学園祭
帝国と王国、長く敵対しているふたつの大国。
しかし、その果てのない戦火に、人々は疲弊しきっていた。
やがて、戦乱を終わらせるため、帝国の皇子と、王国の姫が婚姻関係となり、ふたつの国が和平を結ぶという話が両国同意のもと立ち上がる。
しかしそれは王国側の罠だった。その姫は、和平を反故にする日のために用意されていた、偽物だったのだ。
仕立て上げられた偽物のお姫様。それを知ってしまった皇子。二人の間に、愛などというものは生まれるのだろうか。
全米が泣いた珠玉のラブストーリー。この秋、ついに日本上陸。
以上が、我がクラスが一致団結して挑む、学園祭への出し物――演劇のあらすじである。最後の一行はよくあるふざけだ。
しかし、高校生にもなって、シリアス系のオリジナル演劇かあ。十中八九、駄作になってしまうだろう。まず、生徒の誰も真面目に見てくれるはずもない。
主役がこの人じゃなければ。
「はぁーあ。引き受けちゃった」
放課後。途中まで一緒らしい通学路を、並んで歩く。
クラスに、学校一可愛い女の子がいたりすると、クラスの出し物系のイベントではその子を前面に出すような演目を組んでしまう――、ということが、どうやらあるらしい。
主人公である偽物のお姫様役は、この長峰悠希である。
演劇の内容自体は、まだ適当に決めた仮のものだが、とりあえずお姫様役は誰! という学級会議で、満場一致で彼女が推薦されてしまったのだ。たぶん、劇の内容自体も、長峰さんのイメージに引っ張られていくことになるだろう。
で、長峰さんは、いつもの上品な笑顔を保ったまま、それに頷いたのだった。
「しかし、ユウキくんがお姫様役か……」
長峰さんなら納得だが。
でもあのユウキくんが。お姫様。全校生徒の前で。
「ンッフフ」
「あッ、わっ笑うな!! 殺すぞ!」
長い脚でげしげしと腿を蹴ってくる。痛っ! すぐ手が出るんだからこの人は。脚も。
「茶化されるとやりにくいだろうが。覚えてろテメー」
どうやら真面目に取り組むつもりのようだ。
うーん。
……しかし、すごいよな。ユウキくんって。どうしてああいう、みんなの期待に応えるようなキャラクターを作っているのか。その理由はわからないけど、それを今日まで、いや、明日もずっと貫いていくっていうのは、ものすごく、ものすごいと思う。
久々におちょくるチャンスだとも思ったけど、そんなのはダメだな。クラスメイトとして応援しよ。
「フフ……。頑張ろうね、長峰さん」
「だから、笑うな。キモいし」
学祭が近づいてくると、いよいよ、演劇の練習や準備に力が入る。
夏休みも明けてしまい、本番の日までは、もう放課後の時間を使うしかない。どのクラスも、日が暮れるまで教室に残っていて、苦労している様子だった。
ちなみに僕は、このクラスにおける役割は、もちろん、“裏方”である。劇に使うセットとかを考え、準備する仕事だ。演者とどちらが労力的に大変なのか、というと、どっちもどっち、ってところだろうけど、大勢の前で舞台俳優をやらねばねらない緊張を考えると、こっちのほうが気楽だろう。
「ああーきつい。あっ、見てよ時計、今日は帰ろうかな」
「うおお。ほんとだ」
金田くんに言われて時計に目を向けると、あれまあ、学生が居残るには危うい時間帯であった。教室に残っている級友たちも数はわずかで、そして金田くんの声をきっかけに、彼らも帰ろうという空気になっていた。
進捗がなー。大丈夫かな。といってもこれ以上少人数で残ってもあれだから、帰るのが正解だ。
未完成の小道具をしまい、帰宅の準備をする。教室でもいくつか、さよなら、ばいばい、といった挨拶が飛んでいる。
そうして、気が付くと。
「あれっ。帰らないの、長峰さん」
人もいなくなって、机を全部うしろに退かした、いつもより広い教室の端っこ。長峰悠希が椅子に腰かけ、劇の台本を読んでいた。
「ん」
顔を上げる。きょろきょろと周りを見て、僕以外に誰もいないのを確認して、
「ちょっと、まだ納得いかなくてさ。練習が足りない感じ」
と言った。
…………。
もしかして、この人、努力家?
