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第2節—僕と弟大好きお姉ちゃん— 

 さんざん僕を撫で回した後、伊代姉は、早く上がりなさい、お母さん呼んでくるからと、旅館の方へ行ってしまった。この家はわざわざ玄関から外へ出なくても、廊下が旅館とつながってるんだ。


 靴を脱いで荷物を置いて、くつろぐ前にどうしてもやっておきたいことがあったから、中庭へ出るために廊下を歩く。少し古いためか、軋む音がするけど、まぁそれは昔からだから気にならない。

 右手には襖があってその奥には部屋がある。左手にはガラスがはめ込まれた引き戸があってその向こうには日本独特の美しい庭園が広がってる。それは旅館の敷地じゃなくて家の敷地内に有るんだけど、僕が用のあるのはその庭園内の池の真ん中にある小さな離れ島。

 そこに、挨拶しなくちゃならない人がいる。


 雪駄を履いて中庭に降りた。松や大きな岩、苔などが景観づくる庭園の中、池にまで伸びている飛び石を渡る。静かな池の真ん中に浮かぶ、小さな小さな飛び地があるんだ。

 そして、その小さな土地の真ん中に立つ大きなお墓。

 そのお墓の下に眠っているのは……僕が東京に行った二年後、体を悪くしてこの世を去った父。僕は、僕は……父さんの死に目に会えなかったばかりか、お通夜にも、お葬式にも顔を出せなかったから、ここでようやく言える。


「ただいま、父さん」

 

 ゆっくりとお墓の前に座り込んで墓石としっかり向かい合う。僕の父さん、柊京也(ひいらぎきょうや)はとても優しい人だった。よく僕の好きな言い伝えの話や夢物語をまるで現実で起こったことのように話してくれた。


「……本当に天国に行っちゃったんだね、お父さん」


 僕が最後に見た父さんの顔は、僕を東京へ見送る悲しげな表情。


「色々と、話したいことあったんだけどなぁ」


 いつの間にか僕の頬は暖かな涙で濡れていた。父さんが亡くなったという知らせをおばあちゃんから聞いた時に散々泣いたものだけど、ここにいると父さんとの思い出が次々と蘇ってきてたまらなくなる。


「そのお話、お母さんに聞かせてくださいな、ちぃ君」


 ふと、後ろから声をかけられた。僕の母さん、(ひいらぎ)千鶴(ちづる)のとても柔らかでおっとりとした澄んだ声。右手で強く涙を拭って振り向くと、東京に行く前と変わらない艶やかな紅の着物姿の母さんが飛び石の向こうで小さく手を振ってくれていた。


「母さん!」


 僕は初めての、父さんのお墓参りを終えて母さんの元へ。どんなことでも受け止めて許容してくれそうな、柔らかい笑顔を僕に向けて、お帰りなさいと言ってくれた母さん。ただいま、と僕が言い終わる前に、ギュッと抱きしめられる。

 暖かくふんわりと包み込まれるような感覚……目が赤くなっていたはずだし、灯篭の灯りもあって多分、泣いていたのがわかったんだろう。


「ごめんなさい、ちぃ君……」

「なんで母さんが謝るのさ……」

「本当は、京矢さんと迎えてあげたかった」

「母さんが謝っても仕方ないよ。それよりお仕事は大丈夫なの?」


 そう、僕のお母さんはこの旅館の女将だ。今は春休みだけあってそこそこ忙しいはずなんだけど……。


「大丈夫ですよ、お仕事は優秀な従業員さんたちのお陰で、まったりさせてもらっていますから。それよりもちぃ君、色々とお話したいこともありますし、お姉ちゃんにお茶を淹れてもらっているので、居間に行きましょうか」


 僕は、父さんの墓を後にして、母さんと一緒に家の居間に戻ることに。居間ではすでに、お茶をすすりながら、お茶菓子である羊羹を摘んでいる伊代姉が……。

 すでにくつろいでいた伊代姉はさておき、僕はそこでいろいろな話をした。

 東京での生活、おばあちゃんとおじいちゃんのこと、あっちへ行ったばかりは泣いてばかりいたり、友達もできなかったりしてたことなんてのも。


「ふーん、やっぱり東京って色々楽しそうね。あんたをいじめたやつ問い詰めるついでに行ってみようかしら」

「そんな物騒な目的ついでに観光しないでよ……。僕が色々言われたのだって、僕が原因だったりしたんだから」


 そして今度は母さんや伊代姉の話。伊代姉は今、僕が今年入学を予定してる水無月高校に通っていて、そこの弓道部の部員らしい。話を聞いてると、次期エースだとかなんとか。

 今年からは一緒に通えるわね、なんて。とても嬉しそうな顔で言うものだから僕もつい嬉しくなって笑みを浮かべる。伊代姉と一緒に通えるのは、頼もしいことこの上ないからなあ。

