16節8部ー子狼の遠吠えー
「のう、人の子」
「な……なんですか?」
「現を捨て、わっちのものになってはくれんかや?」
蛇姫様は、蛇のようなその目で僕をまっすぐ見つめながらそう言ってきた。命令でも強制でもなく、お願いだった。ここまで強引に僕を運んできたとは思えないほど、引いた所からの申し出。
「なぜ……ですか?」
「欲しいのじゃ、人の子が。きさんのような、澄んだ瞳を持つ愛らしい子が。わっちと共に“緋膳桃源郷”へ来なんし。決して不自由はさせんぞ」
「緋膳……」
緋膳って、いわゆる遊郭街があった町の名前だ。僕らの住む月夜見町の近くにあったっていう。でももうそこは普通の街になってしまってるから、言っているのは間違いなく死角の世にある場所だろうな。
蛇姫様はその遊郭街に住んでいるのだろうか。そう考えれば、彼女の廓言葉も納得がいく……ような。
「蛇姫様……ごめんなさい。僕、そのお申し出は受けられないです」
「きしし、まあそう言うとは思っていんした」
「ええ!?」
「一応、己の意思で来るつもりがあるのか確認しただけじゃ。皆の言いつけでの! じゃがまあ嫌だというなら仕方ないじゃろ! 強引にでも連れて行って、緋膳の女たちにじっくり躾けてもらうと考えも変わる。わっちゃあそれが一番早いと思うのじゃ!」
なんだかさっきまでの大人の雰囲気とは打って変わって、子供っぽさが前面に出てきた。目つきも蠱惑的なそれから、無邪気で残酷なものへと変わってる。
この二面性はなんなんだ!?
「きししし、ほうれ、ようくわっちの目を見なんし」
縦長の瞳孔を持つ、蛇姫様の瞳。見開かれたそれから僕は目を離せなかった。
蛇に睨まれた蛙のように、僕は指一本、ピクリとも動かせなくなったんだ。
「良い子じゃ……。そう、そのまま目を閉じ、眠ってしまえばよいぞ……。きしし、気持ち良いかや? 涎が垂れておるぞ……?」
そう、とても気持ちいい。頭がぼーっとしてきて、体がふわふわと浮かんでいるよう。もう何を見ていたかなんてことも忘れてしまうくらい……。
と、そんな僕の気持ち良さを、真っ二つに引き裂くような声。
《ぅうぅううぁぁあおおおおーーーん……!!》
いや、遠吠えだった。まだまだ幼い声で、でもしっかりと覇気のある狼の遠吠え。
それがいい気つけになった。びくんと体を震わせて、僕の意識は覚醒したんだ。
「けへっ、けへっ……!!」
「こ……子鞠……!?」
口に噛まされていた縄。それを食いちぎった子鞠が遠吠えをしたんだ。そう、この遠吠えの意味は間違いなく……。
「この子狼……銀狼を呼びおったな!」
「あにさま……つれてく……だめ……!!」