【コミカライズ】【短編】婚約破棄されたら、知らなかった私狙いのお兄様が乗り込んで来て『氷の暴君』化してしまった。
約2万文字の濃いめ短編です。
王室による城での華やかなパーティーの最中。
私は、てっきりダンスをするためにエスコートされたと思っていたのに、王族の謁見のスペースからそう離れていない立ち位置へ。
そして、婚約者の王太子のアルファード殿下は、さらりと金髪のウェーブ気味の髪を掻き上げて、青い瞳を細めて、私に嘲笑を送る。
アルファード殿下の右腕が横に伸びたかと思えば、打ち合わせでもしていたのだろう、令嬢が一人、優雅に歩み寄って、その手を取った。
「王太子アルファード・ヴァンアイズは、リュエリア・ドラトゥラ侯爵令嬢との婚約破棄を言い渡す! そして、我が王太子妃に選ぶのは、キラリア・ハーバー伯爵令嬢だ!」
ストレートの淡い金髪と青い瞳の令嬢キラリア・ハーバー様は、王太子アルファード殿下をうっとりと見つめたあと、私に勝ち誇った微笑を向ける。
キラリア嬢も、私も、青いドレスを着ている。アルファード殿下の瞳の色だからだろう。
しかも、形まで、同じ。ドレスが被っているなんて、由々しき事態。
……って、それどころじゃないわね。
――――そう来たか!!
私は衝撃のあまり、言葉を失い、顔色を悪くする。
前々から、キラリア嬢がすり寄っていたことは知っていたし、アルファード殿下もまんざらじゃないみたいに受け入れていたし、そう遠くない日には婚約が白紙になると思ってはいた。
近衛騎士団長のお父様が、魔物討伐の任務に救援要請された時点で、二人で首を捻っていたけれど……。
公の場で婚約破棄をするなんて!!
この場に、私の味方はおらず、完全に孤立していた。
そういえば、『婚約破棄もの』があったなーっと、前世の記憶にあることを思い出した。今更である。
婚約者に非があって、婚約破棄を公衆の面前で言い渡し、想い合っている令嬢を新しい婚約者として発表するお話。
物語としては、クライマックスシーンであり、その後、めでたしめでたしのエンディングに入るので、『公衆の面前で婚約破棄』は最後の見せ場。必要な演出である。
話し合いの場を設けて、婚約解消にサインして、解決。では、物語としては盛り上がらない。
それはまぁ、物語なのだから、納得出来る。
が、現実でやられる意味がわからない。
学園に通い始めた十五歳だった三年前に、気に入ったとかでアルファード殿下から縁談が来てしまい、マズすぎると青ざめたけれど、父が近衛騎士団長として仕えている王室に逆らえるわけなく、婚約者になった。
いい婚約者ではなかったと認めるけれど、でも、かと言って、彼から押し付けた婚約を、見世物として破棄するのはなんなんでしょう。
吐きそうな胃を押さえるようにさする。何も食べてなくてよかった……。
この三年間、本当に胃がキリキリしっぱなしだったのに、最後の最後で、大ダメージ。
「あらあら、可哀想。倒れてしまいそうだわ」
「仕方ないわよ、だって、ねぇ? 彼女は『気弱な令嬢』だもの」
遠巻きに見ているようで、実はわりと近い位置で、夫人達が扇子を頬に当てながら、笑う。
「ああ、あの『勉強しか出来ない気弱な令嬢』だったか」
「本当に、今にも倒れてしまいそうだ。気の毒だが、あの『気弱さ』では、王太子妃など、始めから無理だったろうに」
「はははっ。では、こうなって、よかったですな! 彼女のためにも、この国の未来のためにも!」
貴族の男性陣も、皮肉に笑っている。
まるで、用意されたセリフにしか聞こえない。
「まぁ、よく見て。キラリア嬢と全く同じドレスを着ているのに、リュエリア嬢は全然似合っていないわ」
「最初から、王太子殿下には、似合わなかったってことねぇ。クスクス」
令嬢達も、見下して嘲る。
父親譲りの髪は、真っ赤だ。少し癖がついていて、侍女には頑張ってもらい、なんとか編み込んでもらって、髪のうねりを美しく見せる髪型にしてもらったが、真っ青なドレスは、どうにも赤い髪とは馴染まないので、本当に似合っていない。わかっていて、アルファード殿下は送りつけて、着ろと言ったのだ。
騎士のお父様ではなく、他界した儚げなお母様似で、印象に残る真っ赤な髪を持っていても、小柄小顔と可憐な容姿の私。
烈火な赤い髪で、鮮やかすぎる青いドレスなんて、着こなせるわけがない。
「まったく。君は、突っ立っていることしか出来ないのか? 僕の婚約者に選ばれたというのに、未来の王妃になるためにも、変わる努力をしなかった自分を恥じて、反省するべきなんだぞ? これが君が選んだ末路だ」
アルファード殿下が、私を嘲笑う表情を隠し切れない顔で、告げる。
そんなアルファード殿下の右肩の方と、左肩の方に目を向けた。
謁見スペースの王座に座る国王様と王妃様を窺ってみたけれど、国王様は、静観。王妃様は、見下すように顎を上げて傍観。
この場は、私一人を存分に貶めて楽しむ婚約破棄披露パーティーだったのだ。
知らなかったのは、他国の貴賓客くらいだろうか。気の毒そうな眼差しより、好奇の眼差しが多い。彼らにも、風変わりな催し物でしかないのだろう。
やはり、味方なんて、ゼロだ。
「リュエリア嬢」
キラリア嬢の番らしく、呼ばれた。
「どんなに学園で最優秀な成績を残しても、『座学が出来るだけ』じゃあ、王族に嫁ぐ資格なんてないのですよ? 婚約が決まったからと言って、あなたは一体、殿下に何をしてあげたのですか? 殿方の心を癒すことだって、わたくし達、妻となる女性に必要な努力なんですよ。それなのに、勉強勉強……『気弱』すぎて社交もまともに出来ないから、『勉強しか出来ない気弱な令嬢』と言われてしまうのです。反省なさって? わたくし達は、あなたのために言っているのですわ」
そう。私のため。
反省を促すために、強烈なほどに記憶に残るように。むしろ、トラウマとして心をへし折るように。
この場を設けたのだと、美しく微笑んだはずのキラリア嬢は、優越感によって歪んだ笑みになっている。
「父親のドラトゥラ侯爵は、近衛騎士団長として、勇ましく何にも動じない無敵な男だというのに……一人娘は、何故こうも気弱なんだか」
「まったくですな。あんな気弱では、とてもじゃないが、夫のために社交などまともに出来ないのは明白。何故役立たずに育ってしまったのか、嘆かわしい」
「ドラトゥラ侯爵に同情しますな」
心無い貴族達の言葉は、私に聞かせるために、次々口から出てきた。
私は視線を落としたまま、グッと奥歯を噛み締めて、立ち続ける。
「王太子が見初めたというから、どんな令嬢かと思えば……『勉強しか出来ない気弱な令嬢』だなんて」
「それに比べて、キラリア嬢は王太子殿下と一緒にいたいがために、公務も学園の勉強も、お支えして頑張っているとか」
「それだと、王太子殿下も、心の持ちようも違ってくるでしょうね。その証拠に、以前より、精が出ていると文官の夫が言ってましたわ」
真っ赤な紅を塗った唇をつり上げて、どこかの夫人が言った。
「婚約者一人の心を繋ぎ止めることも出来ない。『管理』が全くなっていないわ」
……かんり。管理……?
