ホワイトデー
「見返りなど必要ありません。あれは、私からの気持ちですから」
俺のお返しを受け取ってくれ! 俺もだ! 俺も俺も!
という男子の声に、教室移動の度にさらされる長峰さん。他クラスの生徒からもだ。ちょっと男子ィ~という女子のSP達に守られながら移動していた。
大変だな……。
ま、僕には関係ないな。今日長峰さんと関わる予定はない。チョコレートもらったことへのお返しは、そもそもバレンタインデーであげたし。
「………」
――ムッ! あのハンドサインは!
「昼休み、屋上に来いや」のサイン!!
屋上にやって来た。
いつものことながら、なぜここの鍵を長峰さんが開けられるのか、謎だ。教師に許可を取っているってことだよな? 一体どうやって。
ともかく。
待ち受けていた長峰さんは、腰に両手を当て、横柄な声色を投げかけてきた。
「おい。お返しは?」
「えっ」
「ん!」
空いた片手をずい、と出してくる。
お返しって……ホワイトデーの、だよな。
「えっでも、いらないって、教室では男子に」
「はあ? バカ? お前のはいるよ」
「バレンタインデーにあげたじゃん、クソ高いケーキ」
「ふぅ~」
ユウキくんは、きれいな形の眉をマンガのような八の字に曲げ、やれやれ、と口にしなくとも如実に伝わってくるジャスチャーと表情をつくった。
「ハァ~信じられないッス。心悟、お前ってさァ……何て言うか……クソだよな」
えっ。いつも以上にひどい罵倒。
そして、心底見下げ果てたと言わんばかりの、冷たい視線であった。
なんでや……。
「とりあえず放課後は付き合え、お前の金でなんか買う」
「またか……」
「なに被害者みたいな顔してんだ、呆れるわ」
むむむ。なんか機嫌悪そう。
今いくら入ってたかな。金のかかる偽彼女である。
通学路から大きくはみ出し、繁華街の方に足を伸ばす。飲食店が立ち並ぶ辺りをうろうろする彼女の背中を追いつつ、どんな要求をされるのか内心冷え冷えでいると、意外な場所で足を止めた。
長峰さんは真顔で、ぴっと店の看板を指さし、白い息を吐いた。
「ラーメンでいいや」
え~。普通の学生。
それなら1000円に収まりそうだ、よかったよかった。
店の中に入る。特別繁盛しているわけでもなさそうで、客足はまばら。夕飯時にはまだ早いので、もう少し経ったらお店のピークになるのかもしれない。
ふたりがけのテーブルに座ると、対面の長峰さんは、いそいそとメニュー表を手に取って眺め始めた。写真とかはない文字だけのメニューなので、どんなものが出てくるかは名前から想像するしかない。
心なしか、表情が明るくなった様子の彼女は、僕にメニュー表を見せてきた。
「どれが美味しいと思う? ていうか何にする?」
こういうのは別に好みがなければ、1行目や1ページ目に書かれている看板メニューを頼めばいい。
「しょうゆ中華そば」
「じゃあ、オレもそれ!」
「ん。一緒のでいいの? なんか食べたいのあるから入ったんじゃないの」
「だってあんまりわからんし。食べたことないし、ラーメン」
「あ、そうなんだ」
ふーん。
……ラーメン食べたことない人っているんだ。もしやカップ麺とかも?
いや、まあ、女の子だったらそういうこともあるのかな。それにこの長峰さんが、大衆料理や安っぽいインスタント食なんかを食べているシーンは、たしかにイメージにそぐわない。
ん? でもユウキくんは元々男の子で……いや今は長峰さんだから……。
まあいいか。
お店の人に同じのをふたつ、注文する。
しばらくどうでもいい会話をしていると、やがて、どんぶりが二杯、食卓に置かれた。
グルメ意識の高い同級生たちみたいに、いちいち写真を撮ってSNSにあげよう……とも思えない、そんなに特徴もないラーメンだ。強いて言えば、よほどスープがアチチなのか、やたらと湯気が出ていた。
美味しそ~、という言葉も口から出なかったが。割りばしを割りながら対面を見ると、なんか向こうは、感動している様子だった。
目を見開き、口を半開きにしてどんぶりを眺めている。え、何。かわいいな。いつもの昼食のときと違う。
ユウキくんは庶民の食事に思わず感動する深窓の令嬢だった?
「じゃあ、いただきま……あっと、その前に」
長峰さんは、ポケットから取り出した輪っか……ヘアゴムを、おもむろに口にくわえた。そして両手を頭の後ろに持って行く。どうやら髪をまとめているようだ。
……女の子が両腕を持ち上げてて、脇の下――肋骨らへん? が見えるのって。なんか、無防備だな。
……あ、いかん。麺が伸びるかも。
長峰さんのその様子を、ラーメンを食べずにじろじろ見てしまっていた自分に気が付いたのは、髪を結び終わったユウキくんが、人をからかうときのニヤっとした顔で笑いかけてきたときだった。
「おっ。ははァん。さてはいま、キュンとしたなぁ。野原くん」
「は? しっしてないし」
「ほんとぉ? クラスの女子が言ってたぞ、『男は女がラーメンを食べるときに髪をまとめるとキュンとするらしい』……と!」
結構クラスの女子とは俗な話をしてるんだな、長峰さん。
そして僕は、断じてユウキくんにキュンとすることはない。はず。
いただきます、と言ってずるずると食べ始める。
あっ、おいしい。よかった。まあ、大衆料理などと言ってもこれは僕にとって“外食”であり、学生食堂と比べていい値段がするので、まずかったりしたらたまったものじゃないのだが。
「ん~~~!」
対面には、ずぞぞぞとおっさんみたいなデカい音を出しながらラーメンを食う長峰さん。脳がおかしくなりそうな光景だった。
だが、明らかに機嫌の良いときのリアクション。どうも本当にこれを食べてみたかったようだ。
「おいしい?」
「普通~~~!」
美味しいらしい。
こんな顔が見られるなら、一食おごるくらい、別にいいか。
……いやでも、ホワイトデーにラーメンて。
まあ、いいのか。