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オブリヴィオン -忘却の戦史-  作者: 長谷 治
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第六話 志と罪の話

 国王から国外追放か死刑の二択を迫られたセシルは、その選択と自身の口からでた本音を思い起こす中、王女エトランゼより自身の本心を聞かれる。

 「もう一度あの少女に会いたい。」と望むセシルへ、エトランゼは「明日の晩にあの場所へ来るように。」と伝える。

 その頃、中立領ルネリスへと訪れていたフィデルら一行はルネリス代表グアマン・サルヴァンよりあることを告げられていた。

 私が世界に気づいたとき、目の前に広がっているのはいつも暗闇だった。何も見ることのできない真っ暗な世界が私の生きている世界、一体何が目の前に広がっているのかも分からない中で私は生きていた。でも、何もないそんな世界であるにも関わらず寂しさは感じなかった。だって、あの人がいつも私のそばにいてくれたのがわかったから。

 あの人は、何も見えない私に色々なことを優しく教えてくれる。朝、昼、夜、水、火、生、死、肌と音でしか感じることのできない私にあの人は「いつかの日に世界を見たときのため」といつも優しく教えてくれた。でもひとつだけ、いくら聞いてもあの人が教えてくれないことがある。


 私にいつかの日の話しをするとき、何故そんなにも哀しい表情をしているのか。


 聞いてもはぐらかされてしまう日々、そうやっていつも同じ問答を繰り返していた。

 ある日、あの人が言った。

「外の世界を知りたい?」

 その言葉に私は大きく頷いた。その日、初めてあの人以外の誰かが来た。救いたかった。話したかった。初めてあの人以外の誰かと出会ってそう感じる。初めての気持ちをあの人に伝えたとき、あの人は悲しそうに笑った。


1.

 中立領ルネリスの代表庁舎執官室の中、大きく空いた壁や床の穴は一時的に粘度の高い白砂(サハ)で埋められ外からは辛うじて見られず、プライバシーが守られていた。その室内にある、革製のカバーが破け中の黄色い生地の一部が見えているソファに腰をかけているフィデル・ヴァーンハイトとザルク・メンフィス、その後ろで姿勢を正しながら立つサイ・ローレッタとマルコ・マーレイは、テーブルを挟んで置かれている同じような破れかけのソファへと座る神妙な面持ちのルネリス代表、グアマン・サルヴァンへ黙って目を向けていた。

 グアマンが突然口に出した「刻版」という聞き慣れない単語にザルクやサイ、マルコが反応できないでいる中、フィデルが最初に口を開いた。

 「『刻版』、確か『ヨグ・ヘキア』の中で小人たちが火の時代の災厄を忘れぬように刻んだ壁画、でしたか。」

 神妙な面持ちのグアマンへフィデルがそう尋ねるように言うと、グアマンは真剣な面持ちを崩さずにフィデルの目を見た。その砕けのない表情に少しの緊張がフィデルの背筋に走った。

 「確かに、『ヨグ・ヘキア』の中ではそのような描写がされています。しかし、実際の『刻版』は違う。本来の『刻版』とは、三霊を告げるために古き時代に魔女たちが作成したもの、そしてそれは『三霊の存在を我々に告げるもの』と伝えられています。」

 グアマンはフィデルへと目を合わせながらその場にいたものたち全員へそう答えると、ゆっくりとソファから立ち上がり、自身の机へと向かいながら言葉を続けた。その「魔女」というあまり聞く機会のない単語に彼らは未だ黙っていた。

 「かつて小人たちは神より三霊を与えられ自身の力とした。しかし、結果的には異なる力は派閥を生み、そして他者の得た力を求めたことで争いが生まれ、それはかつての大陸を滅ぼした、それが『火の時代』。そして、その力の恐ろしさを知った『観測者』であった魔女たちは二つの道具を作りました。」

 そう言うとグアマンは自身の机の引き出しを開け、その中にある封筒のようなものを取り出した。そしてソファへと再び戻ると、フィデルと挟むように置かれているテーブルの上へ、持ってきた何かを彼に差し出した。フィデルが置かれたものを取り上げて見ると、それは封筒のような形をしており、中に何かが入っているのが手にとって分かった。しかしその封筒のような入れ物には、どこにも中のものを取り出すための切れ目どころか、入れた止め跡さえなかった。その構造を不思議に思い、差し出された面と逆の面を見ると、そこには紫の色の蝋印のようなものが押されており、その蝋印はまるで脈打つように蠢いていた。グアマンがその蠢く蝋印に自身の手をかざすと、蝋印は次第にその姿薄くし消えていった。

 「私のオブリヴィオンはあらゆるものを封印し、私の許可なくそれを扱うことができなくなります。例え力ずくにそれを開けたとしても、その開けようとしたものにこの蝋印が刻まれ、それは即効性のある毒となると共に一瞬で中の物を消失させる。この力があったからこそ、彼らには私の同意が必要だった。例え刻版を手に入れたところで、この力が働いていれば意味を為さなくなる。」

 蝋印の消えたそれは次第に封筒の形へと変わっていき、一般的な封筒の形となったそれをフィデルが丁寧に開封する。中にあるものをゆっくりと取り出してみると、それは何かが描かれた一枚の紙だった。フィデルが見ると、そこには羅針盤のようなものが三つ描かれており、それぞれに翼、鎧、鎖が中央に描かれていた。

 「これは。」

 フィデルがそう呟くとグアマンがその紙へと目をやる。

 「本物の『ヨグ・ヘキア』です。と言っても、一部ではありますが。」

 そのグアマンの言葉にフィデル含む全員が驚きの表情を見せる。しかしグアマンは気にする素振りもなく言葉を続けた。

 「先程も言ったように、魔女たちは二つ道具を作りました。そこに描かれていますのが『刻版』、三霊の存在を告げるための時を刻み続けるもの。そしてもうひとつ、そこにはありませんが『真理の術具』、三霊が顕現したときに必要とされる、魔女たちが生み出した最初の術具。」

 グアマンはそう言うと、フィデルへ裏面を見るように促す。フィデルは促されるがままに紙を裏返すと、そこには古式文字(ヨグ・カリテ)が用いられた文章が裏面一杯にびっしりと書かれていた。古式文字はあまり得意ではないフィデルだったが、辛うじて右下に書かれている「ザレイン・ガッド」というサインだけを読むことができた。

