「悪役令嬢の取り巻き」と書いて「逆ハーレム」と読む。※または「セコム」でも可。
頭空っぽにして書きました。
頭空っぽにして読んでいただけると嬉しいです!
「セシリア・テディ・ストレリチア!貴様との婚約は本日を持って破棄させてもらう!」
アリウム・コワニー公爵令息の鼻息を荒げた宣言に。
「待ってましたァ!!」
と、喜びの声が上がった。
おいコラ。シャンパン開けんな。
◆
私が前世の記憶を取り戻したのは6歳の時分である。
ストレリチア公爵家というこの国では有名な魔法貴族の家系の嫡子として生まれた私は、セシリア・テディ・ストレリチアと名付けられた。
優しいお父様に、怒ると怖いけれど愛に溢れたお母様、二つ年上の強くてかっこいい魔法使いのお兄さま。
そして、おてんば娘と家族に呼ばれている私。
笑いの絶えない・明るく優しい家庭で、私は蝶よ花よと何不自由することなく育てて貰った。
ストレリチア公爵家は幸せに満ちていた。
が、しかし。
セシリア・テディ・ストレリチア、6歳の生誕祭。
そこで公爵令嬢として順風満帆に生きてきた私の人生を揺るがす大事件が起こった。
端的に言うと、パーティーで出された私の食事に毒が盛られたのである。
毒に侵されて滲んだ視界で見た光景は、たぶん一生忘れられない。
いつも凛としているお母様の泣き顔と、初めて聞いたお父様の怒鳴り声、魂を取られたみたいに呆然としているお兄さまの姿。
それを見て……不謹慎かもしれないけれど、私は少し嬉しかったのだ。
あぁ、“今世”は愛されてるんだなぁ。と。
その後すぐに駆けつけてきたストレリチア家お抱えの医者の治療で、私はなんとか一命をとりとめた。
しかし結果的に助かったとはいえ、6歳の私は生死の堺を盛大に彷徨った。
どのくらい彷徨ったかというと、三途の川をバタフライして前世まで遡ってしまうくらいである。
と言っても前世の私はしがないOLで、ブラック企業に散々こき使われた挙句、過労死をした。
享年24歳。実に短い人生であった……。
まぁ、いいのだけれど。
前世の家族はストレリチア家の人たちとは違って最悪なものだったので、未練とかはとくにない。
逆に転生できてラッキーであった。
そしてこれは後でお兄さまに聞いた話だが、私に盛られた毒は即効性の・しかも致死率が80%を上回る魔法毒だったらしい。
「シシーが助かったのは太陽神様のご加護のおかげだね」とお兄さまは涙ながらに教えてくれた。
ちなみに「シシー」というのは私の愛称である。
「太陽神さま?」
「僕たちをお守りしてくださる神様のことだよ」
古来よりこの国は太陽神のご加護によって守られてきた。
数多の天災を退け、繫栄と栄光をもたらす唯一の神。
お兄さまが言うには私が生き残ったのはその太陽神様のおかげらしい。
「シシーの背中には御霊の紋章があるでしょう?」
「そうなの?」
「うん。太陽神様の巫女様の証だ」
ここら辺、とお兄さまは私の背中の真ん中あたりを指さした。
そこに「御霊の紋章」?と呼ばれる痣があるらしい。
曰く、その痣を持つ私は太陽神様に愛されて生まれてきた、国に祝福をもたらす存在……らしい。
自分の身体のことなのにこの六年間まったく気がつかなかった。
「私はその巫女さまなの?」
「そうだよ。でもシシー、このことは絶対に誰にも言っちゃいけないよ」
「……うん、わかった!」
そしてその巫女さまが私である、と。
(でも人に言ってはいけないなら結構イージーなお役目では?)
やけに力を入れたお兄さまの言葉に多少の引っかかりを覚えるも、私はとりあえず返事をしておいた。
(太陽神様だか巫女さまだかわかんないけど、きっとなんとかなるよね!)
