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オブリヴィオン -忘却の戦史-  作者: 長谷 治
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第五話 罪と子の話

 ダッフェルバウンからケイロス王国へと帰ったセシル。自信を救ってくれた女性エトランゼの存在に違和感を覚えるも、彼女の言葉通り「夜」に訪れようと出直す。

 ケイロス王国の前では父フィデルがルネリスへと訪問する準備をしており、そこでセシルは再び小さな嘘をついてしまう。父の言葉を胸に抱え屋敷へと帰ると、そこには同じ騎士団のアルヴァス・カーンがいた。

 彼がセシルへと持ってきていたのは、国王ダグベット・ケイロスからの召喚状であった。

 好きな人がいることに気づくのは決まって誰よりも遅かった。一緒にいる時間を当たり前だと思い込み、それが続くにつれ、いつのまにか本心がどこかもわからない心の奥へと隠れてしまう。ただ一緒にいてくれることだけで幸せを感じて、同じ時間を過ごせることだけで満たされていた。

 だから、それが二人の間にいることだと気づいたとき、自分のことがどうしようもなく嫌いになった。

 自分の中の幸せが終わってしまった。どちらか一人だけを選ばなければならない、そう思ったとき、優しい彼は自ら身を引いた。私はその気持ちに甘えてあの人を選んだ。幸せだった。それで終われれば良かったのに、それで納得ができればよかったのに、出来なかった。自分の気持ちに最後の最後に嘘をつけなかった。だから犯した、過ちを。そして、それが自分の十字架になることは、当たり前だった。


1.

 時刻は夕刻、日も既に落ちかけていた。本来であれば人々が労働を終え束の間の休息に安堵を吐くような時間帯であるにもかかわらず、ケイロス王国ヴァンドレイク城の城内は物々しい雰囲気を漂わせていた。突然国王より通達された、唯の一兵に対しての召喚状は、その異質さを少しずつ城内にいた人々に感じさせ、口から口へと凄まじい早さで広まっていき、城内で働く人間の多くがどこか張り詰めた緊張感に包まれていた。現国王ダグベット・ケイロスは聡明であり情に厚いというのが国民や王族たちの認識の中であり、いままでダグベットが召喚状を通達したことは前例がなかった。そのため、今回の召喚状を受けたものに対して恐れ多い興味の目を向けられることは明白であり、そしてそれが騎士団の、ケイロス王国騎士団副団長の息子セシル・ヴァーンハイトともなればなおさらだった。

 物々しい雰囲気が漂う中、ヴァンドレイク城に構えるおよそ5-6mの高さがあるであろう城門に繋がる鎖へ力がかかり張り詰める。重金属が擦れる重い音が城内の人々へ響き渡ると共に、門が内側へゆっくりと開いていく。城内の人々全てがその音に目を向けると、そこにはケイロス王国騎士団第六騎士位アルヴァス・カーン他数名の騎士に周りを囲まれ連れられた、渦中の存在セシル・ヴァーンハイトがいた。

 門が開くと目の前には紅い大理石の敷き詰められた城内エントランスが見えた。アルヴァスはセシルを先導するように先を歩き、両脇と後ろに追随する騎士たちは、なるべくセシルが人の眼に触れないよう彼の周りを囲みながら目の前に見える第二層へと繋がる中央の大階段へと向かって歩き始める。セシル達の歩く進路にいる人々が彼らに行手を空けていき、疾しいことなど決してないという思いと共にセシルが堂々と大階段に向かって歩いていく。しかし階段へと足がかかったとき、その好奇な視線の重さが思っていた以上にセシルの背へともたれかかってくる。一瞬その歩みを止めそうになるが、後ろに付き従う騎士が優しくセシルの背を押す。その助けに前を向き直ると、堂々とした振る舞いを決して崩さぬよう、しっかりと眼前を保ちながら歩き続けた。

 53段ある大階段を登りきり、二層の入り口にあたる廊下へと繋がる入り口、その両端に立っている警備団の二人が先頭のアルヴァスを止める。いつもであれば会釈ですむ確認も、召喚状を受けた者である今日に限っては当然手続きを必要とした。

 「国王の伝令である。」

 アルヴァスが一言そう告げ、持っていた召喚状を二人の前に差し出す。一人がその召喚状と呼ばれた封筒を受け取ると、中身を開かず封筒の裏についた蝋印だけを確認する。国章と同じ形をした黒色の国王の蝋印、それを開封することは王族など限られているものだけにしか許されていなかった。蝋印を確認し終えると警備団の二人が敬礼と共に道を空ける。アルヴァスらはそれに敬礼で返すと、第二層へと続く廊下を再び歩き始めた。いつもであれば見慣れたこの廊下も、何故か今日は少し空気が違うように思えた。

 廊下を抜け計二回、階段を登り第二層の三階に足を踏み入れる。第二層から国王ら王族のいる第三層までは第二層から計三つの階段を登る必要があり、それは防衛の観点から城の端々交互に作られていた。セシルのような軍議への参加が許可されていない騎士位のものたちにとっては第二層の二階までが普段使う階層であり、それより上の階層となる三階へ立ち入ることは滅多になかった。

 「これよりは王族の方もよく行き来をされます。礼を忘れぬようにお願いいたします。」

 アルヴァスが囁くようにセシルへと伝える。セシルはその声に小さく「はい。」と答え頷くと、一度背筋を伸ばす。

 初めて足を踏み入れた第二層三階はこれまで訪れたことのある二階までとはまるで雰囲気が違っていた。どちらかといえば質素な色をした壁紙が貼られていた二階までとは違い、三階では色鮮やかな壁紙が貼られており、扉一つとっても装飾が細かく施されていた。王族の出入りがある階層というだけでここまで内装の造りが違うことに少し目を惹かれていると、遥か先から誰かがこちらに向かって歩いてきていた。騎士団の人間であれば決まった礼装をしているため、その鮮やかな服飾から王族のものだと察したセシルが顔を確認せずに頭を下げようとしたとき、その人影は何故かこちらに気づくと先ほどまでの立ち振る舞いとは変わり、取り乱すようにこちらへ向かって走ってきた。セシルが少し下げ気味の頭の角度からその人物の顔を見ると、それは修練場から三層へと戻る途中だった軽装に身を包んだベルノール・ケイロスだった。

 「ヴァーンハイト六位!?」

 騎士に囲まれた状態で歩くセシルの姿を見つけ、ベルノールが状況を理解できずにセシルの元へと急足で近づく。こちらへと近づくベルノールへセシル含めアルヴァスらが一礼をする。

