6・絡み合う美しい植物
子供の頃、田舎で見た光景があった。
畑が広く続く場所で、空からたくさんの鳥が落ちてきた。
その鳥たちは雨の矢のように真っ直ぐに畑に飛び込んでいった。
その光景に、鳥とは地面に埋まる生き物なんだと思った。
その時、僕は誰かと一緒にいた。
僕はその人の服の袖を掴み問いかけた。
「あの鳥、見える?」
「うん、見えるよ」
「すごいね、すごい」
「ああ、壮観だね」
「そーかん?」
難しい言葉は首を傾げた。そんな僕にその人は言った。
「でも悲しい光景だね」
「悲しい?」
「うん、もうすぐ町にショッピングモールが作られるんだ。その為に林が一つ消える。だからあの鳥たちはあんなに悲しんでいるんだよ。いや、鳥ではないのかもしれないね。あれはあくまで象徴。すべての生き物の。きっと林がなくなる事を嘆く、近くのお年寄りの気持ちも含んだ、そんな悲しい光景」
やっぱり難しすぎて、僕にはよく分からなかった。
あの時、あそこにいたのは誰だっただろう?
いや、人ではなかったのだろうか?
僕は人ではないモノと会話をしていたのだろうか?
でもそれ以上は思い出せなかった。
僕の記憶はその後、水に呑み込まれてしまう。記憶が水に溺れて何も思い出せない。
けれど一つだけ分かる事がある。
あの時話していた人はもういない。
僕の前からいなくなってしまったんだ。
教室ですごすメンバーが三人になった。
僕は例のキノコ事件から、貴一君と親しくしている。彼は最初の印象通り、とても面白い人だった。
話し方は古風と言うか、難しいんだけど、でも悪い人ではない。いや、むしろ真面目すぎる位の良い人だ。
例のおホモダチの噂は、僕がさりげなく他の話題にすり替えておいた。
「あの二人、ホモって噂だよね?」
そういう女子の声が聞こえたら、「ああ、それは間違いだよ。それより研坂先輩と、水橋先輩がアヤシイともっぱらの噂だよ」と言っておいた。
僕と言う地味な生徒と違い、華がある二人の名前に女子はキャーキャーと喜んでいた。
先輩という、すぐ近くにいないと存在というのも良かったかもしれない。
見えない分、想像が逞しくなるだろう。うん、僕は賢かった。
そう思っていた放課後、委員会室で僕は研坂さんに口の中に指を突っ込まれた。
「い、いひゃいです!」
涙目で訴える僕に、研坂さんは冷たい目で言う。
「嘘をつく奴は閻魔大王に舌を引き抜かれるっていうのは、子供でも知っているよな? この学校では俺が直々に引き抜いてやる事にしている」
研坂さんは僕の舌を掴んでグイグイとひっぱっている。
「ご、ごめんなひゃい、もう、ちませんから」
そんな僕達を見て、水橋さんが楽しそうに言う。
「なんか卑猥な絵だな」
研坂さんが人を殺しそうな目で睨んだ。
それはもう、ナイフのような鋭さだ。
僕だったらあんな目で見られたら、グサって心臓に穴があいてると思う。
「お前も何か拷問を受けたいか?」
「おいおい、俺はお前と同じ被害者だぜ。このバカのさ」
言いながら水橋さんは僕の脇腹を拳でグリグリと押す。ちょっと鈍い痛みがあります。
「ほ、本当にごめんなひゃい」
「ちっ」
研坂さんは舌打ちをしてから、僕の舌を解放した。
そしてその指を隣りにいた水橋さんのシャツに擦りつけた。
「うわ、何してくれる!?」
「早くふかないと、おかしな菌が繁殖するかもしれないからな」
「だったら尚更俺にこすりつけるな!」
「ああ、お前も菌の固まりだったな。頭も悪くなりそうだし、口にはできない卑猥な病原菌も持っていそうだ」
「こいつはともかく、俺はそんな病原菌持ってねーよ!」
水橋さんは僕を指さしてそう言った。
「なんだかさっきから僕、酷い言われようなんですけど!?」
