10
「やあ、ハルちゃん。さっきぶりだね」
「・・・・・・」
「・・・おや、どうしたのかな。顔色が悪いじゃないか?」
「・・・・・・」
「それともトイレに行きたいのかな?」
「・・・とぼけないでくださいよ。理由を知っているんですか?」
重々しい口調。そんなわたしに、博士は首を傾げて問う。
「理由ってなんのことだい?」
焦らされているような気がしてわたしは苛立った。
「ふざけないでください――――」
怒鳴るように声を荒げた。
「――――誰なんですか、アレは!」
博士は目を丸くして、ライカさんをちらと見た。
「・・・落ち着いてハルちゃん。あなた、いつ気づいたの?」
「ライカさんは知っていたんですか!?どうしてわたしたちに教えてくれなかったんですか!」
わたしが叫ぶように言うと、ライカさんは落ち着いてというジェスチャーをした。
唇をかみ、わたしは言葉を飲み込んで、二度深呼吸をした。
「・・・ついさっき、ライカさんがテレパスを使ったときです。あの時、わたしとアオイの精神の中に初めて他の人が入ってきた感覚を覚えました。すると、不思議と視野が広がったような気がして、ふと精神の隅にまで目がいくようになったんです・・・」
「それで?」
「それでわたしとアオイの精神の中の隅っこに、知らない人格がいることに気づいたんです!」
二人は黙って聞いている。そしてわずかな間を空けてライカさんが口を開いた。
「・・・つまり、ハルちゃん以外の別人格が増えているってことね?」
「ええ。全く気付かなかった・・・。いつからいたのかも全く分からなかった。ライカさん、わたしたちに何かしたんですか?超能力で人格を増やしたんですか!?」
「いいえ、そんなことしてないわよ。精神感応能力は持っているけど、そもそもそんな簡単に人格をふやすことなんて出来ないわ。図らずしもその存在に気づかせてしまったのは私のテレパスなのかもしれないけど、その人格は、私が《テレパス》を使う前からいたのよ」
「・・・どうしてそんなことが分かったんですか?」
するとライカさんはわずかに俯く。
「黙ってるつもりはなかったんだけど・・・私があなたたちの頭を《テレパス》でのぞいた時には既に、『彼女』もいたんですもの」
「・・・・・・なっ・・・!」
ぞくっと背筋に悪寒が走った。声が喉でつっかえて掠れたうめき声が洩れた。
私たちの中に、別の誰かが気づかぬうちに存在していた。そう考えただけで恐怖がゾクゾクと波打った。
その時。
『・・・ハル・・・!ハル!』
ふと、頭の中からアオイが呼ぶ声が聞こえた。
『聞こえる?ハル!』
『聞こえてるよ、アオイ。そこに誰かいるでしょ、下手に接触しちゃ駄目よ!』
『・・・ハル、あなた一体何言ってるの?』
『何って・・・言葉のとおりよアオイ。そこに知らない人がいるでしょ?』
しかし、それに対するアオイの言葉はまったく予想外だった。
『別の人格なんて、そんなのどこにもいないよ!』
『・・・・・・え?』
思考が一瞬遅れて、言葉が出なかった。
初めはアオイがとぼけたふりをしているのかと思ったが、しかし、アオイがそんないたずらな性格じゃないことは何よりもこのわたしが一番よく知っていることだった。
『アオイ・・・ひょっとして、気づいてないの?』
アオイには認識できない、とでもいうのか。そんなことが・・・そんなことがあるのだろうか。
『ハルが何を言っているかわからないよ。そんな人見当たらないよ!』
と、不安そうなアオイの声が聞こえる。精神内に確かに存在する何かを認識できないなんて、問答無用で恐いに違いない。
「アオイちゃんには、知覚できないのね」と不意に言ったのはライカさんだった。
どうやら超能力で頭の中の様子を観ていたらしい。
「・・・なるほど、多重人格障害ではさほど珍しくないケースだね」
と次に口を開いたのは博士だった。ジンジャーエールを飲み、ふうと一息つきながら言う。
わたしたちとは違って、大して取り乱している様子もなかった。
「無意識のうちに人格が解離して、その人格に気づかないことは大いにあり得る話。そういう場合、記憶や行動にぽっかりと空白が生まれたりすることを介して気づいたりするものだけど、ライカの超能力で気づくなんてね」
そう言うと、博士はライカさんの方を向き、意味深に目配せをした。ライカさんは何かを察して、わたしの方に目線を移す。
「ハルちゃん、その人格と交代することってできるかしら?」
「こ、交代ですか・・・?」
そうよ、というライカさん。わたしは少し悩み、アオイに相談してみることにした。
『・・・どう思う、アオイ』
『うーん、ちょっと恐いけど、私は何もわからないから一度やってみるのもありかも・・・』
『でも、アオイ。これはあなたの体なのよ?そんなわけもわからない人格に貸してもいいの?』
『・・・ハル?何度も言うけど、この体は私だけのものじゃないの。あなたのものでもあるの。それは新しい人格さんも同じよ。同じ精神から生まれたのなら、体はみんなで使うべきよ』
アオイは臆病で小心者だけど、この人格と体に関することだけは、いつも自分なりの意思を貫き通す強さがあった。わたしがいつも気兼ねなく交代できるのは、『同じ精神に生まれた者同士、平等でいたい』というアオイの想いがあってのことだった。
『アオイがそういうのなら・・・』
だから、わたしは優しいアオイのその意思を汲むことにした。
同じアオイから生まれた人格同士、どんな理由があれ、仲良くはしていたいという気持ちがわたしにもあったのだ。
『新しい人、聞いてた?少しだけ表に出てきてもらってもいい?』
わたしがそう言うと、どこかから、ため息交じりの気だるげな声が、
『・・・・・・はあ、わかったわ』
と言うのが聞こえてきた。
そして、その直後。
記憶の空白が訪れた。