 「全てを読むことは正直できません。しかしそこに書かれた文の一部を要約すると、魔女たちは三霊を恐れ、その力に抗うために先程言った二つの道具を作った。三霊の存在を告げるための刻版と三霊の力に何らかの影響を与えることのできる真理の術具、そして刻版を一人の小人に与え、真理の術具は自分達である場所に秘匿とした、そう書かれています。」

 グアマンが古式文字で書かれた文を説明しフィデルが目の前の「ヨグ・ヘキア」の一部へと意識を集中していた、そのときだった。

 「ちょ、ちょっと待ってください。魔女だとか小人だとか、三霊とか一体何なんですか。そんなの全部昔の御伽噺でしょう。」

 突然マルコが動揺した声色でそう言い放つ。無理もなかった。三霊という存在を言い伝えでしか聞いたことのない人間が、それが実際に存在し、さらには魔女などという非日常的な単語があたかも周知の事実のように語られたのだから。グアマンはマルコの言葉を聞くと、無言でフィデルへと目を向ける。その目の意味を、フィデルは察した。

 「全てが事実、そう言いたいのですね。代表は。」

 フィデルの悟ったようなその言葉にグアマンが黙って頷く。そのやりとりを見たマルコの動揺はさらに激しくなり、落ち着きのない表情でその場にいる全員へ声を荒げ言った。

 「そん、そんなことあるわけないでしょう。俺だって三霊の昔話は子供の頃、うちの婆に何度も聞かされたことがある。でも所詮は作り話だ。そんなもの、いる訳がない。」

 マルコは動揺しながらそう言うと、隣に立っていたサイへと同意を求めるように目を向ける。しかしサイの目はグアマンへ静かに向いており、一瞬の沈黙の中で生唾を飲み込む音が丁度よく聞こえた。その表情を見てマルコの動揺はより激しさを増し、再び何かを言おうとしたとき、割るようにグアマンが口を開いた。

 「では、何故ウェインラッドに生きるものたちだけがオブリヴィオンを持つのか。何故ウェインラッドに三霊の伝承があるのか。何故、ウェインラッドの生きるものたちは大陸の最内にある白海へと近づいてはならないのか。何故術具などというものが生まれたのか。あなたには、全て説明できますか。」

 グアマンの割り込んできたその質問にマルコが言いかけた言葉を止める。するとグアマンは一度その目でマルコと目を合わす。その睨みつけるような真剣な表情に、マルコは自分の鼓動が早くなっていることを感じる。そしてグアマンはフィデルを正面に、その場にいる全員に向かって自分の問いかけに対しての答えを述べた。

 「三霊は古の時代にこの世界でたしかに存在しました。ウェインラッドの人々だけがオブリヴィオンを宿すのは、三霊を宿した小人たちの中で火の時代の訪れを恐れ、地を逃れた一人の小人がウェインラッドの最初の民であったから。『観測者』としての意味を持つ小人とは源流の異なる魔女たちは三霊の力を持つ小人たちを恐れたからこそ術具を作り、また三霊を得ながらもその力故に争いを起こし数を減らした小人たちも同じように魔女たちを恐れていた。だから小人たちは彼女らを決して外へと出てこれぬよう死の海で地への道を閉ざした。しかし一部の小人と繋がっていた裏切り者の魔女は小人と共に大陸を渡り術具を伝えた。繋がっているのです、ウェインラッドという大地の始まりは三霊の伝承全てに。」

 グアマンが自身からマルコへ問うたものへの答えを全て示す。その全てに対しての解答に、マルコ含めフィデルたちは沈黙したままグアマンの目をただ見続けていた。するとグアマンが彼らから視線を落とす。

 「刻版が何処にあるか、お伝えすることはできません。しかし、実際に刻版は私が所有しております。誰にも見つからぬように、誰の手にも届かぬように。誰にも知られぬように、そう思っていました。しかし、ノクティルのあの男はそれに感づき、針が動き始めたことさえも知っていた。」

 グアマンの言った「あの男」とは恐らくアグリッサ・キャンベルのことで間違いないだろうと、フィデルとザルクが内で思う。

 「先程もお伝えした通り、このような悲劇を伴ったのは他でもない私自身の責任です。刻版を守るため、ルネリスの民の意向に背き今までと同じようにあり続けようとした結果、ノクティルの企みもその裏にあったものも先んじて気づくことが出来なかった。そのせいでこれほどの犠牲を払ってしまった。しかし、それでも私は自分が正しいと信じたい。傲慢な考え故、誰かにそれを客観視して欲しかった。」

 グアマンはそう言うと、再び彼らに顔を上げる。

 「・・・刻版には、三霊の存在を告げること以外にもうひとつだけ、伝えられてきたものがある。そして、それこそが私が最も恐れているものでもあるのです。」

 少しの間の後、グアマンが呟くように声を小さくして言った。その声色の違いにフィデルが思わず聞き返す。

 「それは。」

 フィデルの問いに、グアマンは一瞬悩みながらも言った。

 「・・・『全ての針を重ね、三霊が刻を同じとしたとき、災厄が訪れる。』その意味、分かりますか。」

 グアマンのその言葉の後、フィデルが思わず『災厄』という単語に結びつきを感じ、ある言葉をつぶやいた。

 「火の時代・・・。」

 フィデルが呟いたその言葉にグアマン以外の人間がはっとした表情でフィデルを見る中、グアマンが最も神妙な面持ちで黙って頷いた。かつてあったとされる『火の時代』、もしそれが『ヨグ・ヘキア』や老人たちの御伽噺、そしてグアマンの語ったものと同じ意味なのであれば、それが意味するものは大陸の完全なる破壊、終わりのない争いの時代を現すものであり、その結末はウェインラッドに生きる人間であれば皆が知っているもの。だからこそ、決してあってはならないものだった。

 「鎧の刻まれた針は中央で止まり続け、鎖の針は私が受け継ぐ前からずっと動き続けていた。そして外を向いていた翼の針が今、新たに動き始めた。その意味が分かりますか。」

 「刻み始めたのです、火の時代までの刻を。だからこそ恐ろしかった、自分だけしか知らないこの事実を抱え続けることが。今までのサルヴァン一族でこの思いをしたのは私だけなのだから、正解など分からなかった。何をするべきなのか、何が正しいのか。その中あの男を見た瞬間、直感で感じた。あの男は間違いなくこの事実を正しいことに使わないと。だからこそ知って欲しかったのです。」

