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幻想機譚 ウィドラス  作者: 永多 真澄
旧約・ウィドラス
3/3

旧ウィドラス総集編4

 レイフェンの街に非常事態を知らせるサイレンが鳴り響いていた頃。佐藤はアーリに伴われ、レイフェン駐留軍基地のとある研究施設に足を踏み入れていた。

「ターリブさん、なんだかえらく警報が鳴ってますが、こんなところで見学者の引率してて良いんですか?」

 いきなり実機に乗せてくれるというので大はしゃぎして彼の後を付いてきた佐藤であったが、途中で幾度と無く厳重なセキュリティゲートを通過したことから、果たしてここが本当にいち見学者に見せて良い施設なのかが不安になってきていたし、極め付けがこの警報である。

「ん、ああ。これはまずいかも知れんが…… 何、今日は非番だからな。気にするな。あと、私のことはアーリでいいぞ」

 アーリは、そうあっけらかんと言った。

「えぇぇ、そんなもんなんですか? ……まあいいか。それでアーリ隊長、ここはどこなんです?」

 いかんせん釈然としない思いを抱きながらも、それ以上の詮索をやめる。これは俗に言う暖簾に腕おし、糠に鎹と言ったやつだ。真面目に応える気はないのだろう。だから、とりあえず話題を変えることにした。

「ふむ、機密事項だ」

 アーリのあまりにも潔い即答っぷりに、こんどこそ佐藤はずっこけそうになった。

「き、機密事項って…… いや、なんとなく予想、というか予感はしてましたが、そんなとこに一般見学者を入れていいんですか?」

「まあまあ、落ち着きたまえ。私がこうして君を連れているというのが、答えだよ」

 ダメ元で尋ねてみるも、やはりというか、はぐらかされる。

「ニード・トゥ・ノウってやつですか?」

「まあ、そんな感じだ」

 わはは、とアーリが笑ったので、佐藤はこれ以降目的地まで口をつぐむことにした。


「ついたぞ」

 そういってアーリが止まったのは、無味乾燥としたドアの前だった。廊下のつくりとドアの間隔からして、それなりに大きな部屋につながっていることは見て取れた。

「へぇ、ここですか……『研究棟第1格納庫管制室』?」

 佐藤は、ドアの上に据えてあったプレートを読む。

「ああ。実機に乗せてやるといったろう? 少し待ちたまえ。今こちらの責任者に取次ぎを……」

 アーリは悪戯っぽい(ながらも獰猛な)笑みを見せ、ドア横に据えられたコンソールを操作しようとした、ちょうどそのときである。圧搾された空気が抜ける音がして眼前のドアが開くと、ひどく慌てた様子の白衣の研究者が躍り出てきたのだ。

「きゃあっ!?」

 アーリも佐藤も咄嗟に避けたのでぶつかりはしなかったが、逆に飛び出てきた研究者が驚いて派手にすっ転び、手にしていた書類を盛大にばら撒いた。

「だ、大丈夫か?」

 心配そうに声をかけ、散らばった書類を集める佐藤。転んだ研究者は、どうやら若い女性のようだった。

「す、すいません! とんだ失態を……」

「ああ、いいからいいから、気にしないで。それで君、ラボのスタッフだね? ファンシェ博士と約束があるのだが、話せそうかな?」

 アーリも書類集めを手伝いながら彼女を宥め、ついでというふうに聞く。

「あ、はい。博士は……」

「どうした、カジェレスヴァ君」

 その若い研究員が返答しようとしたところで、開けっ放しのドアからひょっこりと白髪の老人が顔を出した。先ほどの悲鳴を聞きつけたのだろう。

「おお、ちょうど良かった」

 その老人を見つけて、アーリは結果として手間が省けたとばかりに笑う。白髪の老人、ファンシェ博士も、アーリに気がついたようだ。

「これはアーリ殿。立ち話もなんです、どうぞ中へ。……カジェレスヴァ君、君はもう少し落ち着きたまえ。用があったのだろう?」

 博士はアーリたちを歓迎する意向を示すと、書類を集め終わって気まずさからか所在無さげに佇んでいた女性研究員にも声をかける。

「は、はいっ! 失礼致します!」

 女性研究員はそういって、せわしく走り去っていった。

「……また転びそうだなぁ」

 そんな彼女の後姿を眺めて、佐藤はそう感じずにはいられなかった。


「いやはや、お恥ずかしいところを見せてしまいましたな」

 管制室内の簡易応接キットに腰掛けて、そう切り出したのはファンシェ博士だった。髪も、顎に蓄えた髭も真っ白な老人だが、腰は少しも曲がっておらず、矍鑠とした印象を強く受ける。

「いやいや、元気な若者ではないですか。しかも、将来も有望だ」

 アーリはハハハと笑って、だされたコーヒーに口をつけた。

「ほう、確かにうちの若いののなかじゃあなかなか優秀なスタッフですが、どうやって気づかれましたかな」

「いえ、抱えていた書類と、走っていった方向から、ね」

「なるほど」

 末尾を濁してコーヒーに逃げたアーリに、ファンシェ博士は納得したようだった。ちなみに、佐藤はといえばチンプンカンプンなので、おとなしくコーヒーをすすることにした。

「ふむ、流石はレイフェンの黒剣と言ったところかね。なかなかの洞察力をお持ちのようだ。……して、彼が件の?」

 一通りアーリを褒めたファンシェ博士は、コーヒーを一口すすると佐藤に視線を向け、本題を切り出してきた。アーリは鷹揚に頷く。佐藤もどうやら話題が自分にかかわる事になったようなので、コーヒーを置いた。

「ええ。シミュレータログは転送しましたが、読んでいただけましたかな」

「もちろん読ませてもらった。だから君らをここに呼んだのだ」

 ファンシェ博士は当然だといわんばかりにコーヒーを口に運ぶ。

「博士の見解は?」

 アーリもコーヒーをすすりながら、問う。博士はコーヒーを置いて、難しい顔をした。

「うむ。確かに騎手適性の結果はいうまでもなく、過去に類を見ない数値をたたき出している。私は用兵は専門外だが、育てればいずれ伝説の英雄に比肩するような騎手になるだろう。世辞ではないぞ。だが、それがIFSとの親和性につながるかといえば、わからんというのが現状だ」

「というと」

「これまでの実験で、あらかた試したというのもある。この国で一番という魔術師から、長年魔導騎兵に乗り続けている熟練騎手(ベテラン)。王国随一の腕前を自負するような撃墜王(エース)にようやく魔導騎兵を動かせるようになった新兵(ルーキー)まで、試せるものは一通り試しているが、全てが失敗でな。統計のとりようが無いのだ」

「新たなサンプルケースと言う格好ですかな」

「そうなるな」

 そういって互いにコーヒーを含む2人。

「なーんか、非常に聞きたくないフレーズがバンバン出てきて絶賛不安増大中なんですが」

 引きつったような笑みを口の端に浮かべながら、佐藤もコーヒーを口にした。先程までよりも、濃さがましたように感じられていた。

「なに、心配することではないさ。実機に搭乗して、それを動かしてもらうだけだ。午前中に操作法は座学で説明したろう?」

「ええ、まあ。でもシミュレータでの操作もまだやってないのに、いきなり実機っていうのも今思えば急なんじゃないかなーって」

「わはは、問題は無いさ。やってやれないことは無い。……っと、お呼び出しだ。じゃあ、私はこれで失礼するよ。ではファンシェ博士、後は宜しく」

「ちょ」

「うむ、任せておけ」

 アーリの手首に巻いた腕時計のような機械が数回のコール音を響かせる。アーリは残ったコーヒーを一気に煽って踵を返すと、足早に管制室を去っていった。ファンシェ博士がしっかり頷く横で、佐藤はただただ呆気に取られていた。


「私だ。状況はどうなっている?」

 無機質な廊下を足早に進みながら、アーリは腕時計型通信機が投影する年若い男に聞いた。

『御存知かとは思いますが、エヴィロンスが出ました。こちらから打って出るより先に斥候は幻想機が片付けてくれたそうですが、本隊の転移までは手が回らないそうで』

「……幻想機が出てくれたか。しかし僥倖だったな。斥候を追って本隊に背後を強襲なんて間抜けは晒さずにすんだ訳だ」

『基地の観測員からも報告が上がってますよ。レイフェンより北西に30キロメートル、レラクル平原にてエヴィロンス十数体と幻想機2体の交戦を確認とのことです。ちなみに交戦開始より120秒で状況終了。もちろん幻想機の勝利でです。化物ですよ、まったく。鳥型と狼型ということですから……』

「フェンヴェールとレイフィールの幻想機か。さすが、伝説に残るだけのことはあるな。しかし、まさかレイフィールの幻想機までもが目覚めていたとは」

『え、ええ。上層部(うえ)のほうも、結構驚いてるみたいでしたよ』

 アーリは、通信ビジョン越しの部下が軽く引くほどの獰猛な笑みを見せた。噂にたがわぬ力を持つ幻想機、それが2体も現れてくれたとなれば、レイフェンの守りは磐石である。

「なるほど、状況はわかった。それと先ほど我等が第35騎兵部隊にも出撃任務が下った。隊の皆を集めておいてくれ」

『全員集まってますよ。後は隊長だけです』

 おどけたように言う部下の答えは、おおむねアーリの満足に足るものだったようだ。

「よろしい。それでこそ第35騎兵部隊(ブレーズブラック)だ。私もすぐに行く。準備はすませておけ」

『了解、お早いお着きを』

 そういって通信を切ると、アーリは歩くスピードを心なしか速めた。


(まあ、結局こうなるんだよなあ)

 せまっくるしい筐体につめこまれて、佐藤はひとつ息を吐く。言わずもがな、件の実験兵器のコクピットである。とはいえため息をついている割に、身の安全と夢にまで見た人型ロボットへの搭乗では、もはや天秤に掛けるまでも無かった。つくづく、佐藤はロボット馬鹿なのである。実際、今はもう不安よりも興奮のほうが大きいのだ。

『調子はどうかね。騎手鎧(パイロットスーツ)もありものだから若干違和感があるかも知れんが、なにぶん急でな。まあ、我慢してくれたまえ』

 耳の奥、直接聴覚に訴えかけるような奇妙な感覚と共に、格納庫が見渡せる管制室で指揮を執るファンシェ博士から通信が入った。

「上々じゃないですかね。あんまり違和感はありませんし」

 佐藤は自分が纏っている騎手鎧の軟質部分を摘んだりしながら応える。騎手鎧という字面からもっと厳めしい代物を想像していたのだが、渡されたのは全身タイツのような薄手の服とその上から装着するというプロテクター、後は頭部保護のためのヘルメットだった。もっとも見た目が全身タイツに似ているだけで伸縮性は申し分ないし、なにより丈夫である。ためしに思いっきり引っ張ってみたが、やぶれたり伸びたりだのの問題はなさそうだった。ばっちり目撃されて、職員に怒られたのは余談だ。

 その上から装着するプロテクターは、指で小突いた感触などは金属のようなのだが、まるで樹脂のように軽い。これが結構なパーツ数を誇っていて、全部装着するのに十数分を要したほどである。慣れれば2分で脱着出来ると着付けを手伝ってくれた研究員が笑っていたが、慣れるまでには結構時間がかかりそうである。

 さて、そんなこんなでプロテクターを着け終われば、騎士鎧とまでは行かなくとも結構ごつい風体になる。正直鏡を見る分には全然動けなさそうなデザインなのだが、意外なほど関節の動きはスムーズであった。まあ、これで精密操作をこなす必要があるのだから、当然といえば当然か。

 最後にヘルメット。バイク等の普通のフルフェイスヘルメットに比べ、後頭部が突出しているのが特徴だろうか。右側頭部には小型のライトが取り付けてあり、左側の同じ位置には集音装置が取り付けてあった。額の部分、武者鎧で言うところの真向の部分にはプロテクターと同質の装甲が施してあり、思い切り頭をぶつけても何とかなりそうな安心感がある。バイザーは青みがかった黒色で、半透明。下ろしてしまうと、そこそこ周囲が見えにくくなる感じだ。

 これらをあわせて1セットで、騎手(パイロット)への負担を軽減すると共に魔導騎兵の操縦桿を兼ねる騎手鎧(パイロットスーツ)と呼称されている。ちなみに佐藤に渡されたのは黄色地に黒のラインの入ったカラーリングと、いかにもな実験用カラーであった。

『ふむ、実験開始まではまだ間があるが、何か質問したいことはあるかね? 応えられる範囲で応えよう』

 佐藤のバイタルデータは管制室のほうで逐一チェックされている。それは佐藤が現在極度の興奮状態にあることを示していたので、緊張をほぐすためにも博士は声をかけたのだ。作業の片手間ではあったが、それを惜しんで実験に失敗すれば、言い訳にもならない。やれることはやっておきたい。潰せる問題は、可能な限り潰しておきたいというのが博士の、いやスタッフ一同の思いである。

「あー、まあいろいろあるんですが、まずひとついいですか?」

『何かね』

「さっきから警報が鳴り響いてるんですけど、避難とかしなくて大丈夫なんですかね? なんか結構やばそうな雰囲気が……」

『ああ、エヴィロンスが出現したそうだ。基地の魔導騎兵部隊が先ほど出撃したよ』

「えーと、それって結構やばい状況なんじゃ……」

 落ち着き払って応えるファンシェ博士に冷や汗をにじませながら、佐藤はバイザーを下ろすと顔が?けないな、と軽く現実逃避をした。

『心配せずとも、ここの守りは市民用の防御シェルターよりよっぽど強固だ。ここまで踏み込まれるようなら、もはやどこに逃げても同じだよ』

「なるほど。だから皆さん冷静なんですね」

 聞いて、一安心。とりあえずの安全は確保されているとのことで、佐藤も胸をなでおろす。

「あー、それと。さっきからあそこに妙にそわそわした研究者っぽくない白衣の集団がいるんですが。彼らは……」

『ああ、あれはいざというときの医療スタッフだ。たとえ死ぬ一歩手前でも確実にこっち側に引き戻してくれる優秀なスタッフだから、安心して良い』

「はははー、そいつは安心だ」

 佐藤は引きつった笑みを返して、あまりそのことは考えないことにする。どれだけ失敗したのかは知らないが、出番を待ち構えているような白衣の集団から意図的に視線を逸らした。いざということが起こらないことを願うばかりである。

「き、気を取り直して。次の質問いいですか?」

『構わんよ。続けたまえ』

 不安を払拭するためにも、佐藤は先ほどから気になっていた疑問をぶつけてみる。

「さっきから気にはなっていたんですが、結構広いんですね、コクピットって。なんていうか、外からの見た目以上に」

 佐藤が今座しているコクピットは、様々な計器や電子機器、よくわからない文様の刻まれた機材にコンソール類やサブモニターなどがひしめき合い、人の入れるスペースはせいぜいシートひとつぶんという非常にせせこましい空間ではある。あるが、それでも身長8m程度の人型の胸に収めるには些か大きすぎる。

『ふむ、良いところに気がついたな。現行の魔導騎兵は、コクピット周りは空間圧縮を掛けて見かけ上の空間を拡張しているのだよ。魔法の一種だと思ってくれれば良い』

 かくに、魔法というのは便利である。そこで佐藤は、ふと気がついた。

「あれ、じゃあもしかして、魔法の効果が切れるとコクピットごとグシャっとなっちゃうわけですか?」

『まあ、そうなるな。だが、安心したまえ。古い話になるが、初期の魔導騎兵ではそういった空間断裂事故が多発してな、流石にこれでは実用に耐えんということで、現在に至るまで様々な試行錯誤がなされている。現行の魔導騎兵は永続空間圧縮の碑文が刻んであるコクピットフレームをはじめ、コクピット内にも補助空間圧縮機、コクピットと主機の隔壁にも圧縮碑文を刻んである。魔力は大気中から自然供給で賄えるほどには省エネだ。このどれかが損傷してもほかが生きておれば問題ないし、まあこれら全部が損傷するようなことがあれば圧縮魔法が解ける前に死んでいるよ』

「なるほど、じゃあそこら辺は気にしなくていいって事ですか」

 そういわれて、佐藤は人心地ついた思いだった。敵にやられる前に事故で死ぬというのもまあ結構ありがちな展開ではあるが、その轍をわざわざ踏むのは遠慮したい。

 そして先ほどの博士の言葉にひとつ思うところがあったので、ついでとばかりに聞いておくことにした。

「そういえば、今『魔力は大気中から自然供給』って仰いましたけど、魔力ってそんなにありふれてるもんなんですか?」

 佐藤らの常識からは外れた、この世界の大きな理のひとつが、魔力である。魔術師はこれを操って魔法を繰り出すし、魔法をつかえない一般の人々も電源呪符などの副産物の恩恵を受けている。