 「どういうことなのですか、カーン六位。」

 ベルノールはセシルではなく、彼の前を歩くアルヴァス・カーンへと尋ねる。

 「ケイロス国王よりセシル・ヴァーンハイト六位へ召喚状が通達されたのです。理由が不明のため他にお答えすることは、申し訳ございません。」

 アルヴァスがベルノールへと答える。

 「召喚状、父から・・・。」

 ベルノールがアルヴァスの答えに小さく呟く。

 「我々にも分からないのです、申し訳ございませんが。」

 アルヴァスの答えの出せない不安な声色にベルノールが心配そうな顔をセシルへと向ける。するとセシルはその不安そうな顔に視線を合わせると笑顔で向き直った。

 「ご心配なさらないでください。私は誓って騎士としての道を踏み外した覚えはございません。」

 セシルはベルノールへ向かってそう答えると、自身の胸に手を当てベルノールへ改めて目を合わせた。

 「私は誇りあるケイロスの騎士としてここにいます。これまでも、これからも。ですから、決して何も。」

 セシルはそうベルノールへ優しく言うと彼へ精一杯微笑んで見せる。その顔にベルノールは少し不安に残らせながらも言葉をつぐむ。その様子を見ると、再びアルヴァスはベルノールへと一礼し彼の横を過ぎていった。後ろに付き従う騎士たちの隙間から見えるセシルの背中を、ベルノールはただ見つめていた。


 第二層三階を抜け、二層と三層の境である最後の階段が目の前に見えてくる。見ると先ほどまでの絢爛さとは文字通り「格の違う」一層絢爛な廊下が見えたが、その手前でアルヴァスが立ち止まる。前を見ると、階段下の両脇にベルノールよりもさらに年下と思われる少年二人が腰に小剣を下げ立っていた。アルヴァスがその少年二人に最敬礼をすると、セシルらもその後に続いて最敬礼をする。少年たちがアルヴァスへと近づくと、アルヴァスが懐から先ほど騎士たちに見せた蝋印の押された封筒を取り出し、二人へと両手で手渡す。一人が丁寧にその封筒を受け取ると、胸ポケットより装飾のついたレターナイフを取り出し、丁寧に蝋印に切れ目を入れ封筒を開けていく。封筒の中には一枚の浅黄色い紙が入っており、少年がそこに書かれた書面を確認する。そしてその内容を読み終えると、封筒を受け取った少年はもう一人へと目線を送る。目線を受け取ったもう一人の少年は腰に差していた小剣を抜き、三層の廊下へ沿うように構えた。先頭に立っていたアルヴァスがセシルの前から横へとずれる。

 「三層へは許可のあるものしか立ち入ることができません。申し訳ございませんが、ここからはあちらの方々と共にお進みください。」

 アルヴァスがセシルへそう言うと、後ろに付いていた騎士たちもセシルから距離を取る。

 「ありがとうございます。」

 セシルはここまでの礼をアルヴァスらに言うと一人、前へと出た。すると目の前の二人の少年がセシルの前と後を鞘から抜いた小剣で囲い、三層への階段を歩き始める。少年たちの歩幅に合わせ、先ほどよりも遅い速度で歩き始めるセシルの後ろ姿に、アルヴァスと騎士たちは一礼した。


 二人の小さな王族に連れられ10分ほどその絢爛の廊下歩いていた。廊下の様子は今までとは遥かに違い、至る所に装飾が施されていた。セシル自身、三層へと足を踏み入れるのは初めてであり、あまり先ほどまでと同じに意識をしないよう前を向き続けるが、そのあまりにも見たことのない光景に目線を固定することが難しかった。また三層は、二層までの比較的分かりやすい間取りとは違い、構造として遥かに入り組んでおり、普段生活を営んでいるであろう彼らの案内がなければこれから向かう「王の間」へ辿り着くのは不可能であると察した。

 何度も階段の登り降りを繰り返し、さらには迷路のような廊下を歩き始めてしばらく経ったとき、目の前に大きさも作りもまるで違う扉が階段上に現れる。階段には翡翠色の絨毯が敷かれており、壁にはケイロスの国章が描かれた大きなタペストリーが飾られていた。階段の傍を見ると極彩の装飾を施された鎧と、顔が見えないようケイロスの国章が刻まれた布製の顔当てを兜からかけた騎士が階段の上下四方に2m以上はあるハルバードを構え立っている。セシルの脇に立つ少年たちはその騎士たちに一礼をすると、剣を鞘に納めセシルの後ろに一歩引いた。すると手前の2名の騎士がセシルの脇に立ち先程の少年たちのように彼の前と後ろをハルバードの刃で囲み、階段上の騎士たちは扉の前でハルバード交差するように組んだ。

 「ケイロス王国騎士団第六騎士位セシル・ヴァーンハイト、国王ダグベット・ケイロスはあなたと二人だけの面会をご希望されている。あなたに面会を拒否する権利はないが、誰かを随伴させる権利を持つ。どうされるか答えよ。」

 前にハルバードを構える騎士が低い声でセシルへと問いかける。一対一での面会というものに何か言い表せないものを感じたがセシルはその質問に一言で答えた。

 「問題ございません。」

 セシルがそう答えると、前にハルバードを構える男は無言でその刃をセシルの前から避けセシルの背の位置で後ろのハルバードを構える男と交差するように組んだ。

 「では、ここから先はお一人で行かれよ。ケイロス国王は既にお待ちである。王の間で何か起これば、それは極刑を意味する。そのことを理解するよう。」

 男がそう言うと、階段の上にいた騎士たちも扉の前で組んだハルバードを避け、床から垂直に立てる。それを見たセシルが階段を一歩ずつ登っていく。一段目を踏み込んだとき、ここにきて自分が今置かれている状況を感じる。自分がこれから会う人物のこと、その人物が呼びつけるほどのことを自分がしたこと、疾しさなどはないはずなのに、自分の置かれている状況がただならぬものであること理解していく。そして、それは同時に頭の片隅にいた唯一の異質さである少女のことを再び意識する理由でもあった。 

 「何を恐れる。」と心の中で呟きながら階段の最上まで辿り着く。セシルが上にいた騎士たちと同じ位置となったとき、騎士の一人が大声で叫ぶ。

 「セシル・ヴァーンハイト六位、到着しました!お通しいたします!」

 その声と共に目の前にある紅い扉から微かに光が漏れる。そのゆっくりとした開放と共にセシルの鼓動が少しずつ早くなっていく。開いた扉の隙間から見える中はとても広く、一室であるにも関わらずヴァーンハイト家の屋敷のエントランスほどの広さがあった。そしてその最奥中心、両端から斜めにかけられた複雑な龍の刺繍を施された幕の前に置かれた絢爛な椅子の上に、幼い頃から見たことのある遥か遠い存在であったその人は腕掛けに肘を立て、片手で頬杖をつきながらこちらを見ていた。

 

 ガンッ!!


