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オブリヴィオン -忘却の戦史-  作者: 長谷 治
7/10

第七話 想と志の話

 グアマンから「三霊」の存在を知らされたフィデルたち、そして同時にルネリスにて起きたノクティルによる襲撃の裏側の片鱗が見え始める。

 ときを同じくしてケイロス王との謁見を終え、複雑な感情をうちに秘めたセシルはかつての上官であるアーデルの想いに触れ、ベルノールもまたセシルへの想いに耽るのだった。

 私が産み落とされたのは血溜まりの中だった。赤黒く染まった体を必死に揺すりながら泣き叫ぶと、私の声を聞き、名前も知らない国の兵士がゆっくりと私を抱き抱える。亡骸となった母であったそれは、まるで糸に吊るされた操り人形のように私との繋がりを軸に体躯を持ち上げる。兵士は母と私の最後の繋がりを、まるで汚いものを振り払うかのように持っていたナイフで粗暴に断ち切った。瞬間、それはまるで糸を切られたかのように赤い血溜まりへと崩れ落ちる。母にとってはそれで良かったのかもしれない。文字通り「必死」になってでも産み落とした我が子を生かすことができたのだから。

 泣き続ける私を抱えながら、兵士はとある場所へと連れていく。戦場からの重い足取りで辿り着いた、街とは外れた場所にある大きな教会のような建物、その扉の前に立つ妙齢の女性へ、私はまるで物を押し付けるように手渡された。女性は私を受け取ると兵士に金貨の入った布製の小袋を与え、袋を受け取った兵士は何処かへと去っていく。女性は私を優しく抱きかかえ、その建物の中へと入っていく。中に入るとそこには年齢はまばらではあるが、私と同じように身寄りのない子供たちがたくさんおり、彼らの前で女性は優しい顔で言った。

 「皆さん、今日からの新しい家族よ。」

 私はそこで育てられた。女性のもとで同じような境遇の大勢の子供達と一緒に、人としての暮らしのため多くを学んだ。他人と意志を伝え合うための言葉、損得を理解するための計算、互いに尊み合うための礼儀、そして、世を生き抜くための戦い方。例え血が繋がっていなくとも皆が仲間であり家族だった。怒り、泣き、そして笑い合うそんな私たちを見ながら女性はいつも口癖のように言っていた。

 「みんな、いつか素晴らしい人間になるわ。」


 いつもと変わり映えのないある日の朝、違うことといえば一番年下の私が12才の誕生日をむかえ、いつもの食事のテーブルにバースデーケーキが並んでいることぐらいだった。夕食前のお祈りの時間、女性は私たちの前にいつものように立ちお祈りの言葉を言う、そう思っていた。

 「皆さん、明日からは殺し合いをしていただきます。」

 女性のその一言を聞いた日から全てが変わった。毎日三食と就寝の時間、昨日までも今日からも一緒に食べ、一緒に寝て、一緒に学ぶ。しかし、中庭へ集められる夕刻の少し前、日が落ちかける夕食までの少しの時間は、皆が真剣を握りしめ命のやり取りをした。理由は単純だった。


 ただ、生き抜くため


 ある日、隣の席でいつも元気いっぱいにご飯をおかわりしていた恰幅のいい少年がいなくなった。次の日、目の前の席に座っていた恥ずかしがり屋のそばかすをつけた少女がいなくなっていた。当たり前だ、私が殺したのだから。情を持つものほど辛く苦しい気持ちでいっぱいになる。だからこそ優しい彼らから殺してあげたい。何かも分からなくなっていく自分が与えられるせめてもの償いだった。