 グアマンがそう言いきったその瞬間、不意に部屋のドアが音をたて開く。見ると、部屋の外へと出ていたカシムが五つのグラスを乗せたお盆を右手に抱えドア開け部屋へと戻ってきた。カシムが部屋に入るとグアマンは一変して姿勢を正し顔を上げる。カシムはグアマンから順にフィデルたちの前へ順番にカップを置いていく。フィデルがカップの中に目を向けると、そこにはぎりぎりコーヒーと呼べる薄さの液体が入っており、氷は既に溶けかけていた。

 「非常用の嗜好品で申し訳ございませんが。」

 カシムがフィデルたちに申し訳なさそうに言った。グアマンはカシムの言葉の後に、カップに口をつけて少しだけ飲むとカップを置き、一周するように手のひらでカップを指し示した。

 「安心してください。味は悪いかもしれませんが、毒ではありませんから。」

 グアマンが促すようにフィデルたちに言った。グアマンが言葉の後カップを置いたとき、グアマンが行ったその一連の動作の中に何か違和感をフィデルが感じた。唯の手癖かとも思ったが、疑念を抱いたフィデルはカップを覗いた視線を戻すときにさりげなくカップからグアマンへと視線を移す。そのとき、グアマンの視線は真っ直ぐとフィデルを見ていた。その目とその違和感が、確証はないがあることと結びつくことに気づいたとき、フィデルは右手で持ち上げたカップに口をつけ、礼儀として一度だけコーヒーを啜るとソファから立ち上がった。

 「もう少しゆっくりされては。」

 フィデルが持ち上げたカップをテーブルへ置き立ち上がると、グアマンが静止する様に呼び止める。

 「いえ、先ほどのお話、こちらの国でも何かできないか相談させていただきます。ルネリスへは何か有事が起きた際にいつでも状況の確認ができるよう、騎士団の人間を誰にも分からぬように滞在させていただきますので。」

 「わざわざそんなことまで、本当にありがとうございます。受け入れていただいている倅のことも、よろしくお願い致します。」

 フィデルの言葉にグアマンは改めて礼を返すと、再びフィデルへ左手を差し出したので、その手をフィデルが握る。フィデルは先程の違和感を確認するため、握った左手の中指で二回グアマンの甲を軽く叩くと同時にグアマンへ顔を向けた。そのとき、グアマンはフィデルにしか分からぬように目線であることを訴える。その目から先ほどの違和感が気のせいではないことを確証すると、フィデルはグアマンに対して違和感のない表情で頷くと同時に、一瞬目を右後方に立つカシムへと向けた。

 「後から行きますので、お先に外でお待ちください。グアマン代表、少々お時間よろしいでしょうか。」

 カシムがそう言うと、グアマンがカシムへ振り返る。その様子を見ながらフィデルは執官室の扉から外へと出ると、ザルクたちもグアマンらに一礼し部屋の外へと出ていった。

 カシムとグアマンを部屋に残し廊下へ出ると、ゆっくりと歩きながらザルクがフィデルへ話しかける。

 「代表の話、本当だと思われますか。」

 ザルクがフィデルに対し聞くと、フィデルは歩きながらその問いに答えた。

 「・・・俄には信じがたい。だが、ノクティル侵攻時の不自然さを裏付けるものとしては十分すぎるほどに合致する部分があるのも事実だ。」

 フィデルはそう言うと、ザルクがフィデルへ尋ねる。

 「アグリッサ・キャンベル、少し深く探りを入れる必要がありそうですね。」

 フィデルはザルクのその言葉に黙って頷く。

 「しかし、何故急に戻ろうと、もう少し話すこともあったのではないでしょうか。」

 サイが歩きながらフィデルへ聞く。その言葉を聞いたフィデルは後ろを歩いているサイとマルコに対して側に寄るよう指示した。指示を受けたサイとマルコがフィデルの側へ寄ると、彼は三人にしか聞こえないほどの声で小さく言った。

 「イングラスにカシム・アルカートを探るように伝えろ。それと、グアマン代表の親族は決してダッフェルバウンからルネリスへ帰すな。」

 フィデルのその突拍子のない囁きに三人が驚いた表情を浮かべる。

 「どういう、ことでしょうか。」

 サイが戸惑いながらフィデルへ聞くと、フィデルは前へ向き直り、三人にだけ聞こえるように答える。

 「昔の軍では、今のように伝達を行うための道具というものがほとんどなかった。だから兵たちは裏切り者を探るため、国ごとに自身の体を使ってさまざまな指示を言葉代わりの暗号として使っていた。」

 サイ、そしてザルクやマルコたちが耳を傾ける中、フィデルが言葉を続ける。

 「ケイロス王国で扱われていたその暗号のひとつに『(リタ)』というものがある。戦局において重要な人物の命を守るため、人命を一とする際に用いる戦略の暗号だ。そしてそれは、このように自身の前で手のひらを上に向け、円を描きながら回すようにして味方へと伝える。」

 フィデルはそう言うと、自身の左手の掌を上向きに突き出しそこから時計回りに一周、その手を回してみせた。その一連の手の動きを見て、ザルクが何かに気づいた。

 「それは。」

 勘づいたザルクに対してフィデルが答える。

 「・・・サルヴァン代表は我々にその動きをしてみせた。これを知っているのはケイロスの人間でも古い軍式を知るものだけだ。現にあの場にいた中で私だけしかそれを察することができなかった。」

 フィデルが見せたその動きは、先ほどグアマンがフィデルたちにコーヒーを振る舞おうとカップの上で描いた腕の動きそのものであった。

 「偶然かとも思ったが、あの左手を握ったときに確証した。何故サルヴァン代表がケイロスのそれを知っているのかは分からない。だが、代表は我々に『籠』を伝えた。あの場にいる誰かに気づかれぬように。」

 フィデルの言葉、あの場にいる自分達以外の誰か、該当する人間はたった一人しかいない。そのとき、ザルクがフィデルへと聞いた。

 「・・・しかし、だとするなら席を外していたときにこちらへ伝えればよかったのでは。」

 ザルクがそう言うと、フィデルは前を向きながらも声のトーンを少し落として答えを返す。

 「本当に、カシム・アルカートはあの瞬間席を外していたと思うか。」

 「え。」

 思わずフィデルの話を聞いていた三人がほぼ同時に呟いた。

 「推測ではある。しかし、恐らくあの男は自分が席を外していると思わせておいて、我々に対しサルヴァン代表が助けを求めると思っていたのではないだろうか。中立領からそのような要請を出してしまえば、企む人間たちとしても都合が良いからな。」

