第12節—神様は飄々と—
銀露は、怖かったじゃろうと僕の頭を撫でて、小屋から外に出ていく。そして首なし三地蔵を見て。
「あれが小屋から出んようにしてくれておったのじゃろう? うちの男の子が怖がってすまんの。気を悪くせんでくれ」
そうだったんだ。三地蔵に向かって言った銀露の言葉で、なぜここまで来ていたのか理由がわかった。あの人形は、外に出してはいけないものだったんだ。だから首なし三地蔵は小屋から外に出さないように小屋の前に来ていたんだ。
でも、あの人形外に出ちゃったけど……?
「うん? この子が危ないところに入っていこうとしたから、止めに来たと? ぬしらがそこまで気を回すとは、珍しいのう」
外に出さないようにじゃないんかーい!! むしろ僕としては怖がって失敗だったわけだ!
なんて失礼なことをしてしまったんだ……。お地蔵さん、今度お礼のお餅とお水供えに行きます……。
「千草」
「なにっ?」
「そこでおとなしくしておくのじゃぞ?」
「うん、わ、わかった」
振り返ってそう言った銀露が手に持っていたのは、閉じた扇子……いや、金属でてきた扇子だった。いわゆる、鉄扇というやつ。
もしかして、その鉄扇であの人形を叩いてふっ飛ばしたのかな?
……。
もぞもぞと身を捻る肥大化した人形の呻きは止んでいない。ゆっくりと歩みを進めながら、銀露は鉄扇を胸の谷間に滑り込ませた。
転がったあの異形の前に進み出た後、ひときわ大きなため息をつく。
「子を叱りつけるのは親の役目じゃろうに」
あの人形は、銀露が言うように子供の思念や霊的なものが集まったものである。が、もぞりと起き上がろうとするその人形の顔を目にした時、神である銀露ですら背筋に薄ら寒いものを感じてしまった。
(深く眠って起きんはずの子らの大半が目を覚ましておるの。何をしたのじゃ、千草は)
この山の管理者であった自分だからこそ分かる、その異常性。
「まあよい。とにかくお前さんを、下手に山から出すわけにはいかんのでな」
ふらふらと立ち上がった人形は、脇目も振らず鳥居の方に駆け出した。
お家に帰れる、助けて。おとう、おかあ。一体何人の子供の声が聞こえているのか見当もつかない。
銀露は右手を空に向けた後、一息置いて逃げる人形の背中へ振り下ろす。
この土地に張り巡らされてた縄が音を立ててちぎれた。かと思うと、無様に走る人形の胴を、腕を、首を足を、雁字搦めにしてしまう。
「もう現には、ぬしらの帰る場所はない。おとなしくしておれ、童共」
はたから見ている僕は不安になる。外に逃げようとしていた人形は、縄で縛られているにもかかわらず、動きを止めない。
その、巨大な体躯を捻るようにして縄から抜け出そうと足掻いてるんだ。縄は頑丈そうに見えるけど、それでもところどころ切れてきてる。
「ふむ、鬼灯の作った封印式では少し心もとないのう。力不足じゃと見ゆる」
この縄は、元からあの人形を抑えるためのものだったらしいけど、銀露が作ったものじゃないみたい。鬼灯と名のつく家系がここに張ったもののようだ。
「儂の霊酒で随分、力をつけたようじゃの。うまく使えばそのような醜い姿にならずともよかったじゃろうに」
「あのお酒、そんなドーピングみたいなものだったの!?」
「うん? そうじゃ。貴重なのじゃぞ、あれは。気に入っておった酒瓶を割って与えるとは、まあ豪快なことをしたものじゃなあ、千草」
「うう……ごめんなさい」
「かか、なにか美味いものでも食わせてくれればよい。っと、いかんな。やはりあの中の者がほとんど目覚めておると……」
その人形の力に、縄の方がついに限界を迎えてしまった。ばつんと、力任せに断ち切った縄の音。ただ、切れてもその縄は力を失わない。
束なって一本になっていた縄が何本かの縄に分かれた。そして、再び人形の動きを制御しようとしてる。
でも、あの何本もの太い縄を引きちぎった怪物に、いくら数があろうと、細い縄が敵うはずがないよ。
でも、銀露にとってそれは瑣末ごとのようで。まったく焦りも見せず、飄々としたものだ。
懐から、するりと煙管を取り出した銀露は、銀色の火を落とす。吸い口をその艶やかな唇で挟んで、紫煙を上げる。
