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幻想機譚 ウィドラス  作者: 永多 真澄
旧約・ウィドラス
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旧ウィドラス総集編3


「魔導係数、100から150で安定。騎手(パイロット)の試験コードを認証。カウント開始します。5、4、3、2、1……主機の起動を確認。続いて|イミテーション(I)|ファンタシズム(F)|システム(S)の起動実験に移行します。よろしいですか?」

「うむ」

 照明が抑えられた室内。コンソールパネルの照り返しに顔を青白く染めながら実に事務的に告げるのは、まだ若い女である。女は同時展開されたウインドウ上のコンソールを的確に並列操作しながら、傍らに控える壮年の男性に視線を向けた。

 白髪頭の白衣姿、全身を白で固めたその男性は、重く響く声で短くゴーサインを出す。女はその返事を待って、ヘッドセットのインカムに実験開始のアナウンスを吹き込んだ。

「了解。IFS起動実験を開始。各員は不測の事態に備えよ。カウント開始」

 白衣の男はデジタルカウンターの数字が0を目指すのを横目に、前方に大きく切られた観測窓から外、実験用格納庫を見た。

 百人ばかりの作業員が楽に動き回れるほどの広さを持つその空間には、実験用ガントリーが一基。そしてガントリーに固定され、全身から様々なケーブルを生やした8メートルもの体躯を持つ無機物の巨人が1機。暖機運転中の主機が放つ低音を響かせつつも静かに佇んでいた。

 明らかに格納庫の広さをもてあましているにもかかわらず、その空間の隅々にまで緊張感が張り詰めている。

 女のアナウンスに、現場の緊張感は更に高まった。作業員一人ひとりが真剣な眼差しで、自分に割り当てられた作業を黙々と、的確にこなす。カウントが0に近づくのに比例するように、現場の一体感が最高潮に高まってゆく。

「5、4、3、2、1……IFS、起動」

 ついにカウントが0を刻む。女のアナウンスと同時に、巨人の主機出力が跳ね上がる。主機から放たれる甲高い駆動音と同時に、頭部装甲板に刻まれたスリットからアイカメラのバックライトが放つ緑光が漏れ、巨人の目覚めを演出した。

「IFS第1シークエンス正常終了、騎手のバイタルデータは全て正常値。魔導係数、200を超えなおも増大中。第2シークエンスに移行します」

「うむ」

 実験シークエンスの進行に従って、巨人の主機は更にその出力を上げていく。

 その出力が100%を超えるほどまで上昇すると、巨人の周囲に煌く明緑色の発光体が観測される。IFSの起動に伴い、魔導係数、つまり魔導騎兵等のデバイスを通して魔法を間接行使する際の作動効率を数値化したものが300を超えたことにより、周囲の魔力が凝縮され、可視化したのだ。

「機体周囲に魔力光の発生を確認。これをもってIFS第2シークエンス終了。第3シークエンスへ移行します。……いよいよですね」

 今まできわめて事務的だった女が、若干の感情をこめて傍らに控える白衣の男に言った。男はそれに神妙な顔つきで浅く頷く。

「ああ。こんどこそ、目覚めて欲しいものだ」

 片時も観測窓から視線をずらさずに、男は応えた。過去に数回行われた実験は、全てこの第3シークエンスで失敗しているのだから、真剣にもなる。

「第3シークエンスへの移行を確認。主機出力130%。魔導係数、順調に上昇ちゅ……ッ! 騎手のバイタルに異常、|内包魔力値(MP)の急激な減少を確認! これは……!」

「ッち! 今回もコレか! 実験中止、実験機の電源を落とせ! 騎手の救出を……」

「管制からの命令を受け付けませんッ! このままでは、主機が臨界を越えて……!」

「折り込み済みだ! 構わん、電源呪符を引き抜け!」

「り、了解!」

 停止命令を受け付けない主機の出力は上昇を続け、現在200%にまで達していた。この実験機のために特別にしつらえた大出力主機である。このまま出力の上昇を許せばそう遠くないうちに臨界を越え、大量の魔力の爆発的な解放を引き起こすだろう。そうなればこの実験室どころか、上層の都市にも甚大な被害が出ることはわかりきっている。

 主機を強制停止させるには、もはや機械的な手段を用いて動力である電源呪符を引き抜くほか無い。機体に大きな損傷が出るリスクがあるが、爆発するよりは遥かにマシである。

 直後、耳を劈くような破裂音が格納庫内は勿論、十分な防音ガラス層を貫いて管制室にまで響き渡る。

 ほとんど全ての研究員が最悪の事態を思い浮かべ身を屈める中、白衣の男はそれが接続中の電源呪符を強制的に引き抜いたことによる放電音であることにいち早く気がついて一人ほっと息を撫で下ろす。 そしてあからさまに落胆した表情で、何も告げぬまま哀愁を漂わせて管制室を後にした。管制の女は、その男の背中を何も言わずに見送った。


