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肝試し

 6時間目のロングホームルームは、先生が『学級レクについての話し合い』の時間にしてくれた。

 学級レクというのは、クラスみんなで参加するレクリエーション活動のこと。その内容は、たとえば、体育館を借りてバレーボールをするといったものだったり、あるいは、宿泊施設をクラスで一晩貸し切りにして遊ぶなんてことも。クラスの誰かが、または全員がしっかり計画を練って、保護者や先生の協力まで取り付けられたなら、後者の話も実現できるだろう。

 学期末、終業式を控えたこのタイミングなら、先生も可能な限り協力してくれるという。というわけで、クラスメイトのみんなは今、この機会を盛り上げようと話し合いに励んでいるのだった。


「……ということで、晩御飯はバーベキューを楽しんで。そのあと、夜の7時からについては……皆さん、何か意見はありますか?」


 今学期の学級長を務める長峰さんが、司会となって呼びかける。

 ふつうに談笑して解散でいいんじゃないの。未成年の僕たちには、夜にできる遊びなんてそうないだろうし。


「はいはいはい! 『肝試し』!」

「お、いいねー」


 !?


「そうだ! 肝試しの前に、みんなでホラー映画観賞会をして……! なんてどうよ?」


 !!??


「こわ~!」

「賛成!」

「先生、視聴覚室は使えますか?」

「いいよー」

「男女ペアがいい」

「え~、それはヤダ」

「では、7時から映画鑑賞、9時頃から肝試し……ということでよろしいでしょうか。……肝試しの詳しい内容については……」


「では皆さん、まずはちゃんと保護者の方に許可をもらってきてくださいね。これで全体での話し合いを終わります」

「……いやー、意外と楽しみなもんだね学級レク。野原くんはもちろん参加するだろ。長峰さんも来るんだし……野原くん?」

「野原?」

「……せ、先生!! 野原くんが、白目剥いて痙攣してます!!」


 周りから騒がしい声が聞こえる。

 な、なんだ、いったいどうなったんだ、話し合いは……、


「野原ー! 死ぬなー!! 長峰さんとペアで肝試しができるかもしれないんだぞ!! 羨ましい! 死ね!」


 あああ!! 『肝試し』……本当に決まってしまったのか。あまりのことに現実逃避していたが、やはりこれは夢ではなかった。

 その単語を聞くだけで、身体ががくがくと震え、冷や汗が出る。そうだ、僕は……僕は……、

 こわいのは、めちゃくちゃ苦手なのだ。



 ついにやってきたその日。

 夕方6時からのホラー映画観賞会には、コンタクトレンズを外して、モニターから一番遠いところに座ることで対処した。おかげで作中で何が起きているのかは、大体わからなかった。

 音声も怖かったので、イヤホンで音楽を聴いたり、近くにいた金田くんや山根さんにひたすら話しかけたりした。どちらからもすごく鬱陶しそうにあしらわれた。

 夜の8時半ごろ。学校の視聴覚室を使った映画観賞会を終え、最高にあったまった(最高に冷えた?)我々は、校舎から少し離れたところにある旧校舎棟へと向かう。

 旧校舎といっても、フィクションのそれのように立ち入り禁止の廃屋状態、というわけではなく。普通に移動教室のひとつとして使っている部屋もあるし、物置部屋や、小規模部活動の部室がある。取り壊し工事は僕らの卒業よりもっと先のことだという。

 けれど、新しい校舎よりもずっと不気味な雰囲気があるのは確かだ。古い学校にありがちな七不思議もある。たとえば、旧音楽室には霊がいて、そこを使用している郷土芸能部では時折体調を崩す生徒が出る、とか。同部の霊感の強い生徒曰く、「あそこは本当にいる」とかなんとか……。

 ふっ。なんとも非科学的じゃないかね、この21世紀に。

 さわやかで余裕のある笑顔を保ちながら、クラスメイトたちの後ろをついていく。そして旧校舎が近づいてくるにつれ、僕はすべての穴から脂汗を分泌させ、全身の1秒間の振動回数を増やしていった。