「……お、わ、おっと」
イスから腰をあげたユウキくんは、ややテンション低めの顔で、突然、手に持っていた台本を投げよこしてきた。それをなんとかキャッチする。
台本は、クリップで、あるページのまま閉じないように固定されている。
どうやら劇の終盤のほうだ。ラブストーリーを盛り上げる、いち学生が音読するのにはかなり勇気のいる、クサいセリフがいくつも書かれている。
台本から、顔を上げる。
いつの間にか、妙に真面目くさった顔をした長峰さんが、けっこう近くに立っていた。
「すー、はー。……王子。いえ、クラウス様」
「え?」
「『好きです。愛しています、あなたを。受け入れては、くれないのですか』」
「うぉ……」
ぞわわ、と全身の毛が逆立つ感覚。
これは、悪い意味の鳥肌……ではない。どうやら、目の前にいた人間が突然、台本の中のお姫様に変わったことへの、感動らしかった。
表情、目力、息遣い。身体のしぐさ。それら全部が、今は長峰さんでも、ユウキくんでもなかった。彼女は、胸の切なさを隠しきれない様子で、こちらの目を覗き込んでいた。
演技うっっっま。そして顔が良すぎる。こんなの、絶対客席に伝わりきらないのに、ここまで完璧にして。なのに納得してないって、なんでだ。
しかし、そうか。ユウキくんは、よく考えたらいつも、長峰悠希という女子を演じているから。こういうの、クラスの誰よりも得意なんだ。
「………」
長峰さんの目が動き、僕の手元……台本に視線を送った。
え、なに。まさか、王子役をやれや、ってこと?
えっ……嫌だ。
「痛っ」
姫に足を踏まれた。
「……『けれど、あなたは偽物だ。その気持ちも、きっと、つくりあげたものなのだ』」
ぼそぼそと早口で言い切る。
それを受けて、彼女は。
さらに近づいてきて、こちらの胸に、手をあてて。すがるように服を掴んで。
「『でも。作り物だとしても。私は、あなたを愛しているのです』」
潤んだようにも見える瞳に、教室の電灯が反射していた。
うわ。
すっごいドキドキする。あっ、まずいな……。からかわれる。手が胸に当たってるから、絶対バレてるし。
不意打ちがすぎる。くそ……。
そして。この後は場面転換なので、台本に次の台詞もなく。無言で汗をながしていると。
何秒かして、彼女は、ぱっと手を放し、僕から台本を奪い取った。
こちらに背中を向けたので……安心して、心臓をドキつかせる。
うはぁー。やばいなぁ。王子役の山本くん、絶対長峰さんのこと好きになるだろ。すごい詐欺だなこれは……。
「ん~。セリフがあれなのかなァ。……みんなして、最高に美しくてかわいい、長峰悠希に言ってもらいたいセリフを適当にさあ。こんなの勝手に変えてやるもんね」
どかっとイスに座り、ペンで台本に、勝手な上書きをはじめた。いいのかなそんなことして。主役とはいえ。
ユウキくんは、長峰さん時の楚々とした座り方を忘れているのか、長い脚の片方を反対の膝に乱暴に乗せていた。すっごい男っぽくて違和感。
あっパンツ見えそう。
「そういうときはお前が目を逸らすんだよ、エロボケ」
なぜか心の内を正確に読まれ、ペンを投げつけられた。
……そのあと。先生に追い出されるまで、彼女の練習は続いた。
学園祭の終わり。
僕たちのクラスは、舞台での出し物部門での、2位を頂いた。おそらく主役の演技が評価されたのだろう。演技力も、それまでの努力も、誰よりも上だったのだから。
1位じゃなかったのは、まあ。主役に頼りすぎていて、クラスの団結感的な部分が評価されなかった、ととれるようなことを、先生が言っていた。僕的には、ストーリーとかが別に全然面白くなかったからだと思う。ああいうの、自分たちで作るとなると、やはり難しい。
