大人になってしまったふたり
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長峰さん、というかユウキくんに彼氏役を命令されて、少し経った。
「ごめんなさい。私、この人と付き合っているんです♡」
「………」
彼がよく男子に告白されてしまうという話は、高校に入学したばかりのこの時期でありながら、もう現実のこととなったらしい。実に短いスパンで、よく男子生徒に呼び出されていた。
僕らがカップルのようにくっつくさまを見た男子生徒は、ショックを受けて去っていった。うう……。向こうに感情移入してみると、いくらなんでも、かわいそうだ。
「行ったか。……ほれッ、いつまでくっついてる。離れろや」
「理不尽」
自分からしがみついてきたくせに、とんと突き飛ばされる。この野郎! なんという乱暴者だ。顔とスタイルと成績と人望と運動神経だけはいいからって!
「あー、疲れた。じゃ帰ろうぜ」
「うい、おつかれーす」
「ちょっと先生に用事あるから、10分くらい校門で待っとけ」
「うん。ん?」
会話の流れがおかしいな。まるで一緒に帰るような感じになっているではないか。
「彼氏アピールしないとなんだから、勝手にひとりで帰るなよ」
一緒に帰る感じらしい。
通学路の、歩道を一緒に歩く。途中までは一緒らしい。
一応、まだ人目があるからか、その歩き方はお嬢様と噂の長峰さんのものだった。こうして見るとユウキくんには見えない。
「ん」
前のほうから大人の男性。すれ違う前に、若干位置取りを変えて、ユウキくんのやや斜め前に。もちろん、とくに何事もなく、相手とすれ違う。
あ。ガードレールの切れ目、前方からスクーター。ユウキくんの左側に移動する。
「……おい。メガネ」
「あん?」
「女扱いしただろ、いま」
「え?」
「それ、おせっかい男が女にやるやつだろ、さっきから。そういうのやめろよ。やめろ、おまえまで。おまえ! こら! このやろ! ボケコラ! おどれワリャア!!」
「あたっ! いで、いで、や、やめっ……やめ! やめろやぁ!」
ガードしながら情けない声で抗議した。なんだこいつ! 導火線短いダイナマイトか。
そして存外重い攻撃が飛んでくる。昔よりパワーアップしてやがる……! この暴力ヒロインめが。ヒロインじゃないか。
「ま、前にユウキくんが言ったんだろ。一緒にいるときはお前バリアーになれ~みたいな。覚えてないのかよ。別に女扱いとかじゃないって」
「え? ………!」
まあほんとにだいぶ前の話だけど。小学校低学年とかだったかな。ともかく、僕はユウキくんの家来ポジションであり、ときにはSPか何かだった。最近思い出したことだ。
幼き頃より他人を盾として扱うことを自然に行うヤバい人間である。
「……ふーん」
攻撃が止む。僕は、お、終わったのか?って言いながら物陰から顔を出す雑魚キャラみたいに、腕のガードの向こうを覗いた。
長峰悠希は。
なんというか、こう。
教室では見たことのない――、
嬉しそうな顔。をした。小学生のときみたいに、にぃー、って。
暴れたせいで、ちょっと、紅くなった顔で。
「よく覚えてんじゃん。……心悟」
このとき。
ああ、この顔を好きにならないようにするの、大変だな。
とか、思った。
▽卒業、引っ越し
今日は、大学の卒業式だ。
高校の卒業式とそう変わらないが、ここで仲良くなった友人たちとは、就職先も、住む県すら、まったく違ってくる。別々の道に進むことになる。
そういう意味では、高校よりもみんなとの別れが惜しく。しかし、夜には最後に学生らしい宴会なんぞあるので、寂しくはないような。あるいは、高校の仲間たちほど深い友人関係になったやつらは少なく、結構ドライな気持ちもあったり。