 例え血が流れても、例え眼を潰されても、例え局部をもがれようとも、この剣だけは決して離さない。腕がなければ足で掴めばいい。足がないならば口で噛み締めればいい。最後まで醜く「生」にしがみついたものだけが生き残る。だからこそ、この剣だけが全てだった。毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日殺し続ける。そして、ある日気づいたとき、私以外はもうそこにはいなかった。剣から滴り落ちる大量の血、皆とお揃いだった白い服は、いつのまにか赤黒く染まり、それは生まれたときの私と同じ色をしていた。虚な目で中庭の端を見ると、そこにはまるでゴミでも積むかのように乱雑に昨日までの家族たちが積まれていた。

 私の瞳の前に女性がゆっくりと近づき、あの日と同じ優しい表情で私に語りかける。

 「あなたは素晴らしい人間になれるわ。」

 そう言われたとき、私の握っていた赤い剣は女性の胸を貫いていた。もがくように女性が私の手を握る。その血の温もりが押し込む力を余計に強くする。女性を恨んでいたわけじゃない。孤児を集め傭兵を造っていたこの施設が憎いわけじゃない。ただ、目の前にいる女性の哀しそうな目がそうさせていた。女性がそう望んでいるから、少なからずも子供たちに懺悔の想いを持っていたから。

 少しずつ虚になっていく女性の瞳に、一瞬だけ一人の紅い瞳をした少年がぼんやりと映る。その少年が、私に向かって話しかけた。

 「君は、誰。」


1.

 ケイロス王国ヴァーンハイト邸、空が明かりを落とす代わりに人々が明かりを灯し始める時間、アーデルと別れ、バンドレイク城から帰路についていたセシルが屋敷の玄関をゆっくりと音を立てないように開ける。家政婦のほとんどは当日の仕事を終え、既に自分達の家に帰っている時間であり、エントランスに人の気配はないはずだったが、ゆっくりと中へ足を踏み入れた瞬間、すぐに自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 「セシル様!」

 唐突な大声に少し背筋を竦ませながら、声の聞こえた二階の廊下を見上げると、階段の上からいつもの老紳士のような礼儀正しさを忘れたように、足音を立てながらこちらへと降りてくるカルネルの姿が見えた。カルネルはセシルの前に着くなり少し息を切らしながらも心配そうな声色と切れた息遣いで彼へと聞く。

 「国王との謁見、大丈夫でしたでしょうか。」

カルネルの本意からの言葉にセシルが一瞬怯むも、すぐに彼の目を見ながら答える。

 「ケイロス国王より内容については他言してはならないと申しつかっているので、申し訳ありません。安心してください、それほど大事ではありませんでした。」

 心配するカルネルに対し、優しさからセシルはそう嘘をつくと、彼の横を通り過ぎ自室へ向かおうとする。カルネルは心配そうにその背中を見ながらも静かに後を付き従いながら、歩き続けるセシルの鎧を器用に少しずつ外していく。いつもならば他の家政婦たちが立ち止まるセシルに行うその作法であるが、カルネルは歩きながらも淡々とこなしていった。

 「ならば良いのですが、ケイロス国王が召喚状を出すというのは、いままで例がございません。ですので、もしも何かあったらと思うと。」

 カルネルが手を止めずにセシルへ話しかける。セシルはカルネルの不安げな声色の言葉を聞き、ことの異例さを感じながら歩幅を少しずつ狭めていくと、次第に無言で立ち止まった。静止したセシルに対し、カルネルが心配そうに目を向ける。

 「セシル様。」

 「カルネルさん、母上は今いらっしゃいますか。」

 誰かに打ち明けられればという純粋な想いから、セシルがカルネルへ尋ねる。セシルからの問いにカルネルが外し終えた鎧を器用に纏めながら答える。

 「ラウラ様は本日ご友人の方々とお食事に出かけております。セシル様のお食事は食堂へご用意しておりますので、よろしければお部屋にお持ちいたしますが。」

 「・・・そうですか、分かりました。手間をかけるのも申し訳ないので、食堂に置いておいてください。あとで降ります。」

 少しの間の後セシルがそう応えると、カルネルはおよそ30kgはあるセシルの鎧を軽々しく両手で抱えながらその場で立ち止まりながら頭を下げる。

 「では食堂でお食事を温め直して参ります。鎧は清掃した後、お部屋にお持ちいたしますので。準備が終わりましたらお声掛け致します。」

 カルネルはセシルへそう伝えると、再び一礼をした後に彼の前から鎧を抱えながら去っていく。昔父から聞いた話ではカルネルの宿すオブリヴィオンは手に持ったものの重さを自在に軽減することができる能力があるということだった。

