第2.5話 エルフの悪夢
私は、アリサ・アルデンスタム。ハイエルフ族のしがない町娘だ。
そして、今私は五十六年の人生の中で一番の危機に陥っている。すべての始まりは、近々結婚する姉のため、森に生息しているタイクーン・ピジョンと呼ばれる、巨大な鳩のモンスターの冠羽を取ってこようとした事だ。
なぜ、そんな物を取ってこようとしたのかと言うと、この冠羽を持って結婚した女性は夫婦仲が良くなり、幸せな結婚生活を送れるという祝福がかかっている。と、されているためだ。
タイクーン・ピジョンは繁殖期を除き、この森では珍しい危害を加えなければ大人しいただ巨大すぎるだけの鳥なので、取る物を取ってすぐに戻れば何の危険は無い。
しかし、当然ではあるがそんな巨鳥を街の中で飼っている訳も無く、飼える訳でも無い。なので、街から出てモンスターや人から隠れるために張ってある結界から出なくてはならない。
そして、結界から出るには何か用事が無ければいけない。だから私は、授業で使う薬草等を森で採取する作業が出るのを待った。授業用の保管箱に入っている薬草の残量から言って、少なくとも近日中にその作業をしないといけないはずだからだ。
そして今日、先生から友人がその作業を頼まれていた。丁度友人はその日用事が有り、一日仕事の採取作業に行くのが嫌そうだったので、これ幸いと私は明日の掃除当番と採取作業を変わってもらった。
授業が終わった後、私は街の外に出る準備をして、街外れにある結界関所に外出許可を取りに行った。
「すみません、採取作業のために結界外に出たいのですが、結界証を貸してもらえませんか?」
と、結界関所の受付カウンターで声かけると、奥から鎧を着た兵士が出てきた。
「はい、外出ですね。採取作業ということは、一日くらいで大丈夫でしょうか?」
と、がさがさとカウンターの裏にある棚を探りながら聞いてきたので
「あー……結界証は二日にしてもらえないでしょうか? あと、授業で使う薬草とコア・セコイアの葉を採取するので、ディメンションバッグも貸していただきたいのですが」
「はい、分かりました。では、ここにお名前と外出理由を書いてくださいね」
そう言って渡してきた紙の記入欄に必要事項を書き込み返すと、兵士はディメンションバッグと結界証を渡してくれた。
「では、結界証の注意事項を説明します。まず、結界証を持っていれば結界に自由に出入りできます。しかし、決めていた期限を過ぎてしまうと、結界証を持っていても結界内には入れなくなってしまうのでご注意ください。次に、期限内に戻って来られない場合ですが、期限を過ぎた時点で、救援隊を派遣致します。その際、その結界証についている魔石の魔力を頼りに探しに行きますので、決して結界証を無くさないようにしてください」
そう言って兵士は微笑んでいた、視線は胸に向かっていたが。
「はいわかりました、親切にありがとうございます」
「では、お気をつけて」
そう挨拶をして、私は結界関所から出て、そのまま外にでる道を進んでいった。途中、訓練している兵達が、こちらを見ながらニヤニヤしていたので睨んでやった。
しかし、兵士には意味が無かったのだろう。それよりも、こちらを向いた! 等と言いながら騒いでいた。
(なんで、兵士になる人は下品な人ばかりなんだろうなぁ。いや、でも義兄さんはそんな風ではないしなぁ……)
と、考えながら私は結界から出て森へ出発していった
結界を出たのは昼頃だったが、夕方には必要な薬草とコア・セコイアの葉は手に入れることができた。しかし、タイクーン・ピジョンの冠羽は未だ手に入れていなかった。
そろそろ日が暮れる。最悪、ドライアド達に頼んで野宿しようと思っていた時、丁度良く近くのコア・セコイアの枝に止まっているタイクーン・ピジョンを見つけることができた。
刺激しないように、幻影魔法と麻酔魔法を使って、こちらの存在に気が付かせないよう手際よく冠羽を取る。その後もまた、気が付かれないようにその場から静かに離脱した。
そして離脱した後、そのまま急いで街に帰れば良かったのだ。しかし、そうしなかったため、私は出会ってしまったのだ。悪夢の化身と。
(あの薬草はあそこ、あの薬草はあそこ……うーん、やっぱりこれだとタイクーン・ピジョンを見つけるのに……最悪、日をまたいで行動しないといけないかなぁ?)
街を出た時私は、こう考えていたので、何事も無く予定よりも早く必要な物と、欲しかった物を手に入れて浮かれていた。
(別に何か急ぎの用事も無いし、ゆっくり帰ろう。でも時間に余裕ができたなぁ。何しようか?)