適当にまとめると、かかわった相手の人数分、いろんな想いがある、とでもいえるだろうか。
そして。
「あ、いたいた、野原くん」
耳馴染みの声。
今回は、僕がかわいい後輩に告白されそうなところを邪魔された、といったことはとくにないらしい。残念。
声に振り返ると、
「オッ」
周りの学生たちの姿からして、別に不思議ではない光景であるが。
人混みの間を縫い、悠希さんは、ハイカラな袴姿でこちらへやってきた。
「おっ。ふふ……スーツ姿、意外とお似合いですね。今後はずっとそれで出歩くのはどう? チェック柄とかやめて」
「はいはい。そっちも、その。めっちゃ似合ってます」
「ん。ありがとう」
にこり。悠希さんは、楚々としたモードで微笑んだ。
「4年間、すぐ終わっちゃったね」
そんな、当たり障りのない話題をふると、悠希さんはもう一歩、こちらに寄ってきた。
いつもの、彼女のにおい。心拍数が上がってしまうのだが、それは割と心地のいいものだ。
やや小声で、悠希さんは口を開く。
「たぶん、楽しかったからかな。そういう時間って、すぐ終わるだろ」
「たしかに。ゲームしてるときとか、休日とか」
「そう、そういうの。……心悟は? どうだった。今日まで。……」
オレと、一緒にいて。
と、すっごい小声でつぶやいたのだが、普通に聴こえてしまった。
その問いについて、答えは明らかだ。最初こそ、まじかこいつー、って思ったけど、今は……、
「めっちゃ楽しかった。ずっと学生のままがいいなーって感じ」
「そーか。あはは、同感」
その笑い方は、こっちの意図には気が付いていない。もしもずっと学生のままでいられたなら、僕は、悠希さんとも……。
その後。悠希さんは同級生に声をかけられてどこかに行っては、律儀にここへ戻ってくる、といったことを繰り返し。卒業の日特有の話題も尽きて、もうそろそろ帰ってもいいか、という時間帯になった。
すると。
「あ。――姉さん。そろそろ帰りませんか? 駐車場に夕崎を待たせてます」
どこからかやってきた、見たことのない女性……というか少女が、こちらの方向へ声をかけてきた。
“姉さん”。台詞からして、卒業生の妹さんだろう。服装はあか抜けているが、まだ高校生か、大学の一年目か、それくらいにも見える。
しかし容姿のレベル高いな~。うちの妹が魔人ブウ編の天津飯くらいのかわいさだとしたら、あちらは超3悟空くらいのかわいさだ。髪とか長いし、目つきキツめだし。まぁつまり、人目を引くレベルの美少女だった。いいなー、こんな妹いる人。
「あ、もうこんな時間か……ごめんね、わざわざ」
と、僕の横に立っていた人物が返事をした。
「ん? え!?」
ベジット!? お前の妹だったの!?
そういえばいるって話聞いたことあるな。ただ、血のつながりはないとか。たしかにあまり似てはいない。清楚時の悠希さんと同じ、金持ちっぽいオーラは纏っているが。
義理の兄弟姉妹でどっちもこれだけ顔が良いって、どんな確率だ。どんな家?
「……あー。もしかして、あなたが野原さん?」
「えっ。あ、どうも、はじめまして。野原です」
「なるほど」
あいさつもなく、足元から頭までをじろじろと見られる。少女のやや強気そうな目つきがさらに絞られ、怪訝なものになっていった。なんだその顔は。敵に向けるやつじゃないの。
「……姉さんがあなたに、いつもお世話をしてあげているとか。姉さんほどの人が。あの、あまりそういう、だらしない関係は」
「ちょ……マナ! その話は……!」
あ? 姉さんがいつも“お世話をしてあげている”……? お世話になっています、ではなく?