「ん、野原、なんか顔色悪くね? ……なんか震えてない?」

「「大丈夫だよ、ありがとう山根さん」」

「震えすぎて声が二重になってない?」


 たしかに僕の全身はいま、エヴァンゲリオンのナイフぐらい振動しているが、これはほら、夏の夜が意外と肌寒かったりするせいではないだろうか。

 山根さんはちょっと引いたような顔をして、僕から離れていった。よし、ごまかせたな。楽しいレクリエーションの日にクラスメイトに心配させて、彼らの気分を下げるようなことはしたくない。


「ゆきー。ちょっと。相方が調子悪そうだよ」

「え? なになに、もう……」


 と思ったら、誰かの腕をひっぱってきた。『ゆき』……女子か……。そんな優しそうな名前のクラスメイトいたかな。

 などと一瞬考えたが、彼女が僕の前に引っ立ててきたのは『長峰悠希』であった。貴様か……『ゆき』……。


「うわ!!」


 僕の顔を見て、ユウキくんは目と口を大きく開いた。賢く理知的なクラス委員長の長峰さん、という印象とはギャップがあり、くりくりとした目とアホっぽく開けられた口がかわいらしくはあった。

 ……そんなに顔色悪いのかな。まさかもう既に霊が僕に憑りついて……?


「なっ……おま……だ、大丈夫ですか~? 野原くん~……」


 あぶなかったねえ長峰さん。いま本性のほうの喋り方と表情が出そうになってたよ。みんなのいるところで。


 ユウキくんの顔を見たら多少震えがおさまった。(ユウキくんのほうが恐怖の対象として上位のため)

 旧校舎への行軍を再開する。途中、長峰さんが横から声をかけてきた。


「あれ……野原くん。メガネしてる」


 珍しいものを見た、というニュアンスのようだった。そういえば、外出するときや友達と遊ぶときはコンタクトレンズを着用しているので、ユウキくんに眼鏡を見られるのは、もしかしたら高校入学からは初めてかもしれない。


「朝から晩までコンタクトしてると、目が変な感じになるんだ。さっき外して、これにかえてきた」

「そうですか。……なんかなつかしー」


 ホラー映画を回避するために外したというのが厳密な理由なのだが、それは言わなかった。

 ユウキくんは、僕の眼鏡の何がおかしいのか、機嫌よさそうに目を細めていた。


「なになに。ゆきは野原の眼鏡見たことあったの? いつ? 夜? 夜中? いかがわしい関係?」


 横並びに歩いていた山根さんが、ニヤニヤしながら長峰さんの顔を覗き込む。


「教えなーい」

「出た~秘密主義。怪しいわぁ」

「怪しい女がモテるのです」

「お前がモテるワケは顔と胸だろーが」

「いやぁ、性格とかも……」

「あーね。あーねじゃないわ、自分で言うなっ」


 ……あんまり、女子とどんな会話してるのかとか、聞いたことなかったけど。けっこう仲いいんだな。軽口を言い合っている様子は本当に楽しそうだ。

 でも、僕といるときとはまた別人みたいで……陳腐な表現だけど、なんだか“女子”って感じで。そのせいか、隣にいると、ほんの少しドキドキする。それとほんの少しだけ、僕の知らない彼女を知っている女子たちが、羨ましくなった。

 どっちが、本当の悠希(ユウキ)なんだろう。それとも、どっちも本当?


「よし、このへんで一旦集合しよー! 指示を聞け男子ィ! 『ペア決めくじ引き』を……やる!」

『ウオオオオ』


 耳に副級長の号令と一部男子の咆哮、視界に薄気味悪い夜の旧校舎が入ってきて、さっきまで何を考えていたか忘れた。代わりに恐怖がよみがえってくる。

 肝試し。ここまでついてきておいて今更だが、心底参加したくない。いやまだ間に合う、情けないが、ペアのくじは引かずに見学にさせてもらえば……。


「さ、くじを引きに行きましょう、野原くん」

「ひっ……」


 僕が逃げ出そうとしているのを察知したとでもいうのだろうか。動こうとしたタイミングで、腕を掴まれた。この状態に持ち込まれてしまったらもう終わりだ。これまでの人生で一度も、僕はこのグリップから抜け出せたことはない。

 一応は抵抗しようと身じろぎしてみるが、長峰悠希の握力には少しの緩みもなかった。女性化症にかかった人は男性のときより筋力が落ちる、ってインターネットに書いてあったのに……! 大嘘!