「ははっ。『管理』は、必要ですな、夫人。妻となるのなら、婚約の時点で、夫となる者を、癒して、力を与えて、支えなくては」
「そして、心を繋ぎ止めないと!」
どこかの男性貴族が、便乗して、声を上げて笑った。
「まぁ……最初から、お心を繋ぎ止める魅力がなかったのですから、仕方がないのでしょう」
周囲から突き刺さる視線が、その言葉を肯定する。
何もかもが酷く劣っているのだと、全員が一斉に、それを告げている気がした。
「そ、そんなぁ……」
私がか細い声を絞り出すと、にたりっとキラリア嬢もアルファード殿下も、笑みを深める。
待ってました、と囲っている貴族達も、似た笑みを吊り上げたに違いない。
『勉強しか出来ない気弱な令嬢』が、泣き出す瞬間を――――。
それが極上の、メインディッシュなのだから。
「殿方を『管理』しなくてはいけないなんて! わたくし、知りませんでしたわ!」
震える声で、私は言ってやった。
水を打ったように、静まり返るパーティーホール。
クスン、と出てもいない鼻水を啜るような音も、その場に響きそうだ。
前世の記憶で、『婚約破棄もの』を覚えていれば、この場を回避出来ただろうか。いや、なんか普通の『婚約破棄もの』とは違うから、事前に対処は出来なかったと思う。
一人の令嬢を、王族が場を設けて、貴族で集団いじめをしている性根の腐った悪趣味すぎる場。
だから、この場を乗り越えることを考えようか。
前世の記憶なんて、今や遠い昔の記憶に過ぎない。
せいぜい、前世の人物設定みたいに記憶していて、ところどころ前世に関連する記憶が引っかかる程度。
私の前世の人物設定は、長女だったということ。それも恐らく、古典的な長女。面倒見はいいけれど、それによって上手く甘えられないタイプ。
一人っ子なのに、長女の面は出ていた。
養子ではなく、同居していた八歳年上の美少年を、ワケありだと理解して、なるべく仲良くするべきだと、不慣れながらも『お兄様』と呼んで一緒に過ごしたのだ。
彼も『お兄様』として、私を甘やかしてくれたからなのか。
私は他の誰かの面倒を見てやるような性格には育たなかった。
正しく言うと、誰かにお節介をしようものなら、悪寒に襲われることになるので、禁じられたようなものだけど……。
前世の長女の面が残っていたせいか。私はどうにも我慢強いようだ。上手く甘えられないのは、すなわち、本音を言えないということ。
溜めに溜めに溜め込む。
そもそも、私は…………色々と、溜めに溜めては、爆発して吐き出すタイプだったなーっと、そんな前世を思い出してしまった。
「どうして誰も教えてくれなかったのでしょうかっ……殿方は『管理』が必要だなんて!」
か細い声で嘆く私の周りが、少しだけ、どよっとしたのを感じる。
『管理』という言葉に、戸惑っているけれど、言い出したのはそちらだ。
「女性側が、殿方を『管理』!」
ここ。強調、大事。
「王太子妃の教育を受けて来たはずなのに……ああ、きっと、わたくしは、まだそれを学ばせてもらえるような下準備が出来ていなかったせいですね! 王妃様! あんなに熱心に教育をしてくださったのに、王太子殿下の『管理』の仕方を教えてくださらなかったのは、そういうことなんですね?」
消え入りそうな声ながらも、すがりつくように身を傾けて、王妃様に向けた。
声量は十分で、彼女に届いたようだ。呆気にとられた顔で、扇子を両手で握っている。
そりゃ、いきなり、公衆の面前で、自分の息子の『管理』の話をされては驚くだろう。
母親直々に『息子の管理』を教えるとか……気味悪すぎるけど、もう他人事なので笑えるわ。
「ああ、なんて恥ずかしい! 皆様の言う通り、わたくしは『勉強しか出来ない気弱な令嬢』で『座学だけが優秀』では……本当に本当に、淑女としても失格だったのですね」
またクスンと鼻を啜る。
「皆様は、『妻に管理される夫』であり、『夫を管理する妻』だったのですね! わたくしは、そうとも知らず……情けなさすぎて、消えてしまいたいですわ」
両手で頬を押さえて、しおらしく俯く。
『妻に管理される夫』と『夫を管理する妻』の強調は、あまり大袈裟にしない。
あくまで、私は『気弱な令嬢』として『恥じて反省』しなければ。
明らかに、周囲が動揺して、赤くなっていても、笑ってはいけない。
「キラリア嬢」
「えっ」
顔を上げて呼べば、びくりとキラリア嬢は小さく身体を揺らした。
「これからキラリア嬢は、王太子殿下を『管理する』のですね。頑張って王妃様から学んでくださいと、わたくしが言うのはおかしいですよね……。だって、キラリア嬢はもう『管理』が出来ているってことですものね? 婚約者だったわたくしにあったはずの王太子殿下の心を、キラリア嬢は手に入れたってことですもの!」
キラリア嬢が、身体を強張らせる。
心を奪った、とはっきりと言わなかった自分を褒めたい。
別に、私が手に入れていたわけではないけど。
「確かに、わたくしは王太子殿下に見初められて、婚約者となりました。ですが、心があったのは、きっとその時点だけ。王太子殿下の心を繋ぎ止める努力をしなかったわたくしなんて、婚約破棄されて当然ですよね、教えてくださりありがとうございます」
シュン、と涙声を出す。
「今後も、キラリア嬢は王太子殿下を『管理』するためにも、心を繋ぎ止める努力をして、奪われないように守って、それから癒すのでしょう? その努力は、本当にわたくしには出来そうにもありませんわ……。『管理』。『管理』!」
