1・風紀委員はスカウト制
それは水の記憶だった。
あれはきっと川だった。流れる川。天の川。
その川に落ちた人。
彼は、いや僕は……落ちて落ちて落ちて。散る。
川に落ちて散ったのはカムパネルラだっただろうか?
入学したての学校で、突然、廊下で取り囲まれるのは不幸としか言いようがないと思う。
上級生数人に取り囲まれるなんていうのは、昭和の少年漫画以外では、お目にかかれるものではないと思っていた。
いや、今でも路地裏では見られる光景なのかもしれなかったが、まさか自分の学校の校舎で起こるとは思わなかった。
「お前が立川アスカだな?」
威圧的な感じの上級生がそう聞いてきた。鍛えられた肉体に、着崩した制服。それに赤っぽい髪。
どっからどう見てもバカっぽい、もとい粗暴な感じの人だった。
「あ、あの……」
気弱で温厚、それにちょっと鈍い僕が、自分の置かれた状況についていけずにいると、粗暴上級生の後ろから、やけに整った顔の人物が現れた。
「シュート、怯えているじゃないか、ちょっと俺に代われ」
その男は正面に立つと僕の顔を覗きこんだ。とんでもないイケメンだった。リアル王子様だと思った。
その美貌に気圧されながら戸惑っていると、彼はサラリと言った。
「やぁ、アスカ、迎えに来たよ」
なんだ、このセリフ? どっかの少女漫画か?
そう思った次の瞬間、彼は変わらぬ笑顔で続けた。
「君は今日からこの俺達と同じ、風紀委員だ。拒否は許されない。もちろん逃げる事も許さないし、辞める事も許されない。もしこの絶対のルールを守れないと言うのなら、君には生まれてきた事を後悔する程の拷問を受けてもらう事になる」
なんですか、このドエス発言!?
第一印象を、僅か数秒で訂正しなくてはならなくなった。この人は王子ではなくドエスだ。
この美貌もそう見ると、エス度を増すアイテムとしか思えない。ドエスの中のドエス、ド鬼畜に違いない。
「コウ、君も挨拶を間違っているよ」
「フミヤ」
ドエスが呟いた。僕は最後に現れた、フミヤと呼ばれた人物に注目した。
「ごめんね、初対面なのに怖がらせてしまって」
そう言った上級生は、先ほどの二人とは大違いだった。やさしげな笑顔に、穏やかな口調。
その所作から彼の温厚で誠実そうな性格が窺える。僕は露骨に二人を避けて、彼の方に体を向けた。
「あの、僕になんの用なんでしょうか?」
「ああ、ごめんね、要件はあの男、トギサカコウが言った通りなんだけど、君に風紀委員に入ってもらいたくてね」
「は?」
僕は茫然とその三人を見つめた。
「風紀委員? なんで? そもそも風紀委員てスカウト制?」
上級生に使うにはちょっと失礼な言葉にも、嫌な顔を見せずフミヤさんは言った。
「ああ、うん、うちの学校はそうなんだ。とりあえずここじゃなんだから、風紀委員室に行こうか?」
「なんですか、その風紀委員室って? 生徒会室みたいなのですか?」
「うん、そうだよ」
「あ、あの行かないとダメですか?」
念のため聞いてみた。だってそこで、どんな虐めに遭うか分からないじゃないか。
「良いから黙ってついて来いよ!」
シュートと呼ばれたガサツな人に怒鳴られた。けれどその瞬間フミヤさんが笑顔で言った。
「部屋には君の為に用意したケーキがあるよ」
僕は彼についていく事にした。
ケーキは大好きだ。
風紀委員の部屋は教室の半分位の大きさだった。壁にはいくつかの棚やキャビネットが置かれている。
僕はフミヤさんに促され、いかにも会議用といった感じの四角いテーブルについた。
「まずは自己紹介からいこうか」
中央奥の窓際、いかにも一番偉そうな人間の座りそうな席でドエスがそう言った。
「俺は2年の研坂コウ、まぁ軽くコウ様と呼んでくれ」
嫌だよ。様ってなんだ。そう思ったが黙っておく。なんと言っても相手は上級生だ。
「俺がこの風紀委員の委員長だ。そしてこの左隣にいるのが本田史也。副委員長だ。そして右隣のこっちが水橋秀人、ま、ただの構成員だ。このシュートの他にも若干の関係者がいるが、風紀委員のメインメンバーはこの三人だ」
