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オブリヴィオン -忘却の戦史-  作者: 長谷 治
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第十話 堕と会の話

グアマンの意志のもと、ケイロスへの脚を速めるフィデルたちを謎の集団が襲うも、フィデルの実力の前に瞬で命を散らす。また、同じ頃セシルは倒れたヨークの元で彼の父ダウルから謎のメッセージを受け取る。そして、ノクティル国は交渉部隊派遣の手数を着々と踏みつつあった。

 「フィデルは私より強い。」

 ある修練の日の終わり、ダンテール一位が自分に言った。他愛のない会話のつもりで、何気なく若い日の父のことをダンテール一位に聞いた時のことだった。バセット・ダンテール第一位と父フィデル・ヴァーンハイト第二位は同時期にケイロス王国騎士団へ入団した。同期といっても、代々騎士団へ入団し功績を収めていた名門ダンテール家の子息の一人と、城下街に住む平民のヴァーンハイト家から出た出世頭、入団当初はそんな二人が比べられることすらなかった。しかしまだ新兵であった当時から、既に二人の才能は他の兵士たちと比べても抜きん出ており、入団から約30年後、今の団長、副団長の地位へそれぞれが就き、さらには内外ともに「歴代最強のケイロス王国騎士団」と呼ばれるほどになった。常に誰よりも強くあり続けている二人、その二人の位を分けているものがあるとすれば、自分から見れば「ただの強さ」だけかと思っていたため、その回答は意外なものだった。生まれの違いというものもあるが、そもそもダンテール一位は理由は不明であるが、騎士団に入団し一位となる前に一族から破門を受けており、両親が亡くなった当時、本家のあるケイロス領リザレイに団長の地位に就くまで足を踏み入れることすら許されないほどであった。

 「そもそも強さというものにも差がある。私のオブリヴィオンであるファルザーは多数の敵に有効な能力を持つ。対してフィデルのイーヴェロンは一対一の戦いに長けた能力。オブリヴィオンの能力によって有用な戦場はまるで違う。だが、ただの剣戟だけで比べたとしても、フィデルの方が私より一枚も二枚も上手なのは確かだ。」

 ダンテール一位は自分にそう言うと、手に持っていた修練用に鋳造られた刃のない鈍い色をした剣を眺めながら言った。

 「あいつは本当の天才だ。環境を与えられた私などとは違い、圧倒的に、強さも、そしてその意思も。」

 ダンテール一位がそう言ったとき、一つの疑問が浮かぶ。会話の流れから同じように軽い気持ちでダンテール一位に聞いた。

 「それほどであれば、何故父は団長へなれなかったのでしょうか。」

 失礼というのを自覚したのは言葉を発した後だった。

 「申し訳ございません。そういうつもりでは。」

 「・・・。」

 ダンテール一位は何も言わずに自分の前から去っていった。怒っていたのかも知れない。しかし何故かそのとき、自分に向けられた目の表情はそう見えなかった。まるでその理由が自分を指すかのような、そんな目をしていた。


1.

 時刻は既に夕刻を越え夜に差し掛かろうとしていた。ヨークの一件があり、今の気持ちに整理をつけられないセシルだったが、少しでも納得できるものを増やすために、エトランゼ女王の言葉を現実だと信じ、マウを再びイェルコ渓谷にあるあの管理小屋へと走らせていた。積もり積もったものが多く、そしてどれひとつとして答えを見つけられないでいる。ただ増えるだけのこのもやつく何かをひとつでもいいから取り払いたいというのが本音だった。

 イェルコ渓谷へと到着し、あの管理小屋が見えてくる。明かりは灯っておらず人の気配はない。思っていた通り、ある特定の時間になると、この管理小屋の本来の家主はどこかに行ってしまう。それは本人の意志によるものなのかもしれないが、セシルにはそうと思えなかった。