キラリア嬢が固まっている横で、『管理される』王太子殿下は、顔を真っ赤にしている。
「本当に自分の勉強不足に嫌になりますわっ。どうして誰も、殿方は『管理』されなければいけない生き物だと、教えてくださらなかったのかしら!」
可憐な声は、ただただ嘆いているようにしか聞こえないだろう。
そんな可憐な声が響かせる言葉は、貴族達の羞恥心を、ちゃーんと刺激出来ただろうか。
「あ、あら? ……隣国の使節の方? 戸惑っているようにお見受けしますが……もしや、『殿方の管理』は、他国にはない風習でしょうか?」
ギクリ、と声をかけた他国の貴賓客は、顔を強張らせた。
私は精一杯、悲痛に歪む泣きそうな顔を作る。
「そんな! 他国には『殿方を管理』する風習がない!? では、わたくしは自国の風習を知らないまま、18年も生きてきてしまったのですね! わたくし、酷すぎるっ」
自分の不甲斐なさを嘆く『気弱な令嬢』の誤解を、誰も解こうとしない。
他国の貴賓客も、自国の貴族達も、微妙な空気になってしまう。
『殿方を管理する』風習のある国。そう思われている自国の貴族。悪趣味に集団でいたぶられていた令嬢一人が、声を震わせながら反省を嘆く『殿方の管理』に、どんな反応をすればいいか、わからない他国の貴賓客。
間にあるのは、気まずい空気。失笑も、誤魔化し笑いも、出来そうにない。
それどころではない男性陣は、自分が『管理』されているのか、という疑心で女性陣を睨み付ける。疑われている女性陣は、ギョッとしていた。
さらには、『管理』される側ということに、この上ない屈辱を覚えている男性陣に、女性陣は身を縮める。
男性がリードしてやる関係か。女性がリードをつけてやる関係か。個人的にどうかは知らないけど、表向きでは、男性が優位に見せたいだろうし、そうあるべきだと言う傲慢な男女差別を持つ男性は多いはずだ。
平民だろうが、貴族社会だろうが、異世界だろうが。似たようなもの。そんなものである。
穏便な婚約解消のために、ずっと悩み続けて、胃痛でずっと俯きがちだった私の鬱憤晴らしは、これくらいでいいだろうか。
実際、私は王太子殿下の婚約者を、本気で務める気はなく、社交なんて手抜きだった。いや、ぶっちゃけると、色々考えすぎのせいで、胃がキリキリして耐えていたら、俯いてばかりになってしまい『気弱な令嬢』という印象を抱かれていた。
さらには、貴族学園でも、他の生徒とあまり交流をすることなく、勉強ばかりをしている風に見せかけて、本を読みふけっていたのだ。特段、勉強しなくても、成績は一位を取れるので、机から離れない『勉強しか出来ない気弱な令嬢』が出来上がった。
噂と思い込みを利用して、私の婚約破棄披露パーティーという名の公開処刑を、大いにめっちゃくちゃに出来たので、よしとしよう。
この三年、痛めつけられた胃は多少癒されただろうし、溜飲も下がった。
目の前の新しい婚約者同士が、険悪ムードである。
男として『管理』されるなんて、王子としても高い高いプライドが許すはずないものね。
怒りによる赤面で、王太子殿下が新しい婚約者のキラリア嬢を睨み付ける。キラリア嬢は、仰け反るくらい上半身を引き離していた。
「ううっ! ごめんなさいっ! 本当にごめんなさいっ!」
晴れて婚約がなかったことに、盛大に安堵すれば、本当の涙も出てくれる。
もう耐え切れなくなった風に、泣き出しながらの退場をしようと、踵を返して扉に向かって行ったその時だ。
バンッ!
扉が、勢いよく開かれた。
パーティーホールに足を踏み入れた人物を目にして、私は「ひぃッ」と悲鳴を出した気がするけれど、どうだろうか、わからない。とにかく、安堵の涙は引っ込んだ。
「――――嗚呼、リュエリア!」
神秘的な白銀色の髪をさらりと揺らし、とろけるような微笑みで呼ぶ彼は――――全く笑っていない凍てつくような水色の瞳で、私を射抜いていた。
作り物の美しい人形のように見えるのに、彼は動く。足を動かして、黒いローブを揺らしながら、進む。
その度に、ピキピキッと空気が凍てつき、彼が歩んだカーペットから、左右に壁を作るかのように、氷が盛り上がって現れる。
一足先に、ひんやりした冷気が、私にぶつかり、ぶるっと震え上がる羽目になった。
ひぇええっ!! お、おおお、『お兄様』が、キターッッッ!!!
こ、こんなタイミングで現れるはずないのにっ! どどど、どうしてっ!!
でも、物語的には、ここがクライマックスシーンならば、『お兄様』の登場は必須よね!
主役にふさわしすぎる人物!!!
なんですか、その派手な演出に、しっかりなっている氷の魔法! 三年前より、強力になったのが、一目瞭然すぎ!!
婚約破棄パーティーの時点で、その可能性を考えておくべきだった。でもどう考えてもやはり、私に対処なんて出来っこないのである。
「お、お兄様……」
ガタガタブルブルしつつも、私はなんとか声を絞り出して、か細い声を出す。
演技ではない。というか、地声が、可憐すぎるのである。だから『気弱な令嬢』と思われるのだろう。
「お兄様。お兄様? お兄様、か」
この場を一瞬で支配したお兄様は、そう口で唱える。
「リュエリア。お前は、オレを家族と思って、そう呼んでくれ続けたよな?」
ピキピキッと、足を止めたお兄様の右側に盛り上がった氷の壁から、一輪の氷の薔薇が生えた。
こうして見ると、壁というより、腰の高さの氷の生垣みたいだな……と、刹那だけ現実逃避。
「は、はい……その通り、ですが」
やっぱり、ガクブルする私は、なんとか答える。
パリンッ!