 扉の開ききった音と共に、その人物がセシルの目を見る。その視線はセシルの背中にまるで鉄針を真っ直ぐに刺したかのような気分にさせ、自然と背筋が真っ直ぐに伸びきった。恐る恐るセシルが部屋のうちにゆっくりと入っていく。一歩ごとに額に夥しい汗が噴き出すが、決して臆してはならぬと恐る自分を殺す。

 セシルが王の間へと入ったことを確認すると、目の前の椅子に座る男が手を掲げる。すると内側にいた騎士たちが外へと出、扉から音を立てぬようにゆっくりと閉める。王の間はその瞬間、ケイロス王国騎士団第六騎士位セシル・ヴァーンハイトとケイロス王国国王ダグベット・ケイロスだけの空間へとなっていった。


ガンッ!!


 二人だけの空間に静寂が訪れる。次の瞬間、セシルは片膝をつき目の前のダグベットへと騎士の作法として習った最敬礼の形、騎士礼を用いて頭を下げる。幼い頃より父に王族との謁見に用いる作法、決して間違えてはならぬと教えられたそれを今実践する。

 「ケイロス王国騎士団第六騎士位セシル・ヴァーンハイト、この度ケイロス王国国王ダグベット・ケイロス陛下より謁見の機会を与えられ大変に光栄と思っております。」

 体の動かし方、言葉の一字一句、ひとつひとつを決して間違えぬように目の前に座る自国の王へと見せる。

 「・・・顔を上げよ、セシル・ヴァーンハイト。」

 セシルの騎士礼の言葉を聞き終えると、ダグベットはセシルに顔を上げるよう促す。セシルは片膝をつくその姿勢のまま顔だけをダグベットへと向け目の前の王に目を合わせる。

 「この度の召喚状の件、本題の前に先に一度、愚息ベルノールの指南を行なっていることについて騎士団長バセット・ダンテールより話を聞いている。感謝している。」

 王より発せられた「感謝」という言葉に再び目線を落とし頭を下げる。

 「いえ、ベルノール様の指南を申しつかり大変に光栄と思っている所存でございます。ベルノール様の剣技の才、あの方であれば大変に素晴らしい武を極め、ゆくゆくは国王も納得される妙技を納めることが出来るかと。」

 セシルが率直にベルノールの才能についてそう伝えると、ダグベットがセシルに言葉を返した。

 「そうか。それほどか。」

 「は。」

 「・・・そうか。」

 ダグベットの言葉にセシルがそう返したとき、ダグベットの表情が一瞬、何故か自分の目線から外れた。

 「陛下・・・?。」

 「・・・本題を問おう。昨夜、禁域の谷の周辺で貴公を見かけたと伝えがきている。この件について何か申すことはあるか。」

 セシルの呟きを無視するようにダグベットがセシルへと問いかける。そしてそれは思っていた通り、先日の禁域の谷での出来事を聞くものだった。そうであるならば真実を伝えるだけと、セシルはダグベットに対し事の顛末の説明を始める。

 「はい。昨夜ダッフェルバウンへと来訪した帰路、禁域の谷周辺で不審な灯火を見つけたため国衛の任からその原因を突き止めようと禁域の谷の淵へと向かいました。そこで不審な影を見つけたため剣を抜きましたが、運悪く複数人の策に嵌り瀕死の重傷を受け谷底へと落とされました。命つきかけたところ谷の管理人に救助、手当てを受け、一命を取り止め今ここにあります。」

 セシルは昨日に起きた全ての真実をダグベットへと伝えた。ダグベットはその報告を椅子の脇に置かれたサイドテーブルの上にある鮮やかな七色をしたコップを手に取り、口につけながら聞いていた。そしてセシルの報告を聞き終えるとコップから口を離し、再びサイドテーブルへとカップを置く。そして一息置くとセシルへと応えた。

 「そうか、確かに不審者の報告は警備団へ通報があったと聞いてはいる。不審者の調査も始まっているころだろう。」

 ダグベットはそう言いながらセシルへと再び目線を戻す。

 「はい、救っていただいた管理人の方より報告をあげていただきました。騎士団の人間として恥ずべきことだということ、重々と理解しております。」

 セシルがダグベットに昨夜の出来事を伝えきる。しかしダグベットの鋭い視線はセシルから外れず、セシルの目を黙って見続けていた。そう、セシルの語った報告の中にひとつだけ、敢えて触れていないものがあった。

 「それだけか。」

 ダグベットがセシルの目を見ながらセシルへ問う。その言葉にセシルが思わず呟いた。

 「それだけ?」

 「本当にそれだけか、セシル・ヴァーンハイト。」

 ダグベットの決して崩れぬその真剣な面持ちと冷たく感じる再三の言葉に萎縮してしまった青年は、王の真意を察した。そして、恐る恐る口を開く。

 「・・・牢屋の少女、のことでしょうか。」

 その言葉がセシルの口から出た瞬間、再び王の間に静寂が訪れた。少しの間の後、その静寂の中でダグベットの小さな吐息の音が響く。その音を聞いた瞬間、落ちつきを取り戻していたセシルの鼓動が再び早まっていく。

 「やはり、見たか。」

 ダグベットがセシルへ呟くようにそう言うと、セシルは再び顔を伏せ騎士礼の形をとる。いや、ダグベットのその声色から、やはりあの少女が決して見てはならないものであるということを察したセシルは、国王の顔を見ることに恐れを抱いてしまった。

 何か重たいものが床と擦れる音がする。顔を伏せている状態にも関わらず、その音はダグベットが椅子からゆっくりと立ち上がっているものだということが分かった。王の起立による威圧感、見えていないにも関わらず大人になったばかりの青年はただ沈黙しながら俯くことしかできない。少しずつ耳元に近づく足音が、ゆっくりと目の前の国王がこちらへと近づいてくることを認識させる。自分がこれから何を言い渡されるのか、想像すればするほど鼓動がますます早まっていき、その鼓動につられるように身体が小刻みな震えを起こした。

 そのとき、震えるセシルの肩に何かが乗る。目線だけを向けると、それは国王が懐に差している王剱の鞘であった。王からの勅命が下る際の儀礼の形であると頭が認識したとき、反射的に顔が上がり目の前の王と目が合ってしまう。そして眼前の国王が口を開いた。

