【過去】『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス)
1966年発行
これ、『まごころを君に(1968)』という邦題で映画化もしてるわけですが、その当時、はやっていたのか、妙にサイケデリック調な映像でいまいちピンとこなかったんですよね。
(※【現在】の私から一言──後に2000年にリメイク、2006年にはフランスでもリメイクされてます)
映画から入った人は原作読まないんじゃないかくらい。ユースケ・サンタマリアがチャーリー役やってた日本のドラマの方が良かった気がしますわな。(※後に山下智久も演じてますね)
この『アルジャーノン』、不思議なもので、きれいに賛否両論組がわかれてるような気がしないでもない。ダメな人はホントにダメらしくて、「は?」みたいな感じらしいと聞く。
あらすじは(いまさらだけど)知能障害のチャーリーが科学の力によってぐんぐんぐんぐん頭が良くなっていくわけですわ。賢くなるってことはこれ、自我が目覚める。傲慢になっていく、独占欲が出る、嫉妬する、自分が馬鹿にされてたことに気づく、と、ろくなことがありゃしない。
んで、今度は今まで同情してくれてた人が自分を妬みだす、友がいなくなる、あげくは自分が今までそうだった知能障害の人たちを、今度は自分が馬鹿にしだす。
しかし、研究は完全ではなかった。天才にまで昇りつめたチャーリーを、今度は退化現象が襲う。
このアイデアはほんとにすごいなと鳥肌がたったすね。こんなのが浮かんだらわしゃ裸で街を走り回るかもしんないよ。
そしてまあ圧巻なのが、書き口。
チャーリーの手記形式で進むわけですが、冒頭は全部ひらがな(書き間違いなどもある)、だんだん漢字が出てきて(考えてみると、漢字の存在する日本語訳だからこそ、このメリハリがでるんじゃないかな?)、んで、だんだんまた、誤字脱字が出てきて、最終的にまた、ひらがなだけに戻る。まあ、今ではもう使いふるされた手ではありますやね。
このだんだんひらがなになっていくところが、もう、たまらんのですよ。
当時、本厚木にねぐらをもっていた僕は、明け方、相模川のほとりでこのラストを読んでおりました。もう涙ぼろっぼろでした。そんな僕にホームレスが何を勘違いしたのか「兄ちゃん、若いうちはいろいろあるさ。まあ飲め」とワンカップ大関をそっと差し出してきたのも今となっては懐かしい思い出です。
まぁ、そんなんでも「なんでこれが感動するん?」という人にもけっこうな数、会ってきましたんで「ああ、人の価値観とやらはなんとさまざまだらう」と、勉強させていただいた次第。
「えっ! おまえ『アルジャーノン』で泣いたの? 友達や~めた!」と言われても仕方のないことなのであります。
著者、ダニエル・キイスは次作『24人のビリー・ミリガン』で、日本に「多重人格」というものを定着させました。
自分ではないもう一人の人格。そういうものが「存在」することを知ってしまった「日本人」は「それ」に「逃げ込む」ことを覚えちゃった気もします。
それ以来、日本には「自称」多重人格者が増えたとか、言われたり言われなかったり。
皮肉なことに宮崎勤という男が現れたのはその数年前。哀しいことに彼はその最悪のパターンの先駆者であり件のごとき「兆し」でもあったんだろなと。