 一人で自室に入るなり、セシルがいつものようにベッドの上に身体を落とす。いつもの新しいシーツの匂いに顔を埋めながら、想いに耽る。王より言い渡された一ヶ月の猶予、この一ヶ月の間、自分はどんな思いで過ごすべきなのか。そして、エトランゼ王妃から告げられた明日の夜の約束、自分は一体、あの少女の何を知ることが出来るのだろうか。そんなことを考えていると、ふと関係のないことが頭の中をよぎる。

 「そういえば、母上と二人で食事をとったことはあったろうか。」


2.

 ケイロス王国ヴァンドレイク城王の間、装飾品やオブジェを除いて全てが純白の空間に置かれているたった一つの玉座に腰を掛け、ただ一人ある人間の到着を待ち続ける国王ダグベット・ケイロスがいた。手にはいつも抱えている古く汚れた革製のようなカバーで覆われた本を持ち、それほど時間の経っていない先ほどまでのセシルとの対面のときと比べれば、幾分姿勢はくだけているが浮かべているその表情は先ほどよりもかなり険しかった。

 抱えている本を決して読むことはせず、表紙の部分をただ手のひらで摩っていると、外から王の間の前に立つ王族自警隊の声が聞こえる。

 「お通しいたします!」

 その呼び声と共に、王の間の扉が音をたてながら開いていく。本の表紙から開く先に一瞬だけ目を向けると、その扉の隙間から見えたのは彩色に彩られた召物を身につけた侍女たちを従えながらも、自身は白一色の礼装に同じく純白の仮面をつけた王妃、エトランゼ・ケイロスの立ち姿だった。

 エトランゼが静かに王の間へ足を踏み入れると、侍女たちも後ろから決して王妃の前へ出ないようにその背中に付き従おうとする。そんな侍女たちへ向け、エトランゼが手のひらで待つように無言で促すと、その令を受けた侍女たちは王の間へ足を踏み入れず、扉の外で頭を下げ立ち止まった。こちらへとゆっくり歩いてくるエトランゼへは目を合わせず、ダグベットは手元の本へと再び視線を落とす。そしてエトランゼが王の間に入ると同時に、再び扉が音を立てながら閉まった。国王と王妃二人だけの空間、本へと目を向け続けるダグベットを白い仮面が無言で見つめる中、彼が目を向けずに口を開く。

 「何故呼び出したか、分かるか。」

 ダグベットは未だその手に本を抱えながら目の前に立つエトランゼへ目を向けずに問いかける。

 「分かりません。そう答えれば納得いただけるのでしょうか。」

 エトランゼもまた白い仮面をつけたまま淡々とした口調でダグベットへ言葉を返す。王妃は決して外部の人間には素顔を見られてはならない決まり、しかし夫であり国王であるダグベットに対してその決まりはない。

 その冷えきった返しにダグベットは白面越しのエトランゼへ目を向ける。表情の変わるわけのない仮面はこちらを一応向いていた。

 「・・・率直に聞く。セシル・ヴァーンハイトに何をさせようとしている。」

 「お答えすることはできません。」

 間を取らずにエトランゼがそう言葉を返すと、ダグベットは眉間をしかめるが、エトランゼはそれでも仮面を取ることをせずにただ仮面をダグベットへと向ける。

 「何故だ。何かうしろめたいことでも隠しているのか。」

 ダグベットがエトランゼへ先程の質問と目の前の態度を重ねてそう尋ねると、エトランゼは仮面のままダグベットに向き合いながら言葉を返す。

 「ない、と答えたとして信じていただけるのですか。」

 エトランゼの感情が籠っていないその言葉たちに、ダグベットはさらに眉間に皺を寄せる。

 「何故私に言えない。」

 「それが貴方の望まないことだからです。」

 エトランゼが淡々とした回答を続ける。しかし、その回答の意味をダグベットは察していた。いつの間にか彼が抱えていた本はいつのまにか消え、その手は玉座の肘掛けを強く握っていた。

