19節ー意地っ張りー
かつて栄華を極めた緋禅桃源郷は、一度欲望という穢れにより壊滅状態にあったことがあった。
長き時を経て蓄積されたその負の気に病まされた桃源郷は、荒んだ遊女たちと廃墟同然となった家屋にまみれ、死角の世の肥やしとなるところだった。
そこに現れ、美しい桃源郷を取り戻したのが蛇姫だった。
桜を咲かせ、その穢れを集めて浄化させ、かつて栄えた遊郭街を長い時をかけ再建させたのだ。
この桃源郷にとって、蛇姫はなくてはならない存在であり……そして窮地を救った恩人である。
だが、それは緋禅桃源郷の遊女達の視点から見た話だ。
蛇姫にとって、この緋禅桃源郷とは……。
……——。
「立てますか、蛇姫様」
「よしなんし……。みっともないではないかや」
「……今更何言ってんですか。まったく意地っ張りな姫さんだよ」
倒れていた蛇姫様を起こして、支える槐さん。
本当は、気付いてあげられなくてゴメンなさいと謝ろうとしてたんだろう。
その言葉を飲みこんで、悲しげに微笑む槐さんと、二人を囲む遊女さんたち。
「蛇姫、知恵を貸してやってもよいがその前に……わしの神気の封を解くことじゃな」
「……きしし、あの酒が最初で最後の一太刀であったかや。黒狼もようやったようやった。八雲のやつに薬をやらんと……」
「おい、うぬなにをほくそ笑んでおる。よっぽどわしをコケにしたいと見えるのう」
「ふん、その気はもう失せてしまいんす……」
蛇姫様は懐から漆塗りの杯を出すと、銀露の前に差し出した。
銀露がその杯を受け取ると、すぐさま杯のそこから淡く青い光を放つお酒が湧いてきたんだ。
杯がいっぱいになったあと、銀露は杯に口をつけて一気に飲み干した。
ほんとうにいい飲みっぷりで、思わず見入ってしまうほど。
「……ふむ。確かに戻ったようじゃの」
「あ、いつもの銀露だ」
着物もいつもの黒を基調とした上等そうな着物に変わって、見た目もお姉ちゃんからお姉さまくらいに。
肩をさらけ出し、大きく開いた胸元から、おおきくて柔らかそうなおっぱいがこぼれてしまいそう。
「やはりいつも通りが一番心地よいな! まったくくだらんことをしおって」
「そうでもせんとわっちに勝ち目はありんせん」
銀露は前かがみになって蛇姫様と視線の高さをそろえ、額を小突いた。
蛇姫様はもう反撃する余力もないのか、むすっとした表情を浮かべるだけだ。
「その前にあやつらを迎えに行かんとの」
「行かんでも良い。楼閣を元の土地にもどしておきんす」
しばらくすれば気配を追ってくると、蛇姫様は言った。
それより、今すぐ風呂に入りたいとごね始めた蛇姫様に付き合って……この緋禅桃源郷で一番大きな露天風呂に入ることになったんだ。
銀露と蛇姫様、そして蛇姫様の体を洗う槐さんとその他数名の遊女さん。
……と僕とで。
緋禅桜に囲まれた、めちゃくちゃ広い岩風呂は予想通りというかなんというか……混浴だったんだ。