夏祭り
「お。これ……そうか、懐かしいかも」
妹が戯れにシュッと投げつけてきた新聞紙やら何やらの中に、夏祭りのチラシがあった。(妹は戯れにシュッとものを投げつけてくることがある)
近所の大きい公園を使った、地元の大人たちが催してくれるイベントだ。しかし個人的にはあまりこういったことに関心がなく、ここ数年はまったく足を運んだことがない。せいぜい、祭りの最後にやる花火の音が聞こえて来たら、家の外に出てそれを眺める、くらいのものだ。
けれど小さい頃は、毎年あのお祭りへ行っていた。幼少の頃は親に連れていってもらったり。小学生の頃は、友達と一緒に行ったり。
それで……その友達っていうのは、まあ。ユウキくんだ。
だから。高校生ももう卒業するって歳だけど、久しぶりに一緒に行ってみるっていうのも。もしかしたら楽しんでもらえるんじゃないか、とか思ったりした。
スマホのメッセージアプリを使って、長峰悠希に、夏祭りのチラシの画像と、一緒に行かないかっていうニュアンスの文章を送った。
向こうもたまたまスマホをいじっていたのだろうか、10秒後に“既読”になり、それから大体1分後くらいに、
「行く」
と2文字だけ返ってきた。
お祭りの当日。祭自体は朝からやってるけど、約束は夜。
ふつう~の半袖半ズボンの格好で、待ち合わせ場所である公園の入り口のひとつに行くと。
「なあ、声かけちゃう?」「芸能人かなぁ」というような声がしたので、そちらを見た。
人が行き交う中に、微妙に空いている空間がある。公園の門になっている植え込みのすぐそこに、
「うおっ」
目立つ人物が立っていた。
思わず足を止めて遠巻きに見ていると、向こうはこちらに気が付いたようで、嬉しそうに手を振ってきた。人々がしゅばばとこちらを向いたので、僕も後ろを向いて周囲に同化した。
「いやいや。知らんふりするなよ、恥かくだろ」
腕を掴まれたのだった。
長峰さんは、僕がじろじろと頭からつま先までを見てしまっているのに気が付くと、にぃっといたずらっぽい表情で目を合わせてきた。
そして、くるりとその場で一回転して見せた。
「夏祭りを一緒に歩くなら、浴衣の彼女のほうが好きだろ、とは思ったけど。想像より効いてるねぇ」
「いやその、お似合いです」
自分のみすぼらしい格好が申し訳ないくらいだった。周囲からも視線を感じるが、多分彼らからは、僕は長峰さんの近くに転がっている石ころにしか見えていないだろう。
それくらいに、浴衣を着ている長峰悠希というのは、特別だった。さすがにちょっとユウキくんとは重ねづらい。小学生の頃はふたり似たような恰好で走り回っていたはずなのに、その片割れが今やこんな姿になるとは。人生何が起きるか分からない。
「わざわざこんなカッコしてきたんだ。感想を聞きたいね。何点中何点?」
自信のあるやつの、ふてぶてしい聞き方だった。
「……それはまあ……、ひ、ひゃく……」
「おーっと、聞いといてだけど、皆まで言うな」
腕を引かれ、公園に足を踏み入れる。こちらを振り返った長峰さんの後ろには、ぴかぴかの安っぽいライティングが、逆になんだかわくわくしてくる、お祭りの出店が並んでいる。
彼女はこっちを向いたまま、背後のそれらを親指で指した。
「点数は財布で示してもらおうか。君のお気持ち分、貢いでくれたまえ。ひっひ」
見た目はきれいでかわいい浴衣女子であるが。その、歯を見せてにっとする笑い方は、遊び尽くす気満々のユウキくんだなと思った。
それでやっと、重なった。
どうやら出店のたぐいに全部寄る気だ。くっ……地域のお祭りの出店というのは、正直、得られるものに対してクソほど値が高い。
でも、今日の長峰悠希の点数を示せと言われてしまったら。
これはもう、財布が空になるまでは、こっちが出すしかないだろう。
ユウキくんの機嫌と引き換えに、どんどん財布が痩せていった。
もはや見る影もない。ミイラぐらい干からびている。
「ん、あれは……」
ユウキくんの声に反応して、前方を見た。
……あー。
奥からこちらへやってくる一団は、同じ高校生くらいの男女たち。どれも見たことはある顔で、おそらく、同じ学校の同級生たちだ。