「……実験の結果を報告してもよろしいでしょうか」

 数分後、白衣の男が管制室脇の喫煙室でタバコをふかしながら物思いに耽っていたところに、プリントアウトされた書類束を持って女が訪れた。

「……聞こうか」

 白衣の男は灰皿にタバコを押し付けて、資料を受け取ると女に着席を促した。

「失礼致します。……端的に申し上げますと、実験は失敗です」

「ああ、知ってる」

 苦虫を噛み潰したような表情の男。女はそれを努めて気にしないふうにしながら、報告を続けた。

「まず最初のページですが、被害報告を。電源呪符の排出作業に当たっていた作業員二名が放電に伴う高圧電流により感電、意識不明の重体です。また放電の際に発生した閃光と破裂音の影響で、視覚・聴覚障害を訴えるものが多数。現在医療区にて診察を受けさせています。騎手は生命に別状はありませんでしたが、|内包魔力値(MP)をほぼ使い切っている状況でしたので、祈祷治療(ヒーリング)を受けさせています。また作業員のうち、放電の際に手にしていた工具を落として足の指を骨折した者が一名」

「……続けろ」

 そこで一旦言葉を切った女に対して、男は側頭部にひどい鈍痛を感じながらも続けるよう促した。

「はい。続いて実験機の状態についてですが、機体フレーム自体には異常は見られませんでした。が、電源呪符のコネクター及び主機周辺は全損といっても良いレベルで破損しており、修繕は不可能と見られます。新品に交換しないことには……」

「わかった。交換を許可する。交換にどれほどかかる?」

「は、コネクタ周りに関しては流通品ですので1日あれば交換可能です。ただ、主機に関しては特注品になりますので……」

「予備機が……いや、もう使いつぶしたのか」

「はい。過去の実験により予備は全て。今からの発注ですと、短く見積もって2週間はかかるかと」

「……仕方がない。主機も一般のものと交換だ。互換性はある。しばらくは、低出力実験を繰り返すことになるな」

 鈍痛が更にひどくなった様な錯覚に、男はたまらずこめかみを押さえてかぶりを振った。女はその様子を痛ましく思ったのか、若干事務的な口調を和らげる。

「ファンシェ博士。少しお休みになられてはいかがです? これ以上根を詰められては……」

「オーレンノーツ君、君も知っているだろう? 私には時間が無いのだ。いや、このミルナーヴァに時間が無いのだよ。これ以上失敗が続き、長い時間を費やせば、待っているのはプロジェクトの凍結だ。エヴィロンスへの有効打が、ひとつ潰えることになる。長年助手をやってくれている君なら、わかるだろう?」

 博士と呼ばれた男は、苦悶の表情で語った。彼の長年の研究の成果が、あと少しで完成を見るというところまで来て頓挫しかかっている現状に、言い知れない悔しさを感じているのだ。尤もそれは幼少の頃よりファンシェ博士の助手を勤めている女、オーレンノーツも同様であった。

「……レイフェンで一番の魔術師ですら、IFSの起動はならなかった。課題は山積みだ。実験機の改修が終わるまでには、今実験の問題点を洗い出さねばならん。……2時間、休憩を取る。ほかの研究員にも、伝えておいてくれ」

「……わかりました」

 そういってふらりと立ち上がったファンシェ博士は、おぼつかない足取りで喫煙室を後にした。それを心配そうに見送って、オーレンノーツも立ち上がる。もたもたしてはいられない。管制室につめている同僚たちに休憩を伝えなければならなかった。彼女自身や彼女の同僚たちも、みな一様にかれこれ3日は寝ていない。休息は急務だった。

(博士はちゃんと仮眠を取ってくださるかしら……)

 己を限界寸前まで酷使していながら、それでもなお自分よりもファンシェ博士を心配せずにはいられないオーレンノーツであった。



「ぅふぁーあ……。あー、よく寝た」

 そういってのっそり佐藤が目を覚ましたのは、部屋に据付の時計が朝の6時を回った頃だった。

 結局昨日は風呂から上がって飯を食った後、延々深夜に渡るまでウィエルによる"この世界"ミルナーヴァについての講義が酒を交えながら行われた。無論、高校生のフウに酒を飲ませるような蛮行には及んでいないので、安心して欲しい。

