第3.5話 結界防衛戦
「アリサの奴、相当参ってたけど大丈夫かなぁ」
後ろに居た幼馴染の女の子が、町に向かって走っていくのを感じながら彼はそう呟いた。
結界防衛隊の一つ剣士隊に所属するアルベルト・ローゼンブラド。栗色の髪は短く切りそろえており、瞳は灰色で目つきは少しきつく、冷たい印象を受けるが、全体的な顔つきは少年から青年になる途中と言ったいわゆる美少年と呼ばれるような容姿をしている。
そんな彼は、見たことも無いビートル系の甲殻魔虫から逃げてきた、アリサ・アルデンスタムの幼馴染である。
「とりあえず、訓練で習った事から考えると、今から弓隊と術師隊の一斉射撃かぁ。って事は一撃で片が付くな、ビートル系にあの一斉射撃は耐える事はできないだろうしな。はー……俺達の出番はなしかなぁ」
気の抜けた独り言を言うと、突然後頭部を叩かれた。思わず振り向けば、そこには見知った顔があった。
「おいおい新米、そんなこっちゃ防衛隊なんてやってらんねぇぞ?」
そういって後ろから現れたのは二十台後半に見える大男だった。
決してアルベルトの身長が低いわけではないのに、見上げないと目を合わせることができないほどの長身で、全身にはこれでもかと筋肉が付いており、むき出しになっている腕と太ももは日に焼けて真っ黒である。
適当に切ったと思われる髪は真っ黒で、瞳も真っ黒。頬には長い傷跡があり、醸し出す雰囲気と相まって歴戦の戦士といった風格で、見た目だけなら中鬼とも、大鬼とも呼ばれそうな風貌である。
だが、この男もハイエルフであり、結界防衛隊の剣士隊を統率する隊長、それをなんと百年も務めるウオレヴィ・ヴォルティその人である。
「なんで一々俺の頭を叩くんですか隊長」
アルベルトが叩かれた部分を手で押さえながら文句を言う。それを見てウオレヴィは悪戯の成功した子供のような笑みを浮かべる。
「おめーの頭が叩きやすい位置にあるのがいけねーんだよ。それよりも、最初の一撃でアレが沈むとでも思ってんのか?」
ニヤニヤと笑いながら、だが少し真剣な雰囲気をもってウオレヴィは答いかけてきた。
「そりゃ沈むでしょう、なんてったって術師隊にはあの人達が居るんですよ? 賢者様と先生が、そこらに居る並のモンスターなら一瞬で消し炭にできる二人がいるんですから、沈まない訳が無いじゃないですか」
「そうか、そう思うか。おめー歳はいくつだった?」
「五十六ですけど、何かいけないんですか?」
憮然とした表情でアルベルトが答えれば、ウオレヴィは「ふむ」と少し考えるような仕草をする。そして、考えがまとまったのか話し始める。
「なら、知らねぇのも無理はねぇか。よし、格好良い隊長のありがたーいお話を聞かせてやろう。まず今回結界が破られたが、結界を破る方法をお前は知ってるか?」
「いや、知りませんよ。と言うか、なんで結界守る人間が結界を破る方法を知ってるんですか」
「そりゃおめぇ、結界を破ってくる相手の能力を見極めるためだよ」
それを聞きアルベルトはハッとした後、納得したように頷く。そして少しの間腕を組み、眉間にしわを寄せ目を瞑って考える。しかし、特に何も思いつかなかったのか「はぁ」と一息つく。
「分かりませんし、思いつきません。この町を覆っている結界って、術師隊総出で張っている|<不可侵領域>《アンタッチャブルフィールド》ですよね? 破るイメージがそもそも沸きませんよ」
「だが、実際破られた。後そうだな、更に言うとさっきお前が頼もしそうに言ってた賢者と先生が中心になって、結界の得意な術師隊メンバー二十名と一緒に張り、更に七日に一度点検をしてる代物だな」
「たしかに。と言う事は……つまり隊長、あの甲殻魔虫はかなりヤバイじゃないですか!」
最初の内は、言われずとも分かっている。とアルベルトはムスっとしていたが、隊長の一言で事態を理解し、少し焦り出した。
「まぁ、大体合ってるな。ただ少し違う『かなり』じゃなくて『尋常じゃなく』だ」
いつもはヘラヘラと不真面目そうな態度を取っている隊長が、酷く真面目な顔で言った。思わずアルベルドは一歩下がってしまった。
アルベルトは、正直この隊長の事をあまり良く思っていなかった。ただそれは、性格や立ち振る舞いに対してであり、その実力は尊敬に値するものと感じていた。
