Ⅰ
当作品は、いじめ、自殺表現、流血表現を含みます。また、いじめ、自殺行為を推奨するものではありません。
「まじかよ…。」
いつもの通学路。俺の進行方向にある電信柱にスーツ姿の草臥れた様子のおっさんがぐったりともたれかかっている。ここだけ見てるとただの酔っぱらいか、もしくは体調不良者だと思うだろう。
そのおっさんの右腕が千切れていて、顔の右半分が潰れていなければ…だが。
皆さんお察しの通り、こいつはこの世のもんじゃない。いわゆる、霊ってやつだ。
その証拠に、俺以外にもいる通行人たちはそのおっさんの存在に気付いていない。もしこれが生きてる人間なら今頃ここは阿鼻叫喚、救急車のサイレンが鳴り響いてることだろう。
鼻を突くような死臭と血の匂い。
うげ、と舌を出す。爽やかな新学期の朝に不釣り合いな不快感だ。昨日まではいなかったというのに。
『あ…あぁ…い…いダい…イた…たすケ…』
おっさんの血で真っ赤に染った口からそんな声が漏れる。おそらく“痛い、助けて、”と。
(ンなこと言われたって、俺にどうしろってんだよ…。)
ゆっくり歩みを進めながら、俺は頭を抱えたくなった。おっさんとの距離はどんどん近付いてくる。
おっさんからほんの少し離れたところに、歪な形をした黒い塊と、おっさんに繋がれた2本の縄のようなものがある。
いや、これはこのおっさんに限ったものではない。他の霊にも似たようなもんがついてる。
黒い塊が何なのか俺には分からないが、縄は何となくわかる。それは霊をこの場所に縛り付ける縄だ。まるで血が変色したようなその真っ黒な縄は地縛霊なんかには大抵ついてる。ただ、二本目の縄はよく分からない。その縄は黒い塊と霊体を繋いでいることが多い。縄の色にそこまで禍々しさを感じないものの、やはり黒い縄で俺には昔から、その黒い塊とそれを繋ぐ黒い縄が何なのか分からなかった。
いよいよおっさんのすぐ近くまで来た。
臭いが強くなる、嘔吐きそうになるのを抑えて歩く。
『い…た…、い…、…に…た…い…』
おっさんの虚ろな左目から涙が流れているのが見えた。そして、目が合った。
おっさんは俺を“見えてる者”と認識し、左手を伸ばしてきた。
それと同時におっさんをその場所に繋ぐ黒い縄が波打ったように俺の足元へと伸びてくる。
俺はその縄を足を少し上げることで避けると、まるで煙草の火を踏み消すように縄を踏み付けた。
消し炭のように散り散りになった縄はパタリと落ちて大人しくなった。
「悪ぃ、おっさん。俺にはどうすることも出来ねぇんだわ。」
おっさんの伸ばされてた左腕が俺に触れる前に電信柱を通り過ぎた。
その場を離れても、俺を見上げてたあの悲しそうな目は頭から離れなかった。
──…
俺の名前は陽鶴 彰。
どこにでもいるような普通の男子高校生だ。家からそう遠くない、そんなに賢くない俺の頭でも行けそうって理由で選んだ私立土筆高校。
特筆するようなことがない、ごく普通の学校だと思う。強いて言えば校則がそんなに厳しくなく、ある程度の自由が許されてるということくらいだろうか。バイトだとか、そういうの。
昇降口に張り出された新しいクラス分けを確認してから階段を昇る。新しい教室は三階。この学校は屋上ありの四階建てだ。一年の頃は二階だった。なんだろうな、この一階分増えただけなのに億劫になる感覚。
教室に入ると、何人かの知らない顔に交ざる見覚えのある顔。当たり前だが、一年の頃同じクラスだった奴らもいる。まぁ、そんなに喋ったことないからあまり関係はないが。
さて、俺の席は…扉側から見て二番目の列の真ん中か。
離れたところで、くっそー俺窓側の一番後ろがよかったー!とか聞こえる。わかる、俺も一年の頃はその席にすごく憧れた。なんか漫画の主人公になったような気分になるんだよな。…まぁ、そんな考えは入学してすぐに消し飛んだが。今は窓から遠いことが多いこの苗字に超感謝してる。
俺はそんなことを考えながら、割り振られた座席に座り、鞄を机の横にかけた。
程なくしてチャイムが鳴ると、担任の教師が入ってきて教卓の前に立った。見たことない若い男の人だ。
「皆さんおはようございます。このクラスを受け持つことになりました、入間 透といいます。担当科目は古典。なので、授業でも顔を合わせることになりますが、よろしくお願いしますね。」
入間と名乗った教師はそう言うと薄銀色の前髪をさらりと揺らしながら丁寧にお辞儀をした。
それはそうと…こんな教師いたっけか?