「こんな時になんで煙管なんか……」
そう思った僕は、神様というものの力の強さをわかってなかったんだ。ひときわ大きく煙を吸った銀露は、細く長く煙を吐く。
あの人形に向かって。銀色の光を淡く帯びる、その煙は、空に消えるのではなく。今まさに鳥居をくぐって外に出ようとした、人形にまとわりついた。
たかが、ふんわりとした煙だよ? その煙がまとわりついただけで、あの太い縄をちぎった人形が、成す術もなく動きを封じられたんだ。
「本当は、火で燃やしてしまっても良かったのじゃがな。それを許しはしないのじゃろ、ぬしは」
「……あ」
もしかして、銀露は……。僕が、この人形をどうにかして救ってあげたいっていう考えがわかったのだろうか。見透かしたようにそう言った銀露は、もう大丈夫だとでも言うように僕の方に向き直った。
「怪我は……無いようじゃの?」
「うん。びっくりしてまだドキドキしてるけど」
とんでもない速さで鼓動する僕の心臓は、まだ落ち着いてくれないみたいだ。
銀露は汗ひとつ流すことなく、キセルの吸い口に唇を添えては紫煙を燻らせてる。
「ぬしら、もうよいぞ。あとは儂が後始末をしておくからの」
銀露がそう言うと、すぐ隣にいた首なし地蔵たちはその姿を消したんだ。瞬きをして、次の瞬間にはもうそこに、姿は無かった。
「本来——……そうじゃな、あの童達は覚めることのない夢の中、永く迷い続けておった。……はずじゃった。その眠りから皆、根こそぎ、覚醒しておる。封印も解けんうちにな」
「え、え? どういうこと? 僕が小屋に入った時から、もうすでに動いてたけど」
「それがすでに不可解でな。人が小屋に入ったくらいでは、普通動かぬ。儂のような、死角の世の者にとって影響力のある神でもない限りのう。それほど強力な封をされておったはずなのじゃ」
銀露は言う。霊酒の神気を取り込んで力をつけ大きくなったのと、童が目覚めたのは別問題だと。
そう、要するに僕が、あの童たちに何かしたのではないかと問いたかったみたいなんだ。
「大したことしてないと思うんだけどな……。あ、でも声はかけたよ。君たちのお母さんとお父さんはもういないって。でも、僕がなんとかするって言ったような……」
あれ、記憶が曖昧だぞ。さっき言ったことなのに、もううっすらと消えかけてる。なんでだ。いや、恐怖、驚きから突拍子のないことを言ったところがあるから、そのせいで記憶が曖昧なのかも。
「“僕が”、なんとかする、と? 何故そう言えたのじゃ? その根拠はどこから来た?」
「えっいや、なんだろ。わかんないな。確かにあのとき、随分頭の中が冷静だったような……、気がする」
(ような? 自分の意思とは裏腹に言った言葉だと見えるのう……。じゃが、いまいち要領を得んな)
あ、銀露が眉間にしわを寄せて難しい顔してる。確かに、僕の物言いははっきりしてないけど。でも、しかたないんだよ。本当に曖昧なんだから。意識してなかったら、今にも忘れてしまいそうだ。
「良い。あまりこの話はせんでおこう。ぬしを困らせたくないからの」
さてさて、後始末じゃ。と言いながら、銀露は踵を返して人形の方に歩いていく。何をするんだろうと見ていると。
「酒で得た神気を出させんとな。そんな肥大した体じゃと収まりが悪いじゃろ」
苦笑いを浮かべて、そう言った銀露。煙に巻かれ、うつ伏せで倒れている人形に、水をすくい上げる形をとった両手を向けた。そのまま、持ち上げる仕草をすると同時に、大きくて重そうな人形も持ち上がって……。
「おお、すごい……」
「これからもっとすごいことになるでな。腰を抜かすでないぞ」
「え? う、うん……うお、うおおおおおおお!!」
思いっきり、取り乱しました。いや、なんでかって、銀露がお椀にした手をだよ? いきなり崩して、雑巾を絞るみたいな動作をしたわけだよ。それも思いっきり、それ雑巾あったら捩じ切れてるよってくらいに。
すると、浮いた人形のほうも連動するようにして、もう目一杯絞られてるんだもの! やばいよやばい、原型とかそんなんとどめてないもの!
止めてぇ! それ以上やったら、捩じ切れちゃうのおおおおお!