剣士隊、それは魔法を得意とするはずのハイエルフの中において、魔法を戦闘の補助程度にしか使わず、ほとんど己の身一つで戦う隊である。当然、他の隊と比べると負傷者は当然として引退者や死者も多い隊である。
そして、そんな隊に居て長年隊長に居る実力を持っているのだ。始めて森で実戦訓練をした時も、鼻歌まじりに一撃でモンスターを狩っていく姿を見て、正直憧れた事もある。その後、普段の態度をみて幻滅したのではあるが。
だが、それほどの男が、そんないつもふざけて飄々としている男が、始めて見る真剣な顔をしているのである。
「隊長がそんな顔をするってことは、本当に不味い状態なんですね」
「なんだよ、その判断基準。俺だっていつも……まぁいい、さっき聞いたがお前は五十六歳だったな? 今回より前に結界が破られたのはいつか知ってるか?」
「たしか、百年前でその時は森の奥から深緑の竜が侵入してきたんでしたっけ?」
「そうだ、あのときはまだ俺も隊長じゃなくて班長だったなぁ。そうそう! その当時の隊長がまた頑固親父でよ。俺が何かするとすぐに『またお前か! 何度も何度も同じことを注意させおって! 学習能力は無いのか!』とか怒鳴った後に訓練場に連れて行かれて『元気が余ってるなら訓練だ!』だの『その性根を叩き直してやる!』だの言いながら滅多打ちにしてくるんだぜ? ひどい話だろ? 他にも」
「隊長話がずれてます!」
「っとすまねぇ。で、何の話だったっけ?」
先ほどまでの真面目な雰囲気はどこへやら、昔話を始め違う方へと話を進めようとした隊長をみて、アルベルトは(期待したのが間違いだったのか……)と、諦める。
「状況の悪さは分かったので失礼しますね」
そう言い残してもっと甲殻魔虫がよく見える場所へ移動しようとしたが、肩をつかまれ止められる。
「冗談だよ、どっか行こうとするなよ。そんで深緑の竜が侵入してきた時だ。まぁ結果から言うと、その時隊長をはじめとして殆どの剣士隊員と、術師隊の三分の一、弓隊の半分が風に還ったんだ。街にも結構な被害が出た。あ、ちなみに俺の頬の傷は、その時にできたやつだ。名誉の負傷ってやつだな。もっとでけぇ傷が背中にもあるんだがよ、そっちは当事はもう駄目かもしれない。とか言われるほどの傷だったんだぜ?」
そういって背中を向けて、おそらく傷が有るのであろう場所を指さし、また話を脱線させようとする雰囲気を出し始めた。それに、アルベルトは言っても無駄だろうなと、諦念のまなざしを送る。
「またずれたなすまん。睨むなって、そんでその時に生き残ってた剣士隊の中で、一番腕が立つのが俺だったから、俺が剣士隊隊長になったわけだ」
そう言ってニヤッとした隊長だが、アルベルトは驚愕した。
「つまり……今回もそういう風になるってことですか? それが、結界を破るほどの強さをもつ者ってことですか?」
隊長自身も死ぬかもしれない。それはまぁどちらかと言えばどうでも良い。それよりも、自分も死んでしまうかもしれない、それどころか街が危ない。と言う話を聞いてアルベルトが震えながら聞く。
「いんや、今回はそうはならないはずだ。百年前の破られた時の結界もしてはいたんだが、破られそうになると自動で発動する攻撃魔法ってのがあるんだ。まぁ、それが有っても破られたってわけだが、それを教訓に、結界を張り直す時に強化したらしいぜ。あの甲殻魔虫、結界破ってから一切動いてないだろ? 多分、結界を破った時の攻撃魔法で結構なダメージを負ってるんだろうよ」
「じゃあ、やっぱり最初の一斉射撃で終わるじゃないですか。怖がらせないでくださいよ」
それを聞いて少し安心したアルベルトが文句を言い、さらに続けようとすると、ウオレヴィはそれを手で制す。
「まぁ待て。それが昔の自動発動する攻撃魔法はせいぜい<雷の一撃>や<火の一撃>みたいな、下位魔法が数発飛ぶだけだったんだけどな。今は、それに加えて<閃光の槍>や<火炎の槌>と、全部で四つの魔法が雨あられと飛んでいくはずなんだよ」
「じゃあ、尚のこと大丈夫じゃないですか」