おそらく俺以外にも同じことを思ってる生徒がいるのだろう、みんな顔に「?」と書いてある。
すると、廊下をパタパタと小走りで駆けてくる音がしてガラッとドアが開いた。。入ってきたのは一年の頃は学年主任だった40代くらいの女教師だ。
「入間先生!こちらにいましたか!もう、今日は始業式で初めて生徒たちと顔合わせになるって三回も言ったじゃないですか!貴方今日来たばかりの新任教師なんですよ!」
「えっ、あれ!?そうでしたっけ?すみません、間違えてしまいました。」
「とにかく、体育館に行きますよ!あ、みんなはいつものように校内放送が鳴ったら出席番号順に整列して体育館に来てね。」
そう言うと女教師は入間先生を引連れて教室を出ていった。
天然なのか、話を聞いてないだけなのか…とにかく変わった教師だった。
その後滞りなく式は終わり、また教室に戻ってきた。
(やっと終わった…!くそねみぃ!話長ぇ!)
あくびを噛み殺し、席に座る。
あとはHRをやって今日は終わりだ。
帰りは違う道から行くか。あのオッサン、多分まだあそこにいるし。
涙の滲んだ目を擦っていると、あの例の先生も教室に戻ってきた。確か…入間、先生だったか。
「皆さん、始業式お疲れ様でした。朝はすみません、混乱させてしまいましたね。改めまして、僕は入間 透と言います。朝も言いましたが、担当教科は古典。あ、あと図書委員の顧問もすることになってました。ではみなさんよろしくお願いしますね。
─さて、今日は僕以外にもう一人。このクラスに転校生が来ます。では、入ってください。」
【転校生】。そのワードにクラスの奴らがざわめく。かっこいい子かなー、いや可愛い子が、なんて言って興味津々だ。
かく言う俺も(どうせなら可愛くてスタイルのいい女の子がいい)と思っている。
そんな俺と一部の男子たちの願いとは裏腹に、入ってきたのは男子。
それも、腹立つことに…
「どーもっス!俺は海原 新っていいまっす!こっちの方には家の都合で引っ越してきたんでわからないことだらけっスけど、早くみんなと色んなことして仲良くなれたらいいなーって思ってるっス!というわけで、よろしくお願いしまーっす!」
なんてこった…転校してきたのは俺たち非モテの敵…イケメンだった。
身長は…多分そんなには高くない、が細いし足が長い。モデルみたいな体型だ。
少し長い紺碧色の少しくせっ毛の髪は後ろでちょこんと結ばれていて、不潔感は全くない。
黒縁メガネも普通に似合ってるし、人懐っこい笑顔に目元の泣きぼくろがイケメン度をさらに上げている。
その証拠にクラスの女子たちは頬を赤らめ、小さくキャーキャーとはしゃいでいた。
くそぅ、顔面格差がひでぇよ。
「では海原くんは窓際の1番後ろの席を使ってください。」
「はーい!おっ、あの席ってすごく漫画の主人公感あるッスよね〜ラッキーっス!」
分かりやすくはしゃぐ転校生に俺は心の中でご愁傷さまと手を合わせる。といっても“見えない”なら全くもって問題なんてないのだが。
そんなことを思ってると、パチッと転校生と目が合ったので、気まずくなってすぐに目を逸らした。
その日は明日の連絡事項を伝えるHRが終わると、すぐに下校となった。
窓際一番後ろに群がる女子たちを後目に、俺は早々に学校を出て帰路についた。もちろん、行きとは違う道を使って。
それから数日が経ち、授業も始まってきた頃。相変わらず俺はあの道を通ってないし、転校生の人気は半端ない。なにせアイツはそこそこ頭もいいし、スポーツもできる。っていうか、スポーツやってる時いちいちかっこいいのが腹立つ。なんだあれ。なんで同じことやってんのにアイツだけキラッキラしてんの?解せぬ。
さて、そんな愚痴はさておき…。
今日は朝から雨が降っていた。薄暗い教室、朗々と喋ると教師の声と黒板に文字を書く音。さぁさぁと落ちる雨の音、極めつけに今は眠気がピークになる五限目。どこぞのASMRだと言わんばかりの眠気を誘う音に欠伸をかみ殺す奴らがチラホラ。
俺もまぁまぁ眠い。だが、俺は内心うんざりしていた。
眠い事にでは無い。今日は"そういう日"だ。
うちの学校では十数年前、飛び降り自殺があったらしい…というかあった、絶対。確信ある。
それは多分…そう、丁度こんな雨の日の午後…
ほらきた。
キィイイ…!!と言う甲高い悲鳴が耳に響く。見たくないと思いつつ、俺は窓の方を見た。そして、目が合った。窓際に座るクラスメイトとでは無い。窓の外を落ちていく女子生徒と、だ。
(くそ、やっぱり落ちてきた…!)