同じ学校の同級生たち、ということはすなわち、総じて長峰悠希とは会話をする関係、あるいは友人なわけで……。(お祭りに男女混合グループでやって来るようなタイプのやつらは全員、長峰悠希の取り巻きなので)
これは、長峰さんも一緒にまわろうぜ、のパターンになるだろうな。そうでなくとも、立ち止まって長話にはなりそう。何故なら浴衣姿がこの会場にいる誰よりもかわいいから。
ああ。あー。
友達と、友達の友達が会話してるときって、居心地悪くて苦手だ。逃げてしまいたい。「じゃあ向こうに行ってるから」とか何とか言って。ユウキくんとはいったんここで別れることになるかな……。
なんて、陰キャラの極みみたいなことを考えながら、そのまま歩を進めようとすると。
後ろから腕を掴まれた。
「な。あっち……。高台の、遊具があったところ。行こ。ベンチとかあっただろ」
「え」
そう言って少女は、違う方向に僕をひっぱった。
向こうから、長峰さんの友達が来るのは、彼女も見えているはずだけど。
……本人が、そう言ってくれるのなら。
「ベンチ、あったかな。よく覚えてるね」
「そんなに昔でもないだろ。……ほら!」
長峰悠希は走り出した。
「そういえば、進路って決まった?」
さっきより人の数が少ない、この公園の高台になっている場所に、奇跡的に空いているベンチを見つけて。
座って、ユウキくんがもりもり食事をしている横で、下の、出店群の灯りをぼーっと見ていると。
落ち着いたところで、向こうがそんなことを聞いてきた。
「大学に行くつもり」
「どこの?」
「××大。隣の県の……」
「あー。親の金で4年間遊ぶってことね」
「いやいや。大学生をなんだと思ってるの。ていうかアルバイトするし、一応」
親の金に頼るというのは、まあ、まったく言い返せない話なのだが。
数年ののち働いて返していくということで、向こうは了承してくれた。
「学部学科は。学費いくら。部屋借りるの。どの辺に借りるの、大学の近く?」
「そんな根掘り葉掘り聞く? えーと、理学部の……」
やかましいくらいに質問してくる。
それに対して一生懸命、頭の中で情報を整理し、聞かれたことに答えているときだった。
「ふーん……」
ユウキくんは、膝に置いていた巾着袋からおもむろにスマホを取り出し、タッタカと何やら結構な勢いで打ち込んでいた。
自分から聞いてきたのにスマホにうつつを抜かすとか、失礼すぎない? 僕はムッとした。
こちらが言うことが無くなって、言葉が途切れると、彼女はちらっとこっちを見た。
「話終わり? 他になんかない? 来年について」
「ないよ」
ユウキくんはスマホをしまった。
え~、人が話しているとき限定でスマホいじり? 許せねえな。
「何だいその態度は、最近の若者めが」
「あん? ……あ、バイトは何すんの」
「え? わからん。そこまで決めてないッス」
ユウキくんは、腕組みをしてうーんと唸ったあと、
「ゲーセンの店員とかどう。楽しそうじゃね?」
「おー。いいかもね」
「な。いいよな。へへへ」
なんか、変な言い方をしたのだった。まるで自分のことみたいな。
ああ、ユウキくんもアルバイトするつもりなのかな。
「……ん。そろそろ移動するか。いい時間だし」
「え? 花火見ていかないの。わざわざ上がってきたのに」
「花火があるからだよ。人が増えそうだし。……誰かと会っちゃいそうだし」
たしかに。
僕は人混みが苦手だが、今はユウキくんもそうらしい。互いの理由は違うのだろうが。
現在の彼女は目立つ容姿をしているから、人々の視線が煩わしいのだろう。
あと、学校の同級生たちとも、今日はあまり会いたくないようだった。
それなら、花火は適当なところから眺めればいいか。感動は減るけれど、見ようと思えば、どこからでも見られはするのだし。
ベンチを立つ。僕たちは、来た道を戻ることにした。
少し歩くと、背の高い木の枝に、キャラクターの顔を模した風船が引っかかっているのが見えた。
そして、木の根元のあたりには、今にも泣きだしそうな顔でそれを見上げる女の子と、苦笑いする母親らしき人。お祭りの風物詩のような光景である。
いや、しかし待てよ。
これはあれだな。例えばアニメの主人公なら、なんらかの方法であの風船をとってあげるはずだ。その人柄や身体能力を、視聴者に示すことができるイベントだ。
