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相合傘と彼シャツ

 ある晴れた朝の教室。

 ……と思いきや、窓から外を眺めていると、唐突に雨が降ってきた。今朝の曖昧な天気予報の秤は、雨のほうに傾いたらしい。

 念のため傘を持ってきたことに加え、降り出すより早く教室に着いていた僕は、もちろん無事だ。でも、その後からやってきたクラスメイトの何人かは、もうびしょ濡れ。濡れてしまったもの同士で、不満を分かち合っていた。

 教室がにぎわってきたら、近くの席の男子たちで、いつものようにしょうもない会話が始まる。参加しているていで彼らと顔を突き合わせ、耳だけ傾けていると、今朝の話題は、やはり雨についてだった。


「あっ。俺、ひらめいてしまったんだけど」

「つまらないひらめきだったら謝れよ」

「今日ってさ。長……女子の制服、透けたりするんじゃないか?」

「長……女子の服が!?」

「天才かな?」


 我々らしいゲスな話題であった。この小声の会話を女子が、というかまともな人間が聞いていたら、じんわりと顔をしかめることだろう。

 うーん。女子とはまた違った理由で、ユウキくんも嫌がるだろうな。自分がびしょ濡れになったくらいで、男子にじろじろ見られるという状況は。


「おはようございます」

「おはよー長峰さん」

「お、そのカッコ。さては傘忘れたなー? 長峰家のご令嬢ともあろうお方が」

「あはは。今日は油断しちゃった」


 それはそれとして、僕は他の男子とともに、ドライガーV2ぐらいの勢いで声のする方へ首を回転させた。


『……!』


 男たちと気持ちがひとつになった気がした。

 長峰悠希は、体育着とジャージを着用していた。おそらく制服が濡れてしまったので、教室に来る前に更衣室で着替えたものと思われる。

 やっぱりこの人はガードが堅い。僕がもし女の子になったら、濡れた制服のまま登校してしまいそうなものだが、ユウキくんはそういう隙がありそうでない。しっかり周りの視線というか、自分のキャラクターを意識しながら生活しているのだろう。

 そのあと、男たちの小声会議は『体操着で座学を受ける長……女子もいいよね』という話題に移ったのだった。

 わかる。品行方正キャラで売ってるのにジャージの前は開けてるところとか、いいと思う。多分閉めたら服がキツくてああせざるを得ないんだと思う。


 じめじめとした空気と空模様のまま、一日の授業が終わった。

 放課後、友達関係や学校に関する用事もないので、さっさと教室を出る。ちょっとトイレに寄ったあと、傘を手に、学校の玄関へと向かった。

 昇降口。外靴に履き替える。ガラスのドアを抜ければ、そこは屋外だ。空からしとしと落ちてくる線の群れを見ながら、靴下が濡れる不快感を想像しつつ、まあ帰りだしいいやと傘を開く。

 そこで一歩目を踏み出すのをためらっているうちに、人の気配を感じた。右のほうを見る。


「………」


 通学用の鞄だけを持った長峰悠希が、ガラスに寄りかかり、そこでただ雨模様を眺めていた。退屈そうにくちびるをとがらせている。

 ……ええと。

 そうか、傘忘れたのか。ってことは……車のお迎えさんを待っているのかな。

 なら、今日は一緒に帰る約束とかしてないけど、声をかけた方がいいだろうか。暇そうだし。

 一歩近づく。ユウキくんが、姿勢はそのままで、こちらを流し目で見たのがわかった。


「ユウキく……」

「長峰さん!! 傘ないの!? じゃあ俺のに入る!?」

「俺のに入ってくれ!!」

「いや俺の!!」

「俺!!」


 睡蓮花のイントロみたいに、傘を持った男子生徒たちが俺俺俺俺と集まってきた。長峰さんともあろう女子が、ひとりで目立つところにずっと立ってるからだ。

 突然の雪崩に、長峰さんはかろうじて苦笑いをつくり、傘の群れに飲み込まれていった。

 ふむ。彼女を中心に男たちの傘が集まった様子は、まるで色とりどりの花を束ねたブーケのよう……

 というより、スーパーに置いてある袋売りのきのこ類みたいだった。

 さて。

 知らんふりして帰るか。


「あ!! そこにいるのは、私の彼氏の野原くん!!」


 いよいよ雨の中に出ようと歩き出したところ、そんなおそろしい声がして、本能的に足を止めてしまい、振り向く。長峰さんの周りを囲んでいた男子たちは、言葉のパワーで三国無双の雑兵みたいに吹っ飛んでいた。

