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オブリヴィオン -忘却の戦史-  作者: 長谷 治
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第四話 子と親の話

 ラトーリアと名乗る女性に一命を救われたセシル、牢屋の少女、治癒の術具、端端にある違和感を心の何処かに残しつつも城下街へと帰る。昼時、友人ヨークとのたわいのない会話から自分の中のけじめをつけようと再びラトーリアの元へ尋ねるが、そこにラトーリアの居た事実は存在しなかった。

 「都合の良い夜に、ここへ来なさい。」

 その言葉は、文字通り「夜」でなければいけないということをセシルは理解した。

 「また、もう一度今夜訪れよう。」

 王とは偉大でなければならないというのが父の口癖だった。たった一つの国を統べるということは、計り知れないほどの大きな責任を伴うことであり、その資格を受け継ぐということは、それだけで他者から全てにおいて認められなければならない。だからこそ、その資格を持つものは常に高潔な存在であり続けなければならない責務を神より与えられるというのが父が決まっていう言葉だった。幼い日から毎日のようにその言葉と共に生きてきた。だからこそ、王となり得る存在、王と認められる存在になろうと日々絶え間ない努力をし続けた。戦友と共に、民と共に、愛するものと共に、ただひたすらに人々が王と呼ぶ存在であろうとした。いつしかその自分を少しずつ、また少しずつと人々が認め、自分が認めるようになっていった。

 そして父の亡くなった日、自分は王となった。国民の誰もが自分を王と認めてくれた。それでも終わりはない。明くる日も翌る日も、常に王であろうとした。しかし気づいたとき、それまでに自分が得ていたものは愛するものと、残酷な真実たちだけだった。


1.

 ケイロス王国の中央に聳え立つバンドレイク城、その城内には大きく分けて三つの階層がある。催事などで使用される国民誰もが出入り可能な第一層、国交間の要人の宿泊所や騎士団関係者のみが出入りを許された軍法会議など政治関係に使用される第二層、そして王族とごく僅かの許可された人間しか立ち入ることのできない、いわば上流階級の人間が生活をする第三層である。第三層はとくに内装からして他の階層と明らかに違い、その部屋ひとつひとつへと続く廊下は他の階層よりも多くの装飾が施されていた。床には赤褐色の貴重な鉱物を原料としたタイルが敷き詰められており、上を見上げればひとつで国内の一般的な民家一軒は買えるほどの絢爛なシャンデリアが多く垂れ下がっていた。扉一枚一枚を見てもその装飾は目に痛いほどのものであり、それは現国王ダグベット・ケイロスの曽祖父にあたる人物、先代国王ヴァルホレン・ケイロスが虚栄心の強い人物であったため改修させたものの名残りであった。

 第三層に暮らしている王族たちへの窓口である書官に対し、今朝帰還したルネリスについての報告を終え、絢爛すぎる廊下をバセットが一人、二層へと繋がる階段へと向かい歩いていた。王宮警護を任されているまだ少年といって差し支えのない年齢のものたちがバセットへと敬礼するたびにバセットが丁寧に礼で答える。第三層の警護は騎士団、警備団に属している人間の中でも王族の家系にあるものたちだけが許されている。理由として、ひとつは王族の人間も国を守るために働いているということを見せつけるため、もうひとつはそれでありながら自分たちは城で守られる存在であるという認識を持たせるためであり、その「脆すぎる盾」は国民の中でも疑問を持つものもいた。また騎士団長という立場にある故、バセットは目上の存在として彼らに扱われていたが、家系としての位は彼らの方が圧倒的に上の存在でもあった。

 二層へと下る階段の手前、右向こうの廊下から一人の少年が剣を携えこちらの方へと歩いてくるのが見えた。いつもの白を基調とした鎧姿とは違い、年相応でありながら明らかに高価な服飾を身につけた王子ベルノール・ケイロスの姿であった。

 「ベルノール様、どちらへ。」

 バセットがこちらへと歩いているベルノールへと声をかける。

 「ダンテール一位。剣の鍛錬のため修練場へ、明後日にヴァーンハイト六位との稽古があるので少しでも磨いておこうと。」

 ベルノールがバセットの声に気がつくと、腰に携えた剣の柄に手を触れながらそう答えた。ベルノールは王族、ましてや国王の子息でありながら三層警護の任ではなく、騎士団の道へと進んだ異例の存在であり、それは当時、その道を推薦した現国王であり父親のダグベット・ケイロスに対し王族、国民からも批判が集まるほどだった。しかしベルノール自身の才、そして彼の何事にも真摯にまっすぐ向き合う姿勢が評価され、今では「文武を備えた次期国王たる存在」として誰からも好かれるようになっていた。