そして案の定、長峰悠希は、この光景を見て歩く足を止めていた。
「ふっ……。わかってるよユウキくん。僕は見守っているから、あの子を助けてやりな」
主人公らしくな。
何しろユウキくんという小学生は、猿の化身のような少年であった。こんなどっしりした登りやすい木なんて、目をつぶって四肢のうち二つを封じても、10秒とかからないだろう。
「ああ? お前……ハァ。この格好で木登りができると思うか」
「へっ」
帰ってきた言葉は、予想していないものだった。
足元をじろじろ見る。きれいに着こなしている浴衣の裾と、涼しそうな下駄。
た、たしかに。木登りに適した装備ではない。
「自分が行く発想ないの? ほらいけ、心悟」
「えええ」
背中を押され、女の子のすぐ近く、つまり木の前に出てしまう。
ちょっとまってほしい。何しろ僕という小学生は、ユウキくんが猿のように信じられない高さへ登っていくのを、下から見ていた記憶しかない。
登れねーよこんなもん。
一応やってはみる。
女の子とお母さんを下がらせたあと、とりあえず、数分くらいじたばたと挑戦してみて。なんか満足したので振り返る。
「登れませんでした」
女の子、お母さん、長峰さんが、一様に呆れた顔になった。
「わかったよ、もう。すっとろいなァ」
もうしわけない。
ユウキくんは、風船のひっかかっているほうを眺めたあと、地面――、木の根元を見た。
「じゃあ、野原くん」
ちょうど枝の真下のほう、にあたる地面を指で示し、
「そこに這いつくばれ♡」
と言った。
そんな綺麗な笑顔で……。
「四つん這いになれっていってんの。けっこう強く踏み込むから、根性見せろよ」
お、俺を踏み台に!?
下駄でそれされたら背骨砕けるんじゃないの、と思ったが、さすがにそれは脱いでくれるようだった。
「はぁ。せっかく綺麗に……浴衣……ったく。行くぞー」
プライドなどありはしないので、素直に指示に従う。まあ組体操みたいなものだろう。
合図にあわせ、心構えをする。
「おげっ」
足が背を蹴った直後、僕はひしゃげた。
「よっ、よっ。ん……っと。……あ! つッ……」
「とれましたか」
大地を舐めながら彼女の声を聞く。しばらくして、身体を起こした。
はてさて、いかにしてそれをやり遂げたのかわからないが、結果として、風船は女の子の手に戻っていた。
「お姉ちゃんにありがとうは?」
「ありがとぅございます」
長峰さんはしゃがんで、女の子の頭を優しく撫でた。
撫でられた方の様子を見ると、しばらく長峰さんの顔を見て、ぽーっとしていた。また風船を手放してしまわないか心配になる。
そのあと、何度も振り返って手を振る女の子が、人の波に遮られて見えなくなるまで、彼女は律儀に手を振り返していた。
アイドル仕草が染みついていないか?
「おつかれッス。さすがユウキくんだった。……ほんじゃ行こー」
「ん。ああ」
一仕事終えたあと。ユウキくんはそこに佇んだまま、なかなか移動しようとしなかったので、僕から歩き出す。
少し進む。
振り返る。
「どうしたの?」
「……別に?」
なんか、あまり進んでない。
そのあとも、進み、振り返り、「?」ってなるやりとりを、3回くらいやった。
やはり、あちらが、あまり進んでいない。ユウキくんとの距離が開いてしまっている。
4回目。また前を向く――ふりをして、すばやく振り返った。だるまさんが転んだ、とちゃんと言わないといけないのを、ダルムスクルルアァ!!とやるやつの勢いである。
そして見た。
ひょこひょこ、と、片足をかばう歩き方をしているユウキくんを。
あー。これって。
「足ケガした?」
「………」
「………」
「……まあ、失敗することも、ある。5年に1回くらいは」
驚くことに、あのユウキくんが、木登りに失敗して足を捻るかなにかしたらしい。
これは、動きにくそうな浴衣姿の子にそれを任せた僕のせい、だと言っていいだろう。
だからユウキくんは、格好悪くない。
「肩かすよ」
そう言って僕は、気が遣えるかっこいい男として、
己の両手をなんとなく顔の高さくらいまで持ち上げながら、長峰さんの周りをウロウロした。
やり方が……わからん!