……しかし10年の時が経ち、魔法学園に入学して17歳になった今。
あの時の転生ほやほや能天気バカの私を全力で殴りたい。
だってあの時、お兄さまのお話をもっとちゃんと聞いておけば…
「セシリア様の隣は私の席です。アマリリス様、どいて頂けますか」
「あぁん?セシリアはわたしの隣に座りたがってんだよ。引っ込め犬っころ」
「セ、セシリア。俺も一緒にいいか…?」
「駄目だよ兄さん、そんな弱腰じゃ。セシリア、今日は僕が隣に行ってもいいって約束だよね!」
ランチの席順一つでこんなカオスになることもなかったのに……。
◆
「ア、」
「ア?」
「ア。アリウム様の……。アリウム様の女たらしぃ~~~!!!」
セシリアは激怒した。
必ず、あの浮気者の婚約者を除かねばならぬと決意した。
セシリアに恋愛はわからぬ……と言いたいところだが、残念ながら私は婚約者であるアリウム・コワニー公爵令息に淡い恋心を抱いていた。
透き通るような白肌に、深いブルーの髪。顔立ちは整っているほうで、なんと言ってもアリウム様は水晶のように美しい瞳を持っていた。
私はその瞳に恋をしていたのである。
……つい先ほどまで。
と、言うのも私は“また”見てしまったのである。
私の婚約者であるはずのアリウム様が、金髪碧眼の私とは正反対のタイプの黒髪黒目のアジアンビューティーな女と抱き合っている現場を。
「なんだ、また『アリウム様』かよ。……ほら、鼻かめ」
「あいがろ(ありがとう)……」
えぐえぐと涙を流す私にめんどくさそうな顔をしながらもなんだかんだ世話を焼いてくれるのは、私の眷属の一人「アマリリス」だ。
濃いグリーンの髪を肩下で切り揃え、分厚い丸眼鏡と目の下に深く刻まれた隈が特徴的なおっぱいのついたイケメンである。
眷属というのは太陽神様の巫女である私のお付きの人?的な存在で、私と同じく御霊の紋章を持ち、巫女を守るのが役目らしい。
アマリリス…私は彼女のことをリリーと呼んでいるが、リリーとは、お兄さまに私が太陽神様の巫女であることを教えてもらって間もない時からの付き合いである。
彼女との出会いはなかなか壮絶なものであったのだが…今回は割愛させていただこう。
以来、リリーは私の友達兼メイドのようなポジションで私の傍にいてくれる。
それからかれこれ10年近くが経ち、魔法学園に入学した今でもリリーと私はいつも一緒だ。
「これでもう何人目だよ…」
「今年に入ってからは3人目」
涙やら鼻水やらでぐちょぐちょになった私の顔をハンカチで拭いながら、リリーは大きなため息をついた。
私の婚約者、アリウム様にはとある欠点がある。
それはアリウム様の父親で女たらしと名高いコワニー公爵に似て、女癖が果てしなく悪いということだ。
アリウム様と私が婚約したのは私が12歳でアリウム様が14歳の時のことである。
しかしその時から女たらしの片鱗は現れ始めていて、アリウム様の周りには常に可愛らしい女の子たちがいた。
そのせいで私はいつも二の次三の次だったのだが…それはまだ許せる。
本当に許せないのは、去年の学園の入学パーティーの時に仮にも婚約者という立場でありながら、私のエスコートはおろか顔も出さずに知らない女といちゃついていたということである。
それ以来アリウム様の浮気癖は加速していき、私がアリウム様に恋心を抱いているともしらず、ついに浮気を隠すことすらしなくなったのだ。
ちなみにさっきの黒髪の女の人で累計7人目である。私を入れると八股だ。アリウム様はタコにでもなられる気なのだろうか。
「いい加減に捨てちまえよあんな男」
「で、でも。ここで私から切り出したら負けな気がする……」
リリーは分厚い眼鏡を親指で押し上げると、懐から取り出したタバコに火をつけた。
そして私の口には同じ様に彼女の懐から取り出したココアシガレットが突っ込まれる。
くそう。涙で味がわからん。
「何と戦ってんだ……?」
「己の矜持よ」
バリボリ音を立ててココアシガレットを嚙み砕いていると、となりでタバコをふかしていたリリーが突然「げっ」っとただでさえ深い眉間の皺をさらに寄せた。