「む……!?」
「うわあ!」
ねじってねじって捻りまくって、挙げ句の果て。想像の遥か斜め上をいく事態になった。
ねじ切れる、前に。何か水のようなものが細かい霧となって辺りに噴出されたかと思うと、人形がボロボロと分裂したんだ。
それこそ、簡単には数え切れないほどの、小さな人形たちに……。
驚きだ。こうしてわらわらしているのを見ると、何かのマスコットキャラクターみたいに見える。いや、まあ、キモ怖いのは変わらないんだけど。
「ど、どういうことなの、銀露」
「いや……、すまぬ。まさかこんなことになろうとは思わなんだ。かかかっ」
初めは呆気にとられて、驚いた表情を浮かべていた銀露だったんだけど。言葉最後になるにつれて、にやけて、最後には笑ってしまっていた。
この様子を見ると、これは銀露にとっても予想外のことだったんだろう。完全に、なんじゃこれ、笑うた状態だ。
「霊酒は抜けたはずじゃ。今は逃げる元気もないじゃろうな」
「確かにそうだね。みんな、くったりしてるみたいだ」
1、2、……うーん。軽く30はいそうだなあ。その30いる中の30全部が、地面に転がって、寝返りを打ったりしてる。
中には、地面を尺取り虫みたいに這って、なおも鳥居から外に出ようとしている人形もいたり。
尺取り虫な人形に近づき、しゃがんだ銀露。ちょいちょいと、人形の足を突つくと、びくりとするそれに対して、行ってはいかんと言うておろうがと。そう小さな声でつぶやきながら、つまんで引きずり戻してた。
「もう声も出さないね」
「強く絞りすぎたかのー? いやでも、まさかこんな増えるとは思っとらんかったからな。これは面倒臭い事になりそうじゃ」
「まずは壊した小屋からじゃの」と、言いつつ、片手で人形の一つを弄び。銀露は、半分消し飛んだ小屋の入り口と、向き合った。
「壊しちゃってよかったの? あの小屋……」
「ぬしからこやつらを離すためじゃ。致し方なかろ?」
「うん、助かったけどさ。でもどうやってあの人形を? やっぱり鉄扇でこう……思いっきり風を起こして」
「ひっぱたいただけじゃが。よく鉄扇と分かったの?」
ひっぱたいただけかよ!! どんな怪腕力してるんだ銀露は……。薄く腹筋が割れてるのは見たけど、筋肉質な体ってわけでもなかったぞ?
「同じようなものを旅館に飾ってあるんだ。観賞用のだけど」
「ああ、もしかすると、儂の持つものと刀匠は同じかもしれんの。昔、あの村が収めてきたものじゃ」
納めてきたものっていうことは、その扇は献上品なのか。しかも刀匠が作ったものって……刃がついてるのかな?
「そのような些末ごとは良いのじゃ。こやつらを封印せんとな」
「封印って……、またあの小屋に閉じ込めるの?」
「こやつらには行くあてが無い。それに、素直に黄泉路へ就けるほど、この世への執念は浅くないのじゃ。その証拠に、現世の理から外れてなお、現世に留まっておるじゃろう」
確かにそうだよな。死角の世っていうのは、現世の輪から外れた者が溜まる場所。そこに溜まっていくから、現世に生きてる僕らは、そういった“外れた者”たちは見ようとしなければ見えないものなんだ。
それなのに、この人形はさも当たり前かのように、僕らの世界にいた。ありがちな小屋に、人の作った封印式の中で眠っていたんだ。
「こやつらはの、千草。その一つ一つが、年端もいかん、人間の子共じゃ。何百年前じゃったか、この山から離れた場所に大きな村があってな。そこに住む大人共がこの付近の山へ子を捨てにきておった」
「子を、捨てに!? なんでさ……」
子を捨てる。生まれたばかりの子を。まだ物心つかない子を。お父さん、お母さんに甘えたい盛りの子を。
姥捨山でなく、子捨て山。
「捨てられた子供のほとんどは、病気を持った者や、身体に障害を持ったものじゃったの。簡単な話じゃ、働き手にならん子はいらぬ。養う金も食べ物もない。だから捨てる」
「そんな……」
「かか。今とは違い、その当時は食うものにも困る時代じゃ。裕福な今の時代とでは、命の重さが、命の価値が、今ほど大きくなかったのじゃろう。無駄は省き、切り捨てる……とまあ、合理的な考えじゃの?」
僕の足元に群がって、靴をかりかりとひっかく人形の中に……片足がなかったり、指が一本なかったり。あまりに落ち着きがなかったりする子がいる。
働き手になれず、村のためにならないと判断された子供たち、の、成れの果て。
「もちろん、捨てられた人の子の大半は、己の村へ帰ろうとしておった。手足を縛られた状態での。いったいどこへ行けるというのか。哀れじゃった。とても哀れじゃった。時には、縄を切って助けてやったこともある。村に帰れた者もいる。じゃが、数日後には戻ってきておったよ。ふふ、いくら神といえど、人の業には敵わんかった。もはや、関わるべきではなかったのじゃ」
銀露は、片手で弄んでいた人形の手をつまみ、顔の高さまで持ち上げて目と目を合わせる。
「迷い、帰れず、泣き腫らし、母と父を思いながら、衰弱していった子らじゃ。今もなお、帰る場所を求めて迷っておった。死に、未練と悲しみで変質した魂をこの世に残し、このような姿になってなお、迷い続けた。だから封をしておいたのじゃ。永遠に覚めることのない、幸せな夢を見させての」
「……。幸せな、夢」
帰って、自分の家で、両親に囲まれて過ごす日常を見ていたんだろうか。