『……難しいことを聞くな。私は「使う」側の専門家ではあるが、「そのもの」についての専門家ではないのでな、詳しい説明は出来んが』

「あ、構いませんよ。あんまり詳しく説明されても理解できそうに無いですし」

『ふむ、端的に言えば、魔力は生命のエネルギーということになる。それはこの世界が「生きて」いる以上、そこらじゅうに溢れている。性質から言えば、電気に近しい。というか、電気との変換効率がことさらに高いのだ。君も電源呪符は知っているだろう。あれはその最たる結果だ』

 博士の話が真実であるなら、魔法の存在しない元の世界はすでに死んでいるということなのだろうか、と佐藤は思ったが、それよりも後半の電気との近似性の話に興味が湧いた。

「なるほど電気に近い、ですか。微妙に納得できそうなのが怖いですね。人が筋肉を動かすのに電気信号使ってるのは知ってますけど、つまり魔力っていうのは世界が世界を動かすために発してる電気信号みたいなもんってことですかね?」

 佐藤は高校のときに行った生物の実験を思い出す。蛙の腿に電極を差して、その反応を観察した実験だ。

 佐藤のたとえに、通信越しのファンシェ博士は少し驚いたような顔をした。

『ああ、大雑把に言えば、私はそう思っているよ。魔法学者連中はもっと深く切り込んだ研究をしているだろうが、生憎私は科学者でね。そこらじゅうにありふれている魔力の効率的な使い方に重きを置いて研究してきた身だ』

「はぁ、なんだかわかったようなわけわかんなくなったような……」

『魔力についてはまだ解明されていない事実のほうが多くてね。あまり踏み込んだ話は私には出来ん。……さて、そろそろ時間だ』

 博士はそういって魔力談義を切り上げると、本格的に仕事モードに入った。佐藤も佐藤で、気を引き締める。

『それでは、これよりIFS起動実験を開始する。以降のオペレートはオーレンノーツ君に任せる』

『ご紹介に預かりました、研究助手権オペレータのリエルソス・オーレンノーツです。よろしくお願いします』

「佐藤勇作です。よろしく」

 博士の超えに続いて通信役を引き継いだのは、まだ若い女だった。視界の一部を切り取る通信ディスプレイには、知性的な美人が映っている。

(博士には悪いけど、やっぱこういうシュチュエーションならオペレータは美人さんに限るよな)

 などと佐藤が考えている間にも、格納庫の喧騒は大きくなっていく。

『システムの再起動を行います。一旦コクピット内の全照明が落ちますので、お気をつけください。なお、操作はこちらから行います』

「了解です」

 佐藤が返すと、間髪いれずにコクピット内の照明が落ちて、非常用の赤色灯が点灯する。とはいえもともと薄暗いコクピットであるから、あまり不自由は感じない。どちらかといえば、今まで脳内投影されていた映像が消え、急激に通常視界に戻ったことに多少の違和感を感じた。これはもう、慣れの領域なのだろうな、と佐藤は思う。

 そう時間もおかずに、システムが再起動を始める。佐藤の視界にシステムの起動表示が流れ、格納庫内の様子が再び像を結んだ。


「……本当に、あのようなまったくの素人に任せてよいのでしょうか。ましてや、彼は軍人ですらない一般人で、見学者ですよ」

 システムの再起動を行いながら、眉をひそめるように言うのはオーレンノーツだ。目の前のコンソールを操作する手は止めず、視線だけ動かして傍らのファンシェ博士を見る。

「異例ではあるが、その異例こそが事態の打開につながるかもしれん。現に適性検査では過去最高の記録を出している。時空漂流者というのも、今までに無いファクターだ」

「その書簡、本物なのでしょうか」

 佐藤は、この基地に来てから今まで自身が時空漂流者であることを明かしていない。博士らのソースは、彼が持参したウィエルの紹介状である。

「あの封が間違いなく本物だという解析結果は出ている。筆跡鑑定もだ。殿下のお墨付きとあらば、問題はなかろう」

「外の幻想機、やはりあれは……」

「殿下だろうな。レイフィールの幻想機の操者まではわからんが」

 紹介状を収めた封筒に捺してあった封蝋に、紹介状の筆跡。極め付きはフェンヴェールの幻想機である。

「しかし、彼と殿下、一体どのようなつながりが……」

「報告によれば、旅仲間だそうだ。それ以外のことはわからんし、必要なかろう」

 言外に余計な詮索はするな、と含む。オーレンノーツもそれ以上の詮索はやめて、別の問題点を指摘した。

「……それに加え、現在の実験機の主機は通常出力のものです。これでは」

「それに関しては、やってみなければわからん。理論上では、一般型の主機でも問題なく起動するはずなのだ。いや、しなければ意味がない」

「それは、そうですが……」

 納得しつつもどこか歯切れの悪いオーレンノーツだったが、システムの再起動と共に通信が復旧したので、ひとまず博士との会話は切り上げた。

「……再起動、完了しました。試験起動コードの入力をお願いします」

『了解』

 通信のつながった実験機のコクピットからは、どこか弾んだ声が返ってきた。コンソールの操作音に続いて、試験コードの認証が管制室側のモニタに表示される。

「魔導係数、100で安定。試験コードを認証。主機起動のカウントを開始します」


『主機起動のカウントを開始します』

 通信越しのオーレンノーツがカウントを開始したのを聞いて、佐藤は更に気を引き締めると同時に、否が応にも興奮が膨れ上がるのを自覚していた。うずうずしていた。

 ファイブカウントから4,3,2と0に向かうカウントが、その期待感を最高潮にまで盛り上げる。

『1……主機の起動を確認』

 ついに、鋼の巨人の心臓が脈動を始めた。低い唸りとかすかな振動を背中で感じる。アイカメラの発光が、巨人の目覚めを演出する。

「うおお、動いたッ! ってぇ!? ……あ、スイマセン」

 我慢できず、佐藤は感動のあまり声を上げて飛び上がり、その拍子にコクピットの天井に頭をぶつけるという失態を晒してしまう。ヘルメットのおかげで痛みは無かったが、通信をはさんで向こうのオーレンノーツが渋い顔をしたのでおとなしく座りなおした。が、更に驚くべきはこの後に起こった。

『ッ!? そんな、IFSが勝手に起動を……第3シークエンス!?』

 通信越しにオーレンノーツの慌てふためき上ずった声が聞こえたかと思うと、ちょうど佐藤が頭をぶつけた部分が展開して、小さなカメラとモニタが現れた。

《イミテーションファンタシズムシステム作動....パイロット登録開始...声紋の登録を完了...虹彩パターンを取得...官姓名の入力を》

 佐藤の聴覚に飛び込んできたのは、オーレンノーツでもファンシェ博士でもない実に機械じみた音声だった。佐藤が面食らっている間も、それは同じ文言を繰り返している。

「あー、佐藤勇作だ。所属は特になし」

『ちょ、ちょっと待ってください! 勝手に……!』

《ユーザネーム、佐藤 勇作、所属なしでパイロット登録完了》

 通信越しにオーレンノーツが吠えるが、それを途中で遮って、再び電子音声。

《IFSセットアップ完了》

 そう電子音声が告げると同時に佐藤の視界に膨大なアルファベットと未知の文字の羅列が流れる。それを佐藤は、「まるで昔見た映画のようだ」などと思いながらただ見ていた。正直、なにが起こったのかわからなすぎて、呆気にとられていた。


 管制室は、まさに蜂の巣を突いたような大騒ぎだった。

「どういうことだ! 魔力係数はまだ200にも達してないぞ!」

「わかりませんよ! 主機出力だって40%……巡航レベルの出力ですよ!?」

「バイタルデータはどうなっている!? MPの増減は!」

「い、異常なし!」

 研究員たちが突然の事態に慌てふためいて原因究明に奔走する中、ファンシェ博士はその長として、努めて冷静に状況を分析しようとしていた。

「佐藤さん、佐藤さん! 聞こえていたら応答を!」

 オーレンノーツは爆発的な情報の増大に忙殺されながらも、オペレートは続けていた。実験機内の佐藤に呼びかけをおこなっているが、未だ応答が無い。その間にも手元には様々なウインドウがポップしており、その処理で手一杯になりつつあった。

「博士、これは一体……!?」

「うむ……」

 救いをもとめるようにファンシェ博士を向くオーレンノーツだったが、返ってきたのは答えではなく、熟慮の沈黙。博士ですら、状況を把握しきれていなかった。

『あ、えっと、こちら佐藤です。なにがあったんです?』

 そんな時、ようやく沈黙を破って、素っ頓狂なまでに気の抜けた佐藤からの通信が入った。彼の様子に異常は見られないが、ひどく理解不能といった顔をしている。とはいえそれはお互い様である。

「佐藤君、そちらの状況を報告してくれたまえ」

 オーレンノーツからひっつかむようにマイクを奪ってファンシェ博士。冷静に努めているし装っているが、彼にしたって現状ほとんど余裕はない。

『よくわかりませんが、コックピットの一部が開いて、なんか機械がしゃべりだしました。IFSのセットアップ完了ってずっと言ってるんですが、どうすればいいですかね』

 コクピット内の佐藤も、困惑しているようだ。しかし佐藤の言から、IFSが正常に動作していることだけは確認が出来た。

(第1、第2シークエンスを飛び越して第3シークエンスの発動と、IFSの起動……確かに理想は主機出力と魔導係数を上げない状態で、機体の立ち上げと同時のシステム起動だったが、まさか実現するとはな……。なにがキーだ、考えろ)

 ファンシェ博士が思考の迷路に突入しそうになった矢先、佐藤がとある提案を投げかけてきた。

『あの、博士。こいつ動かしてみてもいいですか?』

 それは、あまりにも能天気な提案だった。


 なんとなくだが、イレギュラーを含みつつも実験は成功したのだろうと佐藤は感じていた。それは通信越しに聞こえてくる喧騒に若干の喜色が紛れていることから来る想像である。

(うーん、こうなると、やっぱり動かしたいよなあ)

 佐藤は、ロボット馬鹿である。何度でも言うが、ロボット馬鹿である。とりあえず身の危険は去ったようなので、彼の中ではこの実験機を乗り回したいという感情がムクムクと膨れ上がっていた。

 だから、いたって単刀直入に佐藤は提案したのだ。

「あの、博士。こいつ動かしてみてもいいですか?」

『……』

 帰ってきたのは許可でも拒否でもない、痛いほどの沈黙だった。管制室の喧騒が嘘のように、水を打ったように静まり返っている。

「あれ、なんか俺まずいこといいました?」

『い、いや。いい。問題ない。起動実験が成功すれば(・・・・・)、もとより動作実験の予定だったからな。……操作方法はわかるかね』

 ようやく正気に立ち戻ったようなファンシェ博士の声が聞こえてきた。なんというか非常に疲れたような声だったが、佐藤にしてみれば関係ない。ロボットを自分の手で動かせる、という大願にすでに爪先を掛けているのだから。

「はい、座学のみですが基本的な操縦は覚えました」

 はやる気持ちを抑えきれない。どうしても声が弾んでしまう。佐藤は今、心の底から楽しかった。

『わかった。予定を繰り上げ、実験機の動作実験に移行する』

 気を取り直してといわんばかりに、ファンシェ博士が仕切りなおしを図った、そのときだった。

 ずしんと、腹のそこから揺さぶるような衝撃が、研究棟を襲う。

「うわっ、なんだなんだ!?」

 実験機のコクピット内にいる佐藤も同様に揺さぶられ、目を白黒させる。状況が知りたくて通信ウィンドウに目を向ければ、ファンシェ博士の剣呑な顔が飛び込んできた。

『佐藤君、落ち着いて聞いてくれ』

「何か、あったんですか?」

 嫌な予感がする。管制室を支配する絶望感にも似た感情が、ひしひしと佐藤に伝わる。

『エヴィロンスの一団が防衛網を突破、当基地に攻撃を仕掛けてきた』

「え、えぇ……そいつはまた、へヴィな」

 予感的中である。となれば、次の言葉も大方は予想がついた。

「もしかして、この研究棟を目指して一直線、とかですか?」

『……うむ』

 重苦しく肯定したファンシェ博士の姿に、ははは、と佐藤は力なく笑う。折角の高揚した気分が、夢の一瞬が、台無しだと思った。が、次の瞬間、佐藤の脳裏にある考えがひらめく。

「ファンシェ博士」

 真摯な視線で博士を見れば、向こうも予想がついたのだろう。躊躇うように視線を泳がせる博士に向かって、佐藤は強い意志で提案する。

「博士、コイツで奴らを叩きましょう」

 誰も口にださずも、それは管制室の誰もが思い浮かべて、真っ先に破棄した考えだった。ソフトはようやくシステムが立ち上がった程度、ハードは満足な試験すらしていない、おまけにパイロットはペーパードライバー以下のど素人。出したところで、返り討ちが関の山だ。だが、佐藤はその眼に気炎を立ち上らせて、続ける。

「このまま放っておいて、ここにエヴィロンスが侵入すれば、どうせ実験機(コイツ)は壊されちまう。機体はちゃんと動くんでしょう? なら、一か八かでもやってみる価値はあるはずです」

『……わかった』

『博士!?』

 通信の向こうで、博士が重々しく頷いた。オーレンノーツをはじめとするスタッフは驚愕の声を上げたが、しかしそれ以外に道は無いこともよくわかっていた。基地の主力が全部出払った状態で、まともとはいえずとも戦闘がこなせるのは、この一騎しかいないのだ。

『しかし、無理はするなよ、佐藤君。君はまだ本当に魔導騎兵を動かしたことは無い素人で、その機体も満足な動作試験は行っていない。救援を待つ間の時間を稼げば、それで良い』

「了解!」

『うむ。みんな、聞いての通りだ。実験機を出す。射出経路を確保、8番ハッチから出すぞ』

『……了解っ』

 通信の向こうで、スタッフたちの唱和が聞こえた。

 同時に実験機を固定していたガントリーが移動を開始し、実験機を寝そべった状態から直立の状態へ移行させる。

 佐藤はそれに伴い主機の出力を上げ、射出されて即座に戦闘行動を取れるようにする。IFSなるシステムはよくわからないが、とりあえず順調に作動していることは確かで、機体の挙動に不審な点は無い。

「博士」

『何かね』

 その最中、佐藤は博士に通信をつないだ。

「こいつの名前、あるんですか? いつまでも実験機じゃ、格好がつかないというか」

『なんだ、そんなことか。もちろん、名前はある。というか、機体ステータスに記載があるはずだ』

「あ、なるほど。……ふむふむ、なかなかカッコいい響きだ。気に入った!」

『この状態でそこまではしゃげる君の性格は驚嘆に値するな……いや、まてよ、もしかするとそれが……?』

 思考の迷路に再び突入したファンシェ博士に苦笑を送りつつ、ついに移動を停止したガントリーから実験機が切り離される。

「よっ、と」

 佐藤が「歩行」を念じながらフットペダル――騎手鎧の靴底に圧力を掛けてやると、その巨体がついに自らの意思で一歩を踏み出す。硬質な昇降機の地面を踏みしめて、確かにしっかりとそれは大地に立った。

『佐藤さん、現状で実験機は亜空間ラッチを使用できません。ブロードソード2振りとレールガン1挺を初期装備として搭載してありますが、それ以上の補給は出来ません。気をつけてください』

 使い物にならなくなった博士の代わりに、オーレンノーツ。見れば左右から伸びてきたロボットアームが、実験機のハードポイントに武装を接続していく。

「了解、何とかやってみますよ」

 佐藤は緊張感と興奮のない交ぜになった感情で、徐々に開いていく頭上のハッチを見上げた。差し込むのは月明かり、外はもうすっかり夜だ。

「佐藤勇作、準備よし。揚げてください!」

『了解、リフトアップ!』

 バイザーを一旦上げて大きく深呼吸をした後、気合を入れなおして佐藤。オーレンノーツがそれに応え、実験機を載せた昇降機が上昇を開始する。

 これから始まるのは、命を掛けたやり取りで、ゲームではない。佐藤は初陣で、乗機は不安要素が満載だ。それでも。

「くぅー! ワクワクする!」

 佐藤にみなぎるのは、歓喜と期待、ただそれだけだ。ついに昇降機が上りきり、白銀の姿を月光にさらす。

 目の前で破壊を振りまいていた大型のエヴィロンスが、一斉に注意を向ける。それに一歩もひるまず、佐藤は実験機に剣を抜かせ、大きく一歩を、戦場へと踏み出させた。

 白刃が月光に煌き、白銀が炎の照り返しをうけて鈍く輝く。

 佐藤はすうっと息を吸い込むと、自らの相棒の名を、白銀の騎士の名を高らかに詠い上げた。


「行くぞ、相棒。行くぞ、アルデバンサーIFS(イフス)!」



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 ――佐藤がちょうど、騎手鎧(パイロットスーツ)の装着に四苦八苦していた頃。


「……第35騎兵部隊長(ブレーズリーダー)より戦闘指令所(コマンドポスト)、部隊の展開を完了。敵の動きは?」

戦闘指令所(コマンドポスト)より第35騎兵部隊長(ブレーズリーダー)、依然動きは見られないが、転移反応だけは着実に増えている。指示あるまで待機、不測の事態に備えられたし』

第35騎兵部隊長(ブレーズリーダー)了解」

 アーリはそう締めくくって通信を終えると、ウインドウを視界の端っこに追いやり、代わりに部隊員たちとの通信ウインドウをポップさせた。アーリが口を開く。

「そういうことだそうだ。俺たちはここで待機、敵さんの転移直後をねらって攻撃を仕掛ける。油断はするなよ」

『転移直後ですかい? CPからの命令は待たないでよろしいので?』

 そう聞いてきたのは、アーリとは最も長い付き合いになる副隊長だ。だから聞いてきたといっても、その表情と声色は単なる表向きの確認に過ぎないことを雄弁に示している。彼はおそらくアーリの答えの一言一句を予想出来ているし、アーリもそれをわかっている。その上で、アーリは、

「CPからは『不測の事態に対処せよ』との命令をすでに受けている。後はこちらの裁量で、如何様に動いても咎められまいよ。まあ、作戦を失敗させない限りはだがな」

 と、さも当然とばかりに言った。口元に不敵で獰猛な笑みを浮かべる。

『了解です』

 副隊長も、やはりな、と言った様子である。ついでに付け加えるならば、それは部隊員全員に言えることでもある。

 アーリはそんな部下たちを満足げな視線で見ると、「待機(・・)」を告げて通信を終える。

(さて、どこまで戦える……?)

