長峰さんは… (最終話)
「もしもし?」
スマホに向けて、寝起きのガラガラ声を出す。
こんな時間にかけてくるとは何事だ。明日は休日とはいえ。
『心悟……。……あァ、ごめん、寝てた?』
向こうもたいへんなガラガラ声だった。
それを聞いて目が覚めて、徐々に頭が回ってくる。
「――なんかあった? 大丈夫?」
『ん? あー、いや、その……。……花の金曜日だし、どうせ徹夜でゲームやってるとか、アニメ見てるとか、暇だろなーって思って』
「ぶっとばすよ」
『えへっ。ごめんね野原くん』
様子がおかしいと思ったけれど、取り繕うくらいの余裕はあるようだった。
「………」
寝落ちする前に机に広げていた、あるモノが視界に入る。たしかに、今日はたまたまだが、夜更かしはしていた。
すごいタイミングでかけてくる人だな。
『あ、あのさ。えっと。どう、仕事は。職場になじめたかよ? 陰キャだから苦労してるんじゃない?』
「んなことないし。もう入社して鬼門の3年目は越えたんだから。まぁ苦労はこれからかもしれないけど」
『へ、へー。3年。そうだっけ』
「寝ぼけてる? 悠希さん」
『んはは、そうかも』
灯りの点いていない、暗い部屋。相手の声に集中する。
『なぁ。……か、彼女とか。できた?』
「え?」
……一瞬、思考が停止した。長峰悠希の口から、こんな質問を聞く日が来るとは。
意図を読むために考える。うーん。
つまりこの人の中では。やっぱりもう、あのときからずっと続いたニセ彼氏彼女の関係は、もう終わっている、ということになるのか。
まぁ、お互いもう一緒にいることはなくなったし。それはそうか。
「その話だけど。この前合コンがあってさ。受付の人と仲良くなったんだけど」
『っ――――』
「そのあと別になんもなかったっていう」
『……………』
「悠希さーん」
『な、なーんだ。やっぱりしょうがないな、おまえは』
「きみは?」
『ん?』
「できた? 好きなひと。相手が女の子だと、まあその、社会的なハードルがあるかもしれないけど」
話の流れに乗って、ややセンシティブなことを聞いてしまった。少し後悔する。一応、この程度で気を悪くする人じゃない……と思う。
電話の向こうから、すぐには返事が来なかった。地雷を踏んだだろうかと不安になる。
『……できた。けど、女の子じゃない』
それを聞いて。頭の中にすぐ、悠希さんが、知らない男性と一緒にいる光景が思い浮かんだ。
すぐにそれを消す。電話を続けながら、僕は胸の真ん中あたりを掻いていた。
「そうなんだ」
『うん』
「………」
『………』
久しぶりに声を聞く、友人との電話。楽しいやりとりを目的としたもののはず。
なのに僕はいま、ひどく緊張していた。さっきまでぐっすり寝ていたのが、昔のことみたいに思える。
『ところでなんだけど。今度の休み、いつ?』
ぴり、と毛が逆立つような感覚。
「明日と明後日」
『そっか。……な、明後日なんだけどさ。久しぶりに、一緒に遊んだり』
「悠希さん」
僕は、彼女の言葉を遮った。
少しあわてた。自分の口から、どうしても言いたいことがあったからだ。
ずっと、後回しにしていたこと。
『な、なに?』
「明後日。その。一緒に、デート、しませんか。久しぶりに」
『…………へっ?』
▽
『考えておく』
という返事をもらった。
スマホを放り投げ、部屋の電気を点けた。
散らかっている机の上を見る。
その上には……実家からわざわざ持ってきた、“アルバム”がいくつか、広げられていた。
さっきは久しぶりに、いや、はじめて、これを見ていた。自分や、周りの人たちの思い出を振り返るもの。
一種類では足りない。家の。小学校の。高校の。誰かさんからもらったの。
さて。なんでそんなことをしていたのか、というと。
そりゃあ、これに、自分の好きなひとが、たくさん写っているからだ。
小学校のやつ。
まあ、“自分”に関しては、見てもあまり面白くない。自分の顔も好きじゃないし、小学生時代のこともそんなに好きじゃない。嫌いでもないが、面白くはない。
ただ、今の同級生たちの、子どもの頃の姿が見られること。これは面白い。小学校のアルバムという物の、正しい楽しみ方じゃないかと思う。
ページをめくる。
――あった。
××悠希。
小学生の頃の写真。今見ると美少年っちゃ美少年で、ああなる下地は十分にあったように思う。今の姿を知っていることが前提だが、クラスの女子たちよりも、かわいらしい顔立ちに見える。
すんごい生意気なガキだったけども。