 「私はこの国のために全てを捧げる覚悟がある。それが同時に家族を、あの子を守るということでもある。お前にも分かるはずだ。」

 「そのため、であれば、我が子を賭すことも許されるのですか。」

 ダグベットの言葉に対し、その空間で初めてエトランゼは起伏のある言葉を返す。語気を強めたダグベットであったが、エトランゼのその言葉に一瞬、彼女から目を逸らす。白面越しにその表情を見たエトランゼはダグベットへ言葉を続ける。

 「子を賭すというのは後ろめたいでしょう、それが実の子であれば尚更。だから言葉も返せない。この幾年もの間、貴方はあの子に会いましたか。あの子の声を聞きましたか。あの子と話しましたか。」

 エトランゼがそう言うと、目を逸らしていたダグベットが少し俯く。その少し居心地の悪そうな態度を見たエトランゼは、ダグベットの前に立って初めて顔につけた白面を外す。外した仮面を裾へ忍ばせると、仮面からも覗かせていたその紅い眼をダグベットへ真っ直ぐに向ける。

 「私はこの国よりも、私が産んだ子たちを守りたい。そのためならば全てを捧げる覚悟もございます。それが貴方を、この国を裏切るということであるならば、私はそれでも構わない。ただあの子たちが一人で生きてくれれば、この命を失うことさえ。」

 素顔を晒したエトランゼが言ったその言葉を聞いたとき、ダグベットが顔を上げる。国王たる役目を持つ自分、だからこそ「国を裏切る」という言葉は許せなかった。

 「私は父である前に王だ。王は国そのもの、家族とはこの国の国民でもある。大陸の争いが続く今、この国に必要なのは大国にも負けることのない絶対の強さだ。例え騎士団のように豪傑な軍を作ろうと、所詮小国は大国の技術と物量の手にかかれば簡単に潰されてしまうだけ、だが今、この国には大国と渡り合うことのできるかもしれない力を誰にも知られず手に入れことができる。王として、それは決して見て見ぬふりをできるわけがない。」

 先程よりも語気を強めエトランゼに返す。しかしエトランゼも引かなかった。

 「例えその絶対的な力を手に入れることができたとしても、それは禁忌とされ災厄を犯したものです。例え国のためとはいえ人が、己がためにその力を扱おうとすれば何が起きるかも分からない。まして、その依代は。」

 ダグベットに負けぬようエトランゼも声量を強めるが、その言葉に彼も怯むことなく返していく。

 「ウェインラッドに生きるものとして、火の時代を繰り返してはならないことなど誰にでも分かりきっている。だがその力がもたらすものも、また事実だ。だからこそ。」

 「私はその役目をあの子に負わせたくないと言っているのです!」

 「国がなくなれば、責を受けるのは我々王族、それは同時にあの子も失うことにもなる。国を守ること、それが子らを守ることとなるのだ。何よりその災厄が何を示すのか、お前の血は分かっているはずだ!」

 高まった語気にダグベットが立ち上がり放ったその言葉の後、エトランゼが初めて言葉を止める。互いに決して触れることをしなかった「エトランゼの血」をダグベットが言葉として放った今、二人の間の何かが途切れた。

 静寂に包まれる王の間の中、そこには何もなく二人の荒げた息遣いだけが聞こえていた。少しの間の後、エトランゼは外した仮面を裾の中から再び手に抱えると、仮面へと目を合わせながらもダグベットへ向けて言った。

