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・・・・・・わたしに、肉体を?
この人は、博士は、どういうつもりでわたしにそんな意味不明なことを言うのだろう。
だってそんなこと、できるはず無い。わたしはアオイという木から生えた、枝葉に過ぎないのに。体は一つ、そして命も一つのアオイを寄る辺にするだけの存在なのに。そんなわたしに対して肉体なんて。
「ハルちゃん?」
気づけば博士が間近でわたしの顔を覗き込んでいた。
「え・・・いや、えっと」
わたしは明らかに狼狽えた。
最早何に対して動揺しているのかさえ忘れてしまうほどわたしは混乱を極めていた。
「どうかな。君にとっては魅力的な提案だと思うけど。無論、君だけじゃなく、カヨイちゃんにも肉体を授けようと思う。人格の数に応じて各々に平等に肉体を与えるっていうこの上なくわかりやすい提案じゃないかい?」
「わたしが思っていることは分かりやすいとか分かり難いとかそんなことじゃないんです、博士!」
混乱して思考がぐちゃぐちゃに絡み合った頭の中を振り払うかのように、わたしは声を上げた。
「人格に肉体を後付けするなんてあり得ません!そんなことできるわけないじゃないですか!」
すると、博士はその言葉を待っていたと言わんばかりに食い気味に否定する。
「いいや、可能なんだ。僕とライカがいれば分かれた人格それぞれに相応しい肉体を与えることなんて簡単なことだ。・・・・・・まあ、とりあえず甘いものでも飲んで落ち着きなさい。話を急く理由もないんだから」
煮え切らない心を抑え込み、促されるままわたしはオレンジジュースを飲んだ。
わたしが息をつくのを確認して、博士はふーむと唸った。
「・・・アオイちゃんは、この提案をきっと喜んでくれると思うんだけどね」
「・・・・・・わたしが肉体を持つとアオイが喜ぶっていうんですか?まさか、そんな。アオイはきっと不安になるはずです。十年近く一緒にいたわたしが自分の中から消えるん、です、から・・・」
その時、わたしの言葉がどこか歯切れが悪かったことに博士は気づいたかもしれない。
わたしは不意に博士の言葉を思い返していたのだ。
『君は彼女がいつか幸福に満ち溢れた時には、消えてしまうんじゃないかな?』というあの言葉だ。
わたしが消えたらアオイが不安に思うなんて、そんなことよく言えたものだ。
わたしが消えることこそ、アオイにとっての正常な状態と言えるのだから。
でも。
アオイのために、アオイを守るために生まれたわたしなのに、アオイの苦しみの象徴なのに、わたしは愚かしくも、どうしようもなく思ってしまう。
消えたくない、と。
どこかでアオイが満ち足りることを恐れている矛盾したこの卑しい気持ちを抑えきれない。
アオイのためになると言うのなら精神の中からいなくなったっていいけど、アオイの傍にはずっと一緒にいたい。
だから、博士の言葉は、そんな矛盾したわたしの心を突くこれ以上にない提案に思えて仕方なかった。
「・・・・・・・・・です、か?」
蚊が鳴くようなか細い声。どうしようもないわたしの声。
「ん?」
それに耳を傾ける博士。わたしは視線をゆっくりゆっくりと上げる。
そして博士を朧げな視界に捉えて言う。
「―――――――本当に、わたしに肉体をくれるんですか?」
複雑な感情が葛藤の末、絞り出した言葉だった。
「うん、任せてくれて大丈夫だ。必ず君に肉体を授けるよ」
博士は今日一番の笑顔を見せてそう言った。