これだけ大きな声がしたにも関わらず、居眠りをしている奴はぐーすかと眠ったままだし、教師も全くの無反応だ。まぁ、つまり"そういうこと"なのだ。
ほら見てみろ、あのイケメン転校生クンもあんなとんでもないことが起きたってのに、ボケーッと窓の外を見たま、ま…?
(…アイツ、なんでちょっとびっくりした顔してんだ?グラウンドに野良犬でも入ってきたのか、校長のヅラでも飛んでたか。)だってありえないだろ、見えてるわけなんてないんだから。
すると、急に転校生がこっちを振り返った。
そしてまた目が合った。俺はもしかしたら少し動揺してたのかもしれない。すぐに逸らせばいいその視線を外せなかった。
一…、二…、三…、四…、五秒と経った。
転校生クンが、にんまりと笑った。
なんか、面倒なことが起きるような予感がした。悲しいかな、俺のそういう勘はよく当たる。
「ひーづるクンっ、ちょっといいっスか?」
「…なんだよ。」
放課後、案の定というかなんというか…やっぱり転校生が話しかけてきた。
いいのかよ、ほら。後ろでお前と話したそうな女子たちが俺の事を恨めしそうに睨んでるぞ。女子たちよ、俺は別に転校生と話したいわけじゃないんだ。むしろめんどくさい事になりそうだから早急に連れてってくれ、切実に。
「ちょっと君と話したいことがあるんスよ〜。」
「俺はない。」
「まぁそう釣れないこと言わないで〜…『なんで、あいつにも見えてるのか?いやそんなわけない、きっとグラウンドに野良犬が入ってきたとか校長のヅラでも飛んでたか…』だっけ?」
「!? 」
な、なんでこいつ、それを…!?
「『なんでこいつ、それを…』って、それも教えてあげるから、ちょっとお話しよって言ってるんスよ〜…2人っきりで、ね。」
転校生はそう言うと自分の鞄を持ち、女子たちに愛想良く「また明日ね!」と言って手を振った。
「ほらほら〜早く行くっスよ〜。」
そして俺の鞄をぐいっと押し付けてきた。
さようなら、俺の静かな放課後。
転校生と俺は、屋上へと続く階段の踊り場で足を止めた。
「なんでこんなところに…。つーか、話ってなんだよ。それに、さっきのは一体…」
「あぁ、まぁ…色々聞きたいことはあると思うっスけど…」
転校生はそう言って俺の顔をじっと見てきた。
「…なんだよ。」
「とりあえず、俺の事をアイツとかコイツとかって呼ぶのやめねっスか?なーんか距離置かれてるみたいで寂しいっス〜。」
(だから、なんでさっきから俺の考えてることが分かるんだよ!あれか?今流行りのメンタリズムってやつか?顔色や目線で何考えてるかわかるとかってやつ?)
だったらしらばっくれてりゃいいか
「何のことだがさっぱりわかんねぇな。はったりだかメンタリスト気取りなんだか知らねぇけど、用がないなら俺は帰るぞ。」
「あぁ帰らないで。まぁ、それも後ちゃんと説明するけどその前に…俺も聞きたいことがあるんスよ。」
「聞きたいこと?」
転校生は一度屋上の扉に視線をやった後、俺に向き直り、
「陽鶴クンさ…見えてるんスよね?」
と言った。
"見えてる"…あぁ、そうだな。見えてるよ。
ということはやっぱりコイツ…いやでも…
「見える?何がだ?」
今までも、こうして俺の態度を不審に思い何が見えてるのか聞いてきた奴はいた。
そしてその度、ネタにされるか、気味悪がられ、嘘つき呼ばわりをされてきたのだ。
俺は咄嗟にとぼけてみせた。
さぁ、どうする?コイツはどう反応する?