 や、やばい! 逃げよう。彼らに顔を覚えられる前に。ヤツに捕まる前に。ぴちゃぴちゃと水音を鳴らし、僕は駆けだす。


「あ、待って野原くん!」

「ヒィッ」


 がっ。と、腕を掴まれる。バカな。この距離を一瞬で!?

 そのまま、まるで仲睦まじい恋人のように、腕に抱き着かれた。お、折られる――。


「一緒に帰ろっ。傘に入れてくれるよね♡」

「はっ、はい……」


 ということで。いわゆる相合傘を、あのユウキくんとやるはめになった。



 相合傘。といえば、男女の甘酸っぱいイベントという認識はたしかにあるが。

 普通に、傘を忘れた男友達を入れてやる、ということもあるわけで。なんなら小学生のとき、ユウキくんとひとつの傘で帰ったことはある。

 だから、これはあの頃の延長であって、いちいちドキドキしてやる筋合いはない。

 はずなのだが。

 傘を叩く雨の音、遠くで車のタイヤが水を跳ね飛ばす音。そういうのがよく聞こえるってことは、いま、会話がないってことだ。

 歩いていると、ときおり長峰さんの肩が軽くぶつかってきて、そのたびになんか心臓が小ジャンプをする。

 この心臓病の原因を考える。

 ……この人に無言でいられると、『クラスのあこがれの女子』になってしまうからだろう。

 そういうのズルいとおもう。ちゃんと、小学生のときみたいに、傘を奪い取って走って行ったりしてほしい。

 とりあえず、とりあえずなにか、話題。


「……あの」

「なあ。そっちの肩濡れてるけど」


 愛用の傘の半径は、高校生二人の肩幅を収めるには少し足りなかったらしい。

 しかし特に問題はないはず。持ち手を握っているのが僕である以上、そりゃあ気を遣って、相手側にスペースをやや多めに配分したりもする。大抵の人はそうするんじゃないかな。肩なんて、人体のうちで一番、濡れていてもなんとも思わない部位だ。


「まぁ、傘ってものは一人用だし」

「ふーん。女扱い?」

「ボス扱いですね」

「そうか。くるしゅうない」


 校門から何故かずっと無表情だったユウキくんが、小さく笑ったので。ようやく少し緊張感がほぐれた。


「そんじゃ、もっと近う寄れ。詰めれば入るって」

「! いや、それは……」

「いいから」


 腕を組まれ、引っ張られる。ぶつかりがちだった肩は、いよいよ本格的にくっついてしまった。

 腕を組んだりなんかしている以上、歩いていると、たまに手のひらと手のひらがぶつかったり、それどころか肘に何か異様に存在感のあるブツがあたる。

 近くないっスかね。ユウキくんは気にならないのかな……。


「……何?」


 顔面も近かった。安易に横を向いてはいけないようだな。


「あ。……ふーん。まさか野原くん。わたしと相合傘で、ドキドキしてるんですか?」

「はあああ??」


 バカ野郎が。そんなわけないが?

 横を向いたらどんな表情をしているか想像がつくので、歯ぎしりしながら前を向く。

 すると、


「心悟くんの童貞」


 雨音でも消せないささやき声と、熱くてくすぐったい吐息が、耳を襲った。


「ンヒイ!」

「あ、ちょっ! おまえっ、ふざけんな、濡れただろ!」


 思わず飛びのいてしまい、怒られた。いやそっちが悪いだろ!