 ここ、レイフェンの街にエヴィロンスの襲撃があったのは、過去一回。ただの一回である。彼ら第35騎兵部隊は精鋭ではあるが、それでもエヴィロンスとの戦闘経験はその一回だけである。

 その一回の戦闘で、レイフェン防衛戦力のうち魔導騎兵部隊のおよそ30%が潰されている。その他の兵科にしても、実質壊滅といってもいいほどの被害を被っていた。街を死守できたのが奇跡とも言える有様であったのだ。それを1年掛けて、何とか体面を繕うだけの戦力を復興できたのは、まさにレイフェン上層部の頑張りであったといえるだろう。

 しかし、それでも現レイフェンの駐留戦力は1年前のおよそ半分でしかない。無論完全に正体不明の敵性体だった当時と較べ、今では対エヴィロンス戦術もそれなりに確立されてきているし、今回の襲撃で予想されるエヴィロンスの戦力は1年前の半数強。一概にどうと断じることは出来ないが、それでも不利であろうとアーリは考えているし、上層部だって同意見だろう。

 アーリは、1年前の戦いをほとんど無傷で戦い抜いた正真正銘の首席級騎手(エースパイロット)であり、その獅子奮迅の戦いぶりから「レイフェンの黒剣」などと渾名されているが、彼が率いていた隊は彼と現副隊長を残して壊滅している。懸念事項の一つであるが、現在の第35騎兵部隊は実戦での連携の経験がないのだ。

 攻めに比して守りは数段と難し。経験者ならば誰でも頷く常識のひとつである。訓練では幾度も想定し、膨大な対処法を叩き込んできた彼らだったが、この状況でそれが滞りなく発揮できるのか、正直今のアーリは計りかねていた。

 しかし、それでも。

(ふ、愚問か。間違いなく、我らは最強だ。万に一つも無いさ)

 それでも。アーリは完全な自信を持って、万全の部隊運用を約束せねばならない。それが隊を、部下を、命を預かる者の責務であると知っているからである。

戦闘指令所(コマンドポスト)より全部隊(オールユニット)へ通達。エヴィロンス転移反応増大、第1波の出現予測を5秒後に修正』

「おいでなすったか。聞いたな、貴様ら。全騎(オールハンド)抜剣(トゥソード)全兵器(オールウェポンズ)使用自由(フリー)。蹴散らすぞ、一匹たりとも街へ入れるな」

了解(ラジャー)!』

 頑なに機械的であることに努めるような、震えや恐れを押し殺したCPからの通達。彼ら後方の職員にしたって、等しく戦っている。それがわかる。だからアーリは聞くや否や、自騎である黒塗りの、渾名の由来となったスプリガンにブロードソードを引き抜かせて一足飛びに駆け出す。

 彼らの部下もそれにひとつと遅れることなく即応し、各々が各々の得物を手に戦場へと飛び込んでゆく。

 彼らの正面で赤い魔力光と共に空間に亀裂。そこからぬるりと魔導騎兵と同等以上の体躯を持つエヴィロンスが染み出てくる。甲虫のような、戦士タイプと呼称されるエヴィロンスは単体で魔導騎兵に匹敵する攻撃力と防御力を持つ厄介な敵だ。が、転移直後の一瞬の硬直を狙ったアーリのスプリガンは、その一見すると鈍重にも見える機体で軽業師のようなステップを踏むと、右手に保持したブロードソードでエヴィロンスの首を刎ね飛ばしていた。装甲と装甲の隙間、数十センチにも満たない関節に刃を、それも瞬間的にねじ込んだアーリの技量はさすがというべきか。攻撃を受けたエヴィロンスは何をする暇も無く、切断面から黄緑色の体液を噴出して絶命した。

 これを皮切りに、レイフェン史上2度目の大規模防衛戦が始まったのである。



『うわー、やってるやってる。ちょっと間に合わなかったなー。どうする、御主人?』

 白銀の翼をはためかせ、音よりも早く戦場の空に滑り込んできたフェンヴィーの眼下では、すでに激しい戦闘が開始されていた。ちょうど、エヴィロンス群の背後からの急接近。

「もちろん、戦います。兵士の皆さんが心置きなく戦えるように、私たちは魔術師タイプを先にお掃除しましょう」

 戦場の緊張感などどこへやら、にこりと笑って、こともなげにウィエルは言った。

『おっけー、そんじゃ、先にあのカマキリやろーをぶっつぶしますかー!』

 カマキリやろーとは、魔術師タイプのことか。確かに甲虫のようにどっしりとした姿の戦士タイプとは異なり、魔術師タイプは細く長いカマキリのような姿をしている。鎌状の捕食肢に当たる部位が(スタッフ)、つまり魔法の発生器官となっているから、最悪前足さえ落としてしまえば魔術師タイプは脅威ではなくなるといえる。

「フェンヴィー、それはちょっと品がなさ過ぎるんじゃないかしら」

『う、すんませ~ん』

 漫才のようなやり取りをしながらも、フェンヴィーは鋭く高度を落とし、転移したての魔術師タイプをその間合いに収めていた。狙うは前肢などではなく、その胴。

絶空刀(ウィングカッター)、レディ」

『ラジャラジャ、ウィングカッター!』

 フェンヴィーの宣言と共にその翼の一部が展開し、周囲の空間が揺らぐ。超高密度に圧縮された空気層と真空層を幾重にも積層させたせん断力の塊が、光を屈折させているのだ。

 急転直下。速度そのままにまさに猛禽の如く殺到したフェンヴィーに魔術師タイプのエヴィロンスは果たして気づけただろうか? すれ違いざま叩きつけられた絶空の断層がその体をねじ切って絶命させるまでの間に、1秒と要さなかったのだから。

『ヒット~! さ、どんどんやっちゃいましょう』

 前足だけを落として戦闘不能にさせるなどという面倒でまどろっこしい選択は、彼女らの間に存在していない。殺せるのだから、一思いに殺す。それだけだ。

『ひゃっはー! 虫が鳥に勝てると思ったかぁ!』

「あらあら、はしゃいじゃって。でも、そうね。一思いに、パァっとやっちゃいましょうか」

 魔術師タイプを狙った急襲を数回。普段からやたらテンションの高いフェンヴィーは、ここに至ってなおテンションが高い。そんなフェンヴィーを操るウィエルは、思いついたようにぽんと手を叩いた。

『お、御主人もノッてきた? ちょっとコワイけど』

 一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)、再び高空に舞い上がったフェンヴィーの操縦席で、ウィエルはにこやかな笑みはそのままに、きゅうっと口端を吊り上げた。

「フェンヴィー、あれをやるわ。よろしくて?」

『モチのロン! いつでもいけますよっ! 魔力炉出力80%、広域(ハイエリア)攻勢魔法陣(マジックサーキット)構築開始!』

 ウィエルのやりたいこと、やろうとしていることを鋭敏に感じ取ったフェンヴィーが、魔力光の飛行機雲を曳いて空を舞う。中空に紡がれた光の軌跡は、呪文だ。フェンヴィーがいっそ優雅に旋回を繰り返し、そのたびに空中に特大の魔法陣が描き出される。やがて円を描くように配置された大小あわせて15の魔法陣群のちょうど中心に当然の如くファンヴィーがおさまると、それらは一様に眩い魔力光を放ち始める。

 遥か上空で行われている儀式に、地上の戦士タイプのエヴィロンスは気がつかない。その構造上、甲殻が干渉して上を向けない首のつくりが災いしていた。攻撃を受けていた魔術師タイプこそ流石に気がついていたが、それでも手を出ては来ない。それはひとえに決死の形相で向かってくるレイフェン駐留軍の魔導騎兵部隊のほうがよっぽど脅威度が高いと判断をしたためであるが、彼らは数秒後にその判断の誤りを死を持って悔いることとなる。

『広域攻勢魔法陣、展開完了。魔力炉出力100%、共振(ハウリング)機構(ストラクチャ)フルドライブ! いけますよっ、御主人っ』

 フェンヴィーの声が踊る。ウィエルはそれにしかと頷いて微笑をかき消し、面持ち新たに敵群を見据え、静かに明瞭に、魔法を放つ。

「――広域雷撃殲滅呪紋(サンダー)『雷雨』(シャワー)

 瞬間、魔法陣が爆ぜた。エネルギーを伴った光の奔流が魔法陣から吐き出され、広大な戦域の隅々を飲み込んだ。


『なんだ、あれは!?』

『鳥か?しかしあんな巨大な……』

『エヴィロンスの新型か……!?』

 地上の魔導騎兵部隊は、突如として現れ遥か高空を悠々とすべる巨大な姿に困惑の表情を浮かべ、その正体を計りかねていた。

 そもそも科学文明が現代の地球並みに発達し、更に魔法との共存により地球の数歩先を行く文明を誇っているはずのミルナーヴァでは、『航空機』が不自然なほどに発達していないのである。あれだけの高度を飛ぶ巨大な物体など、彼らの想像の範疇を軽く凌駕していた。それに、先ほどから相手取っているエヴィロンスたちが何の警戒も見せていないことが不安を増大させる。

「いや、あれは幻想機だッ!」

 それら隊員の不安の声を払うように言ったのは、魔術師タイプが放った火球をひらりとかわし、連携して上がってきた戦士タイプの喉元に剣を突きたてたアーリだ。『幻想機』というワードは、彼のスプリガンがエヴィロンスの亡骸から剣を引き抜き、刀身に纏わりついた体液を掃うまでのわずかな間に隊の全員に伝播していた。

『幻想機! あれが……』

『すげぇ~、はじめてみた!』

『なるほど、伝説になるだけはある』

 途端に、通信機からは喜色をはらんだ声が漏れてくる。心なしか、彼らの動きが良くなった。伝説の幻想機が来たのなら、心配はない。負けることはないという根拠の無い確かな自信が、油断とは違った余裕を生んで操縦に専念できるようになったというのは多分にあるだろう。

 白く美しい幻想の鳥は、優雅に上空を旋回していると思えば一直線に地に落ちて、再び舞い上がりを繰り返す。そのたびに、魔術師タイプの反応が律儀に1体ずつ消失していた。

『伊達に鳥型をしてないってとこですかね』

 そんな幻想機に注意を向けながらも、両手に保持した細身の双剣をエヴィロンスの関節に寸分たがわず差し込んでばらばらに解体する副隊長。アーリには及ばずとも、彼もレイフェンでは上位の実力者である。

「だな。奴らもようやく敵さんの怖さに気づいたようだ。っと、今度は何をする気だ……?」

 向かってくる敵をすんででかわし、お礼とばかりに刀傷をプレゼントしたアーリは、敵群後方で魔術師タイプをついばんでいた幻想機が一気に高度をとったのを見て、なにをするつもりかと身構える。

第35騎兵部隊長(ブレーズリーダー)より第35騎兵部隊各騎(ブレーズ)、幻想機がどうやら素晴らしいショウを見せてくれるようだ。興奮してステージ(エヴィロンス)に近づきすぎるなよ? 適宜距離をとれ。一緒に丸焼きにされたくなければな」

『了解!』

 飛び上がったフェンヴィーが空に魔法陣を描き始めたのを確認するや、即座に部下にエヴィロンスに接近しすぎないように指示を飛ばす。通信からは隊員の唱和。戦闘開始からやがて5分。たったというべきか、もうというべきか。幸いなことに今のところ、彼の隊からは一人の脱落もない。

 アーリに魔法の素養はないが、描きだされた一つ一つが魔導騎兵ほどもある魔法陣が空一面に広がっているのをみれば、嫌でも"そういう用途"の魔法であることは想像がつくというものだ。すなわち、対地殲滅用大規模魔法。またの名を、戦術魔法。

 全騎がエヴィロンスと一定の距離をとる。アーリも、掴みかかってきた戦士タイプを胴に一発蹴りをくれて引き剥がした。

 その瞬間。魔法陣から眩く夥しい光量が吐き出され、世界が光と影だけのモノクロームに変わった。

 直視すれば視神経を一瞬で焼き尽くしかねない莫大な光は一瞬。数瞬遅れて莫大な熱量がエヴィロンスを襲い、更に遅れて響く耳を劈かんばかりの乾いた轟音を聞くことは無かった。

 発生した衝撃波が、レラクル平原を揺るがす。

 アーリはその光景を油断なく眺めながらスプリガンの遮光・遮音性能に感謝すると共に、装甲歩兵を展開させていなかったことに安堵した。もしも歩兵を随伴させていようものなら、今の攻撃で使い物にならなくなっていただろう。いくら強化装甲鎧骨格とはいえ、魔導騎兵ほどの耐環境性は望めない。

 ついでに自騎のセンサーからエヴィロンスを示す光点がごっそりと消失していたが、それらは幻想機が出てきた以上当たり前のことであるので、たいした感動を覚えることはなかった。

「各騎、幻想機に見惚れて虚を突かれるなんてへまはするなよ」

『り、了解!』

 ハッとしたような声を返してきたのは、隊の中でも一番の新参騎手だ。どうやら、再び円を描いて高空を旋回する銀の翼に本当に見惚れていたらしい。隊の全員が、彼のあからさまな慌てように噴出した。

『ちょ、からかわないでくださいよ!』

 新参騎手は恥ずかしそうに頬を掻いて、たじたじといったふうだった。彼のスプリガンがそれをトレスして、頬を掻くのがとても滑稽だ。

 そこに、繕いきれない油断があった。

 まずい、とアーリは感じた。第6感が訴えかける強烈な予感。口を開こうとしたときには、遅かった。

 転移反応。赤い魔力光、空間の亀裂。位置は、件の新参の真後ろ。

『あっ』

 スプリガンをはじめとする魔導騎兵の操縦の基幹となっているのが、騎手の思考を機体に反映させる思考制御である。操縦桿やペダルなどは、その補助装置に過ぎない。

 だから魔導騎兵は、時折操縦者の動作を再現してしまうことがある。今の頬を掻いた動作などがそれだ。この現象は騎手の無意識を魔導騎兵側が受け取ってしまって起きる一種の誤作動で、上位の思考である『戦闘中における一定の思考パターン』が入力されている間は発生しないという特徴を持つ。

 つまり魔導騎兵がやけに人間くさい動きをするということは、騎手の注意が散漫になっていることの現われだ。

 気づいた頃には、間に合わない。

 拍子抜けするほど間抜けな声だけを残して、彼は背後に転移してきたエヴィロンスの鋭い前肢にコクピットを貫かれ、死んだ。

「……ッ! 全騎、散開だ。一旦態勢を立て直すぞ!」

 アーリは短く、あの若い騎手に心中で黙祷をささげた。本格的な追悼はあとに回して、今は生きているものたちを生きたままにすることだけを考える。

『隊長、こいつぁもしかして……』

「……ああ。お前の思っている通りだろう」

 何かに気づいたような副隊長が入れてきた通信に、アーリも苦々しげに頷く。彼らがそれとの距離を測りかねている間も、エヴィロンスはスプリガンを抱えたような姿勢で制止していた。

 幾重もの装甲と魔法で守られたスプリガンの胴を易々と貫いたエヴィロンスは、ゆったりとした動きで前肢をはらった。金属の擦れる音が響いて、糸の切れた人形のように宙を舞うスプリガン。そのまま大地に荒々しく着地して数度バウンドしたあと、そのまま動かなかった。