つまらないとばかりに話をやめてここを去るか…それとも、まさか、本当に…
「何って…幽霊っスよ。女子生徒の。飛び降りてきたの、君も見てたっスよね?」
なんてこった、本当にまさかだった。
「…お前も、見えるのか?本当に?」
「見えるッスよ。普段から、普通に見えてるっス。まぁ、今日は初見で流石にちょっとびっくりはしたっスけど。」
「まじかよ…。」
俺と何の接点もなさそうなイケメン転校生は、まさかの俺と同種だった。
俺は初めて出会った自分と同じものが見える相手に、少し親近感を抱き始めていた。俺ってやつは、なんて単純なんだろうか。
「びっくりしたッスよ。視線を感じて振り返ったら君もこっち見てて、しかもなんか“見ちまった…”みたいな顔してるから。」
「俺、そんな顔してたか?」
「してたしてた。陽鶴クンはあの霊について何が知ってることあるんスか?」
「知ってること…あー、なんか十数年前に飛び降り自殺した女子生徒がいたとか何とか…自殺した時雨が降ったたんだろうな、あれは雨の日にしか落ちてこない。」
「なるほど…。」
神妙な顔をして頷く転校生はもう一度屋上の扉を見上げる。
「『死にたい…死ねない…助けて…痛い…』。」
「は?」
抑揚のない声で突然そんなことを言い出した転校生に俺は間抜けな声が出た。
「俺があの子から聞いた声ッス。」
「声?お前、そんなにはっきり何言ってるとか分かんのか?」
「え、うん、まぁ。」
「すげぇな、俺言葉ははっきりわかんねぇんだわ。なんかノイズ混じりで途切れ途切れで…。あっ、なぁお前、あの黒い塊がなんなのかわかるか?」
「黒い塊?」
「霊に繋がれてる黒い塊だよ、なんか縄に繋がれてんだろ?」
「縄…塊…あぁ、何となく、見えてたような…
ごめんっス、俺あんまり意識してなかった。」
「そうか…。」
「陽鶴クンにはそれがはっきり見えてるんスか?」
「あぁ…。俺に見えてる霊の姿ってさ、二本の黒い縄が繋がってるんだ。一本はすっごく気味の悪い黒色で、俺が思うにその縄はその場所に霊を縛り付けてる。この縄が厄介でさ、霊が仲間を増やそうと動き出すと一緒になって動き始めて、まるで引きずり込もうとするように絡みつくんだ。」
「そ、れは…怖いっスね。」
転校生が俺の目を見て口元を引き攣らせた。
「俺も何回か捕まりそうになったけど、その度にその縄を踏み潰してとっとと逃げて…」
「踏み潰せるの!?」
「あぁ。普通にぐしゃっと…」
「へ、へぇ…すごいっスね。で、もう一本の縄と黒い塊の方は?」
「それが、それだけは何なのか分からないんだ。ただなんとなく、それを何とかすればいい方向にいけるような気はするのに、俺にはそれを理解する術がねぇ。」
朝見かけたおっさんの悲しそうな顔が脳裏にチラつく。
助けられるなら、助けてやりたい。例えそれがこの世のものではなくとも、かつては同じ生きていた人間なのだから。
「ふむふむ…なるほど。黒い塊、黒い塊ねぇ…あっ、もしかして!」
しばらく何かを考え込んでいた転校生は閃いたように声を上げた。
「それって、霊の“未練”なんじゃないっスか?だから、それを解決すればいい方向に進む…つまり、成仏できる!」
「未練…でも、あんな黒い塊じゃ何が未練かなんてわかんねぇぞ?まさか霊に聞くわけにもいかねぇし…」
つーか、会話ができるなら向こうから言ってこい。
「ふっふっふっ…そーこーは〜…ハイスペック転校生新くんにおまかせっスー!」
「…は?」
ところ変わって…ここは屋上。
何考えてるんだコイツ。今雨降ってるんだぞ、なんで俺外にいんの?