 果たして講義なのかどんちゃん騒ぎなのか非常に区別しがたいそれが終わったのが2時を少し回ったあたりである。ウィエルと佐藤は結構な量を飲んだが、最低限記憶をとばさない程度には節度を保てたので、朝に目が覚めると裸の男女が云々といった展開にはなっていない。少し頭が重い程度だ。

「しかし、男女同室とはねぇ……」

 あらためて呆れたように、佐藤は呟く。確かに昨日のような講習会を開くにはそのほうが都合がよいというのはわかるが、だとしても佐藤とて男である。その場の勢いで間違いを犯すような分別の無い男でないにせよ、やはりいろいろと気を遣ってしまうことこの上ない。今回は理性の完全勝利で幕を閉じたが、いつ彼の中の野生が目覚めないとも限らないのだ。その点男女を申し訳程度に区分けするふすま一枚が、せめてもの救いだった。

「朝風呂でも行くか……」

 ふすまの向こうからは、おだやかな二つの寝息が聞こえていた。折角の貴重なまどろみの時間をぶち壊してまで起こすのは無粋である。それに先ほどから頭にうっとおしくのしかかるアルコールを抜くためにも、佐藤は一人そっと部屋を抜け出し、大浴場へと足を運んだ。


「ふぃー……」

 昨夜と同じく、大浴場は貸切であった。立ち上る湯気が、ちょうど良い熱さの湯が、檜の芳香が、一人の男の二日酔いを癒すためだけに存在していた。何という贅沢だろうか。

 頭にたたんだ手ぬぐいを置き、顎まで湯に浸かった佐藤は手足をだらしなく伸ばして、限りなくリラックスした状態である。

(それにしても……ほんとに異世界に来ちまったんだなあ)

 もうもうと揺らめく湯気をぼうっと眺めながら、佐藤は昨夜のウィエルの講義を整理していた。

(俺たちが今いるのがフェンヴェールだったよな。ミルナーヴァ南端の大国で……そういえばこの世界には大陸がひとつしか無いんだっけ。のっけから強烈だよなあ)

 フェンヴェール王国はその名のとおり王制を布く大国で、ミルナーヴァに存在する国の中では最も面積が大きい。とはいえ国土のほとんどが原野だったり山岳地帯だったり森林地帯だったりで、人が住める土地はそう多くない。人口に占める魔術師の数が最も多く、またエルフに代表されるいかにもな種族が多く暮らしている国だ。現在首都であるスプリーティアはエヴィロンスの手に落ちており、政府機能は臨時首都であるファースティアに移されている。

(で、お隣がコルーン共和国だったっけか。魔導騎兵(ロボット)が一番普及してる国だって言うし、一度は行ってみたいな……)

 佐藤は脳内に思い描く世界地図をスライドさせた。フェンヴェールの東側に連なるフェルコーン山脈を隔てた反対側が、コルーン共和国。フェンヴェールが魔術師の国ならばコルーンは科学の国であり、名のある大学や科学研究所などが多く存在している。魔導騎兵の開発に最も早期から着手していたのがこの国であり、蓄積されたノウハウは他国の魔導騎兵開発の大きな助けとなった。

(西側はなんだったか……ええとそうだ、ラグラルキーンか。……確かエヴィロンスに占領されちまってるんだよなあ)

 フェンヴェールの西側に国境を接するのが、ラグラルキーン王国である。いや、であった、というほうが正しいか。ミルナーヴァ史に残る中では最も古くから続く王家が治める風光明媚な国であったが、突然の襲撃にろくな抵抗も出来ず敗退、以降はエヴィロンスたちの根城と成り果てている。ラグラルキーンから流れ込む難民が、今大きな問題になっているとウィエルが悔しそうに語っていた。

(北がラクルタス帝国だっけか? たしかフェンヴェールの魔導騎兵はここと連携して作ったんだよな。複数の国の連携によって作られる最強の機体! う~ん、ロマンがあるなあ)

 ラクルタス帝国は大陸の北側に位置する4大国の中では最も国土の狭い国である。とはいえ、人の数は多い。人口に占める魔術師と科学技術者の割合は、それぞれフェンヴェールとコルーンに次ぐ。科学・魔法融合技術の最先端をひた走る国であり、現在フェンヴェールが自前の魔導騎兵を用意できているのは、ラクルタスとの連携があったからこそである。補足であるが今代の皇帝は賢帝の誉れ高く、国内の情勢も最も安定しているそうだ。

(で、コレをまとめて4大国か。でかい国が4つしかないって言うのは、言葉共々シンプルでいいや)

 無論この4国以外にも国はあるが、規模で言えばうんと小さい。他の国は、大きくてこのレイフェンの街程度しかないという。それでいて独立を保てているのが佐藤からしてみれば不思議であったが、あまり細かいことにはこだわりすぎない事にした。