 「ケイロス王国騎士団第六騎士位セシル・ヴァーンハイト、貴公に二つの選択肢を与える。一つ、記憶の術具の力によりこの3日の間に見たこと、聞いたことを全て記憶から消した上で騎士位の剥奪と国外への退去、一つ、全てを心に持った上で追われる身となるか、どちらかを選択せよ。」

 ダグベットはセシルへそう告げると、王剱の鞘をセシルの肩からゆっくりと持ち上げ、再び腰へ差すとセシルの前から元いた椅子の位置へと戻っていく。

 ダグベットから発せられたその言葉にセシルはゆっくりと再び顔を伏せたが、状況を理解することを頭が拒み、見開いた視線の先にある床の一点をただ見ていた。記憶の術具とはダグベットの言ったように記憶を消すことのできる術具である。それは多くにおいて国益を与える取引に応じた重罪人の更正に用いられるものであり、無期投獄と同等に近い重い罰のひとつであった。そしてもうひとつ言い渡された「追われる身」とはケイロス王国での独特の言い回しであり「死刑」を意味していた。

 「貴公の働きを認め、温情として一ヶ月与える。その間に答えを述べよ。なお、決して口外することは許されない。少女のことも、刑のことも。執行までの間、騎士団の任として以外に国外へ出ることも禁ずる。答えが出たとき、書状を私自身に書き留めよ。」

 ダグベットがセシルへ刑までの日取りを伝えるも、セシルにその言葉たちはいまだに届いていなかった。飲み込むことのできない自分の置かれている状況に、理解が追いつかなかった。

 「このことを知るものは私と貴公の二人、それだけだ。騎士団の人間にも伝わらない。召喚状の件は私で理由を取り繕う。」

 ダグベットがそう言ったとき、俯きながらセシルの中にあるものが少し口から溢れた。

 「・・・私はケイロスのために戦い続けました・・・、この身がある限り国のためにと。されどあの少女はそれほどまでのものなのでしょうか。」

 国王の前であるにも関わらず、思わず感情が言葉で溢れる。二十歳となったばかりの青年に対する刑の宣告、もはや言葉遣いを取り繕えるほどの心情は今の彼にはなく、そこには自分の歩んだ二十年という月日の結果が今の現実であるということに対する、納得のできない想いがあった。

 「・・・答えることはできない。だが、その刑の重さで理解してほしい。」

 ダグベットがセシルの言葉に答える。その声色は先ほどまでの冷静さを感じさせながら、どこか目の前の青年に対して若干の憐れみを含んでいた。だが、今のセシルからすればその冷たく静けさのある言葉はただ「冷酷」なだけだった。自身の運命の宣告を受けた今、察することに意味などなく、理解が追いつくほどに次から次へと想いが口から吐き出される。

 「私は瞬としてしか少女を見ておりません。しかし、それでも彼女はただの人間だと思えます。それでありながら、それほどの刑を受けるに値するのでしょうか。この国へ尽くし続けたというのに・・・。」

 「貴公には知れないことがある。それを知れば、そうは思えんだろう。」

 若干支離滅裂になりつつあるセシルの言葉にダグベットが当たり前のことを答える。ただの少女じゃないからこそ、これほどまでに重い刑を科られた。しかしセシルは言葉を止められず、いつの間にか膝に乗せていた手のひらは握り拳をつくっていた。

 「だとしても、私には彼女がそれほどまで。」

 「貴公には分からない。いや、分かる必要はないのだ。」

 ダグベットは常に落ち着いてセシルに言葉を返し続ける。だからこそ、セシルは抑えられなかった。

 「何故、分かる必要がないと・・・。」

 「受け止めきれない、この真実は。」

 ダグベットのその言葉は、感情の関を崩した。

 「何故ですか・・・。私はただこの国のために尽くしてきました!全てを受け入れて、全てを忘れてまで、この国のために!ただひたすらに!ケイロスの騎士としてあろうとしたのです!その結果なのですか、これが!」

 青年は顔を上げ、眼前の椅子に座る国王に向かって叫んだ。その言葉に刑への追求はなく、彼自身が抱え続けていたものへの独白だけだった。彼自身が受け入れ続けたものへの結果が今であることに、全てを捨て、全てを忘れてまで生き続けた結果、ヴァーンハイト家の人間として恥のない生き方をした結果、騎士としあろうとした結果が今であることに、全てを受け入れることしかできなかった青年には軽々しく頷くことなど出来るわけがなかった。

 「私はあろうとしたのです!正しく、真っ直ぐに、決して折れぬようにと!」

 もう止められなかった。頭では理解しているが、最早静止できる理性などセシルの何処にもいなかった。

 「必死にあり続けました!騎士として!ケイロスの人間として!私はセシル・ヴァーンハイトであると自分に言い聞かせながら!かの日の記憶もなく思い出すことも出来ない・・・!それでも!だとしても!決して振り返らずに前を向き続けてきたのです!父にも母にも打ち明けられず、ヴァーンハイトの人間として!」

 全てを吐き出す。息を荒げながら全てをぶつける、この国の頂点の人間に。セシルの言葉が止まるまで、ダグベットは何も言わずにセシルをじっと見続けた。国王という立場にある故、彼の出生については知っていた。だからこそ、一人の青年の抱き続けた想いを真正面から受け止めた。

 再び訪れる静寂、セシルが俯く。教わった騎士礼は既になく、想いを全て出しきった結果、最早弁解の余地すら自分で捨て去っていた。何一つ翻すことなどできない自分で犯した感情の爆発、理性が戻ってきたとき、彼は押し殺したような声で呟いた。

 「・・・ならばあのときに死んでいたかった。ラトーリアさんに助けられず、全て闇の中、たった一人で。」

 結局全てを失うならばあそこで終わりたかった。たった一人と理解したあのときに、全ての希望を捨てたあのときにと、そう思った。片膝の上につくられた握り拳は爪が肉に食い込み少し血を滴らせ、眼からは知らぬ間に何に対してなのかも分かりたくない涙が一滴溢れた。

 「私は・・・一体、何のために。」

 セシルがそう呟いた。そのときだった。

 「・・・貴公を助けた管理人は、ラトーリアと名乗ったのか。」

 俯き声を殺しながら嘆くセシルへ唐突にダグベットが尋ねる。沈黙していた国王の質問にセシルが意表をつかれたような表情でその崩れた顔を上げると、ダグベットのその表情は今までと違い、少し同様の色を見せていた。