「あいつ、長峰さんと腕組んでやがる……」

「野原……許せねえ……」


 この節穴どもが! 誰か助けろ!


「ねぇゆき。もしかして彼氏、怖いのダメなんじゃ……」


 や、山根さん! オタクに厳しいダウナー系ギャルっぽい外見の印象とは違って、思えばクラスメイトへの態度は分け隔てなく優しい。もしかしたら僕、山根さんのことが好きかもしれ


「関係ないです。ね。参加しますよね。ね?」

「はい……」

「君らそういうヒエラルキーなのね」


 とっ捕まったまま、くじ引きのルール説明を聞く。

 ふたつの箱があり、出席番号で偶奇に分かれてどちらかを引く。そして番号が一致したふたりがペアとなる。

 どうやら簡単に異性のペアが出来上がるわけではない。ルール説明後、一部男子のテンションが見るからに下がっていた。


 クラスメイトたちがくじを引いていく中で、自分の番がやってきた。震えすぎて3本くらいに像が増えた右腕で引こうとして苦戦し、副級長に怒られた。


「何番だった?」


 すぐに、近くにいたユウキくんに聞かれた。まだ確認してないよ。せっかちな人だな。

 バイブレーション中の手でくじを開こうとして手間取っていると、イラついたユウキくんにぶんどられた。


「おっ。1番かァ」

「長峰さんどうぞー」

「はーい」


 ぱっとアイドルの顔をつくり、長峰悠希はくじ引きに臨んでいった。彼女の出席番号は僕のひとつ前、奇数番だ。

 様子を観察してみる。みんなの注目を感じているのか、いつもの人当たりのいい笑顔で、長峰さんは紙片を1枚選び取った。その場をやや離れると、そこで彼女はくじを開いて番号を確かめた。

 ぴく。一瞬、眉間にしわが寄ったのがわかった。


「……さらー。何番?」

「ん? 4番だけど」

「……あっ、みひろ。八代さん。何番だった?」

「え? 9だよー」

「12」


 長峰さんはそこから、手あたり次第に周囲の女子に声をかけていた。やっぱ友達多いな。

 そうしているうちにいつの間にか、小さな女子の群れができていた。彼女らは円を作りつつ密着していき、どうやら会議を開いているようだった。


「……ない? いないか。……1番の人~」

「あ、はーい」

「カモン」


 そして誰かが時折輪の外に顔を向けて、特定の番号の人に呼びかけ、群れに引き入れていた。

 察するに、談合である。


「はい、それじゃあいよいよ始めます! トップバッターは『1番』を引いたふたり!」


 重い足取りで前に出ていく。1番ってそういうことか……嘘みたい……たすけて……霊にとり殺される……漏らしそう……。


「よろしく、野原くん」


 くじで決まった僕のペアは、長峰さんのようだ。女子は他にもたくさんいるのに、不思議な縁だなあ。よりによってなんでこの人なんだ。


「……私、怖いの苦手で。恥ずかしいところ見せちゃったらごめんなさい。……あの、こうしてもいいですか?」

「ハハハ。ドウゾ」


 みんなの前で、ユウキくんはわざと女の子ぶり、僕に身体を寄せてきた。男子の怨嗟の声が聞こえたしやわらかい胸があたっているが、今はそんなことはどうでもいい。

 はやく終わらせたい。終われ。



 野原・長峰ペアが旧校舎のほうへ行って、すぐ。


 ヒャァァア……


「!? な、なんだ今の声。悲鳴?」

「長峰さんの……にしては、品がないような」

「……じゃあ、まさか……」


 ペア決めの熱すら冷め、一挙に青ざめた顔になる生徒たち。彼らにとっては、それほどの出来事が起きていた。

 そう、はっきりと音としてこだましている、これは――、

 旧校舎に憑りついている、怨霊の声ではないか。

 集まったクラスメイトのうち、だれが最初にそう言ったのかはわからない。けれど誰もがそう信じてしまった。何故ならば、その声はあまりにも、あまりにも悲哀と怨恨に満ちていたからだ。若い彼らは、それを強く感じ取った。