 湯に顎まで浸かって考え事をしていたせいか、すっかりのぼせてしまった。佐藤は立ちくらみを起こさないようゆっくりと湯船から立ち上がる。

 宿の主人が言っていたように似ているようで似ていないこの世界に頭を悩ませつつも、それでもうっとおしかった二日酔いが綺麗さっぱり吹き飛んでいたことを喜ぶことにした佐藤であった。



 一時間ばかり風呂でボーっとしていたせいか、佐藤が部屋に戻ると2人は朝食の最中であった。

「あっ、おはようございまーす」

 佐藤に気づいたフウが、箸を止めてにこやかに挨拶をしてきた。まったくもって、気持ちのいい少女である。佐藤も自然と笑顔になっていた。

「あら、おはようございます。湯加減はいかがでしたか?」

「おぅ、おはようさん。いや、最高だったぜ」

 佐藤はそういって首にかけていた手ぬぐいを洗面所のタオルかけに掛けると、自分の膳の前に腰を下ろした。

「おお、白米に温泉カレイに味噌汁! オプションで海苔と納豆に温泉卵までついてるとは、びっくりするくらい温泉宿の朝飯だなあ」

 すでに驚くことも無く、むしろ喜んで箸を取る佐藤。昨夜さんざん異世界だ異世界だと脅かされただけあって、食べなれた日本食は実に心強かった。

「それで、今日はどうするんだ? このまま街を出てファースティアを目指すのか?」

 佐藤は油揚げとわかめの味噌汁を置いて、今後の予定について尋ねた。上品に温泉カレイをほぐしては口に運んでいたウィエルは箸をおくと、唇に人差し指を当てて少し考えるような素振りをした。

「んー、そうですわねぇ。2、3日はレイフェンに滞在しますわ。いろいろ買い込む必要もありますし」

 レイフェンを出てしまうと、この原野を抜けて次の大きな町に着くまで3日はかかるという。その間にも小さな村や町はあるにはあるが、外の人間に向けて商売をするほど余裕のあるものではないそうだ。となると食糧や雑多な物資が必要になるので、それをここで揃える。

「なるほど。しかし買い物か……」

 佐藤は浴衣の袂に大事に仕舞ってある今ではほとんど役に立たなくなった財布を思って苦笑した。日本の生活に酷似しているとはいえ、通貨までは同一でなかったのだ。

 そうなれば諸々の会計をウィエルに頼ることになってしまうのは自明で、それがなんとも情けなかった。

「あら、やっぱり男の方は、お買い物は苦手かしら?」

 ウィエルはふふふと笑う。「そういうわけじゃないんだけどなあ」と頭を掻く佐藤。まあ、女性の買い物に付き合うのにはそれなりの覚悟がいるのは確かではある。

「それでしたら、佐藤さんはレイフェン駐留軍基地の見学に行かれてはいかがかしら。昨日は魔導騎兵にずいぶん興味を惹かれていたようですし」

「お、いいね。でも、そんな簡単に見学させてもらえるのか?」

 実に魅力的な提案だった。あの巨大ロボットを間近で見れるチャンスに、佐藤は食いつく。

「ええ。最近はファースティア防衛に人員を回していますから、どこも人手が欲しくてほしくて堪らないの。常時見学は受け付けているはずですわ。私も紹介状を書きますし」

「……あんた、やっぱり結構えらいさんなんじゃ。というか、俺のいない隙にフウビちゃんを言いくるめるつもりじゃないだろうな」

 佐藤の視線に、ウィエルはにっこりと微笑を返すだけであった。



「お、おおお! すげぇ! 歩哨がもはやすでにロボットだっ!」

 レイフェン駐留軍基地は、佐藤らの宿泊している旅館のある区画からバスを数回乗り継いだレイフェンの南区画の最も端にある。

 バスを降りてから道路の案内表示に従い車線数がやたら多い道に沿って歩くこと数分、ようやく見えた駐留軍基地正門の両脇には、腰に剣を帯びた身長8メートルばかりの鎧の巨人が守りを固めていた。幼い頃から夢に描いていたその光景に、小躍りする佐藤。するとやはり不審に思われたのか、巨人の片方が頭を動かし、佐藤を見下ろした。頭部装甲版のスリットから覗く発光するアイカメラに見据えられ、佐藤のテンションは更に上がった。もはや最高潮だった。

「うおお! やっぱりカメラアイは光ってるんだな! すげぇ!」

 そんなニッチなポイントで喜び悶えていると、とうとう門のほうから数人の番兵がやってきたので、無理やり高揚した気分を押し込むことになった佐藤。流石に挙動不審過ぎたかと今までの自分を思い出して赤くなる。

