プロローグ
駅のホームに降りると、穏やかな春先の風が優しくそよいだ。
「ふああ、いい天気だねえアオイおねえちゃん」
アナがのんきに伸びをする。
「天気なんてどうでもいいから、ジンジャーエールを持て」
ビニール袋の中には茶色の瓶が6本も入っている。アナがうるさく言わなければ、本当は買いたくなかったんだ。責任を押し付けるようにアナにジンジャーをつきつける。
「えー・・・まあいいけどさ」
渋々といった調子だが、アナはジンジャーエールを受け取った。
「それにしても博士のとこも久しぶりだね。楽しみだね、おねえちゃん」
「あいつのことなんかどうでもいい。山奥にわざわざ施設をつくるバカなやつのことなんかな。くそ、タクシーも停まってないな」
田舎の駅だ。
迎えを待つ車はいくつかあるが、タクシーは一台も見当たらない。研究施設まで歩いていけば一時間はかかるだろう。
ひどく嫌気がさす道のりだ。
「アオイおねえちゃん、アナがおぶっていこうか?」
アナが中腰になってウインクをする。
「そうすると、何分で着くんだ?」
「うーん、そうだね。まあ、5分くらいかな」
「・・・・・・」
「それじゃ、行くよおねえちゃん!」
くすくすと迎えを待っている主婦の暇そうな笑い声が聞こえる。
アナにおぶられたなんて屈辱は後から記憶から消しておかなければいけない。
私はアナの背でため息をついた。
それから私たちは5分もかからず、山奥の研究施設にたどり着いた。さすがは強化人間といったところだ。車よりも遥かに早い。
たどり着いた場所は博士の研究所。人気のない山の中に無機質な灰色の建造物だ。ここを作った人間同様、趣味の悪い見た目をしていた。
中に入ると巨大な空間が広がる。鉄とコンクリートで作られたアリーナだ。しかしどことなく閉塞感を感じるのは、空間の多くを巨大な機械が覆っているからだ。さらに鈍い銀色の機械の間を毒々しい色のパイプが幾重も入り乱れている。
「博士―!こんにちは!」
アナがだしぬけに大声で挨拶をした。
施設全体に響き渡るような大声だ。
そんな声に反応して人影がパイプの陰から現れる。
「・・・あれ、アナちゃんじゃないか」
相変わらず優男然とした奴だ。
線の細い体に、しわが目立つシャツを着て、野暮ったい白衣をその上から羽織るメガネの男。髪はぼさぼさと不潔に伸び、それなりに整った顔は薄気味悪く作り物みたいな表情を浮かべる。いつ見てもパッとしないつまらない男だ。
これが『博士』と呼ばれている男だった。本名は知らない。別に知りたくもなかった。
博士は緩慢な動きで私たちの前までやってきて、私たちが誰なのか確かめるようにジロジロと見てきた。
「・・・ああ、君たちか。やれやれ、検査はしばらく先のはずだけど?」
「まあまあ検査がなくても来ていいじゃないですか・・・あれ、ライカさんはお留守ですか?」
「ああ、ライカは君たちが各所で起こした面倒事を処理して回っているよ」
「えー。アナたちは何もしてないじゃないですかー。おねえちゃんだって、近頃は大人しいものですよ?この通り」
「・・・お前は黙ってろ」
「ははは、じゃあ君たち以外の誰かなんだろう。・・・しかし君が大人しいとは驚いたよ。でも、ここに来たのは穏やかじゃない目的があってきたんだろう?」
「・・・わかってるんなら話は早い。連中は今どこにいるんだ。どこで生活して何をしているか詳細を全て吐け」
博士は薄く笑った。
「・・・ははは、単刀直入だね。その様子からすると彼女らの捜索は難航しているみたいだね。まあそんなことだろうと思ったけどさ」
「・・・住所も在籍学校も職場も全部知っているんだろ?さっさと言え、ジンジャーエールやるから」
私はアナが持っているジンジャーエールを指さして言う。
「おっと、ジンジャーエールで釣ろうだなんて・・・君はずるい奴だね。・・・いやなに、僕は別に教えても構わないと思っているんだ。けど生憎、ライカに厳しく口止めされていてね。教えたりしたら、ライカに殺されてしまうかもしれないよ」
「ふん。なるほど一応お前も場所はわかっているんだな、なら余計な話は要らない
―――お前の頭の中に直接訊くことにするから」
そうして私は、肉体に宿った超能力を使い、博士の精神に干渉する――――が、それは敢無く阻まれた。
理由はわからない。
ただ頭の中でバジッと火花が散ったような感覚がして、視界がくらんだのだ。
「ッつ!・・・・・・なんだこれ」
私はキーンと響く頭を左右に何度も振った。
「おや、ひょっとして《精神感応》をしようとしたのかい?残念、こういうこともあろうかと僕の精神はライカの超能力でプロテクトされているのさ。君の能力は効かないよ。ははは」
「・・・チッ、くそ!ライカ、ライカ、か・・・。うざったいな」
「おねえちゃん、ライカさんは善い人だよ?そんなこと言っちゃダメよ」とアナが口をはさんできた。
「お前は黙ってろって言っただろうが!そんな話をしているんじゃないんだ」
どうやって精神に干渉しようか、と悩んでいると「アオイおねえちゃんこれ冷やしてくるよ」と持っているジンジャーエールをガチャガチャと揺らしながらアナが言った。
「ああ、アナちゃん。ついでにジュースでも取ってくるといい」と博士が勧める。
「やったー!いただきまーす」とアナは言い、冷蔵庫に向かった。
博士はその姿を見送りつつ、私に言った。
「・・・・・・しかしあれからもう一年経つのに、君はまだ飽きずに復讐を謀ろうとしているのかい?しつこいねえ」
「・・・お前なんかがわかったような口をきくな。あいつらを殺すまで何年経とうと私の怒りと憎しみは、衰えも消えもしない」
「・・・成程。確かに君は出自がいささか特殊だ。身に秘める想いもとりわけ強いんだろう。だけど人間というのは案外脆くてね。そんな状態が続けばいつの日か壊れてしまうよ」
「偉そうなことを言うなよ。お前も私の悲劇の当事者の一人だ。耳ざわりがいいことで私を諭そうとする資格はないんだよ、詭弁野郎」
「ははは、詭弁と来たか。まあ君の人生だから好きにするといい。その代わり僕を巻き込むようなことはやめてくれよな。僕はもう君たちからデータだけ取れればいいし、君と違って過去を引きずる趣味もないからね」飄々としたその態度に苛立ちを隠し切れない。殺意を込めて睨むが、博士は相変わらず薄い笑みを顔に張り付けたままで、まるで気にしていない。
「アオイおねえちゃーん!ちょっと来て来て!」
不意に私を呼ぶ声が響いた。
声のした方を見ると、アナが冷蔵庫の前で大きく手招きをしている。
「・・・・・・ったく。何なんだ、一体」