 「どうなんだ、セシル・ヴァーンハイト。」

 ダグベットがセシルへ今までとは違う声色で詰め寄る。その今まで見なかった表情に戸惑うもセシルが応える。

 「・・・はい、私はラトーリアと名乗る女性にこの命を救われました。」

 セシルのその言葉にダグベットが動揺の表情を見せた。しかし涙で霞むセシルはそれに気づかず、流れた頬を手の甲で拭うと、ダグベットへ言葉を続けた。

 「私はケイロスの騎士としてただひたすらに生きてきました。それだけを信じて、それだけを糧に騎士としてあり続けました。そんな私があの少女に対してこれほどまでに想いを抱いているということが私自身にも分からないのです。「普通に生きてほしい」と望んでいたラトーリアさんに命を救っていただいた恩返しがしたいのかもしれない。あの少女のことをただ知りたいと自分が望んでいるのかもしれない。私は、その自分の中にある想いを知りたいのです。」

 先ほどまでとは違い、落ち着きを取り戻しセシルがダグベットへと抱いていたものを伝える。そう、セシルにとってはそれだけだった。ただ、あの少女のことを知りたい。あの瞬間、自分でも理解出来ないどこかで少女へと惹かれていた。それは異質なものへの興味なのか、救ってくれた人への恩返しなのか、ただの一目惚れなのか自分でも分からない。だからこそ、自分の抱いたものへの答えを突き止めたい。それが彼の本心だった。

 昂った感情は落ち着きを取り戻し、セシルは再び取り繕い騎士礼の形に戻る。ダグベットは無言のままセシルへと目を合わせる。しかし先ほどまでとは違い、セシルは目を背けずにダグベットの目を真っ直ぐに見つめていた。その目にダグベットは少し苦い表情を浮かべると、見つめるセシルの目から視線を落とすと立ち上がり、振り向きざまにセシルへ告げた。

 「・・・今回の無礼は不問とする。選択の答え、正しい判断をすることに期待する。」

 ダグベットはセシルへそう言い残すと、後ろにかかった幕の裏へと下がっていった。ダグベットの姿が幕に隠れ見えなくなると同時に、セシルの後ろの扉が再び開く。セシルが視線を後ろに向けると、先ほど外に立っていた騎士たちがこちらへと歩いてくる。

 「謁見は終了した。セシル・ヴァーンハイト、共に。」

 騎士の一人がそう言うと、再びセシルの周りを騎士たちがハルバードで囲む。セシルは王のいない椅子へその場で一礼すると、騎士たちに囲まれながら王の間を後にした。

 セシルの居なくなった王の間が再び静まり返る。その中たった一人、幕の裏でダグベットは一冊の本を手に持ちながら呟いた。

 「お前は国よりも、あの子を取るのか。」


2.

 ケイロス王国を出発し約2日、道中特に異常もなくフィデルらは中立領ルネリスへと到着していた。ルネリスの街中では復興作業の真っ最中であり、先日までの被害にあった建物の瓦礫などを男たちが防御外壁の外へと集め、資源ごとに分けて山のように積んでいた。その瓦礫の山を横目に見ながら、フィデルたちがルネリスの防御外壁の内側へと入っていく。フィデルが何気なく見た瓦礫の奥には戦死者のために立てられたのか数十本の墓木(ぼき)が乱雑に立てられていた。

 「お待ちしておりました。ケイロスの方々。」

 防御外壁の内側に入るなり、誰かがマウの足元から声をかける。マウの上から下を見ると、そこには赤いフレームのモノクルを左目にかけた男がこちらに向かって礼をしていた。

 「カシム・アルカート、このルネリスにて書官を務めております。あのようなことがあったにも関わらず急な呼び付け、誠に申し訳ございません。サルヴァン代表が皆様にお話ししたいことがあると、便箋にてお送りしても良いかと思いましたが、急を要すると申し付けられましたので。」

 そう言うとカシムは誘導するように右手のひらで防御外壁側に立てられたマウの厩舎を指し示す。フィデルたちはその場でマウから降りると、その手に促されるように厩舎へと近づき、マウの手綱を厩舎の前に立つ男へ手渡す。手綱を渡された男は一礼すると、その手綱を引き4頭のマウを連れ厩舎の中へと入っていった。

 「サルヴァン代表は庁舎にてお待ちでございます。こちらへどうぞ。」

 カシムはそう言うと再び別の方向を手で指し示す。フィデルたちが目を向けると、そこには一台の見慣れない形をしたアフバがあった。マウもシウもそのアフバには繋がれておらず、代わりに大きな重金属製の物体が前方に取り付けられており、上に男が一人乗っていた。

 「これは。」

 フィデルがカシムへ目の前にあるものについて尋ねる。

 「駆動車(クルワ)です。カムラカンの方では一般的に普及しているようで、紙重石の輸出の折、利便性の向上のため輸入いたしました。」

 カシムがそう応えると、フィデルは好奇の目でそれを見た。カムラカンはケイロス王国が貿易を行うマフェレー民主国と双璧を為す大国の名前だった。技術発展が著しくさまざまな開発に力を入れているという噂だが、マフェレー民主国とは余り友好的な関係になく、マフェレーと友好国同盟を結ぶケイロス王国とはあまり繋がりのない国であった。

 「これほど大きな重金属製の部品を使うとなると、随分と高価そうですが。」

 「紙重石の価値は年を追うごとに上がっておりますから。まあ、だからこそ、このような事態を引き起こしたとも言えますが。」

 フィデルの質問にカシムはそう答えると駆動車の横についた扉を開いた。アフバであれば後ろから乗り込むのが一般的であり、フィデルらはその構造に物珍しそうに中へと入っていく。内装は一般的なアフバの内装と遜色なく二人掛けの椅子が二脚と前に一人がけの椅子が二脚装着されていた。フィデルが前の席と向かい合わせの二人がけの椅子に乗り込むと、彼の右腕であるザルク・ネイヴィス四位がその隣に乗り込む。そしてその後ろの二人がけの席にサイ・ローレッタ六位とマルコ・マレー六位が順に席へと座った。フィデルらが着席したのを確認すると、カシムは外の席に座る男に手で合図を送り、フィデルの前の席へと腰をかけ内側から扉を閉めた。


キーーーン!!