なぜこのたった三人の集団に、更に追加で僕が選ばれたのかまるで分からない。
「因みにここはあくまでも風紀委員であって、生徒会とは違うから、そこは間違えないようにな」
テーブルで両手の指を組みながら、研坂さんは言った。
「あの、それってもしかして、生徒会とは敵対関係……ライバル関係にあるとか、そういうのですか?」
「いや、そんな事はぜんぜんない。むしろ生徒会は我が風紀委員の協力者だ。君も我が校の生徒会長の事は知っているよな?」
「それはもちろんです!」
僕は入学式で挨拶をした生徒会長の、その美しい姿を思い出し、顔を熱くしながら叫んだ。
この学校の生徒会長は、恐ろしい位の美少女だった。黒い髪に大きな瞳。真っ直ぐに切りそろえられた前髪。古風なようでいて、その顔は現代的な派手な美しさを持っていた。儚い美貌ではなく、かといって下品ではない。切れそうなそんな鋭利な美貌の持ち主だった。
「彼女の事は一目見たら忘れられないですよ。しかも入学式では彼女の周りに蝶がヒラヒラ飛んでいて、すごく幻想的だったし!」
「蝶?」
呟いて研坂さんはフミヤさんを見たが、すぐに僕に視線を戻す。
「加賀美ヒロミ、まあ彼女ともそのうち会えると思うよ」
「ええ!? マジですか!?」
興奮する僕に研坂さんはニヤリと笑った。
「ああ、君はもう風紀委員だからね」
僕はもう風紀委員になる以外、道がないようだった。
でも、あの美貌の生徒会長とお近づきになれるのなら、ちょっと良いかもしれないと思ってしまった。
「はい、お茶が入ったよ」
いつの間にかフミヤさんがお茶の用意をして、紅茶のカップを目の前に置いた。
ちゃんとしたティーセットに淹れられている。しかもブランド食器っぽい。
「それにケーキも」
「わ! モンブラン! すごいです! 僕の好物なんです!」
はしゃぐ僕を見て、研坂さんとフミヤさんが目を合わせて笑ったような気がする。ちょっと気にはなるが、でも良い。
だってモンブランは大好きなのだ!
「こいつが単純な奴で良かったよ」
呆れるように僕を見ながら、水橋さんが呟いていた。
風紀委員に入れられた翌日。
僕はクラスメイトの高橋百合彦と廊下を歩いていた。百合彦は同じクラスで一番仲が良い。
女子並に小柄だが、しっかりした性格の頼りになる友人だ。
僕は早速昨日の一件を報告していた。
「ま、良いんじゃないかな。風紀委員て真面目そうな委員会だし、教師や親の受けも良いでしょう? 推薦とか狙うには好印象かもよ」
「意外と百合彦って現実的な事、言うよな。万が一にも不良のたまり場とか、使用してない体育倉庫とかに、ヤンキー少年の更生に行かなきゃいけなかったらどうすんだよ? 殴られてケガしちゃうかもしれないじゃん」
「使われてない体育倉庫もないし、ヤンキーも今時、しかもこの学校には居ないよ。というか、アスカふた昔前の少年漫画とか読みすぎ。言っておくけどリーゼントも居ないと思うからね」
「え、でも矢吹ジョーみたいな髪型の人間はいるんじゃない?」
「居ない。絶対居ない。せいぜい居ても尾崎豊だよ」
「おお! 15の夏!」
「15の夜ね……」
そんな会話をしている時だった。
廊下の先から一羽の赤い鳥が飛んでくるのを見つけた。
「鳥だ、窓から入ったのかな?」
僕が言うと百合彦は天井を見上げた。
「どこに?」
「どこって、ほら、こっちに向かってくるよ」
「ええ!? 見えないよ」
「まさか!」
鳥は僕達のすぐ横を、音もなく通っていった。
「すぐ側を通ったね」
「だから、鳥なんかいなかったってば」
僕は百合彦を見つめた。その目はちょっと怒っているようで、とても嘘を言っているとは思えなかった。
けれど僕は確かに赤い鳥を見た。でもそう、あの鳥は横をすり抜け、どこに行ったんだ?
いつの間にか消えてしまった。窓から出たのだろうか?
それにしたって、そう、僕以外誰も鳥に気付いていなかったのはどうしてなのだろう?