「お前、ちゃんと俺の話聞いてたのか? 二属性の、しかも中位の魔法を雨あられと受けたんだぞ? ビートル系の甲殻は尋常じゃない強度を誇るが、そこまで魔法性耐性は無いのは知ってるだろ? それなのに、アレは耐え切った、そんな奴が一撃で沈むとは思えん」
「なるほど。でも、隊長考えすぎですよ。自動発動する魔法は、設定した魔法陣から打ち出される魔法なんですよ? 今から撃つのは、術師隊、それも熟練者が放つ魔法の一斉射撃です。倒せないわけ無いじゃないですか」
「だから……っと一斉射撃するみたいだぜ? 論より証拠だ。見てろ」
そう言って隊長は甲殻魔虫のほうに向き直ったので、アルベルトもそちらを向いた。すると、丁度防衛隊長が大声で「放て!!」と命令したところだった。
それは、炎と雷の嵐であった。
放たれた矢には<閃光の加護>や<炎の加護>と言った付加魔法がかけられており、放たれた魔法は<閃光の槍>や<火炎の槌>更にはそれらの上位である<閃光の大槍>や<火炎の大槌>であり、それらが一つの塊となって甲殻魔虫に向かって寸分の狂いも無く、飛んで行った。
そして、ほぼ全てが直撃した。なぜ、ほぼなのかと言うと、複数の魔法同士が干渉し、外れてしまった物があるためだ。そして、その外れてしまった魔法は地面に当たり、大爆発を起こし、甲殻魔虫の姿が見えなくなる。
(((確実に殺った!)))
そう、その場に居た防衛隊員全てが思い、歓声を上げる。だけど、隊長は険しい顔をしたままだった。
「見ろ!」
隊長がそう言うと、それに応えるかのように、土煙の中から甲殻魔虫が無傷で現れた。
「ギュイギュイギュイカチカチカチ」
それはまるで、此方の無力さを笑っているような、金属が擦れるような不快な鳴き声を上げた。
無傷の甲殻魔虫を見て、隊長を除き全員が絶句した。アレほどの魔法をほぼ全て受けて、倒れないなんてどうなっている。
死なないにしても、傷の一つも負っていないとは一体どういうことだ。見れば、魔法隊隊長の賢者様も(そんなバカな)といった表情をしていた。
「再度攻撃じゃ。一発で駄目なら二発! 相手は甲殻魔虫じゃ。我等の魔法が効かないはずが無い! 構え! 放て!」
しかし、すぐに持ち直して魔法隊に指示を出し、再度魔法と矢を飛ばした。初撃と同じく、寸分の狂いも無く魔法と矢は飛んで行く。
ただ少し違うところがあり、今度は雷属性の魔法が多くなっていた。それは、基本的にビートル系の甲殻魔虫は、雷の魔法が弱点と皆知っているからだろう。
そして、再度直撃。今度は同属性の魔法が多かったため、干渉は少なく。全て当たったようで土煙は上がらなかった。しかし、見た目に目立った外傷は無かった。内部に通っている様子も無く、地面の焦げ跡が無ければ、何もされていないようにしか見えない。
結界防衛隊の基本戦術は、魔法隊と弓隊が攻撃した後、間髪入れずに剣士隊が突撃する。というものであった。が、誰も突撃しようとしなかった。それも仕方が無い事である。
なにせ、賢者と先生が放った魔法を二度も受けたのにも関わらず、無傷なのである。それも魔法に弱いとされる甲殻魔虫が、である。
誰もが恐怖し、動けなくなった時。
「おらおら! 行くぞお前ら! 訓練通りにやれば問題ねぇ! 俺達が死ねば次は街が襲われるぞ! 突撃!」
そう叫び、ウオレヴィが一人で突っ込んで行った。俺達がやらなければ妻が、子が、愛した人が失われる! そう己を奮い立たせ、剣士隊の隊員達は、震える体に活を入れ隊長に続いて行った。
「そうだ! それでいい! <閃光の加護>行くぜ、クソ虫野郎!」
ウオレヴィは、一瞬だけ振り返った後叫ぶ。だが、次の瞬間甲殻魔虫は信じられない行動をした。
なんと、その五本の鋭い角から<閃光の槍>を撃ってきたのである。当然、甲殻魔虫に突撃していた隊員達はその閃光に焼かれ倒れていった。その中にはもちろんウオレヴィも居た。
「隊長!」「くそっ! なんで甲殻魔虫が魔法を使えるんだよ」「おいしっかりしろ!」「もう嫌だ!」「逃げろ! こんなの敵うはずが無い!」「うおおおおおおおお!」
元々折れかけていた心を粉砕され、まさに、阿鼻叫喚の地獄絵図が生まれた。しかし<閃光の槍>を放った甲殻魔虫は、音も無く飛び上がったかと思うと反転し逃げて行ったのである。
