第14話 夢と制約
火山から砦まで戻ってきた日、自分はそのまま馬小屋へ行き、休む事にした。
(いやはや、今回、本当に死にかけた……のかもしれない)
威力こそ段違いではあるが、もしかしたら、ハイエルフの集中砲火の時のように、余裕で耐え切れたのかもしれない。が、仮に耐える事が出来なかったとしたら……。
まぁもしもは置いておこう。何にしても問題は、自分が完全に己の力に慢心していた事だ。
たしかに、長老樹様に『おぬしイカレとるの』と言わしめた背中からのビームを使えば問題はないのだろう。実際、使うか? とも思った。
だが、長老樹様曰く、あの力は歪みを作る方法……らしい。その上、なんでもあのビームは、自分が魔力で力任せに起こす事が出来る物の中でも、飛び切りヤバイらしい。
世界の歪みなんて物、混沌の大樹海では感じなかったし、見たことも無かった。それどころか歪めている、そんな自覚も無かった。
だから、押し負けた時、本当に迷った。しかし『別に使っても良いが、後始末はしっかりの? ワシは何が出てもしらんぞ? だから、それよりも魔法を覚えるんじゃ』
という言葉を思い出した。何が出ても……もし、ビームを撃って歪みが発生したとして、何が出るか分からないから……例えば、そこから自分が撃てる魔法ではどうしようもないのが出てきた場合だ。
そうなったらそれに対して、又ビームを撃って倒すしかないだろう。しかし、そんな対応をしたらまたそこから似たような物が……と、キリが無い。まさしく、無限ループになってしまうだろう。
だからと言ってもしもを考え、それを守って死ぬのも嫌だ。でも、尻拭いはちゃんと自分でしないといけない。
(おぉ……うーん、面倒くさい。取り敢えず、慢心は駄目だ。雷撃って~? 突撃~、必勝~? みたいな~? のような、相手を舐めた行動は金輪際止めだ。ビームも、それこそ場合によっては使う事にしよう。それで何か出たらそれはそれだ、そこで考えよう。最悪の場合なんて考えだしたら、きりが無い。どうやってそれを回避するか? を考えた方がマシだ。何にしても、今は休もう……考えるのは、起きてからだ)
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間違いなく自分は寝た。にも拘らず、なんだか白い空間に居た。
(またか……まぁ、なんとなくそんな気はしていた。しかし、今回はなんだ? 視界から考えてカブトムシの状態ではない。それに、視線は動かせないようだ……記憶が戻った感じもしない)
「おいおい、なんでそこで言うことを聞くんだよ」
「えーまじでか? 俺ならそうはならんわ」
「もっと、考えて! くっそ、どうにもならないな」
「ころんじゃだめよ、あれ? 普通に言いやがったこいつ」
どう言う状況だろうか? どこからともなく声が聞こえてくる。
「ん? おお、おまえか、どうよ?」
(なんだ、この声は?)
正体不明の声がどこからともなく聞こえてくる。もしかすると、自分の後ろに居たりするのかもしれないが、視線を動かす事もできないので、確認しようがない。
「分からない? 分からないかー……なら仕方ないな、俺は俺だ」
なおも声は俺は俺だ、と、謎の主張を繰り返す。結局のところ正体を明かす気は無いようだ。
「まぁそのうち分かるさ、そのうちな、分かったらどうなるか分からないがな、分かるのかも分からないがな」
意味が通っているような、通って居ないような意味の分からない事を言い出す。
(もしかして、神さまだったりするのか?)
「おいおい、そんな面白い存在なわけがないだろう? もっと考えてみようぜ」
今まで一方的に話しかけてきているようだったが、自分が考えた事に反応された。どうやら考えた事を読み取れるようだ。そして、神様とかではないそうだ。そうなると。
(じゃあ……前世の自分、とかどうですか?)