放課後、百合彦に声をかけた。
「さ、帰ろう」
「え?」
百合彦が僕を見上げる。
「ん? どうかした?」
「いや、どうかしたって、今日委員会なんじゃないの?」
「え、何それ? 委員会って部活じゃないんだから、毎日じゃないだろう?」
「いや、そこは自分で確認しておいてくれよ。俺に聞かれても知らないよ」
「うーん、そうなの?」
僕が顎をつまんで考えていると、百合彦は椅子から立ち上がった。
「じゃ、俺は先に帰るね」
「え、帰っちゃうの?」
「うん、一緒に帰って、後で俺が風紀委員の人に責められても嫌だから、一人で帰るね。じゃ!」
百合彦はサバサバと言うと教室を出ていった。
冷たいよ、百合彦さん。
そう思いながら考えた。委員会の部屋に行くべきだろうか?
いや、行かなくても良いだろう。
3秒位で結論を出すと廊下へと向かった。
4月の穏やかな日差しの中、帰宅の為に前庭を歩いていた。通路の脇には緑の木々が立ち並び、植え込みには小花が咲いていた。あの黄色い花はエニシダだったか未央柳だったか。そう思って眺めていると、そこに小柄な少女が居る事に気付いた。
おや?
どう見ても小学生という感じの小さな女の子だ。
もしかして生徒の妹とか、先生の子供だろうか?
その子は黄色の花の間に顔を突っ込むようにして何やらしていた。
もしかして迷子? いや、迷子じゃあんな草に顔を突っ込んだりしないよな。
そう考えながら足は自然とその子に向かっていた。
「どうしたの?」
訊ねると少女は驚いたように飛び上がった。
「ひゃん!」
背中の毛が逆立った猫みたいに見えた。
「もしかして君は孫、いや迷子?」
僕の問いに少女は目を潤ませた。
「私、私……」
少女はすがるように僕にしがみついてきた。
「大事なモノを失くしてしまったの!」
少女は鼻水をすりつけるように、僕のズボンにしがみついていた。
かわいいと言うより、たいへん困った感じだ。
鼻水がついたズボンはクリーニングに出さないといけないだろうか、そう思っていると少女は顔を上げた。
「私、みんなに探しってお願いしたのに、みんな私を無視して歩いて言っちゃって、お兄ちゃんだけだよ、私に声をかけてくれたのは!」
「そっか、そうだったのか」
うちの学生は思った以上に冷たいんだなと思った。こんな小さな子が困っているのを見捨てるなんて、非人間的だ。不道徳だ。
そう思ってからハっとした。もしかしてこの少女と一緒にいると、僕はロリコンに見えるんじゃないか?
みんなはそれを危惧して、この子を見て見ぬフリをしたんではないだろうか?
だったら僕も今すぐ離れないと!
なんて少し思ったが、僕は見上げてくる少女に微笑んだ。
「僕は風紀委員だからね、困った人を助けるのが仕事だから安心して」
風紀員ってそういう委員会だったっけ?
とは思ったが、あまり気にしない事にする。大事なのはこの子を助けてあげる事だ。
「僕はタチカワアスカ、君は?」
「鈴!」
「リンちゃんか、かわいい名前だね。それで探し物は何かな?」
「恋人にもらったネックレス」
いきなりの衝撃的な発言だった。
僕には恋人がいないのに、この少女には恋人がいるなんて、そんな事があって良いのだろうか。
もしもネックレスを見つけたら、体が勝手に動いて、野球部のエースなみにそれを遠くに投げ捨ててしまいそうだ。
だけど大人な僕はそんな考えをおくびにも出さずに、少女に笑顔を向ける。
「そっか、彼氏は小学校の同級生の男の子かなんかかな?」
「ううん、彼は高校生」
犯罪だ。シャレにはならない。ロリコンだ。
でもだからこそ彼女がここに居るんだというのは分かった。
彼に会いたくてやってきて、ここでネックレスを失くしたんだろう。
まあ、彼氏と言うのは彼女の言い分であって、きっとその彼は近所の子供を可愛がっている位の気持ちなんだろうな。
「その彼の名前はなんて言うの? 彼に会って一緒に探してもらおうよ」
僕が言うとリンちゃんは目を伏せた。
「それは嫌、だって彼にせっかく買ってもらったのに、失くしたなんて知られたくない」
それもそうだな。
「うん、分かったよ。じゃあ僕が探してあげるから安心してね」
「ありがとう、アスカお兄ちゃん」
僕は彼女に笑顔を向けた。