 フィデルがザルクたちへ自身の憶測を語る。しかし、その憶測は理にかなっていた。最低限の戦災支援しか行うことのできない中立領という立場の人間が一国に対し救援を求めるのは、協定の中でも決してあってはならないものだった。もし加担すれば、それは協定違反とみなされ諸外国側から「傾国支援」を疑われるのは間違いなく、そうなればノクティルにとってルネリス侵攻の口実に「丁度良い理由」を与えてしまうのだった。

 「しかし、それをサルヴァン代表が分かっていたのだとすれば、何故『刻版』のことを我々に。」

 話しを聞いていたサイが横からフィデルへ尋ねる。その質問にもフィデルが答えた。

 「『刻版』についてはおそらく敢えてやつに聞かせたと考えるべきだろう。我々が『刻版』の情報を持ったと知れば、ノクティルとしても表立って動き辛くなる。全て裏に『三霊』の何かが関わっているのではないかと思われるからな。いわば奴らへの予防策だ。」

 その言葉を三人が真剣な面持ちで聞く。そしてフィデルが言った。

 「そして最後の代表の言葉、わざわざ領民ではなく『倅』と名指ししたということは、おそらく『籠』の対象は彼だ。わざわざダッフェルバウンへ彼を移動させ、その上で代表は我々を呼び出した。保護しているサルヴァン代表の息子、彼に何かがある。そして、それを知るのは現状代表と我々だけということだ。」

 フィデルがそう言ったとき、何かに気づいたザルクが焦るようにフィデルへ言った。

 「待ってください。であれば今サルヴァン代表とカシム・アルカートを二人きりにするのは危険ではないですか。『三霊』の情報をこちらに流したと知ったのなら、ノクティル側にとっては今のサルヴァン代表は邪魔な存在でしかない。それに、体制への不満がこの事態を起こしたひとつの理由なのだとしたら。」

 その言葉にマルコはハッとした顔をすると同時に誰よりも早く執官室へ戻ろうと後ろを振り返る。そのとき、振られた腕をフィデルが力強く握り止め、彼が戻れないように静止した。

 「何故ですか!ヴァーンハイト二位!」

 マルコがそう言ったとき、フィデルは決して表情に変えずに彼の目をじっと見た。その意味を、横から見ていたサイは理解し呟いた。

 「・・・代表はそれほどの覚悟、ということでしょうか。」

 サイの言葉にマルコがフィデルへ目を向ける。マルコの猛りが治まりつつあるのを感じると、フィデルは手を緩めた。

 「・・・内通者に対して裏の真相を気づかせないためにはわざと表立った動きをする必要がある。それに、その真相を知らない者でも今のルネリスの体制に不満を持つものは多い。ノクティルの手を届かせず、ルネリスの存続を繋ぐためには正統後継者の安全を確保した上で、敢えて矢面に立ち、その矢を受けるしかない。サルヴァン代表は分かっているからこそ、こうしたんだ。」

 フィデルは三人へそう言うと、マルコが下へ俯く。やるせない気持ちが、人一倍に正義感の強い彼の中に込み上げると、その感情は目の前にあった木の板を殴らせた。

 「・・・救える命を、見捨てるんですか。」

 マルコが感情を押し殺すように呟く。その言葉にフィデルが目線を鋭くし、返した。

 「見捨てるんじゃない。見守るんだ、託した命を。」

 フィデルのその答えに、マルコは自身の感情と同じように、本当にゆっくりと握った拳を解いていく。

 「大義のために、必要な犠牲もある。全てを救えたとしても、器の大きさを変えることはできない。ならば、せめて望みを叶えるのが最上の礼儀だ。」

 フィデルはそう言うと前を向き直り、歩き始める。その後ろをザルク、サイが付き従い歩いていく。その背を真っ直ぐ見ることのできないマルコは、下を俯きながらもその後ろを歩き始めたとき、執官室のある奥の方からカシムが一人こちらへと向かって走ってくる音が聞こえた。


2.

 日は既に暮れた夜、囲んでいた騎士たちがヴァンドレイク城第一層へと降りると同時に無言で立ち止まり、セシルの前を歩いていた騎士が横へとずれる。セシルは騎士たちの横を通り過ぎざまに騎士たちへ一礼をすると、先程アルヴァスと登ってきた第一層への大階段を、ゆっくりと一人で降りてゆく。下を見ると、未だに疎ではあるが人々の視線はこちらへと向いており、その視線を掻き分けるように足を動かしていると、いつのまにかゆっくりと歩いていた足は急ぎ足のようになっていた。急ぎ足のまま、来たとき通った門ではなく、門の脇に設置された小さな扉から一人でヴァンドレイク城から外へと出ていく。

 外に出ると既に城外は暗闇の中にあり、もう皆が寝始める時間であることを察した。王との謁見、王女との謁見、そして言い渡された生と死の二択、多くのことがのしかかるも昨日までと違い、気持ちが何故か軽いのはケイロス王に対して溜め込んでいたものを全て吐き出したからであろうと思った。最もその選択をするべきではない存在にそれをぶつけたことを思い出すと、その無礼すぎる振る舞いが少しおかしく思えてしまい、口を片手で覆うと少し笑ってしまったが、昨日よりも少し自分らしくある気がした。

 ひとまずは屋敷へ帰ろうと、城の外にある外門から城下街へ出ようとしたとき、右脇にある来賓者の鑑賞用に整備された花園へ目が向いた。見ると真っ暗闇の中、ガーデンハウスの小さな明かりに照らされた人影が一人立っていた。妙に思いその姿へ寄っていくと、それは何か抱えながらガーデンハウスからちょうど出てきたと思われるアーデル・カルムフェントだった。

 「誰だ。」

 寄ってくる気配にアーデルは気づくと、警戒するように呼びかける。

 「カルムフェント四位。」

 近づいてくる人影から発せられる知った声に、アーデルが肩の力を抜く。

 「セシルか。こんな時間にどうした。」

 セシルだと分かると、アーデルは抱えたものを弄り始め、セシルを見ずに話しかけた。

 「カルムフェント四位はご存じないのですか。」

 セシルがアーデルの言葉に問いかけると、アーデルは考える素振りをみせる。

 「ああ、召喚状の件か。話は聞いているがそこまで興味もない。それにここにいるということは大事ではなかったのだろう。」

 アーデルのその言葉に一瞬顔が引き攣る。大事がないわけではない。今、自身は国外追放か死刑の二択を迫られている。しかし、抱えていた思いを全て吐き出せたことで幾分気持ちが軽くなっているのも事実であり、自分の中である程度の抱えきれないことはない状態でもあった。