何人かの術師隊員が我に返って追撃に魔法を放ったが、どれも効果が無かったようで、甲殻魔虫は元来た方向へ飛び去り、森の中に消えていった。後に残されたのは呆然とする防衛隊だった。
「俺達、助かったのか……」
そうアルベルトは呟き、その場に座り込んだ。
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結局、相手が使ってきた魔法が<閃光の槍>という中級二段の雷属性の魔法だったのが幸いしたのか、怪我をした者は居ても、死傷者はおろか障害を残す者も居らず。結界が壊された以外の大きな被害は無かった。
しかし、一切の攻撃を受けず結界を破壊し、更には魔法攻撃までしてくる。というビートル系の甲殻魔虫の存在、というのは危険でしかない。なので、長老会の会議の結果。不本意ながら人と接触し、この情報を渡し討伐してもらう事にした。
一般的な個々人の戦闘能力であれば、ハイエルフは人に対して大きく勝っているが、今回のような個人でどうにかなるような物ではないモンスターを相手取るなら集団で当たるしかない。
更に、人口的な分母の関係なのか、人には時折突出した能力を持つ者が生まれる事がある。それを期待しての案である。
そして、接触し情報を渡し、場合によっては協力する者を選択する際、名乗りを上げたのはウオレヴィ・ヴォルティだった。
「俺は、一度狩ると決めた奴は確実に狩る主義なんだ。だから頼む! 俺を使者にしてくれ。なんならあっちに滞在する事も俺は厭わない」
そう懇願するウオレヴィだったが、それに対して長老会の面々は渋っていた。曰く、ハイエルフが街の外で亜人と混じって生活するなんて、もっての他だ。という事である。
「そもそも、自分達が倒せなかった相手を倒してくれ。と、依頼するのだから、助力する前提で話してたじゃないか。別に俺は、隊員を何人か連れて行くなんて言わないし、仮に人にそういう事を言ってこられても、ちゃんと突っぱねるからよ。だから頼むよ」
と、ウオレヴィも頑なに自身が行くことを主張し続け、結局、長老会が折れる形となった。実際問題、使者を送って戻して、また送ってと言うのは非効率的であるし、危険である。と言うのが一番の理由である。
そして三日後、結界を張りなおす前にウオレヴィは街を出て行く事になった。結界が張られる町境には剣士隊の面々が集まっていた。
その中の一人、スラリとした長身の、優し気な印象を受ける美青年が、荷物を纏めたウオレヴィに話しかける。
「忘れ物はございませんか?」
「ああ。森から出た所にある人の町に行くから、まぁ、最悪は戻ってこれるしな。問題はねぇだろうよ」
「そうですか、でしたら良いですが。ああ、行く目的も忘れていませんね?」
青年はウオレヴィに対して、初めてのお使いに行く子供を心配するような雰囲気で質問を投げかけてくる。
「あのなぁ……お前は少し俺を信用しなさすぎだ。副隊長だろ? 隊長を信じろよ!」
イラだったように抗議するウオレヴィだが、それに青年は困ったような表情で返す。
「そう言われましても、普段が普段ですからね」
「むぅ……そう言われると何も言えんな。とにかく、大丈夫だ。問題ない。そんじゃお前ら。後は任したぜ」
この流れは小言が続く。そう雰囲気と経験で予想したウオレヴィは、副隊長との会話を打ち切った。それに対して、副隊長は目を伏せ軽いため息をつく。
「任されました。隊長こそ、お体にお気をつけて」
「ああ、お前こそ俺が居ない間ちゃんと纏めといてくれよ?」
「ははっ大丈夫ですよ。元々、演習以外は基本的に私が纏めていましたから」
「言いやがるなこいつ……しかし、実際そうだから何も言えんな。よし、じゃあ行ってくる」
「はい、いってらっしゃいませ」
そうやって剣士隊の面々に見送られながら、ウオレヴィは街境を跨ぐ。そこで振り返れば、結界を張り直したのであろう。街の風景が歪み渦を巻くように変化し、最後には周りの風景と同じになり、ここにハイエルフの街があるとは見えなくなった。それを確認してから、ウオレヴィは森の近くにあると言われている人間の町、フォレストサイドに向けて出発した。