16
「さてそれなら君にどういう風に肉体を与えるか簡単に手順を説明しようと思う」
博士は足元に何本もジンジャーエールの瓶を並べながら言った。
「実は専門的なことは特になくてね。僕が肉体を造り、君をそれに入れるだけの話だ。僕たちはこれを『人格移植』と呼んでいる」
「そんな簡単な話なんですか・・・?なんだか馬鹿にされてるような・・・」
「あはは、それは被害妄想だね。肉体と精神の二元論的な考え方は確かに滑稽だけど、超能力が絡む時点でこれは既に常識の外にある話だと思って聞いてくれ。実際は肉体を完璧に創るだけでも大変なんだぜ?」
「・・・そもそもなんですけど、肉体って作ってもいいんですか?」
わたしは素朴な疑問をぶつけた。中学生のわたしでもそれがどれだけ常軌を逸していることなのかわかった。わたしの知っている倫理観では、そんなことが許されるはずがない。考えただけで背筋がひやりと濡れるような感覚を覚える。
しかし、そんなわたしと裏腹に博士は飄々として言った。
「さあ、知らない。気にしたこともなかったな。まあ、善いのか悪いのかで言われたら好いに決まっているよな。肉体を自由に創ることが出来れば、あらゆる肉体的な制約を取り除けるんだから」
「はあ・・・」
わたしにはその価値がよくわからなかった。多分、いつまでもわからないような気もした。
「とにかく僕は長年の研究の末に肉体を創ることに成功した。後は精神移植を完璧にするために実験をするだけだ。そして実験を続けるには被検体となる精神の調達をする必要性がでてきた。僕は極秘ルートから有志を募ろうとしたんだけど、ライカが『本当に新しい肉体が必要な人を探すべきです』と、うるさ・・・ごほん。非常に素晴らしいアドバイスをしてくれてね。そこで僕たちは君たちみたいな多重人格者に目を付けたわけだ。一つの肉体に複数の人格を宿す君たちなら各々肉体を欲しているんじゃないかと思った。だったら実験にも協力的じゃないかなってね」
「・・・・・・まんまと、はめられたというわけですね・・・?」
「はめられた、なんて人聞きが悪いな。君たちだって肉体を欲しているはずだ。僕たちはデータが取れて、君たちは欲しかった肉体が手に入る。これはウィンーウィンの関係じゃないかい?」
それはそうだが、あまりいい気がしないのは確かだった。
「人格の移植なんてのは一見、荒唐無稽かもしれないが、僕の技術とライカの超能力での精度は優れたものになる。以前は僕だけで行っていたけど、ライカが加わって研究はぐんと進歩したよ」
博士はどこか嬉しそうに言った。
「肝心な肉体の製造に関しては、一言ではいえないが、まあ、参考までにかの有名なヴィクター・フランケンシュタインの例を引き合いに出そう。彼は確か人間を製造するにあたって、墓を暴いて死体を利用したはずだ。しかし僕はそんなことはしないから安心してほしい。そもそも死体なんて中古品に、精神を移植するなんて絶対にダメなんだ」
「何か理由があるんですか?」
わたしがそう言うと博士は唇を舐めて言った。
「いいかいハルちゃん、君が今使っている肉体は『染崎アオイ』という肉体なんだ。しかし今回、僕たちは君を新しい肉体に移植する。この時、ある面倒な制約が課されるんだ」
「・・・制約、ですか?」
「そう、無視できない制約だ。簡単に言うと、染崎アオイの肉体と、染崎ハルの人格を持つことで人として成立していた君が、肉体を新しいものに移すならば、その肉体は『染崎アオイ』のものと完全に同一にしなければならないんだ」
「・・・なぜ、なんですか?」
「肉体と精神の繋がりは強固で絶対的なものでね。君は長年、アオイちゃんの肉体を使ってきたんだから、君の精神『染崎ハル』は、肉体『染崎アオイ』で結ばれていなければならない。これは研究上明らかになった絶対の不文律。もし別の肉体へ精神を移植なんてしてみてごらんよ。ズレを感じた肉体と精神は機能せず、下手をすれば『人』として成立しなくなる事態が起こるかもしれない」
「つまり・・・?」
「ぶっ壊れるのさ。精神と肉体の両方がね」
「そんな・・・」
「無論、それは最悪なケースだと思う。限りなく起こりえない事象だと勘定してもらって構わない。僕とライカはそんなへまはしないが、しかし何事にも、もしもという可能性が付きまとうからね」
「最悪、ってことは多少の何かはあるってことですか?」
「おやおや、察しがいいね。確かに人として成立はするけど、多少の異変がおこるケースが、あるにはある」
「異変・・・。後遺症か何かですか?」
「んー、まあ、そんなものかな」
「それは一体どんな・・・」すると博士はライカさんをちらと見た。
それに気づいたライカさんは、しようがないですね、と言わんばかりに短いため息をついた。
そしてライカさんは手のひらを博士の持っているジンジャーエールに向ける。
すると途端にビンの中から丸い液体がどんどん飛び出てきた。
ジンジャーエールがシャボン玉のように丸くまとまって球体となり、フワフワと浮かんでいる。いくつもの球体はそのまま空中で等間隔に整列したかと思うと、今度はくるくると輪を描くように回り始めた。そして次に、鳥のように不規則にあちこち飛び回り始める。宙を駆け巡る薄茶色の綺麗な球体。それがみせる鮮やかなショウにわたしはしばし目を奪われた。最後にライカさんが指を軽く振ると、それらの球体は吸い込まれるように博士の持っている瓶に戻っていった。
「・・・つまりこういうことなのよ、ハルちゃん」とライカさんは困り顔を浮かべながら笑う。
そこでようやくライカさんが言わんとしていることを察した。
「―――ライカのような超能力、僕は研究上『不一致』なんて呼んでいるけどね」
「ま、まさか、ライカさんって・・・?」
「その通り。ライカは人格移植の被験者だ。そして僕はかつて失敗し・・・」博士は一旦そこで口をつぐんだ。ライカさんはというとやはり微笑んではいるが、どこか寂し気な顔をしている。
「・・・いやごめん。何でもない」と言い、博士は話を続けた。
「ライカの超能力は、実験によって精神と肉体に僅かな齟齬が生じた結果だよ。つまり『不一致』だ。その存在をライカ自身がその身で示してくれた。」
「もし失敗したら、わたしに超能力が宿る可能性があるということですか?」
「いや、『不一致』が必ずしも超能力を与える現象であるならばまだいいんだ。けれど、これはまだわからない。何しろ、前例が少ないからね。ライカに起きた『不一致』がたまたま超能力だっただけで、ひょっとしたら別の異変が生まれるのは大いにあり得る話なのさ」