「リンちゃんはこの学校の敷地内で、そのネックレスを落したの? それともどこか他の場所?」
聞くとリンちゃんは元気よく答える。
「ここで落したの。だってこの中に入ってすぐに、私ネックレスに触ったんだもの。その時は確かにあったの」
「そっか、じゃあ学校の敷地内で落したのは間違いないんだね。でもそうしたら、簡単だよ。君が通ってきた道を逆向きにたどっていけば、必ずネックレスはあるはずだからね」
「そっか、そうだよね」
リンちゃんはもう見つかったかのように、笑顔を見せた。
「よし、じゃあ、僕を君が通ってきた順に案内してね」
「うん」
答えるとリンちゃんはいきなりエニシダの茂みに入っていった。
「ええ!? なんですかいきなり!?」
無理だ、そこは絶対無理だ。僕に通れる場所じゃない。小さい子だからあんな場所に入れるんだ。
「アスカお兄ちゃん、きてくれないの?」
振り返って、リンちゃんが不満そうに聞く。
「いや、だってそこは狭いから、僕は無理だよ」
「でも私、この間を通って、あっちの方からきたんだもの」
彼女が指差したのは裏庭の方だった。どうやら道ではなく、庭木の間を通ってきたらしい。確かに道なりにくるよりはその方が近道そうだ。
「わかった、じゃあ僕はこの茂みを抜けた先で待ってるよ。リンちゃんは同じ場所を歩きながら、ネックレスが落ちてないか確かめるんだよ」
「うん」
彼女は草陰に消えた。僕は小道を通って、彼女の後を追いかけた。
「アスカ」
不意に呼ばれて振り向いた。
見ると校舎一階の渡り廊下に、水橋さんが立っていた。赤い髪が遠くからも目だっている。
「お前なー探したんだぞ。委員会サボる気かよ」
「え、やっぱり委員会あるんですか?」
「あったり前だ。委員会は毎日が基本だ」
「毎日ですか? そんなにする事あるんですか、風紀委員て」
「当然だろう。学校の平和を守るのが風紀委員の仕事なんだから、日々、屯所に詰めてないでどうする」
なんだろう、このノリ。これではまるで正義の味方の戦隊モノヒーローか、はたまた京都を守る新撰組のようじゃないか。
「あのすみません、でも今日はちょっと用が出来たんです」
「用?」
首を傾げながら水橋さんはこちらに向かってきた。上履きで外に出ちゃって良いんだろうか、風紀委員なのに。
「どんな用かちゃんと言ってみろ。でないとお前を見つけたのに連れていかなかったと、後でコウにどんなに責められるか分からないからな」
同級生なのに上下関係があるのか?
「あの、研坂さんは一体どんな拷問をするんですか?」
「拷問?」
聞き返しながら、水橋さんは眉を寄せて不気味に笑った。
「それを俺に聞くのか? まあ、言っておくが、トランシルバニアのドラキュラ伯爵もエリザベートバートレも真っ青な拷問だ」
「そ、そうなんですか、軽く想像出来てしまう」
「な、だからお前は俺と来い」
水橋さんは僕の襟首を掴んで引っ張った。まるで猫みたいだ。
「だからダメなんですってば、ほら、あそこに女の子が居るじゃないですか?」
「は?」
水橋さんは僕が指差したリンちゃんの方を見た。彼女は今、丁度こちら側の庭に出てきて、まだ地面に顔をつけるように探していた。
「僕、今はあの子に付き合って落し物を探しているんですよ」
「そんな嘘に俺が騙されるかよ」
「ええ!?」
しゃがんでいたせいで、リンちゃんが見えなかったのか、嘘つき呼ばわりされてしまった。
僕達がもめていると、そこに研坂さんとフミヤさんが現れた。
「何やってるんだよ」
「君達が見えたから迎えに来たよ」
二人ともやはり堂々と上履きで庭に下りてくる。
風紀委員長と副委員長がそれで良いのなら、僕も今度上履きで庭を駆け回るとしよう。
「なんか、こいつが嘘ついて委員会サボる気なんだよ」
水橋さんが研坂さんに向かってそう言った。
「へー、いきなりサボるなんていい度胸だな」
研坂さんが鋭い目で睨んだ。僕は焦りながらリンちゃんの方を見る。
「だから僕は、あの子を助けてあげようとしてるんですよ!」
僕の視線を追って、二人もリンちゃんの方を見た。けれどすぐに視線を水橋さんに向ける。
「さっきからこうなんだよ、あそこにいる女の子の探し物を見つけるとかなんとか」