思わず悠希さんをにらむ。おい、どんなふうに僕のことを話したんだ。そういうテレパシーを送る。
彼女は、にへらと変な笑顔をして誤魔化した。
「はいはいじゃあはい、帰る、帰るから。……あ。ねえ」
悠希さんは、僕に流し目を寄越してから、妹さんに向かって声をかけた。
「その、写真、撮ってくれる? マナ」
「えー」
「えー」
「なんで二人とも嫌そうなの」
妹さんと声が重なり、視線がぶつかった。
なるほど、この妹さん……さては僕のことキライだな。完全初対面のはずなのに。
ちなみに僕のほうは写真がキライだ。とはいえ、悠希さんが撮ろうというなら、それは聞く。
悠希さんは、自分のスマホを撮影者に手渡した。
彼女が、僕のとなりに立つ。肩は触れない、くらいの距離だった。
「仕方ないな。……じゃあ、撮りまぁす。……離れて。もっと離れて、離れて。ちぃっ……!」
離れてとか言ってくる撮影者はじめて見た。しかし言われるたびに、悠希さんは僕のほうに近づいてきて、最終的に肩がくっついた。妹さんは、アニメのキャラが苦虫を踏み潰したような声を出した。なんだこいつら。
「どれどれ。あ、また気持ち悪い笑顔になってるよ、野原くん」
スマホをチェックした悠希さんは、嬉しそうに僕の悪口を言った。
妹さんの厳しい視線にチクチクと刺されながら、いくつかの会話をしたあと。
「姉さん」
「ん。じゃあ、野原くん。……帰るね」
「うん、おつかれ」
やや大人しい、よそ向けの口調で別れの挨拶をして、ひらひらと手を振った悠希さんを見て。
いつもみたいに、「また」とか「後で部屋行くわ」とは、言わないことに気付いて。
お互いに、モラトリアムはもう終わりなんだ、と、強く感じた。
アパートの部屋を引き払う日がきた。
家具や荷物はすっかりなくなり、掃除を済ませた部屋は、自分が4年間過ごした場所が消え去ってしまったみたいで、なんとも寂しかった。
あとは、大家さんに引き継いで、鍵を返すだけだ。
「ん?」
きんこん、と呼び鈴の音。
こちらの返事も待たず、がちゃりと開かれるドア。
悠希さんだった。よく、何度も、呼び鈴も鳴らさないで勝手に入ってきたことを思い出す。おかげでプライバシーのプの字もない学生生活だった。
苦痛そのものだ。まったく。
でも、それを上回るくらい、好きな時間だった。
「どうしたの、悠希さん」
感傷にひたりながらキリッとした顔で声をかける。
彼女の引っ越し日は、もう数日先の予定だ。引っ越しの手伝いをして、僕がいかに頼れる人間であるか見せつけようとしたのだが、別にいらんと断られていたのだった。
「なんか手伝うことある?」
「いや、別に」
やはり必要ないらしい。でも、じゃあ何しに来たんだろ。
「ん」
と、無造作に握りこぶしを出される。
なんだ? グータッチか? それともお手か?
