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第13節—この子供達、助けたいです—

 夢を見続けるっていうのは、それはそれで幸せなんだろうけど。でも、それだと何も解決しない。幸せなようで、安らかなようで、実際はただ心地いい箱中で、閉じこもっているだけ。


「ねえ、銀露」

「うん? なんじゃ」

「この子たち、ずっとお母さんとお父さんを呼んでたんだ。家に帰りたい、山を降りたいとも言ってた」

「だから、なんだと言いたいのじゃ?」


 う、銀露の言葉に少し力がこもった。多分、銀露は僕が言いたいことをわかってる。わかってて、僕に言わせようとしてるんだ。

 その、言葉の意味を“僕自身”に分からせるために。


「その……助けてあげたいんだ。せめて、山から出してあげるだけでもいいから」

「嫌じゃ、めんどうくさい」

「ええ!?」

「箱から出たものは、箱にしまうのが一番手っ取り早かろうが。それに何を持って、助けたと言える? こやつらはもう帰る場所をなくしておる。悪戯に山から出したところでまた再び迷うだけじゃろう」


 そうかな……いや、そうかもしれない。でも、だったとしても……。


「帰る場所がなくても、また迷ったとしても。ここから出してあげれば、帰る場所を見つけることができるかもしれない」


 その帰る場所が全て、あの世であることを願って。


 銀露は呆れた表情で、煙管を口にくわえ、僕に背を向ける。そして、吸い込んだ煙を、ため息と共に空へ吐き出した。


「進むことを選ぶ……か。停滞をとする死角の世の住人にとっては、眩しい在り方じゃ。くふっ、なんとも青く、短かき生ある者の言い分よ」


 そう言いながら、銀露は嬉しそうに笑った。でも、どこか……寂しそうにも、悲しそうにも思える、感情の片鱗を見た気がした。

 銀露は、僕の方に向かって言う。この人形たちを山から人里に降ろすことの意味を。


「こやつらは人里に降りた後、何をしでかすかわからん。散り散りとなり、各々が自分の居場所を探すじゃろう。そのほとんどは、この世に己の居場所がないことを悟り、あの世へ向かうはずじゃ。しかし……そう物分りが良い者達だけではないのは、察しがつくじゃろ?」

「やっぱり、悪さしたりするのかな」

「いんや、こやつらは所詮、魑魅魍魎ちみもうりょうじゃ。大それたことはできん。が、その土地に居座り、その土地自身、近しい者、環境に影響を与えることはある。ゆっくりと、しかし、確実にの」


 座敷童……みたいな感じかな。あれは精霊で、神様だし。魑魅魍魎じゃないけれど。座敷か蔵に住み着いて、いたずらしたり、気まぐれに幸運を呼んだりする子。

 

「む、今、都合の良い想像をしたじゃろ」

「ええっ、なんでわかったの!」

「その危機感のない表情で丸わかりじゃ。まったく……、よいか。この山の中で、わざわざ隔離したこの土地のように、魑魅魍魎が居座り続ければ、その土地は力を吸われ、腐ってゆくのじゃぞ。土地だけではない。民家に居座れば、その家の主は、日々不可解な現象に見舞われたりする可能性もある」



 不可解な現象っていうと、よく聞くところでは……そうだな。ポルターガイストとか、ラップ音とか、その辺かな? 銀露がその、カタカナ現象を知ってるかと言われると、つらいところだけど。


「大半は、月詠の土地に根を張る土地神がなんとかするじゃろうがな。それでも死角は存在するのじゃ。こやつらが何かを起こしたその事象、一つ一つに……ぬしは責任を持てるのか?」

「持つよ。僕に対処できない時は、誰の力だって借りて責任を果たす。でも、そのための銀露でしょ? ね」


 即答に驚いたのか。それとも、そう言う僕の目に何かを見たのか……。銀露の頬に朱が差した。目を目一杯に開かせて、口を横一文字、固く結んでる。


「くっ……、かかっ。なんじゃあぬし、儂を試しておるのか? ふふ……っ、面白いのう、面白い。そのような愛らしい顔をして、なんとも淫猥な物言いをするではないか? まるでどこぞの遊女のようじゃなぁ? ん?」