高校のアルバム。
体育祭。体操着姿がめっちゃいい。長らく見ていない、活発な運動時の様子。
そういえば、あのとき。借り物競争のとき、彼は、どんなお題をもらって僕を引っ張っていったのだろうか。オタク、とか言っていたが、今考えると、あれは嘘だったのかも。
授業中。制服姿がめっちゃいい。他の生徒と同じ服を着ているとは思えないというか、オーラが違うというか。
夏服も似合っているし、冬服もまたいい。あー、そういえば、バレンタインデーとかあったな。男子にチョコ配りまくったあと、僕に、一番安い見た目のものをくれた。僕にだけ。
文化祭。うちのクラスは劇をした。ヒロインの、お姫様の姿。めっちゃいい。
後夜祭では、ふたりで抜け出して、屋上に行った。そこで彼は、終わったはずの劇の、練習をもちかけてきたんだ。台本にない台詞を、勝手に追加したシーンだった。あのときの台詞は、たしか……。
最後に、もらったやつ。どうやら登場人物が少ないらしく、薄い。
ページをめくる。
僕の実家の部屋。
ゲームに夢中な僕を背景に、長峰さんがいたずらっぽい表情でポーズをとっている。い、いつの間に……。
次の写真は夜。これは、夏祭りの日だ。浴衣で写っているから、すぐわかった。
これも、出店通りを歩いている僕の背中を背景に、ヤツが自撮りをかましている。あの野郎。……それと、誰が撮ったのか。並んで座って、上のほうをボケっとした顔で眺めている僕と、それを横目で見ている彼女、という写真があった。花火のときか? うーん……? マジで誰が撮ったんだ。
次。
高校の卒業式。高校のアルバムのほうには載っていなかった、ツーショット写真。たしか、長峰さんの友達か誰かに取ってもらったやつだろうか。写真の中の彼女は、長峰悠希らしい、穏やかな表情をしていて、僕の中のいろんな情報を排して見れば、高校生カップルの記念写真に見えなくもない。容姿は釣り合っていないが。
めくる。
大学生のときのもの。けっこう、たくさんあった。
……クリスマスのやつ。………。悠希さんは楽しそうだ。
……卒業式のやつ。あっ。妹さんが撮ったやつ、僕が見切れてる。
これでおわり。
就職したあとで送られてきたアルバム。今になってようやくちゃんと目を通したそれを、ゆっくり、閉じた。
そして。とても大事なものなので。ちゃんと、しかるべきところに、仕舞った。
「ふー」
まさか、こんなことをしていた日に限って、向こうから電話がくるとは。
なぜこんな、写真嫌いのくせにいまさら、想い出にひたるような真似をしていたのかというと。
いちいち自分の中で言語化したくはないのだが。
僕は、長峰悠希のことが……、正直、めちゃくちゃ好きだ。
当然、ラブのほう。異性、恋愛対象として見ている。
そりゃ、最初の頃は、苦手なところもある友達、って感じだった。でも、でもだ。そもそも容姿が全部好みな女の子と、毎日一緒に友達として過ごして、好きにならないわけがない。あんな人間と何年も一緒にいて、頭がどうにかならないはずがない。
ユウキくんなのにな~とか僕は異性愛者のはずだけどな~とかいう気持ちもさんざん頭を過ぎったが、好きになったものはしょうがない。昔は苦手だったところも、全部、好きなところに変わってしまった。
けれど、一緒にいながら、ついぞ僕は、この隠し事を言わなかった。ごまかしまくった。
気持ちを伝えてしまうことだって、何度も考えた。
あと、もしかしてこいつ僕のこと好きなんじゃ? と思ったことが、100回ぐらいある。アルバムの高校生以降の写真を見るとそう思う。
けれど、
そんなはずはないから。
悠希さんは男性へのガードは本当にかたいし、よく愚痴を言っていた。男を恋愛対象として見ることはない、という話もしていた。
ずっと友達だと言ってくれる彼女は、僕が他の男たちと同じく、単に異性として見ていて、恋愛感情を持っていることを明かしてしまったら……。
どんなに、傷ついた顔をするだろう。
それは嫌だった。こいつ僕のこと好きなんじゃねと1000回ぐらい感じたことがあるが、でも、だめだ。これは繊細な話だと思ってる。
思っては、いる。いた。
でも単純な話。もう、悠希さんがいない時間に、耐えられなくなったっぽい。
人は大事なものを失ったとき、ようやくそれが大事だったことに気付くのだ……みたいな、使い古された言説があるが。まんまとそれに該当してしまったらしい。一緒にいるだけでもじわじわ好きになってしまうのに、突然いなくなられると、ダメージがでかいのだった。