僕は叫んだ。けれど軽く研坂さんに睨まれてしまった。
「うるさい、俺が正義だ」
すでに独裁者だ。
「はい、みんなお茶が入ったよ」
フミヤさんはそんな僕達の様子を気にする事もなく、マイペースにお茶を淹れて持ってきた。
「そんなの飲んでる場合か! 俺はこいつとの決着をつける!」
叫ぶ水橋さんにフミヤさんはサラリと言った。
「今日のおやつはレーズンサンドだよ」
水橋さんはおとなしく席に座った。そうか、好物なのか。目がキラキラ輝いているよ。
なんか子犬みたいだ。もしもの時にはレーズンサンドを投げれば、僕は彼から逃げられるんだな。メモしておこう。
今日の委員会はこれといった議題とか問題はないようだった。
そういう時はただ部屋の中で話しているだけなので、なにげに楽しかったりする。
まあ研坂さんは口が悪いし、水橋さんは暴力的だけど、やさしいフミヤさんがいるのでバランスが取れている感じだ。
「なんか喉が渇いたな」
呟くと、研坂さんは僕を見た。
「じゃあ、おかわりのお茶を淹れようか?」
フミヤさんが席を立ちかけたが、研坂さんは僕を見たまま言う。
「いや、冷たいジュースが良い」
「え?」
もしやそれは僕に買いにいけと言っている?
「アスカ、行ってこい」
「え、あのなんでですか? もしかして後輩苛めですか? 僕はパシリの為にこの委員会に入れられたのでしょうか?」
「お前はあんな嘘をついておいて、ジュースを買いに行く事もしないって言うのか?」
「・・・…わかりました」
僕は席を立ちあがった。
「シュートお前も行け」
「え、なんで俺も?」
「お前もだ、さっきの発言を忘れたわけじゃないからな」
「ちぇ、なんだよ、コウだって俺の事ばい菌扱いしたくせにさ」
文句を言いながらも水橋さんは席を立つ。そういう所は素直だ。
「俺はお茶にしろよ。炭酸買ってきたら殺すからな」
風紀委員長が殺すとかって発言ってどうなんだよと思ったが、僕も買いに行く準備をする。
「フミヤさんは何にしますか?」
「じゃあ紅茶をアイスで。味は何でも良いよ」
「了解です」
僕は水橋さんと一緒に部屋を出た。
ここから一番近い自販機は一階の購買前か、はたまた職員室の脇か。
どうやら水橋さんが購買に向かっているようなので、僕はおとなしくついて行った。
「コウはさ、炭酸飲めないんだぜ」
「そうなですか?」
「ああ、あいつは炭酸は身体に悪いとかもっともらしい事を言うけど、単純に炭酸が痛くて嫌なだけなんだ。ガキみたいだろう?」
貴方には言われたくないんじゃないですか? と思ったが口にはしない。またグリグリされてしまいそうだからね。
購買に辿り着いた。けれどそこには先客が居た。
一人の女子生徒が、自販機でジュースを買っている。
僕はその人に釘付けとなった。
彼女は細い腕を伸ばすと買ったばかりのジュースを拾い出して振り向いた。
その時初めて僕達に気付いたようで、一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに微笑した。
「水橋君、委員会?」
「そいう那美ちゃんは部活? 文芸部だったっけ?」
「うん、そう、じゃあまたね」
彼女は歩き去った。
僕は茫然とその後ろ姿を見つめた。
そんな僕に気付いて水橋さんが声をかける。
「ん、どうした? もしかして那美ちゃんにひとめぼれか? 彼女は俺も狙ってんだからな。ただ彼氏と別れたばっかだから、今はちょっと卑怯かと思って待ってるんだから、邪魔すんなよ」
「違いますよ」
「違うのか? あれ、え、って言う事はまた何か見えたのか?」
僕は頷く。
「まさか水子の霊が」
「違います! そうじゃなくて」
「何が見えたんだ?」
水橋さんは真剣な顔を向けた。