「おい、君。ここは軍の基地だぞ。そんなところで何をしてる」

 そういって声をかけてきたのは、シティゲートの係員と同じような青色の制服の上に簡単な鎧をまとった厳めしい男だった。実にどすの聞いた声で、佐藤はもしテンションが上がっていなかったら縮み上がってしまっていたかも知れないと思うほどの迫力を感じた。寄ってきた数人のうち他の男はその男の後ろに控えて静かに成り行きを見守っていることから、この男が番兵の中でもそこそこの地位のものなのだろうということは想像出来た。隊長とかそこらだろうか。

「あ、す、すいません。あのロボットを見てると、ついつい気分が高揚してしまって……」

「子供じゃないんだ。そんなに珍しいものでもないだろうに……それで、当基地に何用かな」

 そんな佐藤の様子に、隊長の男はほとほとあきれ返っていたようだった。追い払うにしてもとっ捕まえるにしても、なるべく早急にすませたいようだ。

「知り合いに勧められまして、見学に」

「ああ、見学希望者か。なら、ついてきたまえ。それと、紹介状があるなら提出してくれ。そうなれば、こっちとしても無駄な尋問はしないですむからな」

 隊長の男はそういって踵を返すと、ツカツカと門に向かって歩き出した。佐藤はショルダーバックから今朝ウィエルがしたためた紹介状の入っている封筒を取り出すと、番兵の一人に渡す。

 するとどうだ。最初はやけに事務的だった番兵がその封を見て血相を変え、隊長の男に駆け寄った。隊長の男はそんな部下の様子に訝しげな視線を送りつつも、部下の持つウィエルの紹介状を見たところで同じく顔色を変えた。

「君、コレをどこで……」

「へ? ああ、さっき言った見学を勧めてきた知り合い、一応旅仲間なんですけど。そいつに一筆書いてもらったんです。……なんとなく予想はしてたんですけど、結構偉い側の人間なんですか? あのエルフは」

「聞いていないのか? ……いや、話されていないということは、何かお考えがあるのだろう。すまないが、私の口からは……」

「いえ、いいんですよ。いずれ、本人から聞きます」

 驚いたような隊長の男は、佐藤の問いをあからさまに濁した。その様子を見て、

(もうほとんど答えじゃねーか)

 と佐藤は思ったが、努めて表情には出さないようにしたのだった。


「……ふむ、確かに本人からの紹介だ。よろしい、レイフェン駐留軍は君を歓迎するよ」

 封書の中身を一通り読み終わった隊長の男は、そういって右手を突き出してきた。握手である。慌てて、佐藤はその手を握り返した。

「挨拶が送れたな。私はフェンヴェール国軍レイフェン駐留軍第35騎兵部隊所属、アーリ・ターリブだ。隊長をやっている」

「佐藤勇作です。根無し草をやっています」

「ふは、愉快な奴だ」

 アーリは口角を吊り上げて不器用に笑みを作る。強面のせいか、威圧感が増したような感覚を佐藤は覚えた。

「しかし、騎兵部隊ってことはあれですか。馬に乗って荒野を駆け抜ける感じの?」

 佐藤は騎兵隊という響きから昔見た西部劇を思い浮かべた。するとアーリは、

「君、それは騎馬部隊と勘違いしていないか? 騎兵部隊は、()()を運用する部隊だろうに」

 そういって、門の脇に控える巨人を顎でしゃくった。

「ああ、魔導騎兵だから騎兵部隊ですか。……ということは、アーリさんもパイロットを?」

 若干目を輝かせて、佐藤。アーリはそういった眼差しを向けられるのには慣れているようで、鷹揚に頷いた。

「もちろん、私も騎手(パイロット)だ。そこそこの腕前はあると自負しているよ」

 おお、と佐藤は感嘆の声を漏らした。あとで聞き知ったことだが、彼はレイフェンの黒剣とあだ名されるほどの凄腕ベテランパイロットなのだそうな。

 ちなみに彼が番兵の詰め所にいたのは、ちょうど立哨任務の引継ぎのためだったらしい。一般兵の中にも彼のファンは多いらしく、彼らに囲まれて本来よりも数分詰め所にいる時間が延びたため、まったくの偶然ながら佐藤の来訪に居合わせる形となった。予定ではこの後は非番だったそうだが、折角なのでと基地見学のコンダクターをしてくれるそうだ。ありがたい話である。尤も、ウィエルから紹介の人物であるので、信頼できるものが案内にあたるのが最善だろうという基地側の判断でもあったのだが。


