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熱を出した日

 うう~ん。


 普段は元気に起きている午後の時間。起きていてもつらいので、午前中に引き続きベッドに身を預けてみるものの、うまく眠りにつけない。

 意図せずうめき声やうわごとのようなものが喉から漏れ出る。ついでに鼻水も出る。熱と鼻づまりで頭がぼうっとする。はやく楽になりたい。

 さっき時計をみたときはお昼過ぎだったから、そろそろ学校も終わる時間帯だろうか。今日は、たしか本当なら、クラスの誰かと遊ぶ約束なんぞしていたような……。


 ん?


 身じろぎしてドアのほうを見る。なんだか空気が普段より悪い気がする、閉め切った自分の部屋。そこに、気のせいでなければ、こんこんこん、と軽い音が鳴った。

 「はい」と声を出した気もするし、出せなかった気もする。ドアが開かれて、部屋の外の空気と一緒に、誰か入ってきた。時間帯的に妹か、もしかしたら母さん、大穴で父さんか。


「お。本当に風邪ひいてる。バカなのに」


 しかし相手は、家族の誰かではなかった。……なんと美しい声だろう。風鈴の音のような清澄な響きが、いまいち聞こえにくい耳にすっと入ってきた。ちゃんと見ようと思って、重たい腕を持ち上げて目をこする。するとそこには、髪の長い、美しい少女が立っていた。

 はえ、て、天使。

 もしかして、お迎えが来てしまったのか。そこまでの熱だったというのか。そんな、まだ高校生のみそらで……。


「? 誰と間違えてんの」


 少女がこちらにやってきて、しゃがみこむ。枕元に顔が近づいてきて、人相がわかった。

 う~~~わ。ユウキくんだった。これが美しい美少女の少女だと思うとか、どうかしていた、僕の脳は。発熱でだいぶ参っているらしい。

 なぜここに。


「あ、起き上がらなくていいって、キツそうだし。どれどれ」


 白い手が伸びてきて、横になったままの自分の額に届く。ぺた、と手の甲か、手のひらか、どちらかが触れた。

 ひんやりしている。


「アチ! なかなかの重症だな……ま、どうせ夜更かししてゲームでもしてたんだろ。自業自得」


 額を優しくぺちぺちとやられる。

 えっ……。病人をいたわる言葉がない。何しに来たんだ。


「病人をいたぶりにきた」


 そんな……。そんな嬉しそうに。人の苦しむ顔を見るのが本当に好きだな。

 ………。

 まあでも、うれしいかも。ユウキくんの声を聴くと、最悪の気分だった一日の中に変化がやってくる。本人はこう言っているが、病欠なのを知ってわざわざ来てくれたのなら、実質お見舞いみたいなものだろう。

 しかも、よく考えたらこれ……長峰さんが、お見舞いに来てくれているという状況なわけで……それって、すごい。


「何がすごい?」


 だって……学校のアイドルだし……いちばんかわいい人だし……熱出したくらいで、お見舞いしてもらえるなんて……。


「おやァ、今日はいつもより素直っていうか、よくしゃべるじゃないの。よし、褒美をあげよう」


 中身ユウキくんとはいえ……。


「………。腹立つな、この病人」


 がさがさという音がして、ベッドのふもとでユウキくんが何やらやっているのがわかったが、手元は角度的に見えない。

 ややあって、それは下のほうから、ぬっと現れた。


「じゃーん、りんごちゃん。さっき切ってき……、家にあったから持ってきた。あとスポーツドリンクとか、ゼリーとかあるけど」


 ユウキくんはこれ見よがしに取り出したタッパーのふたを、ぱか、と開ける。リンゴの切り身が入っていた。

 ……………。もしかして、くれるのか………?

 ユウキくんが、僕に……? 施しを……?


「はい、野原くん。あーん」


 恥辱を味わわせるのが目的だったか。

 楊枝で持ち上げたフルーツを、ユウキくんは、長峰さんモードで口に近づけてきた。心洗われるようなその綺麗な笑顔を見ると、逆に、腹の中で嫌~なことを考えているのがすぐにわかる。毒入りリンゴか?