 下手人のエヴィロンスはその巨人の遺骸から興味を失ったように一瞥して、アーリらのスプリガンを品定めするように視線を泳がせる。

 瞬間、その像がぶれた。

騎士(ナイト)タイプ……ッ!」

 それに即応できたのは、流石の一言だった。下手人のエヴィロンス――騎士タイプが最小限の動作で繰り出した鋭い前肢による攻撃を右手のブロードソードの腹で弾いてアーリは、腰の後ろにマウントしてあった魔導式レールガンを流れるような動作で抜き、放つ。音速超の弾丸をこともなげに回避した下手人のエヴィロンスは3連続バック宙でアーリから一旦距離をとると、1騎が欠けた第35騎兵部隊が包囲する陣の真ん中に立って、またぴたりと静止した。

第35騎兵部隊長(ブレーズリーダー)より戦闘指令所(コマンドポスト)、騎士タイプと接敵した。指示を請うっ!」

『き、騎士タイプ……!? し、失礼しました。第35騎兵部隊(ブレーズ)は、そのラインの死守を』

 一瞬取り乱しかけたCP。それでもすぐに平静を取り戻し、第35騎兵部隊に新たな任が下る。

「……了解。試しに聞くが、増援は?」

『敵の増援ならば、加速度的に増加しています』

「ああ、わかった」

 にべも無い。どうやら、この化物はアーリたちだけで対処せねばならなくなった。嫌な情報だけが山積していく。幻想機の存在に浮かれていただけ、落差は大きかった。

 件の幻想機は、再び高空を旋回している。が、何かしらの攻撃を仕掛ける様子は無い。あれだけの巨大魔法を放ったのだ。いくら幻想機とはいえ、即座に出せる手がないようだった。

 アーリは歯噛みしたが、それで情況が好転することが無いことはわかっていた。

『隊長、アイツは一体なんです!』

 取り乱したような声だった。それは彼の隊の中で、ついさっき死んだ男と特に仲のよかった者だったと記憶している。通信に映る顔は引きつっていて、青白い。それでもスプリガンをきちんと動かせているのは、日ごろの訓練の賜物だ。

「落ち着け、4番騎。憔悴は何より死を呼ぶぞ。……あれは騎士タイプ。強いが、連携すれば勝てない相手ではない。だから、まずは落ち着け。お前は俺の隊の中では下っ端もいいところだが、腕だけは見込んでいる。給料ぶんの働きを見せてみろ」

『……了解っ』

 4番騎の騎手は、神妙な、それでも先程までよりはまだまともな顔つきで頷いた。

『ははは、隊長。盛大に嘘を吐きましたな』

 割り込んできた秘匿回線。副隊長のそれに、その使用を咎めるでもなくアーリは静かに言った。

「これ以上数が減っては、倒せるものも倒せん」

『……了解しました。隊長、ご指示を』

 副隊長は言いたいことを全て飲み込んで、長い付き合いになるアーリを真摯な目で見据えた。勝てるのか、と視線で問う。1年前、自分たちの隊をただ一体で壊滅にまで追い込んだ騎士タイプに、あの化物に。そういう思いを全部乗っけた副隊長の言葉は、しっかとアーリに届いていた。

「……ああ。第35騎兵部隊長(ブレーズリーダー)より第35騎兵部隊各騎(ブレーズ)、敵は騎士タイプだ。楽な相手ではないが、幸いにして数の利はこちらにある」

 アーリは、静かに言う。騎士タイプはいまだ、彼らの隊の中央で品定め中だ。

「貴様たちが日々行ってきた訓練が、その日々が。無駄ではなかったということを照明して見せろ!」

『オオオッ!』

 通信機越しに聞こえる、気合のこもった声。それは多分に虚勢を含んでいたろうが、それでも構わない。

 アーリのズプリガンが、右手のブロードソードを騎士タイプに向けるように跳ね上げた。

「全騎突撃、我に続けッ!」

『ど・い・てぇぇぇぇぇぇぇ!!』

 アーリの口上が決まった直後、全周波通信で響く、年若い少女の声。虚をつかれた隊員たちを尻目に、はるか後方から、音を置き去りにしてそれは現れた。スピードを殺しきれず、緩慢なカーブを描いてターンしてブレーキし、盛大に砂埃が巻き上がる。

 騎士タイプのエヴィロンスですら、面食らったように動かなかった。それは先ほどまでの静止に似ていて、まったく別種のものだった。

 砂埃が晴れ、月明かりに煌く白銀の外装と強靭な四肢が見えたとき、その場の全てがそれを悟った。

 あるものは歓喜を、あるものは希望を、そしてあるものは、絶望を。

 

 夜の風が平原を吹きぬけて。幻想機レイピルが、そこにいた。



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「……ハァ」

 フウは憔悴を孕んだ溜息をついた。エヴィロンスの大量転移反応があってから数分の間だけで、これで5度目の溜息になる。

 モニタに映し出される平原の彼方、ウィエルとフェンヴィーが飛んでいった戦場の方角をただ見据え、彼女は自分の乗騎である幻想機レイピルが"作業"を終えるのを今か今かと待っていた。焦れていた、といっても良い。

「レイピル……」

『待ってろ』

 フウの言わんとしていることは、感覚を共有しているレイピルにとって手に取るようにわかったし、彼自身だって今にでも飛び出して行きたい。だが何事にも準備は必要で、レイピルにだってそれを耐える程度の理性はあった。

「でも……ッ!」

 されどフウは食い下がる。彼女自身、今レイピルが行っている作業のいかに大事かを朧げにでも理解している。しかしそれ以上に、彼女は見えていた。見えてしまっていた。レイピルの力によって拡大された感覚が、遥か彼方の戦場の、その惨状を伝えていた。

 フウはつい最近まで普通の女子高生であった。であるからして用兵に関する知識などは持ち合わせていなかったが、そんな彼女の目で見てわかるほどレイフェンから上がってきた鎧の集団――魔導騎兵部隊は押されていた。一部異常なまでに動きの良い黒い鎧の一団が戦場を跋扈して他の部隊を助けているから何とか凌げているが、長くはもつまいとフウは直感していた。

『焦るなよ、フウビ。今、俺のカラダをお前の魔力に適応するカタチに最適化(アジャスト)してる。もう1分とかからん』

「それって、そんなに必要なの?」

『……お前、陸上選手だったんならわからねェか? 今のお前は、先輩の誰かが置いてった、ぶかぶかのスニーカーで全力疾走するって強がってるようなもんだ』

「う……」

 レイピルの、あまりにも現代的でわかりやすい例えに何も言い返せなくなってしまう。

『心配すんな。いけすかねェ野郎だが、鳥が行った。俺らが少しくらい遅れても、あいつらが何とかする』

 レイピルは、確かに信頼のこもった声で言った。フウの視線の先で眩い閃光の爆発が起こったのは、それを言い終わるのとほとんど同時だった。

『ヘッ、いきなりでけェのを叩き込みやがった……が、失策だな』

 前半に喜色をにじませて、後半は苦々しげに。その理由は、フウでもわかった。先ほどの反応を越える膨大な転移反応が、レイフェンの周囲に発生したのだ。

「これ……ッ!?」

『ああ、やられた。畜生、あいつの魔法攻撃を餌にしやがったか』

「やっぱり、ウィエルさんの魔法を臨時の魔力源にして……?」

『計画されてた以上、臨時といえるかどうかはわからねェけどな』

 フウはレイピルの第3フェイズ発動の際、この世界における魔法の大まかなあり方をレイピルの操縦法と一緒に学んでいた。今の彼女は、付け焼刃ではあるがそこらの魔法学者に匹敵するほどの魔法知識を持っている。

 転移魔法は、数ある魔法の中でも最も難易度が高く、莫大な魔力を消費する魔法だ。特に転移対象が「魂持つもの」であった場合、その難易度は何倍にも跳ね上がる。「物体」と「魂」という二つの概念を一切剥離しないように地平の彼方へ飛ばすというのは、並みの術者では出来ない芸当だ。使用する魔力量にしても、おいそれと捻出できる量ではない。

 そこに来て、幻想機の存在。魔力の塊であるような幻想機は、その場に存在するだけでも相当の魔力を放っている。それがひとたび大出力の範囲魔法を放てば、周囲には膨大な魔力が溢れることとなる。師団規模のエヴィロンスを転移させるに足る量の魔力が、駄々漏れになるのだ。

 だから今回エヴィロンスたちはまず10体の斥候を出し、その後転移させる100体を本隊と見せかけた。幻想機が範囲魔法を放つことを見越し、その急激に上昇する魔力を利用して本当の本隊数百を転移させる3段構えの戦法を仕掛けていたのだ。

『迂闊だったな。レイフの森で幻想機(おれ)が目覚めたら、真っ先に向かう町がレイフェンだ。一番ちけェからな。しかもレイフェンはおさえりゃコルーン侵攻の橋頭堡になるし、なおかつフェンヴェール軍を東西から挟撃できるおまけまでついた超優良物件だ。まんまと乗せられたな』

 そういう間にも転移反応はその数を増すばかり。転移除けの強結界が張られているレイフェン市内への直接的な転移こそ許していないものの、その周囲をぐるりと囲まれ、防衛の手があまりにも足りていない。

「レイピル、ウィエルさんたちは……」

『ダメだろうな。あの調子じゃ、戦術魔法から芋づるで魔力を吸われてやがる。ったく、老いぼれ鳥が、耄碌しやがって』

「対魔プロテクトを破られたってこと?」

『ああ』

 レイピルの目を通して映る戦場では、フェンヴィーが攻撃をするでもなく高空を旋回しているのが見て取れた。魔力グラフの表示によると、内包魔力値(MP)がレッドゾーンを割り込んでいた。おそらく今は、飛んでいることがやっとの状態なのだろう。契約者の魔力が少しでも残っているならば、それを無限に近しいレベルに増幅できるのが幻想機。たかが戦術魔法の一撃であそこまで減ずるものでは無いので、魔法の発動から魔力の供給ルートを逆探知されて強制的に魔力を引き出されたのだろうとレイピルは分析する。

「そんなの、魔法使いでも難しいよ。……多分。エヴィロンスって、そんなにすごい魔法使いなの?」

『しらねェよ。少なくとも今ンとこ、そんな存在は確認されてねェ』

 怪訝な顔でフウが尋ねる。魔力の逆探からハッキング、並大抵の術者が出来る所業ではない。一般的な魔術師同士でも不可能に近い行為であるというのに、相手は幻想機。魔術的干渉に抵抗する機構は完璧に程近く、魔術プロテクトなどは古今東西様々な様式のモノが幾重にも用意されている。だから幻想機に魔術的なハッキングを仕掛けるなど、無謀以外の何物でもないのだ。それを突破する魔法の使い手など、レイピルにしたってわからないと応えることしかできない。もともと敵の情報は少なすぎるといってもいいほどに少ない。どんな隠し玉をもっているかなど、想像すら難しい。フウも付け焼刃の知識をいろいろ探ってみるが、結局見当もつかずにうなる。

『――さて、終わったぜ。いつでもいける』

 思考の海に没しかけていたフウを、レイピルの静かな声が引き上げる。フウの視界上に浮かぶ様々なパラメータは全て適正値(ブルー)を指し示し、視界中央にはレイピルの遊び心か『済』の朱判がでかでかと表示されていた。

 少女は不敵な笑みを湛えると、コンソールをひと撫でして言った。

「……おっけ。行こう、レイピルっ」

 もはや言葉は要らない。その力強き四肢が大地を蹴ると同時にマジックフィンスラスタを全力運転。フウが入力した魔力をレイピルの主機が数百倍に増幅すると、そのままスラスタに遠慮なく流し込む。スラスタはその入力に滞りなく、遺憾なく応答した。静止状態からの急加速。その場から掻き消えたかのように残像と音を置き去りにして、弾より速く。レイピルは戦場へ一直線に駆け出した。

『前方2キロ、敵15。どうする?』

「切り抜ける! レイピル、焔尾剣(テイルブレード)!」

『OKだ。焔尾剣(テイルブレード)スタンバイ』

 フウはレイピルの速度を些かも緩めることなく、敵集団に突入した。

 敵集団はレイフェンより少しばかり離れた場所に転移したこともあり、主戦場たるレイフェン近郊への移動の途中であった。そこを背後からレイピルが急襲する。エヴィロンスたちはその接近を感知するより先に、超高温の刃に胴をなます切りにされて絶命していた。戦士タイプを筆頭に15いた敵集団は、レイピルが通り過ぎるほんの一瞬の間に全滅していた。それを確認すらせずに、レイピルはその足を更に速める。確認の必要が無いほどの確信あってこそである。

『だいぶ焔尾剣(テイルブレード)の扱いに慣れてきたな』

「まあねっ」

 感心するようなレイピル。今の一瞬の、流れるような剣捌きは見事といえた。少なくとも、今日初めて使うはずの武器をすでに使いこなしている。フウは少しばかり得意そうに、軽妙に応えた。

『ふははっ、いいぜ、お前って奴は。流石は俺が選んだ契約者だ』

 レイピルも、どこか上機嫌だ。彼ら幻想機は、兵器である。であるからして、己を的確に、上手く使ってくれることに対して喜びを感じていた。自分の判断が間違っていなかったことが実感されることにもまた、えもいわれぬ歓喜を感じている。

『ハァイ、フウっ。聞こえる?』

「フェンヴィーちゃん? ウィエルさんは」

 戦場へ向かって爆走を続けるレイピルの元へ、一通の通信が割り込んできた。フェンヴィーからだ。

『ごめん、ごめん。下手打っちゃって、敵さんをいっぱい呼び出しちゃったでしょ? (幻想機)にハッキングなんてご主人もびっくりでさ、今躍起になって逆探知の逆探知をしてるんだ。それで手一杯だから、私が代わりに通信してるの』

 フェンヴィーの声はいつものように軽妙であったが、その裏にどこか緊張と強張りを感じさせる。余裕のなさを取り繕っている感がありありだった。

「それで、そっちの様子は?」

 フウは、その繕いを意図的に無視した。フェンヴィーが通信をつないできたということは、何か戦場に変化があったのだろうと判断したためだ。だから、あえて何も言わずに本題を振ったのだ。

『うん、ちょっとまずいことになってる。騎士タイプのエヴィロンスが出てきたせいで、戦線が崩れかかってるの。ついでにエヴィロンスどもが街の外郭をぐるっと囲んじゃって、明らかに手が足りてない感じ。私はこの有様で戦術魔法は撃てそうにないし、結構ヤバイ』

 いい感じに絶望的。そう言っていい様相を呈しているそうだ。とはいえ、それはフウの予想をそこまで逸脱していない。

「えと、騎士タイプのエヴィロンスって?」

『あ、そっか。フウはわかんないよね。えっとね、なんていうか、戦士タイプの堅さと打撃力を持ちつつ素早くて、ついでに魔法も使えるってカンジ? ぶっちゃけ、魔導騎兵(スプリガン)じゃ束にならないと勝てないかなァ』

「な、なんていうか絵に描いたような強敵だね」

『だねぇ。ま、幻想機ならワケないよ。特にフウなら』

『勝手に話進めてんじゃねェよ。ま、俺と(・・)フウなら朝飯前の茶漬けだぜ』

 まだ見ぬ騎士タイプを想像して顔を引きつらせるフウに、フェンヴィーとレイピルはやけに自信たっぷりだ。そんな彼らの様子に不安がっていた自分がまるで馬鹿のようだとフウはクスリと漏らす。

「だねっ! よぉし、レイピル、その騎士タイプの場所、わかる?」

『おう、もちろ……』

『あ、それはわたしがナビするよ! 上から見たほうがわかりやすいしねっ』

 言いかけたレイピルを遮ってフェンヴィー。横入りされたことに多少の苛立ちをにじませながらも、一理あると見たのだろう。レイピルは喉まででかかった文句を飲み込んだようだ。フウはそれを感じ取って、愉快そうに笑った。

『えっとね、方向はそのままでいいや。彼我の距離は10キロ。接敵まで1分。30秒後の進路上に戦士タイプのエヴィロンス20と戦闘中のスプリガン部隊がいるけど、迂回する?』

「だいじょぶ、突破する! レイピル、もっと小回りの利く武器ってあったっけ」

 フウは自信溢れる声色で言い切ると、レイピルに尋ねる。敵味方の混戦状態では、焔尾剣(テイルブレード)は些か大振りに過ぎるからだ。味方に当てる気はさらさらないが、万に一つということもある。

『そうだな、戟裂爪(レイザーネイル)はどうだ? 今の距離なら、焔鳴戟(ハウルショット)も有効だろうよ』

「おけ、戟裂爪(レイザーネイル)でスタンバっておいてっ」

『了解だ』

 一連のやり取りが澄むころには、目標との距離は目と鼻の先と言えるまでになっていた。レイピルはその直前で後ろ足にグッと力をこめると、全身をばねのようにしならせて高く飛び上がった。踏み切りと同時に前肢に3つ並んだ爪状の刃が展開、超高周波振動を発生させる。