 自分たちはマズい場所を選んでしまったのではないか。ある生徒は、じり、と無意識に後ずさりをした。ある生徒は、友人の腕にしがみついて震えた。

 「次に入るペアは?」 そんな声は誰も口にできなかった。この底冷えする声に、かき消されてしまうから。


 ヒャァァアァ……

 イヤァァアァァ……



「ヒ、イヒィィィイ……、アヒィィィイイ~~~!」

「うるっっさいなぁおまえはさっきから!! 捨てていくぞその辺に!」

「ヒィッ!! やっ、やめてくれぇ」


 弱弱しいヒロインを装っていたユウキくんは、いま、僕をこの暗黒回廊に打ち捨てていこうとしていた。思わず必死ですがりつく。さっきとは構図が逆だった。


「ここまで肝試しダメだったのか……。意外」


 意外? 意外だと? ユウキくんがそれを言うのか。まさか、あの出来事を忘れたのか。こいつっ! 僕は片時も忘れたことはないぞっ。

 ユウキくんの持つ懐中電灯の光量は、言うまでもないが、暗闇を晴らすには全く足りず心もとない。むしろ半端な灯りが暗がりをより濃く演出していて、逆効果にも感じる。僕は、彼が気まぐれに動かすその光を反射的に目で追いながら、それが余計なものを照らさないことを祈り、震えるしかなかった。


「わっかんないなぁ。暗い夜道とか、歩くの怖いか?」

「いや、全然」

「じゃあ今も別に怖くないだろ? ただの暗い旧校舎。同じじゃん」

「怖いよッッ」

「その感覚がよくわかんねーな……」


 こういう場所と夜の帰り道とかでは全然違うのだ。さっきみんなで見たホラー映画の舞台のひとつに、学校が出てきたのもでかい。見ないよう聞こえないようにはしていたのだが。

 目的の場所にむかって歩を進めながら、ユウキくんは声をかけてくる。しゃべってくれると気がまぎれる。

 だが。


「なんでそんな苦手なんだっけ?」


 なんとなしに、という調子で投げられたこの質問には、とても冷静には返せなかった。


「おまえのせいだあああああ!!!」

「へっ?」



 そう、あれは小学生のとき。怖いものが苦手だとは、まだ自覚していなかったあのとき……。


「なー、シンゴ。“きもだめし”やろーぜ」


 ある日のこと。クソガキのユウキくんは、お利口さんの僕にそう提案してきた。いつもの衝動的な思いつきだ。

 当時から彼の部下であった僕に逆らうという選択肢はなく、言われるがまま、幽霊が出ると噂になっていた、人の住んでいないマンションまで一緒にやってきた。

 ユウキくんはほかの子も誘っていたが、そのときは都合が合わなかったのか、当日の僕らはふたりだけだった。


「なんだよ。ビビってんのかァ、メガネくん」

「だって、けっこう本物っぽいよ……」

「まあ確かに、ふいんきあるよなー」


 たしかそんな会話をしながら、僕たちはマンションをうろうろしたと思う。そして思い返せばこの時点で、隣を歩く僕を、ユウキくんは時折ニヤニヤしながら見ていた。あれはきっと、僕の怖がる様子を楽しんでいたのだ。

 開けっ放しのドアから汚れた室内が見えたり、お札の貼ってあるドアを見つけてしまったり。現実の景色が、夜中に親が見ていたホラードラマの雰囲気と重なり、僕はこのときにはもう本格的に怖くなっていたと思う。