「アマリリス様。副流煙がセシリア様のお身体に障ります故お煙草はお控えくださいと申し上げたはずですが」
「あ、おい!タバコ返せよ、ダイアナ!」
シュン、と風を切る音が鳴って魔法陣が浮かび上がり、何もないはずの床から人影が現れる。
やって来たのはアマリリスと同じ私の眷属の一人、ダイアナだった。
小柄なのに加えて全体的に線が細く、淡い桃色の髪を左右で高く結い上げているためパッと見は幼い印象を与えるが、少し形式ばった話し方と気難しい性格がギャップで、彼女とも幼い頃からの付き合いである。
ちなみにダイアナの本性は犬で、そのため力が強く嗅覚が鋭い。
学園に入学して寮で生活するようになってからは見ていないが、家では犬と人間の姿を行ったり来たりしていた。
「僕らもいるよ~ってあれ。セシリアまぁーた泣いてるの?」
「……………………泣いてないもん」
「いや、泣いてるだろ…」
ダイアナに続いて残りの眷属たちもぞろぞろと姿を現した。
ライラック・スターチスとシオン・スターチス。
例によって私の眷属たちであるが、彼らは双子で、兄のライラックは艶やかな濡れ羽色の髪を腰まで伸ばし、弟のシオンは絹のような白髪を耳の高さで一つに結んでいる。
二人とも輝くような美形でそっくりな顔をしているが、性格は真反対で、堅物で用心深い兄に対し楽観的で少し抜けたところのある弟。
学園ではモノクロツインズと呼ばれているらしいがまったくその通りである。
「ったく、呼んでもねぇのに集まりやがって」
リリーはそう言ったが、巫女である私を含めた眷属全員が揃うことは珍しくない。
というか気づいたらいつも一緒にいるレベルだ。
眷属というのは仲はあまり良くないが集まる習性があるらしく、二人集まったら三人、三人集まったら四人……といった具合でいつも大集合してしまうのである。
今回も例に漏れず私の寮室に大集合した眷属たちは、私の顔を見るや否や「また『アリウム様』の野郎にございますか」「今度はどこの令嬢?この前は伯爵だったよね、兄さん」「そうだな。さらにその前は市井の小娘だった」などと思い思いに話しを始めた。
「だからずっと言ってるじゃん。あんな趣味の悪い男じゃなくて僕にしときなって」
「いやっ!私はもう誰とも結婚しないし、一生一人身で暮らす…文字通りの独身貴族になってやる……」
「あーぁ。すねちまって可哀想に」
「みんな不幸になればいいんだ…」
ライラックが「婚約破棄すれば解決するんじゃないのか?」と首をかしげたが、先ほども記した通りこんな私にも一応なけなしのプライドというものがあるわけで。
浮気された挙句の泣き寝入りなど乙女心が許さないのである。
「っていうか!私っていう婚約者がいるのになんで浮気するかなぁ!?」
そもそも論。婚約中の不貞行為は元の世界では慰謝料取れるレベルでアウトの最低な行いだ。
この世界でもそれは変わらないし、アリウム様もご存知なはずで。
いくら恋愛感情のない政略結婚とはいえ、もう少し私に対して敬意と配慮をくれてもバチは当たらないだろう。
せめて浮気するなら隠れてコソコソやるとか。申し訳なさそうにするとか。
いや、そもそも浮気すんなって話だけど!
「とっかえひっかえしやがって!八人よ、八人!アリウム様は後宮でもお造りになる気なのかしら!?」
「おぉ、キレてるキレてる」
「なんなのよ、ほんとに!!もしかして私に魅力がないって言いたいの!?」
なんか時間が経ったら余計に腹が立ってきた。
怒りと悲しみというわけのわからない感情に任せて、となりで困った顔をしているダイアナに抱きつき、どこぞの都市伝説よろしく「私って綺麗!?」と叫ぶ。
「愛してる、結婚しよう。誓いのキスは心臓にしてくれ」
「わたくしの命に形があるのなら、それは貴女様への恋文にございます」
「きっと幸せにする。海辺に家を建てよう、余生は君と波の音を聞いていたいんだ」
「俺の命日はお前が死ぬ日だよ」
「よし!!わたし可愛い!!結婚はしない!!!」
