席替え
「先生ぇ。そろそろ席替えしたいでーす」
朝のショートホームルーム。クラスの女生徒が、担任の先生に要望を投げた。
「ん? んー、そうだな。明日の帰りのショートでやる?」
「やる! やるやる」
発言した子を中心に、賛成の声が割とたくさん上がる。
席替えか。2年生に上がってから、そういえばまだ1回もしていない。現在このクラスは、並びが出席番号順で、教室の右側が男子、左側が女子、という状態になっている。つまりはデフォルト状態だ。
席替えの話が出てから、教室の雰囲気がいつもより少し、明るく浮ついているように感じる。
これはしごく当然なことだ。学生とは、席替えの好きな生き物だからである。仲のいい友達と近い席になりたい。教室の後ろのほうで授業をさぼりたい。前のほうで真面目に勉強したい。そして、好きな人と隣同士になりたい。そんな欲望をかかえる我々にとって、席替えというものは、楽しい学校生活を送るための大事なスパイスだ。席替えを許さない担任にでもあたろうものなら、それは灰色の1年であると言っても過言ではないだろう。
……まあ、高校の2年生にもなれば、みんな多少は冷めてしまって、以前のように一大イベントとまではいかないだろうけれど。
僕も、別にどこの席でもいいし。かわいい女の子が隣だったら嬉しいな、くらい。みんなもそんなもんだろう。
▽
「さて男子諸君。これより、長峰さんの隣を決めるジャンケン大会を行う」
『オオオオオオオーーッッ!!!』
はよ帰らせてくれや。
放課後、女子たちのいなくなった教室にて。高2にもなって席替えで盛り上がりはすまい、と思っていた僕を、真っ向から裏切るイベントが開催されていた。
そうか、このクラスには長峰悠希がいたんだった。あの人は外面だけは本当にいいので、彼氏いますアピールをしているにも関わらず、いまだ多くの生徒から想いを寄せられているらしい。彼氏とされている僕のいるクラスでさえこの有様だ。
「まずは説明を聞いてくれ。今回の席替えは『くじ引き方式』だという情報を入手した。これは、引き当てた席のトレーディングが可能であることを意味する」
教壇に立ちMCを務めるのは、クラスメイトの金田くんだ。隠れオタクらしくそれっぽい言葉遣いでまくしたてる。
「これにより、男子ネットワークによる席の操作を行い……この大会の優勝者には、長峰さんの隣の席が確約されるものとする! 立てよ国民!!」
「ウオオオオ長峰さん」
「消しゴム拾ってくれ!」
「教科書見せあいっこしたい!」
「胸! ふともも!」
この様子をユウキくんに見せたら、どんなリアクションをするだろうか。自分のモテっぷりで悦に入るか、男子を愚か者どもと嘲笑うか、うげぇと呻くか。いずれの姿も、彼らの想像する長峰さんとはかけ離れている。
そう。かけ離れている。
みんなはまだ知らないだろうが、ユウキくんの隣の席なんていいものじゃない。あいつは、隣の席の机上にあるものは自分のものだと認識している。たしか小学校で2、3回ほど隣になったことがあるが、筆記用具を無言で取られるのは日常茶飯事で、たまに教科書とかなくなる。そして、失くして落ち込んでいるところに、「あ、オレが持ってた」とのたまう。そういうとこがもうね、ほんとにダメだと思う。
あと、人の消しゴムの角を消費してくるし、というか力を入れ過ぎて消しゴムを折る。なんなら定規も折る。僕の定規がびよびよ曲がるのが面白くて遊んでいたら、見事に真ん中から折れた、ということがあった。珍しく謝ってきたのでよく覚えている。
と。このように、ユウキくんの隣になると、直接的な被害が出る。
…………。
守護らねば。
みんなを、長峰悠希から、守護らねば――。
「一回戦! みんな、近くのやつとジャンケンして。ほんで負けたやつ座ってー」
いつの間にか拳を握りしめていた僕に、近くにいたクラスメイトが声をかけてくる。彼は、僕と同様に、利き手に硬い握りこぶしを作っていた。
「佐藤くん」
「よォ、野原……。俺たちは、そう、親友だな。そうだろ。だがな、それでも、それでも俺は! お前を長峰さんの彼氏と認めるわけにはいかねえ!」
「な、なんだと」
「受けろこの勝負っ!!」
「いいだろう」
相手のノリに合わせて勢いよく腕を振り、最初はグーをやる。
適当にチョキとか出す。勝った。佐藤くんは膝から崩れ落ちた。
そんなにあれの隣になりたかったのか。いや、僕もあの本性を知らなかったのなら、真剣に取り組んでいたとは思うけど。
敗者の屍を踏み台に、2回戦へ。次の相手は……、
目が合ったのは、MCをやっていた金田くん。普段はそんなに長峰信者をやっている印象はないが、彼もまた参加者であるようだ。