 「あまり無理をなさらぬようお気をつけください。前回の任からあまり時間も経っておりません。」

 「分かっております。しかしいずれは王となる身、ゆえに強くありたいのです。」

 バセットのベルノールの身を案じての言葉にベルノールが答える。するとベルノールは自身の袖をゆっくりとたくし上げた。その袖先から現れた腕はか細く、まるで女性の腕のようだった。

 「私はダンテール一位が羨ましいです。あなたのように強くありたいと願っても、生まれ持ってのものを否定することはできません。だからこそ、せめて剣技だけはと。」

 「私は、それほど立派なものではありません。」

 「いえ、私は父とダンテール一位こそ目指すべきものであると思っております。父の聡明さ、そしてダンテール一位の強さこそがこのケイロス王国の象徴であると信じております。」

 バセットの謙遜にベルノールが真っ直ぐに純粋な目で答えるとさらに言葉を続けた。

 「父は私のことをまだ王としての器と認めてくれてはおりません。騎士団への入団も父より課せられもの、ならばその父に認めていただくためにも。」

 ベルノールがそう語るとバセットが真剣な眼差しを向けベルノールへと聞いた。

 「ベルノール様は、どのような王となりたいのですか。」

 「どのような、王?」

 バセットの不意の言葉にベルノールが不思議そうな顔をする。

 「申し訳ございません。しかし目標がなければいつかは折れてしまうかもしれない。到達すべきものがなければ、人はそれほど丈夫にはできておりません。」

 「皆に認められる王、では抽象的過ぎますでしょうか。」

 ベルノールがそう答えると、バセットは自身の鎧の隙間へと腕を入れる。そして何かを取り出すと、ベルノールへと見せた。

 「それは。」

 「これは私が国王、あなたのお父上より初めていただいた王族憲章です。騎士として国を守る身、私はこの王族憲章もらった日、国王にこの身あるまでお守りすることを誓いました。それは国王、ベルノール様ら王族の方々の身、そしてこのケイロス王国の民全てを。」

 バセットはベルノールへとそう語ってみせた。よく見るとその王族憲章は薄汚れていたが、バセットが常に肌身離さず持っていることがベルノールには理解できた。

 「私自身が願うのは国とベルノール様ら、ケイロス一族を守ること、それがバセット・ダンテールとしての誓いであり、私自身の目指す騎士というものです。騎士として戦う道を知るベルノール様はケイロス王とはまた別の道を歩むこともできましょう。それを選択できる権利も放棄する権利もあなたにございます。だからこそ、あなたの望むものを。」

 バセットのその言葉に、ベルノールは自然と自身の胸へと手をやると、首から掛けていた装飾を手で優しく握りしめる。

 「先日のルネリスへの道程、ヴァーンハイト六位にも同じことを言われました、私には選ぶ権利があると。」

 「皆、あなたには良き王となって欲しいのです。今のケイロス王が前国王より素晴らしい人物であるように、あなたにもさらにその先を目指していただきたい。皆そう願っているのです。」

 バセットはそう答えると手に持っていた王族憲章を再び鎧の隙間へと戻す。そしてベルノールへと向き直す。

 「王とは強さと聡明さだけではありません。多くの糧や想いを汲み取り、その上に立つものとして。ベルノール様にはそのような王になっていただきたい。おこがましいかもしれませんが、それが私の思うものです。」

 バセットはそう語るとベルノールへと一礼をし横を通り過ぎる。すると、後ろよりベルノールの声が聞こえる。

 「ダンテール一位、必ず見つけてみせます。私の目指す王としての在り方を、そして必ずあなたに答えてみせます。」

 ベルノールが晴れ晴れした顔でそう言うと、バセットへと一礼し修練場へと向かっていく。その後ろ姿をバセットが静かに振り返り見つめる。

 「せめてこれぐらいはよいだろう、ラトーリア。」


2. 