 管理小屋にある柵にマウの手綱をくくると、その場にマウを落ち着かせて伏せさせる。ゆっくり伏せの姿勢をとったマウから目を離すと、目の前に広がるイェルコ渓谷全体を見渡す。おそらくこのどこかにあの鍵が関係する何かがあると信じ、セシルは崖下、そして崖の上を広く見渡しながら渓谷のそばを歩き出した。先日と同様に崖底には暗闇が広がっており、崖の上にはところどころ野生の動物が数匹見えるが、人の気配はなく静まり返っていた。何より、一向に見えるのはいつもの崖沿いの景色だけであり、何も変わらない景色、ただひたすらに同じ情景が続くだけだった。

 「何もないのか。」

 どれほどか彷徨い歩いた末にセシルが呟く。日は完全に暮れ、夕方の静寂とは違う、夜の静寂が訪れていた。不意に懐へ入れていたあの鍵を取り出す。頭には赤い水晶がついており、鍵の部分はかなり古く、錆が付いているようにも見えた。

 「結局・・。」

 再び何かを呟こうとしたとき、手元が狂い鍵が地面へと落ちる。軽い音を立てて落ちた鍵を拾うため、姿勢を屈めて鍵を見たとき、自身の影をはずれ、丁度出てきた月明かりに照らされたそれの違和感に初めて気が付く。

 「この水晶、術具か。」

 ただの装飾だと思っていたその水晶が月明りに照らされたとき、反射からその中心に古式文字のようなものが刻まれていることに気付いた。術具というものは術師が古式文字を刻んだ紙重石を原料により製造される。そのため術具の特徴として基本的に透明度がなく、装飾などに用いられることはほとんどなかったため気付けないでいた。

 「何が書いてある。」と思いながら拾い上げ、セシルはそれを月に掲げて見るが、古式文字の知識を持っていない彼に、その文字の意味など分かるわけがなかった。

 「それは魔具(ゼーレン)、知る人間はそう呼んでいる。」

 水晶越しに月を見上げていたとき、不意の回答に振り返ると、そこには見覚えのある顔の女性があのときと同じ格好で立っていた。

 「ラトーリアさん、いえ、あなたは・・・。」

 セシルが女性の名前を言おうとしたとき、その女性は彼の口元に人差し指を突き立てた。

 「・・・今の私はラトーリア、それでいいのよ、セシル。」

 ラトーリアはそう言うと、セシルに突き立てた指を下ろす。セシルは少し戸惑うも、それ以上ラトーリアの抱えるものに触れようとはしなかった。

 「一体、これは。」

 セシルは向き直りそう言うと、ラトーリアへ手に持っていたエトランゼ女王から受け取った鍵のようなものを見せる。ラトーリアはセシルに無言で彼に着いてくるよう目線を送ると、それに応えるようにセシルは彼女の後ろを歩きだす。

 「知る人間は、魔具(ゼーレン)と呼んでいるわ。」

 「魔具(ゼーレン)?」

 歩きながら、ラトーリアがセシルの質問に答える。聞いたことのない単語にセシルが思わず言葉を繰り返すと、ラトーリアはセシルを見ずに言った。

 「あまり深く考えなくていい。」

 そう言うと、ラトーリアはセシルを連れてとある場所まで歩いていき、その場所の前でラトーリアが立ち止まる。セシルは後ろからその場所を見て思わず呟いた。

 「・・・どういう意味ですか。」

 「それをその扉に挿してみて。」

 ラトーリアはセシルの質問に答えようとせず、セシルに鍵を使うように促す。その先に見えていたのは、マウを括り付けたあの最初に訪れた管理小屋の玄関だった。

 「ただの管理小屋の鍵ということですか。」

 「・・・。」

 セシルがラトーリアに尋ねるも、彼女は何も答えない。半ば懐疑的な思いと少しの落胆があったが、その鍵を管理小屋の鍵穴へゆっくりと挿入する。


 カチャッ


 鍵は当たり前のように回った。色々と考えを巡らせていた中で肩透かしを喰らったような思いで開いた玄関の扉を開く。開けた瞬間吹き込む風、そこに広がっていたのは、谷底だった。

