【過去】『ハムレット』(W.シェイクスピア)
1600~1602年(?)
ギムレットには早すぎても『ハムレット』を読むのに遅すぎることはない。
皆様は本書に対し、どんなイメージがあるのだろうか?
僕の第一印象はやはり暗くじめじめした感があった(まあ、四大悲劇なのだからしょうがないんだけど)。
が、ことあるごとにちょこちょこ読み返したりするけど、やはり物語として抜群に面白いのよね。
言ってみるとこれは自分がなにをやっていいのかわからずだらだらした生活をしている情けない男の物語なのだ(そうか?)。そのくせ彼はもっと熱く燃えたぎるような生き方がしたいと切に願っているのだ(そうなのか?)。
そんな時に訪れるのが例の“大義”、『復讐』である。
彼は悩んで悩んで悩みまくる。
有名な to be or not to be の出番だ。
「生きるべきか死ぬべきか」とよく言われていたが「やるべきかやらざるべきか」「在るべきか在らざるべきか」ともとれるこの台詞はやはり重い。
なぜなら大半の人間はそう考えているうちに一生を終えてしまうからね。
が、ハムレットは違った。「やる」ことを決意する。
これが人間、なかなかできない。常に心の中にモヤモヤしたものがあるくせにいざ実行しようと思うと足がすくむ。
とはいえ「復讐」ってのは建設的なことではない。極端に言ってしまえば究極の自己満だ。
おそらくそれは彼にも最初からわかっていたことなのだろう。
誰が幸せになるわけでなく、逆に不幸を招くことの方が大きい──かもしれない行為。
しかし束の間とはいえ彼は誰にも歩むことができない血の燃えたぎるような時間を過ごせたことは否めない。
「食って、ただ寝るだけ。だとすれば人間とはいったい何だ?」
ハムレットは真っ白な灰になることを決意したのである。ジョーなのである。
気が狂ったふりをして人にバカ呼ばわれされ、愛するオフィーリアに向かって「尼寺へ行け」と罵倒する。愛するがゆえ、決して幸せにはなれない自分の世界へ入ってくるなと徹底的に嫌われようとする姿は悲しくもあり、禁欲的なほどのナルシズムだ。
道徳的な縛りを捨て去った時、人間の感情とはこれほど一定ではなく多面的なものになるのかと考えさせられる。
誤解を招くといかんので言っておくがこういう生き方、全部が全部、素晴らしいと言っているのではなく。
取り扱い方を間違えると、とんでもないわがままサイコ野郎ができあがってしまう場合もあるからね。
フィクションは現実と照らし合わせて初めてフィクションとなる。
「疑問の照らし合わせ」くらいに押さえておいた方が無難といえば無難なんでしょうが、最近の日本には少し必要かもですね。