 時刻は夕刻にかかっていた。東大通りで商いを営んでいた人々が軒先に出していた屋台の品物を片付けている中、東門の前に十人前後の騎士団のものたちが一人ずつマウを連れ、東門前で話し合っているのがイェルコ渓谷から帰路に着いていたセシルの目に入ってきた。集団に近づくと、その中心に父フィデルが立ち何かを話し合っているのが見えた。

 「ヴァーンハイト二位。」

 フィデルの側に立つ騎士の一人が他の騎士たちへ指示を出すフィデルへ呼びかける。その声にフィデルが顔を向けると、その騎士は指で東門の外へ広がる道程を指差した。フィデルが差された方向へ顔を向けると、そこにはマウと共にこちらへと近づいてくる息子セシルの姿があった。

 セシルがフィデルの前に近づくにつれマウの速度を落とす。そしてフィデルの前でマウを止めると、マウから降りフィデルの前へと立つ。

 「父上、どちらへ。」

 セシルがフィデルへ問いかける。

 「ルネリスのグアマン代表に用があってな。ダンテール一位はノクティルとの捕虜交渉があると、私が代わりに行くことになった。お前こそ、マウを連れどこへ行っていた。」

 フィデルのその言葉にセシルは少し沈黙すると口を開いた。

 「・・・ダッフェルバウンへ行っておりました。」

 「・・・。」

 その言葉にフィデルがセシルを見ながら吐息混じりに沈黙する。するとフィデルの大きな手のひらがセシルの肩に優しく掴む。フィデルがセシルの目を真剣に見つめるが、セシルはその視線から目を逸らす。

 「セシル、先日の任務を憂いているのかは知らないがお前はケイロスの騎士だ。それを忘れてはいないだろうが、お前にとっての守るべきものは、分かっているはずだ。」

 フィデルはそう言葉を濁しながらもはっきりと「難民に情をかけすぎるな」と言っているのがセシルには分かった。

 フィデルがセシルの肩へとのせた手に力を込めると、セシルがフィデルの目へと視線を戻す。その目は悲しく優しい目をしていた。

 「お前を誇りに思っている。父として、だからこそ強くあってくれ。背負うこともまた騎士の務めなのだと。」

 フィデルのその言葉に、セシルはただ静かに頷いた。その顔を見て、フィデルは少し不安げな思いを募らす。

 「ヴァーンハイト二位、そろそろお時間が。」

 後ろに立つ騎士の一人がフィデルへと伝える。

 「ああ、分かっている。セシル3〜4日家を空けるがラウラのことを頼んだぞ。」

 「承知しました。父上もお気をつけて。」

 セシルがそう答えるとフィデルはマウへと跨り騎士たちの前へと出てみせた。

 「では、行ってくる。」

 フィデルはそう言い残すと、東門の外へと向かい、その背中に追随するように10人ほどがその後ろに付き従っていった。

 父の後ろ姿を見送ると、セシルは東大通りの道を俯きながら屋敷へと向かう。思わず父に言った小さな嘘が再びセシルの重荷となった。いや、嘘ではない、時系列を崩せばたしかにダッフェルバウンへは行ったのだから、そんな言い訳を頭の隅に追いやる。父の自分を想う言葉に自分が真摯に向き合えるのかと、ただ胸が辛くなる。自分を救ってくれた父だからこその言葉、自分を育ててくれた父だからこその言葉、自分に情を抱いたからこその父の言葉、あの言葉に詰められた想いは恐らく、自分の考えるものよりもずっと多く、ずっと大きいのだろうとセシルは思う。イェルコ渓谷にて浮かんだ新たな疑問、求めたものさえ得ることが出来ず、父の言葉と共にそれはさらに彼の重荷となっていた。

 セシルがヴァーンハイト家の屋敷の前へと着いたとき、門の前に数人の人間が立っているのが見えた。歩みながら近づいていくと、そのうちの一人は顔を知る、自身と同じ第六位の騎士位を持つ青年アルヴァス・カーンだった。セシルが彼らに近づいていくと、アルヴァスはセシルの顔を見るや焦りが見てわかる表情でセシルへと近づいてきた。

 「カーン六位、どうされましたか。」

 セシルがアルヴァスへ呼びかけるとその言葉に被せるようにアルヴァスが息を荒げながら言った。

 「ヴァーンハイト六位、召喚状です。」

 「召喚状?」

 召喚状とは特定の人物が誰かへ強制力のある面会を求めるときに認めるものであり、一般的には身分の高い人間が自分より身分の低いものへと当てるものだった。そしてそれは、あまり良い方面で使われることが少なく、何かしらの容疑がかかっているものへと送られることが多かった。

 「自分に、ですか。一体どなたが。」

 思い当たることがないわけではない。現に自分は昨日、禁域の谷へと足を踏み入れてしまった。それを誰かに目撃されていたのであれば仕方がないことではある。しかし、昨日の一件であればきちんとした理由も証人もいる。