 「!?」

 意味が分からずに思わず扉を勢いよく閉じ、後ろに立つラトーリアへ勢いよく振り返る。ラトーリアは全く動揺しておらずただセシルを見ていた。

 「どういうことですか!?」

 動揺を隠しきれず、焦りのある声色でラトーリアへ尋ねる。管理小屋の玄関を開けた先、そこにあったのは前に訪れた小汚い小屋の台所ではなく、あの日の自分が生死の境をさまよった禁域の谷の底の風景だった。

 「この魔具はある地点からある地点を繋ぐことができる、転移の術具と似たようなもの。」

 ラトーリアは落ち着いた表情でそう語る。ラトーリアが言う通り、転移の術具は特定の人物を特定の場所へと瞬時的に転送することができる。しかし、それを使用するには多くの制約があることをセシルは知っていた。転移の術具は使用者の体に多くの負荷をかけるため、それを耐えるために使用者は心身共にかなりの修行を積まなければならない。さらに転移の術具は使用者と転移先をそれぞれ基点として発動するため、術師によって刻まれた術具で作った墨を身体に刻むこと、術者が予め転移先を術具の受け口として作ることが条件であり、好きな場所に好きなように転移できるわけではなかった。つまり、何の変哲もない扉に術具を当てるだけで、特に何もしていない自分が転移先に飛ぶことなど不可能だった。

 「術具だとしてもこんなこと不可能です。どんなに精巧な術具でも、使用者に古式文字を刻まずに転移の術具を成立させることなんて。」

 「だから言ったでしょ。これは術具ではなく魔具、似て非なるものでありそれ以上のものではないわ。」

 声を荒げるセシルにラトーリアはそう言って、彼の前に割り込み扉を開けると先に足を踏み入れる。未だその光景に半信半疑の気持ちではあったが、中からラトーリアに招かれ、恐る恐るセシルも足を踏み入れる。セシルが扉の中に入り周りを見渡すと、そこにはあのとき生の限界を感じた時と同じ光景が広がっていた。

 「こんなこと・・・・。」

 「魔具は抜いてしまって。」

 ラトーリアの言葉に反射的に挿していた魔具を鍵穴から抜く。その瞬間、後ろの景色は岩肌の崖でしかなくなり。どう見ても術具で造られているような扉や受け口などは確認できなかった。

 「こんなこと・・・。」

 「見たところで何もないわ。魔具は魔具でしかないのだから。」

 セシルの呟きにラトーリアはそう答えると、懐から蝋燭を取り出して火をつける。その青白い炎で道を照らしながら特に迷いもなく歩き出す。その後ろ姿に付き従うようにセシルも無言でついていった。

 「・・・あまり多くは答えられない。だけど少しぐらいなら納得できることを言えるかもしれない。」

 少し歩き始めた後、ラトーリアはセシルに顔を向けず、歩きながらそう言った。その言葉にセシルが口を開いた。

 「あなたは毎日ここにいらしているのですか。」

 「ええ、この14年間ただの一度も忘れたことはない。本当であれば常に側へ居てあげたいけど、それは許されないから。」

 ラトーリアがそう答える。その言葉にあの少女はこの場所で十年以上生活しているのだと言うことがわかった。

 「何故、あの少女はこの場所で暮らしているのですか。」

 「詳細は語れない。だけどあの子は、本当は居てはいけない存在だから。」

 ラトーリアが濁した答えを出す。しかしケイロス王が語ったように、やはりあの少女に何かあるということは理解できた。

 「何故、自分を招いたのですか。」

 「あの子が、あなたに会いたがっていたから。」

 ラトーリアが答える。自分がここに来れた理由はあの少女が望んだことなのだと知った。

 「あの少女は、一体何者なんですか。」

 「・・・。」

 ラトーリアは答えなかった。

 もうひとつ質問をしようとしたそのとき、ラトーリアが足を止める。後ろを歩いていたセシルもそれを見て歩みを止めると、ラトーリアが前を指差す。指先を目で追うと、そこにはあのとき見た、あの異様な光景が広がっていた。