一輪の氷の薔薇が、お兄様の手によって、握り潰されてしまった。粉々だ。
びくぅううんっと震え上がった私は、もうこの場で卒倒したい。
「そんな家族に、三年前から、婚約者が出来たと教えなかったのは何故だ? ん?」
怒らないから言ってみろ、と言わんばかりに、笑いかけるけれど、絶対に彼はもう怒っているし、何を言っても怒られる。
彼の怒りを鎮める言い訳など、ないのだ。
「お、お兄様は、その……【魔塔】の修行中、でしたので……」
「それが? ずっと、手紙のやり取りをしていたじゃないか」
「修行中は、五年間、出てはいけないという決まりだったのでっ」
「リュエリア」
まるで、子どもを諭すように、優しく呼びかけているような気がする声。
……気がするだけなのである。
なんなら、私には、そんな気がする、こともないのである。
お兄様は。全然。全く。優しくしていない。
乱暴にはしていないけれど、優しくはしていないのだ。
私を反省させるには十分だと理解していて、冷たい目で射貫いてくる。
「何事も、例外は作れるんだぞ。賢いお前なら、わかるだろう?」
「……ひゃい……」
ガチガチに固まったまま、首を縦に振っておく。
お兄様は、何かと『賢いお前』と言ってくる。
皆まで言わなくても、ちゃんと理解出来る、と思われているらしい。
私が鈍感なら、こんなにも恐怖に震えずにいられたと思うし。
あの冷たい目――――獲物を狙うような猛獣な目で、見られることもなかったかもしれない。
気付いたら、お兄様と呼んで一緒に暮らしていた彼に、そんな目で見つめられて舌なめずりされたのが、五歳の頃だった。
「婚約を知ったら、オレが【魔塔】から飛び出してくるって、心配したんだろう?」
「え、ええ……」
コクリ、とさっきよりは滑りよく頷けたと思う。
「当たり前だろ。お前は、オレのモノなんだから」
はっきり、怒りが込められたドスの利いたような声が、放たれる。
その発言が問題なんですよぉおおっ! お兄様ぁああっ!!
私が五歳の頃。
すでに、私を所有物と認識していたお兄様に、ファーストキスを奪われた。
「三年前に言ったよなぁ? オレが戻る卒業後まで……言わなくてもわかっているよな、って」
本当に、目が凍てつくほど笑っていないお兄様。
「それは、その、えっと……わかってはいましたが、その、じ、事情が事情ですしっ、そのっ! やむを得ず、婚約した方には、エスコート以上の接触はしておりません!」
独占欲強火なお兄様に、なんとか、怒りを軽減してもらおうと、慌てて答えた。
私が貴族学園ですら交流を控えていたのは、お兄様が独占欲を爆発させるからだったのだ。
私の14歳の社交界デビューのパーティーでエスコートしてもらった時、私に異性が近付こうとするだけで、凍てつく眼差しで、射殺そうとしていたもの……。
ちなみに、自分の冷たすぎる美貌に寄ってきた同性も一瞥することもなく、冷たい魔力を当てて追い払っていた……。
被害者は、出せない……男女関係なく。
執着による独占欲強火のお兄様のそばにいた私は、そのパーティー後は、可憐な小さな火の妖精のような令嬢として、幻程度に噂されていたらしい。
「エスコート?」
極寒かと思うくらい、足元にかかる空気が、さらに冷えた気がする。
この場にいた全員が、一瞬、足元に気を取られるくらいだった。
小さな火の妖精も、瞬殺で凍り付くわ!
「社交界デビューで、オレがエスコートしたあとに……パーティーに参加しているなんて、知らなかったなぁ」
自分の首を絞めたぁああっ。
不在の間、婚約したことを黙っていた上に、婚約者にエスコートされてパーティーに参加していたことも隠していたと、バレたぁああっ。
今こそ、ガン泣きしたい。
泣き落とし……効く相手だったろうか。
「エスコートで触れたのは、右手? 左手?」
「お、叔父上っ」
「黙れ。貴様らに家族のように呼ばれると、粉々にしたくなるほど虫唾が走る」
「ぐッ……!」
王太子殿下に目を移したお兄様は、即座に冷たすぎる拒絶で黙らせる。
何がなんだかわからないと困惑しつつも、王太子殿下は恐怖で固まるしか出来ない。
私に救いを求めたのか、または疑問に答えてほしいのか、王太子殿下が視線を寄越す。
「おい。オレのリュエリアを見るな。眼球から凍らせてやろうか?」
殺意を込めた声に、王太子殿下はサッと私を視界から外して、カタカタと身体を鳴らしながら震えて立ち尽くした。
「ち、ちなみに、お兄様。触れた方を教えたら、その部位はどうなるのでしょうか?」
わかってはいるけれど、わかりたくないがために、無駄な質問をしてしまう。
「凍傷で壊死させるに決まってるだろ?」
「お兄様っ」
「その場で砕いてやってもいいが、壊死でじわじわ苦しむ方が、気が晴れそうだ」
「お兄様ぁああっ」
予想より残酷だった! お怒り度が、予想より上だった!
王太子殿下が、真っ白になった顔で、崩れ落ちそうだ!
「なんだ? 庇う気か? 絆されているのか? あ?」
「ひぃいっ、違いますっ」
カッと目を見開いて、目に見えて激怒を示すお兄様に気圧されそうにながらも、頑張って首を横に振って否定する。
婚約関係にあったからと言って、絆されているわけがない!
お兄様が、家族と認めていない拒絶相手だよ!