「ん」
呆れた眼で僕のウロウロをしばらく眺めたあと、ユウキくんは、左腕をあげた。そちらのポジションにつき、ようやく文字通り、肩を貸す。
そしてその後は……わからん。
「やり方くらい勉強してからかっこつけろよ。そっちの手でちゃんと腰掴んで。あっ、ふわッ、くすぐったいわボケ!」
「アッ……カッ……」
首を絞められた。
悪いが一人で歩いてくれないか。
このようなやりとりのせいで、僕たちは、おそらくユウキくんが片足けんけんする速さの、十分の一くらいのスピードで、やっとこさ、階段の下まで降りきることができた。(階段ではユウキくんも暴れなかった)
疲れてしまい、お互い、階段の二段目と一段目に腰掛ける。ユウキくんの方が上。
あとは平坦な道だ。ある程度休んだら、さっさとつっきってしまおう。
ていうか、そろそろ花火始まっちゃいそうだな。
「……。なあ。………てくれよ」
「んあぁ? あんだって」
頭の上から、ごにょごにょと聞き取れないちっちぇえ声をかけられたので、変な人を演じているときの志村けんの声真似をしながら聞き返した。
「おんぶ。してくれよ」
「ヘアァ!?」
………ええ。おんぶって、あのおんぶ。
………ええ~? 嫌だぁ。
「ええ~? 嫌だぁ」
口に出してしまった。
「むっ。なんで」
「なんでて」
こっちの台詞だよ。何言ってんのこの大将は、急に。僕をお馬さんとでも思っているらしいな。
まず、おんぶする理由がない。ケガをしているとはいえ、肩を貸してゆっくり進めば大丈夫みたいだし。
次に。自分で言うのも悲しいが、こちとら非力なインドアマンだ。そして何より……、
長峰悠希は、でかい。
脚が長いゆえか、身長も男の僕とそう差はないし、身体能力の高さからして筋肉量もあるだろう。
そして、胸。下半身。
もうでかすぎ。
健康の権化みたいな女。
「お前が木登りできないのが悪いんじゃん。覚悟決めろや」
「わかったよ」
一段降りて、しゃがんでみる。
うーん。でも、やっぱり危ないんじゃないだろうか。それこそ大怪我に繋がる悪ふざけなのでは。
「じゃ、じゃあ。いきますけど」
背後から変な言葉遣いの声がかかると同時、白い腕が、顔の横から伸びてきて。
むにゅ、から始まる重みがのしかかってきた。
!!!
それまで何を考えていたのか、すべてを忘れた。
いまあるのは、素晴らしい。とても。という気持ちだけだった。
この人は、やっていることの自覚はあるのだろうか、ないのだろうか。ないとしたら問題で、あるとしたら大問題だ。
「ぬ、んんんん」
胸の感触に集中しようとする自分を、なんとかして追い出す。追い出しきれてないけど。
それから頑張って、全身のなけなしの筋力を奮い立たせ、立ち上がる。
いつもより近く。耳のすぐそばで、ユウキくんの声と息があたって、こそばゆい。
しかし、それにしても。
「――っ。くっ。う」
「……何さ」
なにさって、大将、そりゃあ。
「お、重いッスわ」
「あ……? なんだと?」
「羽のように軽いなあ」
そんな怒ると思わなかった。
重いものは重いのだが、正直に言えなくなった。
「あっ、におい嗅ぐなよ」
「ふらふらするな」
「落とすなよ」
「……離すなよ」
「セクハラするなよ」
うるせ~~~! 耳元でちくちくちくちく!