 そして母さんからは……。


「ちぃ君。これは京矢さんからあなたが帰ってきたら渡してくれと言われたものです」


 そう言って渡されたのは、手のひらに収まるサイズの桐の木箱だった。なんだろうと疑問に思いながら、その桐の箱を開けてみると、そこには小さな赤い御札が入ってた。

 墨で何か難しい文字が書かれてる。所々破れてるし、かなり年季の入っている物みたいだ。


 この札は、大切に持っていなさいということだったから、とりあえずポケットに仕舞った。お守りか何かだろうな、多分。父さんそういうのに詳しかったし。


 久々に帰ってきて、積もる話だらけなんだ。お茶を啜りながら、しばらく僕と伊代姉、母さんの三人でお話していたんだけど、母さんが……。


「あらあら、もうお仕事に戻らないといけませんねぇ。ちぃ君、お部屋に、東京から送られてきたお荷物が届いていますから、早めにお片付けしてくださいね~」


 間延びした声でそう言って、旅館の仕事にパタパタと戻っていってしまった。そう、伊達に三年間も東京へ行っていたわけじゃない。スーツケースひとつでここに戻ってこられるほど、荷物は少なくなかった、ので。東京から、大半の荷物はこっちに送っておいたんだ。

 

「じゃあ伊代姉、僕荷解きしてくるね」

「どうせ今日私暇だし、手伝ってあげるわ」

「え、いいよ。僕一人でできるから」


 多いことは多いけれど、てつだってもらうほどの量じゃないんだけど。と、思っての事だったんだけど、伊代姉がにやりと表情を歪める。何だそのいたずらっこ笑いは。


「見られてはいけないものが、有るとみた」

「えっ、特に無ッ……ああ、伊代姉!?」


 そこからの伊代姉はやたら早かった。ズバッと立ち上がってスパッと僕の部屋に走って、僕は一足遅れて追いかけて行くことに。

 僕の部屋は二階にあって、伊代姉の部屋の隣なんだ。こんな家だから普通より広いけど、今は部屋の隅にダンボールが幾つか積み重なっている。そのせいで、とても殺伐としてるんだ。

 僕より先に、部屋に入っていた伊代姉は、すでにダンボールの一つ目を開けていた。


「これ、東京で買った服? 流石におしゃれな服多いわね」

「そだよ。そこには服しか入ってないかな。特に面白いものは入ってない……よ」


 そう、面白いものは入ってないはずだった。でも、入ってたんだよなぁ。

 伊代姉がにんまりと笑みを浮かべて、右手に掴んでるブツ。それは、黒と白のコントラストが眩しい、ゴシック調ひらひらメイド服だった。


「なぁに、これ」

「そっそれは……あっちの学校の出し物で、僕が着たものだよ……」


 うう、中学校であったお祭りでやった、うちのクラスの出し物が劇だったんだよね。その時の配役で、何故か僕が給仕役をやることになって……。


「まぁ、あんたその辺の女の子より断然可愛いからね」


 伊代姉は、そのメイド服を自分の体に重ねあわせ、近くの姿見の鏡と向かい合っている。伊代姉からよく言われるように、僕は基本かっこいいとか、男らしいとかいう言葉を言われたことがない。

 容姿が容姿、僕は生まれつきホルモンバランスがおかしいらしいんだ。性別としてはちゃんと男なんだけど、見た目がちょっと女の子寄り過ぎるって。それが理由で、よくからかわれたりしてたんだよね。


 声なんか、ほんとに女の子のそれなものだから、嫌で嫌でさ。僕がまともに喋ることなんて、殆どなかったから、それでまたいじめの対象になったりしたんだよ。

 

「可愛い言われるの嫌だって知ってるくせにさー、なにさもー」


 むっつりしてる僕の後ろに回った伊代姉。例のメイド服を僕に合わせて、鏡で似合ってるかどうか、様子を見てるみたい。結局良く似合ってたみたいで満足したらしく。


「ま、趣味はいいんじゃない? 好きよ、こういうの。私には似合わないけれど」


ご満悦で大変よろしゅうございました。さて、まだまだ荷解きしないといけないものがたくさん――……。


「それよりあんた、男の子なんだからエッチな本のひとつやふたつ、持ってるんでしょ?」

「へぇッ!?」

「出しなさい」


おぉぉっと、普通そんなことに興味持つ? どうよ、姉としてどうなのよ!


「妹モノオンリーだったら、ちゃんと躾けてあげるから安心して出しなさい」

「妹とかなんとか、どうでもいいけど僕、そんなの持ってないから!! 躾けるってなに!? 犬じゃないんだから!」


 興味はあるけど、あんなファンタスティックな本、どこで買うのさ!! 恥ずかしくて買えないよー!!