「彼女の身体にツタが絡みついてたんです」
僕達はジュースを買うと、委員会の部屋に戻った。
そして早速さっき見たモノをみんなに説明をした。
「彼女の全身に、緑のツタが絡まってたんです。こうなんていうか、こんな感じに」
僕はホワイトボードに絵を描いてみた。
それを見て研坂さんと水橋さんが呟く。
「DNAの二重螺旋のようだな」
「ベルバラのオープニングみたいだな」
まあ、どっちがどっちのセリフかの説明はいらないだろう。
「文芸部の戸川那美だって言ってたな」
研坂さんの言葉に水橋さんは頷く。
「でも彼女の事なら、今回は心当たりがあるぜ」
「心当たり?」
フミヤさんが聞くと、研坂さんが答えた。
「ああ、彼氏と別れたばかりって話だったな。まず疑うべきはその彼氏、松浦イツカだろうな」
「なんだ、コウもあの二人が付き合ってるの知ってたんだ?」
「当然だ。俺は風紀委員としてそういう情報は押さえてある。言っておくが、お前のような興味本位や私利私欲のためじゃないからな」
「はいはい」
研坂さんの言葉に水橋さんは肩をすくめて見せた。
「でもさ、イツカって別れた彼女を呪うような奴じゃないぜ」
「呪う!?」
不穏な言葉に大きな声を出してしまった。
「なんだよ、そのツタっての呪いじゃないのか?」
水橋さんに聞かれ、僕は首を傾げる。
「えっと、なんなのかは分かりません。でも、そんな呪いのような嫌な感じはしなかったんですけど……」
「嫌な感じがしないねぇ」
研坂さんは呟いた後で、水橋さんを見た。
「お前には何も見えなかったんだな」
「そうだね、今回は。まあ、こないだキノコで力を使ったし、俺の能力は今は休養中かもね」
一体どういうシステムなんだ、その能力は。
「とりあえず、明日、そのイツカ君の様子を見に行ってもらおうよ」
フミヤさんの言葉に全員が僕を見た。
やはりそうですか、そういう役目は僕ですか。
翌日、僕は朝早く登校させられた。
イツカさん待ち伏せ計画のスタートだ。でも登校してくるイツカさんは難なく見つかった。
僕は2階にある、昇降口の真上の吹き抜けのホールから、登校してくる生徒を見ていたのだが、イツカさんが誰かは説明を受けるまでもなかった。
「あの人がイツカさんですね?」
「何故分かる?」
付き添いで隣りにいた研坂さんが僕を見た。
「ああ、見えないですか?」
「何が見えるんだ?」
研坂さんは手すりに手をついて身を乗り出してイツカさんを見た。
「イツカさんって、今、右はじの下駄箱の方に歩いていった人ですよね?」
「ああ」
「うん、納得です」
「だから何が見えた?」
「昨日の彼女と同じです」
「同じ?」
「植物のツタがグルグルと巻きついていました」
「どういう事だ?」
研坂さんは顎を摘まんで考え出した。
黙って真面目な顔をしている分には、この人は彫刻のように綺麗だ。
見惚れるように見ていると、やがて研坂さんは顔を上げた。
「ちょっと、俺に考えがある。お前は放課後また委員会室に来るように」
「はい、了解です」
僕は研坂さんと別れた。
それにしても、二人に巻きついたツタはなんだろう?
イツカさんに巻きついたツタも、嫌な印象は受けなかった。
別れた恋人同士が、同じように植物にグルグルと巻かれているなんて不思議だ。
ある意味ペアルックみたいじゃないだろうか?
どんな理由で別れたのか分からないけど、僕からしたらお似合いだったんじゃないかと思った。
放課後、委員会室に向かった。
フミヤさんがお茶を淹れて並べている最中に、研坂さんが口を開いた。
「今日、松浦イツカに会ってきた」
「ほう、そんで? どうだった?」
水橋さんがいつものように、行儀悪く片足を椅子に乗せながら訊ねた。
「ちょっと布石を打っておいた」
布石?