 そこで銀露は、なんとも淫靡な笑みを浮かべて、小さく舌舐めずりする。とてもいやらしく、ねっとりと。興奮の熱に上気させたその美しい顔を僕の顔に、ぐいと寄せて。


「ふふふ、初めてじゃ……。ここまで人の子に、劣情を覚えたのは、の?」

「え、ええと……あの? ええ?」


 僕の顔にかかる、銀露のじっとりとした甘い息。なんで銀露はこんな興奮してるのさ! え、ここで襲われるの、食べられちゃうの!? くっ……僕の貞操大ピンチ!! でももういいや、男なんだし、貞操なんて守ってても仕方ないじゃん。覚悟決めるよ。


「せ、せめて優しく食べてください……」

「かかかっ! 阿呆じゃの、ぬしは! 試されておるなら乗ってやろうではないか。この者たちを山から降ろす。そしてその後のことも、わしが責任を持つ。ぬしの覚悟に免じての」

「はへ? あ、ありがとう銀露! さすがだよ」


あれ、なんか僕勘違いしてたわ! うわ、はずかしッ……。


「ぬしはまだまだ渋みの残る、固い果実じゃ。儂は蕩けるほど甘い実が好物での。まあ、この分じゃと、熟すのも遠くはなさそうじゃがの? くふふ」


 そんなことを言いながら、目を細めて蠱惑的な笑みを見せてきた。あれ、勘違いじゃなかったのか、もしかして……。


「さて。と、すれば、じゃ。この数を下山させるには、それ相応の手数が必要じゃの」

「なんか、さっきより増えてない?」


 そう、分裂した当初より増えてるんだ、間違いなく。わらわらが、今やごちゃごちゃしてる。

 うん、具体的に言うと、30越えだった人形が、今やその倍にはなってる。 こんなにいたのか……迷い童。重いなあ……。こんな人形、一体でも相当な重さだよ……。


 質量的な意味じゃないよ、もちろん。救われない魂の重さって、相当なものがあると思うんだ。



 60体を超える人形。それを運ぶ方法というのは……。


 銀露は息を吸い込むと、人差し指と親指を口にくわえた。かと思ったら、凄まじい音量を持って鳴らされる笛のような音。いわゆる指笛だ。高い音を出すその指笛は、木々を揺らし、山々に反響していく。


 この指笛の意味は、察しがついてたんだ。だから僕は身構えてた。これから目にする光景に対して。


 しばらく待つと、騒がしくなる周りの茂み。思わず息を飲む僕と、早いのうと呟く銀露。


「うおお……い、いっぱいいる! いっぱい来た!」



大小様々な体躯、顔つきも違えば、毛色も少しずつ違う狼たちが十数頭あまり、こっちに向かって走り寄ってきた。これは圧巻だ。中には歴戦の猛者を思わせる、片目に傷を負って隻眼になってる子もいるし……。


「早い到着じゃの。汰鞠、合図を待っておったのか?」

「わう」

「かかっ、そうかそうか、優秀じゃの」


なんでも、ここへ来ることは狼たちでも難しいらしい。山の中に隔離されているというのは本当で、鳥居は立っているものの、そこからつながる道なんてありはしない。

 ここへ通る獣道すらない。だから、子鞠と汰鞠は事態をわかっていながらも、鏡を通してここに来れる銀露に、助けを求めることしかできなかったんだって。


「わうっ」

「くぅぅぅ……」


 銀露の周りに円を作って集まった狼たちはおとなしく、“伏せ”の体勢をとってる。そんな中で、唯一立って銀露と僕の前に出てきたのは子鞠と汰鞠。


 子鞠は、頭を地面に向けて垂れていて元気がない。その元気のない子鞠のお尻を、汰鞠が小突きながら無理やり出させたような絵面だ。


「くぅ……くぅう……」


「えっと……?」

「ごめんなさいじゃとよ。子鞠がくしゃみをした所為で振り返り、雲に巻かれたのじゃろ?」

「わふ」

「ええ!? 全然怒ってないよ、子鞠! 僕が悪いんだから。何があっても後ろ向いちゃダメだって言われてたのに、振り向いた僕が悪いんだよ!」


 大事なことだから二回言っておいた。そのあとも、頭を撫でたり背中を撫でたり。落ち込んでしまった子鞠に、君は悪くないんだから落ち込まないでいいんだよ、と。やんわりと説得を続けていくと。