 セシルのその一瞬の表情の変化にアーデルは気がつくと、敢えて気づかぬふりをして手に抱えていたものを脇に置かれた小さなガーデンテーブルへと置く。入口の上にかけられている薄暗いガーデンハウスの明かりにあたったそれを見て、セシルが聞いた。

 「それは。」

 「ああ、花園の手入れをな。庭師に任せてはいるが、自分の手でも時々手入れをするんだ。まあ、いつもこんな時間からになってはしまうが。」

 アーデルが置いたそれは、花に水をまくために使われる鈍い銀色をした小さい鉄製の道具シャローだった。

 「この花園はベルノール様がお生まれになった日に記念として造られた。そのときからここの整備はダンテール一位より私が一任されている。庭師へ任せきりでも良いが自分の目で見ないと、こう落ち着かなくてな。」

 アーデルはそう言うと、置いたシャローへ胸ポケットから取り出した何かの薬品を注ぐ。花園がここにあるということはもちろん知ってはいたが、それがベルノール様の生誕を記念に造られたことをセシルは知らなかった。そして何より、その手入れを時折アーデルがやっていることなど知るはずもなかった。

 「カルムフェント四位は、花がお好きなんですか。」

 「・・・ああ。」

 セシルの何気ない問いかけに、少し間を空けながらもアーデルが肯定する。

 「母が好きで、よく家に飾っていたんだ。だが母は買ってくるだけで世話をしようとはしない。だから私が代わりに世話をしていた。」

 アーデルはそう言いながら薬品を注いだジョウロを再び持ち上げる。

 「花が咲くと喜ぶんだ。私もそれが嬉しくてな。・・・今にして思えば、見ようとしなかっただけなのかもしれないな。」

 続けて言ったアーデルの言葉は次第に小さくなるせいで後半の部分を聞き取ることができなかった。

 「こうやって花園で水をやるときが一番落ち着く。剣や盾を握りながら血の匂いを嗅ぎ続けているときよりも、ずっとな。」

 アーデルはそう言うと、抱え上げたジョウロを持ちながら花園の中へと向かう。その後ろをついていくように、セシルも花園の中へと入っていった。

 花園は毎日庭師が手入れしているだけあり、綺麗に手入れが施されていた。入口のゲートには蔦状の植物が白色の花を無数に咲かせながらゲートに縁取られたアーチに巻き付いており、花園の中心には大きな噴水と、それを囲むように色とりどりの花が咲いていた。その咲いている花の根ひとつひとつにアーデルは先程薬品を注いだジョウロで水をかけていき、その様子をセシルは側から見ていた。

 「わざわざ他国から輸入している栄養剤だ。これだけは庭師じゃなくて自分でやりたくてな。」

 アーデルはそう言いながら笑みを浮かべ、ゲートの花へ水を撒いていく。アーデルは元々セシルの直属の上官にあたり、セシルが六位となるまではアーデルの側で様々なことを学んでいた。そのため騎士団の中ではバセットとフィデルに並んで数少ないセシルを下の名前で呼ぶ存在であり、そして当時フィデルの部隊にいたセシルの秘密を知る存在の一人でもあった。

 「戦えない年になったら、こうして庭師に専念するのも悪くないな。」

 アーデルがぼやくようにそう言うと、その言葉を聞いたセシルがアーデルへ聞いた。

 「カルムフェント四位は何故、騎士となったのですか。」

 セシルの言葉にアーデルの手が止まる。そして、同時にセシルの方を見た。

 「どうした急に。」

 「いえ、ただ聞いてみたく。」

 セシルがそう答えると、少しの沈黙がうまれた。

 「・・・私には選択ができませんでした。ヴァーンハイトとして生きるためには、騎士となるしかなかった。今の私は迷っています。自分の剣が何のためにあるのか、それは果たして本当に自分の望むことなのかと。」

 セシルがそう想いを吐露すると、アーデルは少し悩みながらも花に水を再び与え始める。流されてしまったのかと思ったが、少しの間の後アーデルが口を開いた。

 「・・・私はこの国に生まれ、この国で育った。しかし、家系のある良家の出身というわけではない。唯の平民、いやそれ以下かもしれんな。母は夜に身体を売り、父は誰かも分からなかった。」

 アーデルの語る言葉をセシルは黙って横で聞く。

 「幼い頃より母は自分に向き合うことをしなかった。そのせいで少年時代は荒んでいた時もあった。今にして思えば、ただ迷惑をかけて、母に自分を見て欲しかっただけなのかもしれない。だが、母が私を見ることは決してなかった。」

 シャローから落ちる水を、アーデルは見つめながら言葉を続ける。

 「ある日、家へ母の危篤が届いた。客の男と口論になり刺されたという話だった。元々夜の仕事をしていた人間だ。まともな死に方をするものじゃないと思ってはいた。」

 「病院へ赴き、母を看取った。手を握りながら母を見つめていた。そんな中、母は最後に何を呟いたと思う。」

 アーデルがセシルへと目だけを向け問いかける。その質問にセシルが答えられないでいると、アーデルは再び花へと目をやり答えた。

 「知らない男の名前だった。母の知り合いとそのとき初めて会ったが、どうやらその男は唯一母が自分から愛した男だったらしい。そして自分はその男の子、そういう話だった。」

 アーデルはそう言うと、傾けシャローの水を止めた。

 「何度も夜の営みを繰り返し、間違いで出来た子を何人も堕していた母が私だけは産みたがったらしい。職業柄母の知り合いは止めたらしいが、振りきって母は私を産んだ。その男はもうどこにいるのかも分からない。生きているのかも、死んでいるのかも、だが母は何人もの男と身を重ねながらもその男のことを忘れられなかった。そしていつしか、日に日にその男と似てくる私と言葉を交わすのが怖かったらしい。そう言われた。」

 アーデルが少し言葉を荒げる。

 「勝手な話とは思わないか。好きな男との間に産まれたものを欲して、手に入ることがないのなら邪険にされる。そんな男のせいで、自分は母に振り向いてもらえなかった。納得なんてできたものじゃない。」