 そのあとは、同じ事態が起きないようにするためか、レスリング選手ぐらいの力で腕を組まれた。助けて……。


 しばらく歩いた後、ふとわいた疑問を投げかけてみる。


「そういえばユウキくん、学校の玄関にいたけど。迎えの人待ってたんじゃないの」


 生徒が雨の日にあの辺で突っ立っているなら、保護者の送迎車待ちというケースも考えられる。長峰さんは、あまり女子の友達と一緒に下校することはないらしい(男子は言わずもがな)ので、誰かを待っていたとしたら、やはりお迎えさんかなと思ったのだが。

 話題をふりつつ、横目でユウキくんの雰囲気を確かめる。顔が近すぎるのでちょっと直視はできぬ。

 彼は、少し返答を考えるような間を置いて、


「ううん。心悟のこと待ってた」


 などと言ったので、こちらの心臓が跳ねた。


「ほら、この前新しいゲーム買えたって言ってたじゃん。一人用の。今日ヒマだし、邪魔したろーと思ってよっ」


 イヒヒと添えられる笑い声。……そ、そういうことね。

 いい性格してますよあなた。今日も一人でじっくり進めようと思ってたのに。相変わらず嫌なところ突いてくるのがうまいな。


「……ん?」


 下校中の道に、なにか変化があった。音だ。雨音が少し、大きく。そして降る勢いが、強く。

 やがてそれは、傘の防御範囲をも抜いてくる、角度のついた土砂降りに変わった。


「うわ! やばい」

「走ろ!」


 不幸中の幸いとして、今いるのは僕の家まであと少しのところ。ユウキくんは、急いでそこへ駆け込むことを選んだようだ。

 僕たちは、やがて傘すら畳んで、駆け足で雨粒にぶつかっていった。



「ひぃ~」


 自分の家の玄関へ駆け込んだときには、もうだいぶ濡れてしまっていた。すぐに着替えてしまいたい。傘を閉じて家まで走るだなんてのは、アホな選択だったのかもしれない。


「お邪魔します。……あー、どうしよ……」

「どうぞ上がって。タオル持ってくる……よ……」


 靴を脱いで、ユウキくんに声をかけようと振り向いて。そこで言葉が途切れる。

 そしてすぐに、今朝の下世話男子会議の内容を思い出した。

 ……目の前にいる、学校でいちばん可愛い女子は、それはもう見事にびしょびしょになっていた。

 羽織っている学校指定のジャージは、しっかり雨を吸って色濃くなっている。そして、その下の、白い体操着は――、

 まずいと思って、一番目立つ部分を見ないようにしようとした。目線を下げる。ショートパンツから伸びる白い脚を、しずくが這っている。玄関にぽたぽたと水滴が垂れていく。目線を上げる。長い髪が首や顔に張り付いていて、長峰さんはうっとうしそうにそれを掻き分けた。

 濡れ髪の間からのぞく目と、こっちの視線がぶつかる。

 あっ。やべえっ、ぶっ飛ばされる!


「………。ごめん、できたらでいいんだけど、着替え貸してくれない?」


 平静な声色で話しながら、ユウキくんは、わざとらしくない自然さで、腕で胸元を隠した。

 少し、困ったような顔をしていた。

 それを見て、僕はどうしてか、まあまあ強い衝撃を受けた。自分のスケベさを見抜かれた気がしたからかもしれないし、ユウキくんが、目の前で、ちゃんとした女子みたいな仕草をしたからかもしれない。


「……聞いてる?」


 ほんの一瞬、ユウキくんが体を固くしたように見えた。


「! ご、ごめん。なんて?」


 僕はつとめて、相手のひたいの辺りを見るようにした。多分、じろじろと見られて嫌だったんだ。すごく申し訳ない気持ちになった。

 言葉の内容が頭に入っていなかったので、聞き返す。


「服貸してくんないかなー、って。あとタオル」

「あ、ああ。おっけー」


 濡れた靴下を手に、自分の家に踏み入っていく。ユウキくんも、ローファーと靴下を脱いでいるところだった。


「妹の服でいい?」

「あー……いや、たぶんその……サイズ合わないと思うな、妹ちゃんとは」


 足を止める。たしかに、妹は小柄な女の子だ。ユウキくんとは体型がずいぶん違う。

 えーどうしたらいいんだろ。母さんのやつ……なんてさすがに、友達に貸したりできないしな。


「お前の貸して」

「え? ……あ、うん。いいよ」


 ちょうど身長も同じくらいだし、そうすればよかったのか。

 了解し、ユウキくんより先にずんずんと自分の部屋へ戻る。引き出しから着替えを見繕ったころ、ちょうど廊下からユウキくんが覗いてきた。折りたたんであったそれを、そのまま手渡す。