僕は首を傾げたが水橋さんはニヤリと笑った。
「それで、お前の方はどうだった?」
聞かれて水橋さんは、紅茶を一口飲んだ後で答える。
「那美ちゃんに、イツカ君の事どう思ってるか聞いたわけよ。そしたらもう何とも思ってない。ただの友達だってそう言ってたよ」
そういうものなのか。恋人同士は別れてしまうと、スッキリあっさりなんだな。
「ま、嘘だと思うけどね」
「え?」
つい声を出してしまった。すると水橋さんは僕を見ながら、微笑む。
「彼女は芸術家のクールビューティーだからね、正直じゃないんだよ」
「そうなんですか?」
「そうだよ。でなきゃこの俺が誘って落ちないワケないじゃん」
「いや、それは単に水橋さんが好みじゃないんでしょう。チャラいし、頭悪そうだし、ガサツだし」
「アスカ君は前歯を何本折られたいのかな?」
指を鳴らしながら水橋さんが言う。逃げなければ。
「まあ、その意見は俺も同感だ」
「ちょっと待てコウ、その意見とはどこを指している?」
研坂さんはそれを軽く流す。
「まあ、俺がイツカに助言をしておいたから、これは数日のうちに決着がつくはずだよ」
研坂さんは自信満々にそう言った。
そしてその数日後、本当に事件は解決した。
僕達はいつものように委員会室に集まっていた。
そこで研坂さんが口を開く。
「例の件は一件落着だ」
「は?」
僕だけが首を傾げる。どうやら他のメンバーはもう知っていたようだ。
「松浦イツカと戸川那美は先月別れたばかりだったが、お互いにまだ相手の事が好きだったんだよ。その思いが植物のツタとして元恋人の身体に絡みついて、アスカに見えたという事だ」
「えっと、じゃあ解決したって事は?」
研坂さんは頷く。
「ああ、よりが戻った」
僕は安堵した。そうか、あの二人が元の恋人同士に戻ったのか、そう思うと他人の事だけど嬉しい。
「一体、研坂さんは何を言って二人の仲を戻したんですか?」
僕が聞くと、研坂さんは淡々と答える。
「松浦イツカにもう一度、戸川那美に告白するように言っただけだよ」
「え、それだけ?」
足を組みながら水橋さんが言う。
「バッカ、それだけって言っても、人間関係は大変なんだよ。那美ちゃんは表面上は興味ないフリして、ヨリを戻す気ない宣言しててさ、イツカはそれで物おじして、もう一度告白するなんて空気じゃなかったんだよ」
あんなにツタを絡める程、相手の事を思っていたのに、人間関係は複雑だ。
「最初はシュートが戸川那美に言い寄っているから、取られないようにしろと言うつもりだったが、それはやめた。こいつが相手だと戸川那美が振り向くとは、イツカも思わないだろうと思ったからな」
「コウ! お前は俺にケンカ売ってんのか!?」
研坂さんはその発言を無視した。
「だから、イツカには、戸川那美にフミヤを紹介するぞと、脅しをかけた」
「え?」
「僕の名前を出したのか?」
フミヤさんは微妙な顔をしている。
「でもそうしたら、すぐにそれはやめてくれと泣きついてきたよ。フミヤ相手では分が悪い。そうなる前に寄りを戻すってさ」
「それで一件落着ですか? いや、さすが、本当にフミヤさんは人望ありますね」
僕はフミヤさんを尊敬の眼差しで見つめた。
「お前ら、揃って俺にケンカ売ってやがるのか?!」
水橋さんが怒鳴っているが、それは無視した。
翌日の早朝。
僕は昇降口が見える2階ホールに居た。
そこで暫く待っていると、イツカさんと那美さんの二人が登校してきた。
二人は優しく微笑み合っている。そしてツタではなく、手を握って絡ませている。
そんな二人の周りには美しい花が咲いているように見えた。
僕はそんな光景を見て胸が暖かくなった。
幸せな人を見ると、自分の心も幸せになる。
僕は風紀委員の仕事が好きかもしれないと、ちょっと思った。