第3回 18禁作品の存在意義とは! ←は?
きのこさん。ついに訊いてしまいましたね?
ふ。ふふ。
ふふふふふあははははは。
今宵の私は、爆裂いたしますよ?
エッセイでは、いつも極めて冷静だった私が、より深く、より奥底のタブー……暗黙の了解とかいうバカげたものに、物申していくのです!
きのこさんが、私の導火線に火をつけてしまったのは偶然ですが、お望みとあらば、私は乱れましょう。
普段より圧倒的に散文的で、話があっちこっちに乱れ飛ぶ、取り留めのない話をいたしましょう。今日は、誰かを傷つけるとか、あまり考えずに書きなぐりましょう。
さあ、みなさん良いですか? ブラバのタイミングは、ここまでですよ?
ねえ、えっち……しよ? って最後に告げたのはいつですか?
直接、あなたの口から性行為の名前を口にしたのはいつでしょうか?
童貞と処女の方は、好きな人に告白したときのことでも良いですよ。
で、いつです? いつが最後です?
私は、今のところ平成最後の土日の辺りですね。次の予定は今週末の明るい時間でしょうか?
なんで、こんなことを聞いたのかというと、前々からずっっっっっと「性行為は生活の一部で、相手との接触の延長線上の中にある」と、主張しているのです。
だからこそ、18禁などという括り自体が甚だ疑問でしかないのです。
分類として、明確に区分するならば、それは普通ではないということになりますよね?
じゃあ、子供はどうやってできるのです? それは、生き物として普通の行為じゃないのですか?
それが当たり前の行為なら、なぜ分けるのですか?
でも、子供にお見せするには過激じゃないですか?
ええ、ええ、わかりますよ? わかりますけれど、それはモラルの話であって、教育の話であって、ルールや罰則の話では、本来ないじゃないですか。
え? 生殖以外の目的で性行為を行っている作品がほとんどで、それが社会規範に悖るから規制するべきですって?
え? 莫迦なのですか?
なぜ、数ある人の活動の中で性的興奮を、殊更規制しようというのです?
知らないのですか? 18禁作品の消費の主目的って、自慰行為のためにあるんですよ?
つまり、18禁作品が消費されたからといって、その消費者が、それそのもので誰かを害することは、ほとんどあり得ないのです。
例えば、映像作品内で出演者が意に沿わない行為を強要されたなら、それは、その作品作りにおいて、犯罪行為があったという話で、18禁作品そのものが悪いわけではないでしょうが。
例えば、18禁作品をムリヤリ見せられたなどの精神的……ああっ! だから! それはそういう使い方をした犯罪者が悪いんでしょうが!
だ か らっ!!!
それは全部モラルの話であって、18禁作品を取り扱う人の話であって! 作品そのものが悪いという話にはならないでしょうが! 子供の手が届かないところに何となく誘導しておくのが、大人の責務のハズなのです!
良いですか? 映像作品として表現できなさそうな特殊性癖の作品を作りたければ、アニメでもマンガでも文字でも良いじゃないですか! CGという手段だってあるんですよ! ←ここ、重要なところですからね。
なぜ! 成熟した社会とやらで、いまだに明文化したルールを作り続けるのですか!
ちょっと話は飛びますけども、以前、きのこさんのエッセイの感想に私が書きこんだことがあるんですよ。
この「なろう」は現状、自治なのだから、それに沿ったシステムにするべきで、18禁か否かの明文化されたルールは不適合だ、と。運営さまの批判なんてしないのですが、手が足りていないことは明らかで、通報によって届け出られた作品の、おそらく単語か何かをチャチャッと調べて、その周辺をチラ見して、そして緩々な基準で18禁判定などをしているんだろうなあって、言うことなんですよ。
それって、通報されなけば、セーフということじゃないですか。ああ、いえ、ここで勝手に都合よく私の言葉を解釈しないでくださいね?
私が言いたいのは、それって、作品の分類は、ほぼほぼ読者に委ねられているっていうことと同義じゃないですか? っていうことなのです。
ただの悪感情で作品を貶めてやろう、という意図を除外する以外は、読者が規制対象と判断したものは、規制対象になっているような気がするのです。
世の中では、それを自治、と呼ぶのです。告発性の自治、ですよね。
ですから、きのこさんの感想欄でも「通報されたら、『この作品は警告されています。』というような表示付きで、読者の皆さまに、作品としてなろうに掲載していいか悪いか、投票してもらうシステムにすればいいじゃないですか。」と書いたのです。
組織票とか、そういうので貶められてしまうかもしれないですが、きっと今よりずっと公平にはなりますよね。
で、何でしたっけ。そうそう。いつまで明文化するのかっていう話でした。
文章にルールを認めないといけないのって、社会規範が成熟していないから、ルールで縛らないとならないっていう、不信感があるからですよね?
それって、爆発的に複雑化してく現在の社会システムには、何一つ適合しないじゃないですか。
著作権法の改正の話、知ってます? スクリーンショットでさえ違法になるとかいう改悪をストップした話なのですが、知ってます? 莫迦なんじゃないかと思いましたよね。
わかります? 今どき、スクショの議論をしているんですよ?
明文化のシステムが、終わっているのがわかるじゃないですか。懸念されるのが、「スクショを上げるのを許すなら、本を一冊丸ごとスクショで上げられるのも……。」だから! 莫迦なんじゃないですか?
それは、教育が敗北しているだけじゃないですか!