 あーだこーだ言いながら、随分スローペースに荷解きが終わって一息つく。そこで、何かを思い出したように、そういえばと、僕は口を開いた。


「今日って確か、満月だよね」

「ええ、そうよ」


満月か否か、なんて普通さらりと答えられることじゃない。けど、ここの旅館に関わりのある人なら、答えられて当然なんだ。


 “満月の夜に、山の温泉に入ってはならない”


 この旅館には、そういう言い伝えが根強く残っているから。この旅館の庭の先、石畳を歩いた先にある石段を登っていくと、旅館の雰囲気と合わせて整備された、小さなトンネルがあるんだ。

 砂利が敷かれたり、灯籠が置かれたりしてる、その岩のトンネルを抜けた先。そこには、四方が山の斜面に囲まれてる特別な温泉があるんだ。そこが、言い伝えにある、恐ろしい神様が使っていたとされる神聖な温泉なんだ。普段、お客様には、予約を取ってもらって使ってもらってる。けど、満月の夜だけは完全に閉めちゃうんだ。


 閉めちゃうと言っても、灯りなんかは消さない。普段通り、いつでも温泉に浸かれる状態のまま、入浴禁止の札を出しておくことが取り決めとなってる。


 なんでも、満月の夜になるとその神様が、湯浴みにやってくるんだって。


「言い伝えは言い伝え、本当にそんな神様が来てるのか、怪しいところだけれどね」

「神様はいるよ! 絶対!」

「あんたそういうの好きよね。言い伝えとか、伝説とか」


 うう、現代人が悟り過ぎなんだよ! 宇宙人なんていない、幽霊なんてありえない。科学が進歩するに連れて、そういった不可解な事柄が、何でもないことだなんて証明されていくようになった。だから、みんなみんなそういうことに関心がなくなっていってる。

 

 でも世の中っていうのは思っているより広いんだ。全部見えてるつもりでも、見えてないところってたくさんあると思うんだよ。

 みんながそうやって悟って、そういう物事を軽んじるのは勝手だけど。僕は、そういったことを真正面から見てあげたいと、思ってるだけ。

 夢見がちなんて……言われるかもしれないけど、それでも。


「私は、否定も肯定もしないけど。あればあるで面白そうだし、無いならそれまでってことで」

「う……なんだか現実的な答えだなあ」


 どっちつかずの答えっていうのは便利なものだよね。あればあるで、許容するよっていうのは僕としても、安心できる答えなんだけど。


「満月かあ、じゃあ山の温泉には入れないな。帰ってきたら入ろうと思ってたんだけど」

「あんた、あの温泉好きだものね。そう言うと思って母さんが予約空けといてくれてるはずよ。ぎりぎりの時間だけど」


 僕のことをよくわかってる母さん、流石だよ……。山の温泉に入るための、その最終予約枠を気を利かせて取っておいてくれていたみたい。

 今は春休みだからか、山中温泉の予約はよく埋まってるんだな。これが春休みじゃなくなったりすると、予約が全部埋まることなんて殆ど無いんだけど。


「おおお、後で母さんにお礼言わなきゃ」

「その代わりちゃんと札立てないとだめよ?」

「うん、わかった」

「ん、じゃあお姉ちゃんも一緒に入ろうかしら」

「ええ!? いや、この歳になって一緒に入るのはちょっと……」

「そんなの関係ないでしょ。昔は良く一緒に入ってたじゃない」


 僕が小学生の頃は、よく一緒に入って頭とか洗ってもらってたんだ。でも流石に、この歳になると体つきに大きな違いが出てきたり、心の成長だったりで、難しくなるよね普通。

 伊代姉なんて、もうどこからどう見ても女の人の体してるんだよ? もうちょっと、恥ずかしがってもいいはずなんだけど。

 姉弟だっていってもなあ。


「なんて言っても、その時間は私、夕食の準備があるのよね。今度一緒に入りましょ。あんたの成長ぶりを見たいのよね」

「うん、今度一緒に入ろ。でもあんまり体見るのはかんべんな!」


 嫌よ、と一蹴する伊代姉。僕、変な笑いが出たよ。きっぱりし過ぎだろお姉ちゃん。

 一区切りついたところで、ふと気になった、ポケットの中の御札。それが入った木箱を取り出して、まじまじと眺めてみた。


「これ、何なんだろうね」

「さあ、母さんもそれを渡してくれ、としか言われてなかったみたいだから。怖いわよね、そんな意味ありげな御札なんて。でも」


 お父さんが渡すものなんだから、何か意味があるんじゃない? なんて、他人事のように言われる。

 確かに、意味はありそうなんだよね。でも、コレがどういった意味を持つのかくらい、教えてくれても良かったんじゃないかな、父さんも。


「私そろそろ、買い物行ってくるわね。お母さんに頼まれてるの」

「僕も一緒に行くーっ」

「いいわよ、あんたは疲れてるだろうし、ゆっくりしておきなさい。ちょっと買い足しするだけだから、すぐ帰ってくるわ」


 柔らかな笑みを浮かべて、僕の頭を撫でる伊代姉。一言、「行ってくるわね」と言うと、すっと立って部屋を出て行ってしまった。

 夕食の準備といい、買い出しといい、僕が帰ってきたからちょっと豪華な内容にでもするのかな。楽しみだ。


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