 キィン、という振動に伴う耳障りな高音が発生し、鳴り止むまでの一瞬の間。

 焔尾剣(テイルブレード)ほどの破壊力はないゆえに一刀両断とまでは行かないが、戟裂爪(レイザーネイル)の鋭い一撃は戦士タイプの装甲ごと、胸から首にかけてをまるでバターか何かのように易々と切り飛ばした。

 驚いたのは戦士タイプと切り結んでいた魔導騎兵の騎手(パイロット)たちである。剣尖を交える中で距離をとった一瞬に、対峙していたエヴィロンスの首から上が吹っ飛んだのだ。慌てて周囲を見渡せば、他の魔導騎兵も一様に頭部をせわしく動かしていて、その傍らにはやはり一様に首を飛ばされてくず折れたエヴィロンスの屍骸が横たわっていた。

 一陣の風と共にあっけなく終わってしまった戦闘に呆然としてしまう彼らだったが、そこはプロ。隊長格と見られる魔導騎兵が手早く部隊をまとめると、即座に次の戦場へ駆け出していった。

 そんな魔導騎兵部隊を振り返ることなく、風になったレイピルをフウは駆る。

『ちょっと時間ロスったけど、お見事っ!』

 フェンヴィーが先ほどの旋風のごとき体捌きを賞賛する。コンマの秒に満たない間で、数十のエヴィロンスを屠った彼女の実力、もはや疑いようもなかった。フウはそれに応える代わりににこりと笑う。

「レイピル、騎士タイプのデータは持ってるよね。一番効率的な武器、検索できる?」

『そうだな、ここはやはり焔尾剣(テイルブレード)だろう。焔鳴戟(ハウルショット)も牽制には使えるだろうな』

 レイピルはフウの問いに、彼我の推定実力差、体格差、戦闘の傾向に武装の使用頻度を鑑みて、焔尾剣(テイルブレード)の使用を推奨した。フウも頷く。

『さぁて、そろそろよー。接敵まで20、周囲に魔導騎兵部隊あり。膠着状態ってカンジかな、どっちかというと魔導騎兵部隊が押されてる』

 フェンヴィーが、目標周辺の詳細な戦況データを送ってくる。フウの加速した思考はそれを流し見しただけで理解すると、少し顔をしかめる。

「おもったより密集してるね……どう思う、レイピル?」

『騎士タイプ相手じゃ、戟裂爪(レイザーネイル)は効果が薄い。ちょっとここは、場所譲って(・・・)もらうしかねェな。……うし、広域通信網をジャックした。かましてやれ、フウビ』

 レイピルはそう断ずると、こともなげに目標周辺に展開している部隊の通信網に強制介入する回線をでっち上げた。フウはそれに軽く頷いてめいっぱい息を吸うと、腹のそこから声を張り上げた。

「ど・い・てぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 第35騎兵部隊、その4番騎を駆る年若い男――ロットクライフ・ロルロースは、騎士タイプとの対峙という緊張の糸張り詰めた場面に突如、大音量と砂塵を伴って割り込んできた何かに一瞬呆けて我を忘れた。

『4番騎! ロックっ、何をぼさっとしている! 油断できる状況じゃないぞ! 貴様らもだ!』

「は、はいィっ!」

『り、了解っ』

 すかさず、副隊長機から叱責が飛んできた。若干上ずった返事を返しながらも、我に返る。通信画面には、ロック同様気が緩んでしまった部隊員たちがそれを取り繕うように返事を返すのを見て取れた。

 つい数分前に戦友のスプリガンをいとも容易く破壊した強敵を前にして気を乱すなど戦場では一番愚かな行為である。運よく敵の意識もその何かへ向いてくれたおかげで我に返るまでのほんの数秒を生き残ることが出来たが、次があるなどとは思ってはいけない。

 彼は慌ててスプリガンにロングソードを構えさせて、数歩後ずさる。右手に装着されたバックラーをいつでも展開できるように準備した。

 そして、一様に突っ込んできた物体を凝視する。もちろん今度こそ騎士タイプに対する注意は忘れないが。

 それの視認は、突っ込んできたときに盛大に巻き上げた砂塵が邪魔をして困難であった。サーモカメラに切り替えてみたところで、それが発生させる膨大な熱量は周囲の空気をも過熱し、歪めてしまっているせいでやはり正体をつかめない。それが何なのか掴みかねているのは騎士タイプのエヴィロンスも同じようで、その佇まいは先ほどまでの品定めするような静寂とは打って変わり、明らかに別種の警戒をはらんでいた。

 夜の荒野に風が吹き、砂塵のヴェールに覆われたそれが徐々に姿を現す。陽炎に揺らめく白銀の外殻は月明かりを鈍く照り返し、強靭な四肢でもってがっしと大地を掴み立つ。

 巨大で硬質な狼王がそこにあった。

『幻想機……!』

 ロックは、通信機から漏れ聞こえるアーリの声に確かな希望の響きを読み取った。幻想機、そう幻想機である。先ほどまで空を舞っていた鳥型とは姿かたちもまったく違う。が、それでもあの鳥型ほどの戦闘能力を有しているのならば。

(騎士タイプも、敵ではない……?)

 重圧の一部が氷解するのを感じる。親しくしていた戦友の命が、ふとした瞬間に、いとも簡単に刈り取られたのをまざまざと見せ付けられたことによって重くのしかかっていた重圧の一部が。

(そうだ、やれるっ。訓練では、騎士タイプどころじゃない、戦艦タイプだって相手にしてきたんだ。実戦でも戦士タイプは十分に倒せた。あいつは不意をつかれただけだ。俺は、やれるっ)

 ロックは、そう自らを鼓舞する。彼はこの戦闘が初陣であったが、シミュレータ上では更なる強敵との戦闘訓練だって数多くこなしてきた。おまけに、操縦技術において彼はレイフェン駐留軍の中でも上位に位置する。アーリや副隊長には及ばないが、それでも第35騎兵部隊(ブレーズ・ブラック)の一員として認められるだけの技量は持っているのだ。

 騎士タイプ何するものぞ。それを自分に言い聞かせ終わる頃には、口の端にわずかに笑みを浮かべる程度の余裕を捻出できるようになっていた。

 その余裕は、油断と紙一重であったのだが。

『ロックっ! 避けろ!』

「へっ?」

 飛び込んできたのは、単語を極限までそぎ落とした隊長(アーリ)の警告だった。ロックは視界から騎士タイプが忽然と消失しているのに気がついて、さあっと血の気が引く。同時にほとんど反射だけではあるが操縦かんをひったおして、とっさに左へ横っ飛びに転がった。

「ぐっ、あっ!?」

 直後に衝撃と、数瞬遅れで盛大に鳴り響くアラート。破損報告に目を走らせるより先に、思考操縦からフィードバックされた違和感で右腕が半ばから消失しているのを感じる。その勢いに任せ数回転がって、舌打ちをするより速く機体を立ち上がらせた。流石の操縦技術を窺える緊急機動であったが、しかし圧倒的に遅い。態勢を立て直そうとしたロック騎の眼前には、不可避の距離でつるぎが迫っていた。魔術防御と物理装甲による多重防壁構造で強固な防御力を持つ正面装甲を避けて、比して若干の柔らかさがあるわき腹へ、迷わず突き立てられる黒光りする剣。それはただひたすらに、魔導騎兵最大の弱点である騎手を殺すための一撃だ。

 ロックはそれを、やけに引き延ばされた時間の中で知覚していた。頭はいつもの倍回るくせに、その手は鈍重で行動は遅々たるものでしかない。思考の大部分を、もどかしさと苛立ちと、諦めが占める。不思議と恐怖はなかったが、代わりに悔しさがあった。

(ちくしょう)

 せめて最後の一瞬まで、目を瞑ることはしないでおこう。頑固さにも似た思いで、酷くゆったりと迫る死を凝視していた。

 衝撃が来た。

 されどそれはロックの身体を貫くような凶悪なものではなく。激しくはあれど優しい、守護の衝撃である。結果としてロックのスプリガンは吹っ飛ばされ、もんどりうって地面に転がったが、ロックは確かに存命していた。

 激しくシェイクされて霞む視界。割れるように痛む頭をおして、ほとんど無意識的に機体を立ち上がらせることを優先する。訓練尽くしの毎日で、刷り込まれた習慣だった。死んでいないのならば、生き残りたい。それが今のロックの思考の全てだ。

 破損報告に目を走らせれば、機体のそこかしこが全損を知らせる赤か、不具合を示す黄色に塗りつぶされている。正常(グリーン)は欠片程度。こうして立っているのがやっとの有様だった。

(あれは、なんだ……?)

 いまだ霞む視界の中で。所々ノイズの走った脳内仮想表示(ディスプレイ)に、ロックは赤く半透明の何かに阻まれ、その場に釘付けになっている騎士タイプを見た。


「間一髪だったね」

『ああ。ふっ、お前も魔法に相当慣れてきたみてェだな』

 ほっと胸をなでおろしたのは、フウだ。同調するレイピルの声色には、どこか誇らしげな感触を窺える。

 騎士タイプが幻想機(レイピル)を放って、スプリガンに仕掛けるとはフウの想像の埒外であった。レイピルにしても同様である。奴ら(エヴィロンス)はこれまで、攻撃の範囲内であれば最も脅威度の高い存在を優先して狙う嫌いがあったからだ。この場で脅威度のランク付けをするなら、レイピルが文句なしのぶっちぎりであるはずだ。だから虚を突かれた形になって、若干反応が遅れた。

 それでもフウは標的にされたスプリガンに致命の攻撃が加えられる直前に風撃(ブロウ)の魔法でスプリガンを吹っ飛ばして、ダメ押しとばかりに絶炎盾(ファイアウォール)を展開、接触を発動条件に縛炎鎖(フレームリストレイン)に再構成して敵を絡めとる複合魔法を即時に構築して撃ち放つという離れ業を見せた。現在ふっ飛ばしたスプリガンの騎手に命の別状はなく、騎士タイプは得物を網状に這う炎に絡みつかれ、身動きがとりづらくなっている。その炎を振り払うことに必死だ。それは、またとない好機である。


 フウは、レイピルを躊躇わず踏み切らせた。

 大きく飛び上がり、月の夜空に描いた弧の最頂点で体をひねる。最大出力の焔尾剣(テイルブレード)が赤熱し、騎士タイプの正中線を捉えた。

 己の得物への絶対の自信に裏打ちされた、真っ向唐竹割りである。

 愚直とすらいえるほどのその戦闘機動はしかし、幻想機の並外れた瞬発力と魔法力、更に上乗せされた位置エネルギーという物理法則によって最強の一撃となる。

 その攻撃を、騎士タイプはとっさに炎が纏わりついたままの前肢で受け止めようとした。その対処の速さは流石というべきであったが、それは失策であった。避けるべきだったのだ。

 鍔迫り合いにすらならなかった。

 最大出力で稼動させた焔尾剣(テイルブレード)の刃、その先端温度は実に摂氏一千万度超。半ばプラズマ化した刀身にかかれば、少し堅牢な程度の物理装甲など飴のように断ち切ることが出来る。

 だから刃同士がかち合った瞬間に接触面は蒸発し、驚愕する間もない。その膨大な熱量の暴力がいっそあっけないくらいに騎士タイプを縦一文字、真っ二つに両断した。

 レイピルはその勢いのまま騎士タイプの背後に降り立つと、しかと大地に爪を立て、機体を静止させる。膨大な余剰の運動エネルギーを熱エネルギーに全転換することによる急制動だ。

 機体表面各部の装甲がスライド展開し、盛大に蒸気が噴出するのと同時に、背後の騎士タイプは大爆発を起こした。

 爆光を背に受けながら、狼の姿をした幻想機が月に吼える。その高らかなる遠吠えは全戦場に伝播した。

 それは、希望の呼び声だった。事実この幻想機による騎士タイプ撃破を皮切りに、レイフェン戦力によるエヴィロンス勢力の押し返しが開始された。


 が、良い事が起きれば、それに比肩する悪いことが起きる、というのは世の常でもある。


「これが、幻想機かよ……」

 満身創痍のスプリガン、その所々壊れたコクピットの中で、ロックは幻想機という存在に圧倒されていた。

 あのアーリ隊長が警戒し、自分では手も足も出せなかった騎士タイプという強敵を、たった一刀の下に切り捨てたのだ。次元が違う、と想った。

『四番騎、無事か?』

 半ば惚けていたロックの元へ、アーリからの通信が届いた。所々ノイズの混じった通信越しに見る彼らが隊長の顔はしかし、どこか苦虫を噛み潰したようなものだった。何かあったに違いない、とロックは直感する。騎士タイプ撃破に勝る、何かが。

「はっ、自分は無事です。しかし、スプリガンは……」

 だから彼は実直に返答をした。彼自身鞭打ちや打ち身程度はあろうが、即座に命に関わるような怪我は負っていない。しかし彼の乗騎は、もうだめだろう。先ほどからひっきりなしに脱出(ベイルアウト)を勧告するメッセージが流れている。空間圧縮装置が破損している可能性もあった。

『うむ、こちらでも確認した。どうやらこれ以上の作戦行動は不可能らしいな』

 隊長騎は、部隊員のバイタルと機体ステータスの閲覧権限が与えられている。それを鑑みた上で、アーリは渋い顔をした。

「何か、おこったのですか?」

 ロックはその様子に、いよいよ嫌な予感が頭をよぎる。

『ああ。CPからの通達によると、南外郭の一部を突破されたらしい。由々しき事態だな。我々にはその掃討の任が下された』

 もともと防備が手薄であった街の南側の外郭の一部がエヴィロンスの突破を許してしまった。それはつまり、戦場がレイフェンの街の中にまで浸透してしまったと言うことだ。いくらシェルターに避難しているとはいえ、街の中には大勢の民間人がいる。ロックの家族だっている。その喉元に剣の切っ先を突きつけられたと言うことだ。

「そんなっ、南地区と言えば、駐留軍基地が……」

『あそこは他より壁が厚いからな。それを過信して警備を他の防衛に割きすぎた結果がこれだ。それに、向こうにも騎士タイプが出現したと言う報告も入っている。守備隊は全滅とのことだ』

 アーリの声色に、強く悔恨の色が浮かぶ。

『これより第35騎兵部隊(われわれ)は南外郭に進軍する。が、貴様は脱出せよ。不完全な機体で動き回られてはかなわん。回収部隊を手配した。それまでの間、自分を守れ。命令だ』

「っ……了解しました」

 ロックは自分の未熟さと不甲斐なさを噛み締めながら返答すると、機体に昇降姿勢を取らせてコクピットの強制開放レバーを引く。幸い脱出装置に不具合はなかった。

 彼は軋む体に鞭打って操縦席から這い出す。ハッチの外縁に足をかけて身を乗り出すと、ひどく熱気を含んだ風が彼を撫でた。

 昇降用のラダーは機能しなかった。地上よりおよそ5m強の高さは、中途半端にリアルで恐ろしい。が、騎手鎧の耐衝撃性はそれくらいの衝撃ならば殺してくれる高性能なものだ。そう言い聞かせ、彼は意を決してハッチから身を躍らせた。

 着地と同時に前転して勢いを殺す。騎手鎧の感覚欺瞞と衝撃吸収がきちんと機能してくれたおかげで、追加のダメージはない。

 ロックは立ち上がると、荒野にうずくまる己の愛騎を振り返った。

 右腕は肩口からごっそり抉り取られ、左腕ではひしゃげてあらぬ方向を向いていた。胸部装甲には大きく窪みが見られる。歪みが骨格(フレーム)にまで達していなかったのは不幸中の幸いと言えるだろう。首も半ば折れたような状態で、ひどく傾いでいた。

「すまねぇ、スプリガン……」

 これまで己の、文字通り手足となって働いてくれたその巨躯に、最後まで己を守ってくれたその親愛なる相棒をロックは一瞥して、回収予定地点に向けて歩き出した。


『幻想機、聞こえているだろうか。私はフェンヴェール国軍レイフェン駐留部隊所属、第35騎兵部隊長、アーリ・ターリブだ』

 フウとレイピルとが一息ついていると、開けっ放しになっていた通信回線を使って強面の男が話しかけていた。ちなみにセキュリティ強度の影響で、こっちから向こうの相貌を窺い知ることは出来ているが、向こうはこちらの映像を見ることは出来ていない。だから強面の男は、どこか探るような表情をわずかに見せていた。

「あっと、聞こえています。流凜……じゃなくて、フウビ・ルリンです」

 どうもファーストネームを先に述べる欧米形式に慣れていないフウである。アーリはその声にどこか驚いたような表情を見せた。おそらく予想していたよりずっと幼い声色だったからなのだろう。