 「ひとまず、あなた一人で行ってほしい。」

 ラトーリアはそう言って一歩後ろへ下がる。それを見てセシルは少し不安を持ちながらも、牢屋の奥の子供部屋で眠るあの少女の元へと近づく。牢屋の灯りの下で眠りについている少女は、確かにあのとき鼻歌を口ずさんでいたあの少女だった。声の聞こえる距離までセシルが近づいたとき、人の気配を感じてか、少女は目を擦りながら体を持ち上げる。

 「誰か、そこに居るんですか。」

 少女が感じる人の気配に話しかける。その問いかけに戸惑いながらも、セシルは少女に向かって優しい声色で答えた。

 「ああ、ここに居る。」

 「・・・あなた、もしかしてあのときの方ですか。」

 少女が少し間を開けた後に、セシルへ聞いた。

 「ああ、あのとき、君の歌を聞いたから救われた。」

 セシルが少女に答える。すると少女の表情は眠気からの気怠げな表情から少しずつ晴れていった。

 「良かった、生きていられて。心配だったんです。ラトーリアさんには無事と教えていただいたんですけど、ずっと心配で。」

 少女が胸を撫で下ろすように安堵の表情で答える。見るとおそらく年齢は十代前半ほど、こんな環境にも関わらず綺麗な黒い長髪と清潔感のある服装をしていた。そして、セシルは目の前の少女に感じたある違和感を尋ねた。

 「君、目が。」

 目の前の少女は起き上がりながらも決して目を開けず、瞑った瞳のまま自分に顔を向けていた。

 「ええ、でも平気なんです。例え見えていなくても、こうやって人がいることは感じます。例え見えなくても、その人がどんな人なのかは分かるんです。」

 少女が瞑られた瞳で笑みをつくりそう答える。

 「私、イルミナといいます。」

 少女は崩れた姿勢から改まり、座り直すと自身の名前を名乗る。

 「私はセシル、セシル・ヴァーンハイトだ。」

 イルミナに対しセシルも自分の名を名乗る。

 「セシルさん、私、あなたとお話がしたかったんです。今までラトーリアさんと以外話したことがなくて。」

 イルミナの言葉にセシルが驚き聞き返す。

 「誰とも、君はもしかして、今までずっとこの牢屋にいるのか。」

 「牢屋というものはわかりませんが、私はずっとここでラトーリアさんと暮らしています。」

 イルミナのその平然とした回答にセシルが言葉を失う。今目の前にいるこの少女は生まれてからただの一度もこの牢屋から出たことがない。いや、それよりも牢屋というものさえ知らない。この空間を異質なものと感じているのは自分だけであり、その根拠は目の前に広がる光景だけではないというのを感じた。

 「あ、でも色々ラトーリアさんが教えてくれるんですよ。いつか外に出たときのために、だけど一度でいいからラトーリアさん以外の人と話をしてみたかったんです。」

 イルミナは決して暗い表情をせずにそう返す。セシルの目にイルミナは、決して無理をして明るく振る舞っているようには見えず、本当に彼女にとってはこの空間こそが当たり前なのだということを感じた。そして、その感覚に底知れない不気味さを感じ始めていた。

 「ごめんねイルミナ。今日はもうセシルさんは帰らないといけないの。」

 後ろから声が聞こえる。誰かは分かっている。しかし先ほどまでとは違い、その声に底知れない不安感を感じる。

 「そうなんですか・・・。」

 ラトーリアのその言葉にイルミナは初めて暗い表情を見せる。

 「また明日、ね。」

 「・・・はい!」

 ラトーリアの言葉にイルミナが再び明るい表情で頷く。その光景を無言で見ていたセシルは、本心から薄気味悪さを感じていた。それは環境がもたらしているものでもあるが、その環境でも目の前の二人が本心から笑顔で話しているのが分かるからだった。

 「セシル、聞きたいことはあるだろうけど、イルミナの前では。」

 ラトーリアは振り返りざまにセシルへ小声でそう言うと、来た道を辿るように戻っていく。少し動揺しながらもセシルはその後ろ姿に再びついていく。振り返ったとき、イルミナは牢屋の中にある人形を両手で持ちながらママごとを始める。暗闇の中、一点の明かりに照らされ見えるその光景は、セシルの脳に焼きついた。


2.