転校生はさっさと折りたたみ傘を開き、上履きのままパシャパシャと音を立てながら進んでいく。
いや、俺も一応折りたたみ傘持ってるけど。もし俺が持ってなかったらどうするつもりだったのか。濡れろってか。俺は濡れながら進めってか。
あのイケメン転校生様は。というか、俺の中では既にイケメン転校生のイケメンの前に“残念な”というワードが入りつつある。
なんださっきのあのテンション。
と、まぁこんな風に軽口を脳内では叩いているが、目の前に広がる光景はとてもそんな雰囲気ではない。
屋上のフェンス付近に血溜まりができている。それが雨の水で広がっていき、辺りには生臭い血の匂いが漂っている。
血溜まりを生み出すその女子生徒はフェンスの向こう側に立っていた。
長い髪は雨と血でべっとりと濡れ、ブラウスを赤く滲ませている。
俺は血溜まりを踏まないように転校生を追った。
女子生徒の足にはやはり黒い縄が二本。一本には黒い塊に繋がっている。
転校生が女子生徒の霊のすぐ後ろまで辿り着いた。二人の間にはフェンスと2歩分ほどの距離しか空いてない。
「ねぇ、俺に君のことを教えてよ。」
転校生が優しい声色で女子生徒の霊に語りかけた。
女子生徒の霊はゆらゆらと揺れながら微かに振り向いた。
「お、おい…大丈夫なのかよ。」
霊に自分から声をかけて襲われることはよくある事だ。俺もまだ霊の危険性も何もわからなかった子どもの頃はよく痛い目をみた。だから心配になって思わず声をかけたが転校生はこちらに振り返らず、スっと軽く手を上げただけだ。大丈夫だ、ということなのだろうか。
女子生徒の霊が体ごと振り返ってこちらに顔を見せた。
『あ"…ぁあ…シに…、い…たスけ…』
「うん、助けるよ。きっと、助けるから…だから、教えて。君がここに残る理由を。俺に見せて、君の目を。」
俺には途切れ途切れのノイズのように聞こえてるだけの言葉の羅列でも、転校生にははっきり聞こえているのだろうか。
女子生徒の霊が張り付いた前髪の隙間からじっと転校生を見つめた。
一…、二…、三…、四…、五…。
五秒程だっただろうか。二人は無言のまま見つめ合っていたが、やがて転校生が額を押さえ、何かに耐えるように深呼吸をした。
「だ、大丈夫か!?」
俺は血溜まりを踏むのも気にせず、転校生へ駆け寄り、その肩に手を置いた。
転校生の顔色は青く、瞳からはボロボロと涙を零していた。
「!?」
まさか、何かされたのか?俺はずっと見ていたのに?気付かないうちに?やはり、止めるべきだった。霊に無闇に関わるなんてろくな事にならない。
「て、転校生!逃げるぞ!こんなとこ、いない方が…!」
俺は転校生の腕を引っ張ろうとした俺の手を転校生がそっと制した。
「大丈夫ッス…なんもされてないッスよ…。分かったんだ、彼女の未練が…死んだ理由が。」
転校生がぐしぐしと目を擦り、涙を拭ってそう言った。
「わ、わかったって…、どうやって…だってお前ら今一言も話してなかったじゃねぇか…。」
「俺…俺ね、“人の心の中が見える”んスよ。」
人の心の中が…見える…?
「は?」
「人の目を五秒以上見つめると、その人が何を思ってるのか分かるんスよ。言葉として聞こえることもあるし、映像が頭の中に流れ込んでくるときもある。さっき、授業中目が合ったでしょ?陽鶴クンが考えてることがわかったのは、そういう事っス。だから、君が心の中で俺を転校生って呼んでるのも、彷徨う霊に対して助けてあげたいと思ってることも、知ってる。…まぁ、そうそう人と見つめ合わないし、これやると頭痛くなったり、脳が他者の記憶でパニック起こしそうになるから頻繁にやってるわけではないッスけど…」
俺の頭がパニックを起こしそうだ。
つまり、コイツは見つめ合うことで人の心が読めて?今は霊の心を読んだというのか。それはなんというか…
「すげぇ…」「やっぱ…気持ち悪いっスよね…」
「「え?」」
「えっ、いや、えっ?」
「なんで気持ち悪いんだよ、すげぇじゃん。」
「えぇっ!?だって心の中読まれるんスよ!?そんなん人間じゃないっていうか、どう考えてもドン引き案件でしょ!」
「?でもお前人間じゃん。世の中には動物としゃべれる人だっていんだから心ん中読めるやつだっているだろーよ。あぁ、でもお前は大変そうだな。だって、知りたくもない他人の心ん中まで知っちまうんだから。」
「あ…、あぁ…。なんていうか、陽鶴クン…変わってるんスね…」
「はぁ!?変わってねぇよ!普通だ!ってか、今そんなこと言ってる場合じゃねぇだろ。」
「結構大事な事だと思うんスけど〜…、まぁでもそうっスね。」
ちょっと困ったような、でも嬉しそうに笑った転校生は、ゆっくりと女子生徒の霊の過去について話し始めた。
その女子生徒は、どこにでもいる普通の少女だった。
優しい両親に愛され、毎日を精一杯生きていただけの少女だった。
少女が中学三年の頃、きっかけは些細なことだったのだろう。
その少女が教師に褒められたからか、成績がよかったから、それともただ何となく気に食わなかったのか。
はっきりとした原因はわからない。だが、その少女はいつしかクラスメイトからいじめを受けるようになった。