 そしてついに、クソガキは大胆な行動に出た。


「あ! オレ、わすれもの思い出しちゃった。じゃ!」

「えっ?」


 風のような速さで、ユウキくんは僕を置いて走り出した。唐突のことで反応できず、まさか本当に? と思いながら、ユウキくんが消えていった廊下の曲がり角へ自分も走った。


「わっ!!!」

「ヒュッ……」


 曲がり角で待ち伏せ。悪質な嫌がらせであった。


「アッハハハ!! こっちこっち! 先に行っちゃうぜ」

「まってっ!! ねえ!! まってよっ!!!」


 このとき、ユウキくんは学年で一番脚が速かった。僕はそれを重々承知していたので、本当に置いていかれる恐怖をおぼえ、必死に追いかけた。


「この部屋こわそー。はいろうぜ」

「……ここ、なんか寒くない? ねえ、ユウキくん……ユウキくん?」


 他には……、この部屋入ろうぜ、と誘われ、中を探索している間に、音もなくいなくなられたりもした。

 この置き去り・かくれんぼ・おどかしの組み合わせで、僕はどんどんおかしくなっていった。性根とか歪んだと思う。

 最もひどかったのは、最長30分くらいどこかに隠れられ、独りきりにされたことだ。何度もあいつは帰ったんじゃないか・自分も帰ってしまおうかと考えたが、一緒に来たときの自転車がユウキくんの存在を示していたため、僕は次第に暗くなっていく幽霊マンションをさまよい続けた。あれから人相が復讐者の顔つきになったと思う。

 ……そして、そのとき。ユウキ君を探してマンションのある一室を覗いたとき……、僕はたしかに……、

 これはダメだ。思い出したくない。

 とにかくこれが、ユウキくんに負わされたトラウマのひとつである。これで現在の本人は僕をいじめたことはないと思っているらしいのが、まったく度し難い。


「お、おまえな。男どうしで手なんかつないでくるなよ。キモいなー」

「ご、ごめん。……っく、……でもっ、ユウキくんが勝手にどっかいって、おどかすから……っ」

「わかった、わかったよ、もうしないって。だから放せよ」


 最後のほうには、どこかに逃げられるのを阻止すべく、ユウキくんをずっと捕まえていた。服をつかんだり、腕をつかんだり、手をつかんだり。


「そんなビビんなよー。ユーレイなんかいないっての」

「……! ユーレイは……! さ、さっき、」


 おっと。

 とにかく僕は、怖いのは……特に、肝試しは何よりもダメだ。ホラー映画やお化け屋敷もダメだが、あれらは人の創作物であることが明白で、その点が肝試しとは違う。

 こんなことは遊びでやるべきじゃない。もしも万が一、仕掛けのない肝試しで”何か”に遭ってしまったのなら、それは“本物”であるかもしれないのだから。

 以上。僕がこんな性分になってしまったのは、9割ぐらいこいつのせいである。

 ユウキくん・ふたりきり・肝試しという要素が再集結してしまった今、こうして前後不覚になるのは我ながら当然のことだったわけだ。


「……そっか。じゃあ次は、もしオバケが出てもオレが守ってやる。いたずらのおわびなー」

「う、うん」

「この約束はぜったい守るからさ」

「ほんと?」

「うん。こういうときは助けるよ。友達だろっ」



「ごめんて。悪かったよ、あのときは面白がって」

「これに関しては一生ゆるさん」

「はいはい……深く反省します」


 おざなりな謝意を口にし、つかつか進んでいくユウキくん。こっちは前へ行く足を踏み出すのにも躊躇しているけれど、ついていかないと一人にされる。だから進む。

 そんな様子を見て、ユウキくんは呆れたような、でも、そうでもないような、そんな反応をした。


「あーもー。大丈夫だよ。オバケが出ても、オレが守ってやるから」

「!」


 ……昔と同じこと言ってる。もしかして、ちゃんと覚えてるのか?

 だとしたら「なんで苦手なんだっけ?」とか真顔で言ってくるのは性格が悪いとしか言いようがないが。そうではなく、覚えてはいないけど、素が子どものときと変わってないってことかな。


「まっままっまっ、マジで頼みますよ」

「おー。約束ね。アイプロミス」


 そう言ってくれるなら存分に守ってもらうつもりだ。そうさ、ユウキくんなら悪霊たちも退散するはず。腕力で蹴散らせるはずだ。今回ばかりはぜひそのフィジカルを存分に発揮してもらいたい。なんならこの旧校舎を破壊してくれて構わない。破壊し尽くすがいい。


「ま、去年のクラス文集の『守ってあげたい女子ランキング1位』長峰さんに守ってもらうおまえは、人としてだいぶランク低いけどな」

「うるさいよ。ちゃんちゃらおかしいランキングだったよ、あんなの」


 けっこう体格良いし運動とかできるのに、そのキャラクターや態度だけで『守ってあげたい女子』だと思わせた技はすごい。しかも女子にもそう思わせてるのがすごい。

 ともかく、もうなんとでもいえ。僕をこんな怖がりにした責任はとってもらうぞ!