『っと、失礼した。ルリン殿、唐突かつ不躾ですまないが、ひとつ頼まれてくれないだろうか』

「えっと、なんでしょう」

 どうやら通信越しのアーリという男は、真面目な男らしい。引き締められた厳めしい顔にそれが現れていた。

『レイフェン内部にエヴィロンスが侵入したと言うのは御存知かな? ……その様子では、御存知なかったか』

 思わずフウが息を呑んだのが聞こえたのだろう。アーリは続ける。

『我々第35騎兵部隊は、これより侵入したエヴィロンスの掃討へ向かう事となった。……その際に、行動不能になったうちの隊員のひとりを置いて行くことにしたのだが、回収部隊が来るまでの間、その警護をお願いできないだろうか』

「あー、えっと……」

(どうしよう、レイピル)

『お前が決めな。俺はそれに従うさ』

 フウはその依頼にこたえあぐねる。思考でレイピルに尋ねるも、結局はにべもない言葉が返ってくるだけだ。 

 たっぷり数秒悩んで、フウはそれを受けることにした。

「わかりました。えっと、あの人ですか?」

 受諾の言葉と共に、アーリの脳内仮想表示(ディスプレイ)に干渉してレイピルの見ている景色を表示させる。その視界には、確かに一人の男が名残惜しげにかつての相棒を一瞥する姿が映し出されていた。

『っ、そうだ。宜しく頼む』

 視覚情報に強制介入されたことに驚くもアーリはすぐに冷静さを取り戻すと、短く言い残して踵を返した。彼の騎を中心に部隊員たちが終結し、隊列を組んでレイフェンを目指す。

『へっ、つまらねェ仕事を請けたもんだぜ』

 その後姿を見送るレイピルは、呆れたような声だった。

「いいじゃない? 人助け、出来るならしたほうが絶対に良いよ」

 そもそもフウの戦う理由が人助けなのだから、断わる理由などはじめからなかったともいえる。

 フウはレイピルを件の護衛対象を踏み潰さないよう最大限の注意を払って横まで移動させると、防御結界の三重張りで保護をした。これで滅多なことでは中の人物に危害を加えることは出来なくなったわけである。


 ロックは、いきなり周囲を光の壁で覆われて驚いていた。地面から立ち上がるように構築された明緑色の光の壁は、叩けば割れそうなほどに薄くありながら、実際叩いてみてもびくともしない強度を持っていた。

「なんだ、こりゃあ」

『あ、あーテステス。えっと、聞こえますか?』

 ロックが途方にくれていると、彼の目前にウインドウが開き、青い髪をした少女の鈴のような声が鼓膜を震わせた。

「あ、ああ。聞こえているが……これは一体何だ? 君は一体?」

『えっと、私の名前はフウビ・ルリン。幻想機レイピルの契約者です。いまほどアーリさんって人から、回収部隊が来るまであなたを保護して欲しいと頼まれました』

「げ、幻想機!? じゃあ、あの狼の幻想機を動かしてたのは君なのか?」

 ロックは仰天してウィンドウ越しの少女を凝視した。年のころは彼とそう変わらないどころか、年下のようですらある。ちなみに現在ロックは23であるからまごうことなき年下である。彼が思い描いていたのはもっと年嵩の魔術師であったから、その驚きようも致し方あるまい。

『えと、はい。えっと、それでですね、私も名乗ったことですし、あなたのお名前も一応聞かせていただけますか?』

 フウビと名乗った少女は、その熱烈な視線に少し困ったような表情で話題を振る。特に意味のある問いではないが、回収部隊の到着までは暇なのだ。

「ああ、悪かった。俺はロットクライフ。隊のみんなからは、ロックって呼ばれてる」

『ロックさんですね。わかりました』

 ロックはあえて姓を名乗らなかったのだが、フウは大して気にもしていないようだった。ロックの知ることではないが、フウという少女は基本人見知りであるので、それどころではないと言うのもある。普段から付き合いがあるものならば、今の彼女の口調の固さに苦笑するだろう。


 結局回収部隊が到着するまでの数分の間、フウとロックはぎこちない会話で時間を潰すこととなったのであった。



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 鳴り響く接近警報、襲い来る衝撃。耳のすぐ近くで鈍い異音を聞きながら、意識は急激に光に包まれていった。



「……さて、シミュレータ体験の前に、魔導騎兵というのは、我々ミルナーヴァに住まう人間が作り出した様々な技術の結晶だということをまずは明言しておこう」

 レイフェン駐留軍基地の一角、ちょうど空室だったブリーフィングルームにて、ホワイトボードを前にアーリはそう口火を切った。

 安っぽいパイプ椅子に座った佐藤は講義を受ける学生宜しく、アーリの言葉を一言一句聞き逃すまいと真剣であった。

「それではまず、手元の資料の1ページ目を。魔導騎兵の大まかな成り立ちと歴史についてだ。何事も、その起源を知っておくことは重要だ。そこを疎かにしてしまうと、新しい発想もなかなか生まれないからな」

「温故知新……ふるきをあたため、あたらしきをしるって奴ですか」

「ほう、なかなか良い言葉だな。君の創作かい?」

「まさか。故郷(ふるさと)に伝わる言葉ですよ」

 日本に似ているようで、また日本とは違う。それを今一度実感した佐藤は、先ほど配られた見学者用パンフレットを開いた。

「事の起こりは3千年前、エヴィシーと呼ばれる異世界体の侵略行動に端を発している。当時のミルナーヴァはフェンヴェール、ラグラルキーン、そしてレイフィールの3国が支配していた。コルーンやラクルタスが興ったのは、それより1千年ばかり時を置かねばならん。……まあ、この辺は小学校の歴史でも習うようなことだ。詳しく説明はしないが、良いかな?」

「あ~、はい」

 ミルナーヴァ(こっち)の小学校は出ていないんだけどなあなどと内心で思いつつも、佐藤。アーリは頷いて、続けた。

「当時の人類側戦力は、歩兵と騎馬兵、そして魔法兵があったが、装備と言えばよくて鉄の鎧に鉄の剣、槍。魔法兵ならば昨今使用されている軍用杖(アーミースタッフ)の10%程度の出力しかない杖といったところで、エヴィシーにはまったく歯が立たなかったと記録されている」

 アーリは言いながら、手元のコンソールを操作する。すると今までホワイトボードだったものに、先ほどの説明にあった古代の装備の再現イラストが表示された。

 それは佐藤の知るところの、古代ヨーロッパ風の鎧だった。かといえば、騎馬兵用の鎧は古代中国を思わせたし、魔法兵用の装備は日本の戦国時代の、足軽用の鎧に似ていた。地球出身の佐藤にしてみれば、なんともちゃんぽんな装備である。

「まぁ、このような笑ってしまうほど脆弱な装備しかなかったわけだ。因みに、これが文献その他から推察されるエヴィシーだ」

 次いで映し出されたのは、何というべきか、人であって人ならざるものであった。まずその大きさたるや、対比用に並べられた先ほどの鎧甲冑の実に8倍、凡そ15メートルほどであろうか。

 二足で立つのは人と同じなれど、その腕は3本2対で計6本、筋骨隆々とした外側の2対と、内側に細く針金のような腕を持つ。また首は無く、頭は胸と、背中に埋め込まれた二つを持つ。しかしその表情たるや、人のそれによく似ている。二面六臂の怪物だった。

「こ、これにあんな装備で挑んだって言うんですか? 当時のミルナーヴァ人は」

「うむ。小文書によれば、そうなっているな。エヴィシーについても化石が発掘されているから、誇張ではないようだ」

 佐藤は愕然とする。というか、どう考えても人類に勝ち目は無い様に見えた。ウィエルの話によればこの後幻想機が誕生してエヴィシーを追っ払うとのことだが、そんなものを開発している間が本当にあったのだろうか。いや、あったからこその今の世界なのだろうが。

「さて、当然のことながら古代ミルナーヴァ人はエヴィシーにまったく太刀打ちできなかった。そこで3国は同盟を結び、ひとつの魔法兵器を作り上げる」

「幻想機、ですね?」

「理解が早くて助かる。古文書によればだが、幻想機の製作はラグラルキーンを主軸として行われ、エヴィシー襲来より2週間の後に、その完成を見たという」

「2週間!? ちょっと早すぎませんか?」

 思わず佐藤はずっこけそうになった。ウィエルを信じるならば幻想機のチカラはそれこそ、一国の命運を左右できるほどのもの。そもそも兵器の開発など、数年スパンが当然だという頭の佐藤に、それをたったの2週間で作り上げたといわれては、驚くのも無理は無いだろう。

 事実、アーリも苦笑していた。

「まあ、驚くのも無理は無いだろうな。私もこれは、誇張の類が多分に含まれているものと思っているよ。ただエヴィシー襲来と時を同じくして、ラグラルキーンに稀代の天才と呼ばれる魔術機構学者が立ったともある。名をソルジア・スタッフィルド。彼の類稀なる知識が、幻想機建造の鍵となったとな」

 佐藤の手元の資料にも、ソルジアの名があった。なんでも風のように現れてラグラルキーンに仕官し、幻想機開発の終了と共にその姿を眩ませた、謎多き天才だという。

「一部の歴史好きの間じゃ、実はエヴィシーからの離反者だったとか、幻想機の製法を漏らさぬために国に消されたとか、いろいろ説が飛び交っているが、真相は藪の中だ。なにせ3千年も前の話だからな。……っと、話がそれたな。幻想機が戦場に立って、戦況は大きく変わった。その絶大な力は、今までエヴィシー1体に一個大隊で当たって互角以下だった戦力差をあっさり塗り替えた。幻想機1に対してエヴィシー10体ですら相手にならないほどにな」

「凄まじいですね」

「ああ。だがしかし、欠点もあった。何かわかるかね」

 質問を投げかけられた佐藤は、少し考えると言った。

「数、ですかね? 今に至るまで、幻想機の伝承はその一騎のみにしかない。……後に3つに分かたれたそうですが、それはおいておいて。おそらくそんな凄まじい兵器、製作に掛かるコストが尋常じゃないでしょうし、使いこなせる人間も少なかったでしょうから」

「うむ。その通りだ。加えて、ソルジアの失踪も大きく影を落としたとある。恐ろしく複雑な魔法式で構成された魔法兵器だからな、ソルジアが独自に手がけた部分が多く、残された人員ではあまりに難解すぎて解析できなかったらしい」

 佐藤の脳裏に、スパゲッティコードという単語が浮かんで消えた。

「要するにブラックボックスでな、ヘタに弄って幻想機がお釈迦になればもう一度作り直すことなどは不可能だ。そこで当時の三国上層部が考えたのが、量産型幻想機である魔導騎兵だ」

「おおっ」

 "量産型"というフレーズに、佐藤は胸が高鳴るのを感じずにはいられない。高価なワンオフ機、不思議装備の実験機というのもそそられるが、ロボット好きとしては量産機を外して語ることは出来まい。無駄をそぎ落とし、ある程度の発展性を確保した上でコストと折り合いをつける、量産機には量産機の美学があるのだ。

 目を輝かせ食い入るような視線で、佐藤は続きを促す。

「もともと歩兵の甲冑に魔法金属を用いる計画が、幻想機開発の副産物的技術革新によって飛躍した。歩兵用甲冑をベースに装甲材を魔法金属に置換したモノが、現在伝えられている魔導騎兵の第1世代だ」

 エヴィシーを映していたスクリーンが切り替わり、先ほどの西洋甲冑を少しごつくしたような鎧が映し出される。

「細かい開発史を辿っていくとそれだけで一日が終わるのでな。ここからは巻きだ。聞き逃さないように」

「おお、これは壮観」

 ずらりと、スクリーンに様々な鎧が映し出される。それは幾重にも分岐した矢印の上に表示されていることから、これが魔導騎兵の開発系統図だということを佐藤は瞬時に理解した。

「装甲材の転換だけにとどまった第1世代だったが、第2世代からは魔導電筋(まどうでんきん)……詰まる所人工筋肉の採用による膂力の増強が図られている。魔導電筋の搭載量の増加に伴い、第2世代から魔導騎兵が大型化しているのがわかるだろう。それはそのまま機体の出力向上に直結し、第6世代『アーゼェンレギナ』の段階で人間の20倍以上の膂力、敏捷性を得るに至っている」

 その解説と共にクローズアップされたのが、横の人物対比からして約3m強の鎧だった。しかし鎧とはいえその姿はもはや、パワードスーツというよりはパワーローダーという言葉がしっくり来る風体だ。

「この『アーゼェンレギナ』の普及によって、人類はエヴィシー1体に1個小隊で何とか拮抗できるまでにはなった。とはいえ戦場の主役は幻想機で、その取りこぼしをよってたかってボコボコにする、というのが当時の戦術だったらしいがな」

 佐藤は、いつだったかにテレビで見た自分より大きな獲物を襲う軍隊蟻の姿を思い浮かべた。おあつらえ向きに、アーゼェンレギナも黒い装甲を有していたらしい。

「ちなみにこのアーゼェンレギナ直系の後継機が、現在我がフェンヴェール軍機械化歩兵部隊の標準装備であるアーゼェンレギナMk-17だ。分類は強化装甲鎧骨格(アーマードフレーム)と改められ、我が軍の主力として活躍している」

 スクリーンに表示された開発系統図のうち、確かにアーゼェンレギナの段階で矢印が二つに分かれ、それぞれが現在に向かって伸びてきていた。

 現在運用されているアーゼェンレギナMk-17は、初代に比べ装甲面積が増加している割りに、見た目の印象はスリムにシェイプアップされていた。装甲も黒一色ではなく、白地にスカイブルーと鮮やかで、軽やかだ。

「さて、この系統図を見てくれ。第6号『アーゼェンレギナ』から第7号『アイオーン』への課程で大きな転換があったのがわかるだろう? 原初の魔導騎兵において、その力の源たる魔導電筋を伸縮させる魔法式には純然たる着装者の魔力を使っていたとされている。驚くべきことに現在と違い古代ミルナーヴァ人はみな魔法を使えたというが、機体制御に魔力を割きながら戦闘を行うのにも限界があったようでな。アーゼェンレギナで戦闘力は頭打ちになってしまった」

 スクリーンには、当時の文献から復元したと言う魔導電筋動作用魔法式が表示された。ちなみに佐藤は魔法に関して全くといっていいほど知識を持たないが、それでも興味津々にふんふんとうなずいてみせる。

「その停滞した状況を打破したのが、電源呪符と主機、すなわち魔力電力転換炉たる『EMS(エムズ)機関』の発明だ。魔力を電力として蓄えておける電源呪符、そして魔力と電力を相互に転換、微量ながら増幅が行えるEMS機関の登場により、魔導騎兵は更なるステージへ、つまり機体の大型化を可能とし、更なる出力向上をもたらした。EMS機関まわりは機密度が高くてな、詳細なデータの公開は出来んが、とにかく二機編成(エレメント)であれば十分にエヴィシーを圧倒できるようになった第7世代『アイオーン』が、現在の魔導騎兵の直接的な祖となったわけだ」

 スクリーンにクローズアップされたアイオーンは、隣のアーゼェンレギナと比して一目でわかるほどの変化があった。機体の身長はおよそ2倍となり、8m前後。これは佐藤もその目で見た現行の魔導騎兵スプリガンとほぼ同じサイズだ。次にアーゼェンレギナでは人型から外れかかっていたシルエットが再び人の形に近づいている。また各部の装甲はアーゼェンレギナに比するまでもなく堅牢で、隙なくその全身を覆っていた。顔面は騎士兜の面頬に近い意匠で、単眼を露出していた。

 スプリガンと比しても重厚なその機体はいかにも旧世代機然とした貫禄を醸し出しており、佐藤は純粋に、カッコいいなと思った。

「さて、これで魔導騎兵の成り立ちについての説明を終了する」

 アーリがそういうと、スクリーンに映し出されていた映像が消え、元のホワイトボードへ返った。

「続いて、魔導騎兵の操縦についての説明を行う。資料の18頁を……」




「……っは!?」

 突然の"引き戻される"感覚と共に、鈍い痛みが佐藤を襲う。

(ええっと、なんじゃこりゃ)

 混乱する頭を必死に回転させて、現状の把握に努める。

(えらく狭い……なんだここ)

 どうやら自分が何か狭い空間、おそらく乗り物に乗っているのだろうと言うことまでは認識できたが、それ以上はまだ思考が追いついていない。耳鳴りがひどく、満足に音も聞こえない。

(明るい? 外、なのか)

 そこまで考えて、佐藤はどこか滲む視界にその光源を探がす。そして数瞬のうちにそれ、周囲に赤々と燃える炎を探り当てた佐藤の意識は、急激に覚醒した。

(!? そうだ、ここは魔導騎兵のコクピットで、エヴィロンスに基地が襲われて、無理やり出撃して……!)