迷って、手のひらを差し出す。すると、こちらの手の上に、ちゃり、と何かを置かれた。
部屋の鍵だった。
…………。
「ああ」
そうだったそうだった。こいつこの部屋の鍵持ってたんだった。
「大家さんに返しといて、長峰からって」
「了解」
これでなにもやり残したことはないな。あとは、大家さんがくる時刻まで待って、いろいろして。それから、ホテルで一泊したあとにはもう、引っ越し先に向かうことになる。
「………」
「………」
しずかな空気が続く。
あれだけたくさんの時間をここで一緒に過ごして、くだらないやりとりをして、それで僕らはもう話題のタネが尽きたのかもしれない。悠希さんはしばらく、広くなってしまったこの部屋を、無表情でただ眺めていた。
「心悟」
ようやく、この部屋で、息遣い以外の音が出た。
悠希さんはこちらに向かってやってくる。何畳もないので、目と鼻の先まで近づいてくるまで、2秒も使わなかった。
高校生のときと違って、遅めの成長期で、ほんの少しだけ勝つことができた身長。悠希さんは、長い睫毛にふちどられた眼で、こちらを、おそるおそる、覗き込んできた。
「ちょっと、お願い、あるんだけど。よい?」
「よいよ」
そう返すと、んん、と彼女は咳払いして、眉をひそめてすーはーと呼吸を繰り返した。重大発表があるらしいな。
「あのさ。オレたち、これからはちょっと離れるけど。でも、だから、その……」
それから5秒くらい、言葉に悩むような間が開いて。
「これからも、ずっと……友達で、いてほしい」
と、言った。
ユウキくんの言うことにしてはなんとも殊勝で、おかしくて、うれしくて。でも、胸がぎゅってなる台詞だった。
「えっと。あの。わたしには、友人はいっぱいいるけれど。……オレの友達は、心悟だけだから」
「何言ってんの、そんな」
「だから、忘れないでほしいんだ。忘れないで」
きっとなんでもないことなのに、あまりに真剣な様子なのがおかしくて、笑い飛ばそうとしたら、なんか、右手を両手で握られてしまった。
まだ寒い時期で、暖房も効いてないからか、手は冷たくて。すごく、不安そうな顔だった。
「うん」
忘れるはずがない。きみみたいな強烈なひとは。
長峰悠希という人物に関して、僕は、表情の全部、セリフの一字一句まで、もう忘れたりはしないと思う。
そもそも、離れ離れになるったって、ちょっと電車乗ったり車運転すればふつうに会えるくらいの距離だ。休みの日とか、会おうと思えば全然会えるんじゃないの。
だから、無用な心配なのだ。
僕は、力のこもった彼女の両手に、そっと左手を乗せる。
意識して、優しい声を出して、語りかけた。
「悠希さん」
「うん」
「手の骨折れるから」
「あ、ごめん」
▽大人になってしまったふたり
あれから数年が経ち。小学生のときと、高校から大学までずっと一緒だった僕たちは。
普通の大人らしく、疎遠になった。
「野原、来週の夜だけど。行くだろ交流会」
ようやく今日の分のタスクを終え、職場のイスを立って荷物をまとめているとき。少し歳上の、お世話になっている先輩に声をかけられる。
恰好からして、彼もちょうどここを出るタイミングらしかった。
「合コンですか」
「ちーがうよ、交流会だよ交流会。不思議なことに20代の若手しか来ない、男女比は限りなく1:1に近く、気遣いとかナシの楽しい会だよ」
「合コンじゃないですか」
先輩がこうして声をかけてくれる。ありがたい話だ。
けれど、ここのところ、あまりお酒の席を楽しいと思えなくなった。人生、そういう時期もあるだろうと思う。どうしても必要なもの以外、行かないようにしていた。
それは先輩にも(後輩の分際で失礼なことに)、正直に話していたのだが。
「ご指名なんだよ。受付係の女の子がお前のこと気になるんだってよ」
「!!! マジですか!? ついにモテ期が……!」
「まぁ、全然集まりに来ないから、気を配ってくれてるだけだと思うけどな」
「それを言わないでください」
自分の部署を出て、エレベーターへ。先輩も一緒だ。