「はぁ。ほんとに苦手なんだな。ちょっと思ってたのと……そうだ。そんなに怖い怖~いなら、こうしてあげようか?」


 人をからかうときの例の顔つきになったユウキくんは、片手で僕の手をとって、握った。つまり、手を繋いできた。


「ほら、これで怖くないでしょ。怖くないでちゅねえ僕ちゃん。ヒヒヒ」


 茶化しながら、ユウキくんは手をぱっと放そうとした。これは冗談だ、ということだろう。

 でも、僕は彼の手をきっちり握って、離さなかった。ユウキくんの左手は、細くてすべすべしていて良い具合に温かく、そして置いていかれる不安がなく、何も頼りがない状態と比べて格段に安心感があった。


「あれ。あの、心悟? ……ほんとにこのまま行く気?」

「だだだだだ、めめめめすすっすすす(だめッスかね)」


 あああ。そそそういえば、男同士なのに手なんか繋ぐなよ、キモイ、と昔も言われたような。

 その感覚は理解できるんだけど、僕も男友達ときっちり手をつなぐとか普段は避けたいけど、それを上回るくらい恐怖がやばい。ユウキくんは僕を置いて走っていった前科があるし、今はこうして何かにすがりつきたい。猫の手も借りたい状態。もしここに猫がいたら僕は猫の手を握るだろう。何の話?


「………。別に、いいけど」


 きゅ、と。

 ユウキくんは握る手に力を入れてくれた。た、頼りになる……! こういうときは……!


 こういう日のために暗記していた念仏を唱えながら歩いていると、「頭おかしくなるからやめて」と言われたあたりで、ようやく目的地についた。

 2階の旧音楽室。“出る”ともっぱらの噂だ。ここでスマホで写真を撮って帰ってくる、というのが肝試しをクリアした証明になる。


「はい、にっこりー」

「い、イヒヒ……イヒッ!」

「もう幽霊とかよりお前のほうが怖いよね」


 暗闇と月くらいしか見えない窓を背景に、ユウキくんの自撮りに巻き込まれる。首に腕を回され、笑顔を強要された。長峰さんからはいい匂いがしたが、それよりも、この音楽室のことが怖かった。


「……!! マジか」

「撮れてるよね? はやく帰ろうよ」


 スマホの画面に照らされたユウキくんの表情が、少し曇った気がした。横に並んで、画面を覗く。

 ――僕とユウキくんの後ろには、白い何かが映りこんでいた。

 ユウキくんは、すぐにスマホを僕から隠した。


「……っ!!」

「こんなんただの、カメラの誤動作的な……あっわかった。後ろの窓にフラッシュが反射したんだろ。気にするな」


 その理屈が正しいという常識はわかっていても、なにか、なにかがここにいるような気がしてしまう。数秒前に見た写真を詳しく思い出そうとする。後ろに何かが映っていただけじゃなくて、僕たちにも何かが覆いかぶさっていたような。身体が欠けていたような。表情が歪んでいたような。気のせいだろうか。

 いけないと思いつつ、僕はどうしてか、教室中のあちこちに目を向けた。必死で、何かを探そうとしているみたいに。

 暑いのか寒いのかよくわからないが、汗が出ている。窓枠の下、差し込む月明りが角度的に照らさない部分。そこに目が行く。そこはあまりに暗くて、目を凝らしてもよく見えない。

 がた。

 そんな音がした。僕は悲鳴をあげたけど、それは声にならなくて、尻餅をついた木製床の音がその代わりになった。


「おい、大丈夫か」

「……! 連れていかれる……足動かない! 金縛り!!」

「えぇ?」


 今自分が何を口走ったかはもう忘れたが、とにかく足腰に力が入らない。


「ビビりすぎて腰抜かすって本当にあるんだ……」

「はっ、はっ、はっ……」


 耳がキンとして、周りの音が聞こえない。湿気が強いときのにおいがする。教室の、何もありはしない暗がりに、目が吸い寄せられる。

 ――僕は、幽霊は、本当にいると思っている。何故ならば、見たことがある……気がする、からだ。それがどういうものなのかは他人には説明しがたいけれど、きっといる。たとえば、もしかすると、今目の前に。