こういうことは、やっちゃいけないんだけど自分には信念があるから……。みたいな確信犯とは違うのです! ちなみに、これが正しい「確信犯」の使い方です!
愉快犯を生んでしまうのは、教育が敗北しているだけなのです!
さてさて、ここで「教育」と聞いて「自分には関係がないわ。」なんて思った親はいらっしゃらないですよね?
まさか、「教育」の現場が、学校だけだなんて、言わないでくださいますよね?
わかりますか? 敗北した中に、親も含まれるのです。
さて、パートナーに「セックスしよう。」って明確に告げたのは、いつが最後ですか?
そうですね。そんな言葉に至らなくても、性行為はどこまでいたしましたか?
キスは?
ハグは?
肌に触れました?
最初から申し上げます通り、私は普段の生活の延長線上にセックスがあると思っているんですよ。グラデーションなんですよ。
その中で、じゃあ、性行為ってどこから? という疑問になるのです。
そして、それこそが「18禁作品の存在意義とは!」というきのこさんの投げかけに繋がるのですよ。
その結論を急ぐ前に、もう少し、感情をぶつけましょう。
男性諸君にお聞きしたいことがあります。
射精って、いつどんな時でも気持ちいのですか?
これ、ずっと聞きたかったのです。知っている人もいると思いますが、私は生物屋さんなので射精のメカニズムを知っているのです。それが「ただの脊髄反射でしかない」ということを、知っているのです。
つまり、刺激を与えれば勝手に出てくるのです。
そこに快楽は、本来まったく関わってこないのです。ある意味で、男性の「射精=快感」という図式は、そういう教育や観念に形成された物であって、自然発生したものじゃないのです。
ですが、女性の反応と違って、明確なゴールとして分かりやすいのが最大の欠点でもあるのです。
映像作品やマンガ、小説などの文章においても、男性の絶頂は射精の瞬間で、そこに快楽の頂点が設定されているのです。ゴールなのだから、当然ですね。
ですが、さっき書いた通り、射精は、ただの反射でしかないのです。
18禁作品は、男性向けばかりで厭らしいなんていう意見がありますよね?
ねえ、その作品内に出てくる男性が、本当に快楽で射精しているかどうか、確認しましたの?
漫画や小説は簡単ですよね。書いてありますから。でも、同時に女性側も「気持ちいい。」って書いてないですか? 書いてありますよね。その、どこが自分勝手なのですか? 「その作品を消費するのは男性だから……。」なんてお為ごかしは聞きませんよ? そういう人たちは終始、出演者の特に女性の尊厳がどうのこうのって煩いのです。
出演してるキャラクターがどっちも望んでいる(ように描かれている)なら、大きなお世話なのです。
そして、映像作品では「この女優さんだって演技してるだけ、ホントは気持ち良くなんてないんだ。」とか言いますが、男性側だけが快楽を得ていることは、確認したのですね?
え? 射精しているじゃないか? は? 射精は、女性の絶頂と同じで、ただの脊髄反射ですよ?
女性しか好まない男性に、男性が手で刺激したって(たぶん)射精しますよ? ただの脊髄反射なのですから。サラっと書きましたが、生殖器に伸びている神経の元は同じなので、刺激で絶頂するシステムに、男女差なんてないのです。適度な刺激で、どっちも絶頂させられてしまうのです。
で、いつ、どうやって、男優が演技していない確証を得たのですか? 射精の有無は、理由にもなりませんよ?
それに、後々「実は女優側だけ気持ちいいと思っていた。」というような事実が出てきたら、どうするおつもりなのでしょうね?
そして、気持ちいいかどうか本当に重要な場面は、あなたがあなたのパートナーと触れ合っているときじゃないのですか?
何度も書きますが、作品内で出演者、両性とも、合意が取れているか否かが一番重要で、本来、作品内ではどちらも「頑張って気持ち良くなってるという体で演技している。」と考えるべきなのです。まあ、気持ちが入っている方が快楽は得やすいのは否定しませんけれども。あと、それが作品だということを失念して、お手本にしてしまうのは、莫迦としか言いようがないのですけれども。
ここまで読まれた方ならわかるでしょう? 私としては「規制するからそういう分類になるんですよ! 18禁作品が存在していること自体が、まだ人類が知性も理性も獲得していない証拠になるんです!」という意見ですよね。あとは、男性はゴールが目に見えてわかりやすいから作品を作りやすいので、男性向けの18禁作品が多いのではないです?
つまり、ですよ。
私たちは知っているんです。
ああすればいい、こうすればいい。
これだけ発達した社会で、誰もが「自分だけは『こうすればいい』という答えを持っている。」と思っているのだと、私は思うのです。
なら、なんでそうしないんですか。
こうすればいい、ああすればいいって、わかってるのなら、どうして「えっち……しよ?」って言わないのです?
何で言わないのです? 責任者になるのが、そんなに怖いのですか?
「ウジウジしてることの言い訳に取り繕ったような常識モドキを語るな! あなたの問題を、同調圧力に任せて正当だなんて、紛い物を私にぶつけるな!」と私は思っているのです。
とはいえ、こうして書きなぐっても私がスッキリするだけなのは知っているのです。
さて、きのこさん。「タブーを作ってしまった責任は、誰にあると思いますか?」をお尋ねしたいのです。
今さっき、我に返ったのですが、平成の終わりが第1回で、令和の初めがこの第3回とか、私も中々前衛的なのですっ><