 セシルがアルヴァスへ聞き返すと、アルヴァスはセシルの目を見つめ生唾を一度飲み込み、重くゆっくりと口を開いた。

 「ダグベット・・・ケイロス国王からです。」

 アルヴァスから発せられた言葉に一瞬、セシルの時が止まった。アルヴァスがセシルへ持ってきたその召喚状は、このケイロス王国の国王、ダグベット・ケイロスからの召喚状であった。何故かが分からない。理解ができない。立ち入り禁止とされる谷に入ってしまったのは確かに自身に非がある。しかし、それがいきなり国王の召喚状に結びつく理由が彼には分からなかった。

 「何故、先程父からは何も。」

 「早急にと、先程伝令から受け取ったのです。恐らく我々以外、まだ知るものもいません。」

 アルヴァスはただ所属部隊の定例会からの帰路、二層を歩いていた際に三層からの伝令と偶然居合わせたとのことだった。伝令にも詳細は伝えられておらず、アルヴァスが伝令から聞いたのは「ただ今直ぐにセシル・ヴァーンハイトを召喚せよ」とだけだった。

 「国王からの召喚状です。直ぐに身支度を整えて頂きたく。」

 アルヴァスにそう急かされ、セシルは戸惑いながらも屋敷の中へと入る。国王が呼び出すほどのもの、それほどまでに秘匿なもの、結びつきそうなものはたった一つしかなかった。「牢屋の少女」自分が見た禁域の谷の彼女が恐らく全ての理由、であるならばラトーリアというあの女性は一体、そう考えを巡らせながら扉を開けると、エントランスには既に家政婦たちがセシルの正装を携えて待っていた。

 「セシル様、国王からの勅令です。一刻も猶予はございません。」

 真ん中に立つカルネルが真剣な面持ちでそう言うと、家政婦たちはセシルの身支度を整えていく。身体を預けながら頭の中に再び考えを巡らす。国王の召喚状などそう簡単に出るようなものではない。それこそ国を揺るがす貢献、または災害をもたらすようなものでないと。


 「彼女にそれほどまでの何かがあるのか。」


 考えれば考えるほど少女への興味は一層強くなるだけだった。もう一度あの少女に会いたい、そう彼の中の想いは少しずつ変換されつつあった。正装を整えられ再び外へと出ようとしたとき、カルネルへセシルが聞いた。

 「カルネルさん、あの、母上は。」

 「ラウラ様は恐らくまだ裁縫室かと。何分急だったのでまだお伝えできておりません。今、すぐにでも。」

 「いえ、大丈夫です。伝えておいていただければ、行ってきます。」

 セシルはそうカルネルへ伝えると、アルヴァスと他の騎士たちが待つ扉の外へと出る。セシルが出てくると、アルヴァスがセシルの前に立ちセシルの後ろに騎士たちが回り込む。

 「大丈夫です。逃げることなどしません。」

 セシルがそう言うも騎士たちは彼を囲み共、に城へと向け歩み出す。道中、アルヴァスがセシルへ小声で一言言った。

 「申し訳ありません。決まりですので。」

 アルヴァスの言葉にセシルが少し表情を和らげた。

 

3. 

 カーベンバインはノクティル国のほぼ中心に位置する巨大な円形上の建造物である。ノクティルの国民はある事情によりこのカーベンバインの中での生活を余儀なくされており、ほとんどの住人がこのカーベンバインの中で共同生活に近い生活様式を送っていた。ケイロス領から見えるスタンピッド礼拝堂はこのカーベンバインの頂上に建造されているものであり、祭事の際などはこの礼拝堂が解放され使用された。そして礼拝堂は同時にノクティルにとっての重要拠点であり軍部や国政の中枢機関はこの礼拝堂の中に併設された場所で行われていた。かねてよりケイロス一族による王政を行うケイロスと違い、ノクティルは民主主義に近い共和制を持った国政を行なっていた。しかしそれは完全な民主主義を行うマフェレーやカムラカンとは違い、枠組みだけが民主主義の形をしているだけであり、決定権と同じ意味を持つ権力はサーヴェイ・ランボルト代表含む代表議会に一任されていた。それはノクティルという国がかつて王政であった名残りであり、そこから新たな国政へと変わろうとしているようにも見える。しかし、その形をここ二十年以上取り続けたことで対外の者たちからは「所詮は外野へのポーズに過ぎない」と思われていた。

 スタンピッド礼拝堂内大講堂の中に百人あまりのノクティル軍の高官や国政役員らが雛壇状になっている席へついていた。そしてその目線の先には壇上にアグリッサがただ一人、彼らの矢面に立たされていた。