研坂さんは暫し考えるように僕を見た後で、フっと笑った。
「なんだ、早速風紀委員らしい仕事じゃないか」
水橋さんはハっとしたような顔になる。
「あ、そっか、そういう事か……」
何やら納得していた。
「じゃあ、僕はあの子の所に行くんで、もう良いですか?」
「ああ、しっかりな。だが終わったら委員会室にちゃんと報告に来るように」
「え、本当に?」
「当然だろう、これも委員会の仕事だ」
僕は渋々研坂さんの言葉に頷いた。駆けだそうとすると、フミヤさんに声をかけられた。
「部屋に来たら、お菓子をあげるよ。今日はロールケーキが用意してあるよ」
「絶対に行きます!」
僕は張り切ってリンちゃんの所に向かった。
リンちゃんはずっと地面を見つめて歩いていた。
「まだ見つからない?」
「みつからなかった。でもまだあっちにあるかもしれないし……」
落ち込んでいるかと思ったが、前向きな発言にほっとした。
「じゃあ、あっち側に行こうか」
僕はリンちゃんの後にくっついて、校舎の中庭の方に進んだ。
学校側は生徒がここでお弁当を広げたり、歓談をしたりするのを想定して、この庭を作ったのだと思われるのだが、この場所でそんなさわやかな事をしている生徒を、僕はまだ見た事がなかった。
昼休みに紫外線にあたりながらお弁当を食べようという生徒は、なかなかいないだろう。
中庭には緑の木々の他に、花壇もあった。
季節がらなのか、チューリップやパンジーが植えられている。その花壇にリンちゃんは突入していった。
「う、うわ、ちょっと待って!」
慌てて待ったをかけた。リンちゃんが不思議そうに振り返る。
「ダメだよ! お花が潰れちゃうよ!」
リンちゃんは足元を確認する。そこにはパンジーが綺麗に並んでいる。
「そっか、じゃあ避けて通る」
「花壇を歩かないとダメなの?」
「さっきここを歩いてきたんだもん」
かわいく上目使いで言われてしまった。
「でも大丈夫、さっきも踏んでないもん」
リンちゃんが通った後を確認した。確かに花は押しつぶされていない。
土はこの際仕方がない。それにほんの少しのくぼみが出来ているだけで靴跡も残っていなかった。
やっぱり体重が軽いと違うものなんだろう。
僕が踏み入ったら、花は潰すし靴跡もしっかり残って、後で教師だか用務員さんだかに怒られてしまう事だろう。
「じゃあ僕はここから探すね」
しゃがみこんで、パンジーの間にネックレスが落ちていないか見てみた。
パンジーさんこんにちは、な感じだ。
それにしても花壇の中を歩くとか、やっぱり女の子はお花が好きなんだなって思った。
「やっぱりなかったよぉ」
悲しげな声で、花壇の奥からリンちゃんが出てきた。
「そっか、じゃあ他を探そうよ。きっと次にはあるからさ。次はどこに行ったら良いの?」
リンちゃんは裏庭の奥の方を指差した。
「あっち」
「そっか、じゃあ行こう」
今度は舗装された小路だったので、僕はリンちゃんの隣りに立って、裏庭に続く道を進んだ。
校舎の横を曲がった時だった。
「きゃ!」
リンちゃんは小さく叫んで僕の後ろに回り込んだ。
「どうしたの?」
ビックリしながら聞くと、リンちゃんは少しだけ顔を出して裏門の方を指差した。
「あそこに春臣君がいるの」
「え?」
彼女の見ている方を見た。そこに一人の男子生徒がいた。彼は今にも門を抜ける所だった。
「あれが君の恋人?」
リンちゃんはコクコクと頷いた。
「声かけなくて良いの?」
「だってネックレスを落したのバレちゃうもの」
「あ、そっか、そうだよね」
僕はその春臣君を見つめた。なかなか感じの良さそうな好青年に見えた。
きっと彼なら、知り合いの女の子に恋人と呼ばれても怒る事もなく、ネックレス位買ってあげそうだ。
まあ、きっとおもちゃのネックレスなんだろうけど、そういうのは気持ちの問題だから良いと思う。
僕は遠目に見た春臣君に好感を抱いた。
「リンちゃんは春臣君の事が好きなの?」
訊ねると即答された。
「うん!」
「そうか、うん、じゃあネックレス探さないとね」
「うん!」
春臣君の姿が消えると、リンちゃんは僕の前に立ってまた歩き出した。
リンちゃんが6歳前後として、春臣君が一年生だと考えると9つ違いか。大人になってしまえば、それ位は許される年齢差かな?