 「あなたは何をそこまで恐れているのですか。それほどまでに聡明であり続けることで、知らないことを決して抱えようとしない。だからあの子たちとも向き合わない。自分の知らないことを知るのを恐れているから。」

 エトランゼはそう言うと、外した仮面を再びつける。エトランゼのその言葉にダグベットは俯いたまま再び玉座に腰を下ろすと、エトランゼは扉へと向き直り歩を進める。そして扉が開く直前、ダグベットへ言葉を残した。

 「私はあの子にあげたい。ただの力としてじゃない、あの子があの子として選んだ道を。あなたがやろうとしていることは国を守るという大義のためにその家族を裏切ることと同じです。ならば、私は戦います。ひとりの、母として。」

 エトランゼはそう言い残し王の間の外へと出ていく。彼女の去った後、ただ一人立ち尽くすダグベットの手には先ほどまで持っていた本が再び戻っていた。

 「裏切ったのは、お前の方だろう・・・。」

 そう言うと、ダグベットはその本をゆっくりと広げた。その本の名は「愚かな行為(バイコーン)」、ダグベット・ケイロスの持つケイロス一族の長兄が受け継ぐオブリヴィオンだった。


3.

 ケイロス王国領シュナガスタ、ケイロス王国東門から真っ直ぐに進み、コミノス平原を越えた先にあるそこはケイロス領、中立領、ノクティル領の境目に位置する村であり、ケイロス王国領のなかでは最東端の地であった。主に旅人の宿場としての役割を持つシュナガスタはケイロス領でありながら関門がなく、他国のさまざまな人々が自由に出入りをしていた。それは元々シュナガスタの地が中立領であり、領地となる際にケイロス王国との間に「現在の村の形のままとして欲しい」と当時の村長セクル・アトノーマ含む村民の多くがそう願ったからであった。当時のケイロス国王、ダグベットの先祖に当たるガフマイン・ケイロスはこれを了承し、これによりシュナガスタはケイロス王国の領地でありながら自由な発展を続けていた。

 シュナガスタの歓楽街にある小さな飲み屋「サリタ」には基本客はいない。無愛想な店主が行う店で料理の味も特段美味というわけでもない、そんな店にも関わらず今日は珍しく3人組の客が店の中、一番奥のテーブルに座っていた。飲み屋でありながら酒は頼まず、入店した際に頼んだ水と軽食だけがテーブルの上にあるが、料理がテーブルに運ばれてから一向に手をつける気配もなく三人ともただ黙って席に座っていた。店主も怪しく思い、違和感のないよう視線だけをチラチラとその席へ向けていたとき、店のドアが不意に開いた。

 「あ、いらっしゃい。」

 店主が怪しい三人組の席から目をドアの方へ向けると、そこには大きなフードを被り顔はおろか姿すらよく見えない人物が店に入ってきていた。その怪しい格好を見たとき、直感からその人物は男たちの連れであろうと店主は察した。予想通り、そのフード姿の人物が男たちの座る四人掛けのテーブルの空いていた席へと腰をかける。店主が水を持っていくと、その人物は手のひらでそれを断るように店主の前へ向ける。そのとき、一瞬見えた手の甲には見慣れない花の刺青がはいっていた。

 「で、どうなんだ。」

 店主が水を持ちながらカウンターへ戻り始めると最初にきていた三人のうち、他の男たちと比べて体格が良い一人がフードの人物へと言った。雰囲気からあまり良い話題ではないことは感じたが、争いの時代、特段気にすることもなかった。