ノートを隠されたり、すれ違い様に舌打ちをされたりといったものから徐々にエスカレートしていったいじめは、やがて少女の体も心も傷つけた。
少女は耐えた。もうすぐ卒業なのだから、と。高校にいけば、こんな地獄は終わるだろうと。大好きな両親に心配をかけまいと耐えた。
やがて少女は卒業し、高校へと入学した。
しかし、悪夢は終わっていなかった。
いじめの主犯格の一人が、同じ高校へと入学していたのだ。
少女へのいじめが再開した。
少女の事など知らなかった者まで、便乗していじめていた。
理由なんてどうでもいい、ただストレスを発散したかったのだ。
他の人もやっているのだからと罪の意識は軽くなり、寄ってたかって一人の少女を追い詰めていった。
そんな生活を一年以上耐えていた少女の心はついに壊れてしまった。
死ねば、楽になれる。
死ねば、いじめられなくなる。
死ねば、我慢しなくてよくなる。
少女は屋上への階段を登った。
一歩一歩、踏みしめるように登った。
重たい扉を開けると、雨粒が少女を濡らす。泣けなくなった少女の代わりに、空が泣いているような雨の日だった。
少女の手には、両親から入学祝いにとプレゼントされた懐中時計が握られていた。
それを持って、フェンスを乗り越えた。
ドクドクと心臓がうるさいほど鳴った。
足が震えた。
懐中時計を握り締める。一緒に持って行きたかった。大好きな両親から貰ったものを、最期まで。
スーッと一度息を吸い、目を瞑った。
そして──トンっと前へ飛んだ。
フワッとした浮遊感と落下していく体。
そして、ぐちゃりと音がして叩き付けられた。
痛くて痛くて、息が出来ない。
転げ回りたいほどの痛みなのに、体は壊れた玩具のようにビクビクと動くだけ。
少女はすぐに死ぬことが出来なかったのだ。
ふと、地面に投げ出された自分の手が視界に入った。
ない、懐中時計が、ない。
そんな、どこにいったの?
落としたのかな、はやくさがさないと
さむい、さむい、これは、あめのせい?
いつのまにかゆうやけそら、だって、ぜんぶがまっかだ
とけい、どこだろう、さがさないと
ぱぱと ままから もらった たいせつな
みつけないと
それで、もういちど、しなないと
こんどこそ おわらせないと
もうつらいのは いやだから─…
転校生の話が終わった。
俺はなんて言ったらいいのかわからなくて、わからないけどとにかく悲しくて、泣きそうだった。
「どうすればいいんだ…どうしたら、この子は救われる?」
もうこれだけ苦しんだんだ、これ以上苦しませたくない。酷すぎるだろう。彼女が一体何をしたというのだ。
ただ普通に生きていただけなのに。
「彼女はまだ自分が死んだことに気付いてないっス。だから何度も繰り返してる。自分の未練にも気付けてない。」
「未練…」
「彼女の未練は、懐中時計っス。きっと落ちた時に手から離れたんだ。」
「じゃあそれを探せば…って、何年前の話だと思ってんだよ、もうそんなの残ってないだろ!」
飛び降り自殺があったのはもう何年も前の話だのだ。雨風でもうどこかに飛ばされてるか…運良く残ってたとしてもそれを探すのは至難の業だ。
それに…
「あっぶねぇ…!」
黒い縄がついにこちらにむかってアクションを起こし始めた。
波打った縄が足に絡みついてくるのをジャンプして避ける。
転校生は縄がはっきりと見えてるわけではないのか、避ける足元が覚束無い。
「ちょっ、すっごいアグレッシブに動くんスけどこの縄!あぶなっ、転けるぅー!」
その時、転校生が避けきれずに縄を踏んだ…ように見えた。正確には縄をすり抜けた。
「へぁっ!?う、おわぁあっ!いってぇ!」
転校生が踏んだ時はすり抜けた縄はその後すぐに転校生の足に絡みつき、転校生が情けない悲鳴をあげて尻もちをついた。あれは痛そうだ。
「すり抜けるくせにそっちからの接触はありなのかよ!っていうかなんでお前縄踏めねぇの!?」
「普通は踏めねぇんスよっ多分!って、うわぁ!ひ、引っ張られるっスー!」
縄は転校生を屋上の下へ引き摺り込もうとしていた。
俺はすぐさま転校生へと絡みついた縄を踏み潰し、転校生に手を貸して立ち上がらせた。
「あっぶねぇ…なんも解決しないうちにゲームオーバーになるとこだった…ありがとうっス!」
「おう。にしても、この縄俺にしか物理的接触できなかったんだな…知らなかったわ。」
「俺なんてもっと知らねっスよ。でも陽鶴クンが縄を踏み潰したから、この子とこの場所を繋ぐものは無くなったはずなのになんでこの子はまだ成仏出来ないんだ?」
「…いつもこうだよ。俺が助けたくて縄を踏み潰しても、すぐに縄は復活して何も無かったかのようにまたそこに在り続けてる。」
「じゃあやっぱり未練の方を何とかしないとダメって感じっスね。」
「そのためにも、まずあの子に死んだことを気付かせないとってことか。俺らの声は届くのか?」
「さっき俺の言葉が届いたから届くはずっスから、俺がまた彼女に話をしに行くっス。それから、未練の解決。」
未練の解決…それはでも難しいのではないか?