 ケイロス王国バンドレイク城修練場、ケイロス王国騎士団の人間が日々精進に励むその場所で、第一王子ベルノール・ケイロスは一人、遅い時間にも関わらず剣を振るっていた。あのとき見せてくれたセシルの笑顔が、ベルノールの剣を振るう力を強くしていた。

 「修練は芯を持たなければ自身を傷つけますよ。」

 誰かの言葉が後ろから聞こえる。振り返ると、そこに立っていたのは城内を巡回していたアルヴァス・カーンだった。

 「カーン六位。」

 ベルノールが剣を下ろしアルヴァスを見る。

 「あまり無理をしない方がよろしいかと。」

 アルヴァスの言葉にベルノールは再び前を向き、剣戟の修練を再開する。アルヴァスは元々ベルノールの指導役の一人であった。王族ではないが中流貴族出身のアルヴァスは都度都度ベルノールのお目付役を任されることが多く、ベルノールから見た場合の世話役を担う一人でもあった。

 「自分の身体のことは自分がよく分かっています。責務に支障を出すことなどは決して致しません。」

 剣を振るいながらベルノールがそう答えると、アルヴァスがため息をつく。幼い頃からベルノールはそうだった。何か悩みや不満があると周りに当たるのではなく、自分のことを追い込もうとする。まるでダンテール第一位のように自分を追い込むほどストイックなその姿勢に、アルヴァスは度々頭を抱えていた。

 「私には自分を追い込んでいるようにしか見えませんが。」

 「・・・。」

 アルヴァスの言葉を無視し、ベルノールが剣を振り続ける。そんな無心の彼の姿にアルヴァスは言った。

 「ヴァーンハイト六位は決してそのようなつもりで言った訳ではありませんよ。」

 その言葉にベルノールの剣を振るう手が止まる。

 「ヴァーンハイト六位は決して人に弱さを見せようとしない方です。それはあなたであろうと、私であろうと変わらない。決して貴方を信じていない訳ではない。」

 アルヴァスの言葉にベルノールが応える。

 「・・・分かっています。分かっているのに、それを飲み込めないから、苦しいのです。」

 ベルノールがアルヴァスへ言葉を続ける。

 「ヴァーンハイト六位は私にとって憧れです。父以外にあれほど人に憧れることを、私にあるなどと思わなかった。だからこそ、憧れだからこそ追いつきたいのです。追いついて、あの方の背中を守れるようになりたい。あの方を知りたい。優しさで向けられた笑顔でも、戦場で向けられる信頼でもない。本当のあの方を。」

 ベルノールの言葉にアルヴァスは溜息をついた後に言葉を返す。

 「ベルノール様、あなたはお優しい。しかし、それゆえに人の懐に飛び込むことを恐れておられる。お父上についてもそうです。もう少し、面と向かって自分の想いを話しても私は良いと思います。」

 アルヴァスの言葉にベルノールが応える。

 「私は王となる身、それが一介の感情に流されるようなことなどあってはなりません。」

 「そう思っておられるのはあなただけです。恐れながら、あなたは他人とかかわることを恐れている。自分が傷つくことへの恐れではなく、他人を傷つけてしまうかもしれないという恐れだ。」

 アルヴァスはベルノールに言葉を続ける。

 「あなたは王となる前に、ベルノール・ケイロスとしての望む生き方をするべきです。国民も皆それを望んでいる。誰もが望む王になることだけが王になるということは、あなた自身も望まなければいけない。あなた自身が望むことを。それがお側で見てきた私が思うことです。」