「はい。男物だけど。脱衣所はわかる?」

「男物……」


 ユウキくんは着替えを受け取ると、それをしばし見つめた。

 あれ。あっ、もしかして失言だったかな。


「へへ。ありがと」


 大丈夫だったみたい。

 タオルも一緒に渡すと、ユウキくんは脱衣所のほうへ行った。ドライヤーある? とも聞かれたので、洗面台を探せばあると教えた。

 いなくなったところで、僕も着替えることにした。



 実に30分もの時間が経ったあと、彼は戻ってきた。おそっ。

 モニターに向かってゲームをしていたところに、「入っていい?」と声がかかった。別に聞かなくてもいいものを。適当に返事をする。

 視界の端で部屋のドアが開き、人が入ってくるのがわかった。


「どうぞ適当に座ってー」

「……あのさ、心悟……」

「はいよ」

「ごめん、ちょっとこれ……少し……狭いん、だけど」

「え?」


 視線をそちらにやる。

 ……僕が部屋着にしているTシャツ。そこにプリントされたメーカー名の文字が、飛び出す3D文字になり果てていた。思わず目を限界まで見開く。

 貸した服はいま、長峰さんの抱える例の荷物によって、生地の耐久限界を試されてしまっていた。あと、短パン。貸したやつってあんなんだっけ? 普通サイズのものだったと思うのだが、窮屈そうで、長峰さんの下半身のラインが出ていた。パン生地のように白いふとももがまぶしくて、僕はウッと目をしばたたいた。

 なんて感じに、じろじろと無言で見ていると。

 ユウキくんはまた、何かしゃべりながら、腕で体をそれとなく庇う仕草をした。

 例によって、僕はがーんとショックを受けた。


「ご、ごめん……なんて?」

「だから、なんか、上着貸してってば。……何回も言わすな」


 目をそらしながら言われる。うっ。

 無我を心掛けながら、クロゼットからなるべくサイズの大きいパーカーを出してきて、それをユウキくんに投げつけた。


「サンキュ」


 モニターの前に座りなおす。なるべく意識しないように、別のことに集中してしまおう。

 ……画面の中では、生徒会長で美人で巨乳の完璧なお嬢様に見えるが実は主人公にはかわいいところも見せるヒロイン候補が映っている。そろそろ個別ルートに入れたかな。


「あ、あれ? 閉まらな……」


 え? うそだろ? パーカーを着ようとしているであろうユウキくんのほうから、不穏な声が聞こえた。閉まらない。というのはファスナーが? そんなこと……ある?


「フンッ! よし」


 ギョヴォヴォ! という音がした。おそらく怪力でチャックを上げたのだと思われる。そんな音初めて聞いたよ。

 無視無視。なんにも気にならない。俺は今、ゲームの主人公と一体化している。


「な。これが新しいゲーム?」


 横にやってきた人は、膝立ちになってモニターのほうを見た。視界の端に、健康的なふとももが映る。

 …………。

 僕はよこしまさゼロの綺麗な心で、ユウキくんの恰好をチラ見した。

 ……あのサイズの上着でも収めきれないものがギチギチに詰まった感じになっているのではないか、などと心配したが。長峰悠希は普通に着こなして、ポッケに両手を突っ込んでいた。あ〜安心した。(衛宮切嗣)

 ショーパンが短くてパーカーが大きいせいで、下に何もはいてない人みたいに一瞬見えないこともないが……いやいや。ちがうちがう。ユウキくんが短パンとパーカーで家にいるだけだろ? 昔と同じじゃん? フツーの光景ですわ。


「……なにこれ? さっきからセリフと選択肢ばっかりで……女の子とイチャイチャするだけ? つまんね」

「はあああっ、ちがっ、それは違うユウキくん」


 今やっているのは、いわゆるギャルゲーに分別されるものであるけどもストーリーがかなり凝っているアドベンチャーゲームで近年はスマホで遊べるソーシャルゲームとしても大ヒットを記録しておりアニメ化映画化などメディアミックスも充実そして原作の5人いるヒロインはどれも魅力的だという話でしかし恋愛だけがメインではなく緻密な世界観と熱い物語で多くのファンを獲得した燃えゲーであって世間様が二次元キャラを見たときに思うようなチャラチャラした作品じゃないんだ!