 「つまりルネリスの制圧は失敗したということで間違いないのかね。」

 高官の一人がアグリッサへ質問を投げかける。

 「はい、その認識で間違いございません。交渉を先延ばしにされたことによりケイロス騎士団の到着を許しました。功を急ごうとしましたが、やはり最強と名高い彼らとでは、ご覧の事態となります。」

 高官たちの矢面に立つアグリッサが淡々と質問に答える。

 「中隊相当の人数を引き連れて、その隊長だけが逃げ帰ってくるとは、何も思わんのか。」

 別の高官がアグリッサへ声を荒げながら言葉を投げかける。

 「大変申し訳なく思っております。」

 対照的にアグリッサがただ静かに淡々と答える。

 「思うだけは勝手だ。結果を示せと言っている。」

 「ケイロスの騎士団の襲撃を受けたというが、兵量では遥かにこちらが優っているはず、なのに何故だ。」

 「はい、申し訳ございません。」

 高官たちの怒声にもアグリッサはただ淡々と謝罪を述べる。しかしそのアグリッサの淡々とした感情を見せない回答に苛立ちを見せた高官の一人が、彼に向かって手元にあった報告書の束を投げつける。しかしアグリッサは表情も一切変えず、ただその場で無言にその侮辱を受けた。他の高官たちが怒りを募らせている中、その様子をほぼ正面に座るノクティル国代表の一人、サーヴェイ・ランボルトはアグリッサ同様ただ静かにその様子を見ていた。

 「ある程度は覚悟してもらうぞ、その席にいる責任として。」

 高官の一人がそうアグリッサに向け言い放つと、他の高官らが大講堂からアグリッサへの愚痴を垂れながら不服な表情で出ていく。その中サーヴェイだけが会議室に居座り続け、最後には大講堂の照明が落ちると同時にアグリッサとサーヴェイだけが暗い大講堂の中に残っていた。入口の扉が閉まると同時に一番小さい照明のみがアグリッサとサーヴェイだけの大講堂の中を照らしていた。

 「もう構わん。それで、例の件はどうだった。」

 サーヴェイが姿勢を改めて直すと、アグリッサへと問いかけた。

 「・・・刻版はやはりルネリスのサルヴァンが持っているようです。それにあの反応、やはり刻み始めてるかと。」

 「やはり情報は本当だった、ということか。」

 アグリッサの話した内容にサーヴェイはそう返すと視線を落とし、自身の前で腕を組み直す。そして、再びアグリッサへと顔を向けると彼に問いかけた。

 「どう思う。盾か剣か、はたまた紐か。」

 「どれであろうとも、ノクティルにとって必要なものであることは変わりありません。この国を存続させるためならば救済も力も、叡智も全てが。」

 アグリッサはそう答えると投げつけられた報告書を拾い上げ、それに目を通す。

 「与えた役目、果たして帰ってくるとは思っていた。が、兵を全て見捨てるとは。」

 サーヴェイがアグリッサにそう言うと、アグリッサはサーヴェイへ目を向けずに言葉を返す。

 「相手がケイロスの騎士団だったので報告の任を優先しました。騎士道などというものを持つ彼らであれば捕虜を交渉なしに殺すこともないでしょう。後は、こちらの保有する領を交渉材料に取り戻せば良いだけです。」

 アグリッサはそう言うとサーヴェイの前に拾った資料を置く。するとサーヴェイが再びアグリッサへ言った。

 「後は真理の術具が有れば、三霊の居場所も分かるということか。」

 「そちらは大方何処にあるのか目星はついております。ただ、魔女どもに関してはもう少し考えて動く必要がありそうです。」

 アグリッサがサーヴェイの言葉に応える。

 「ひとまずは刻版を手に入れます。居場所がわかったのであれば、後は奪うまでです。サルヴァン代表には、あるべき場所へ返してもらいます。」

アグリッサはそう言い残すと部屋を後にしようとする。そのとき、サーヴェイがアグリッサへ一言聞いた。

 「その剣、戦いで汚れたものか。それとも。」

 その言葉にアグリッサはサーヴェイを見ずに剣の柄を握り答えた。

 「民を救うためであれば、私はこの剣、自身の血で染めることさえ恐ろしくありません。」

 アグリッサはそう言い残し、大講堂を後にした。暗い中、ただ一人残ったサーヴェイが一言呟く。

 「カーネルヴァイスの忌み子、か。」

 保護院カーネルヴァイス、それはノクティルの遥か北西にある国ホズンにかつてあった教会、アグリッサが幼少期を過ごした孤児院の名前でもあった。

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