 一般人が見学できる施設は基地全体に比してほんのわずかではあったが、それでも佐藤にとっては多大な刺激であった。

 特に野外練兵場にて訓練用の魔導騎兵が模擬戦を繰り広げているのを間近で見学できただけでも、佐藤にとってこの基地に来た意味が大いにあった。このときばかりは、ウィエルのたくらみに感謝したものである。

 そして半日に及んだ見学行程の最後。一番の目玉といっても過言ではない、魔導騎兵のシミュレータ搭乗体験が始まろうとしていた。

 今佐藤たち見学班は、シミュレータルームにやってきていた。軽自動車ほどの大きさの金属の箱を多数の油圧シリンダーやテンションベルトで固定したシミュレータが、キャットウォークから確認できるだけで10台。筐体が立ち並ぶその光景は、ロボットマニアからすれば垂涎ものである。

 佐藤ははやる気持ちを抑えきれないといった様子で、アーリの説明を聞いていた。

「……今渡したのが、魔導騎兵の操縦用コンソールだ。魔導騎兵の操縦は騎手鎧(パイロットスーツ)据え付けの機器によって行うというのは先ほど説明したとおりだが、今回は訓練用の簡易コンソールを用いる」

 そういって手渡されたのは、薄いHMDのようなゴーグルのついたヘッドギアと、肘まである手袋、そして金属製の長靴だった。

「装着方法は、まあ見たとおりだ。装着完了後、1番筐体に搭乗。以降は管制室からのオペレートとなる。これまでで何か質問はあるか?」

「じゃあひとつ。これは簡易用ってことだけど、ホンモノはどんなもんなんです?」

 佐藤は渡された簡易コンソールを装着しながら尋ねた。これまで説明は受けてきたが、実物はまだお目にかかれていない。

「む、そうだな……」

 アーリはシミュレータ室内に装着者がいないか探したが、生憎見つからなかった。なので紹介はシミュレータ体験後ということにすると、佐藤もそれを了承した。

「筐体のハッチ開放は認証コードをディスプレイに表示されたテンキーで視線入力後、右側のレバーを引けばいい。これは実機でも同様だ。1番筐体のコードは『0101』。試してみろ」

 いわれたとおり、佐藤はハッチ脇のコンソールに触れる。するとHMDに認証用テンキーが表示されたので、視線をそれぞれの数字に向けた。元の世界でいうAR技術の更に発展形と言ったところだろうか。

 コードを認証後、レバーを引くと圧搾空気の抜ける音と共に、ハッチが開いた。

「上出来だ。それでは一番機搭乗。演習項目1-Aを開始する」

「ラジャー!」

 高揚した気分を隠そうともせず、佐藤は筐体にすべり込んだ。そろそろ20代も折り返しに差し掛かっている男がとるにしてはあまりにはしゃぎすぎな態度であったが。

 筐体内のレバーを操作してハッチを閉鎖すると、シミュレータルームに溢れていた雑音がぴたりとシャットアウトされ、静寂と暗闇が佐藤を包む。筐体内はお世辞にも広いとは言えず、また淡い赤色の非常灯が点灯しているのみなので、暗い。佐藤は心底、自分が閉所恐怖症でも暗所恐怖症でもないことを喜んだ。

『ハッチは閉鎖したな? では、次の動作に移る。イグニッションボタンはわかるか? メーンコンソールの右下にあるはずだ』

 ヘッドセット越しに、管制室からのアーリの声。佐藤はそれに従い、シミュレータを立ち上げていく。イグニッションボタンを見つけて、押し込んだ。すると視界に数条の光が走り、視覚に直接像が投影された。それは最初荒いモザイクのようであったが、徐々に精緻な風景を描き出してゆく。数秒で、佐藤の視界は一面市街地となった。

「おお、すごいな。筐体内にディスプレイが無いと思ったら、網膜投影なのか!」

 佐藤はその新感覚な視界に、興味深々で、そう分析する。佐藤が思考すれば、その風景は筐体の内部を映したり、市街地を映したり、半透明のレイヤーにして合成させたりした。

『惜しいが、少し違うな。それは脳内投影と言って、魔導騎兵が見た風景を――いまは合成されたグラフィクスをだが、直接脳内に投影している』

 アーリの説明によれば、これにより視力の良し悪しにかかわらず、たとえ失明したとしてもパイロットをやれるのだそうだ。なるほどな、と佐藤は思う。

『それでは、ただいまより演習項目A-1を開始する。君はただ座っているだけでいいが、気分が悪くなったら座席脇の緊急停止ボタンを押してくれ。吐かれてはたまらんからな』