 突然耳に金属が擦れ合うような、聞き慣れない音が聞こえる。咄嗟にフィデルたちが耳を押さえると、それと同時に彼らの座る席が上下に大きく振動を始めた。

 「最初のうちはあまり心地よくないかもしれませんが、慣れれば楽なものですよ。」

 カシムが特に驚くこともなくそう言うと、フィデルたちが少し踏ん張り気味に腰へ力を入れる。するとゆっくり駆動車が動き出すにつれ揺れが少しずつ治っていき、激しい金属音も少しずつ静かになっていった。

 「20分ほどで庁舎に着くかと思いますので、どうぞ楽にしてください。」

 カシムが目の前に座るフィデルへそう言うと、フィデルは耳を塞いでいた手を離し足の上に置く。

 「なるほど、カムラカンでは技術の発展が著しいと噂で聞いてはいましたが、これほど違いがあるとは。」

 フィデルがそう言うと、カシムが笑顔で応えた。

 「ええ、驚くことばかりです。海側の国ではこの駆動車のような重金属を用いた技術で、術具を使用しない道具の製造に注力をしているようです。」

 フィデルの言葉にカシムが続けて言った。

 「術師(クレナ)がいなければ製造することができない術具と違って、これは誰でも製造することが可能です。もちろん、術具には術具にしか扱うことのできない領域もございますが、私はこの技術こそ次の時代を担うものになると思ってさえおります。」

 カシムがフィデルへそう言うと、フィデルの横に座るザルクが割ってカシムへと聞いた。

 「しかし、そうなればルネリスの紙重石の価値が少なからず落ちてしまうのではないですか。」

 術具が普及しているからこそ紙重石の価値が上がり続ける。それに変わるものが生まれればその価値が下がるのは当たり前だった。しかしカシムはザルクに言葉を返した。

 「時代は日々変わり続ける。いつしか終わりは来るものです。だからこそ、早急に手を打つ必要がある。失ってからでは。」

 カシムは少し虚げにそう答えると、少しの間の後に言葉を続けた。

 「正直なところ、私を含め多くがこのまま中立領であることには危機を感じております。サルヴァン代表も何故あそこまで国属となるのを毛嫌いするのか。元々はノクティル領であったのにも関わらず。」

 カシムが呟くようにそう言うと、フィデルが彼に尋ねる。

 「私が言うのもおかしな話ですが、アルカート書官は国属になることへの抵抗はないのですか。」

 フィデルがそう聞くとカシムは一度息を吐き、席の横についた小さな小窓を開け外へと目をやる。フィデルが同じ窓から外に目を向けると、老若男女のルネリスの住民たちが汗を垂らしながら必死にあるべき街の姿へと戻そうとしていた。

 「私は平和を望んでおります。このような自体が起きないようにするために、必要であればやむなしと。そう思います。」

 カシムは外を憂うように見つめながらそう言うと、再びフィデルらの方へと目線を戻し語った。

 「決して国属となることが平和の保障であるとは思いません。中立領という立場こそ戦いを避けるという意味では正しいのかもしれない。しかし、このような事態が実際に起きた今、決断をする必要があると思うのです。」

 その言葉の後、カシムは再び外へと目をやり呟いた。

 「火の時代が再び訪れないとも限らない。ときに正しいのは一体どちらなのか。」

 そう呟くとカシムは開けた小窓をゆっくりと閉めた。かつて旧大陸に文明があったとされる古き時代、伝説の三霊の力を巡り戦争が始まり旧大陸はその形を失いウェインラッド大陸が生まれたとされている。そんな誰も知らない「災厄の時代」のことを、今に生きる人々は「火の時代」と呼んでいた。


 ルネリスの代表庁舎の前にフィデルらを乗せた駆動車が止まる。再び大きな振動が下半身からフィデルたちへ伝わる。少しずつ振動が小さくなっていき完全に駆動車が静止すると、カシムが扉を開け最初に外へと降りていく。カシムは開けたその扉が閉まらないように右手で支えるとフィデルたちがそこから外へと降りる。駆動車の独特な揺れに少し足元をふらつかせながら外へと出ると、目の前に代表庁舎があった。外壁を見渡すと至るところの窓ガラスが割れており、上の方の壁は人が通れるほどに大きな穴が空いていた。

 「どうぞ、まだ色々と散乱しておりますので。足元にお気をつけください。」

 カシムはそう言うと先導するようにフィデルらを連れ庁舎の中へと入っていく。

 庁舎の中、フィデルが周りを見渡すと殆どの壁という壁に亀裂が入っていた。額に入った絵画や写真の数々が床へ落ちバラバラになっており、花瓶と思われる陶器の破片も辺りに散乱していた。エントランスであったろうと思われる場所から上を見上げると上層の天井が見えるほどに大きな穴が空いており、ここで起きたことの惨状を示すような有様だった。

 「いつ崩れてもおかしくないですね。」

 フィデルの後ろに付き従うサイがフィデルへ呟くように言った。

 「硬質の術具を用いて一時的に補強しております。まあ、ここまで酷いとおそらく立て直しになるでしょうが。」

 前を歩くカシムがサイの言葉を聞いたのか現状を話す。硬質の術具は一般的に兵士の負傷を防ぐために肉体に使用することで刀身による裂傷を防ぐ役割がある。さらに上質なものほどその固定力と持久力は保障され、このような災害の起きた建物の一時的な補強に対しても有用であった。

 「ここまでのものを支えるとなると、かなり上質なものでしょう。」

 フィデルがカシムに尋ねる。

 「ええ。実のところ、事態が起きているとき私自身カムラカンへと交渉に行っておりまして。丁度その受領品が硬質の術具の複製だったのですよ。複製の使用許可をもらい戻ってきたらこの状況だったので、ルネリスに滞在する術師に製作いただきました。まあ、材料の紙重石は土地柄いくらでもありますから。幾重も繰り返して精度の高いものをなるべく早くと。」

 カシムがそう話すと、フィデルの後ろに着いていたサイがカシムに聞いた。

 「アルカート書官は事態が起きていた中、このルネリスへいらっしゃらなかったのですか。」

 「はい、まさかこんなことになってしまうとは。」

 カシムが何気なく言ったその言葉の言い回しにフィデルが何か少し違和感を感じた。

 「しかし、事態が起きてからこの短時間でここまでの術具を作れるとは。」

 「まあ、術師(クレナ)という職業上、公に国で働ける人間は多くありませんから。このルネリスにも何人かは。」

 術師は一般的に公的に認められた者たちだけを指す呼び方であるが、その資格は難関を極めており一年に一人だけ合格者が出るかどうかというほどだった。そのため、資格を持たずとも独学で術具を作るものも多く、そのような人間たちはルネリスのような中立領で作成した術具を売っていた。

 ザルクの呟きにカシムがそう答えたとき、カシムを先頭に「執官室」と手描きで書かれた紙の貼り付けられた扉の前で皆が止まる。

 「サルヴァン代表、ケイロス王国の使者の方々をお連れいたしました。」

 カシムがノックし、そう言いながら扉を開ける。部屋の中ではグアマン・サルヴァンが何かの用紙に目を通しながらボロボロになった椅子に座っていた。

 「ようこそいらっしゃいました。アルカート書官、皆様に何か飲むものを。」

 グアマンがカシムへそう言うと、カシムは丁寧に扉を閉めながら外へと出ていく。扉が閉まるとグアマンは持っていた紙の束を机代わりにしている物入れの上に置くと立ち上がりフィデルの元へと寄っていく。

