夏と共に
ちょっと変わった百合物です。
初めて抱いた感情は好意だったのかもしれない。
彼女の太陽のような笑みに心が躍った。
おそらく、私は彼女が好きだった。
【夏と共に】
母方の実家に呼ばれた夏休み。
小さな山間の町にあるそこは、からっとした暑さがあった。
しかし東京よりマシといえど、連日35度を越える酷暑。
……不覚だった。
散歩をするのに水を持ってくるのを忘れてしまったのだ。
「~~~~」
くらくらと目が回り、ふらりと体が沈みかけた。
「っと」
「……?」
倒れるはずだった私の体は、力強く抱きとめられる。
うすぼんやりする意識の中で、私を見下ろす細い瞳が見えた。
ぎゅうっと瞬きをして私はなんとか体勢を立て直す。
「ごめんな……さい」
「あんた、ヒデラレか?」
「……ひで?」
「あ、えーっと……熱中症のこと」
この辺りの方言なのだろうか、言い直した彼女の顔は少しむすっとしていた。
「これ、飲め」
「ひゃっ」
頬に当てられたペットボトルは半分凍っていて、私は声を上げる。
「ありがとう……ございます」
有難く、その冷たさを掌で堪能してから蓋を取って喉に流し込む。
ほんのり甘いスポーツドリンクが体を潤していった。
段々と意識がはっきりしてきて、ちらりと恩人を見る。
年の頃は私より少し下だろうか。
こんがりと焼けた肌は細いながらも筋肉がきっちり付いていて、小柄なその腕に受け止められた時は安心感しかなかった。
「それ、やるっちゃけ」
「え?」
「気ぃつけて帰りよ」
そのまま走り出す彼女を私は止められず、ただ見送る。
いい子だな、と思った。
きちんとお礼を言いたかった。
しかし、足が根付いたように動かなかった。
家に帰り着いた時には既に氷は溶けていた。
後から思えば、この時既に好意を持っていたのだと思う。
……我ながら単純だとは思うけれど。
「お祭り?」
「うん、浴衣あるから行ってきたら」
次の日、唐突な母の言葉に私は少し悩む。
お祭りの空気は好きなのだが、何せ体力が落ちていて夏バテ状態だ。
「うーん」
「そんで、あんたの恩人探してくればいいよぉ。ちゃんとお礼言ってないんでしょ?」
「……うーん」
「しっかし、ヒデラレなんて方言、あたしだって使わないよぉ。古臭い子もいたもんだわ」
「そう……なんだ」
「そうよぉ。ほら、着替えておいで!」
半ば追い出されるように浴衣を押し付けられ、私は仕方なく着替え始めた。
お祭りのなかでなんて、そんなに上手く見つかるわけがないのにと思いながら。
東京だったらあり得ないかもしれないが、ここらへんでは治安も良いので浴衣一人歩きをしても問題は無いようだ。
湿度が低いせいか、山から吹き降ろす風のおかげか、夜は意外と涼しい。
からからと下駄を鳴らしながら夜店で賑わう神社を通る。
知り合いもほぼ居ないのに、何故か心が躍った。
「あ」
「きゃっ!?」
いきなり耳元で声がして振り返ると、そこに居たのは……彼女だった。
浴衣を着ているせいか、とても可愛らしく見える。
「っ……!!」
「今日は体調良さそうな」
驚きのあまり口をぱくぱくと動かしていると、彼女はふっと笑った。
少し咳払いをして、すうはあと呼吸を整える。
「こ、こないだは……ありがとう」
「ううん。気にしんで。職業病みたいなもんらけ」
「職業病?」
私が首を傾げて聞くと、彼女は困ったように笑んでいた。
……?