 そういってにやりと笑うアーリの姿が、視界の端を切り取ってポップした通信ウィンドウに表示された。

「善処する」

 佐藤もそういって笑うと、表情を真剣なものに戻して演習開始を待った。

 視界にでかでかと『演習項目1-A』のゴシック体が現れたかと思うと、佐藤を奇妙な浮遊感が襲った。シミュレータが動き出したのだ。

「お、おお。これはなかなか、変な感じだな」

 佐藤は、先ほどからしきりに手足の動きを無理やり押さえつけられている様な感覚を覚えていた。たとえるならば、夢の中で足を動かそうとしても動かせない、あの感覚に似ている。

『自動操縦特有の感覚だな。自分で動かすようになれば、その感覚も消えるはずだ』

 佐藤の呟きを聞いて、アーリ。先ほど説明されていた、『魔導騎兵の操縦は己の手足の延長感を強く意識することによって行い、レバーやペダルはあくまで補助である』というのはこのことかと、佐藤は感じていた。

 やがて、風景が激しく振動を始めた。それに伴って筐体も上下左右に揺さぶられる。シミュレータ上で、魔導騎兵が走っているのだ。

(確かにこれは、酔う人は酔うだろうな……)

 しかし佐藤にとっては、酔うほどの振動ではない。車にしろ船にしろ飛行機にしろ、彼は乗り物酔いとは無縁の体質であった。幼少の頃から親の酒を隠れて舐めて育ってきたから、平衡感覚が鍛えられているのかもしれないな、と得体も無く思う。そんな余裕があった。魔導騎兵の挙動にあわせめぐるましく変わる風景は、一種のアトラクションに似ていた。


「ほう、これはなかなか……」

 管制室でその様子を見守るアーリは、思いがけない逸材の発見に年甲斐も無く瞳を輝かせていた。

 目の前のシミュレータはいまや、驚くほどにシェイクしていた。数十本の油圧シリンダーとテンションベルトによって様々な衝撃、挙動が再現されるシミュレータは、『訓練兵殺し』の異名をとるほどの所謂最初の壁である。この振動に耐えられず、リタイアする兵も多いのだ。

 それが、目の前の男はどうだ。そんな激しい振動の中でも、けろりとした表情をしている。それがやせ我慢ではないと確信できるのは、その男の表情が歓喜によってだらしなく崩れているのを見ればわかることだ。

 本来見学者に体験させるのは基本課程の内の本当の最初、演習項目1-A、せいぜい歩きから走るまでであるのだが、アーリは佐藤の様子を鑑み、演習項目2-B、つまりエヴィロンスとの戦闘を想定した戦闘機動の耐性テスト項目までを展開していた。しかしそれでも、佐藤の様子は変わらないし、バイタルデータにも何の異常も見られない。強いてあげればアドレナリンの分泌量が多いことだろうが、それだって許容値以内だ。

「……例の実験、これは使えるかもしれん。ファンシェ博士のラボに連絡を入れてくれ」

「ハッ!」

 部下にそう伝える頃には、演習項目2-Bが滞りなく、いたって正常に終了していた。


 そんなやり取りが管制室で行われていることも露知らず、佐藤は振動を続ける筐体の中で、感動に打ち震えていた。

「すげえ、すげえすげえすげえ!!」

 口から出る言葉は、もはや「すげえ」のみである。とはいえ何も考えられないほどまで興奮しているわけでもなく、視界に映るエヴィロンスとの戦闘を冷静に分析していたりもした。

(ああ、そこは銃じゃなくて剣だろ! 今接近して剣で攻撃してたら、後ろにいたやつも同時にやれたろうに!)

 シミュレータのコンピュータに心の中で突っ込みを入れつつ、それでも佐藤は嬉々としてその振動に身をゆだねていた。

「これ、本当にすげえ! 早く自分で動かしてみてぇ!」

 そうこうしているうちに、視界には演習項目2-B終了の表記。激しく振動していたシミュレータが停止するのを感じて、佐藤は少し残念に思っていた。

(あ、これで終わりなのか……どうせなら、自分で動かすところまでは体験したかったぜ)

 それでも、こんなすばらしい体験を出来ただけでも満足だと、自分を納得させる。最初に乗ったのが自分の作り上げたものでないというのはものづくりをするものの立場としては少し残念であったが、それでも子供の頃から描いていた夢がシミュレータとはいえこうして叶ったのだ。嬉しくないはずがない。