 そう言ったとき、アーデルが一息だけ溜息を吐く。セシルは、そのときアーデルの表情が先程までの怒りからもの哀しげになっているのに気づいた。

 「そんな身勝手な母のはずなのに、亡くなったとき何故か涙が出た。そのとき気づいたんだ。私はただ、愛してもらいたかったんだと。一人の息子として、一度でもいいから母に愛してもらいたかったんだとな。」

 アーデルは呟くようにそう言うと、ジョウロを持ちながら噴水の側へと行き、そこに咲いた色とりどりの花へと水を撒きだす。

 「それが丁度15歳のときだ。それから私は、身寄りなく生きるために騎士団へと入った。元々裏の時間を生きてきた人間だ。腕っぷしには自信があった。当時はそれほど素性を気にする傾向もなかったのでな。」

 アーデルがそう言ったとき、セシルがアーデルの顔を見ると、その目はいつもの大人びたアーデルの雰囲気とは違い、まるで自分よりも年下の少年のようだった。少しの沈黙の後、アーデルが感情を込めながら小さく言った。

 「超えてやりたいのさ、母の中に居た名も知らぬ父のことを。母にそこまで愛されたその男を。超えて、あの世に行ったときに母に自分の名前を呼ばせてやりたい。お前の息子はお前の愛した男を超えたぞ、とね。」

 アーデルはそう言うと、再びセシルから手元のシャローへ目線を落とす。その言葉を最後にシャローから撒かれていた水が少しずつ弱くなっていった。

 「ただそれだけさ。それに、何を持ってその男を超えたことになるのかなんて、もう私にも分からない。」

 アーデルはそう言うと、花へと視線をやる。アーデルの言葉をセシルはただ黙って聞いていた。何も言えなかった。それは、自分の今と同じ「父と母のため」であるにも関わらず自分とはまるで色が違う。格式ばった鮮やかな原色ではなく、もっと暗い、それでいて、濃い色をしていた。

 「それが、俺の戦う理由だった。」

 アーデルはそう言うと、花園の中からセシルを見る。

 「だった・・・。」

 「セシル、お前は先に言ったな。自分に選ぶ権利はなかったと。」

 セシルの呟きにアーデルが突然彼へと問う。その言葉にセシルは、少し意表をつかれたような表情をした。

 「それは違う。たしかに始まりにはなかったのかもしれない。だが、その先で見つけることができるものでもある。俺もお前と同じようにただ『生きるため』にその選択をした。だけどな、その過程で見つけられるものはあった。」

 アーデルはそう言うと改まってセシルへと向き直る。

 「騎士団の人間として戦いを続け、いつしか私は守りたいものを見つけた。愛する人、愛する国、例え始まりが『生きるため』の選択だったとしても、今の私はそのために剣を握っている。かつての私が抱いていたものがそうだとしても、今でも私が剣を握るのは他でもない、私自身の選択だったからだ。」

 アーデルは真っ直ぐないつもの目でセシルへ言った。

 「今からでも遅くない。疑問を抱いたのなら自分で探し、自分で見つけろ。他人に示してもらおうと思うな。それが例え違えるものであったとしても、少なくとも俺は攻めはしない。セシル・ヴァーンハイトとして生きるか、名もなきものとして生きるか。お前の心に従え。」

 アーデルがそう言いきったとき、彼の持つシャローの中の水がちょうどなくなった。アーデルはシャローを片手で持ちながらセシルへと近づき、彼の肩を軽く叩くと、その横を通り過ぎ花園の外へと出ていく。セシルは懐の中にある古い鍵を握りしめると、アーデルのその後ろ姿を見送ることができなかった。


3.

 ヴァンドレイク城第三層は王族たちの暮らす階層である。多くの人が出入りをし、国民にも解放されている第一層の大階段を登り騎士団や他国の要人をもてなすための第二層、そして第二層の両端交互に造られた階段を登ることで王族たちの生活をする第三層へ辿り着くことができる。第三層は、敢えてその間取りを第二層までとはまるで違う入り組んだような造りになっており、それは侵略を受けた際に、王族たちへの被害が最小限となるようにとそのような造りとなっていた。また同様の理由から、第三層にはさまざまな場所へと通じる隠し通路が所狭しと張り巡らされており、その全ての道を把握するのは歴代の王で最も聡明とされるダグベット・ケイロスのみとされていた。

 第三層の一室、柄の部分に羽根のような装飾の施された二本のレイピアが肩取られたエンブレムが飾ってある扉の部屋、そこがケイロス王国の王子ベルノール・ケイロスの部屋だった。

 自主的な修練を終え、ベルノールが自室の扉を開ける。中は一般的な家庭の大広間ほどの広さがあり、部屋の端にはベルノールが任務の際に着る白い鎧が汚れひとつなく透明なケースの中で丁寧に飾られていた。ベルノールは修練用に使用した模造の剣を部屋の扉脇にある剣掛けへ丁寧に立て掛ける。いつもであればそのまま部屋を通り過ぎ浴室へと向かうが、その日はベッド脇に置かれた成人男性用の大きな椅子へと腰をかけた。深く座ると足がつかなくなるその椅子に、ベルノールは保たれかかり肘掛けに頭をつける。少しでも気を紛らわそうと再度修練場へ戻り剣技に励んでみたが、自室に戻り気が落ち着けば、頭の中には先ほどのセシル・ヴァーンハイトの顔が焼きついていた。


 ベルノールがセシルと出会ったのは今から約半年前、ベルノールが第七騎士位を授与した日だった。

 元々王族としてのしきたりから幼い頃より剣技を教わっていたベルノールの才は、当時指導役だったものから見ても素晴らしいものだった。しかし当時の指導役のものは、決してベルノールに儀礼としての剣技以上のものを教えることはしなかった。彼にはひとつだけ、剣技以外に騎士となることにおいて致命的に足りないものがあった。彼に足りないもの、それはまるで女性のようにか細い、男性とは思えない生まれながらの華奢な体つきであった。生まれつきの細い体と王女エトランゼに似た端正な顔立ちはその容姿を女性と見紛うほどであり、彼が生まれた幾年後に行われた初めての国民へ謁見の日、彼の姿を見た国民は皆ベルノールのことを女子と見紛うほどだった。それは根も歯もない出所から「エトランゼ女王が女の子を産んだ。」という噂が先に広がったせいでもあるが、それでもベルノールの姿はその噂に疑問が持たれないほどだった。その容姿に血のつながる親族たちからもまるで娘のように扱われ、人一倍に可愛がられた。しかし、幼いベルノールにとってはそれが最も嫌悪の感情を抱かせることだった。