 息がうまくできない。

 そんな存在を認知したとして、それは『怖いという気持ちが作り出したありもしない気配』である、という常識は正しいと思う。そうだ、子どものときに見たものなんて、追い詰められすぎて何かを見間違えただけだ。……でも……、

 ああ。非常識を振り払おうとして頭を回転させているのに、余計に変なことを考えてしまう。とにかくいま、僕の身体は、自分の意志ではうごかせなかった。幽霊のいるいないは置いておいて、これだけは本当の話だ。


「心悟? ねぇ、心悟……はぁ。……約束しちゃったしなァ」


 体が、水の中に沈められたみたいに重くて、暑くて、四肢の先が冷たい。もう脚は何かに引っ張られている気がする。逃げ込める家の布団もここにはない。

 そうしたら……、


「おーい。ほら、大丈夫大丈夫、へいき。アイガッチュー」


 誰かが、僕を捕まえた。

 ユウキくんは、後ろから僕に抱き着いて、胴に腕を回していた。背中にやわいのがあたっているのでわかる。

 そのまま、肩になんか乗せられる。横目で見ると、ユウキくんの顔だった。

 目が合う。この近さだと、彼女の迫力や魅力は普段の倍増しで、吸い込まれそうな瞳だ、などとつまらない恋愛小説の文句が浮かんだ。


「心悟。何もないところをいちいち見ようとするな。オレだけ見てればいい」


 い。

 イケメン……。


「おい! 幽霊!」


 ユウキくんは静かな音楽室で、よく通るでかい声を出した。長峰悠希は音楽の時間でも模範生徒である。耳のそばでそれをやられたので、けっこううるさかった。


「こいつはわたしのだ。他の誰にも持っていかせない。わかったらどっかいけ」


 何も返事はない。

 それはそうだ……。そこには、誰も、何もいないのだから。

 周りを見る。旧音楽室は、風があれば窓枠が動いて鳴るけど、基本的に静かだ。闇に慣れた目で見ると、月明りはいろんなところに届いていた。郷土芸能部が使っているため掃除も整理整頓もされていて、至極ふつうの、人間の活気がある部屋であった。


「どう、ユーレイの気配消えた?」

「なんか、大丈夫になったかも……」

「それはよかった。……あー、熱」


 ユウキくんは、僕から離れて立ち上がった。顔を手うちわで扇いでいる。

 …………いま……なんか……長峰さんにハグされてなかった? 高い体温と、二重になった心臓の鼓動がまだ残っている。あと胸。

 ユウキくんとはいっても長峰さんなわけで、あんなことされると怖いことがあっても別のドキドキでかき消されるというかなんというか、いや僕がユウキくんなどにドキドキする筋合いはないのだが、まあこれはたぶん吊り橋効果というやつでとくに何もないのだが、


「おい。いつまでもへばってないで帰ろうや」

「あ、うん。……ごめん、変なことさせて」

「あー。いいよ。おまえのビビり方、これから一生いじるから」


 ひどくない?

 元凶は自分だということをもう忘れてない?


「ほら」


 手を差し伸べられる。がっちりつかむと、ユウキくんは持ち前のパワーで軽々引っ張り上げてくれた。

 それで、その手はそのまま。旧校舎棟を出るまで、キモいとか言って放り出したりはされなかった。



「あ! ふたりとも、大丈夫だった?」

「ここはやべえよ。無事でよかった」


 戻ってきたスタート地点には、クラスの全員が集まっていた。僕らの後には誰も出発していなかったようだが、みんなの様子はどうもおかしい。誰もが緊張した表情をしていて、僕たちの姿を見て心配そうに駆け寄ってきた。ようやく安心した、という様子の生徒もいた。


「何かトラブルがあったんですか?」

「“声”が聞こえてきたんだよ。クラスの誰のものでもない、恐ろしい声が……」

「この世をうらみきった、悲しい声だった」

「………。あの、その声って多分……」


 ひいいい!! やっぱり幽霊はいるんだぁ!!!


「いえ、なんでもないです。……アホらし」


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