「ん?」
社の出入り口へ向かう途中。くだんの、話に出てきた受付係の女性がまだ仕事場に立っていたので、目が行った。
その人は、こちらに向けて、会釈の代わりに、手をひらひらと振ってきた。
「………。見ましたか先輩。あれは僕に振りましたね」
「違うよ、俺だよ。……嘘。お前に振ったと思うよ」
「あれっ」
冗談のつもりだったのだが。
そう言われるとそうな気がしてきた。ついにきたね、野原の時代が。
「それで、来るだろ。あの子、多少は脈ありそうじゃんか? 可愛いから倍率すげー高いのによ」
「え、そうですかね」
「え? お前失礼すぎない?」
「あっ、いや。あはは、適当に返事しちゃいました、いま」
可愛いか。可愛いかなぁ。ふつうに見える。もちろん、僕ごとき木っ端男性に対して本当に脈があると言うなら、それは相手の容姿は関係なく、至上の喜びだが。
「で? どうする? 人数調整したいのと、今から他にも声かけしてくるから、できたら今決めてー」
「あ、はい」
先輩は足を止めてそう言った。こちらもストップする。
少しの間黙考し、参加しないための言い訳を考える。そうしたら。
――すみません。好きなひとがいるので。
そんな言葉が、頭に浮かんだ。
「……じゃあ、わかりました。ぜひ行かせてください、これはもう」
思い浮かんだそれは、まるで青春まっさかりの学生のような、あるいは練りの足りない恋愛もののような台詞で、冗談にしてもなんだか恥ずかしくて。
さすがに、口にできなかった。
「顔に仕方なくって書いてるぞ」
「いやあ、まさか。先輩への感謝の言葉が書いてあるはずですが」
「ぜんぜん書いてないよ」
適当に一次会で逃げよう。
先輩に「お疲れ様です」と定型文を投げ、職場の出入り口へ再度歩き出す。
途中。なんとなく、自分の後方、オフィスの受付をちらりと見る。
視力は高くないので、これは勘違いの自惚れに違いないが。
その女性と、また目が合った気がした。
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ぴしっと着飾った格好で、友人一同、というテーブルに座って、誰かと話しながら、その時間を待っていると。
司会者のアナウンスと共に、会場の照明が落とされた。
薄暗い中で響くBGM。なんだか緊張でのどが渇いて、こんなことをしている場合ではないと思いつつ、始まる前から勝手に開けていたお酒を、少し、口に含んだ。
スポットライトが、会場のドアを照らす。
――新郎新婦の、入場だ。
拍手。みんながカメラをふたりに向け、その歩みを見守る。
最初に目に入ったのは、新郎のほう。すぐに、胸の中の何かがぎゅっと縮んで、眼球の奥がつんとした。
そして、次に、花嫁のほうを見て。
すごく、きれいだ、と思った。
幸せなふたりを祝う時間。
ケーキ入刀、知らない人のスピーチ、余興、お色直し、両親への手紙。
それらをじっと見ていると、気が付くと、もう、披露宴が終わる時間だった。テーブルに乗ったそこそこの高級料理は、食べ損ねてしまっていた。
――新郎新婦の退場です。
みんなが立ち上がり、花道をつくる。少し迷ってから、その中に加わった。
ふたりが、近づいてくる。それを意識すると、自分の胸が、笑えるくらいうるさくなることに気が付いた。
胸のどきどきという音は、耳や喉をどくどくと動かすほどのものになっていく。周りにバレやしないかと緊張するほどだ。
誰もが、口々に祝いの言葉を投げかける。その喧騒は徐々にこちらへ。
そして。
自分の番が来た。
「あ。えっと」
とても、近い距離。もう目の前にいる。いつかの自分たちのように。本性をさらして、楽しい内緒話をした、自分たちだけの距離。
でも、今は。あっちには、横に並ぶパートナーがいて。周りには祝福する連中が大勢いる。
だから、
「おめでとう」
と。これまでの人生で、一番、演技力を振り絞って、なんとかふさわしい表情と、声を出した。
向こうは、すぐにこちらに気が付いて、
「ありがとう」