「お! 分かってるじゃん。なら、話は早いのか? とは言っても、俺も全然知らないんだけどな。ちなみに、なんでそう思った?」
どうやら正解だったようだ。同時に姿が見えないのも少し納得できた。と言うより、当然と言えば当然なのだろう。つまりは相手は死人なのだから。
(いえ、何となくですよ。神様じゃないのに自分の中? に居るとなるなら、ソレくらいかな? と思いまして)
「何となくね……なるほどなぁ、記憶はその人を作ってるものだしな。それに、今のお前は心は人間で体はカブトムシだもんなぁ。なんだか変な動きや、考えになるのはそういうことなのかね? まぁ何でもいいな」
(さぁ? そう言われても、自分は自分の思ったように動いているだけですし)
「思ったように動いてる、ねぇ……。まぁ、あんな綺麗な姉ちゃんが目の前に居るのに、何かしらよからぬ事をしない。その時点で、俺とは違うんだろうな……」
(で、結局あなたは自分でいいんですか?)
「そうだな……そうだし、そうじゃないし、よくわからないな。でも、確実に言えるのは神とか、そんな面白そうな存在じゃないぜ?」
突然、要領を得ない事を言い出す。自分自身の事が分からないわけが……自分がそうだった。
(はぁ……なんとなくわかったような。とにかく、今回ここに呼び出した理由は? さっきも言いましたが記憶が戻った感じもしませんし)
「いや、そんなこと言われても本当に知らないぜ? 大体、俺にお前をどうにかする力はそんなにない。精々、たまーに人間みたいな事? をさせてみる位か」
突然の衝撃の事実である。たまにやっていた、自分でもなぜやったかわからない行動は、この前世の自分とやらの仕業であったようだ。
(それ、結構重要なことですよね。さっき喚いてたのはそこですか?)
「そうだな、多分お前は今、カブトムシの心と、俺の心と、自分の心を持ってるようなもんだ。んで、メイン? っていうか基礎か? まぁお前自身の心なんだろう。けど、たまに俺がちょっかいかけたり、体であるカブトムシの心に引っ張られたりするんだろうな。そう考えたら、カブトムシの心っていうより、本能なのかもしれないがな」
(なるほど……と言うか、分からないって言った割りに詳しいですね)
「見てたからな。さっきも言ったが、たまに良く分からん言葉を口走ったりするのは、俺のせいだ」
(迷惑な……ん? そうなると、何時から自分はその三つの間でゆらゆら揺れていたんですか?)
「まぁ、ぶっちゃけて言うと、多分……最初からってやつだな」
(なるほど……とは言え、自分はずっと自分の意思で動いてたつもりので、なんとも言えませんが)
「難しく考えるな、記憶を取り戻すのが目的なんだろ? 取り戻したら分かるはずだ。多分な。どうなるかは分からないがな。先に言っとくが、脅しとか匂わせるとかじゃなくて、実際俺にも分からないんだよ」
(そんな前ふりみたいな……)
「前ふりじゃねぇよ。まぁ取り敢えず、だ。外、違うな。内か? どっちでもいいか。見てて思ったのは、もっと好きに生きりゃいいだろう? それだけの力も知恵もあるは……知恵はねぇか、知識は……まぁ俺と同じ知識だし、なのにそれに関する記憶は無いんだもんな。まぁ、なんだ? 精々頑張れ」
(なんで馬鹿にする感じで投げっぱなしなんです? いや、というか自分の中に居るのですから、自分がどうにかなったらどうするんですか? 言うなれば、一心同体でしょう?)
鼻で笑うような雰囲気が漂い、一瞬の沈黙。
「……すまんな。そうだな、長老樹の話しにあっただろ? 前世に縛られるなって、俺は多分それだ。しかも、多分、断片的な記憶から復元されただけの、残りカスみたいなものだ。何故か、お前の中に蘇ってしまっただけだ。正直に言うと、今のお前には何の関係もない存在だ」
(いやいや、それって結構重要ですよね? 自分の中にもう1人の僕が居るって、ほぼ二重人格なんじゃ……)
「そうはならないって言っただろ……ちょっかいはかけるが、そこまでだって……知識あるのに、これじゃ意味ねぇなぁ本当に……あーそうだ、記憶抜けてんのか……」
ため息が聞こえてきそうな声だ。だが、すぐに気を取り直したのか、軽くせき込んでから話し始めた。
「まぁ、いいか。そういや、なんで俺に敬語なんだ? というより大体の相手に対して敬語じゃないか?」
(いや、初対面だったら敬語のほうが……というより、あなたが自分なら知ってるんじゃ?)