なんて僕は二人の事を考えてしまった。
リンちゃんは蛇行しながら、じっくりと地面を見て回っていた。僕は全体を眺めながらその後を追いかける。
ネックレスが光る物なら輝いていたりしないかな? そう思った時、リンちゃんが小さく叫んだ。
「あ!」
「え?」
リンちゃんはまたも植え込みの方に走っていった。
「あったー!」
叫ぶリンちゃんの後を追いかける。
「あったよ、アスカお兄ちゃん!」
リンちゃんはツツジの枝に引っかかっていたそれを掴んで、僕の方に翳した。
それはネックレスというか、革製のピンクの首輪に見えた。
ピンクの首輪だなんてパンク系だ。あんなモノをプレゼントする春臣君がちょっと理解できない気がした。
いやパンクがいけないって事はないけど、小さな女の子にあげるものとも思えない。
もっとこう星とかハートとか、かわいらしい物をあげて欲しいと思う僕は、常識に囚われたつまらない人間だろうか?
けれどリンちゃんは嬉しそうに言う。
「アスカお兄ちゃん、はめて!」
僕はそれを手に取った。益々ただの首輪に見える。
でもリンちゃんが喜んでいるのだから、僕が文句をつけるのはおかしいだろう。
僕はしゃがみこむとリンちゃんの首にそれを回す。小さいかなとも思ったが、はめてみるとピッタリだった。
「わーい、わーい!」
リンちゃんははしゃいで僕の周りをグルグルまわった。
そんな風に喜んでいるのを見るとなんだか嬉しくなって、その首輪もかわいく見えてきてしまった。
「良かったね、リンちゃん」
「うん! 春臣君が買ってくれて、アスカお兄ちゃんがつけてくれたんだよ。すごいすごい宝物だよ」
微笑んでリンちゃんの頭をなでた。
「さ、無事にネックレスも見つかったし、おうちに帰ろう。どうしようか、おうちの人に迎えにきてもらう? それとも僕が送ろうか?」
訊ねるとリンちゃんは首を振った。
「一人で来たから一人で帰れるもん。それに今から走れば、春臣君に追いつけるよ!」
「あ、そうか、まだそんな先に行ってはなさそうだね」
「うん、じゃあリン急がなきゃいけなくなったから、もう行くね。本当にありがとう、アスカお兄ちゃん」
「いえいえ」
手を振る僕に、リンちゃんは眩しい笑顔を向けてから走り出した。
「転ばないように気をつけるんだよ」
「はーい!」
リンちゃんの姿が校門に消えてから、向きを変えた。
さて。風紀委員に行かないと。
僕は少し緊張しながら部屋のドアをノックした。
「はい、どうぞ」
フミヤさんの声が聞こえたのでドアを開ける。
正面に居る研坂さんと目が合って、何故か一瞬ドキリとする。
「今、お茶を淹れてあげるから座っていてよ」
フミヤさんが立ちあがるのと交替するように、僕は手前の席につく。フミヤさんは脇でポットからお湯を注いでいる。
「どうだった? 女の子の探し物はちゃんと見つかったのか?」
研坂さんに聞かれて頷く。
「はい、ちゃんと見つけてあげましたよ」
「ふーん、じゃあ第一回目の風紀委員の仕事が完了したわけだ」
「風紀委員の仕事というか、まぁ小さな子を助けるっていう、当然の事をしただけですけど」
僕の言葉に研坂さんはニヤリと笑った。
その隣の席にいた水橋さんが頬杖をつきながら僕に問いかけた。
「で、お前は何を探してやってたんだ?」
「ネックレスです。でも見つかったそれがピンクの首輪にしか見えなくて、ちょっとどうしようかって思いました」
「ああ、首輪! なるほどな!」
水橋さんの言葉に首をひねる。なんで首輪で納得なんだ?