「くう」


 可愛らしく鼻を鳴らしながら、僕の足にすりすりと頬を寄せてきてくれた。最後に、仕方ない子ねって感じで、汰鞠が子鞠を一瞥すると、僕に頭を下げてきた。


「汰鞠も気にしないでね。結果的に、この子たちを助けてあげることができるかもしれなくなったんだから」

「わう」


 汰鞠は僕の方を見ながらも、自分の後ろ足にすがりついてきてる人形を、ぺいっと蹴っ飛ばしてた。

 これも驚きだ。優しそうで、礼儀正しい汰鞠が……。いや、こういうことに達観しているのかもしれないし。僕のように、銀露が付いてるという特別な理由がない限り、人に対しては、邪険にするような対応が普通なのかも。

 いや、この人形たちはいわば、元、人間なんだけど。


「よく集まってくれた。誇り高き狼たちよ」


 銀露がそう声をかけると、待機状態だった狼たちは一斉に立ち上がり、皆同じタイミングで吠える。一度だけ、短く。それこそ、軍隊のように。


「今日ぬしらを呼んだのは、頼みたいことがあるからじゃ。この有象無象どもが見えるじゃろう? こやつらを山から出したいと、ここにおる人の子が相当の覚悟を持って、申しておる」

「お、えっと、ごめんなさいなんか」


 相当の覚悟を持っておる人の子、この数の狼さんに圧倒されて足ガクガクですけど……大丈夫でしょうか。


「これ、しゃんとしておれ。こ奴らはぬしを品定めしておる最中じゃ。助ける価値がないと判断されれば、寝ぐらにみな、帰ってしまうぞ」

「ええっ……。品定めされる側の気持ちにもなってよ! やばいよ、子鞠と汰鞠以外、今にも襲ってきそうな雰囲気!!」


 人語を解する特殊な例、汰鞠と子鞠を除くとなんだけど。他に人間の言葉を理解する狼はいないらしいんだ。だから、僕の立ち振る舞いや、仕草なんかで見定めるんだって。


「この山の狼たちは目がい。人の心など見透かしてしまう。そう不安そうにするでない。ぬしが本当に、芯の通った人の子ならば、認めてくれるじゃろうて」

「芯が出そうなんだけど……緊張で芯も何もかも出そうなんだけど!!」

「かっか、これ、取り乱すでないわ馬鹿者。見とるこっちの気が抜ける」


 ふひひひ、と。銀露らしくない笑い方。どうも、狼たちの前では、銀露自身も神様だから、気を張ってないといけないみたいなんだよ。

 でも、僕の動揺の仕方を見て堪えきれないらしい。


「僕、まだこういうところで男気なんて見せることはできないけど」

「ひひっ、男気ときたか、似合わんのう。くひひ」


 言葉は伝わらずとも。なんとか気持ちだけでも伝わらないかと、自分の思いを言い出した途端。銀露のぼそぼそ突っ込みが横っ腹をつつく。だめだ、銀露完全に笑いのツボに入っちゃってる。だめじゃん神様。


「この子たちを助けたいって気持ちは本物だよ。でも、僕には一人でこの子たちを助ける力がないから……みんなに助けてもらいたいんだ。独りよがりなわがままだけど、少しでも手を貸してもいいと思えたなら……!!」