「堂々巡りって面倒くさくね? まぁなんだ、死なない程度にがんばれ。俺も前世の事を知りたいし、全部記憶を取り戻せば分かるはずだよ」
(そうですか……じゃあ、わかった。じゃあな自分)
「まだ、じゃあなってほど記憶も戻ってないだろ。後、俺に対しても自分呼びかよ」
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そんな、会話をしたような変な夢を見た。
(なんだろうな、自分の中にもう一人……いや一人と一匹か、そんな物が居る。と、言われても実感は沸かないぞ?)
会話という形式を取ってたが、多分あれは現在の知識と記憶の齟齬、もしくは心が壊れかけていた……のかもしれない。それらの解消のためだろう。それ位しか思いつかない。
(そんなに精神が参る程のストレスを感じて……自分で思っている以上に馬小屋は嫌だったのか?)
とにかく、夢の事や、記憶の事、そして生きるための目的。それらの問題を解消するため。取り敢えず、ユーナさんと会話をしなければならない。
そして、そのためにはもう、翻訳魔法を使うしかない。ユーナさんなら死にはしないはずだ……
(死にはしないよね? いやでも、少し不安だ……。やってから考えるのもありだ。でもそれはユーナさんが死ぬのは確定みたいなものかもだし……うーん)
とにかく、何をするにしても、ユーナさんに会わないといけない。しかし、自分が勝手に動き回ったら……いや、夢の中で言われたことを思い出すんだ。
そもそも、自分はなんの為に人間の群れ、人間の街に入ったんだ? その時(最悪、逃げだしたらいいや)とか考えてなかったか?
(よし、初心を思い出せ。ヤバそうな敵からは逃げる、自分は自由なカブトムシ! やる事思いつかないから、取り敢えず、前世の記憶を取り戻す。そのために必要なのは、前世と似ている種族の人間になる方法だ)
しかし、今回の夢を考えると思ったより、魂の大きさによる記憶の回復の方が早い気もする。だが、一番気になる事だけ思い出せない、なんて事にもなりうるかもしれない。
実際、長老樹様は本当に全部思い出しているのかも怪しい。下手をすれば、実はもうボケてて、思い出してるつもりなだけ、なのかもしれない。
(取り敢えず、何かの役に立つかもしれないし、人になる方法を探すのは探そう)
見つかったら良いや、的な軽さで行けば良い。よし、頭も回りだした、何だか気持ちも軽くなった。考えが纏まったので、馬小屋の外に出ると、夜だった。
(よし、よしよし……なんで?)
自分は夕方頃に帰ってきてそのまま寝た。ここまでは良い。じゃあ、これはどういうことだ? 考えられるのは、少ししか寝てないのと、寝すぎって事だろう。だが、体感的には次の日の朝まで寝ていた感覚である。
(となると……やっぱり寝すぎだろうか? 思ったより疲れて……それもあるけど、多分「俺」と会話してたから? まぁいいか、それよりもどれ位寝てたのだろうか? 流石に長くとも二、三日位だと思うけど。
「あら、あんた目覚めたの?」
そんな声が、馬小屋の入り口から聞こえた。みればそこには湖の精霊。リネルが立っていた。
「ああ、えーっと、おはよう、リネル」
「こんばんは、よ。あら? 何か雰囲気変わった?」
そんな事を言ってくるので、もしかして体の形が変わったのかと思い、角や脚の先端部をみてみるが形状が変わっている感じはしない。
「いや、何も変わらないはずだけど」
「そう、まぁいいわ。それにしてもあんた、長い間寝てたわね」
「長い間? 自分はどれくらい寝ていたんだ?」
長いの部分に妙に貯めを作って言うリネルに、何だか嫌な予感がする。
「そうねー、帰ってきて馬小屋に入って……二週間ちょっとってとこかしら?」
想像以上に自分は寝ていた……いや、二週間もだと、寝ていた。と言うより、寝込んでいたの方が正しいだろう。
「本当に? 思った以上に寝ていたんだなぁ……精々二日か三日くらいかと思ってた」
「そんな訳無いじゃない。そう言えば凄かったわよ、人間たちが。もう、入れ代わり立ち代わり」
「自分が寝ている間に、何かされてたのか?」
「そうねぇ……たしか、最初の数日は、女がアンタの前で踊り狂っていたわ。そのうち、触ったりして生死確認かしら? をして、最後はあんたに縋り付いて泣いていたわ。その後は、毎朝晩にあんたの所に来て話しかけながら体を触っていたわね」
おそらくユーナさんだろう。踊り狂っていたとは、そうとう焦っていたんだろうな。
「次に、一週間前の朝かしらね、赤い鎧を着た人間は何かあんたに言っていたわね。何を言ってるのか、私には分からなかったんだけど、最後は何か怒鳴っていたわ」
アランさんだろうか? 何を言ってきていたんだろうか? しかし、寝ている相手にも怒鳴るとは……いや、何もせずに寝てるだけだから純粋に怒っただけか?