そう思っていると、フミヤさんが僕の前にお茶とケーキを置いてくれた。
「わ、ありがとうございます!」
それを食べようとした時、鋭い声が飛んだ。
「まあ、待て」
研坂さんが僕の事を正面からじっと見つめていた。その視線の鋭さにビクリとしてしまう。
目の前の餌を我慢する子猫になったような気分だった。
「君が噂に違わぬ天然だという事はよく分かったが、まあ説明させてくれ」
「説明?」
ロールケーキが気になったが、一応研坂さんの話に耳を傾ける。
「実はな、さっきあそこに女の子なんかいなかったんだよ」
「え?」
言われた意味がわからない。いや、意味ではなく、えっと、なんだ?
「お前は人外の物と会話してたんだよ」
「人外? それってもしかして幽霊って事ですか?」
「いや、幽霊ではない」
研坂さんは顔の前で手を組んで、どこかの艦長か司令官かというポーズを取った。
「俺達には、あそこには猫がいるようにしか見えなかった」
「猫?」
首を傾げる。猫ってかわいくて小さくてにゃーにゃーいうあの猫? リンちゃんが?
「いや、だって普通に会話してましたし、猫のわけないですよ」
「そう思うのは君だけだが、いや、君だけって事もないな。こいつがいる」
そう言って指差したのは、隣の席に戻っていたフミヤさんだった。
「僕も君ほどではないけれど、若干の力があるんだ。だから彼女の声だけは聞こえたよ」
僕は茫然としていた。みんなで僕を騙しているんじゃないかと思った。
風紀委員とはそういうちょっとタチの悪い委員会なのではないかと。
でも研坂さんや水橋さんはともかく、フミヤさんがそんな事をするとは思えない。
「立川アスカ」
フルネームで呼ばれて研坂さんを見た。
「君は何故、風紀委員に選ばれたか分からないと言っていたな。答えがこれだよ。人外のモノが見える。そんな人間がこの委員会に所属し、さまざまなトラブルを回避または静観する。それが風紀委員の仕事だ」
「風紀委員の仕事……」
呟く僕に研坂さんは更に続ける。
「君の今日の働きは、だから風紀委員の仕事に適ったものだったんだよ。その現象によって能力の向き不向きがあるが、はっきり言って君はオールマイティーだ。俺達の誰よりもその能力に長けている」
「そ、そんな事言われても、僕には自覚がないんですけど!」
思わず大きな声が出た。だって本当に今までに変なモノが見えたとか、そんなおかしな経験はない。
「だから最初に君は天然だって言っただろう。俺やフミヤやシュートは能力がそこまで高くないから、怪異の違和感に気付く。だがお前はその能力の高さから現実と区別がつかない上に、考察力のなさから、幻視的な物も全部現実と受け止めてるんだよ。昨日も生徒会長の加賀美ヒロミの側に蝶がいたなんて言っていたが、俺達は彼女の側で蝶なんか見た事ないよ」
茫然とした。これを現実と受け止めるしかないのだろうか?
僕は人とは違うのか?
そう考えてハっとした。
「あの、どうして僕が人とは違うってわかったんですか?」
一瞬、おかしな空気が流れた。研坂さんはフミヤさんと水橋さんをチラリと見た。
そして再び僕を見る。
「俺達の先輩が君の知り合いなんだよ。だからよろしくと頼まれている」
「知り合い? 誰ですか? その人が僕を知っているという事は、僕も知ってる人ですよね?」
「それは秘密だ」
なんでここで秘密なんて言葉が出るんだ?
「彼は俺達の尊敬に足る人物で、そして君に近い能力者だった。そのうち会う機会もあるかもしれないが、まぁ焦るな」
黙り込んでいると、フッとフミヤさんがやわらかい表情を浮かべた。
「さ、説明もすんだし、紅茶とケーキを食べると良いよ」
「今の話でなんかちょっと食欲がなくなりました」
そう呟きながら視線をケーキに向けた。やっぱり食欲がわいてきた。
「頂きます!」
そんな僕を見てフミヤさんは穏やかに、研坂さんと水橋さんは呆れたような顔で笑った。
ケーキと紅茶はとても美味しかった。