 そう言って、力の限り頭を下げた。銀露は、お願いするより命令したほうがいいと言うけれど。そういうやり方は、どうしてもできないみたいだ。


 銀露も、少し呆れ気味で。その場から動く狼たちを見て、こりゃダメかな、なんて。

 でもいいもん。一人でもこの子たち助けてあげられるよう頑張るもん。


「あれ?」

「ふむ……」


 動き出した狼たちの行動を目で追っていると、どうやら愛想を尽かされたわけじゃないことがわかった。

 彼らは、地面に散らばる人形の一体一体を、口でくわえて持ち上げ、自分の背中に乗せていってるんだ。


「これは……手を貸してもらえるってことでいいのかな?」

「うむ。そのようじゃ。珍しいの、こやつらが素直に、人のため動くなど」



 小さな人形たちにとっては、とても広く感じるだろう狼たちの、大きな背中。大股開きで跨った揺れるそこで、頭がガックンガックンしてる。


 僕も負けじと、二人ほど人形を肩に乗せてあげる。すると、右肩の方の人形に、思いっきり耳を引っ張られた。


「ああいだだだだ! 耳を引っ張るな耳を! ちぎれる!!」

「かかかっ、そやつは一番高いところがいらしいぞ」

「ううう……じゃあ頭に乗せればいいのかな……」


 耳を引っ張ってた人形の、頭をつまんで僕の頭頂部へ乗せてあげた。するとあら不思議。とてもおとなしく乗っているではありませんか。


「わふ」

「うわ、子鞠、たくさん乗せたね」


 僕の足元に寄ってきた子鞠は、あにさま見て見て、と言っているかのよう。

 てか、人形たち乗せすぎだよ! 背中に8体、頭に2体、ブランコのようにして、尻尾に一体乗ってる。


「わう」

「きゅう……」


 それを良しとしなかった汰鞠が、子鞠の背から3体下ろして、自分の背中に乗せ替えてた。

 中には、口でくわえたまま運ぼうとしてる狼もいたり。それこそ運び方は十狼十色だけど。みんなが協力してくれたおかげで、下山の準備は整った。

 みんなして鳥居の下に集まり、あとはここを出て行くだけ。


「ここから先は道がないでな。儂が先頭を行く。汰鞠は最後尾じゃ。はぐれんよう列を整えるのじゃぞ」

「うわあ、狼大行列……って、あれ!? どこ行くのさ!」


 ずらっと並んだ狼たちの大行列から、数体の人形が背中から降りて小屋の方へ走ってしまう。

 これから下山しようって時になんで……。


“ばいばい”“いってらっしゃい”


 逃げ出して、こっちを向いた人形達はぎこちなく手を振って。なんで、どうしてと困惑顔の僕に、そんな声が聞こえてきた。一緒に行こうよ、そう言いかけた僕を止めて、銀露は言う。奴らは放っておけ、と。


「こやつらがこの山におった時間は長い。それこそ、悠久の時を過ごしてきたのじゃ。ああして、ここが居場所となった者共もおるということ」

「でも、もう小屋は潰れちゃったよ?」

「ああいう奴らは、もう心配いらん。自由にこの山を駆け回り、しばらくすればこの山に取り込まれ、精霊とでもなるじゃろ。さすればまっとうな、死角の世の住人じゃ」


 銀露は、笑いながらそんなことを言った。そうか、みんながみんな、帰りたがってたわけじゃないんだ。ここに、この山に居場所を作って、見つけた子もいたんだ。

 そっか……。それこそ十人十色じゃないか。僕が勝手にみんな山から出たいと思ってただけ。この人形たち、浮かばれない魂がみんな、救いを求めていたわけじゃないんだ。

 ただ、自由にしてあげればいい。停滞した夢の中で、変わることができた子たちもいたんだ。


「元気でね。もう、囚われちゃダメだよ」


 僕は、彼らに手を振り返した。少しだけ、涙が出た。彼らがとても、幸せそうに見えたから。救われたように見えたから。みんなして戯れながら、山に帰るその姿が消えるまで。



……——。



「うう……本当に道無き道じゃないか……」


 銀露を先頭にし、人形を乗せて山を下り始めた僕と狼一行。でも、山を下るって、ニュアンスからずっと下り坂だと思うじゃん?