「あ、相手は、王太子ですっ! 王太子なのです! だから、私が、私は三年っ、三年もっ、う、ううっ! 事情がぁあっ!」
もうしどろもどろで、何を言いたいのか、まとまらないまま、本気で泣きかけた。
「……はぁああ。わかったわかった」
どデカいため息を吐いて、お兄様は手を伸ばす。
私の頭を撫でる手は、不思議なくらい、いつも怯えないまま、すんなりと受け入れてしまう。
「じゃあ、その事情を聞いてやろう」
バンッと、お兄様が右手を上げると、後ろで開いていた扉が派手に閉まっては、キンッと凍り付いた。
そして、左の掌をカーペットに向けて一撫でするように振ると、ピキピキッと空気が凍り付いて、それを作り出す。
国王様よりも、大きく立派な玉座にしか見えない氷の玉座。
パーティーホールのど真ん中に、芸術的にも神秘的にも美しい大きな氷の玉座の持ち主が、この城の王にしか見えなくなるだろう。
それに腰を下ろすと、お兄様は私をすぅっと細めた目で、見た。
「本当に似合わないドレスだな」
青いドレスに文句。そう言われても……。途方に暮れてしまいそうになったが。
ドレスの裾を掴むなり、魔法をかけてきた。
掴まれた箇所から凍り付いていき、私は氷に身を包まれてしまう。
「ひゃ、つめたっ……くない?」
冷たいなんて、一瞬だった。
青いドレスは、白く凍り付いたと思ったのだけれど、水色に艶めく白いドレスに変わっただけだ。
「わあ」
場違いにも、魔法で変えられたドレスに、見惚れてしまい、少し身体を捻って揺らしてしまう。
「フッ。オレの瞳の色にしようとしたんだが……まるで、ウエディングドレスだな?」
満足げに、くいっと口角を上げるお兄様は、頬杖をついていない手を差し伸べる。
それを手にすれば、引っ張り寄せられて、当たり前のように、左の太ももの上に乗せられた。
「痩せたな」と、ボソッと言われてしまう。
「それで? 事情とは?」
わかっているくせに。
何故、私にこの場で言わせようとするのだろうか。
もう私は『殿方の管理』について、散々嘆いたので、舞台から降ろさせてほしい。
扉が氷漬けにされて、パーティー参加者は逃げることは許されていないから、棒立ちするしかない状況。
さらには、魔塔で三年だけ修行をしたといえ、何もないところから氷の玉座を作り出すし、ドレスを染め上げるし、明らかに尋常じゃない魔法使いに、息を呑んでから息を潜めている。
誰もが魔力を持つ世界ではあるが、凡人の魔力は役に立たない。
魔法と呼べるほどの現象を起こすほどに、魔力が高くないと、火起こしも満足に出来ないのが、一般的。
極めた魔法の使い手の頂点に君臨する者が集う【魔塔】が、天空に存在する。
気まぐれに要請に応えて手助けをする魔塔の魔法使いは、一国を軽く滅ぼせる災害レベルの魔法も使えると言い伝えられているのだ。
そこから修行してきたお兄様を、恐れている。
いや、元々、お兄様は凍てつく魔力を放ちがちなので、登場から恐れられていた。
尋常じゃない魔法を見て、その恐れはこれ以上ないほど、最高潮に達しているはずだ。
「お兄様が、【魔塔】へ修行に行った少しあとに……王太子殿下に、み、見初められた、という理由で、縁談が来たのです」
「……ふぅん。だから言っただろう? リュエリアは、可愛いんだ。他の男に愛想よくしてはいけないって」
またもや、王太子殿下の眼球を凍らせたそうに、鋭く一瞥してから、お兄様は楽しげに、垂らしていた私の赤い髪をひと房とって指に絡めた。
「そ、そんなことは」
「まったく。『管理』が必要なのは、リュエリアだな。どんな男にも触れられないように、大事に守ってやらないと」
赤い髪を絡めたままの手で、私の顎を下から掴み上げるお兄様。
ぞぉおっとした。
やめて。監禁とかはマジやめて。
オレ様独占欲増し増しからのヤンデレ行為はやめて。
「それで、オレがいない隙に……来た縁談を、どうして受け入れたんだ? お前は、ずっとオレのモノだって、わかってるよな? リュエリア」
お兄様の目は、鋭い冷たさを宿したまま、王妃様に向かう。
どうして受け入れた事情も、わかっているくせに。
どうしても、ここで暴露したいらしい。
「だ、だって……お、王室からの縁談です……お断りは出来ません」
「はぁあ……。王族からの縁談だから断るという選択肢がなかったって? おいおい、リュエリア。オレも認めたくないが、王族なんだ。一応、王弟殿下なんだぞ?」
お願いだから、王室と正面衝突しないでほしいと、祈る。
お兄様が何者かわかっていなかった他国の貴賓客は、心底驚いたに違いない。
半分近い貴族も、顔を見たのは初めてだろう。
王弟殿下のギルウェルド・ヴァンアイズ。
ギルウェルドお兄様は、歳が離れた国王様の弟なのだ。
あまりにも遅く生まれたお兄様は、先代国王の婚外子。
その上、すぐに今の王太子であるアルファード殿下が生まれたため、王位継承争いで、弱い立場にあった彼はいつも命の危険に晒されていた。
大した後ろ盾がないが、並外れた魔力の高さがあって、それで新たな強力な力を持つ王を夢見た貴族が密かに支持をしていたのだ。
存在そのものが許せないと憎んだ先代王妃は排除しようとし、現王妃様も息子の王位のためにも、敵意剥き出しに排除を目論んでいたのだとか。
ギルウェルドお兄様は凍てつく魔力で、今まで身を守れていたが、近衛騎士団長のお父様が自ら保護を申し出て、私と一緒にドラトゥラ侯爵家で暮らすことになったのだ。
王室に固い忠誠を誓っている近衛騎士団長のドラトゥラ侯爵の監視下にあるため、王位継承争いでは、誰かの思惑を吹き込まれることなく、参加することもない。そうやって、お兄様は、利用されることもなく、大人しくなったと思われていた。
実際、お兄様は、王位など、全く以て興味がない。むしろ、忌み嫌っている。王族とともに。
「ですが、それでは……だからこそ、お断りは出来ませんでしたっ」
「オレのモノだって言えばいいのに」
「そ、それは、だって」
「ああ! そうか! オレのモノだって言ったら、余計危険だもんな!」
お兄様は、わざとらしく、声を上げた。
お願いだから、一人でやってくれないだろうか。