 口を閉じていると、笑顔のままぐいぐいと口元に切り身を押し付けてきた。それでも抵抗してみると、だんだんその圧力が強くなっていく。顔とリンゴ、ひしゃげるのはどちらが先か――。

 観念して口を開けると、冷えたリンゴが入ってきた。……おいしい。心なしか、今朝母さんに切ってもらったものよりおいしい気がする。

 少し痛む喉で飲み込む。おいしかった。

 横を見ると、長峰さんは慈愛のほほえみでこちらを見ていた。どきりとする。もしかすると、ユウキくんにも他人をいつくしむ気持ちが……!?


「フフ……。まるで餌を与えてもらう家畜のよう」


 ろくなこと考えてなかった。

 ………。

 でもいま、長峰さんにあーんされたよな、僕……。それって、それってけっこう、あの学校に通う男子として、すごいことなのでは。


「……ふう。『長峰さん』がそんなにいいか? じゃ、ご希望なら、好きなように演じてあげてもよくてよ」


 少女は呆れ顔でベッドに頬杖をついたと思ったら、こっちを見て、くす、と妖しげに目を細めた。

 どく、と、少し胸が苦しくなる。顔の熱もなかなかひかない。風邪のせいかな、なんだかいつものユウキくんと違って見える。なんか、悪い魔女みたいだと思った。


「………。それで、どんなところが……どんなところが、好きなん?」


 長峰さん……長峰さんという人のいいところ、好きなところといえば……、

 胸……。


「は?」


 二の腕……。ふともも……。


「ハァ……軽蔑ぅ。俗物。クソボケナス。オタク。……もっとこう、ほら。内面の話とかないわけ?」


 あれなんかいま、ものすごく罵倒されたような……内面の話? 内面……長峰悠希の。

 横暴で傍若無人、脳筋、ナチュラルボーンいじめっ子、破壊神、さみしがり、めんどくさい人……、


「このまま殺すか」


 あとは、一緒にいるといつも楽しい……とかだろうか。


「………」


 それからしばらくの間、自分の本調子でない呼吸の音だけが、耳に聞こえていた。いつの間にか天井のほうを見ていた僕は、なんだか眠たくなってきた。

 あれ……。おかしいな。ユウキくんは、さっきまでしゃべっていた彼は、どうしたんだろう。もしかして、お見舞いに来たところから夢か?

 首を動かして横を見る。


「ふん」

「!? カッ……コッ……」


 ぐじゅぐじゅの鼻を、つままれた。今日一日しにくかった鼻呼吸がここで完全に停止させられ、僕はずっと半開きだった口を全開にした。


「はい、さらさら~」

「!? ゴエッ! ヴォ!! にが……」

「はいお水」

「ゴボボボァ!!!」

「りんごちゃん、あーん」

「ムゴゴ!!」


 突如、口に何かの粉を流し込まれ、水を流し込まれ、リンゴを流し込まれる拷問を受け、僕はそのまま気を失った。



 朝、すっかり本調子になって、朝食をよく食べていたときだった。

 僕より先に家を出る妹が、出しなに話しかけてきた。


「あっそうだ。お前、ちゃんと彼女さんに後で、お礼っていうかお詫びっていうか、ちゃんとやれよ?」


 彼女さん。……ああ、ユウキくんのことか。彼女なんかいないので誰かのことかと思った。

 なるほど、昨日お見舞いに来てくれていたのは、夢じゃなかったのか。気が付いたら影も形もなかったから、熱出たときに見る悪夢だったかと思っていた。

 貸しひとつだ。これは確かに、お礼を言わないと。


「んっ、お詫び? ……なんの?」


 お礼をする義理はあるが、お詫びするようなことはなかったと思うのだが。妹の言い間違いだろうか。

 妹は、自分の両の頬を指さして見せた。ちょうどぶりっ子のポーズのようだったが、表情は真面目。


「熱、うつしちゃったと思うよ。あの人、帰るときはなんか顔赤かったもん」

「マジ?」


 そりゃまずい。恩を受けっぱなしの上にウイルスか何かうつしちゃったんだとしたら、ユウキくんにあまりに悪い。模範のような『恩を仇で返す』だ。

 なんとかしてこの負債は返していかないと。もし学校休んだりしていたら、お見舞いしかえすとかして。

 僕とユウキくんは。まあその。友達なんだから。


 そう考えながら登校したものの、その後も長峰悠希はアホみたいに元気だった。


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