十話
話を追うごとに一話あたりが短くなってゆく……
僕がグルーアルと共に隠れ家を出て、始めの三時間は特に何事もなく、至って平和な行程だった。
時々出くわす魔獣達は、僕一人でも十分に対処出来るレベルだったし、グルーアルが存外に強かったこともあり、特に危険もなかった。
グルーアルは、珍しい戦い方をしていた。
グルーアルは、魔法を一度も使わないのだ。今や便利な魔法が多数発見され、たとえ苦手な者でも体術の合間に魔法を使ったり、自分の身体能力強化の魔法を使ったりして戦うのが一般化しているというのに、グルーアルは常に己の拳一つ、殴ったり蹴ったり、そこら辺に落ちていた手頃な枝で叩きつけたり、とにかく肉弾戦だけなのだ。それなのに、信じられないほどに強かったのだから驚きだ。常に的確に相手の急所を狙い、素手で僕の剣を使った攻撃並の威力を叩きだしたりしていた。
「強いですね」
僕がいうと、
「いやいや、君程ではないよ」
と謙遜していたが、僕らは名門と言われていたテレストス学院で訓練を積んできたのだ。一般人のレベルよりはずっと高いはずだ。そんな僕達でさえ、グルーアルと一対一で戦ったら、負けるかもしれない、と思うほどだった。まあ、セレナや僕、レイの三人は多分勝てるだろうと思う。でも、学院の中でも比較的強い方だったであろうウィルでさえ、グルーアルに勝てるかどうか怪しいだろう。
「その戦い方って、一体何処で学だんですか」
僕が聞いてみると、グルーアルは解らないと答えた。
「え、解らないというのは……?」
「実は、私の記憶がすっかり無いんだよ。自分が何処の誰で、あの森で何をやっていたのか……、気がつけば、私はあそこにいて、それで食べるものが何も無くて、意識を失って……と、まあそんな訳だから、私自身、自分のことがよく解らないのさ。すまないね。いろいろと世話になっておきながら、私は君達に何もしてやれそうにない」
「そうだったんですか……」
二の句が継げずに、僕は記憶を失うというのはどういった感じなのだろうとぼんやり考えながら、森の起伏の多い道を歩いた。
事件が起こったのは、特に話すことも無くなって、機械的に足を動かしていた頃に起こった。このとき、ゼルメスまでは、あと数十分の距離。街が見えようとしているところだった。
最初、僕達の前方の茂みが揺れた時、僕もグルーアルも、ゴブリンかなにかの魔獣だろうと思った。感覚を研ぎ澄まして、戦闘に備えた僕は、茂みの揺れ方から相手は二、三匹だろうと当たりをつけた。
僕の予想通り、茂みに近づくと、三つの影が見えた。しかしそこで僕は、それがゴブリンではない事に気が付いた。
そこにいたのは、人間だった。
このような魔獣が徘徊しているだけで、中に入ることにほとんど何のメリットもないような森に人間がいる事は珍しい。そう言いつつも僕達だってこの森を棲みかにしているのだが。
僕が不思議に思って、その茂みに屈み込んで何やらやっている人々を何気なく見と、向こうもこちらに気が付いたようで、強張っていたのだろう、腰を軽く叩いて、ゆっくりと立ち上がった。
真っ白な服の男が一人と、対照的な黒服の男が二人。いつかゼルメスで同じような恰好の人達を見たことを思い出しつつ、僕はとりあえず口を開いた。
「あの……、こんなところで一体何をなさっているのでしょうか。ここは魔獣も出るので、危ないですよ……?」
言っている途中で、僕は相手の様子がどこかおかしい事に気が付いた。相手は僕の方を少しも見ていなかったのだ。彼らの視線の先にいたのは、グルーアル。三人ともが、何かを見極めようとするかのように、グルーアルを凝視していた。対するグルーアルは、何故見つめられているのかは解らないらしく、いきなり凝視してくる人々の視線に押されて、目が泳いでいた。
「グルーアル…………だな」
白服の男がグルーアルをはたと見据えて言った。その声には、多分の喜びが含まれていた。
僕は、もしかしてグルーアルが記憶を失う前の知り合いに出会ったのかと思い、これでグルーアルも記憶が戻るかもしれないと、内心で期待した。
しかし、僕はその男の喜びが、獲物を見つけたハンターの喜びだった事には、気が付いていなかった。それはグルーアルも同様だったようで、
「確かに、私はグルーアルだが」
と答えた。……いや、答えてしまったと言った方が適切だろうか。
「ふふ……、何たる偶然。よもやこのようなところでおまえに会おうとは。しかもその様子では、あのまま記憶を失ったようだな」
そうやって、怪しい笑い声を上げるなり、白服の男は大きく後ろに跳び、僕達と距離をおいた。そして、一言。
「やれ」
すると、二人の黒服の男が、いきなり飛び掛かってきた。
何となく不穏な空気を感じていた僕は、直ぐさま剣を抜き、応戦したが、その男達の動きの速いこと。彼らもまた、グルーアルと同様に、素手での戦いのエキスパートだった。
二人の内、一人が僕に向かってきたのだが、こちらが武器を持っているのにも構わず、突っ込んできた。
僕が剣を横に降り抜くと、男は驚くべきことに、その僕の攻撃を爪で受け止めた。…………いや、本当に。
僕は激しく動揺し、敵の拳をもろに喰らってしまった。
何故か、ほとばしる僕の鮮血を見て、僕は直ぐさま相手の手を見た。
そこには、どう見ても人間のものとは思えない、異様に発達した、真っ黒な爪がはえていた。さっき僕の剣を受け止めたのはこれかと納得しつつ、何をどうやったらあんな爪がはえてくるのかという疑問が僕の頭の中で渦巻き始めた。
しかしそれも、男の追撃によって、たちまち僕の重要項目リストから除外された。
腹の痛みを堪えながら、剣を振るい、呪文を口ずさむ。
「code:0334a・貫け。赤き炎よ」
ちょうど僕と戦っている黒服の男と白服の男と僕が一直線上に並んだところを狙って魔法を放った。
黒服の男は後ろに白服がいることを知っていたのか、避ける事をせず、僕の魔法をもろに受けた。
「ぐあっ」
手加減無しの本気の一撃は、一人の人間を戦闘不能にするのに十分な威力だった。はずだった。
地面に倒れた男が、数瞬の後に起き上がったとき、激戦を繰り広げているグルーアルを助けに行こうとしていた僕は、我が目を疑った。
男のタフさもそうだが、男の体の変化が、僕の脳の活動を一時停止に追い込むほどに異常だったのだ。
真っ赤に充血した目は、人間のものとは思えないほどに煌々と光り、全身から生えた体毛は、皮膚を覆い隠す程に伸び、元から長かった爪は、エモノを軽く串刺しに出来そうなほどにまで伸びていた。
獣のようなその体躯から立ち上る殺気に充てられて、僕は反応が遅れてしまった。
僕が一歩退く間に僕との距離を詰め切った男は、魔法の加護をかけてもここまではいかないのではというくらいの凄まじい力で、僕の腹に拳をめりこませた。
僕の意識はそこで途切れた。