 意識がしっかりしてくると共に明瞭となった頭痛に、佐藤は顔をしかめる。

(思い出した、出た途端に攻撃されて、とっさに庇って……生きてるってことは、防御できたってことだよな。まずはよし。どれだけ気を失ってた……? いや、ほとんど一瞬か。しかしなんでまた魔導騎兵史の講義なんか思い出してたんだ、走馬灯ってやつか?)

 次いで痛む頭をおして乗騎、アルデバンサーIFSのステータスをチェックする。結果、特に異常はなし。どうやらエヴィロンスの攻撃はすんでで防げたらしい。ひとまずほっと息をつく。

 佐藤のアルデバンサーIFSは地上に出たのとほぼ同時に戦士型エヴィロンスの攻撃を受けた。佐藤はほとんど反射で左腕のブロードソードを振り上げ、その腹を使って防御。成功したには成功したのだが、衝撃でコクピットの天井にしたたか頭をぶつけ、軽い脳震盪で気をやっていたのだ。何とか脳挫傷を免れたのは、ひとえに騎手鎧の対衝撃性能のおかげだ。攻撃を仕掛けてきた戦士型エヴィロンスは防御されたと見るや距離をとったので、その一瞬の空隙を突かれずにすんだのはまさに幸運である。

『佐藤さん! 聞こえますか、佐藤さん!?』

「っつつ、こちら佐藤。機体に損傷ありません。向こうの攻撃を弾いたときに浮上っちまって、天井に頭をぶつけた模様」

 耳鳴りが収まったことによって、ようやく通信に気付く。もはや悲痛とも言うべきオーレンノーツの声の後ろでは、騒然とした様子の管制室。佐藤はかぶりを振って意識をはっきりさせると、端的に報告した。

『何でシートベルトをつけてないんですか!』

「忘れてましたスイマセン!」

 オーレンノーツの怒声に、佐藤は平謝りしながらようやくシートベルトで体を座席に固定する。

「ったく、折角の初ロボだってのに、かっこわりぃ」

 思わずぼやく佐藤だったが、そんな感傷に浸る時間を与えてくれるほど敵は待ってはくれない。先ほど佐藤を襲撃した一体が、再び腕を振りかぶって一気に距離を詰めてくる。

「後悔先に立たず、挽回すりゃあいいっ!」

 こんどの攻撃には、佐藤も反射ではなくしっかりとした意識の中で対処する。振り下ろされるエヴィロンスの棍のような前肢を、左腕に保持したブロードソードで跳ね上げる。刃が立たなかったためにダメージこそ与えられてはいないが、相手は態勢を崩した。好機である。

 佐藤はとっさにもう一本のブロードソードを抜き放って右腕に保持させると、今度はしっかりと"斬る"ために剣を振り下ろす。

 戦士型エヴィロンスの堅牢な甲殻と巨大な金属の塊であるブロードソードが火花を散らし、ほんの僅差で剣が勝った。浅く食い込んだ刃に右腕の全出力を乗せ、袈裟懸けに振り抜く。金属同士が擦れるような音を残して、エヴィロンスの体幹深くを白刃が抉る。胴に深手を負ったエヴィロンスは悶絶しながら倒れ臥した。もがくエヴィロンスを踏みつけ、佐藤は容赦なくその首、甲殻と甲殻のわずかな隙間を狙って剣を突き立てる。ブシュウと音を立てて極彩色の体液が噴出し、そのエヴィロンスは絶命した。

「よしっ、やれる!」

 佐藤は、魔導騎兵というロボットの操縦に確かな手ごたえを感じていた。

 彼は大学生のころから、バイトで稼いだ金をほぼ全てロボット関連の何がしかに費やしてきた生粋のロボマニアである。ロボットが関連するビデオゲームは手に入る範囲で全てそろえたし、やりこんだ。ROBO-ONE用の既製品ロボットを購入し、そのためだけにプログラミングを勉強した。ゲームセンターにおかれているアーケードゲームもロボットが登場するものは一通り触ったし、中でも某国民的ロボットの操縦を疑似体験できる、コクピットを模した大型筐体に乗り込むタイプのゲームには熱中した。サービス開始時点からプレイを始め、大学を卒業するころにはゲーム内の最高階級にまで上り詰めていた。

 佐藤はまさに、「好きこそ物の上手なれ」を体現したような男である。己の趣味、興味の対象には、並々ならぬ努力と情熱を傾けることをちっともいとわない。もしかしてロボットに乗るときが来るかもしれないと日夜健康な体作りに励み、大学在学中から現在に至るまでよっぽどのことが無い限り毎朝のトレーニングは欠かさなかった。もしかしたら何かの役に立つかもしれないと、フォークリフトからユンボ、クレーンなど特殊車両の免許も取得した。

 その甲斐あってか、初搭乗であるにもかかわらず、佐藤はそんじょそこらの騎手よりもよっぽど魔導騎兵の独特な操縦をその手中に収めている。情熱は、ときに理屈を凌駕する。その良い一例だった。

 仲間をいとも容易く葬られ、エヴィロンス達は本格的にアルデバンサーIFSを高脅威度対象として認識したらしい。無作為に破壊を振りまいていただけだったモノが、明らかに明確な敵意の志向性を持ってアルデバンサーIFSを取り囲む。

 佐藤はそんなエヴィロンスの動きを察知して、全方位から襲撃を受けても対処できるようにいっそう神経を尖らせた。先ほどエヴィロンスを突き殺した剣を両手に保持し、二刀流の構えだ。ちなみに佐藤の剣道経験は高校生のときの選択武道のみであるが、実に堂に入った構えである。これはロボットアクションゲームの影響を浮けまくった結果、機械というインターフェイスを介しロボットに動作させるという工程を踏むことで、達人に近い動きを可能としているのだ。思考操縦の利点の一つである「認識さえしっかりとしていればその通りに動く」という性質が大いに役に立っているというわけだ。

「さあ、どっからでも掛かって来い」

 エヴィロンスに人の言葉が伝わるのかどうかは知らないが、佐藤は挑発めいた呟きと共に、バサバサに乾いた唇を舐めた。それは自分に対する鼓舞でもある。

 正直な話、佐藤は自分自身で自覚できるくらいにはビビッていたのだ。最初に出撃を申し出たとき、彼はまだどこかで楽に考えている部分があった。だから大口も叩けた。

 ところがいざ戦場に出てみれば即行で痛い目にあい、出鼻をくじかれるハメに。何とか一体は倒せたものの、現在は敵にぐるりと周囲を囲まれた状況だ。流石のロボマニアと言えど、これに恐怖を抱かないほど佐藤は自信家ではないし、馬鹿でもない。

 しかしだからといって、恐怖で恐慌状態に陥るほど弱くも無いのは事実だった。

 佐藤はわが身を恐怖に晒しながらも、必死に冷静さを失わないように努める。とにかく、生きなければならない。念願かなってロボットに乗れたのに、出てきた途端にボコボコにされて死にましたでは、それはあまりにもかっこ悪い。佐藤の中で、ロボットは格好の良いものだ。ならば、そのロボットを操る自分は格好良く生き延びなくてはならない。

 だからこその、挑発じみた呟きだった。自分はこれだけ余裕だぞ、と、自分に言い聞かせるための方便だった。

 双方がその出方を量り、ジリジリとした膠着の時間。その一種神聖とも言うべき静寂を破ったのは、エヴィロンス側からの魔法攻撃だった。

 ジャッという空気を割いた音と共に、幾重もの熱線がアルデバンサーIFSに迫る。佐藤は軽やかにサイドステップを踏ませて回避し、攻撃の一瞬の切れ目を見計らって大地を蹴る。人間の数百倍の脚力がアスファルトを踏み砕き、一足飛びに魔術師タイプへ肉薄する。

 壁役を務めていた戦士タイプはその一瞬の加速に虚を突かれたのか、防御にせよ迎撃にせよ、行動に移るまでに致命的なラグを生じた。それを佐藤は見逃さない。先ほど戦士タイプの装甲を斬りつけたほうの剣を人の数百倍の膂力を持って一思いに投擲した。それは矢のように飛んで、狙い過たず壁役のエヴィロンスの胸部に直撃する。堅い甲殻をまともに切りつけたせいで、その剣はもう最初の一合わせで刃が毀れていた。鋭さを失ったそれは刺さりこそしなかったが、剣そのものは刃渡り4メートルはあろうかという金属の塊であり、かなりの重量物だ。それに投擲による運動エネルギーが加算されることによって、エヴィロンスの胸部甲殻に減り込んだ。

 佐藤はアルデバンサーIFSの速度を緩めず、投擲した剣がエヴィロンスに着弾(・・)するのとほとんど同じタイミングで最接近すると、胸部甲殻にクレーターを作ったその剣の石突を勢いのままに蹴りこんだ。

 鋭さを失った剣はしかし、爆発的な加圧により戦士タイプの胴を貫通する。無理が祟って刀身は半ばで折れたものの、エヴィロンス一体を絶命させたのだからそれでよしとばかりに、佐藤は、些かも速度を緩めず。エヴィロンスの死骸を蹴倒して、踏み切り台代わりに飛ぶ。狙いはもとより、その後ろに控える魔術師タイプである。

 魔術師タイプのカマキリのような頭から表情は読み取れないが、それがあからさまに狼狽していることはわかる。佐藤は苦し紛れに放たれる魔法を手足の微動作のみによる空中機動でこともなげに回避すると、左手で保持したブロードソードを振りかぶる。剣の重量、速度、位置エネルギー、それらは魔導騎兵の魔導電筋が生み出す絶大な膂力を何倍、何十倍にも増幅し、勢いよく振り下ろされた剣の一撃は、一刀の下に魔術師タイプを真っ二つに切り捨てた。

 遠距離攻撃役を潰した上に敵の包囲網を切り抜けた佐藤のアルデバンサーIFSは、着地と同時に前回り受身で勢いを殺す。ある程度の距離をとって再び、エヴィロンスの一群と相対する。

「ひいふうみい……7体か」

 ここに来てようやく、敵の数を数えられるくらいは余裕が出来た。固まってくれていたのも幸いしたといえるだろう。

「オーレンノーツさん、援軍とかは……」

『現在、第35騎兵部隊がこちらに向かっているようです。到着予定まで、2分と少し』

「35騎兵部隊……アーリさんの隊か! 7体相手に2分踏ん張ればいいわけだな。……よぉし!」

 これでひとまず、希望が生まれた。佐藤は操縦かんを何度か握りなおし、気合を入れなおす。

 敵集団は少し距離をとった地点から、動かない。遠距離攻撃を使える魔術師タイプを落とされたことで、エヴィロンス側のアドバンテージはひとつが消失している。数の上での利はまだエヴィロンス側にあるが、この短時間で3体もの戦力を潰されたことに、流石に慎重になっているのだろう。

(このまま睨みあったままで2分が過ぎて、アーリさんたちが来れば万々歳だがな……)

 先ほど剣を一本ダメにしてしまったので、現在こちらはブロードソード一振りとレールガン一挺のみ。心もとなくはある。

 ゆえにそう思うのも至極自然だろう。ロボマニアとしての矜持は、十分果たしたといえる。

 その矢先だった。

「……っ!?」

 引きつるような悪寒を背後で感じ、佐藤はとっさにアルデバンサーIFSの身を半身だけ捩じらせる。間髪おかずに機体の横擦れ擦れを通り抜ける、鋭利な風切り音。

 佐藤はぞわりと総毛立ちながらも機体を制御し、横っ飛びに飛ぶ。アルデバンサーの目が、その襲撃者の姿を捉えた。

『き、騎士タイプっ!?』

 通信から、オーレンノーツの悲鳴じみた声。良い予感は全くしないが、佐藤は尋ねる。

「何ですかっ、それは? ヤバイ相手みたいですけどっ!」

『それはエヴィロンスの上位種です! 対処には、魔導騎兵一個小隊が推奨されるほどの、強敵です!』

 その回答は凡そ佐藤の予想通りであり、予想より悪い。内心舌打ちしながらも、佐藤は態勢を直すより先に剣を振った。視界の端の騎士タイプが、こちらへ飛び込んでくるのを辛うじて認識できたからだ。

 その選択は限りなく正解に近かった。騎士タイプの鋭く研ぎ澄まされた前肢と、アルデバンサーIFSのブロードソードが火花を上げてかち合う。

「っぐ、パワーもある!? 速いだけじゃないのかよ」

 その一撃は鋭く重く、辛うじていなすのが精一杯だった。その後も2撃、3撃と続いて繰り出される攻撃を、佐藤は何とか自機の剣を合わせることによって防ぐ。が、それ以上、つまりこちらから攻めるまでの余裕は無い。

 騎士タイプの攻撃は速く重く、さらに手数も多い。二本の前肢がそのまま武器となるからだ。佐藤は、剣を1本捨てた先ほどの判断を少しだけ悔やんだ。

 幸いなことに、他のエヴィロンスがこちらに仕掛けてくることは無かった。上位種への信頼か、はたまた巻き込まれたくないのかはわからないが、佐藤にとってそれは数少ない救いだった。

「くっ、あっ、しまったッ!?」

 他のエヴィロンスの様子を窺うのに、一瞬だけ意識を逸らしたのは完全なる失策だった。そのわずかな隙を見逃さなかった騎士タイプは、右の前肢でアルデバンサーIFSのブロードソードを弾き飛ばす。それは宙を舞って、少し離れた地面に刺さった。取りに走れるだけの余裕は無い。

 左の前肢が振りかぶられる。それがレールガンの銃身で受けきれるような攻撃でないことは、先ほどまでの攻撃でわかっている。今の佐藤は、丸腰だ。

『……ッ!』

 通信越しに、オーレンノーツが息を呑んだのがわかった。

 鋭い左腕が、振り下ろされる。それは破壊だった。破壊そのものだった。佐藤はその切っ先が描く円弧の軌跡が、馬鹿にゆっくりと見えていた。

「くそったれ……!」

 その悪態が、佐藤の最期の言葉に……は、ならなかった。

 衝撃は来た。しかしそれは、佐藤の思っていたものとは別種のもの。振り下ろされた前肢を、しっかりとなにかで受け止めた、この数分ですっかり馴染んでしまった衝撃だ。

 佐藤の入力とは無関係に、アルデバンサーIFSは亜空ラッチ(・・・・・)からブロードソードを一振り呼び出して右腕で保持、すんでのところで騎士タイプの攻撃を受け止めていたのである。

『ふぅー、間一髪。間に合って良かったッす!』

 そしてアルデバンサーIFSのコクピットに響く、佐藤でもオーレンノーツでも、ましてやファンシェ博士でもない声。

「……へっ?」

 そのときの佐藤は、おそらくここ最近でいっとう間抜けな顔をしていた。



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 ああ、これは死んだ、佐藤は確かに思った。機体のカメラを通して脳内に投影される映像を占める、凶悪さを隠そうともしない死の円弧。魔導騎兵の正面装甲を易々と圧断しうるその一撃が、己の命を容易く奪うのだろうと諦観していた。

 だが。

『ふぅー、間一髪。間に合って良かったッす!』

 そんな声が聞こえて、アルデバンサーIFSはどこからともなく取り出した剣を右腕に、騎士タイプの斬撃を受けきっていた。

 無論、佐藤はそんな入力をしていないわけで、呆気にとられる。ぽかんとだらしなく口を開けて、あまり人様に向けられたものではないほどの間抜け面を晒していた。

 とはいえ失禁しなかっただけ胆力はあるのだろう。その胆力を持って我に返った佐藤はいろいろ疑問は棚上げして、とにかく機体を動かした。打ち合っていた剣をバウンドさせて一旦引き剥がすと、即座にバックステップで距離をとる。機体はすんなり佐藤の入力を受け付けたので、自動操縦に切り替わったと言うわけではないようだった。

『お見事です、佐藤サン。あのままコンマ6秒動作がなければ、右腕の魔導電筋の2%に断裂が生じてました』

 また声がした。それは限りなく人、高めの成人男性風に近しい声だったが、どこか電子音声の面影を残している。その声に、佐藤はひとつ聞き覚えがあった。

「ええと、ありがとよ。ところで、お前はいったいなんなんだ? もしかして、IFSって奴のユーザインタフェースか何かか?」

『御明察っス。ボクはイミテーション() ファンタズム() システム()有人格ユーザインターフェース、ロードマジック() アドミスター() ブレイン() インテリジェンス()の試作1号機で、コードはINABA(イナバ)っス。ヨロシクっス、佐藤さん』

 イナバと名乗るAIは、みょうちくりんなコンビニ敬語でそう挨拶をした。同時に視界の隅っこ、戦闘の邪魔にならない部分に、シルクハットとタキシード姿をした白兎のマスコットが表示される。どうやらこれがイナバのアバターのようだ。そのいでたちならばイナバではなくアリスなのでは、と佐藤は一瞬思ったが、深くは考えないことに決めた。