私もさっき一人で『気弱な令嬢の反省』を演技して頑張ったんだから。
「王位継承争いで保護してくれたドラトゥラ侯爵家は、オレが身を寄せる唯一の場所。ただそれだけでも、オレの存在が気に入らないままの王妃からの圧がかかったんだろ? それじゃあ、断れないよなぁ……ごめんな? オレが不在だったせいで」
よしよし、と宥めるお兄様が額の上の前髪を撫でる。
貴族達が、王妃様を向くが、怒りで歪んだ顔を見て、サッと目を背けた。
「まったく。息子の王位を脅かすからって、先代王妃と一緒に散々命を狙ってきただけでも迷惑だっていうのに…………でも、傑作だな! オレのモノだって知らず、息子が目をつけるなんてさ!」
ぷはっ、とお兄様は噴き出す。
「ただ王族どもの代わりに、家族同然として身を寄せていた家だと思ったんだよな? お前の安全のためにも、オレのモノだって、婚約しなかったのが、アダになったのか……オレじゃなく、あっちがアダになったのか?」
彼自身が王族なので、王族ども、と吐き捨てても、咎められない。
王太子殿下は、事情を何一つも知らなかったのか、大きな動きではないが、お兄様と王妃様を交互に見ている。
もちろん、お兄様の言葉は、王妃様に向けているわけではない。私に向けているが、それでも返事は求めていないだろう。
わざと、パーティー参加者に聞かせているだけにすぎない。
「まぁ、本気で婚約させなかったのは、賢明な判断だったなぁ」
冷え冷えした笑みを浮かべるお兄様。
「オレが身を寄せていた大事な家の令嬢を、辱めて貶めるパーティーを開くだけにしといて、命拾いしたなぁ」
クスリ、と小さく笑う。
立派な脅迫に、凍り付く。もうすっかり、パーティーホールは、冷蔵庫の中状態だと思う。
「拒めば、オレと王子の確執を知っての上で、オレの味方をしたということで表立っての敵と見做されて、ドラトゥラ侯爵家は危険だった。でも、王妃がドラトゥラ侯爵家の令嬢を本気で息子の嫁にするつもりがあるはずないから、婚約破棄を待って、リュエリアは耐えることにしたんだな? まったく。そんなに賢いのに、どうしてオレに知らせてくれなかったんだ?」
最初から、王妃は、ギルウェルドお兄様を匿った家の令嬢など、嫁がせる気はなかった。
長い間、お兄様と暮らしてきた令嬢だ。
家族以上の感情があるとも知らず。
家族並みの感情があるなら、不在の隙に、辱めて貶めて苦しめることにしたのだろう。
息子が見初めたことをきっかけで、婚約破棄披露パーティーは計画されたはずだ。
それを乗り越えればいい、とお父様と話した結果、婚約を承諾することにしただけ。
「だ、だから、お兄様は【魔塔】の修行中でしたから」
「あはははっ! 一番の理由は、血祭りが怖かったんだろ?」
愉快そうに笑い声を上げるお兄様の膝の上で、私は内心で激しく頷いた。
全くその通りですぅうううっ!
「オレは赤色が大好きなんだよ、リュエリア」
うっとりするような笑みで、私を見つめるお兄様。
私の瞳もまた、赤い。
でも、王族で血祭りは、全力阻止したいっ!
お兄様ならやりかねないぃいいっ!
ここにっ!! 氷の!! 暴君が!! いるっ!!!
お兄様の膝の上で、カタカタと震える。
婚約破棄をひたすら待ち、やっと解放されたのに、その瞬間に隠し切りたかったご本人登場とは。
泣ける。泣きたい。
「リュエリア。どうして、そんなに穏便解決を望むんだ? 力があるんだから、それでねじ伏せてしまえばいいじゃないか。穏便に済ませてやって守ろうとしたコイツらに、そんな価値、あるの?」
私の右手を掬い取るように持ち上げると、手首に唇を軽く添えてきた。
コイツら。
王族だけではない。
自分達も含まれていると、貴族達は気付く。
ついさっきまで、私を貶める婚約破棄披露パーティーに参加していたことを『氷の暴君』の登場に、都合よく記憶でも飛ばしていたのだろうか。
それとも、息さえ潜めて隠れていれば『氷の暴君の所有物』である私を、よってたかって言葉で嬲っていた罪が見逃されると思い込んだのか。
【魔塔】の魔法使いは、一国を滅ぼす災害を起こす魔法も使える。
ギルウェルドお兄様には、すでにパーティーホールを血の海にする力があると、簡単に予想が出来るだろう。
死に怯えて、あちらこちらで、倒れる音がする。悲鳴はない。なんとしてでも、息を潜めて、やり過ごしたいからだろう。
「『殿方の管理』だっけ? ククッ! まぁ、確かになぁ? ちゃんと男を『管理』しないと、オレみたいな婚外子を作りかねないもんなぁ?」
自虐を口にしたギルウェルドお兄様に、眉を顰めてしまった。
それを見たお兄様は、一瞬、柔らかい眼差しになって、そっと人差し指で私の左頬を撫で下ろす。
「夫人方はせいぜい、『殿方の管理』を厳しくして、よそに手を出して種を撒かないように気をつけろよ。ぷははっ! どう聞いても、コイツらが『管理』が必要な家畜にしか聞こえないなぁ!」
お腹を抱えて笑う代わりに、お兄様は左手で私の腰を引き寄せた。
家畜。直球にそう言われた男性陣は、侮辱に怒りを露にしたい……とは、思えないだろう。
盛大に嘲笑う相手が、相手なのだ。
「でもまぁ、『気弱な令嬢』を一人囲って、嬲っている声はさぁ…………ほんっと! 餌を咀嚼しながらブヒブヒ言っている家畜そのもの!!」
ギルウェルドお兄様の声は、高々と響いた。
「醜いったらありゃしない」
冷ややかな眼差しと笑み。
周囲を見回すギルウェルドお兄様は、間違いなく、やり返している。
事実を吐き捨てただけだけれど、『気弱な令嬢』を嬲ったお返しに、こうして凍てつく空気の中、侮辱を受けて、死に怯えさせているのだ。
もういいじゃないか。
私は、ついっ、とギルウェルドお兄様の襟を、軽く引っ張った。
「だから、社交パーティーなんかに出てもいいことないって言ったろ? わざわざ汚物を見てどうするんだよ」
ギルウェルドお兄様の毒舌は、まだまだ貴族達を攻撃し続けるようだ。
「貴族学園だって、通う必要ないだろ。学ぶことなんて、オレと一緒にとっくに終えてるくせに。行くだけ無意味じゃないか」
「貴族の義務だもの……」