幾度目かの四人分の大真面目な告白に少しだけメンタルが回復する。
身内の贔屓目とか知らん。
私は可愛いし、浮気をするアリウム様が全部悪い。
リリーが禁煙をしないのも、ダイアナがたまに犬耳をしまい忘れるのも、シオンが何度言っても夜中に布団に潜り込んでくるのも、ライラックが猫派なのも、地球が青くて太陽に寿命があるのも全てアリウム様のせいだ。
「なんか…怒ったら眠たくなってきた……」
「子供か」
「僕の膝あいてるよ♡」
「シオンの膝かたいからやだ…リリーのがいい」
「あ?ンだよ、仕方ねぇなぁ」
怒るのってほんとにカロリー使う。
満更でもなさそうなリリーの膝に頭を預けて、泣いたせいで重たくなった瞼を無理やり閉じた。
ダイアナが部屋のカーテンを閉めてくれる音を聞きながら、ゆっくりとまどろむ。
(そういえば、今までのアリウム様の浮気相手たちって……)
どこに行ってしまったのだろう。
薄れゆく意識の中でふと疑問に思う。
アリウム様の歴代の浮気相手たちは「アリウム様といい仲らしい」や「アリウム様に贈り物をされたらしい」など交際中の噂を聞くことはあれど、彼女たちの“今”の話を聞いたことは一度もない。
それどころか何人かは学園を辞めてしまったと聞いたことがある。
実家帰ってしまった者もいるとか。
(でも痴情の縺れで魔法学園をやめるって……)
相当アリウム様に心酔していたのだろうか。
そうじゃないと普通はせっかくできたコワニー公爵家との繋がりを捨てるなんて絶対にしないはず……。
「おい。余計なこと考えねェでさっさと眠っちまいな」
(余計なこと…それもそうか)
婚約者の浮気相手の消息なんて確かに知ったことではない。
どこで何をしていようが私には関係ないのである。
「ゆっくりおやすみ。我らが巫女よ」
頭を撫でるリリーの手の暖かさに身を任せ、私は今度こそ夢の中へと旅立った。
◆
「で。首尾は?」
ジャキン、とオイルライターを切る音が、遮光カーテンで締め切った薄暗い部屋に響いた。
アマリリスの分厚い丸眼鏡に影が落ちる。
「今回の標的はオリビア・ローズマリー。男爵令嬢です」
AIのように感情のないダイアナの声が此度の「標的」の情報を読み上げた。
彼らは身じろぎ一つせず、黙っままそれを聞いている。
「男爵令嬢ォ?前回よか楽に片付きそうじゃねぇか」
「しかしそのオリビアとかいう令嬢、結構いろいろやってるみたいだな。ロベリア卿にも手を出している」
ライラックはダイアナから配られた資料をめくりつつ、記載された男の顔写真を指の背で弾いた。
「ロベリア卿か…あまり敵に回したくない相手だね」
ロベリア卿とは王家との繋がりがある有力貴族の一人で、かなりの権力をもつ男だ。
ちなみに大の女好き。オリビア・ローズマリー男爵令嬢はコワニー公爵家だけでは飽き足らず、ロベリア卿を通して王家に取り入ろうと目論んでいたのだろう。
それを逆に利用してやるのも悪くない、という算段である。
「喰っちまうか?」
「頂いてしまいましょう。骨まで残さず」
「そうだね。僕たちのかわいいお姫様を泣かせたその罪、きっちり償ってもらわないと」
お姫様。そう言ったシオンは言ってしまってから少し違うな、と思って隣に立っている兄の顔を見る。
ライラックは自らの長い黒髪を手櫛で解きながらセシリアの寝顔を食い入るように見つめていたが、シオンの視線に気づいて口元だけで笑って言った。
「すべては我らが愛し子のために」
◆
その日はとにかくツいていない一日だった。
去年に学園をご卒業されて、今は魔法省で働いているお兄さまが視察ついでに会いに来てくれたのは本当に良かったのだけど、それ以外は最悪。
私は公爵令嬢という立場のせいか、はたまた「女好きのアリウム様の婚約者」という肩書のせいかわからないが、恥ずかしいことに友達がいない。
まぁ私には眷属のみんながいるし、友達は少ない方が「シシーが巫女であることは誰にも言ってはいけないよ」というお兄さまとの約束が守りやすくて良かったのだけど、この開き直りのせいで「セシリア様は下賤の者と関わるつもりはないらしい」などとどこから湧いたのかわからない噂が流れてしまい、余計に友達ができないでいた。