「ふーん」


 ああああ! 出た、オタクじゃない人がオタクを見るときの冷ややかな視線。高校ではなるべく隠しているので、久しぶりに至近距離で浴びた。

 邪魔してやる、なんて言っていたユウキくんだったが、ほんとにこの手のジャンルに興味がなかったらしく、のっそりとモニターの前から動き、本棚のマンガを物色しだした。

 邪魔されなくてよかったという気持ちと、一抹の悲しみ。

 マンガを見繕った彼女は、そのままぼすん、と僕のベッドに飛び込んで、寝そべってページを開いた。もはや自分の家か。



 ゲームを進め、疲れた目のあたりを指で揉む。気が付くと、だいぶ時間が経っていた。

 いま、美人で巨乳な生徒会長――『水野(なぎさ)』が、戦いで傷ついてしまい、主人公の家にかくまわれて休んでいるところ。

 破れてしまった衣服の代わりに、主人公の服を着て、ほのかにイチャイチャしている。まあギャルゲー的パートだな。CGが埋まる。

 そろそろセーブして終わろうかなと思っていたところに、もぞもぞと布団の動く音がした。

 後ろから声。


「お、これあれだ、『彼シャツ』じゃん」


 嘲笑を含む声色。むっ。いちゃもんつけてくる気だな。


「あっはは、オタクの妄想気持ち悪ぅ~。付き合ってもいないのにこんな媚びてくる女、いるわけない……じゃん……」

「………」

「………」


 そのあと、ユウキくんが「迎え呼んだー」と発言するまで、無言が続いた。



 翌日の学校。昼休みをうとうとしながら過ごしていると、女子の集団がこっちを見て笑っていることに気が付いた。自意識過剰でなければ。

 やがて彼女たちの視線は、教室の後ろの黒板へと移った。つられてそちらを見る。


  ♡

 野|悠

 原|希


 いつの時代の学生だよ、と目を疑う落書きが、味気ない黒板の端に施してあった。これもいわゆる“相合傘”である。

 クラスの誰かに昨日の帰りを見られたのだろうが、なんというか、いろんな意味で恥ずかしい。いじりとしてもなんにも面白くないし……。

 消しちまおう。ということで、席を立った。

 黒板消しを拾い、落書きに手を伸ばす。


「ん?」


 同じく、黒板消しを手にした誰かが、隣に立っていた。

 その人物と顔を合わせる。

 互いに不意を突かれた表情になっていたと思う。彼はこちらを認めたあと、無表情に戻り。それから、女子のみんなに見えない角度で渋面をつくり、僕に向かって手でしっしっとやってきた。

 これは……『()ね』のハンドサイン!

 とぼとぼと自分の席に戻り、後ろを見る。長峰さんは、黒板消しをちょいちょいと動かしたあと、チョークで何やら書き込んでから、女子の集まりに戻っていった。会話の内容はあまり聞かないようにしたが、表情からして、みんなにからかわれる長峰さん、という様子だった。

 再度黒板を見る。


  ♡

 野|渚

 原|


 テメー何してんだユウキ!!

 黒板の相合傘は、昨日遊んでいたゲームのヒロインの名前に訂正されていた。教室の対岸にいる犯人をじろりにらむと、ヤツは女子との会話の合間を縫って、こっちに向かって赤い舌を小さくべ、と出した。に、憎たらしい。

 鼻息荒く席を立つ。僕は落書きを修正すべく、黒板消しとチョークを手にした。


  ♡

 佐|渚

 藤|

 

「ん? えっ、え~~?? ちょっとなんだよこれ~。渚ちゃん?って誰~? ねえ。他のクラスの子かな? うわ~なんだよこれ、恥ずかしいなぁ。ちょっと探しに行ってこよっかなっ」


 これでいい……。

 教室へ戻ってきた佐藤くんは、何を思ったのか非常にうれしそうに、架空の女の子を探しに教室を出ていった。

 渚ちゃんはいい子だぜ。きっと佐藤くんも気に入るさ。

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