 違うんだよ。ところどころ、登ったり、降りたりするんだ。

 ずっと下りてさえいれば、下山できるなんて嘘っぱちだということが身にしみてわかった。

 少しでも登るだけで、本当に麓に向かっているのか不安になって来るんだ。まさかまた登ってるんじゃないかと、そんな錯覚を覚える。

 だから方位磁石とかがいるんだな。降りればいいんじゃなくて、目的の方角に進み続けることが大切なわけだ。


「それにしても……すごいな。銀露が通るところって、草や木の枝、落ち葉でさえも道を開けるんだ」

「当然じゃ。誰がこの山の主じゃと思っておる。流石に植わっておるものまで、動かさせはせんがな。根が痛み弱っては、大変じゃからの」


 銀露が歩いた後ろには、獣道が出来ていく。それこそ、線を引くように。そこを通るようにして、一列。人形を背中に乗せた狼たちが行進してた。


「わふっわふうっ」

「……子鞠、なんてバカワイイんだ」


 後ろの子鞠はというと、完全に人形たちに遊ばれてる。時たま、頭を掠める草や枝に、人形が捕まって、ぶら下がったりして戯れるんだ。

 それを咎めるように吠えては、足を加えて引っ張り無理やり背中に乗せ直してる。


そんなに乗せるからだよ、子鞠……。毛を引っ張られたり、耳を引っ張られたりして、もう散々な目にあってる、けど。


「がうッ」


 子鞠のすぐ後ろを歩いてた、片目に傷を負った歴戦の狼が、見かねたのか一喝したんだ。すると、子鞠の背中や頭で落ち着きのなかった人形たちが、根こそぎカチンと固まった。

 うお、すごい迫力だったな。あの人吠えに込められた気迫には、尋常ならざるものを感じたよ。


「くぅぅぅう……」


あ、子鞠も落ちこんじゃってる。


「かかっ、子鞠、そやつはぬしに吠えたのではないぞ。落ち込むでない」

「……わふ」


 なんだか、いい関係だな。この狼たち。狼は群れで生活するから、こういったコミュニケーション、助け合いなんかは板についてるんだろうね。


 しばらく歩いていると、銀露の横顔から見える表情が少し険しくなったのに気づく。

 “迷ったの?”と、聞いてみても、銀露は首を横に振るばかり。


もうしばらく歩いて、もういい加減山を下りれてもいいんじゃないかと思い始めた頃、苛立ちを見せてた銀露にもう一度問うことにした。


「あの、銀露……もしかして」

「迷ってはおらぬ。この山はわしの庭みたいなものじゃ。迷うはずかなかろ。しかし……これは」


 あたりを見回す銀露。何かに気づいたかのように、狼たちの列の方を振り返る。


「児戯じゃのう……。かか」


 銀露の赤い瞳の瞳孔がぐっと開いた。かと、思うと。一匹の狼の背中から人形が転げ落ちて、それは地面を転がりながら細長くその形を変えていく。


 止まる頃には、それはもう黒い蛇へと姿を変えた。そして、まるで僕らをあざ笑うかのように、赤く染まった目でこっちを一瞥した後、何事もなかったかのように茂みに消えていった。


「ふん……やはりの」

「どうしたの?」

「いや、蛇に睨まれておっただけじゃ。同じところを歩き回らされておったがな」


“同じところを歩き回らされておった”って、それもう睨まれてただけじゃないよね!? なに銀露、頰赤らめて!! それもしかして恥ずかしがってんの!? ねぇ!?