それにしても……あそこまで頑張っていたからには、あの子は、1位をとる気満々だったんじゃないか。荒れてないといいけど。
後夜祭では、体育館にて、有志生徒の漫才・コントやら、ミスター&ミスコンテストなどがあった。その次はバンド演奏がある。
どれも学校のスター候補にスポットライトがあたる催しで、僕はもちろん、ただの観客。金田くんや佐藤くん、他の男子たちとひとかたまりになり、体育館の床に座っている。
そして、今年のうちの高校で一番かわいい女子は、公式に長峰悠希で決まったらしい。ミスコンテストは、彼女の優勝で決着がついた。
演劇のこともあって、また顔が売れちゃうだろうな。それで男子諸君がまた寄ってくるとなると、ユウキくんにとっては歓迎しない事態だろう。
長峰悠希は、そんな内心は表に出さず、全校生徒の前で堂々とした態度で、謙虚なコメントを口にしていた。
自分が一番かわいい自覚があるはずなので、とんだ嘘つきだった。
しばらく、いくつかのバンド演奏を楽しんだ。
もちろん、プロに比べれば単なる騒音、なんて金田くんが貶すレベルのものもあったが。音楽などとんとできない僕にとっては、彼らはすごい連中なのだった。
なので、けっこう楽しかった。その楽しさの中にいくらか、みんなで頑張った学園祭の終わりも感じて、妙にしんみりした気持ちもあった。
そういう、気分のときだった。
「野原くん。長峰さん、こっち来てるよ」
「ん?」
「よくきみを簡単に見つけられるもんだ。羨ましいね」
前の方で客席という地べたから立ち上がった影は、どうやら良く知る人物のようだった。
やがて金田くんの言うように、彼女はまっすぐこちらへやってきた。
「あの、なに?」
すぐそばに来てこちらを見下ろしたので、僕に用だろうと思って、声をかけたのだが、返事はない。
長峰さんは、男子たちにひとつ、愛想笑いを振り撒いたあと、無言で僕の腕をひっぱった。
いま、周りからはどう見られているだろうか。真実は、凄まじい怪力で引っ張られているのだが。
そうして、長峰悠希と一緒に、後夜祭の体育館を後にする。
さすがに注目を買った……。こんなタイミングで、まったく。
「一年生とか三年生にすごい顔で見られたんですけど」
「一緒に歩かないと彼氏アピールになんないだろ。演劇とミスコンのせいでファン増えるんだから」
すげえ自信。
実は今日は、これが初めての会話だ。演劇の最中に話しかける暇ないし、それ以外の時間は、この人、人気者だし。姿すら見なかったな。付き合いであちこち奔走していたんじゃないだろうか。
ユウキくんが歩くのに合わせ、夜の校内をうろうろする。
「そういえば、セリフ。本番、なんか台本と違うこと言ってなかった?」
「あ? なに。人の台詞覚えてんの、お前。え~、キモ」
「練習につき合わせといて……」
そんな話の途中、彼女は校舎の階段を昇り始めた。
二階より上をウロウロするつもりなのか、と思った。でも、この階段は……。
やがて僕は、ユウキくんと一緒に、いつもの屋上に来ていた。
またかよ。もしかして、この場所お気に入りなのかね。解放感あるし、風とか涼しいし、
けれど夜となると、また趣が違って見える。もしなんもない夜だったら、絶対コワイ。危ないし幽霊も出そう。
でも今は、後夜祭。向こうの方に明るい体育館が見えて、ずんずんとバンド演奏の音もしていた。
とはいえ、この屋上はやっぱり、ちょっと暗いのだが。
「ユウキくん、ここ好きッスね」