あと、この頃、周囲の連中は、やれ結婚だの恋愛だのの話ばかりで、自分がそういう歳になっていることを実感する。そして事実として、20余年童貞を貫いた僕の性欲は、もうマックスだった。そして厄介なことに、その対象は一人しか頭に思い浮かばない。
もう好きすぎる。長峰悠希が。顔、体型、あと顔、仕草。それと顔。あれのせいで、他の女性の容姿なんて、ぼんやりした情報としか受け取れない。
そして何より。
今の自分が一番心地いい時間は、彼女といるときだということに、なってしまった。
そういうふうに、された。
……おっかしいな。きらいだったんだけどな。苦手だったんだけどな。
このまま、疎遠になって、学生時代の友人、なんていう普通の関係になっていくくらいなら、僕は。
これまで、たくさん長峰悠希に振り回されてきた。だったら、そろそろ。
もう、相手のことなんて考えずに。自分の思っていることを、気遣いなんかしないそのままを。ぶつけてしまっても、いいんじゃないだろうか。
そうとも。だいたい、長峰さんは、ユウキくんは、悠希さんは、やはり意地悪なのだ。すこぶる性格が悪く、人を苦しめることが大好きに違いない。
彼氏役? ふたりだけでどこかへ遊びに行く? 部屋が4年間となり同士?
そんなことをやっていたら、好きにならないはずがない。
『あと、もうひとつ。気付くのが遅かった罰としてぇ……。おまえの人生めちゃくちゃにしてやる……ってのも、面白いなって思ってさァ』
人生めちゃくちゃなのだった。有言実行。
「ん」
スマホから通知音。
シュバババと、ユーザーに有利なバグを見つけたときの運営ぐらいのスピードで、それを手に取った。
『行く』
と。二文字のメッセージが返ってきていた。
▽
一日かけて下調べを頑張って。待ち合わせ場所として、市内の、おしゃれな洋食店に誘った。
服装もチェック柄シャツではない。以前彼女に選んでもらったものの中でいちばん良い服、そして妹のアドバイスなども組み合わせ。おデートにも、真面目な話をする場にも対応できる格好で出かけた。つもり。
待ち合わせ時刻の15分前。実は、店の予約時間には、ちょうど。
洋食店に入り、従業員の方に案内される。
「あっ」
「あれっ」
先に席について気分を落ち着かせておこう、という目論見が、その姿を見てバキバキに破壊される。
長峰悠希は、僕と似たような、フォーマルと私服の中間ぐらいの格好で、先に座っていたのだった。
「……早すぎ」
にっ、と笑って、そう言われた。いやこっちの台詞だが?
久しぶりに会った僕たちは、主に仕事の話題で盛り上がった。たぶん、これくらいの歳になると、友達とする話もこういうものになってくるのだと思う。
「仕事はうまくやってるよ。でもさァ、同期のエリートどもやら上司やらがもう、イナゴみてーに寄ってきて……飲み会とかほぼ強制参加かってくらい誘われるし」
苦労しているらしい。美人はたぶん、どの業界に入っても大変だ。
だからこそ、長峰悠希はずっと、僕を“彼氏役”にしていたのに。その盾が今はないわけだ。
「そういえば、高校のとき同級生の、金田くん。結婚したらしい」
「そうなんだ。わたしも……オレもこの頃よく呼ばれるよ、女子たちの結婚式。おかげでヘンな夢見たし……」
「どんなの?」
「あぁ? それは……教えない」
「えー」
会社の飲み会なんかと同じで、話題は、結婚うんぬんのことになってしまった。後天的に性別が変化した人の前では、ある程度気を遣うべき話ではある。
「あとさ、親も最近、そういう話ふってくるんだよね。おまえんちもほら、そろそろ、うるさいんじゃない? 孫の顔みたい~とかなんとか」
「まさしく言われてる。長峰家でもそういう話あるの?」
「まあ、一応ね」
「そっか。………」
あれ?
この話題の流れ。
チャンスな気がする。告白の。
いやチャンスか? ロマン値が足りないんじゃないか?
「ん? どうした」
小首をかしげる仕草で、こちらをうかがう悠希さん。この野郎……そういうところが好きなんだよ……!
……悩むのはもういい! こんなことだから僕はダメなんだ。告白が変なタイミングのぐだぐだで、何が悪いんだ。言えないよりマシだ。
……悠希さんは、電話で、好きなひとができたと言っていた。それは僕じゃないかもしれない。というかそうじゃない可能性大。
それでもだ。今日は、このために、ここに来たんだ。
言うぞ……言うぞ。言うぞ。言う。言う、言う!