私について良くない噂が流れているのは知っていたし、その噂を流したものの息の根を止めに行こうとするダイアナを止めたのも私だが、その……拾った物を渡したときとか、授業でペアになったときとかにあからさまに怯えられるとさすがの私も多少傷つくわけで。いや、そもそもは噂を否定しなかった私が悪いのだけれど。
というわけで、朝一に拾った落し物を届けたらこの世の終わりかってくらいに怯えられ、授業でペアになった子に何もしてないのに謝り倒された私は、その日憔悴しきってしまっていた。
「シシー、顔色が悪いようだけど大丈夫?」
「はい、お兄さま。すみません、少し疲れてしまって」
「それはいけないね。早めに食事を終えて部屋に戻ろうか」
そう言って心配そうに肩を抱いてくれるお兄さまと連れ立って食堂に入った時、本日最大の不幸とも言えるそれは起こった。
今日は本当にツいていない。
いつも食堂なんて利用しないアリウム様がこの間抱き合っていた黒髪アジアンビューティーと共に現れたのだ。
二人は大変仲睦まじい様子で腕を組み、内緒話をするように頬を寄せ合って微笑み合っていた。
あまりに悪気のないアリウム様の様子に驚愕のあまり食い入るように見つめてしまったが、アリウム様が一瞬こちらを向いたような気がして慌てて目をそらすも、すでに時遅し。
私の顔を見て何か思い出したような素振りを見せたアリウム様は、腕に引っ付いているアジアンビューティーに何か告げると、あろうことかこちらに向かって来てしまったのだ。
「ぁ、おに。お兄さまっ!」
「え、なに、どうしたの?鬼?」
慌ててお兄さまの袖を引っ張りなんとか身を隠そうとするも、お兄さまは小首を傾げるばかりである。
……もしかしてお兄さまはアリウム様の浮気癖をご存知ないのでは。
そんな良くない考えが頭をよぎったが、十分にありえる。お兄さまは噂とかそういうのにめっぽう弱いのだ。
そうしている間にアリウム様はもう目の前にいらっしゃって、彼の水晶のような瞳と視線がかち合ってしまった。
「これはこれは。お久しぶりです、兄上様」
「あぁ。久しいね」
「セシリアもお変わりないようで」
「ご。ごきげんよう、アリウム様……」
お兄さまがいるせいかアリウム様はニコニコとよそ行きの笑顔を浮かべていた。
私と二人で会う時は敬語なんて使わないくせに。
まぁ、二人で会ったことなんて片手で数えられるほどしかないのだけれど。
「珍しいですね、食堂をご利用になるなんて」
「あぁ、彼女がどうしてもと聞かなくてね」
嫌味をふんだんに含んだ私の言葉に、アリウム様はやれやれ、みたいな顔をして答えたが“彼女”というのは十中八九あのアジアンビューティーのことだろう。
正気か?我、婚約者ぞ。婚約者に浮気相手の話するか?普通。しかもお兄さまが居てもお構いなしかコラ。もしかして浮気は外道のやる事だってご存知ない?
そんな言葉たちが喉元までせりあがってくるが、お兄さまの手前なんとか堪える。
もうほとんど半泣きになりながらちらりと例の“彼女”の様子を伺うと、こちらの視線に気づいたアジアンビューティーはニヤリと口角を上げ「アリウム様ぁ、まだですかぁ?」とわざと甘ったるい声を出して、果敢にも私たちの方へ向かってきた。
「アリウム殿、そちらの方は?」
相変わらず状況のわかっていないお兄さまが、アリウム様の腕にまとわりつくアジアンビューティーの紹介を求めた。
余計なことを!という気持ちを込めてお兄さまの服の裾を強く握る。
「これは失敬。なに、ただの級友です。今は、まだ」
……「今は、まだ」?
なんだそれは。まるでこれからただの級友じゃなくなるみたいな言い方じゃないか。
お兄さまもようやく全てを察したのか、すぅと天を仰ぐと微動だにしなくなってしまった。つまり、最大限の呆れを体で表現していた。
(まさかこの男、婚約破棄をする気!?)
