白衣の取引
「ええ、とりあえず。二人とも今の状況を確認しましょ。私はここの渡航局で研究員をしている芹沢よ」
芹沢と名乗る女性によってあの場での危機を脱することが出来た。現在、俺たち二人は手を強引に繋いだ状態で彼女の前に座っている。
「で、聞きたいことがあるんだが。これは何の間違いだ。できれば早くやり直してほしいんだが?」
俺の真横にいる女性。すなわち先ほど落下してきた奴がそういう。ああ、俺だって面倒事はごめんなんだ。早くやり直してもらいたい。
「ええ、私もそうではないかと思ったのだけど。計測や操作にミスはなかったわ。つまり、あなたたちは正常であり、異常なのよ」
「え、それって」
まさか。いや、耳を疑いたいが!
「君たちのペアは正真正銘のドッペル。だけど、性別、容姿は違う」
そんなことは今まで聞いたことがなかった。
「それは一体! 私は今まで前例を聞いたことなどないぞ!」
彼女が突っかかる。
「なら、君たちが初めてよ。おめでとう」
まったく喜ばしくなどない。むしろ、最悪だ。
「機械が故障しているということは?」
芹沢がしばらく考え込む。
「私も一度それを疑ったのだけど、システムメンテナンスはしたのは昨日。それに大規模点検を三日前にしているわ。一応、故障の可能性がないわけではないけど、念のため故障はなかったという前提で話したほうがいいでしょ。そうじゃないと君の命が危ない」
命が危ない?それは一体。
「いい、まずは魔法の使える世界からきた自分。いわゆるマモはもう一人の自分と手をつないでいなければ消えてしまう。これは知っているでしょ」
「ええ」
これは常識的なことだ。だからこそ今だって手をつないでいるのだ。
「もう一つ。この情報がどこかの研究所や組織に流れてみなさい。あなた、モルモットにされるわよ」
「モルモット?」
何のことだ。
俺が事態を理解できていないことを悟ったのか、芹沢はより現実的に話し出した。
「ええ。考えてもみなさい。今まで前例のないことが起こった。それも魔法の世界が関係してくるとなると各国の研究機関が喉から手が出るほど欲しいでしょうね。あなたが捕まれば裸にされて水槽か滅菌室に放り込まれるわ。毎日わけのわからない注射や薬物。それに検査を受けられるの。毎日むさ苦しい研究者に裸を見られて自分は何一つできない。ああ、かわいそうに。挙句の果てには、時間がわからなくなって、自分が誰かさえもおぼろげになっていく。最後は低迷する意識の中で蹂躙される……ああ、かわいそうに」
しばらく俺の頭はその事実を飲み込むだけで精いっぱいだった。
捕まってモルモット。それで閉じ込められるって?
SFの見すぎじゃないのか。
本当ならそれで苦笑いをしていたかった。
そう思いたかった。だが、この状態で拉致、監禁がないといえるだろうか。
答えはノーだ。
「本当にそんなことが」
そう質問すると、彼女は大人特有の笑みをしてきたのだ。
「ええ。だけど、そうならないようにしてあげる方法があるわよ。その代わりに一つ交換条件を提示したいんだけど?」
そう言ってきた芹沢さんはなぜか、前のめりになり俺に妖艶とも形容できるような表情を送ってきたのだ。
「あなたをもっと調べたいの。むさ苦しい男どもに調べられるより、私みたいなお姉さんに調べられたいとは思わない? 週に一度私の研究に付き合ってくれるだけでいいから。ね?」
その口調は人魚が人を惑わすような。そんな表現がぴったりな言い方であった。
「いや、どっちにしても一緒なんじゃ」
近い、近い。良い匂いがするとか、近くでみたら柔らかそうな胸がパッと目にはいるといろいろ思うところはあったが、このままではまずい。とりあえず、これらの感情を脳の片隅に拘束しなければ。大体、どっちにしろ実験されるのではないか!
やんわりと断ろうとするが、それでも芹沢は下がろうとしなかった。
「なら、多少のご褒美もあるわよ? ねえ」
多少のご褒美!?それは一体。いや、こんな誘い方をしている時点でなんとなく察せる。いや、だが。
「いや、その」
一体どう答えらばいいのか。確かにこの人の誘惑はとても魅力的ではあるのだ
が。
「ねえ」
彼女の柔らかな指が肩に触れる。
途端、先ほど鎮圧していた感情が勢力を増して、理性という議場を占拠しにかかった。
いや、どっちに転んでも俺は研究の実験台にされる。それならばって。
「イタイ、イタイ、イタイ!」
強烈な痛みが右太ももから走る。そちらを見ると白い手が俺の服の上から皮膚をつねっていたのだ。
「この馬鹿は‼ 何を誘惑に乗ろうとしているのだ。全く持ってけしからんん」
つねったのは言うまでもなく、異世界からきた少女の方だ。
「だからって、つねることはないだろ」
「私は声を何度もかけただろ。それ聞き逃したお前のミスだ。大体、もう一人の私というのだからもう少し頭が回ると思ったらこれだ」
「そんなお前はどうなんだ。何かアイデアが浮かんだのか」
皮肉っぽくいってみるが、まるで聞いていないようである。
これが本当に俺のウォルなのか?
はなはだ疑問だ。
しばらく、二人で話し込んでいるとこほんっと芹沢が咳払いをする。
「で、受けてくれるの? そうじゃなきゃ、私も危険を冒してあなたたちを逃がすことなんてしないんだけど?」
ああ、もう。どうしてこうなった。
ええい、どうせ捕まるなら綺麗な方だ!