「悠希さん! あの」
「それでさ……」
悠希さんがかばんから、何かを取り出そうとした。
出鼻をくじかれてしまった。いかんこのままでは……。気を取り直して、アタックをだな。
「ん?」
ことん。
机の上に、手のひらに乗るくらいの、小さな箱が置かれた。
「なんすかこれ」
「開けてみれば」
なんだ。びっくり箱じゃないだろうな。
「……!?」
びっくり箱と似たようなもの、ではあった。
中には、小さな金属製の輪っか……というか、指輪が2つ、収まっていた。つまりリングケース。
「こ、これは?」
「んー? おもちゃだよ。アルミだよアルミ」
「これが……?」
机から身を乗り出すくらいの姿勢になって、まじまじとそれを検める。
え……? なん……これ……え……?
「さて」
通りの良い声。思わず相手を見る。
「すげーいいこと考えたんだけどさ」
『いいこと考えたんだけど』。このセリフは、ユウキくんが悪いことを考えたときに発するものだ。
テーブルの向こう側。悠希さんは、いたずらっぽい顔で、僕の目を見た。
「さっきの話なんだけど。……オレとおまえ、お互いこれを指にはめて、名字一緒にして、同じ部屋で生活するようにしたらさ……」
素晴らしい思いつきであるかのように、それを話す。高校生の、あのときみたいに。
「いろいろ解決できて、良いと思わない?」
「そ、それって」
「さしあたっては……」
いつかのように、こっちの返事も聞かず、彼女は笑った。
「長峰と野原。どっちがいい?」
長峰さんは彼氏持ち………おわり
▽
「あー……だめだ。これじゃだめ、だよな」
「いてえっ!!??」
リングケースをぴしゃりと閉じる。おそるおそる手に取ろうとしていた心悟は、指を挟まれ、悲鳴を上げていた。ごめんて。
自分とこいつの関係は、うその恋人同士というていだった。だから、それを続ける、というかたちにすれば。性別がどうとか、友達でいられなくなるとか、そういうことは気にしないでいい。
そう思って、こんなものを用意した、ことがあって。今日は、本当にそれを持ってきてしまった。
でも。
やっぱり、これじゃ、だめだよな。
「んんっ。1回しか言わないから良く聞いてくれ。そのあとはもう一生口にしない。……するかもしれんけど……あ、いや。その……」
ああ、ダメだ。顔が熱くなってきて、手うちわであおぐ。水を飲む。あっこれ酒だった。
すーはーと深呼吸を繰り返すけれど、鼓動はどうしても減速してくれない。
だったら、このまま。このままいけばいい。
「心悟!」
「は、はいっ」
目が合う。あっちも、顔が赤い。きっと、何を言われるか、わかっているはずだ。
その返事がどんなものにしろ。ここで勇気を出さなきゃ、オレたちはずっと、ただの友達のままだ。
……別に悪いことじゃない。オレは、いつか彼に、ずっと友達でいてほしい、と言った。その気持ちは変わってない。
でも。それは、ほんとうは。
『特別な友達』でいたい、って意味も、あったんだ。
友達のまま――、友達じゃ、なくなりたいんだ。
「オレは……わたしは。キミのことが、ずっと」
月並みな言葉でいい。うそでも、取り繕ったものでも、冗談を装ったものでもなく。想っていることを、はじめて、伝えようとした。
「ずっと――、」
「まって! 僕が先に言う!」
中断させられた。
一世一代の告白が。
思わず変な顔になる。なんで……? 今まで数え切れないほど男どもの告白をあざ笑ってきた報いか?
「は? いやいやわたしが」
「いや僕が」
「今日は、このつもりでここにっ」
「こっちだって、こうやってちゃんといい店探して」
「うるせーだまれ! どんな決心で今ここにいると思ってんだボケ!」
「こういうのは男から先に言わないとっていう個人的な想いが」
「オレも男だし!」
「んんんん」
「むうううっ!」
「「好きです!」」
「僕の方が早かった!」
「いーやオレだね。お前は雑魚」
「なんだとぉ……! そんなこと言ったらきみなんか、学祭の屋上のときとか、エイプリルフールとか、大学のクリスマスのときとか」
「そっ、それいじるのナシだろ!」
お互いちゃんとした服で、洒落たお店の中だけれど。
ひととおり騒ぎ終わったら。オレたちは、いつもみたいに、笑っていた。
(了)