「野原くん。すまない、勝たせてあげたい気持ちはあるが、僕は運営側でね……。彼氏の君とて、今回は平等だ」
「いいよ」
「さあ、行くぞ!!」
「おう」
クラスメイトで数少ない、僕がヤツの彼氏であるという嘘に異を唱えない男子。いいやつなので、勝ちを譲っても全然いいが……。
じゃんけんぽん。
勝った。金田くんは奇声を上げながら、ゆっくりと近くのイスに座った。
……ジャンケンって運勝負なので、別にあんまりやる気がなくても勝っちゃうことあるな。残り5人のうちに残ってしまった。
さて、次の相手は。
「ウオオオ!! 死ね野原!!!」
「いじめか?」
あっ、勝った。
「ウオオオ!! むしろお前の隣がいい」
「えっ?」
あっ……。勝った。
「優勝してしまった……」
なんと、最後に立っていたのは僕だけだった。教室中からブーイングと怒号が飛んでくる。
「ふざけんな野原! 参加するなそもそも!」
「不正に決まってる!」
「パン買ってこい!」「漫画貸して!」
「宿題見せろ!」「妹かわいいな!」
僕は教壇に立ち、厳粛な面持ちで皆の罵倒を甘んじて受け止めた。
熱狂が鎮まるのを待つ。そうして彼らが聞く姿勢になったのを見計らって、僕は声を上げた。
「みんなの意見は最もだと思う。だから――」
諸君らの気持ちは受け取めた。学校のアイドルを独り占めにしてはいけない。そうだろう。
ならば、この大会そのものにこそ、間違いがあるのだ。
「優勝の権利は放棄します。つまり、席の操作はせず、くじ引きの自然な結果に身を任せたい。みんなも、それでどうかな」
クラスメイトたちは、一瞬、偏差値30くらいのボケっとした顔になり。
やがて、偏差値32くらいのキリリとした顔で、喝采を返してくれた。
「いいぞ野原!」
「男だ!」
「お前はいいやつだとわかっていた」
「好き」
「――ありがとう! みんな、ありがとう!」
こうしてジャンケン大会は、大団円という形で終わった。
僕たちはこの戦いを通じ、学んだ。人間が“運命”を操作しようだなんて、おこがましいことである。それをしようとするから、格差が生まれてしまう。僕らは自然の形としてみな平等であり、そこから抜き出ようと争うべきではないのだ。そうだろうみんな。
結果のわからない席替え。そこにのみあるドキドキ。それが僕らの求めるもののはずだ。そうだろう、みんな。
僕は人々に手を振り、惜しまれながら教壇を降りた。
そして荷物をまとめて帰路についた。
「……フフ。フッフッフッ」
これでヤツの隣にならなくて済むな!
▽
一日経って、放課後のショートホームルーム。
クラスの女子が用意した人数分のくじ――番号札が、ひとりの手元にひとつ、行きわたった。黒板に描かれた座席図に、先生が適当に1番から番号を入れていく。
番号が進むたび、クラスメイトたちの声が増えていく。一喜一憂のリアクションをする級友たちは、様子を見ているだけで面白い。
けれど自分の番号が近づいてくると、彼らを観察する余裕はなくなっていった。
「……おお!」
黒板と、手元の番号札を見比べる。
先生が書き込んだ25番の位置、すなわち僕の新しい席は――、一番左の列の一番後ろ。教室の端っこだ。
これは……大当たりだ。多くの生徒がこの席を欲しがる。後ろにも左にも誰もいないという快適さ。窓からそそぐ陽光のあたたかさ。視力に問題がなければ最良の席のひとつと言っていい。
どうでもいい話だが、この席はよく漫画やアニメの主人公が座る席だという話を聞いたことがある。理由は、作画の手間が減るから。
席替えの第2段階、仮移動。机イスを移動させる前に、新しい席となる予定のイスへ、身一つのみで移動する。先生が番号をすべて入れ終えたら、そのあとは生徒間の、そして先生も交えた“交渉”が始まる。
例えば、目が悪いので前に行きたい人。授業中うるさいので先生が前のほうに座らせたい人。そういう話の裏で、こっそりくじを交換する生徒たち。
みんなのそういう様子が、一番後ろの席からはよく見える。高みの見物は気分がいい。
「31、31……ん。野原かぁ~。はぁ」
ざわめきの中、僕の隣の席に、女子がやってきた。心浮き立つシーンであるが、相手は僕の顔を見るなりため息をついた。
その女生徒――山根幸来さんには、隣が野原心悟であることは、残念な結果だったようだ。これも席替えあるあるだが、どうにも申し訳ないね。
「なんか、すいませんッス」
「えー? ああいや、ごめんごめん、嫌じゃねーよ別に?」
山根さんはくじを弄びながら、クラスメイトたちの様子をしばし眺めていた。
「……悪り、交換してくるかも。別に嫌じゃねーのよ? 落ち込むなよ!」
「落ち込むかも」
「ごーめんって」
