他には何が使えるのだ?」
「『氷の散弾』と少し苦手だけど、『水の破壊者』」
私はぶっきらぼうに答えた。
「ふむ……、ラルクはどの属性の魔法でも使えるのだったな」
「はい」
「ならばせっかくだ、二人共、『水の召喚』を練習してみろ。おまえ達なら、うまく応用出来るだろう」
「はい」
ラルクは生真面目に返事をし、私は軽く頷いた。
「では、とりあえず私が使うところを見ていろ。いくぞ」
教頭はそう前置きをして、左手を前方に突き出した。今更気付いたが、教頭は左利きのようだ。
「code:1400b・我が意志の支配の下、水よ来たれ」
教頭の前方に膨大な量の水が生じた。
一トンは軽くあるだろう透明な水は、落下することなく、教頭の前で漂っていた。
「これでここから様々な呪文に繋げていくことができる。セレナの水の守りなど、これがあればずっと強くなるだろう」
教頭は水を滞空させたまま、視線で試してみろといってきた。
「code:1400b・我が意志の支配の下、水よ来たれ」
ラルクが淀み無く唱えた。
ラルクが突き出した右手の前には、直径一センチ程の、注意して見ないと分からないくらいの水球が出来た。
「……何それ、微生物でも飼うの?」
余りにも情けない大きさだったので、私は言ってやった。すると、ラルクはすぐにそれを消してしまった。
「流石にbクラスは難しいね」
ラルクは特に気にしたふうもなく、何処が悪かったのか考え始めた。
教頭が今度は私に、やれという視線を送ってきた。
「code:1400b・我が意志の支配の下、水よ来たれ」
私は軽く右手を振った。すると、私の目の前の空間に、教頭の出したやつの三分の一くらいの量の水が現れた。
「す、凄い……」
ラルクは感嘆の声をあげた。
「code:1121a・取り巻く水よ、盾となれ」
続けて唱えた私の呪文で、普段より遥かにスムーズに、かつ大きく発生した水の守りは、私を完全に覆う程の水量をもって、周囲を循環した。
「ほう、まさか一発で成功するやつがいるとは。練習したら、さっきの私くらいは軽く出せるようになるのではないか?」
教頭ですら、感心していた。しかし、私からすれば、教頭の方が異常だった。教頭は、『さっきの』教頭よりはと言ったのだ。つまり、教頭はその気になれば、もっと大量の水を召喚出来るのだろう。
私の隣では、ラルクがビー玉大の水の塊を召喚していた。
……やっぱり同年代なら私が最強よね。
その後私は召喚した水の扱いを練習していた。
5時間程、適度に休みをいれながら、私達はひたすら魔法の訓練に勤しんだ。
私が驚いたのは、ラルクの馬鹿が、5時間でたったの一回しか休憩しなかったことだ。一体どういう神経をしているのだか。彼が未だに意識を保っていること自体、驚嘆に値する。
昼になると、私達は分担して、薪を集めたり、食材を取りに行ったり、食事の準備を始めた。
私は近くに生えている、食用の植物を摘みに行った。
最近はすっかり慣れてしまった森の中を、食材を求めてずんずん進んでいた私は、ふと、妙な音を聞いた気がした。
足を止めて耳を澄ました私は、今度ははっきりと音を聞いた。
「オオオおぉ……」
森の中にこだまするこの音は、過去に何度か聞いたことがあるものだった。
「ゴブリンかしらね……。それも一匹じゃないか」
この声は、まさしく、ゴブリンのものだった。魔獣の中では、さしたる脅威ではないが、そもそもこの森に魔獣がいること自体が異常だった。
まだこの森は魔獣に侵略されていないと思っていた。
本来魔獣がいないはずのこの森にゴブリンがいるということは、周りの街の何処かが魔獣の手に落ちたのだろう。そう当たりを付けた私は、不安になった。
此処はいつまで安全なのだろう。
私達の隠れ家は、果たしてどれだけの間、持ちこたえられるのだろう。
扉は隠されているが、完璧でない。いつ魔獣にばれるか知れない。