「でももうあの子の懐中時計は…」
「もしかしたらっスけど、これだけ年数が経ってるなら“物の魂”として残ってるかもしれないっス。それは、俺たちに見つけるのは難しいけど、彼女がちゃんと目を向ければ…案外そばにあるかもしれない。」
物の魂…物にも魂が宿るのか。人形に魂が宿るのと同じ感じか。思いが強いほど、確かにその可能性はあるかもしれない。
よかった、俺でも知ってるような知識で…。
「そんで最後にこの場所に縛り付けてる方の黒い縄をぶった切る!わかった?認識→未練→縄の順番っスよ!間違えないようにね!縄の相手よろしくっス!」
「お、おう!任せとけ!」
とにかく、やるっきゃないのである。
縄が復活しきる前に転校生が素早く女子生徒に歩み寄る。
「これから俺が言うことを、よく聞いて欲しいっス。君は、もうこの世のものでは無いんスよ。もう、死んじゃったんだ。」
虚ろな目をする女子生徒と目を合わせ、転校生が静かに諭すように言った。
女子生徒は黙っているが、反応したかのようにピクっと肩を跳ねさせた。
「だから、もう苦しまなくていいんだよ。痛いことも、辛いことも、もう終わりにしよう?」
『ぁ…う…ト…けい…わタしの…とけ…イ… 』
「よく見て。探し物は、きっと君の近くにあるよ。だってすごく大切にしてたんだもん、離れるわけがない。」
転校生の言葉に応えるように、女子生徒がゆっくりと顔を左右に向けた。まるで辺りを確認するように。すると…
「あ!」
なんと、あの黒い塊が徐々にその黒さを薄めさせ、はっきりとした輪郭を持ち始めた。彼女が認識した事によって、存在がはっきりしてきたのだろうか。
それは掌に乗るほどの大きさで丸く、そして細いチェーンのついた…
『あった…私の…懐中時計…』
その瞬間、俺にも彼女の声がはっきりと聞こえた。
ノイズ混じりじゃなく、途切れ途切れでもない。普通の、女の子の綺麗な声だ。
「い、今声が…それに姿も!」
女子生徒の姿はもう血塗れの痛々しい姿ではなかった。
そこに居たのは、懐中時計を胸に抱き締めて嬉しそうに涙を流す髪の長い子。
きっとこれが彼女の生前の姿だったのだろう。
『ありがとう…見つけてくれて…ありがとう。』
女子生徒は何度もそう言って、ふわりと笑った。
「陽鶴クン、今ならその縄踏み潰しても復活しないと思うっス。」
転校生にそう言われ、ハッとした俺はすぐさまあの黒い縄を踏み潰した。
黒い縄はまるで消し炭のように散り散りになり、やがてスゥッと消えていった。
「ふぅ〜。これで、多分大丈夫だと思うんスけど…。」
「お前、ガチで根拠もなしにやってたのか?」
「ん?そうっスよ。全部勘っス。でも、何となく君となら上手くいくような気がしてたンスよね〜。」
はは、なんだよそれ。
「そういうの、嫌いじゃねぇよ。勘上等、上手くいきゃそれでよし!」
「ははっ、そうッスね!さて、これでもう君をここに縛り付けるものはないっスよ。さぁ、暖かくて明るいところに行って。」
女子生徒がこくりと頷いた。もう泣いてないし、辛そうな表情もしていない。
『ありがとう、本当にありがとう。さようなら。』
女子生徒の体が眩い光の粒となり、空へと昇っていく。
長く降り続いていた雨はもう止んでいた。
最後に見た彼女の顔は、とても綺麗な笑顔だった。
「つ、つっかれた〜〜〜!」
「あははっ、おつかれっス。」
あれから俺たちは、一度彼女がいた場所に手を合わせてから屋上を後にし、既に誰もいない教室へと戻ってきた。
理由は簡単。
俺たち二人ともアホほどびしょ濡れになったからだ。
途中から傘なんて差してなかったわ、ちくしょう。それどころじゃなかった。
っていうか、俺の折り畳み傘壊れてんだけど。どっちに踏まれたんだろう。
濡れて体に張り付く制服を脱ぎ、ジャージに着替える。明日が土曜でよかった。制服は一日かけて乾かそう。
「いや〜それにしても上手くいってホントによかったっスね。彼女も最後笑ってたし。」
「まぁ、それは…そうだけど。ほんとよく上手くいったよな、ほとんどカン頼みの行き当たりばったりなのに。」
「勘も実力の内って言うしね!」
「言わねぇよ。」
言わねぇ、よな?