 ベルノールが15歳となった日、しきたりとして騎士道を学ぶことが必要となった際、彼は自らケイロス王国騎士団への入団を希望した。今まで王族の中で騎士道を学ぶものたちは等しく対外のための組織であるケイロス王国騎士団ではなく、ヴァンドレイク城を警護するために設立された王族の人間しか所属することのできない「王族自警隊(イングネレイト)」に所属することが習わしだった。それは王族という立場故、前線に立つことなどあってはならず、前例を作ってしまえば王族が前線に立たせてはならないという身分への蟠りがなくなってしまうという理由からだった。そのためベルノールのその希望は当時の王族達から猛反対にあった。「しきたりはしきたりとして王族自警隊に入ることが優先」と当時の王族達は諭したが、そんな彼を王国騎士団への道へと進むことを許したのは、他ならない父である国王ダグベット・ケイロスだった。このことは王族内からもダグベットに対し多くの批判が上がり、また国民からも美麗な王子を前線に立たせるということに疑問を持つ声も多かった。しかし、ベルノール本人は自身の進退について自身の希望を優先してくれた父に感謝し、そのままケイロス王国騎士団へと入団を希望した。

 ケイロス騎士団への入団試験は戦略の立案や兵法の知識を見る筆記試験の一部、希望者同士で練習試合を行い、その実力を見る実技試験の二部に分かれていた。かつてはその二つのうち高い点数の一方にて合否を判断していたが、現国王ダグベットに変わってからは「文武を備えたものにこそふさわしい」と合計点による判断となった。ベルノールの実技試験の日、誰もがその試合を見ようと修練場へと集まった。王子である彼に対しての手加減が生まれぬようにと、ベルノールの相手は特別に当時の王族警備隊の一人が務めた。現職の警備隊との試合、誰もがベルノールが勝つとは微塵も思っていなかった。しかし試合が終わったとき、剣を最後まで握っていたのはベルノールだった。そして、その試合を見た誰もが彼の剣技の才は噂通り、本物であるということを感じた。一般的な剣技は数を打ち込む斬りつけや体重のかけた突きなど、剣と自身の体重に頼ったものであるため、どうしても体重があり力のあるものが有利になるのが当たり前だった。しかしベルノールの剣技はそれまでの一般的な剣技の概念と違い、鎧の構造上比較的薄くなってしまう関節に対しての斬撃や、鎧と鎧のわずかな隙間に対しての刺突など、目と判断の良さ、そして彼の持つオブリヴィオン「アルファリウス」の斬撃を形として打ち込む特性を最大限までに活かしたものであった。この実力の高さと彼自身の素質から、彼は王族でありながらケイロス王国騎士団への入団を認められた。異例である王族という立場での入団ということもあり、入団時から第五騎士位を与えるという話もあったが、ベルノールがこれを拒否したため、一般の入団者達と同じ第十騎士位からの入団となった。

 その後、彼の騎士としての才はすぐに頭角を表し、入団から半年という早さで第九騎士位へと昇位した。最初は王族故の贔屓目とも言われていたが、彼の剣技が日に日に磨きがかかっていることは心得のない他者が見ても明らかであり、すぐにそのようなことを言う人間はいなくなっていた。そして入団から約二年、彼はその確かな実力を認められたことで、第七騎士位へと昇位することとなった。その昇位の早さは騎士団長バセット・ダンテールやセシル・ヴァーンハイトに次いで三番目ではあるが、まだ誕生月を迎えていない齢16でその騎士位への昇位は歴代最年少での昇位であった。そして、その騎士位を授与した翌日、彼は初めてセシル・ヴァーンハイトと出会うこととなる。

 セシルは第六騎士位であり、ベルノールへ剣技を教えるにはまだ経験値としては不十分であろうという見方をするものもいた。しかしセシルの剣技の才は、当時の第六騎士位の中では突出しており、それは騎士団最強と名高いフィデル・ヴァーンハイトの息子として決して見劣りのしないほどであった。そしてその実力ゆえに、セシルを上級騎士位へ上げるための動きは騎士団の中でも多く、故に第六騎士位という下級騎士位でありながら、彼はベルノールの前期指南役へ任命されたのだった。前期指南役とは騎士位に見合う実力を兼ね備えているかを長期的な時間を設け見ることで、そのものが昇位予定の騎士位に値するかを試験することである。ケイロス王国騎士団は第六騎士位より単独による行動や一時的な戦略指揮を認められており、その指揮役を果たすに値するかを判断するのが前期指南役の務めであった。そして王族という特例中の特例であるベルノールの前期指南役を命じられることは、騎士団の人間として前例のない名誉なことだった。

 半年前、ベルノールがセシルと初めて顔を合わせたのは修練場ではなく、城前に設置された自分の誕生を祝って造られた花園だった。城下街を周った帰り、付き人と共に花園のそばを通ったとき、セシルは何故か噴水の前で一人立っていた。四季の花が多く植えられ、今の時期は春に咲く鮮やかな桃色をしたキズミナの花が咲き誇り、彼の周りを囲んでいた。修練が始まる前に少しでも信頼関係を築けるようにと、ベルノールは付き人を花園の外で待たせ、一人で花園の中へと入っていった。少しでも印象を良くしようと襟元をしっかりと正し、ベルノールから声をかけようとその目を花園の中に立つセシルへ向けた瞬間、彼の言葉は桃色の花の中に立つ自分より少しだけ年上の青年へと奪われた。ただ噴水の水を見ているだけなのにも関わらず、その目はまるで何かを憐れむような哀しい目をしており、その目が何へ向いているものなのかも分からない。しかし、そんな彼を見たベルノールの抱いた感情は奇妙な形に変わっていた。

 ふと後ろの気配に気がつき目を向けると、そこには自分よりも少し年下のまるで少女のような少年が一人、汚れのない純白の正装を羽織って立っていた。その姿を見てセシルは彼の前に向かって姿勢を屈める。

 「ベルノール・ケイロス様とお見受けいたします。ケイロス王国騎士団第六騎士位セシル・ヴァーンハイト、この度ベルノール様の前期指南役を申しつかり、大変ご光栄と思っております。」