本当に機嫌のいいときだけ見せるはずの、嬉しそうな顔で、そう返した。
玄関へたどり着く。どうにも長い一日だった。
ドアをくぐれば、結構気に入っている我が家。でも、今は。
自分以外に、もう誰もいない、誰と共有することもないこの空間が。ひどく、寂しいものに見えた。
バッグに、引き出物。荷物をぽいぽいと放り投げる。
わたしは、こういうときしか履かないお呼ばれ用のパンプスを、乱雑に脱ぎ捨てた。
ふと思い立って、棚から引っ張り出したいくつかのアルバムを眺めている。高校の卒業アルバム。家のアルバム。それと、自分で作った、薄いやつ。
太いやつの一番昔のページを開いても、そこには女の子の自分しか写っていない。どの写真も我ながらよくできた笑顔だけれど、それがぜんぶ、作り笑いだというのは、自分のことだからすぐにわかる。
いや、楽しい思い出だとは認識している。作り笑いだって笑顔だ。誰だって写真を撮るときにやっていることだ。なにもこれらの写真を、嫌なものとして位置付けたいわけじゃない。
ただ。
薄いやつを開く。
何枚かだけ。自分が、本当の意味で、笑っている写真があった。
オレがその笑顔をしているとき、大体横に並んでいるやつは、顔がブレてたり、気持ち悪い顔で写っていたり、まあひどいもんだ。でも、おかしくって、やっぱり今見ても笑えた。
野原心悟は、ダメなやつだ、
愚か者だ。鈍重だ。バカだし、性格は悪いし。
でも、いいところが、ほんのちょっとだけだが、なくもない。
そしてそれは、きっと、わたしにしか見つけられないものだ。
そう思っていた。
あいつにも、いよいよ、いいところを見つけてくれる相手ができた。そして、その相手が、本物の女の子だった、という話。
それって、なんて嬉しいことなんだ、と思う。オレは、あいつはいつか幸せになるってわかってた。実のところ、そこそこいいやつではあるから。友達としては、本人が望む通りの人生になるといいなーとか思っていた。
友達としては。
「おめでとう」
写真の中の心悟を覗きながら、披露宴で言ったことを、もう一度口にする。
きっと、心から漏れた言葉だった。こんなに、胸があたたかいのだから。胸が熱を持っているのだから。
今日はなんて、良い日なのだろう。
友達の結婚式。これほど純粋に良い気分になれるイベントもない。
「……あれ」
どこかから、しずくがポタポタと垂れてきて、大事な大事な写真を濡らしていく。
わたしはあわてて、アルバムにこぼれたものを拭き取る。でも、それは次から次に降ってきて、きりがない。
化粧で整えた外出用の顔がぐしゃぐしゃになる。
しまいには、視界がふやけて、大切な想い出が、何も見えなくなってくる。
目と鼻の奥が熱い。のどが、ふるえている。
息を吸おうとして、口を開ける。
「……嫌だ。嫌だぁ……。なんで……なんでだよぅ………」
誰かが、駄々をこねる小学生みたいなことを言っていた。
疲れて眠るまで、いつまでも、いつまでも。
▽
▽
▽
「心悟。しんご……。……あ、あれ」
自分の寝言で、目が覚めた。
ベッドから身体を起こす。
自分の服装を見る。普通の部屋着。
記憶を確認する。昨日は、普通に仕事をしていて、いつも通り眠ろうとして、その前に、なんとなく、アルバムを見て。そのあと寝た。
「………あー。うあー。うわぁ……」
自分のみた夢の内容に頭を抱える。どんな精神状態ならこうなるんだ。夢だよそりゃ、気付けよ。友人席に相応しくない服装のやつとか、小学生とか高校生とかいただろ。
「うわ」
目からひとしずくだけ、つつっと水分がこぼれた。すごいな。寝てる間の夢で、涙って出るんだ。あいつんちで読んだマンガみたい。
……恥ずい。
▽
スマホの画面を点ける。深夜もいいところだ。
少し考えて。
連絡先一覧から、夢に出てきたあいつの名前を探して。
少し考えて。
こんな時間に迷惑極まりないが。……電話をかけてみる。
呼び出し音が鳴る。徐々に頭が冷えて、やめた、と思いだしたタイミングで、
『……もしもし』