 「まずは其方の報告を聞かせて欲しい。」

 フード姿の人物が正面の男へそう言うと、横の長髪をした男が割って入ってきた。

 「邪魔は入ったが、あんたが欲しがっていたものは手に入れた。ただ、ケイロス領の中で人死を出したせいで少し騒ぎが大きくなるかもしれない。」

 「故人の報告は出ていない。恐らく生きてはいるだろう。もしくは、死んだことさえもかき消されたか。」

 フード姿の男はそう言いながら自身の服の中に手を入れると、中から布製の小さな布の袋を取り出し、それを彼らの前へと差し出す。それを見た正面の男は長髪姿の男の対面、フード姿の人物の横に座るスキンヘッドに仮面をつけた男に無言で合図をする。合図を受けたスキンヘッドの男は、こちらも封筒に入った何かを抱えていたバッグの中から取り出す。屈強な男はフード姿の人物が差し出した布袋を手に取り、中身を取り出す。店主が横目でそのやり取りを見ると、布袋の中に入っていたのは到底一平民では買うことのできない高価な鉱石の原石だった。中身を取り出した布袋をフード姿の人物へと返し、フード姿の男は逆に受け取った封筒の中から古い紙切れを一枚取り出し、テーブルの上の明かりで透かしてみせる。

 「悪いが俺たちにはあんたが欲しているものが本当にそれなのかは分からない。だが、言われた通りには受け取った。」

 屈強な男がフード姿の人物へそう告げる。フード姿の人物は透かした紙切れを再び封筒の中へとしまうと、無言でそれを自身の懐へ入れる。やり取りの最中、長髪の男が興味本位でフードに手をかけようとしたとき、屈強な男がその手を掴み静止させる。

 「止めろ。仕事をもらったからにはそれを遂行し、それ以上は詮索しない。それが俺たちのルールだろう。」

 鋭い目で腕を掴みながらそう言うと、掴まれた方は血の気が引くのを感じ、ゆっくりとその手を自身の膝の上へ戻していった。

 「俺たちはこれで引き上げる。これ以降は絶対にそちらからは連絡を取ってくれないよう。」

 屈強な男はそう言うと、テーブルの上に置かれていた軽食を手掴みで取りながら店主の前を通り過ぎ店のドアの方へと歩いていく。

 「お代は彼に貰ってくれ。」

 店主へとそう言って店の外へ出ていくと、それについていくように他の二人も店の外へと出ていった。店内には店主とそのフード姿の人物だけになり、店主は少し気味悪がりながらも目の前のカウンターを拭いていると、フード姿の人物が無言でカウンター越しに店主の方へと向かってくる。

 「な、何か。」

 店主が少し緊張しながらそう聞くと、男は先程受け取っていた封筒の表に何かを書くと、その上に何かを載せて店主の前へと差し出した。差し出された封筒に店主が目をやると、封筒の上には半年は働く必要のないほどの金貨が添えられていた。

 「・・・。」

 見たこともない大金に店主が唾を飲むと男は店主に言った。

 「この封筒を公益配達口へ出しておいて欲しい。上の物はお代と合わせて駄賃として受け取ってくれて構わない。」

 フード姿の人物はそう言うと、店主の返事を聞かずにその封筒を置いたまま店を出ていく。公益配達口とは主に中立領が運用している書簡の配達を行う機関の名称である。便箋に専用の有料付紙を貼れば一部の国を除いて誰でも何処へでも配達することができるため、この時代において広く扱われていた。

 目の前の状況はまるで餌を吊るされた魚のようにきな臭くはあったが、ただ配達するだけで目の前に積まれた金貨を受け取れるならば背に腹はかえられぬと、店主は封筒を自分の側へと寄せ、上の金貨を店の金庫へと入れる。店主が封筒に書かれている宛先を見ると、そこには中立領ルネリスの代表庁舎の宛名が書かれていた。

 「・・・美味いものでも食べにいくか。」

 店主はそう言うと封筒を自身の懐に入れ、店のドアにかけられた営業中を意味する看板を店の中へとしまうと、何処かへと出かけていく。その日から、店主は店へ帰ってくることはなかった。

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