 「まずは先の事態の礼を、改めてありがとうございます。あなた方のお陰で我々はまだこのルネリスで生活が出来ております。」

 グアマンはそう言うと手のひらを差し出す。フィデルがその手のひらを握るとグアマンへと言った。

 「いえ、条約を履行する国として当然のことをしたまでです。」

 フィデルがグアマンの手を握りながら答えると、グアマンは笑みを浮かべながらその手を解く。するとグアマンがフィデルたちを手のひらで横に置かれたソファへ促す。そのソファは所々が破けており、お世辞にもルネリスの代表の部屋にあるようなものとは思えなかった。

 「申し訳ございません。何分状況が状況なもので。」

 グアマンが申し訳なさそうにそう言うも、フィデルは気にする素振りもせずその壊れかけのソファへと座った。その隣にザルクが腰をかけ、サイとマルコは後ろに立っていた。

 「しかし時間を空けず、アルカート書官の話では大分急がれていたようですが。」

 フィデルがグアマンへと座りながら尋ねる。グアマンはソファに向かい合うように置かれた同じく壊れかけの1人掛け用のソファへと座る。

 「ええ、色々思い悩むことがございまして。」

 グアマンはそう言うと前のテーブルの上で手を握り合わせ、その上に自身の顔を預ける。

 「このような事態が訪れたのは正直なところ、私自身の独裁制が及ぼしたという部分があるというのが理由でしょう。この街に暮らすものたちには謝罪の言葉などでは足りないほどと思っております。」

 グアマンがそう語る。中立領という立場上、誰の責任などという話で片付けられる問題ではなかったが、実質的にグアマン・サルヴァンが権利を握るこの土地において、どこに責任があるかとするならばそれも仕方のないことでもあった。

 「こちらとしても条約に則った出来るだけのことはさせていただくつもりです。」

 グアマンの言葉にフィデルが礼儀を返す。すると、グアマンは言葉を続けた。

 「ありがとうございます。実は、ひとつだけ皆様に聞いていただきたいことがあるのです。それが今回お呼びした理由でもあります。」

 そう言うと、グアマンはフィデルらに目を向け言葉を続ける。そのとき、グアマンの表情から先ほどまで浮かべていた笑みが消えた。

 「我々サルヴァン一族には決して国に護られてはならない理由がある。それをお話ししたい。」

 グアマンがフィデルたちの目を見ながらに語る。その含みをもつ言い方にフィデルが聞き返す。

 「理由、ですか。」

 フィデルの言葉にグアマンは、一度握り合わせていた手の裏に口を置き、誰にも聞こえぬように何かを呟きながら目を落とす。そして再びフィデルに目を合わせた。

 「ええ。このルネリスという土地は昔より多くの血で汚れました、ノクティル領であった時代から。私自身、その重責からは逃げることができなかった。」

 グアマンはそう語ると、さらに言葉を続けた。

 「私たちサルヴァン一族はいわばノクティルから生まれた者たち、しかしノクティルの人間にも分からないように今日まであることを隠し続けていました。そして、それは私の愛する者たちを犠牲にする結果にもなってしまった。」

 グアマンはそう言うと、フィデルたちの後ろに飾ってあった一枚の写し絵に目をやる。後ろに立つサイとマルコが目を向けると、そこには彼の家族が描かれており、グアマンの横には笑顔浮かべる一人の女性、アグリッサによって殺された義娘の姿もあった。

 「それほどのものを背負っていると。」

 ザルクがグアマンに対し横から言葉を入れる。するとグアマンは再びフィデルたちに目を合わせた。

 「私自身、その重責を背負い続けることが正しいことだと思っておりました。そのせいで火の時代が訪れるよりは良いと思った。しかし、もう遅すぎたのかもしれない。彼らに知られた以上、隠し続けることよりも、それを防ぐことのできる方々に託すべきだと。」

 再び出てきた「火の時代」という単語に後ろに立っていたサイとマルコが息を呑む。フィデルがグアマンを見ると、グアマンは再び目を落とし、少しの間の後呟くように言った。

 「・・・それは大地の形を変えゆくことであっても、始まりを告げるものではない。例え恐れを抱くとも、そこにあり続ける。」

 グアマンが溢したその聴き覚えのある言葉にフィデルが続いた。

 「・・・始まりこそあれど、終わりを知らない。訪れるのは闇の中に灯る魂の還火(かえりび)。焼かれども、(かいな)は鎖に繋がれ、決して許されざる。」

 「ご存じでしたか。」

 フィデルのつぶやいた言葉に対しグアマンがフィデルの目を見て言った。

 「ヴァーンハイト二位、今のは。」

 「[ヨグ・ヘキア]の一文、かつて三霊がいたとされる時代の始まりを綴ったものだ。」

 マルコがフィデルに尋ねるとザルクが代わりに答えた。

 [ヨグ・ヘキア]は三霊の伝説を綴った古文書の名前であり、伝承や御伽噺としてある「三霊の伝説」の元とされるものだった。誰が書いたものなのか、いつの時代からあるものなのかが誰にも分からず、それが創作なのか、伝聞録なのか全てが不明の書物だった。

 「三霊など所詮は御伽噺と思おうとしているが、どこかでその存在を信じている。ウェインラッドに生きるのであれば、そうは思いませんか。」

 グアマンが真剣な表情でフィデルらへそう告げる。その表情の真意を掴めずにフィデルがグアマンに聞き返す。

 「どういう意味ですか。」

 フィデルの言葉にグアマンが答える。

 「人間、それほど綺麗な絵空事を作ることなどできません。必ず、始まりはある。」

 そしてグアマンはフィデルたちに告げる。

 「皆様は、[刻版]、というものをご存知でしょうか。」


3.