 アルヴァスの言葉にベルノールが持っていた剣を下ろす。

 「許されません。私は私としてある前に王として正しくありたいと願っている。」

 「どうして、そこまで。」

 そう返したとき、ベルノールは無言でアルヴァスの横を通り過ぎていった。アルヴァスは知っていた。何故、そこまでベルノールが自分を追い込もうとするのか。なぜそこまでベルノールが正しい王となろうとしているのか。知っていたからこそ、彼はベルノールのことを心配していた。

 「ケイロス王、なぜあなたはベルノール様をお認めにならないのですか。」


3.

 ケイロス王国領ダッフェルバウンではルネリスからの避難民たちが生活を送っていた。やってきているのはほとんどが女性と子供たちであり、男性は復興のために街へ残っていたり、家族たちの荷物の運搬が終わり次第、すぐにルネリスへと戻っていた。その中、グアマン・サルヴァンの一人息子、アゼル・サルヴァンは避難民側の代表代理としてただ一人、ダッフェルバウンの町に残っていた。アゼルは父グアマンの下でルネリス代表庁舎にて会計の仕事に従事しており、とくに悪目立ちや、かといって長所が光るということもなくごく普通の生活を送っていた。二十代半ばの頃、同じ代表庁舎で勤めていた女性ニエル・エニルに惹かれ結婚、その三年後、自分と同じく一人息子であるジフトを授かった。そんなごく普通の幸せな生活をお送っていたアゼルであったが、先の出来事で全てが狂う。最愛の妻は逝去、息子のジフトは母を失ったことで心を閉ざすようになり、アゼル自身もギリギリの精神状態でありながら避難民たちを正しい方向へ管理、誘導しなければいけない立場となったため、心休まることなど決してなく、たった二日間であるにもかかわらず、公私において限界の線引きを往復していた。それは彼自身がごく普通の生活を送っていたからであり、代表の息子としてやるべきことを学ぼうとしなかったことも起因していた。

 ダッフェルバウンの代表へ避難民のスケジューリングの報告を終え、アゼルはそばにあった井戸の淵に腰をかける。ダッフェルバウンに避難生活を受け入れてもらってるといっても、それはそんな単純な話ではなかった。中立領は本来、中立協定によって一切の支援を禁止されている。支援を受けることが許されるのは大きくわけて三つの場合であり、ひとつは中立領側が支援を申請し、報奨金のもとで行われる契約支援、もうひとつは代表との取り決めにより領有されることを承認し、自国の再建という形にすり替えることができる条約支援、そして最後のひとつが被災者側の被害が一定の基準を超えた際に、特別として最低限の支援を認められる特別支援の三つがあった。最初の二つは言ってしまえば支援側にも目に見えて利益が発生するが、特別支援の場合は人道的な支援を求めるものであり中立領という立場を自分たちから選んだものに対し、あまり良い眼を向けられるものではなかった。さらには受け入れられたダッフェルバウンは、最初から国有として発展していった町、特別支援の形で中立領でい続けようとするルネリスの人間に対し、あまりよい顔をしないものたちも少なくなく、故にそれらの人々の干渉材としての役目も代表代理としてアゼルが担っていた。

 大きく肩を落とし、ため息を吐く。ただ平凡な生活を送っていた自分が、それを望んでいた自分がなぜこんな思いをしなければいけないのかと嫌になりそうになっていた。自分がわがままを言っているのは分かっていたが、しかしやすらぎというものをどこからも得ることのできない今の状況が、ただひたすらに苦しかった。ジフトのそばにいてやりたいが状況が許さない。例えそばにいてやれたとしても、ジフトもあのときから決して言葉を発すことなく、常に視線を俯かせている。慰めてやりたい、支えてやりたい、父としてやるべきこともたくさんあるはずなのに、それ以上にルネリスの代表代理としてのやることが全て壁のように前を塞いでいた。何故父は自分にこんなことを任せたのか、何故父はダッフェルバウンへ自分をいかせたのかと父グアマンに対しても少しずつ鬱憤が溜まるようになっていた。