「あれぇ?そうだっけ?まぁいいじゃん、細かいことは!でもまぁ…そうっスね。とりあえずお礼は言わせてもらうっス。俺の事、信じてくれてありがとう。俺のこのへんてこりんな力とかも、不気味がらずに受け入れてくれたし、感謝してるっス。」
突然の感謝の言葉にむず痒さを感じる。
ちょっと顔が熱いのが腹立つ。
「別に。…俺の方こそ、ありがとな。お前のおかげで、あの子を助けられた。」
「えっへへ〜!どういたしましてっス!」
ジャージに着替え終わった転校生がタオルで頭をわしゃわしゃと拭いながら言った。
「そういや転校生クンは…」
「あ、ちょっとストップ。もうその転校生呼びやめよ?っていうか俺の名前ちゃんと覚えてる?まさかモノローグ中一回も名前呼んでないとかないっスよね?」
「モノローグってなんだよ。…そういや、お前名前なんだっけか…。」
「ひっでぇ!やっぱ名前すら覚えてなかったんスか!新!あーらーたー君っス!」
「あぁ、そうそう。そんな感じの名前。」
転校生…じゃなくて、新がわざとらしく泣き真似をしながら「そんな感じの名前じゃなくてそんな名前なんスよ…」とボヤいた。
「わ、悪かったよ。まさかお前と接点持つなんて思わなかったんだよ。」
(イケメンは敵だと思ってたし…)
新がじとーっとこちらを見てくる。
な、なんだよ…と言うまもなく、「イケメンだからって敵じゃねぇっス。」と言われた。
しまった、読まれた…!
「おまっ、くっそー!バッチリ目合わせんじゃねぇ!」
「目逸らさなかったからいいのかなーって思って☆」
「忘れてたんだよ!ナチュラルに目合わせてくんな!」
「え〜覚えといて欲しいっス〜。にしても勝手に敵認定されてたとは…まぁ俺は確かにイケメンかもしれないっスけど〜」
あ、こいつやっぱ残念なイケメンだ。
俺は今度は新と目を合わせないように心の中で思った。
「なんか失礼なこと考えてない?」
「別ニ…思ッテナイヨ…」
「ぜってー嘘だろそれ!も〜。」
さっきまで屋上でとんでもない目にあっていたとは思えないほどの和やかな時間。
同じ世界が見えて、理解出来る相手と話すことはこんなに楽しいのか。
それとも、新の明るい人柄のおかげなのか。今の俺にはどっちなのか分からないけど、なんか久々に友人との会話ってのをしているような気がした。
「さて、そろそろ帰ろっか。お風呂入らないと風邪引きそうっス。」
「そうだな。」
鞄を持って教室を出る。
ふと、脳裏に蘇った存在。
「なぁ…」
「ん?なんスか?」
「頼みたいことがある…新、手を貸してくれ。」
コイツとなら、助けられるかもしれない。
新が俺の目をじーっと見つめる。俺は目を逸らさなかった。そしてありったけの思いを心に浮かべた。
やがて新はゆっくりと瞬きを1つ。
そして、
「いいっスよ、彰くん。きっと助けよう、俺たちの力で!」
と、ニッと笑った。
決行日は日曜日、あの電信柱で──。
to be continued…
ここまで読んで頂き、ありがとうございました!
初めてのオリジナル作品で至らぬ所ばかりだったかと思いますが、少しでも楽しんで頂けたなら幸いです。
もし良ければまた見てやってください!