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「・・・・・・・・・え?」
誰の口から洩れたのかわからない。ひょっとしたら誰もがそう漏らしたのかもしれない。突然の出来事に食堂の人間たちは一様に呆気に取られた。
唐突に起きた「殺人行為」についていけず、みんな時間が止まったように制止する。
その中で彼女だけが、素早く動く。
彼女は首筋に差したナイフを引き抜き、流れるような動作で、今度はアマリの胸に突き立てた。アマリは惨いうめき声をあげたが、叫ばなかった。代わりに嘔吐するように大量の血を吐き出した。この時、わたしはすっかり漂白した頭の中で、ポツリと呟いた。
『あ、アマリが死ぬ』
彼女は矢継ぎ早にナイフを構え直し、今度はミスコを鋭い眼光で見据えた。
その顔は憤怒で歪んでいた。先ほどの生気を失ったような顔が嘘だったように、感情を包み隠さずむき出しにしていた。ミスコはひッと喉を鳴らすが急な事態に緊張して体が固まって動けていなかった。
彼女がナイフを振り上げた。その瞬間。不意に彼女の体が無音の砲弾のように、勢いよく吹っ飛んでいった。
「・・・・・・ッッッ!?」
そのまま食堂の壁にぶち当たり、ドンッと鈍い音が響く。地面に落ち、彼女はたまった息を吐き出すようなうめき声を漏らした。無意識にドアの方を向くと、ライカさんが見たことのない表情をして駆けつけていた。髪は逆立ち、興奮と切迫さが入り混じったような険しい顔をしている。そして一瞬血を流し倒れているアマリを見、悔しそうに歯を食いしばった。
「・・・ライカさんッ!」
彼女が吹っ飛んだのはライカさんの能力によるものだろうと、わたしは自分でも驚くほど冷静に分析していた。
彼女は、しかし、何事もなかったかのように起き上がり、ナイフを持って、獣のような叫び声をあげ、ライカさんを鋭い眼光で睨んだ。すると今度はライカさんがうめき声を上げ始めた。見ると、頭を抱え、苦しそうに顔を歪めていた。それはノイズに苦しむアオイの様子に似ていた。
「ぐ・・・これは、精神感応、能力・・・!?」ライカさんが声も絶え絶えにそう言った。
「邪魔するんじゃねえ!!くそが!!」
その時わたしは後悔しながら、やられた、と思った。彼女は私と同じく《精神感応能力》を宿しているのだ。彼女は自分の力を使って、『怒り』を隠ぺいして、強かにもいざという時に備えていたのだ。それはライカさんも気づかないほどの高性能な隠ぺいだ。誰もが油断して不覚をとられたわけだ。
「ミスコォオオオオオオオオオオオオオオオ!」
雷鳴のような怒号を響かせ、彼女はミスコに向かってナイフを振り上げた。
『・・・やめろ!!』
だがその瞬間、間一髪のところでわたしは自分の能力を使い、猛威を振るう彼女を止めた。わたしの力に必死に抵抗する彼女に圧されてわずかにしか止めることができなかったが、それでも十分だった。
そのわずかな間にテスタがテーブルを素早く飛び越え、彼女の顔面を蹴りぬいたのだ。
彼女は地面に倒れ、血が出た鼻を押さえて不細工な呼吸をして悶えていた。
だがテスタは立て続けに、容赦なく彼女に暴力を見舞った。倒れた彼女に向かって、荒々しく殴り、蹴り、踏みつけ続けた。機械的に壊そうとしているようなテスタの冷たい暴力は、ライカさんが止めるまで続いた。そして、テスタが手を止めた時には、すでに彼女は気を失っていた。ライカさんは次にアマリを見た。
「・・・アマリくん、しっかりして!」
ライカさんが超能力を使って、アマリの血をせき止めながら言った。アマリは真っ赤に染まりながら痙攣して、白目をむいていた。
その後、アマリは医務室に緊急搬送された。
部屋に残った光景は惨いものだった。ステーキはあちらこちらに散乱し、その油でテーブルと床を汚していた。部屋にいるわたしたちは、汚れの中で力なく横たわっている彼女を眺め、ただ茫然と立ち尽くしていた。
その後、九番目の彼女は施設の一室に幽閉された。
幽閉された後の彼女は大人しいものだったが、代わりに施設内はどんよりとした重い空気に包まれていた。アマリはなんとか一命をとりとめたものの、完治するまでかなりの時間を要するらしく、五月蠅いほど元気な人格の声が施設内に響くことはもう無かった。
そしてあの事件以降、わたしたち人格たちが顔を合わせることはなかった。
みんな自分の中の複雑な想いを整理しているのか、ただショックで口をつぐんでいるだけなのか、どちらにしろ皆の心中に暗い影が差しているのは確かなようだった。
そんな中でひっそりとアナが肉体の移植に成功していた。
何やら肉体が特別製らしいが、わたしたちは誰もそんなことを気にしなかったと思う。
アオイはまだ目覚めなかった。