私が固まったまま自分の思考の世界に潜り込んでいると、いつの間にか、私の周りに五体以上のゴブリンがいた。
はっとした私は、自分の手に武器がないことに気が付いて、直ぐさま呪文を唱え始めた。
「code:1204a・水よ、敵を打ち抜け」
訓練で魔力をほとんど使いきってしまった私は、簡単な魔法の連発で応戦することに決め込んだ。
ゴブリンの比較的単調な攻撃をかわしながら魔法を放つ事、十発。致命傷は与えられなかったが、私の方が強い事に気が付いたゴブリンどもは、だんだんと弱気になり、ついには逃げ出した。
「ふう」
私はホッと一息ついて、隠れ家の方を向いた。
このままこの森にいるのは危険だろう。
そう判断した私は、まだ少ししか中身の詰まっていない籠を持って、元来た道を引き返す事にした。
どうやら魔獣に遭遇したのは私だけではなかったらしい。
隠れ家に戻ると、レイとウィルが、疲れた様子で床に寝そべっていた。ウィルに至っては、どうやら怪我をしているようだった。
「あんた達も魔獣に襲われたの?」
私が二人に聞くと、二人は黙って頷いた。
「あ、セレナちゃん、無事だった?」
救急箱をもってパタパタと走ってきたのは、シリアだった。確か彼女は、隠れ家で料理を始めていたはずだから、無事だったのだろう。
「私がそこらの魔獣にやられるわけがないでしょ」
私が軽く返すと、シリアはホッとした様子で、怪我をしているウィルの右腕の消毒を始めた。
「というかセレナ、おまえ元気だな」
「レイ……、あんたに言われると侮辱にしか聞こえないんだけど」
普段から無駄に元気なレイに言われて、むっとしながらレイを睨み付けてやった。するとレイはあきらさまに視線を逸らした。どうやら私と争う元気も無いらしい。これは重傷だ。
「二人共一体何に襲われたのよ」
「俺はやたらとでっけえゴブリンに出くわしちまった。ウィルはレッドウルフに出くわして、危うくやられるところだったそうだ。まったく……恐ろしい話だぜ。俺らの飯はどうなるんだ」
「そうよね、私もほんの少ししか取って来れなかったから、しばらくは貧相な食事が続きそうね。……と、レイ、そんなことより、ラルクとヘイドはどうしたのよ」
「なんで俺に聞くんだよ。そんなの知るか」
「レイ君冷たいですよ。ヘイド君は最初に戻ってきましたが、ラルク君が戻って来ないので探しに行ってくれました。ラルク君は鹿かウサギを捕まえにいったはずですから、行き先は大体見当がつきますし、二人共もうすぐ戻って来るんじゃないでしょうか」
シリアが言った通り、二人はすぐに戻って来た。
「二人は怪我してない?」
シリアが二人にも聞いた。
「僕達は大丈夫だよ」
ラルクが答えた。
「ところで教頭は?」
私はふと気になって尋ねた。
「私はここだが?」
いつの間にか部屋の隅に教頭がいた。
「先生、どうしますか?このままじゃ安全に食料を取って来れませんよ」
ラルクが心配そうに尋ねた。
「ふむ、確かに、今のお前達だと、オーガあたりに出くわしたら少々危険かもしれないな。しばらくは買い置きの食料でどうにかして、その間に私が森にいる魔獣の強さを調査してこよう」
「お願いします」
かくして、しばらくの間は、私達は隠れ家付近しか出歩く事が出来なくなった。
それから数日の間、私は隠れ家のすぐ側で、魔法の練習をして過ごした。
隠れ家には、教頭の物と思われる、魔法の本が何冊かあったので、それを勝手に読んで、私は技を磨いていた。
ラルクは、信じられないくらいの根気と集中力で、日々水の召喚を練習し、いつの間にか、私が最初に出した量と同じくらい召喚出来るようになっていた。もっとも、その頃には、私もさらに成長し、その二倍近い量の水を召喚出来るようになっていたが。
他の二人も、徐々にbクラスの魔法を使いこなせるようになって、私達は魔獣に対抗する力を養った。
教頭の調査が終わったのは、私達が最初に練習していた魔法をおよそマスターした頃だった。