「そして、そいつを見なくなってから……そうね、六日前の事ね。昼頃に、顔に毛を沢山生やした人間が、なんだか気持ち悪い笑みを浮かべた男と一緒に来てたわ。終始あんたの事を、値踏みするように見ながら、話し合っていたわよ」
髭ダルマと、最後は知らない奴だな。一体何をしにきたんだろうか? 値踏みという事を考えれば自分を解体でもしようとしていたのだろうか? 何にしても、今考えても仕方ない事ばかりのようだ。
「良く、そんなに細かく覚えてたな……まぁ何となく分かった、ありがとう。そうだ、リネルに聞きたいことがあるんだけど」
「なに? 人間になる方法は知らないわよ?」
「ああ、それじゃなくて、翻訳魔法って知ってる?」
「翻訳魔法? 知らないわね。どんな魔法なの?」
「術者の知っている言語を、かけた相手に全て理解させる。っていう効果の魔法なんだけど、耐性があれば耐えられるらいんだけどね。肝心の耐性が何に対しての耐性なのか聞きそびれてさ。知ってるかな? と思ったんだよ」
自分がそう言うと、突然リネルは難しい顔になった。
「それ……誰に教えて貰ったの? あとそれ付与に似てる。とか、言われてなかった?」
そう言いながら、段々と険しい目つきになるリネル。どうみても怒っている。
(何か悪い事でも言ったか?)
思わず、自分はそう考えて身構える。
「たしかに、似てるって言っていた……気もする」
「はぁ……私の予想が正しければ、相手に自身の魔力を送り込んで知識を無理やり転写する方法よ。だから、耐性ってのはきっと魔力に対する耐性ね。しかも、魔法って言ってるけど魔力の力技ね。下手すれば色々歪むわ。もっと言うと、既に禁止されてる方法ね、とは言え精霊王様とかじゃないと使えないからあんまり……って、ちょっとまって。もしかしてあんた、その方法を知ってて聞いてくるって事は、精霊王様と同じくらい魔力もっていたりするの?」
「あー……持ってるらしい。それでも、持ってるだけで使いこなせてはいないんだけどな」
それを聞いてリネルは天を仰いだ後、呆れたような表情で自分に向き直る。
「多いなぁとは思ったけど、まさかね。それにしてもなんで、こんなのを長老樹様とやらは森から出したのかしら……世界が邪精霊だらけになっても良い。とでも思ってるの?」
言いたくなる気持ちも分からないでもないのだが、それにしたってもう少し言い方があるだろうと思う。なんだかんだと言ってもお世話にはなった長老樹様が悪く言われれば少しは気が悪くなる。
「いや、流石にそこまでは思ってないはずだ。自分も、使うときはちゃんと考えろ。と言うか、あんまり使うな? と、言われたから」
「そういう問題じゃ……もういいわ、で? そんな物騒な方法をどうして私にきいたの?」
「いや、さっき言ってた人間の女、ユーナさんって言うんだけど、その人間に翻訳魔法をかけてしまおうかな? と思って。できれば、死なない方が後も楽だし、それに心情的に死んでほしくないのがあるからさ。多分大丈夫だとは思ってるんだけど、長老樹様の失敗を聞いて、実際、大丈夫かな? と思って」
そう聞くと、リネルは呆れたように大きくため息をつき、半目になりながら自分の方を向いた。
「精霊語を覚えさせる量の魔力ね。そんなのを受けたら、人間なんてひとたまりもないわ。死ぬわ、確実に。それこそ、頭から破裂するんじゃないかしら? 耐えた人間がいるらしいけど、それはきっとその人間の魔力容量が多くて、かつ魔力を殆ど使い切ってたとかじゃないかしら」
言外に使うなよ。とリネルが言っているが、自分は諦めない。
「つまり……魔力を使い切っていれば使っても死なない?」
「どうあっても使う気なの? 知らないわよ? 大体混沌の大樹海でしょ? 私は行ったことが無いし行けないけど、話くらいはちょっとは知ってるわ。そんなところに人間が行くとなるなら、道中襲われる事を考えたら、それなり以上の魔力量を持たないとどうにもならないでしょ。そうなると容量は当然多いでしょうね。その上で、それを空にして長老樹様とやらに会う事になるとおもうんだけど? で、そんな事になっていないユーナさんとやらは耐えられると思う?」
