エピローグ 《深藍なる、染崎ハルへ》
「おねえちゃん!ほらここにあるったら!やっぱりアナの能力が予知した通り!」
アナは古びた木造の門の横を指さした。
そこには小さな苔むした水くみ場があり、いくつかの柄杓と木桶が置いてあった。
「ご自由にお使いください、ってちゃんと書いてあるよ。ね?貸し出してあるでしょ?」
「・・・うるさいな、わかったよ」
私は得意顔のアナを無視し、木桶と柄杓を取り、
横の蛇口から水を汲んだ。
木桶に水が溜まっていく様子を無心で眺めていると、どこからともなく桜の花びらが一片舞い落ちてきた。
それで顔を上げてみると、門の奥に桜の木があることに気づいた。
「去年は寒かったのにな・・・」
今日は、ハルの一周忌だった。
それと同時にアオイの命日でもあった。
春の訪れを迎えた三月。
今年は一足早く桜が咲くほど急に気温が上がり、連日暖かく穏やかな日々が続いていた。
私は木桶を水で満たすと、桜の花びらを水面に浮かべたまま、木桶を持って石造りの階段を上った。
アオイとハルの墓は小高い丘の上の墓地にあった。
死んだ二人が美しい景色を見渡せるように、と選ばれた場所だった。
石段を上がるたびに開けて見える眺望を、私とアナは時々足を止めて堪能した。陽の光を反射して輝く街はどこまでも広がっている。芽吹いたばかりの緑の匂いが、暖かな太陽の香気を纏って漂ってくる。世界は色めいている。
また石段を登り続け、ようやく私たちは墓地の一角に辿り着いた。
『染崎アオイ』
『染崎ハル』
と、それぞれ名前が刻まれた新しい墓石が二つ仲良く並んでいた。
「アオイおねえちゃん、ハルねえちゃん、遊びに来たよー」
私たちはそれから墓を掃除して、花を供えた。
花を添えると墓は彩られ、アオイたちが喜んでいるようにも思えた。
その次に、線香をあげ、私たちは墓の前で静かに手を合わせた。
目を閉じると、葉擦れの優しい音だけが耳に聞こえてきた。線香の煙った匂いが、水にぬれた墓石の湿った青い匂いに混じって香ってきた。
一通りお参りを終えると、私たちは墓を囲む石塀に背を預けて座り、持ってきたサンドウィッチを食べた。
「・・・ハルねえちゃんにお墓の前で行儀悪いって怒られないかなー」
ハムとキュウリを挟んだサンドウィッチをほおばりながら、アナはハルの墓を恐る恐るといった様子で見ていた。
「・・・知るもんか。あいつが怒ったって私がやり返してやるよ」
「さっすが、おねえちゃん、頼もしー」
アナはくすくすと笑った。私たちはそれからしばらく無言のまま、サンドウィッチを食べながら景色を眺めていた。
私はちらとハルの墓を見た。
真新しい墓だったが、ハルらしく地味で面白みがなかった。だが不思議とその地味さが愛おしかった。
一年前のあの日。
彼女の最期は今でも鮮明に私の記憶に残っている。
葡萄色の空に照らされる彼女の笑顔。
ハルがその命を使って私に伝えたこと。
生きろ、と言ってくれたこと。
すべて忘れられない。
・・・けれど私は未だに自分が生きていくための確かなものを見つけられずにいた。別人格と同じ姿をしている自分を見れば、まだ心はざわめくし、彼女らと会った時の自分を想像することは出来ない。
けれど、今はまだそれでもいいのだと思うようになっていた。
私の未来はまだまだ永い。
ゆっくりと、今を生き続けていければいい。そう思うようになった。
そういえば、あれから別人格たちには会っていなかった。
別に会いたいとも思わないし、会ったところでどうすればいいのかもわからない。
ただあいつらはどこかで思い思いに生きているだろう。何となくわかる。それだけで十分だった。
「・・・おねえちゃん」
アナが不意に言った。
「なんだよ」
私は眼下の街を眺めながらこたえた。
「二年前、博士の施設にいた時、アナが言ったこと覚えてる?」
「いいや、まったく覚えてないな」
「アナがおねえちゃんの幸せの手伝いをする、って言ったのよ」
そういえば、そんなこと言っていたな。
何となくだが、思い出した。
「アナね、ミラおねえちゃんの役に立っているかなって、時々、不安になるんだ。ミラおねえちゃんは相変わらず意地悪で口が悪いけど、一年前と比べて見違えるように変わった気がする。つきものが落ちたっていうか、晴れ晴れしい顔をするようになった。だから思うんだ・・・」
アナは少し間を空けて言った。
「今、幸せなんだなあってさ」
私は何も言わずに、依然変わらず街に目を向けていた。
街の所々がきらきらと太陽の光を反射していた。
「アナが何かおねえちゃんに何かしてあげられたとは思えない。それだけがちょっと悔しいけれど、おねえちゃんが幸せそうな顔をしていたらそんな想いもどこかにいっちゃった」
アナはまた少し間を空けて言った。
「大切な人が、幸せそうにしているのがこんなに嬉しくて、幸せなことだって知らなかった」
アナはミラにほころんだ笑顔を向けた。
しかし、その笑顔はすぐに固まった。
「・・・って、寝てるし。おねえちゃん・・・」
ミラは静かな寝息を立てていた。
むう、と頬を膨らませ、アナは顔を少し赤らめる。
穏やかな陽光の中、ミラは静かに眠っていた。その顔にかつての憂いは無かった。
アナはしばらくその顔を眺めて、微笑んだ。そしてミラに寄り添い、肩に顔を預け、しばらくして同じように寝息を立て始めた。
「くしょんッ!」自分のくしゃみでミラは目を覚ました。
ぼんやりとした意識と、滲む視界を晴らすため震えるように小刻みに頭を振った。周りを見渡して、そういえば墓参りに来ていたんだと思い出した。
「さむ・・・」
既に日は傾き、空は暮れなずんでいた。日中との気温差が大きいせいで肌寒く、思わず身震いをした。それとなんだか肩が重いなと思ったら、アナが顔を預けて眠っていた。
なんて図々しい奴だ、と私はアナの鼻をつまんだ。
「・・・んんー、はにするの、おねえちゃん・・・」
寝ぼけ眼をこすりながら、アナが言った。
「起きろアナ。もう日が落ちる。帰るぞ」
私はぼうっとしているアナを無理やり起こし、帰り支度をした。
アナがもたれかかっていたせいで肩が痛いので、軽くストレッチをしていると、不意に「あーーーー!」と、アナがいきなり声を張り上げた。
思わずそちらを振り向くと、アナは口を馬鹿みたいにぽかんと開けて、墓を見ていた。
目線をそっちにやると私も「あ」と、つい声が出た。
先ほどまで何もなかったアオイとハルの墓に、たくさんの花束が供えられていたのだ。
それも一つや二つじゃない、まるで群生しているかのように、色とりどりの大量の花たちが二人の墓を埋め尽くしていた。
どれもこれも花の種類も色もバラバラで、束の大きさもまちまちだった。
「・・・みんな、やっぱり二人のことが好きなんだよ・・・」
アナは花を見ながら、目に涙を浮かべて微笑んでいた。
個性と色が様々にぶつかり合った花束には統一感がなかったが、不思議と雑多ではなく、むしろ、それは絶妙なバランスを持っていて、心地よさすら感じる美しい光景だった。
私はその光景をしばらく眺めた後アナを促し、夕暮れの優しい光に包まれた帰路を、静かに歩み始めた。