 セシルが騎士礼の体勢をとりながらベルノールへ初対面の挨拶を交わすと、その言葉を受けてベルノールも騎士礼として右手を胸に当て応えた。

 「ケイロス王国騎士団第七騎士位、そしてケイロス王国王子ベルノール・ケイロスです。この度は前期指南役としてのご指導のほど、よろしくお願いいたします。」

 ベルノールはそう言うと、胸に当てていた右手を屈んでいるセシルの頭の位置ほどに差し出す。頭を上げそれを見たセシルはその右手を優しく取り、体重をかけないように立ち上がる。すると立ち上がったセシルへベルノールが尋ねた。

 「ここで、何をされていたのですか。」

 ベルノールがそう言うと、セシルはベルノールを見ながら言った。

 「任務までの時間を過ごしていただけです。ご心配なさらずに。」

 セシルがそう応えると、ベルノールが少し聞きづらそうにセシルへと聞いた。

 「そうですか。随分と寂しそうな顔をしておりましたが。」

 ベルノールがそう言うと、セシルの表情が一瞬曇りを見せる。その顔にベルノールが慌てるように言った。

 「申し訳ございません、そんなつもりでは。」

 ベルノールの慌てるように言った謝罪の言葉にセシルは笑顔を見せてから返す。

 「哀しい顔、ですか。もしかすればベルノール様の前期指南役を申しつかり、喜びと高揚のあまりきちんとした睡眠が取れていないのかもしれません。」

 セシルが誤魔化すようにそう返すと、それ以上ベルノールは聞くことをしなかった。それがセシルとの初めての会話だった。

 それから修練がセシルの下で始まった。指導者としてのセシルは優しくも、その剣技の型の手を抜くことはなかった。セシルの剣技はベルノールから見ても美しく型が整っており、ベルノールの目から見ればフィデル・ヴァーンハイトの剣技と比べても遜色はないように見えた。毎日続く訓練と任務の日々、つらく疲労で倒れそうになることもあったが、それでもベルノールが挫けることは決してなかった。また、修練の関係もあってか王国騎士団としての任務もいつしかセシルと組むことが多くなり、ベルノールもセシルへは次第に壁を作らずに会話をするようになっていった。

 ある日、ベルノールが一人で修練に勤しんだ後、ふと城下街へと少し降りてみようと外へ出たとき、再び花園に立つセシルの姿を見かけた。そして、セシルの表情はあの時と同じ、哀しい目をしていた。

 「・・・あのときと同じ目です。」

 不意の声に目を向けると、そこには少し汚れた修練着に身を包んだベルノールがこちらへ向かって歩いていた。

 「ベルノール様。」

 「差し出がましいとは思いますが、教えていただけませんか。なぜそのような顔をされるのか。」

 セシルの呟きの後、ベルノールがセシルへと近づきながら言った。

 「あのときははぐらかされてしまいましたが、ヴァーンハイト六位にそのような目は似合いません。」

 ベルノールのその言葉の後、少しの沈黙が二人の間に訪れる。そして、一陣の風がその間を通り過ぎたとき、セシルが口を開いた。

 「ベルノール様は、何のために剣を握られますか。」

 セシルの言葉にベルノールが呟いた。

 「何の、ために。」

 ベルノールの呟きにセシルは噴水へと目を向け語った。

 「私は、ヴァーンハイトの人間として剣を握りました。それは父フィデル・ヴァーンハイトの名を汚さないためであり、ヴァーンハイト家のものとしての誇りを示すためです。しかしヴァーンハイトの人間として剣を降り続けていた結果、いつしかそこに私自身は居なくなっていた。ヴァーンハイトであろうとするが故にセシル・ヴァーンハイトとしての剣がいつのまにかなくなっていました。」

 セシルはそう言うと、ベルノールへと目を向ける。

 「分からないのです、わたしが一体何のために剣を握り続けているのか。何を望んで剣を握っているのか。」

 その言葉にベルノールは初めてセシル・ヴァーンハイトという人間を見た気がした。そして、彼の哀しい目が見ていたのは彼自身だったのだとベルノールは悟った。うちにある自分を見つめ、そしてその見つめた先に見たいものがなかったからこそ、この人はこれほど哀しい目をしていたのだとベルノールは知った。

 「私では、その理由とはなれませんか。」

 セシルの言葉にベルノールが自身の気持ちを溢す。その言葉にセシルがベルノールへ目を向ける。

 「私はいずれ王となる身、そのとき共にその運命を担う覚悟のある盟友がほしい。父ダグベット・ケイロスにとってのバセット・ダンテール第一位のような、互いに決して揺るがない信頼をおける存在が。」

 ベルノールはそう言うと、先ほどまでよりセシルとの距離を詰め彼の眼前で言葉を続ける。

 「私のために、というのは傲慢かもしれません。しかし、それがあなたにとっての理由となれるのであれば、私はそのためにこの使命、命を賭します。だから、これからもこの国のためにその剣を振るっていただけませんか。」

 ベルノールがセシルへと自身の覚悟と想いを告げる。するとセシルは向き直り、ベルノールのすぐ前に立った。目線が違いセシルの身体が目の前にきたことで少し動揺をみせるベルノールだったが、セシルは胸に手を当て、彼に微笑んだ。

 「この命はこの国のためにあるという想いに変わりはありません。ですから、それほど無下に命を賭すなどと申さないでください。」

 そう言うとセシルは屈み、ベルノールの目を見て言った。

 「私は誇りあるケイロスの騎士としてここにいます。これまでも、これからも。」

 セシルはそう言うと、ベルノールの横を過ぎていく。セシルのその言葉の意味を理解する前に、ベルノールは初めて胸の高鳴りを感じた。


 椅子の肘掛けに頭を預けながら、首から垂れていたネックレスに指を絡ませながらベルノールは耽っていた。結局自分はいつもセシルの本心を聞くことが出来ないとそう思った。彼に対しての壁はなく、彼からの壁もない。しかし、その壁の先に彼はいない。まるでセシル・ヴァーンハイトという名前そのものが彼にとっての壁となり、その奥に誰かがいるのではないかとさえ思える。

 「私にあなたの背を守れたとしても、隣に立つことは出来ないのですか。」

 ベルノールがそう呟いたとき、手に絡めていたネックレスが指から解け、床一面に敷かれた真紅の絨毯の上へと落ちる。ネックレスについた宝石に反射したベルノールの顔からは一滴の滴が溢れた。

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