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・・・・・・おねえちゃん・・・・・・。


どこかで響いたその声に私の意識に灯りがともった。

あれ、ここは、どこだ。私は何をしているんだ。覚束ない思考回路。夢を見ているように虚ろだった。


「・・・おねえちゃん!しっかりして!」


聞き覚えのある声が鮮明に響いた。

その時。意識が一瞬で覚醒する。


「・・・ガハッ、ゴホッゴホッ・・・!!」


それと同時に私は水を勢いよく吐き出した。体を横に向け、喉の奥から溢れてくる水を出し尽くすと、途端に新鮮な空気が肺に入り込み、大きくむせた。


「良かった!おねえちゃん、気が付いて本当に良かった!!」


「・・・ア、ナ?」


次第に酸素が全身を巡り、体は思い出したかのように熱を帯び始めた。

顔をあげると、ずぶ濡れのアナが不安そうに私の顔を覗き込んでいた。


「・・・・・・一体何が起きたんだ・・・?」


「何っておねえちゃん、車ごと橋から落ちたんじゃない!」


何言ってるのよ!とアナが珍しく責めるように言った。私は朧気な記憶を遡る。そういえば車に乗っていたら橋から落下したな、と他人事のような記憶がよみがえる。


「・・・それで、何でお前がここに・・・?」


「おねえちゃんが車を追いかけていった後、休んでいたら未来が一瞬見えたの。そしたらおねえちゃんの乗った車が橋から落ちるシーンだったから、わたし慌てて追いかけてきたんだよ!ああ、間に合ってよかったよ、本当に・・・!」


言って、アナが私の胸に縋りついて泣く。


「・・・・・・お前の《未来予知》も役に立ったのか。けど走って、ってお前・・・よく追いついたな」


私は先ほどのカーチェイスを思い出しながら素直に感心した。


「建物の上を飛び移ってショートカットして来たんだよ!もう、本当に大変だったんだから!沈んだ車を河から引きずり出すのだってほんっとうに苦労したんだからね!」


アナは泣きながら怒って言った。器用な奴だ。

私はゆっくりと体を起こし、濡れて乱れた髪をかき上げ、周囲を見回した。見ると足元には私を引き上げるときにできたであろう湿った道が河から伸びていた。そして数メートル先には、先ほど乗っていたクーペが変わり果てた姿でそこにあった。車体は大きくひしゃげ、窓は全て割れておりほとんど無くなっている。濡れて弱弱しく光る赤い姿に錆びたブリキ細工のような悲壮感を感じた。そのクーペの隣に人影があった。

運転手の男だった。ぐったりと力なく地面に横たわっている姿に生気を感じなかった。


「アナ」

私は思わずアナを呼んだ。するとアナは察し良く、私の言いたいことを汲み取って答えた。


「・・・心配しないで。あの人は大丈夫だったよ、おねえちゃん。目立った外傷もないし、気絶しているだけだよ」


「・・・・・・そうか」


「けど一体どうして橋から落ちたりしたのよ!おねえちゃん」


相変わらず責めるような口調で言うアナ。そこで私はこうなってしまった原因をようやく思い出した。


「・・・ハルだ。アイツの能力で、私の能力を上書きして、運転手の意識を奪ったんだ」


「・・・ハルねえちゃんが?じゃあ、あの車に乗っていたのって、ハルねえちゃんだったんだね。なんでアオイおねえちゃんにそんな酷いことを・・・」


「命を狙われているならその前に、って感じだろうな。河の水位が深かったのが幸いだな」


私はアナに肩を支えられながら立ち上がった。水を吸った服が重く、わずかによろめいたが、何とか踏ん張り、立ち上がることが出来た。

怪我はしていないが、体の至る所にじんわりとした鈍い痛みを感じた。おまけに寒い。力も思うように入らず、指先が震えていた。

不意にアナが口を開いた。


「・・・おねえちゃん!あそこ見て」


あっと珍しいものを発見したような口調だった。

私は疑問符を浮かべながら、アナが向けている視線の先を見た。

見ると橋の上に何人もの野次馬が鬱陶しく集まっていた。橋から車が落下したうえ、それを少女が一人で引き揚げたのだから無理もない。面倒なことになったがどうせ後々ライカが来て、事態を収めるだろうと大して気にも留めなかった。


しかし。

野次馬が群がる横でこちらに静かな視線をむける女の姿を捉えた時、私はそこに釘付けになった。


ハルだ。


橋の上からこちらを見ている。


「あの野郎・・・ッ!」


事態に無関係と言わんばかりに静観しているハルの、こちらを橋の上から見下すように視るその姿に、苛立ちを覚えた。さらにハルの傍に止めてある車に、もう一人、ハルによく似た姿がもたれかかって立っていることに気づいた。

ハルや私と同じ相貌をしている人間だ。

しかしどこか仕草が男っぽく、ハルとは対照的な印象を受けるため、遠目でもはっきりとアレが誰なのか判別できる。


「・・・ハルねえちゃんの隣にいる人ってヤヲくんだよ、おねえちゃん!」


アナは久しぶりの再会に喜んでいるようで明るい声だった。

確かにあれはヤヲだ。

陰気でヨルノとテスタにいつもイジメられていた男の人格だ。

私とハルはしばし無言のまま睨みあった。そしてハルは、クスッと一笑して車に乗り込んだ。ヤヲもそれに続いて、運転席へ乗り込んだ。ハルの嗤いは、私に向けた侮辱だと認識した。

あいつは「所詮、お前程度では、返り討ちに会って、敗れてしまうのが関の山だ」と言っている。水に濡れた私がより一層みじめに見えたのだろうか。あの笑いには明らかな悪意があった。私は自分の熱がカッと上がっていくのを感じた。

やがてハルが乗った車はゆるゆると発進して、視界から消えて行った。


「・・・アナ!あの車を追え!早く!」


「・・・え?でも、おねえちゃん・・・」


アナはわずかに狼狽えた。事故を起こした私を、置いていくことを躊躇っているようだった。


「・・・いいから、追うんだ!別に殺してこいと言っているわけじゃない!お前なら捕まえてこられるだろ?」


「うん、頑張れば追いつくことが出来ると思うけど・・・」


「だったら行け!絶対に逃がすな!」


アナは「でも・・・」と口ごもった。そしてわずかに逡巡した後、観念したようにこくりと静かに首肯した。


「・・・・・・でも、おねえちゃんはここでじっとしててね!これ以上無茶しないでね!」と釘を刺すように言った。


「・・・ああ、わかってるよ」


嘘をつくつもりもない。体に力が入らないから、無理をして追いかけても無様な結果に終わるのが目に見えていた。アナから離れ、私は地面にへたり込んだ。アナは名残惜しそうに私を眺めた後、決心がついたらしく、車が消えて行った方を見据えた。

そして駆ける。

ドンという音とともに風よりも速く走りだす。地面を蹴る音が爆発音のように凄まじく、強化された肉体を持つアナは一瞬で橋の上に辿り着いた。野次馬から大きなどよめきが聞こえる。そして再び爆発音がした時にはアナの姿は既に無くなっていた。私はそれを見届け、「流石、ゴリラ女」と呟いた。


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