「はいはいー、あと100メートルー」
「ひぃ、ひぃ~」
そして。
――どれほどの時間が、経ったのだろうか。
「20秒だよ」
そもそも何故僕はこのような苦行を? もはや記憶がない。
重労働すぎるのと、背中にあたってる乳がすごすぎて、心臓のバクバクがやばい。それに気のせいかな、身体の前からも後ろからも鼓動が鳴って、二重のサラウンドになるという、未知の感覚さえしてきた。
「ぷっ。っふふ。ごめん、もういいよ、ありがとな」
公園の門を飾る植え込みは、コンクリートでできたその縁が、ちょうど腰を下ろすのに良い高さだった。そこで、ユウキくんを降ろす。
とはいえまだ、待ち合わせをしていた場所、公園入り口のあたりに、ようやく戻ってきたばかりである。
「ふへぇ、へえ。も、もういいの」
「うん。ここがゴールってことで。家の人に迎えに来てもらうからさ」
明るく灯ったスマホの画面を見せられる。ここで連絡してしまうということらしい。
僕は、ユウキくんのとなりに座った。
「……おっ」
どん、と音がしたので、空を見上げる。
ついに、夏祭りの夜、あたりを淡い光に染める花火が、打ちあがっていた。
ちょうどいいタイミングかも。
「はー。僕、久々にこんな近くから見たよ」
「うん」
空に咲いていくそれらをじっと見ていると、どん、ぱらぱら、という音を聴いていると、なんだろう。
自分は花火なんかにもう興味はないと思っていたが、今この瞬間は、とにかく楽しかった。
ユウキくんはどう思っているだろうか。
思ったよりずっと派手に、次々と空に広がっていく花火の音と、人々の嬉しそうな声。これだと、となりの相手に話しかけるのにも、大声じゃなきゃだめかもしれない。
「今日、来てよかったかも! ユウキくんと!」
「―――、………」
いま、ユウキくんなんか言ったか?
なるべく耳を澄ませる。
「……たしも、そう思…よ」
「はぁあん!? あんだってぇ!?」
バレないと思って横暴な言葉遣いで聞き返してみたが、やはり返ってこない。よかった。
見どころの連続咲きをしばし眺める。
それから、やっぱり、ユウキくんが楽しめているのか気になって、隣を見た。
それで――、
息が、止まる。
色とりどりの花火に照らされた彼女は、その空も見上げず。
ただ小さく微笑んで、こっちを見ていたのだ。
「………」
すぐに花火に視線を戻す。
なんじゃあ今のは。
え、なによ。顔が良いな本当に。どうやらたまたま目があったらしいが、正直ドキッとしてしまった。
…………。
浴衣は見れるわ、一緒に歩けるわ、密着できるわ、芸術品みたいな顔を見れるわ……、
もしかして、僕はすごく、得してるのか?
い、いやいや。
あれの中身はユウキくんなのだ。いついかなるときも、それを忘れてはいけないぞ、うん。
でないと大変なことになる。
大変なことに、なるのだ。
最後の花火からそう時間の経たないうちに、僕たちの前方の車道に、車が一台停まった。
運転席から降りてきたのは、ぴしっとスーツで決めた女性の方だ。
それをぼうっと眺める。かっこいい女のひともいるもんだな。
「お迎えに参りました」
「ありがとうございます、夕崎さん」
「ん?」
女のひとは、となりのユウキくんに話しかけてきて、
ユウキくんは、長峰さんになって、相手の名前を呼んだ。
「あ、え。あっ、こんばんは……」
立ち上がって挨拶をすると、向こうは慣れた様子で、美しい会釈をしてきた。
……長峰家って、金持ちっぽいとは思ってたけど。
運転手が存在するランクの家!?
長峰さんはおもむろに立ち上がり、車の後部座席に乗った。足の痛みは、引いたのだろうか。それとも我慢しているのだろうか。
そして目の前の車。黒塗りの高級外車……なんて、分かりやすいものではないが。外観は、スーパーの駐車場なんかでは見たことのない、内部も、ファミリーでひろびろと使ったりはできなさそうな、洒落たつくりの、なんかいい匂いのする車だった。
要は金のにおいがするということだ。
僕にめっちゃおごらせるくせに。別にいいけど。
……どんな人生、辿ってきたのやら。薄々そんな感じはしていたが、家庭環境変わりすぎだ。
まあ、知ったことじゃない。ユウキくんの家のことは気にしないのが、子どもながらに、昔から、暗黙の了解だったのだから。
「野原くん。ちょっと、ちょっと」
見送りモードで突っ立っていると、ドアを閉める前に、長峰さんが小さく手招きしてきた。
「んー、何? ですか?」
「耳貸してってば」
近くに行き、言われた通り片耳を差し出す。ひっぱったりするなよな。
長峰さんは、そっと顔を近づけてきて。
「……今日、楽しかった。ありがとな、誘ってくれて」
ささやかれた耳が、くすぐったくて、熱くなって、思わず手で押さえた。
それを見て、長峰悠希は愉快そうに笑った。
「じゃあ、またね。野原くん」
浴衣姿のお嬢様。彼女が乗った車を、見送る。
ドアが閉まった。友達の乗った車を、見送る。
今日は……、
というか、今日も。
僕だって、楽しかった。