等と、考え事をしながらゆっくりと飛んでいたもう少ししたら、そろそろ結界が見えてくるかもしれない。そんな距離の所に差し掛かった時だ。
突然、何か恐ろしい気配を真後ろから感じた。それが、あまりにも強烈だったため、思わず私は振り向いた。振り向いてしまった。
(なに……これ)
そこには真っ黒な甲殻魔虫が居た。普通の甲殻魔虫なら何度か撃退、もしくは撃破した事もある。だが、これは違った。この森に生息するビートル系の甲殻魔虫と同じ位のサイズなのに、及びも付かないほどの威圧感を放つ存在だった。
あまりの威圧感に、意識が飛びかけた。実際、その場で一瞬止まってしまった。しかし、生存本能なのか、意志の力なのか、恐らくは両方であろうが、私は必死で意識をつなぎとめ、学校で習った事を思い出し、即座に行動に移した。
『もし、森でモンスターと出会った時は、自分が使える魔法の中でも一番慣れている火か雷の魔法を使うのです。うまくいけば、それで倒せるかもしれません。倒せないでも、目潰しになります。特に、甲殻魔虫は魔法に弱いので決して諦めずに魔法を使って逃げてください』
「倒せなくても目潰しになる。甲殻魔虫は魔法に弱い。倒せなくても目潰しになる。甲殻魔虫は魔法に弱い」
思い出したことを呟きながら、目の前の真っ黒なビートルに向かって、私は一番慣れている雷の魔法を詠唱し打ち込んだ。
「食らえ!!」
私のかざした手のひらから<閃光の槍>が飛ぶ。そして、それは間違いなく目の前のビートルに当たった。
私が放つこの魔法は、この森に生息している甲殻魔虫なら大体一発で倒せるほどの威力がある。ビートル系の甲殻魔虫であるカオス・ビートルなら三発で倒せた。エンペラー・ビートルなら倒せないが、それでも一時的な行動不能状態にはできた。
そんな、皆に自慢していた魔法だった。先生も、師匠も褒めてくれた魔法だった。
だからこそ、自信を持って撃てる魔法だった。だから、これで少しは足止めできたと考え逃げた。
だけど、魔法を当てたはずの真っ黒なビートルは、ダメージを負った様子もなく追いかけてきた。
(っ! 一発でダメな二発! それでもダメならもう一発!)
そう考え、おおよその狙いをつけ何度も<閃光の槍>を打ち込む。
だが、相手はスピードを落とすどころか、前羽を光らせてスピードを上げて追ってくる。
(あの緑の魔法光は……まさか<疾風の加護>!? モンスターが魔法を使う事があるのは知っているし見たことがあるけど、ビートル系が魔法を使うなんて聞いた事がない!)
そんな事を考えているうちにも<疾風の加護>を使った真っ黒なビートルは、どんどん加速し距離を詰めてくる。たまたま通り道に私が居るというわけではない。間違いなく私を狙っている。
(なんなのよ! 今日に限ってこんなことになるなんて! あと少し……あと少しで町なのよ! 助けて! 助けて、風の精霊王様!)
祈りが通じたのであろうか。私が甲殻魔虫に捕まるか、捕まらないかの距離で、私は町の結界の中に入ることができた。逃げる時のスピードそのままで突っ込んだため、結界を越え、訓練場の前の道を飛び越え、結界関所の前まで飛んできたところで、地面に降りようやく止まれた。
「助かった……の? 逃げ切れたの……? 私……」
私は、恐怖と普段使わない力。それと、恐ろしい存在から逃げ切れた安心感のせいで、その場にへたり込み、思わず両手で自身を掻き抱いた。
(いつまでもへたりこんでいても駄目。それより、危険なモンスターが現れたことを報告しなくちゃ)
震える足を叱咤し、立ち上がって街へ行こうとした。
すると、真後ろ、今しがた私が抜けてきた結界の方から、布を裂くような音がした。
嫌な予感がした。いや、それはもはや予感というよりも確信だった。
私は、恐る恐る後ろを振り返った。私の予感が勘違いでありますように。そう、願いながら振り返った。
しかし、奴はいた。あの真っ黒な甲殻魔虫が。どうやら、奴は結界を破ることができるようだ。もはや、叫ぶ気力すら無かった。自分の残っている体力と、奴との距離を考えて、私は諦めた。
(ここで奴に殺されちゃうんだ……)
と、全てを諦めてしまった。しかし、私が諦めの気持ちに支配され、死を覚悟した時。
「おい、アリサ! しっかりしろ! 今からあの甲殻魔虫を追い出すからここから逃げろ!」
そう、私を立ち上がらせながら、幼馴染で兵士になったアルベルト・ローゼンブラドが言った。
周りを見ると、結界関所から出てきた、結界防衛隊の弓隊と術師隊が、陣を展開させている所のようだった。
「あんた……なんでここにいるの?」
そう、私は震えながら聞いた。
「お前、寝ぼけてるのか? 結界防衛隊に入った奴が、ここに居たらおかしいのかよ」
すると、昔から何度も見た事のある、いつも通りの人を小ばかにしたような笑みを浮かべながらアルベルトは言った。
「多分、ここはもうじき戦場になる。だから、兵士じゃないお前は町に戻って避難所にでも行ってな、怪我したくないならな」
そう言って、彼は私の背中を押してくれた。そのときの彼の顔はいつもの様なにやけ顔じゃなくて、覚悟を決めた兵士の顔であった。私は思わず。
「死なないでね」
と、震えた声で言うと、彼はいつもの調子で甲殻魔虫の方を向きながら。
「死なねーよ」
と、短く言った。そして、そのまま陣形を組んでいる兵士達の方へ走って行ってしまった。気がついたら、私の体の震えは止まっていた。そして、そのまま私は町に向かって走った。彼がきっと守ってくれると信じて。
説明に次ぐ説明