私の優秀な脳内CPUが考え得る中でおよそ最悪であろう回答をはじき出す。
次期ストレリチア家当主……この政略結婚の目的ともいえるお兄さまがいる前でこんな挑発的な発言をしたということは、アリウム様はおそらく本気で私を捨ててアジアンビューティーと結婚する気なのだろう。
なるほど。今までの浮気相手とは違い、いよいよ本丸のお出ましというわけだ。
「ねぇ、アリウム様ぁ。このままじゃかわいそうよぉ。教えてあげたらいかがなの?」
「そうだな、兄上様がいらっしゃるなら大変都合が良い。どうせ近いうちにはっきりさせようと考えていたのだ、今日言うとしよう」
ビンゴである。
つまりアリウム様は私と結婚することで得られる政治的利益より、最近巷で流行りの「真実の愛」とやらをお選びになったのだろう。
まったく。八等分の花嫁をやっておきながら今更本命一人とハッピーエンドをご所望とは。
「セシリア・テディ・ストレリチア」
「……はい」
久しぶりにアリウム様に呼ばれた私のフルネーム。
(こんな時じゃなかったら、少しだけ嬉しかったのにな)
散々浮気をされた挙句、捨てられそうになりながらもそんなことを考えてしまう自分の未練がましさに、脳内でリリーが「馬鹿だなぁ」と呆れたように笑った気がした。
……好きだったんだ。
いろいろな御託を並べて嫌いになろうとしたけど、結局恋心を弔うことは出来なくて。
いっそ嫌いになれたらと思っていた。実際、アリウム様はクズ野郎だし。
アリウム様を好きになった理由なんて知らないし、シオンにも言われたが自分の男の趣味の悪さにびっくりだ。
けれど。
アリウム様にとっては取るに足らない政略結婚で、邪魔な存在だったとしても。
「負けた気がするから」なんて噓だ。私にはとっくに勝ち目なんてなかった。
踏ん切りがつかなくて婚約破棄をずるずると先延ばしにしていたに過ぎないのだ。
「貴様との婚約は本日を持って破棄させてもらう!」
いつか、こうなることなんて。ずっと前からわかっていたのに。
(あ。私ついにアリウム様に捨てられちゃうんだ)
そう思うとすでに諦めたはずの恋心がじくじく痛んで、涙が溢れてしまった。
「どうした。言葉もでないか」
俯いて涙を流す私を見て、アリウム様は馬鹿にしたように鼻で笑う。
「か。悲しいです」
ぐず、と鼻をすする。
ようやく絞り出した言葉は情けなく震えていて、自分でもちょっと笑ってしまった。
ここで気丈に言い返せるような聡明さが私にもあったら、結末は違ったのだろうか。
あぁ、本当に残念だ。
私はその水晶の瞳が好きだったのに。
「今日をあなたの命日にしなくちゃいけないなんて……」
そう言い終えるのが先か、食堂の入り口付近でダァンッ!と鼓膜が慄くほど大きな音が鳴り、学園こだわりの細工が施されたフラッシュドアが吹き飛んだ。
続けてドンッと空気を切る音。これはおそらく銃声。
驚いて顔をそちらに向けると、やはりと言うべきか、そこには私の眷属たちの姿が。
彼らはそれぞれに物騒な人殺し道具を持っていて、装備しているものだけ見るとただのテロリスト集団だが、全員驚くほどスタイルが良く、輝かんばかりの美貌を持っているのでハリウッドのポスターのようだった。
「待ってましたァ!」
眷属たちは珍しく息ピッタリにそう叫ぶと、破壊したドアの瓦礫を踏みつけながら食堂の中へやって来た。
薄暗かった食堂に、太陽光が差す。
ガシャン、とワレモノが壊れる音がして肩にのしかかる空気が重くなった。
「リリー、」
「ひでーじゃねぇか、ダーリン?招待状が届かねぇもんで遅刻しちまったぜ」
「あ、あのね。これは」
「水臭ぇなァ。パーティがあるなら誘ってくれよ」
リリーはいつものくわえタバコとは別に、クラシックなデザインのデリンジャーを右手に持っていた。
さっきの銃声は景気づけに一発撃ったのだろう。
彼女の持つシルバーのそれからはまだ白い硝煙が立ち上っていた。
「そうだよ、セシリア。僕たちに隠れて楽しいことしようったってそうはいかないんだからね!」
右肩に自分の身長ほど大きいバズーカを背負ったシオンが頬を膨らませて言う。
扉を壊すためだけに持ってきたらしい。「重っ」と呟くとさっさと床に捨てていた。
別に鍵も何も掛かっていないのだから、扉の破壊なんてしないで普通に入ってきてほしかった。