「お、おう。よろしく頼む。とにかく今は、あの厄介極まりない奴を何とかするぞ」

『ラジャっス!』

 一命をとりとめ、何とか距離をとっての睨みあいに持ち込んだとはいえ、暢気に話をしていられるような状況でないことに変わりはない。佐藤は右腕にブロードソードを保持したまま左腕で魔導レールガンを装備し、油断なく態勢を整える。

「ところでイナバくん。お前って、何をするAIなんだ?」

 敵の出方を窺いつつ、ふとした疑問をイナバにぶつける。今こうして魔導騎兵を動かす分には、有人格インターフェースなど必要はない。ならば当然、何らかの付加価値が彼には設定されているのだろうと踏んだ上での疑問だった。

『そっスね……平たく言っちゃえば、魔法の制御っス。緊急時の半自動制御やEMS(エムズ)機関の出力調整なんかもその範疇に入ってるんスけど、メインは攻撃魔法の行使っスね』

 イナバは、アバターの胸を張ってそう応えた。

「魔法ねえ。俺は一切使ったことないし、使えないんだが、それでも戦力として期待できるのか?」

 対して佐藤は些か懐疑的だ。魔法の凄さはウィエルやフウの生身での戦闘を見ているからわかっているつもりの彼だが、悲しいかな彼に魔法の才能は皆無である。ウィエルいわく「最も簡単な微風を起こす魔法」すら、彼は使用できなかった。

『もちろんっス。さっきも亜空ラッチを無理やりこじ開けるのに使ったっスよ?』

 これぞドヤ顔という表情で、イナバ。そういえば、と佐藤はアルデバンサーIFSが右腕に保持する、先ほど中空から現れ出でたブロードソードに視線を落とす。確か出撃の際、オーレンノーツが亜空ラッチの使用は出来ない、といっていたはずだ。

『それに騎士タイプの攻撃を受け止めた時、剣に物理耐性上昇のエンチャントをかけたっス。ホント、あれはギリギリだったっスよ』

 そういえば、ブロードソードの刀身がほのかに魔力光を放っている。なるほど、と佐藤は頷いた。

「そいつは心強い。あらためてよろしくな」

『こちらこそっス。っと、早速来ますよ。どうやら後方のエヴィロンスも仕掛けて来る見たいっス』

「8対1かよ、大人げねーなっ!」

 イナバのアナウンスに即応して、佐藤は後方に展開する戦士タイプの中から適当に選んだ一体の頭部に左腕のレールガンを照準し、少しの迷いもなく流れるような動作で引き金を引く。操縦桿から発せられた魔力信号は光の速さでレールガンの制御機構へ伝達され、少しの遅滞もなく砲火が炸裂した。

 短い放電音と共に紫電が奔り、電源呪符を1個まるまる使い切るほどの莫大な電力によって電磁誘導された弾丸は音速をはるかに超えた速度で投射され、一直線に標的へ突き刺さってそれを貫通した。

 魔導式レールガン、それは魔導騎兵の携行火器として、最も一般的(スタンダード)なものである。もともと魔力と電力の相互変換効率が異常に良かったのも幸いし、ミルナーヴァでは大型火砲に火薬ではなく電力を使用してきた。その到達点の一つがこの全長6メートルばかりの長銃だ。取り回しの悪さは、魔導騎兵のパワーで強引にカバーしている。このレールガンは弾倉部に空間圧縮を施して大量の電源呪符を封入することで、火力と連射性の両立を果たした傑作機である。

 話がそれたが、その一撃は確かに戦士タイプの頭部を吹っ飛ばして絶命せしめた。それは後方から今にも行動を起こさんとしていた下位エヴィロンスの出鼻を完全に挫く。

 しかし上位エヴィロンスである騎士タイプは違った。レールガンの発砲音を合図とばかりに、それは大地を蹴って佐藤のアルデバンサーIFSに肉薄する。

『騎士タイプが来たっス!』

「見えてるっ!」

 佐藤はレールガンをイナバが開けっ放しにしていた亜空ラッチに収納すると、右手のブロードソードを両手で保持。とにもかくにも、あの重くて早い攻撃に対抗するには片手では力不足に過ぎるという判断。

 数瞬の後に、双方の刃が火花を上げてかち合う。今度は力負けもなくしっかりと受け止めきり、逆に圧すほどの余裕もある。佐藤の判断は正しかった。

 しかし騎士タイプの武器は一撃の重さだけではない。即座に刃を引いた騎士タイプは少しの間もおかずに次の一撃を繰り出してきた。佐藤も負けじと即応して、しっかりと防ぐ。

 そこからは激しい剣戟の応酬だ。繰り出される騎士タイプの連撃を、確かな剣捌きでいなすアルデバンサーIFS、佐藤。かと思えば技の切れ目の一転攻勢、アルデバンサーの長剣による猛然とした打ち込みを、両手の刃で持って捌き切る騎士タイプ。

 両者の実力は、拮抗していた。驚くべきことに佐藤は、本来ならば一個小隊で当たることが推奨されるほどの強敵とサシで渡り合えていた。アルデバンサーIFSの性能もあるのは確かだが、それでもなお異常と呼べるほど、佐藤の操縦は研ぎ澄まされていた。

(確かに重くて早いが、まだやれるっ!)

 佐藤は剣を幾度も合わせるうちに、直感的にそう感じ取った。確かに、騎士タイプは強い。強いが、勝てない相手ではない。そう思った。

『2時の方角から機影10、識別信号は味方っス!』

「やっときてくれたか!」

 イナバの報告に、騎士タイプとの激しい剣戟の最中であるにもかかわらず、佐藤は顔が綻ぶのを感じた。

「イナバくんっ、何でもいいから、目くらましになりそうな魔法を一つ頼むっ! 味方と合流するぞっ」

『ラジャっス! 《ハウリングスタン》ッ』

 直後、剣を合わせていた騎士タイプがひどく動揺して弾かれるように後方に飛びずさった。ハウリングスタンは、指向性の超高周波を発生させる魔法である。それこそ、生身の人間が食らえば一発で三半規管を破壊しつくすような爆音だ。いかな巨体で堅牢な甲殻を持つ騎士タイプとはいえ、生物。耳元で炸裂した超音波は、それを怯ませるに足る威力がある。

 佐藤も敵の本能的な後退にあわせてバックジャンプで大きく距離をとると、ブロードソードを亜空ラッチに収容。開いた両腕にそれぞれレールガンを一丁づつ装備して、セミオートで放つ。

 正確な狙いは期待せず、基地施設に当てないようにだけ注意した牽制射撃。弾幕だ。強烈な磁界を伴う眩い銃火が瞬き、投射された弾丸は音速を悠々と超えるスピードでエヴィロンスに殺到する。

 その弾丸の多くは空を切ってエヴィロンス背後のアスファルトに突き刺さったが、少なくない数が戦士タイプに着弾し、今の砲撃だけで3体を葬っていた。流石の騎士タイプも、弾幕を掻い潜ってまで攻めてこようとはしなかった。音速を超える速さで飛来するレールガンの一撃はそれだけで致命傷になりえるからだ。被弾箇所が末端であれば切り離してしまえば済む魔導騎兵のような機械と違い、規格外とはいえ彼らは生命体。掠っただけでも大きな痛手となる以上、こうも弾幕を張られてしまっては回避に専念するほかない。

 そのときである。佐藤の乱れ撃ちとも言うべき銃撃の最中、アルデバンサーの脇を鋭く狙い澄まされた弾丸が電子の尾を曳いて飛翔していった。それは佐藤の弾幕の回避に専念していた騎士タイプの虚を突いて左肩を抉りつつ通過し、その後方で翻弄されて右往左往していた戦士タイプの1体までを貫き、絶命させた。

『こちら第35騎兵部隊長、アーリ・ターリブだ。待たせたな、これより貴官を援護する』

「まってました!」

 そして通信からは、ほんの数時間前まで基地を案内してくれていた声が、頼もしい言葉と共に飛び込んできた。

『……まさかとは思っていたが、本当に君だったとはな。今日は驚くことばかりだ』

 アーリは通信ウインドウ越しの佐藤を見て、ひどく複雑な顔をして見せた。基地の見学に来ていただけの一般人(・・・)をファンシェ博士の研究に突き出したのは己であるが、だからといってその一般人を戦場に立たせて命のやり取りをさせていると言うのは、彼なりの軍人としての矜持にもとるところがあるのだろう。

「まあ、人型ロボットに乗るのがガキのころからの夢でしたからね。アーリさんには、感謝してますよ」

 佐藤はアーリの表情からその理由のだいたいを察して、少しの皮肉を添えて返す。

『ははは、その調子なら心配は余計か。しかし、上手くやれている。騎士タイプ含むエヴィロンス5体と一騎で渡り合うとはな。俺の隊に欲しいくらいだ』

「そりゃどうも。最初は10体ほどいましたよ」

 佐藤はあっけらかんと返す。

『なおさら、俺の隊に来ないか?』

 アーリはおどけたように言って見せたが、7割がた本気だった。正直、実機訓練どころかシミュレータ訓練すら満足に修了していない初陣で、この戦果は異常である。ファンシェ博士の研究の成果がそこにあるとしても、けしてそれだけで切り抜けられるような状況ではないはずだ。

「……まあ、考えておきますよ。それよりも、まずは」

『ああ。外はあらかた鎮圧した。侵入したエヴィロンス共はここで討ち果たし、後顧の憂いを断つ』

 弾幕を張るアルデバンサーIFSの脇を猛スピードですり抜けた黒いスプリガンが、両の手にプロードソードを抜き放って騎士タイプエヴィロンスに迫る。佐藤は今までの弾幕を張るような銃撃から援護射撃へと滑らかに移行し、騎士タイプの動きを拘束することに専念した。

 それは同時に、後方に展開する戦士タイプのエヴィロンス群への牽制打が途絶えることを意味していた。これ幸いと騎士タイプの援護に向かおうとした戦士タイプは、しかしそれを横合いからなだれ込んできた第35騎兵部隊のスプリガンに見事に阻まれ、完全に分断される。手だれの騎手たちが駆る黒いスプリガンの動きはどれも切れ味抜群で、戦士タイプの各個撃破も近いだろうことが容易に想像できた。

「あっちのほうは、心配なさそうだな」

 佐藤は分断されて押し込まれる戦士タイプの群れをちらりと横目で見やって、そう結論付ける。

『そッスね。エヴィロンス側も後続の転移反応ないみたいっスから、あの騎士タイプさえやっちゃえば僕たちの勝ちッすよ』

 イナバはフェンヴェール軍の広域データリンクを読み取って言った。それはひどく楽観的に聞こえたが、イナバとて最新鋭のコンピュータである。綿密な計算の元に割り出した可能性を騎手に伝達する際の翻訳で設定された人格の影響が出ているだけで、その戦況予測はほとんど完璧だ。

「オーケー、そうみたいだな。騎士タイプだけど、アーリさん一人で何とかなるか?」

 佐藤も仮想ディスプレイに表示されているデータリンクマップデータを流し見して同調する。と同時に、先ほどから動きは鈍ったとはいえいまだ十分脅威である騎士タイプと打ち合うアーリのスプリガンをレティクルの向こうに見ながら尋ねてみる。

『ボクに入力されてるデータに照らせば、多分大丈夫じゃないっスかね。それに一人って言っても、こうやって援護射撃もやってるわけっスから』

 イナバの言うとおり、現在剣を交えているアーリ機の援護には自分を含めて4騎で当たっている。下位エヴィロンス群を相手取っているのを除いた第35騎兵部隊が弾幕を張っていた佐藤のアルデバンサーに便乗して連携した形だ。

 4騎の魔導兵装がそれぞれ両手に装備したレールガン計8門の援護射撃は、即興の連携にしては上出来すぎるほどに騎士タイプエヴィロンスの可能性を殺していた。もはや、戦闘というよりは狩りだ。アーリが手負いの騎士タイプを猛然と追い立て、佐藤ら援護組は騎士タイプの進退を的確に窮めていく。

「しかし、アーリさんって本当に強かったんだな」

『データを見る限りだとレイフェンじゃ1番、フェンヴェール全軍の中でも10指にはいるほどの腕前ッスからね』

 アーリの二振りの剣による猛攻は、鬼神もかくやと言わんばかりの鋭さと重厚さを併せ持っていた。ただでさえ手負いの騎士タイプは、いまや防戦一方だ。その光景に、素直に佐藤は感心した。

 それに応えるようにイナバは、戦闘中にもかかわらずレイフェン駐留軍基地のメインコンピュータからアーリの個人成績を勝手に呼び出しながら言った。

「もし俺があの人とやりあったら、勝てるか?」

『うーん、難しい質問ッスね。佐藤サンは確かに強いと思うッスけど、まだデータが足りないっスねェ。あ、でもボクを使ってくれるんなら100パー勝てるっスよ』

 イナバは分析不能と答えを返しつつ最後は自信たっぷりというふうに締めくくる。

「そいつはすげーや。そうなったら、期待してるぞ」

『お任せあれッス』

 そんな話をしている間も断続的に射撃は続けられていたし、アーリの追い込みはもはや大詰めだった。とうの昔に戦士タイプのエヴィロンス群は第35騎兵部隊の面々によって討ち取られていたし、データリンクを信じるならば、レイフェン外部ならびにレラクル平原での戦闘は残敵の掃討含め終了している。

『ーーッ!』

 通信機越しにアーリの裂帛の気合が聞こえ、上半身の魔導電筋の出力全てを使った必殺の一撃が繰り出された。

 騎士タイプも致命的な危機感を感じたのか右腕で防御を試みる。万全の状態であれば防げていたであろうその一撃はしかし、疲労が蓄積していた騎士タイプの右武器腕を難なく叩き折った。精彩を欠いた騎士タイプの動きに佐藤と剣を打ち合わせていたときほどの鋭さは欠片もなく、あきらかに鈍い。先ほどアーリが駆けつけざまに放ったレールガンの一撃で左腕はすでに使い物にならなくなっていた。もはや回避のできる間合いではなかったし、アーリの剣気とも言うべき威圧感がそれをさせなかった。阻むモノの一切を失い、振り下ろされた渾身の一撃は一切勢いを殺さずに脳天に突き刺さった。騎士タイプの頭部甲殻が火花を上げながらひしゃげ、変形し、最期は圧断される。黄色味がかった緑色の体液が飛び散り、アスファルトとスプリガンの黒い装甲を汚す。それに構わずアーリはスプリガンにそのまま強引に剣を振りぬかせると、ダメ押しとばかりにどてっぱらに強烈な蹴りを叩き込んだ。頭を真っ二つに割られた時点で絶命していた騎士タイプは何の抵抗もなく10メートルばかりを吹っ飛ばされて崩れかかった基地施設に突っ込むと、わずかに痙攣だけして完全にその動きを止めた。

「やったか!?」

 佐藤は逸る気をどうにか押さえ、いつでも戦闘を再開できるだけの心積もりを持って倒れ臥す騎士タイプを注視する。

『敵性体の生命反応消失を確認したっス。ボクらの勝利っスよ!』

 ピクリと動かなくなった騎士タイプエヴィロンスに、イナバが撃破判定を出す。その声はAIながらにやけに人間くさく、喜びの感情をあらわにした声だった。


 同時に、それはレイフェン軍の広域データリンクを通じて展開中の部隊全てに伝達された。


 最初は静かだった。みながみな、警戒と安堵と歓喜の狭間でぐちゃぐちゃになって、一種の放心状態となっていた。

 それがCPを通して完全に作戦が成功した旨が改めて通達されると、堰を切ったかのようにあふれ出した感情のままに、兵士は末端の一兵に至るまで盛大に勝鬨を上げた。

 騎手たちは魔導騎兵の全身を使って喜びを表現した。歩兵たちは各々に手に持つ得物を高々と掲げ、CP士官をはじめとする基地の事務方職員は手近な者同士で手をとり合った。軍の食堂に詰めている料理人たちはこれからが戦いだとばかりに喜色満面で袖をまくる。軍上層部や政治家たちはほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、善後策を講じるためにすぐさま会議を召集した。

 そしてややあって街の人々にもエヴィロンスの脅威が去ったことが伝えられると、それまで彼らに重くのしかかっていた不安や恐怖が一気に安堵と歓喜へ昇華した。喜びが爆発した。歓喜の声がフェルコーン山脈の稜線より差し込む朝焼けに染まりゆく大地を大きく揺るがす暖かいうねりとなって、レイフェンの町を包んだ。


 時にミルナーヴァ統合歴3571年4月28日未明、第2次レイフェン防衛戦はけして少なくはない被害を被りながらも人類側の勝利で幕を閉じる。


 このフェンヴェール辺境の都市で起った大規模戦闘が、ミルナーヴァにおける新たな幻想、後の世に言う「幻想機譚」の始まりとなったことを、その主人公たる少年少女はまだ知らずにいた。

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