考えてみる。恐らくユーナさんは魔法等は使えない。もしくは使えてもそんなにって程度であろう。使えるなら、盗賊頭やあのドラゴンとの戦いで使っているはずだ。つまり、容量とやらは並み、もしくは低い可能性がある。
「やっぱり死ぬか……じゃあこれ、そこらの適当な人間に使えない魔法じゃないか……。長老樹様、一体何を考えてこれを自分に教えたんだよ……あ、少しくらい精霊語が話せたらいける。とかかない?」
ふと耐性の一因を思い出して聞いてみれば、リネルはふむと考え込む。
「ん……それは……どうかしらね? 必要な知識が減るから、かかる魔力は減るはずだけど……少しってどれ位?」
リネルは腕を組み、手の甲に顎を乗せ、いかにも思案している風な姿勢で聞いてきた。
「片言で話せる位」
唸りながら腕を組み空を見上げる。そして、結論が出たのか自分の方を見る。
「微妙ねぇ。片言の理由が、理解しているけど発音の問題で話せないならいけるかしら? どの程度理解しているのか知らないし、そんな人間に使った所を見た事が無いから、何ともいえないけど、本当にギリギリ生き残れるって位かしら? 逆に、精霊語を理解してないから片言になるとかなら即死ね。多分」
どちらにしたって賭けになるようだ。賭けられるのはユーナさんの命ではあるが。
「そうか……まぁいいか、最悪逃げよう。現状どうにもならない状態だし、使おうと思う」
自分がそう言うと、ため息をつきながらリネルはその場に崩れ落ちる。そして、ふらふらと立ち上がってから、自分の方へ向き直って再度盛大にため息をついた。
「あのねぇ……禁止されてるって言ったじゃない。それに、私の近くで使わないでよ? 歪んで邪精霊なんかになりたくないもの」
「じゃあ、ちょっとの間この砦には近づかないようにしてくれない? 自分勝手な事だけど」
「じゃあ私は精霊王様に言いつけるわよ?」
「それは困るな……内緒にしておいてくれない?」
「嫌よ、それで何かあって怒られたりするの、私なのよ?」
「そうか、でも……うーん。もし、もしもさ、自分がその禁止された翻訳魔法を使った場合、どうなる?」
「まぁ普通に、私が水の精霊王様にお伝えするわね。そうなると、その後は危険分子指定されて、そのまま処分かしら? あ、そんなふうに指定されちゃったら、あなたもう精霊と話すのも無理になるわよ? 皆逃げちゃうでしょうし、私も逃げるわ」
「なるほど、自分ちょっと混沌の大樹海に帰って長老樹様を刺してきて良いかな? 多分、許されると思うんだ。普通に考えて、使っちゃダメなの知ってるでしょうに……。だめだ、長老樹様の言っていた事がどんどん信用できなくなっていく……」
そこでふと思い出す。自分が精霊語を使えるようになった理由を。
「ん……ちょっと待て? 長老樹様、自分に使ったんだけど大丈夫? その……危険分子指定みたいなの? かかって……ないからサンドラ達が居るのか。なんでだ?」
翻訳魔法が使っちゃいけない魔法なら、破裂させた誰かと自分にかけた分で、少なくとも長老樹様は二回以上この魔法を使っている事になる。
「ああ、それは大丈夫なんじゃないのかしら? 混沌の大樹海だけじゃないんだけど、人間たちが危険地帯って呼んでる所は、どっちかと言うと……私達精霊にとっては聖域? 違うわね……まぁいいわ、そんな感じの所なの。そこでは、歪みを作ってしまう程の魔力であっても、歪みを作る前に霧散させてくれるのよ。だから、禁止されてる方法って言っても、そういう土地なら使ってもいいのよ」
「なるほど、なら混沌の大樹海でならユーナさんに翻訳魔法をかけてもいいって事だな」
「いいけど、さっき言ってたリスクみたいなのは一切軽減されないわよ? 結果自体は多分どこでやっても一緒のはずだから」