適当に声をかけると、向こうの方を見ていた彼女は、こちらへ振り向いた。
暗くて、もっとじっと見ないと、あまり表情はわからない。
「な。最後に、練習。しようか。心悟くん」
「ん? なんの」
静かにこちらへ歩いてきて、ユウキくんは言った。
「好きです。愛しています、あなたを」
「っ……」
「受け入れては、くれないのですか」
――びっくりした。熱の入った声だった。
この暗がりの向こうにいるのは、あの偽物のお姫様だ。
「な、なに、急に。びっくりした~」
口ではマイルドな驚きを装ったが、本当は、心臓が止まるかと思った。
脳が一瞬、「あれ? いま女の子に愛の告白されたかな?」と判断しかけた。
まだユウキくんの表情はよく見えないのに、その声色だけで。劇の完成形……裏方として頑張ったセットや、長峰悠希のドレス姿を見届けたこともあって。今目の前にいる人のことを、本物のお姫様が制服を着ているようにしか思えなかった。
「もう劇は終わったでしょ、ユウキくん」
「………」
え、何この空気。まるでここが舞台の上で、彼女は、相手役の台詞を待っているかのように、唇を引き締めたままだ。
う、うう。なんだこの辱めは。
えーと。じゃあ。次の台詞、なんだっけ。
「……でっ、『でも、あなたは偽物だ。その気持ちも、きっと、つくりあげたものでしょう』」
こんな感じだったか。
言い切って顔が熱くなる。なんだよー、もー。クサいことするなよー。高校生かよ。
けど、これで正解だったらしい、暗闇の中から、少女が近づいてくる。
そして、僕の胸に手を当てて。すがるように服を掴んで。
顔を上げて、星か月の灯りで、表情が見えた。
「あなたを含めた、私の世界のすべてが、この心を認めてくれなくとも――」
「私は、あなたを、愛しているのです」
「――――。」
「……おーい。何役に入ってんの? キーモっ!」
「えっ。あ、うん。ってキモいっていうな」
「うりゃ」
胸をそのまま突き飛ばされる。ひどいっす。
それで距離が開いて、また顔色が見えなくなった。
「どうだった。アカデミー賞とれる?」
「と、とれる」
「へへ」
とりあえず、満足そうな声がした。
演劇は2位だったけど、今日という日のこの夜は、長峰悠希にとって、つまらない終わりにはなっていないようだった。
「あー、熱……。……えっと、そろそろ戻るかァ」
けっこう肌寒いはずなのに不可解な言葉を漏らし、そして戻る宣言。何しに来たんだ、まったく。
散々僕を振り回し、ユウキくんは、さっさと屋上の出口に向かうのだった。
がちゃ、とドアの開く音。いかん、閉じ込められる。
「あ、お前はもう少ししてから来い」
「え? なんで」
「あー、えっと……あっほら。一緒に歩いて目立つの、嫌なんだろ。明日までは勘弁してやる」
「うわっ」
「帰る前に返して」
何か投げつけられる。屋上の鍵、のようだった。顔を上げると、ユウキくんはもう、ドアの向こうに引っ込んでいた。
僕を屋上に置き去りにして、まったく。なんだあいつは。暗いし怖いっての。
………。
…………。
ていうか、あー、どきどきしたー。
中身ユウキくんじゃなかったら、この子僕のこと好きなんじゃないのって思ったね。
………。
というか、恋しそうになった……。
うん。
「はぁ」
そんなことになったら、ユウキくんにキモがられて、嫌われちゃうしな。
それは、ちょっと、嫌だ……。
……一応、友達だし。
うん、とにかく気をつけないとな。あの女の可愛さには。
「……うーっ」
さっきの顔が頭から離れない。
しばらくお姫様恐怖症になりそう。