私の髪を頭に沿って撫でつけるギルウェルドお兄様に、何度目かわからないセリフを、むくれながら言う。
貴族学園は、貴族の子どもが15歳から19歳まで、通うことが、この国で定められている貴族の義務だ。
「何事も例外は作れるもんだ。リュエリア」
「お兄様だって通ったのに」
「そのオレの教材で全部学び終えたのは、リュエリアだろ」
つん、と人差し指で、額を小突かれた。
「そういうことで、例外にしてくれよ。兄上」
ギルウェルドお兄様が、初めて、国王様に目を向けて声をかけたものだから、驚く。
本当に、初めて実の兄である国王様と話した姿を見た。
あと、兄上、と呼んだことも、慄いてしまう。
家族らしい呼び方は、どうにも血の繋がりのある王族には、されたくないと完全拒絶していたからだ。
ずっと、難しそうにしかめた顔の色が悪いまま、静かに傍観していた国王様は、すぐには答えられない様子。
「相変わらず、偽善者にすらなれないのな」
ギルウェルドお兄様は、ニヤリと皮肉を吐き捨てる。
「オレの時も知らないふりをしていたし、今度はか弱い令嬢一人を嬲るためのパーティー開催を黙認? しっかり『管理』でもされているのか?」
「……」
兄である国王様は、突き刺さった言葉に、開いた口からなかなか声を出せないようだった。
命を狙われた幼い弟を、見て見ぬふりをした年の離れた兄。
彼自身が、ギルウェルドお兄様に敵意を向けたことはないらしい。だが、だからといって、味方でもないし、助けたこともない。
今だって、味方にはならない。だけれど、恐ろしい力を持つお兄様を、敵にはしたくないだろう。
この場で圧倒的強者で、支配者なのは、『氷の暴君』化したギルウェルドお兄様だ。
災害級の力に、国王の権力など、無意味。
「偽善者になる機会だ。固い忠誠を誓う近衛騎士団長の愛娘を、王妃どもにいたぶらせることを黙認した罪悪感から、貴族学園に通う義務を免除してくれ。そもそも必要ないんだ。なんなら、リュエリアに卒業試験でもさせるか?」
ギルウェルドお兄様は、コツコツと氷のひじ掛けに人差し指を叩き付けている。
あと一回の催促で返事がなければ、キレかねない。
「……この事態が起ってしまった償いとして、リュエリア・ドラトゥラ侯爵令嬢の貴族学園の通学を免除しよう」
なんとか、国王様が、やっと声を出してくれた。
お兄様は、ハンッと鼻で笑い退けたが、穏便に受け入れてくれたようだ。
「そういうことだ。リュエリア。よかったな。無駄に時間を潰さなくて済んだ。これから心置きなく、オレの膝の上で、読書を貪っていいぞ」
「えっ!? お兄様は、魔塔の修行があと二年あるのでは!?」
「リュエリア。例外は作れるんだ。今、証明しただろ?」
ひょいっと身体が持ち上げられた。
ギルウェルドお兄様にお姫様抱っこされたので、首に腕を回して掴まる。
「そ、そもそも、どうしてタイミングよく乗り込んで来れたの?」
「水晶で地上を視る魔法で、何故か青いドレスを着て、王宮パーティーに参加しているらしいリュエリアを目にしたからだ。音が聞けるようにしたら、初耳の婚約を、破棄されるところだったんだよ」
あっ。隠していたという事実に、お怒りだってこと、思い出してしまったし、思い出させてしまったようだ。
キラキラな笑顔。怒ってらっしゃる。
「そしたら、『気弱な令嬢』が罵られてるし……その『気弱な令嬢』が『殿方の管理』って言いまくってて! クククッ! 面白すぎて、乗り込むタイミング、わかんなくなった」
肩を震わせて笑うお兄様は、そのまま乗り込まなかったという選択肢があったことに気付いてほしい。
あっ、そんな選択肢はハナからない?
「『気弱な令嬢』なんてモノを、オレが欲しがるわけないのにな」
鼻先が触れるほど、顔を寄せて、甘く笑いかけるギルウェルドお兄様。
その瞬間。
パキンッ!!!
左右の生垣のような氷の塊が、粉々に砕け散って、貴族達に向かって飛び散った。
衝撃に驚いたのか、ドミノ倒しのように、貴族達が倒れていく。
「おっと。手が滑った。人を粉々にするところだったなぁ」
腰が抜けて座り込む貴族達に、追い打ちの冷笑をお見舞い。
大半が、失神した。
「命があるだけ、ありがたく思えよ?」
「えっ。う、うわぁあああ!」
王太子殿下に声をかけたかと思えば、彼の袖がピキピキッと凍り始める。
手を壊死させるかどうかの話を思い出せば、恐怖は百倍だろう。
王太子殿下は必死で腕を振り回して、悲鳴を上げてのたうち回った。半狂乱とは、この姿のことだろう。
袖しか凍っていないことに、誰か気付かせてくれるだろうか……。
自分にぶつかってきたものだから、巻き添えで凍り付くかもしれないという恐怖で、キラリア嬢は金切り声のような悲鳴を上げて、床を這って逃げようとしていた。
「そうだ! リュエリアを、オレのモノだって公言したんだ! 王位継承権をちゃんとポイして、オレはドラトゥラ侯爵家に婿入りするからな」
軽々と、お兄様は婿入り宣言をして、くるりと方向転換する。
「氷漬けにされて砕かれる前に、言動には気をつけろよ?」
冷酷に低い声で、告げた相手は、王妃様だ。
冷たい冷たい眼差しで貫くと、王妃様は「ヒッ」と短い悲鳴を呑み込み、玉座で腰を抜かす。
これ以上、ドラトゥラ侯爵家に手を出そうものなら、本気でお兄様は命を奪うはずだ。
ずっと命を狙い続けていた相手に、逆に狙われないわけがない。
そして、お兄様ならば、指一本動かすことなく、命を奪える力を持っていると、ちゃんとその目で見た。
そんなギルウェルドお兄様は、目の前の玉座を氷の鳥に作り変える。私を抱えたまま、その背に乗れば、軽く霜を撒き散らして、大きな翼を羽ばたかせて、飛んだ。
容赦なく、窓に巨大な穴をドカンと開けて、城から飛び立つ。
「わあ」と、魔法で生み出した氷の鳥と、空の移動に見惚れる。
鳳凰の氷バージョンって感じで、尻尾の方がいくつかの帯のように長くて、靡きながら、氷がシャラシャラと擦れ合う音を奏でた。
「あの人は、どこにいるの? 娘を一人にするなんてさ」
「あ、お父様なら、昨日、魔物討伐の要請で、北の砦へ……」