「くう……あやつめ。わしが山から出たと見るや探りを入れてきおってからに……。性根の悪い……」

「あやつって?」

「ぬしは知らんで良い。目をつけられれば面倒じゃ。……もう、遅いかもしれんがの」


 銀露はそう言って、何事もなかったかのように山下りを再開する。蛇が、人形に化けて僕らの後ろをついてきていた……。しかも真っ黒な蛇が。なんのために、そんなことを……。


「銀露、まだかな?」

「うむ、もう少しの辛抱じゃ」


 同じところを歩いていた時の倍は歩いたはずなんだけど、まだ麓が見えない。人形たちが居たあの小屋って、それほど遠いところにあったんだろうか。

 後ろを振り向いてみると、狼たちは慣れた様子でついてきてる。でも、背中の人形たちはそうでもないみたいだ。疲れて寝そべっちゃってるのもいれば、人形同士取っ組み合ってるのもいる。


 自由だな、怨霊のたぐい!!


「かか、あやつらの場合、一つの依代に集まっておったのがいかんかったのじゃ。幼い子供の怨嗟の声など、集まりさえしなければ大したことはない。生きておった時間が長ければ長いほど記憶は重なり、未練も大きくなるからの」


 たくさんの幼い子の怨念が、一つになってたのがダメだったのか。なんだか、 複雑な話だな。人一人の命には違いないのに。生きていた時間でその魂のあり方が変わるのか。


「む、視界が開けてきたのう。そろそろ麓じゃ」

「えっ、やっと着いたの!? 長かったあ」


 登山道の終わりに到着した頃には、もうほとんど日が沈みかけてしまってる。かなり歩いたからな。時間にして……3時間くらい?


「山一つ越えたからの。よう頑張った」

「山一つ越えたの!?」

「うむ。比較的楽な道を開けてきたがのう」


 でも、この子たちの居た山も銀露の山なんだよね……。いったいどこまでが銀露の山なんだろう。


「この山から10つ越えてもまだ儂の山じゃが?」

「この神様欲張りすぎなんだけど!!」


 そんな神様が、あんな小さな祠に祀られてるなんておかしな話だとは思わないのか! 昔の人は……。大きな神社が一つあってもおかしくない統治範囲だと思うんだけど。


「神の階級で言えば、この辺りでは一等高いからの。流石に京の宇迦之御魂やら、伊勢の天照などには一歩及ばんが。まあ、信仰の差じゃ。儂の位は神気しんきの高さだけじゃからのう。ま、力こそすべてというわけじゃ」



 神様の力っていうのは、何を持って力というんだろう。よく銀露から聞く、神気しんきっていうのがそうなんだろうか?


 さて、そんなことを考えている間に、僕たちの長い長い下山は終わってしまった。

 僕にとってはただ山を降りているだけだったけれど。この人形たちにとってはどうなんだろうか。ついさっきまでだらけていた人形たちは、やっぱり山を出たのには、思うところがあるみたい。

 みんな一様にして、神妙に狼たちの背中に乗ってる。


 ここは麓、登山道の入り口にある何にもない空き地。草も生えっぱなしだし、ところどころ湿った土は露出してる。

 多分銀露が、人目につかないような場所を選んだんだと思う。僕が山に登った時の登山口とは違う。


「童達よ。着いたぞ、麓じゃ。ぬしらの故郷とは違うじゃろうが、縛り付けられていた山ではない。迷い、帰れなかった山ではない。去るが良い。そして悟り、黄泉へ行け。ここに、ぬしらの居場所はもはや無い」


 それを聞いた人形たちは、ばらばらと、ぼろぼろと、次々に狼たちの背中から降りていく。

 柔らかい地面に降りた人形達は、みんな一様に、感慨深そうに山に向き直ってる。

 

 山に縛り付けられていた、とは言うけれど。この子たちは、その間ずっと夢を見ていたんだ。幸せな、暖かい夢を。

 永遠に見続けていたいと思える夢を抜け出して。帰る場所のない現実に降ろされた彼らにとっては……酷なことかもしれない。

 けど、そうすることで、多分。この子たちはちゃんと終われるんだ。


「うわあ……」

「ふん、礼のつもりか。くだらんの」


そんな、辛辣なことを言う銀露だけど。表情には笑顔が咲いていた。

ばっと、蜘蛛の子を散らしたように、人里へ走り、その姿が透けて消えていく人形たち。

 その走り去った後には、春らしい柔らかな、名もない花が無数に咲き誇っていた。


“ばいばい”“あにちゃ”“ねえちゃ”“ばいばい”“わんころ”