「浴衣、可愛いんな」
「えっ……そ、そっちも! すごく似合ってる!」
「そんな力んで言うなけ」
楽しそうにけらけら笑いながら言う彼女を、可愛いと思った。
この気持ちは、何なのだろう。
きゅうと胸が甘く痛い。
相手は、女の子。
しかも二度しか会っていないのに。
「……私、まだ名前聞いてなかった」
「あたしテルっていうんさ」
「私は、あまり。天に里で、天里」
「あま……っり?」
「どうかした?」
「ん、どーともないよ」
「そっか」
私の名前を聞いた時、彼女の顔が変わったのは気のせいだったかもしれない。
次の瞬間には華やいだ笑顔になっていたので、疑問は消えていく。
私たちはそれから祭りを目一杯楽しんだ。
射的で勝負して、焼きそばを食べ、綿あめを頬張る。
まるで長年連れ立った幼馴染のようだと錯覚するほどに。
しかし、そうではなかった。
私が彼女に抱いた想いは、少なくとも友情ではなかったのだ。
手を繋ぎたい。
触れたい。
抱き締めたい。
そんな衝動がちくりちくりと心を刺していく。
テルは可愛い。
優しくて、ちょっとお茶目で。
でも、少しだけ正体不明の距離感を感じた。
記念にお揃いで何か買おうと言うたびに、困ったように笑っていた。
「天里、花火のベストスポットいこよ!」
「どこ?」
「境内!」
「えぇ、いいの? 神様に怒られそう」
「いいんさ。祭りは無礼講に限るって、この土地の神様のお言葉な」
「そうなんだ」
かたかたと下駄を二人で鳴らしながら、立ち入り禁止の石段を上がった。
少しだけ冒険をしているみたいで、とても楽しい。
境内はシンと静まり返り、私の息切れが聞こえて恥ずかしくなった。
「テルは体力あるね」
「ははっ。天里は弱い!」
「もぉ、意地悪言わないでよ」
「天里が可愛いけ」
何てことの無い言葉なのに、どきどきと胸が逸る。
恥ずかしい。
テルはもしかしたら、私の想いを見透かしているのかもしれないとすら思えた。
花火まであと五分。
空を見上げると、先程までなかった雲がもくもくと湧いてきていた。
「雨降ったら」
「え?」
「雨降ったら……祭りはしまいさ」
「……」
まるで、もう二度とこの楽しい時間は来ないような口ぶりに、私はきゅっと唇を噛んだ。
「でも、明日も明後日も……会える……よね?」
「……」
私がぽつりと言うが、眉を下げた笑みでテルは黙っている。
「――」
彼女が口を開いた瞬間。
ドン、と光とほぼ同時にまるで地鳴りのような打ち上げ花火の音が遮った。
「きれい……」
「な、穴場ちゃろ」
「うん。……テル、今、何言おうとしたの?」
「なんでもなし!」
「なんでもないこと、ないよ」
「……」
「テル」
次の花火が光るより早く。
私の唇を柔らかい感触が塞ぎ、目の前にテルの熱っぽい瞳があった。
「っ……」
「……ごめん、天里」
「なんで」
涙が溢れる。
キスをされた事がショックなのではない。
むしろ、嬉しかった。
テルの体温を感じた事が嬉しかった。
でも、同時に辛かった。
彼女が、祭りの終わりと同時に自分の前から消えてしまうのだという悲しい空想が、真実なのだと分かってしまったのだから。
「あたし、あんたの事が好きだよ」
「……」
突然方言が消えたテルの言葉が、ただただ切なくて、後から涙が視界を覆っていく。
「でも、違うの。あたし、なんであんたに惹かれたのか、わかっちゃったんだ」
「……っ?」
嗚咽が込み上げ、声にならない疑問を伝えたくて、駄々っ子のように頭を横に振る。
「あたしは、ヒデラレだから」
ぽつりと落としたその言葉の後、テルは私の顔を見ずに言葉を落とすように語った。
ヒデラレは昔の人がつけた、この小さい町における陽光の神様の名。
彼女は、その力を受け継いだ新たな神様。
テルという偽名は『照る』ところからきているらしい。
テルは夏の日差しみたいな女の子だ。
神様の代替わりをしたばかりの彼女は、まだその制御する力が上手く使えないのだと言った。
最初私を見つけた時、胸がざわざわして、自分のせいで苦しんでいるのを助けたくて、人の身を借りた。
でも、どうしようもなく惹かれてしまったのだと、彼女は辛そうに言った。
何故なのか、と問えば私の名前が『アマリ』だったかららしい。
アマリとは、本来の漢字は『雨利』。
雨の神様の名前なのだそう。
地球と月のような関係で、お互いがお互いを必要とする。
そして、反発もする――――……。
でも、私に不思議な力はない。
だから、私はテルにこう言った。
「私は天里。だからその話とは関係ない! 私だって、テルの事……」
「夏が終われば、あたしは雲に隠れる。四季ってそういうものでしょう」
「ずるい、わかんないよ……陽の光は四季通して必要なものだよ!」
「うん、でも、最近日照りが続いてる。天里だって……。あたしは、何もなくしたくない。それに、最近雨乞いの儀式があった」
「何、もう……わかんない」
「だから、天里は、この町に現れた。あたしと、入れ替わりだ」
苦笑するテルの表情が、辛そうに見えた。
私は、こじつけだと思った。
私の目の前からいなくなるための。
「ずるいよ……なんで私の気持ちも聞いてくれずに否定ばっかりするの」
「……天里さ、昔から雨女でしょ」
「!」
昔からよく言われていた事を思い出して、私はぐっと押し黙る。
「あたしとは、相性最悪なんだ」
「お願いだよ……いなくならないで」
「さよなら、天里。でも、あたしはずっと近くにいるよ。太陽光がある限りね」
ドン。
最後の花火が上がったと思えば、ザァと夕立が起こった。
花火がかき消され、思わず視界が閉じた。
すると、次の瞬間には、もうテルの姿は見えなくなっていた。
「テル……、テル!! 私だって、テルの事好きだよぉっ……」
私の告白は、雨に消えた。
それからの夏休みは、正直つまらなかった。
毎日毎日雨ばかり。
「雨利……か」
私は自重気味に笑う。
花火の夜からテルが居なくなった。
唇の体温は、まだ残っている。
私の帰る日やっと晴れ間が見えたが、テルは姿を見せなかった。
夏が終わる。
その淡い恋心は残っている。
あの田舎の日差しに似合う、あの笑顔が好きな気持ちが。
企画キーワードは「恋愛」「夏の終わり」でした。