「まったく。あの人は、人から人を守るより、魔物相手に暴れる方が性に合ってるって散々言ってきたのに、これかよ」
お父様を責めないでほしい……。
まぁ、お兄様も恩人であるお父様を、貶してはいないだろう。
そんなお父様の元に向かうために、進路が変わる。
ひんやりした夜風が突き抜けて、あまり地上に灯りがない夜景を、お兄様の肩越しから眺めた。
「これを機に、やっと近衛騎士を辞めるよな」
「お父様が得た、最高の地位なのに」
「最高の地位? フン。新しく、魔物討伐専門の騎士団を立ち上げて、初代団長を務める方が、よっぽどいいだろ」
王族を守るための騎士。それなのに、お父様は強いあまり、魔物討伐の力として剣を振るうことが、度々あった。
それがいいのかもしれない。
固く忠誠を誓った近衛騎士団長の一人娘を、心をへし折るつもりで、婚約破棄披露パーティーを開いた王室は、裏切ったようなもの。
近衛騎士を辞めるいいきっかけになったかも。
「オレの不在中に、婚約とは……」
ギルウェルドお兄様から、怒の冷気を受けて、ぶるりと震え上がる。
夜風のせいと思っているのか、お兄様はローブで包み込み、私を抱き締めた。
「在学中、大人しくしていれば、何もないと思ったのに……ちっ。あのクソガキ……本当にエスコート以上の触れ合いはないな?」
「ないってば……」
あったら、戻って、冷凍する気なのだろうか。
お兄様は、【魔塔】で五年の修行中、私が貴族学園で過ごし、お父様も近衛騎士団長として過ごしていれば、何も起こらないと思い、行くことを決めた。
お兄様が社交界にも顔を出さなかったから、王妃様も静かなもので、大丈夫だと判断したのだ。
さらなる魔法の力をつけて、王室に忠誠を誓った近衛騎士団長として身動き取れないドラトゥラ侯爵家に、婿入りしても、自分ごと完璧に守れるように。
婿入りのために、私と婚約しなかったのは、突かれる大きな弱点を露わにしないためだった。
ギルウェルドお兄様にとって。
家族は、王家ではなく、ドラトゥラ侯爵家だから。
物心つく前から家にいたギルウェルドお兄様は。
私達の家族なのだ。
遅くなっても、穏やかで愛を感じる子ども時代を過ごしてくれたし。
私のお母様が亡くなった時も、悲しみを乗り越えるまで、寄り添い合ったし。
これからだって、家族の絆は、ほどけない。
お兄様が宝物のように大事にする家族は、私とお父様と、ドラトゥラ侯爵家に仕える人々だけ。
そっと、ローブ越しに背中をさするように撫でられた。
「このまま、結婚するか。侯爵に、報告だ」
「なっ……!」
ケロッと言い退けるお兄様に、いきなりすぎると言おうとしたけど、はたと気付く。
私は氷のウエディングドレスを着ているような姿で、ギルウェルドお兄様に抱えられてしがみ付いている。
オレのモノ宣言に、しぶい顔をし続けていたお父様は、このまま現れたら、どんな反応をするのやら。
シャラシャラと上下バラバラに靡く氷の鳥の長い尻尾は、結婚式後にハネムーンに行く新郎新婦が乗り込んだ馬車が引きずるガラガラに見えてきた。
縁起の悪いものを追い払うために、結婚したばかりの夫婦が乗り込んだ馬車にくくりつける、魔除けに音を鳴らすもの。帯やラメなどでアレンジをするあれ。
カァア、と頬に熱が集まってきた。
「しっかし……『気弱な令嬢』なんて、よく猫被れたな? 『気弱な令嬢』が、オレを怖がらずに話せるわけないのにな」
「……いつも、震えてるって、わかってて言ってるよね?」
三年ぶりに会って、ガタガタブルブルしていたの、絶対にわかっているくせに。
お兄様は肩を震わせて、くつくつと喉を鳴らして笑う。
「『気弱な令嬢』が、何年も何年も、オレにお預け出来るかよ」
低い声を、私の右耳に吹きかけた。
「オレのモノだって……いつになったら、認める言葉を口にするんだ?」
「……」
冷たい唇が、耳に添えられる。
灯る熱を冷ましてくれるはずが、熱は高くなる一方だ。
ギルウェルドお兄様は、愉快そうに低く笑う。
「強情な口から、オレのモノだって、言い続けるくらいに喘ぐまで、グズグズに愛してやるよ」
……前世からの長女の面が残っていたせいか。
私はどうにも、我慢強いようだ。上手く甘えられないのは、すなわち、本音を言えないということ。
「オレのリュエリア」
甘く甘く囁いて、冷たい唇で、チュッと耳に口付けたギルウェルドお兄様。
私はそんな『氷の暴君』に抱き締められたまま、真っ赤に火照る顔を、胸に押し付けて隠す。
とっくに、囚われている私から、溜めに溜めている愛の言葉を聞くことを、お兄様は獲物を狙う獰猛な冷たい目で見つめながら、舌なめずりして待っている。
end
長編用に『訳あり美少年をお兄様と呼んで、仲良く暮らしていたのだけど。なんか獲物を狙うギラついた目で見てません???な転生幼女』を思い付いて、書き始めましたが、
今は、こちらの連載に集中しようと思いまして、
【婚約破棄された悪役令嬢は冒険者になろうかと。~指導担当は最強冒険者で学園のイケメン先輩だった件~】https://ncode.syosetu.com/n7029hw/
昨日一日で、書き上げてやるぅうう! と書きたい欲を満たせるであろうシーンを書き切ってやりました!(ドヤ)
長編用の伏線は撒き散らさないようにはしましたが、婚約破棄披露パーティーを、濃厚に書いてしまい、約2万文字なりましたね……
ざまぁは書けない派だと思っていたのに、しっかり書けましたよね!? 過去作一番のざまぁかと!!
いいね、ポイント、くださいませ!
オレ様暴君な執着独占欲強火のお兄様に、ガクブルしっぱなしの囚われ主人公。
楽しんでいただけたのなら、いいね、ポイント、ブクマ、お願いしたします!!
近年不調で、度々長い期間何も書けないスランプでしたが、今年は新作になってはしまうのですが、今までとは違う新しいタイプのヒーローで、恋愛模様もちょっと違くて、新鮮な感じに書けているので、心も軽く楽しんで書けてます……嬉しいです!
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
2022/10/22