「それにしてもまた泣いているのか。そろそろ干からびるぞ」
「水分補給はしてくださいましね」
刃渡りが腕ほどあるサバイバルナイフを持ったライラックと、自分の髪と同じ色のシャンパンを両手いっぱいに抱えたダイアナが、食堂の机やら椅子やらを壊しながらこちらへ真っ直ぐ歩いてきた。
「兄君様もぜひ」と厨房から借りてきたシャンパングラスに注がれたピンクのシュワシュワしたお酒を、未だ遠い目をしているお兄さまの分も受け取り、今までのデータベースを脳内で参照しながらこれから行われるであろう悲劇に思いを馳せる。
シオンが満面の笑みでアリウム様に黒魔法をかけようとすること数回。
ダイアナがアリウム様の寝首を搔きに行くこと数十回。
リリーがアリウム様の食事に毒を盛ること百数回。
ライラックが事故に見せかけアリウム様を殺そうとすること数百回……。
なんかもうアリウム様よく生きてるな。
まぁ以上のように今までは「私の婚約者だから」という理由で眷属たちにストップをかけていた状態だったのだ。
婚約を破棄してこのブレーキを外したら最後、巫女に仇なす敵として彼らはなんの迷いもなくアリウム様を殺しにかかるだろう。
よって。
「な、なんだお前たちはッ!無礼だぞ!」
「クールじゃねぇなァ、アリウム様。祭りは無礼講がドレスコードだぜ?」
ようやく白昼堂々殺人事件を起こせるようになった彼らは、もう誰にも止められない。
例えるなら、ボヤ騒ぎの現場に火だるまになった消防車が突っ込んできた感じである。
「飲めよ、色男。祝杯だ」
「祭りだと!?ふざけるな。付き合ってられん!行くぞ、オリビア!」
シャンパンを注ぎ口から直接胃に流し込み、残りを隣に立っていたライラックにぶっかけたリリーがカラカラ笑うのに、顔を真っ赤にしたアリウム様は、アジアンビューティーを連れてさっさと食堂を出ようとした。
しかし。
「ガッ」
ゴギ、といやな音が鳴ってアリウム様は正面から床に倒れ込んだ。
少量の血が飛び散り、アジアンビューティーの白く整えられた肌を汚す。
リリーが空になったシャンパンの瓶で背後から思い切り殴りつけたのである。
「おいおい、冗談キツいぜ『アリウム様』よぉ。私らの大事な巫女さま傷つけるといて、まさか五体満足で帰れるとは思っちゃいねぇよな?」
アジアンビューティーの甲高い悲鳴が、いつの間にか私たち以外に誰もいなくなっていた食堂によく響く。
ぐるんと白目むいて倒れたアリウム様は口の端から泡を吹いていた。
「こ。ころさないで……」
「殺す? 心配するな。そんな勿体ないことはしない」
アジアンビューティーが歯の根をガタガタ鳴らして小さく呟く。
彼女の命乞いを聞いてか否か、リリーにシャンパンを頭から被せられたライラックは、ベタベタになった上着を脱ぎ棄ててまだ被害に合っていないシオンの服をはぎ取りそれを着ると、額に張り付いた前髪を雑にかきあげた。
シャンパンに流された目元のラメが頬の辺りでキラキラと反射する。
「ただわかって貰いたいんだ。然るべき罪には然るべき罰が必要だろう?」
それだけ言うと、ライラックはアジアンビューティーの目線に合わせてしゃがみ込み、トンッと彼女の首筋を柔らかく叩く。
くっと空気の抜ける音がしてアジアンビューティーはアリウム様の横に倒れた。
「……この先一週間は羊じゃなくて始末書を数えながら眠るハメになりそうだ」
「死なばもろともです、お兄さま」
天井のシミを数え終わったのか、はたまた全てを諦めたのか、そう言うとお兄さまはシャンパンを一気に煽った。
始末書ごときで済めばいいな、と心の底から願う。叶わないだろうけれど。
「殺しちゃだめだよ……」
「ウン♡」
失神したアリウム様を無理やり起こそうと往復ビンタをお見舞いしているリリーに、ダメもと半分・諦め半分で忠告する。
リリーは未だ嘗てない甘い声で返事をすると、空き瓶を持っていない方の手をひらりと振った。
「安心しろよ、アリウム様。セシリアの命令だ。命だけは取らないでおいてやるよ」
◆
「お兄さま。私が巫女だってこと、どうして“誰にも言ってはいけなかった”の?」
ライラックに服を奪われて上裸になったシオンがアリウム様にドロップキックをかますのを横目に、ずっと疑問に思っていたことを問う。