 そう、聞こえたような気がした。わんころは失礼じゃないかな!? いや、いいんだけどでも……。銀露の口の端が引きつったような気がして……。


「狼の誇りを汚すと知らんぞ……」

「ぐるるううぅぅぅぅ……」


 やばい、なんか汰鞠がめちゃくちゃ不機嫌そうなんだけど……!! 追って行って噛み付かないか心配だ……。

 犬と同じ扱いにされたのが嫌だったのかな……。


 でも、彼らが走り去った後はとても綺麗な、野草のお花畑ができた。すごいなあ。彼らのような、外れた者が現世に与える影響って、悪い事ばかりじゃないんだね。


「千草、足元にまだおるぞ」

「えっ、あ、ほんとだ……どうしたの?」


 みんな行ったのかと思ってた。まだ残ってたんだ。

 この子は、僕の頭に乗ってた子だ。僕の靴のつま先に抱きついて、離れようとしない。


「かかっ、ずいぶん懐かれたようじゃのう、ぬしは」

「うう……懐かれるのはいいけど、どうしよう。この子、連れて帰ってもいいのかな」


 見た目は気味の悪い人形だけど、こうして人畜無害な仕草を取られると、僕としては可愛く見えてしまうものなんだ。

 懐かれたからといって、この子だけ特別扱いするっていうのもなあ。みんな思い思いにどっかへ行っちゃったから、山から出た後のことを考えてなかったっていうのもあるし……。


“にいちゃ、にいちゃ”


「え? あれ、この声……」


 ふと頭に響く、足元の人形が発しているであろう声。幼い男の子のそれは、僕が一番初めに小屋で聞いた声だった。

 確かこの子、“逃げて”と言ってくれた子だったはず。

 そう、あの人形たちの中で、一番早く目が覚めた子だ。


「儂には聞こえんが……。こやつ、なにか言っておるのか?」

「うん、僕のことを“にいちゃ”って呼んでる」

「ふむ……。間違いなく懐かれておるの。こやつはこやつで、居場所を決めておるのかもしれん。じゃが、このままずっと千草が面倒を見るわけにはいかんな」


“とりあえず、帰るとするかの”と、そう言って銀露は僕の足元の人形をつまみ上げて……。


「ええ、結局僕の頭に乗せるの……」

「なに、もうしばらくの辛抱じゃ」


 そうして僕と銀路は、夕日に照らされ朱色に浮かび上がった舗装道路を歩いて帰るのだった。

 でも、僕が登山道の空き地から出るとき、後ろの茂みが動いたような気がしたんだよな。ふと振り返っても何もいなかったし、まあ蛇かなにか、小動物が揺らしただけだと思っておくことにしよう。


……——。


「ふいー。やっと帰ってきたね。もうくたくただよ」

「かか、よう歩いたからのう」


 僕と銀路は、一人お客さんを増やしてようやく旅館へ帰ってきた。

 それにしても……。気まぐれで銀露の祠を見に行っただけなのに、随分大変なことに巻き込まれちゃったもんだ。

 銀露の祠、たくさんの狼たち、死角の世、迷い童。伊代姉にお弁当も届けたし、春休み中で一番濃い1日だったんじゃないかな。


 僕と銀路は石畳の上を歩きながら、この人形についての処遇を話し合っていた。


「別に、この子をここで離してあげてもいいけど……」

「そうすると、こやつは旅館に住み着くじゃろうな。知らんぞ、不可解なことが起こる宿じゃと思われても」


 そう言う、銀露だったけど。続けて面白いことも言った。


「居着き続ければ、精霊となるやもしれんがの。所謂、座敷童じゃな」

「そっか……この子もそういう道が用意されてるんだね」


 まだ僕の頭の上で、落ちないように髪を掴みちょこんと座っているこの子をどうするか。

 僕としては、この子を銀路の言う、黄泉へ送ってあげたいと思ってる。

 せっかく山から出れたのに、僕という未練が残ってこの旅館に縛り付けられてしまえば元の木阿弥だ。


「これを、あの世へ案内することは出来んこともないがの」

「え、そうなの?」

「うむ。橋渡しをしてやることはできる。鬼灯の奴らはそれを、黄泉路送りと言っておったが」


 黄泉路送り。現世から、黄泉の世界……つまりあの世へ橋渡しする儀式のようなもの。浮かばれない魂だったりとか、現世で迷い留まった霊だったりとかを導き、あるべきところへ送るんだって。