 視線を落としたまま懐に手を入れ、中にあるものをで掴むと、それを手のひらの上で広げる。そこにあったのは自身の左親指に着けられているものと同じデザインをした、かつて父グアマンからもらった婚約指輪(フィルレット)だった。サルヴァン家では長男が結婚したとき、代々同じ婚約指輪を継ぐという決まりがあり、自身も父グアマンから親指の婚約指輪を妻ニエルにはすでに他界した母エルカの付けていた小指の婚約指輪を継いだ。ニエルの遺体が弔布にくるまれようとしたとき、悲しみに暮れていた自分の横から父グアマンが遺体に手を伸ばすと、小指から婚約指輪を外し自分の手の中へと納めた。

 「彼女の想いは、お前が持ち続けろ。」

 そう言って自分に妻がはめていた婚約指輪を渡してきた。正直な気持ち、もうどうでもよくなっていた。なにをどうやってもニエルは帰ってくるわけじゃない。例え想いだけあっても、二度と温かい肌にもあの笑顔にも触れることができない。それに、母を失ったときに顔すら見せなった父に「想い」など語られたくなかった。

 「難しいことだとは思います。ですが、代表としては前を向いていてください。」

 不意の声にゆっくりと顔をあげる。そこに立っていたのは短い髪をした色白の長身の女性、義妹にあたるアトリ・エニルだった。

 「姉さんのことを乗り越えてくださいなんてことは言えません。でも、代表代理がそのような顔をし続けるとルネリスの人間が不安がります。」

 アトリはもともとルネリスの警備団の一人で人一倍責任感の強い性格だった。姉であるニエルのことを大切に思っており、そしてなにより、自分とニエルの婚約を当時「権力の横暴」と反対し、自分のことを嫌っていたことも知っていた。

 「あなたが率いらなければ今ここにいるルネリスの民が苦しむことになる。役目を果たしてください、グアマン・サルヴァンの息子としての。」

 アトリの言葉にアゼルが目を合わせずに返す。

 「精一杯のことはやっている。自分でも、やりきっている。だが、その先に自分には何がある。例えルネリスの人々を救えたとして、ニエルは帰ってくるのか。」

 そう言うとアトリは眉間に皺を寄せ、語気を少し強めた。

 「あなたは姉さんのことが好きだったのでしょう。なら、生きる限り愛した人のために精一杯生き続けるのが生き残った人間の役目ではないんですか。」

 「生き残ったものの役目なんて綺麗ごとだ。生き残ったものは苦しみしか残っていない。こんな思いで、生き続けるならば・・・。」

 そう言った瞬間、アトリがアゼルの胸倉を掴む。

 「今言おうとした言葉、絶対に言わせやしないぞ!俺はあんたが姉さんにしたことを絶対に忘れない。でもそれを誰にも言わなかったのは、姉さんがそれを望んだからだ。あんたが自分の役目を果たそうとしないっていうなら、俺は誰に知られたって構いやしない。それが例え姉さんを汚してしまうことであっても。」

 涙目になりながらアトリがアゼルを脅す。彼が思わず掴まれた腕を振りほどくと、その瞬間、持っていたニエルの指輪が手元から落ちた。焦って拾おうとするが、アゼルのそばを離れアトリの足元に転がっていったそれを彼女が拾い上げる。

 「姉さんのものは今これしかない。姉さんの形見がこれだけだっていうなら、あんたにこれを持っていてほしくない。」

 アゼルが取り返そうとするも、足元が狂いその場に倒れこむ。アトリはそんなみじめなアゼルの姿を軽蔑の目で見ると、その場から無言で去っていった。奪った指輪の内側には掠れているが、古式文字が刻まれていた。

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