つまり、どこでかけようが、ユーナさんが耐えきれなければ死ぬという未来は変わらないようだ。そうなると面倒くささが勝ってきた。
(うーん、更に面倒くさいけど、自分が共有語だったか? を使えるようになった方が早そうだな。失敗してユーナさんが死ぬことを考えたら)
少しの間悩み、結局自分はユーナさんに翻訳魔法をかけることを諦めた。
「分かった……取り敢えず、ユーナさんに翻訳魔法をかけるのは諦めるよ。いちいち行くのも面倒くさいし、何より、少しでも成功しない可能性があるならなおさらだ。それにしても、成功確率もだけど、特定の場所でしか使えない魔法か。どうなってるんだ、この魔法……じゃないのか、方法か……」
落ち込んでいれば、リネルが自分の顔を覗き込むような距離まで近づいてきて話しかけてきた。
「なに? そんなに人間と話したいの?」
「いや、話したいと言うか、もっと分かりやすく話せるようになった方が良い、と言うか……」
「なるほどねぇ……と言うか、そんなに人間と話しをしたいなら、人間の言葉を覚えた方が早いんじゃない?」
「そうなんだけどね……面倒くさいんだよ」
言っている自分でもわかるあんまりな理由に、リネルは呆れたような表情になる。
「ねぇ、ブリュー? ブリューって、ちょっとダメな子なの?」
更には哀れむような目で見られた。
「情けない事を言っているのは理解してるから、勘弁してくれ……」
自分もため息をつく。
(しかし、聖域か……まぁ精霊からすれば……ちょっと待て? 危険地帯は聖域? なら)
ふと思いついた事に軽い脱力感を覚えながらも、確認のためにリネルに質問する。
「……ちょっと待て、それなら少し気になる事がある。危険地帯なら歪める魔力の放出を使っても良い。これはあってるんだよね?」
「そうね。と言うかだからこそ、好き勝手自分の魔力で歪められるほど魔力量を持った奴らが集まっているのよ。だから、危険地帯なの。大体強いのはドラゴンって呼ばれるでっかい羽根付きトカゲとか蛇なんだけど、すごい魔力の塊をブレスっていう形で吐いてくるのよ」
どうやら思いついたこと、つまりあの火山で何も考えずにビームを撃っていれば良かった。という事を知って、完全に脱力する。
「なるほど……なるほど。つまり、自分は火山であんな苦労をせず、素直にビームを撃って良かったって事になるんだな……」
四肢……いや、六肢を投げ出しその場にへたり込んでしまう。
「あー……もう、なんだろう長老樹様やっぱ切り倒そうかな」
そう呟けば、慰めるような笑みを浮かべるリネルが目に入る。
「何となく察したわ、がんばりなさいな。取り敢えず、歪みが出来ない大丈夫な場所の判断方法とか教えて貰ってないでしょう? 判別方法教えましょうか?」
「是非お願いします」
いつまでもへたり込んでいるわけにもいかないので、脚に力を入れなおして立ち上がる。
「簡単よ、アンタがその角に纏ってる魔力の揺らぎがあるでしょ? それが無くなったら、そこは歪めるほどの力を使っても大丈夫な場所よ。大体、そんな量に魔力を調節してるから、知ってる物だと思ってたわ」
「ごめんなさい、知りませんでした。しかしなるほど、これにはそんな意味も……長老樹様が説明してなかった事って、致命的な事ばかりな気がする」
「そんな事私に言われても知らないわよ、あら? 誰か来るみたい」
そう言いながらリネルが砦の方を見て半透明になる。
「じゃあ私は帰るわ、もう一度言うけど、翻訳魔法はここで使っちゃダメよ」
「言われなくても使わないよ。それに、最低限の会話はできてるはずだし、面倒だけど共有語を覚える方向でゆっくりやっていくよ」
「そう、ならいいわ。じゃあまたね」
そう、去り際にくぎを刺すことを忘れずに、半透明のリネルは空間に溶けるように消えて行った。そして、入れ替わるように、ユーナさんが馬小屋に入ってきた。