 王の間を後にし、騎士たちに囲まれながら三層の廊下を歩く中、セシルは自分の中で燻っていた感情を初めて誰かに吐露したことに自分でも驚いていた。自分の今置かれた状況を理解し、そして自分自身で解決しなければならないということ全てがのしかかったとき、初めてそれが吐き出た。自分がもう潰れて壊れてしまいそうなほどにギリギリの状態であるからこそ、自分が出てきた。何も解決したわけではない、しかし少し気持ちが軽い。自分がまだ、既にいなくなっていたと思っていた自分がまだ、自分の中にあったことがうれしかった。

 思い耽る中、ふと俯きながら歩いていた顔を上げる。目の前には真っ直ぐな廊下が続き、最奥には遠いはずなのにはっきりと白い仮面のかけられた扉が少し開いた状態で見える。そのとき、その部屋の扉が見えることに対して何も疑問を思わなかったが数秒後、その違和感に気づいた。

 誰もいなかった。いつのまにか目の前を歩いていた騎士がいなくなっていた。不思議に思い後ろに目を向けると、後ろについていた騎士もいない。三層の何処かも分からない廊下で何故かたった一人となっていた。周りを見渡すも人が一人も見当たらない。前を歩くものが先に行ってしまうのはまだ理解ができたが、後ろに付き従う人間がいなくなるなどありえなかった。二層までとは全く違う間取り、迷路のように入り組んだ空間の中、いつのまにかセシルは真っ直ぐ続く廊下の前でたった一人となっていた。

 

ニャー


 奇妙な気持ちの中、ふと何かの鳴き声がする。辺りを見渡すも特に何もなく、不意に足元へ目を向ける。そこには一匹の黒猫が自分の足元に擦り寄っていた。

 「なぜ、こんなところに。」

 セシルが黒猫に手を伸ばそうとすると、猫はセシルの足元を離れゆっくりと歩いていく。セシルが黒猫の後を追う。何故追っているのか自分でも分からない。まるで誘われるように、追わなければならないという思いが心のどこからか湧いてくる。黒猫が正面最奥にあるその白い仮面のかけられた扉の隙間から中へと入っていくと、セシルは誘われるようにその一室の前へと向かい扉へと手をかける。そのときだった。

 「そこで止まりなさい。王妃は王妃となったときから決して顔を主以外のものに見せてはならないこととなっています。」

 中から女性の声がする。そしてその女性の一人称から彼女が何者であるか一瞬で理解し、跪いた。

 「セシル・ヴァーンハイト、ダグベット・ケイロス陛下からの召喚状が発せられたことは聞いております。告げられたことを私に述べなさい。」

 扉越しの女性の声は名乗りこそしないが、この国における王妃はただ一人、ダグベット・ケイロスの妃、エトランゼ・ケイロスだけだった。

 「王より決して口外してはならぬと申し付かっております。たとえ王妃様であらせられても、お伝えすることはできません。」

 セシルが跪きながら答える。エトランゼと思われる女性はセシルのその答えに聞き返した。

 「それが女王の命令でもか。」

 「はい。」

 セシルがエトランゼと思われる女性へと跪きながらも強く答える。すると再び扉の隙間から先ほどの黒猫が現れた。黒猫がセシルへと顔を向ける。その片目の色が違う顔にセシルは見覚えがあった。

 「やはり、ケイロス国王はそのように。」

 その言葉にセシルが顔を上げると、壇上の奥に白いレース越し、誰かが椅子に座り猫を撫でていた。

 「!?」

 状況が理解できなかった。まるで時間が飛んだように、いつのまにか部屋の中の白いレースの奥にいる人物の前で跪いていた。白く花弁のような模様の入ったレース越しにうっすらと見えるおそらく王妃と思われる女性、顔には常に外交の場などでつけている白銀製の儀礼の仮面がついているのが分かった。

 「ケイロス王のおっしゃることは理解できます。禁域の谷は名の通り禁じられた地、そこに足踏み入れてしまったのはあなたなのですから。」

 王妃の言葉にセシルが頭を下げる。自分が王妃に対し何を言ったのかセシルには分からない。しかし、確実に全てを話してしまったのだという恐怖があった。王妃の持つオブリヴィオンについては国民の誰もがその能力を知らず、そもそも王妃がオブリヴィオンを宿しているのかも知らなかった。しかし、今この瞬間起きたことを偶然で片付けるのは無理がある。これが、王妃のオブリヴィオンなのだとセシルは状況から察した。

 「釈明の余地もあるでしょう。しかし、それが受け入れられる可能性は限りなく低い。このままゆけば、あなたは全てを失うか、全てを背負ったままに死ぬこととなる。」

 王妃の言葉に現実を突きつけられる。自分の置かれている状況を再びまじまじと感じ、セシルが無言でただ俯いた。

 「・・・セシル・ヴァーンハイト、あなたはあの少女のことをどうお思いですか。」

 俯くセシルへエトランゼが尋ねる。セシルがその声に顔を上げると、エトランゼの表情は仮面越しで分かるわけがないのにも関わらず、こちらをじっと真剣な表情で見つめているのが感じ取れた。

 「・・・私はいま、多くのものをこの心に負っています。その一つがあの少女のことであるというだけ、と思えないのです。私は一体あの少女に何を感じたのか。あの瞬間、何を思ったのか、自分でも分からない。分からないからこそ、もう一度だけ会いたい。それを知るために。」

 「・・・それは、少女への好意ということですか。」

 黙ってセシルの言葉を最後まで聞いていたエトランゼが少しの間の後、セシルへと聞いた。その言葉にセシルは苦い顔をするとエトランゼへと答えた。

 「分かりません、自分にも。」

 セシルが呟くように答える。するとエトランゼはそっと右手をあげ起立の号令をする。セシルがその合図に従いゆっくりと立ち上がろうとしたその瞬間、突然目の前がぼやける。立ちくらみとはまた違う、はっきりとこのまま意識を失っていくのが分かる感覚、そのぼやけていく意識の中、目の前に座るエトランゼがレース越しに仮面をとり、セシルへと告げた。


 「セシル・ヴァーンハイト、あなたが望むなら、あなたがそれでもあの子に会いたいというのであれば、明日の夜、あの場所へ・・・そこで・・・。」


 エトランゼの言葉が途切れた瞬間、ふと気がつくとセシルの目の前には先ほどの騎士たちが前を歩いていた。

 「セシル・ヴァーンハイト、もう少しで二層となる。」

 前を歩く騎士がセシルの方を見ずに伝える。記憶の繋がらないセシルが周りを見渡すが、先ほどまで自分がいた廊下の景色とは全く違う。

 「王妃様は。」

 セシルが思わず呟く。

 「王妃様がどうされたか。」

 後ろを歩く騎士の一人がセシルの問いへ聞き返す。夢だったのかもしれない。しかし、これほどまでにはっきりとした記憶を夢と片づけるには無理があった。

 思い出す初めて聞いたはずの女王の声、しかしその声は聞いた覚えのあるものだった。だとすれば理由がわからなかった、彼女に繋がる理由が。そう考えたとき、不意に懐に違和感を感じる。何気なく手を懐に入れ、それを取り出した。

 「・・・鍵?」

 それは見たこともない、頭の部分に薄く加工された赤水晶が嵌め込まれている古い鍵だった。そして、再び王妃様のあの言葉を思い出す。


「明日の夜、あの場所へ・・・そこで・・・」

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