「そやつはぬしになついておる。処遇は好きにすればよい、が。後悔はせんようにの」


 そう言って、銀露はおもむろに自分の髪を一本だけ抜き、僕の右手の人差し指と、この人形の首に結びつけた。

 その結びつけた髪自体は、すぅっと消えて、目に見えないようになったけど。


「何をしたの?」

「ぬしとこの童とのつながりを作っただけじゃ。これでこやつが離れたとしても、願い一つで引き寄せることができるようになるでな。ほれ、そういうことじゃ。いつまでもひっついておらんで、少し遊んでくるが良い」


 しかめっ面で、銀露は人形を追い払う仕草をする。それがわかったのか、人形は僕から離れて、庭園の方へ消えていってしまった。

 うん、そこで気になるのが僕の悪いクセ。

悪い笑みを浮かべてこっちおいでと指を引くと。


“…………——にぃいぃぃちゃ”


 遥か彼方から、首に巻き付けられてるであろう銀色の髪の毛に引かれて人形が“飛んできた”。


「はぶあ!!」

「何をやっとるんじゃ……」


思いっきり顔に衝突して、僕は悶絶する。次からはしっかり避けなきゃ……。再び何処かへ行ってしまった人形を見送ってから、僕と銀露は家に入った。


 すると、僕の帰りを待ちかねてたかのように、リビングからしおれた表情の伊代姉が出てきて……。


「おかえり、千草」

「ただいまー。なんだよ、お疲れだねぇ、伊」「ハグさせて」


 かなり食い気味にそう言ってきた伊代姉。なんだ、目が据わってるぞ、怖いぞ。

 それはもう、草食動物が百獣の王に飛びかかられるがごとく。伊代姉はあらん限りの力を持って僕を、その豊満に育った柔らかな胸に押し付けてきた。


「んん……どこ行ってたのよ千草ぁ……。くたくたになって帰ってきたと思ったら居ないから、癒しがなくてふて寝するところだったわ……」

「伊代眠いの?」

「眠いわよ……」


 昔から伊代姉は、眠くなるとこうして甘えてくることがあった。いつもは僕を甘やかしてくる伊代姉だけど、眠くなると逆になるんだよね。


「くふふ、ぬしらは仲が良いの。いことじゃ」

「昔から伊代姉は、眠くなるとこうなんだ。僕の体が小さい頃はよくこうされて押しつぶされてたなあ」


今じゃもう、こうして伊代姉の体を支えてあげることができる。柊家を支えることはまだできなくとも、こうして姉一人、支えてあげることくらいは……。


「人間は大変じゃのう。こうして寄り添い合わねば、生活もままならぬ」

「……それは神様だって同じじゃないのかしら」


ふと、銀露が何気なく言った言葉。その言葉のどこかが気に入らなかった伊代姉は、ハグする力を強めて、そう言ったんだ。


「神は孤独なものじゃ。伊代、ぬしほど優秀な人の子なら、わかるのではないか? 上に立つものの、どうしようもない孤独が」

「……そんなもの」


 わかるわけがない。そう、言いたそうだった。でも、その言葉は、僕が聞きたかったその言葉の先は、伊代姉の口から出てくることはなかった。


「寄り添い合うのは難しいことじゃ。じゃが、否定しておるわけではない。わかっておくれ」

「……」


 そう銀露が言うと、伊代姉は僕から離れて。“もうご飯にしましょ”と、そう言った。


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