たけのこたちのダイヤモンドゲーム
雨上がりの朝、アパートの裏にたけのこが生えていた。最初は鉛筆の先くらいだったが、みるみるうちに成長した。洗濯物を干して戻ってくると、もう食べごろの大きさになっていた。
りん子はシャベルを持ってきて掘り起こそうとした。ところが、触れただけでたけのこは粉々に崩れてしまった。
「たけのこご飯にしようと思ったのに」
すると、崩れた欠片がむくむくと動き出し、土に根を張った。そしてそれぞれが、小さなたけのこの形になっていく。
「生きてるのかしら」
りん子が触ろうとすると、たけのこがぴょんと跳ねた。そばにいたたけのこに被さり、一つになる。少し大きくなったたけのこは、さらに隣のたけのこに被さり、また大きくなる。
「なんか、こういうゲームあったような気がするわ」
「ダイヤモンドゲームだね」
振り向くと、男が立っていた。黒いレインコートに雨粒を光らせ、目深にかぶった帽子からのぞく瞳はどこか怪しげだ。
「それは食べられないよ。切っても切っても再生する」
「あなたが植えたの?」
男は意味深な笑みを浮かべ、どこからともなく水を振りまいた。コートの懐から出したようにも、手から直接放ったようにも見えた。
水滴を浴びたたけのこは、さらに大きくなった。二人の背を追い越し、細長く伸びていく。
「行こうか」
「えっ、どこに?」
「これを登って、雲の上に」
アーモンド型の目が太陽の光を反射して、琥珀のように光る。
「無理よ。空まで行くには高さが足りないわ」
「それもそうだね。やり直しだ」
男はハサミでちょんちょんとたけのこを切った。また小さな欠片に戻ったたけのこたちは、ひとりでに成長を始める。りん子はため息をついた。これでは堂々巡りだ。
「買い物行ってくるわ」
「何買うの?」
「ほうれん草とニンジンと、鶏のむね肉」
男は嬉しそうに笑った。
「それなら全部あるよ」
「どこに?」
「雲の上」
りん子は呆れる。わざわざ登っていく手間を考えたら、スーパーのほうがずっと安上がりだ。すると男は、「雲の上スーパー」というチラシを出してきた。
「野菜は無農薬、肉は国産。今なら半額」
「行くわ!」
そうこうしているうちに、たけのこはアパートの屋上を軽く越える高さまで成長した。しかし、まだ雲には届かない。
「いつまでかかるのかしら」
「焦ることはないよ。これはゲームなんだ」
男が指を鳴らすと、たけのこが砕けて降ってきた。小さなコマになり、均等に並ぶ。それからもぞもぞと動き、二手に分かれて固まった。
「僕がこっち、りん子はそっち側に立って」
「ダイヤモンドゲームをするっていうの?」
「こうすれば早く育つからね」
言われるまま、りん子は片側の陣地に立った。足元にはたけのこのコマがたくさんある。しかしルールがあやふやだ。将棋みたいなものだったか、チェスみたいなものだったか。
反対側を見ると、男はたけのこを一つずつ捕まえ、輪ゴムや尖った石をくくりつけていた。
「えっ。何してるのよ」
「これは戦いだよ。僕が勝ったら、雲の上でずっと一緒に暮らしてもらう」
「話が違うじゃない!」
ぴょこ、ぴょこ、とたけのこたちが頭を振り、輪ゴム鉄砲で器用に石を飛ばしてくる。りん子のコマはあっという間に倒され、相手の陣地が広がっていく。たけのこたちも、にょきっと一気に大きくなった。
降参してもいいんだよ、と男は笑う。嫌味ではない、優しい笑顔だった。
「雲の上は楽しいよ。天の川の水をくんで飲めば、きっとすぐに慣れる」
男の笑顔が、なぜか懐かしく思えた。甘い野菜と色とりどりの花、冷たい水、空に近い場所。全てが懐かしかった。
目を閉じると、雲の上で暮らす自分が見えるようだった。まるでずっと長い間、そうしてきたように。
「でも、ゲームに負けるのは大嫌い!」
りん子は道に飛び出していった。工事現場の赤いコーンを一つ抱えて戻ってくると、男の陣地へ勢いよく振り下ろした。
「えっ。何してるの」
「これは戦いよ。形が似てれば何でもありなのよ」
「そんな!」
男の側のたけのこは、無惨に砕かれて倒れていく。りん子はすかさずコーンで蓋をした。欠片たちの動く気配が少しずつ弱くなっていき、消えた。
「はい、一丁あがり!」
まっさらな地面に、コーンだけが立っている。大きな工事が終わった後のように清々しかった。
男は呆気にとられていたが、やがて満面の笑みを浮かべた。
「やっぱり、りん子って面白いね」
「あなたに言われたくないわ」
「じゃあ、買い物行こうか」
いつの間にか、りん子の買い物バッグを男が持っている。はっとしてポケットを探る。家の鍵も財布も、全部バッグの中だ。
「返して。ていうか、帰ってよ」
「どこに?」
「雲の上でしょ」
男は答えず、先に立って歩いていく。りん子は追いかけた。
「ねえ、あのままにしておけば、ちょうどいい大きさのたけのこができるんじゃないかしら」
「それはどうかな。コーンをどけたら怒涛の勢いで伸びると思うけど」
「そしたらまた押さえつければいいじゃない。放っておくから図に乗るのよ」
歩きながら、りん子は空を見上げた。雨雲の残骸がふわふわと漂っているけれど、じきに消えるだろう。その先は、星が透けて見えそうなほど青い。
雲の上に住むよりも、こうして見上げるほうがいい。雨をあびて、漂う水滴に当たる光を見て、たけのこのように大きく伸びをする。そんな些細な毎日のほうが、きっとずっといい。