山根さんは明るく笑いながら、なにやら話し合いをしているらしい女子の集団に飛び込んでいった。
ふ。たまに女子としゃべると、自分がスクールカーストの底辺であることを思い出すぜ。
さて、あとはみんなが納得いく場所へおさまるのを待つだけ。僕はクラスメイトの席に座ったまま、たまに交渉にやってくる者たちにNOと答えつつ、空を眺めるなどして過ごした。
………………。
「はい、じゃあみんな、机椅子移動してー」
「うわっ」
先生の号令と、直後の大騒音で目が覚める。うとうとしている間に、席替えの最終段階、本移動が始まったらしい。
慌てて自分の机に戻り、引っ越しに取り掛かった。
とはいえ、元の席から近かったので、いまだ渋滞の渦中にある級友たちより一足先に、僕は席替えを終えたのだった。
「ふう」
まだやかましい教室の中で、とりあえず新しい席に腰を落ち着ける。やっぱりいいなこの席。あと半年はこのままでいい。いや、今年度はこのままでいいな。
そういえばじゃんけん大会も優勝したし、妙に運がいい。僕の日ごろの行いがいいんだろうな。
「ンッフフフ」
「……何笑ってる? キモいぞ」
「へっ」
隣から、女子の声がした。
そういえば結局、隣は誰になったんだろう。そう思いながらそちらを見た。
「こんにちは、野原くん」
「ヒュッ」
ホラー映画のビビらせポイントを見た瞬間のように、全身がブルっと震えた。
あってはいけない光景がそこにあった。
……清楚な花のような外見で、うららかな表情を保ちながら、重い机を苦もなく持ち上げている女が、そこにいた。
「わたしたち、隣同士みたい。よろしくね」
「バカな……」
「よろしくね?」
「ありえない……」
吹き出す冷や汗の不快感を味わっていると。重い机を、音もたてずその場に置いて、彼女は、ずい、とこちらの顔を覗き込んできた。
「彼氏なら喜んで見せろ。みんなの目があるだろ。……すぞ」
「嬉しい!」
笑顔のまま睨まれるという経験をし、僕は素っ頓狂な声を出して喜んだ。
「やだもう、心悟くんったら」
ぺし、と肩をはたかれる。
周りからはどう見えたかわからないが、男子の肩パンくらいの威力があり、僕は悶絶した。
「……ユウ……長峰さん、なんでこの席に……」
「ん?」
上機嫌そうな表情をつくっているユウキくんに話しかける。僕の知る限り、長峰悠希という女生徒は、ほかの生徒が座りたがらない黒板の真ん前などによく座っている。たしか本人も、そこが嫌な生徒と代わってあげたり、優等生をやるためにそうしている……と以前言っていたはずだ。それを思い出した。
それが、なんで今回に限って、一番後ろを。
「それは……」
かさ、という音。ユウキくんが指に挟んでいた紙切れに目が行ったけれど、彼女はそれを後ろ手に隠した。そのまま、女子がよくやるみたいに、ユウキくんは、お尻側からスカートを押さえながら椅子に座った。
「……ん、と。幸来が、どうしても交換してって頼んできたから。……ふふん、嫌われてんなァ、オタクくん? かわいそ~」
「ウゥウ」
「女子の隣じゃなくて残念。わたしで我慢してくださいね、野原くん。というか光栄でしょ? オタクにも優しい長峰悠希の隣ですよ?」
机に頬杖を突き、ちょうどみんなに見えない絶妙な角度でこちらに顔を向け、にやにやと嘲笑してくるユウキくん。野郎、言ってはいけないことを……!
くそう、ちくしょう。
はやく席替えしてくれ。来週にはしてくれ。たのむ。
先生が号令をかけ、席替えの時間が終わる。同時に、今日の学校もまた終わり。
僕は鞄を持って、席を立った。すぐに教室を出ようとして、
「………」
「? あ、今日は用事があるので。さようなら、野原くん」
「へい」
ちらちらと、隣の席にいる人の様子をうかがっていると、そういうふうに言われた。
ああ、これがただの長峰さんだったら。僕が何も知らなかったなら。今のきれいな笑顔で一日の疲れも吹き飛ぶんだけども。
真実はそうではないので、これからの学校生活の苦労を想い、気が重くなった。
鞄を背負って、長峰さんの横を通り過ようとする。
「ぐえ」
そうしたら、服を引っ張られて引き止められ。
なにかと思ったら、顔が近づいてきて。
それで、耳打ちをされた。
「またあした、心悟」
「……! う、うん」
なんか耳がくすぐったくなって、僕はすぐに退散した。
………。
まぁ。
しばらくは。この一番後ろの窓際の席は、手放すには惜しいかもしれない。
と、帰り道で、思った。
▽
「悠希~。約束通り、日直の仕事は代わってくれますな?」
「うん。……ありがとう、さら」
「おー。そんじゃね、あとまかせた」
少女はくじで引いた紙切れを、大事そうに折りたたんで、筆箱にしまった。