ドロップキックをモロに喰らったアリウム様は「ゴゥッ」と短く呻いて床に倒れた。
「簡単だよ。僕は被害者を減らしたかったんだ」
お兄さまは大きな目を半分にして、諦めた柴犬みたいな顔で言った。
お兄さまの見つめる先ではダイアナが倒れたアリウム様の口に無理矢理シャンパンを流し込んでいる。
「眷属は巫女を傷つける者を決して許さない。巫女に近づく者も許さない。……シシーは太陽神が国教であるのに“太陽神の巫女”という存在の認知度が低いのは何故だか知っているかい?」
「わかりません……眷属が消してしまうのでしょうか?」
「半分正解だ。正しくはね、隠されてしまうんだよ。巫女の存在ごと」
「隠す……?」
「そう。平たく言えば神隠しだね」
「なっ…るほど……」
どうりで太陽神様の巫女に関する文献や記録が乏しいわけである。
みんな隠されてしまったのだろう。彼女たちの眷属に。
巫女であることが周囲に知れれば、その力を利用しようと悪意を持ったたくさんの人間が寄ってくる。
そしてリリーたちは片っ端からそれらを文字通り「消す」だろう。
つまりお兄さまはそれを阻止したかったのだ。
やっぱり転生ほやほや能天気バカだったあの時の私を殴りたい。
(まぁでも私のために怒ってくれてるみたいだし)
悪い気はしないのである。
婚約は破棄されて元婚約者は目の前でリンチに合っているけれど。
リアル「サッカーやろうぜ」「お前(アリウム様)ボールな」を終えた眷属たちは今度はシューティングゲームに切り替えたらしく、
「よーし、じゃあ顔面当てたら100点な」
「金的は?」
「一億点っ!」
と食堂の壁に磔にしたアリウム様の身体に赤いマーカーで点数を書き込んでいた。
もうシンプルなイジメである。
しかし厨房からもらってきた卵を順番に投げつける彼らの横顔は、初雪を喜ぶ少年のように無邪気だった。
そしてリリーの投げた生卵がアリウム様のご尊顔にぶち当たるのを最後に、私とお兄さまは揃って回れ右をした。
これ以上は関わっていけないとストレリチア家の優秀な本能が判断したのである。
「どうする?喪服でも見に行く?」
「そうしましょう。ちょうど新調しようと思っていたんです」
眷属たちのこの上なく楽しげな笑い声を背中に聞きながら。
来た時と同じくお兄さまに肩を抱かれて、私はその場を後にした。
◆
さて、その後のアリウム様がどうなったのか。
それは知らなくていいことだし、知りたくもないことだったが「動いてたよ~」とシオンが教えてくれたので、とりあえず動いてはいたらしい。
殺してないならもうそれでよし。
喪服の出番が今日のロベリア卿のお葬式だけで済んで何よりである。
そしてロベリア邸に向かう道中。
「瞳だけはきれいだよねぇ。セシリアにあげる!」と手渡された元婚約者のホルマリン漬け生眼球を見て。
私はふと「太陽神様の巫女」という役目の心理に気付く。
「なるほどね……」
太陽神様の巫女、とは。
太陽神様に愛されて生まれてきたのではない。国に繫栄と平穏をもたらすのではない。
眷属たちの愛を持て余した太陽神様が半泣きで造り出した存在なのだろう。
巫女が現れると国に平穏が訪れるのは、眷属たちの興味が巫女に逸れるから。
まったく、迷惑な話である。
これでは体のいい生贄ではないか。
(まぁ、でもいっか)
人を好きになるのに理由がいらないように、自分のことを好いてくれる人間を好きにならないワケもないのである。
「セシリア?どうかした?」
「ううん。なんでもない!」
「おら、置いてくぞ」というリリーの声に笑顔で返す。
血の気が多くてやりすぎなところもあるけど、一番に私のことを思ってくれる眷属たち。
噂に疎いけど、思慮深くてかっこいいお兄さま。
異世界転生をして早17年。
優しい人たちに囲まれて、私は幸せだ。
入りきらなかった設定が多々ありますが、物語はこれで完結です。
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『一国の王女に成り代わったからにはテッペン取ったる!〜転生先はまさか稀代の大悪女!?国を滅ぼすのは流石に忍びないんだが〜』
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