 小1時間はシミュレータに篭っていたのだ。開放されたハッチから差し込む光が、少し目に刺さる。強い光に目が眩みながらも、危なげなく佐藤はシミュレータを降りた。

 見れば管制室から出てきたであろうアーリがシミュレータの足元で待機していたので、佐藤は簡易コンソールを取り外しつつ彼の元へ向かった。

「お疲れ様だったな。シミュレータはどうだった?」

「いやあ、最高でしたよ!」

 アーリに外したコンソールを手渡しつつ、満面の笑みで佐藤。それは良かったと、アーリもあの不器用な笑みを作った。

「本来ならばここで見学は終了なのだが、今日は特別にひとつ、追加項目がある」

 徐に切り出された話題に、佐藤は頭上にはてなマークを浮かべた。

「追加項目? なんですか、それ」

 佐藤のその問いも折り込み済みだったのだろう。アーリはにやりと笑って、いった。


「実機を、本物の魔導騎兵を動かしたくないか? 佐藤君」



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 ひとまず、朝まで時間は遡る。

 その日、フウは朝からワクワクしていた。

 なにせ、今日は一日お買い物である。そう、お買い物。女の子にとっては、実に心躍る響きである。

 異世界(ミルナーヴァ)に飛ばされてからこっち、思い返せば辛く苦しいことばかりであっただけに、その普遍的な響きがもたらす感慨もひとしおである。

 そんなわけで先ほどから、フウはルンルン気分で朝食の納豆をかき混ぜていた。佐藤とウィエルはそんな様子のフウを見て、心なしかほっこりとしていた。

「しかし、買い物するにしてもなんにしても、俺たちは金持ってないぞ。全部あんたにおんぶに抱っこって言うのも……」

 海苔を散らした白米の椀を片手に若干心苦しそうにいうのは、佐藤だ。流石に日本円はこの世界では使えないため、佐藤にしろフウにしろ文無し同然である。

「そうですわねぇ……わたくしとしては、一切合財を用立ててもやぶさかではないのですけど。そう仰るなら、まずは両替にいきましょうか」

 実に気風の良いことをいうのは、ウィエル。翠の髪を揺らして、そう提案する。

「両替って、日本のお金をこっちのお金に換えてくれるところがあるんですか?」

「ええ。ありますわ」

 フウの疑問ににこやかに答えるウィエル。

「レイフェンの庁舎で、両替が出来ますわ。フェンヴェールにいらっしゃる時空漂流者の方々は少なくありませんから、両替だってやってますの。他にも、とりあえずの仕事を斡旋したりもしていますわ」

「へぇ、そいつはいたせりつくせりだな」

 佐藤が感心する。それに対し、ウィエルは少し声のトーンを落とした。

「……これ以上難民や浮浪者を増やしたくないという思惑が根底にあるんです。救済措置といえば聞こえはいいですが、ほら、ラグラルキーンからの難民が後を絶たないでしょう? そんな状態でこの世界のことをよく知らない人たちが無用な問題を起こす、または巻き込まれるといった、そういった芽を事前に摘んでおきたいんです」

「なるほどな。まあ確かにいきなり異世界になんか飛ばされちまったら、ワケわかんなくなって自棄になる奴だっているだろうしなあ」

 佐藤はしみじみ言いながら、沢庵を口に運ぶ。

「でも、どんな思惑があっても、それで助かる人はいるんですから、いい事じゃないですか」

 フウは、本心からそういった。動機がどうかなんて、この際関係ないじゃないかというのがフウの主張だ。

「だがなあ、この世界の難民は俺たちみたいな時空漂流者だけじゃないらしいし、その辺で揉め事がありそうではあるよな」

 と、佐藤。ウィエルもうなずく。

「実際、ラグラルキーン側の難民団体からも、そういった苦情があります。……時空漂流者の数に比べればラグラルキーンの難民の数はずっと多いですから、やはり出来ないこと、援助が薄くなってしまうところがあるんです。それが不平等感を生んでしまっていて……」

「世界が変わっても、そういういざこざはかわらないもんなんだな」

 心なしか部屋の空気が重たくなった。折角のおいしい朝ごはんが、どこか味気なく感じられる。そこへいくと、自分は恵まれているのだな、とフウは思った。恐ろしい敵に追い回されはしたけれど、それでも自分の境遇をある程度正確に理解してくれる現地の人がいたというのが、どれほど心強いものかということを、改めて認識する。そしてそういう出会いを得られなかったであろう多数の同じ身の上の人たちに対して同情を禁じえなかった。それがいかに傲慢な考えかというのも理解はしていた。

「……っま、難しい話は政治家に任せるとしようや。飯時に政治の話なんてするもんじゃねーな、飯がまずくなる。これもどこの世界でもかわらないな」

 いつまでも暗い雰囲気を持続させるのは精神衛生上よろしくない。佐藤は努めて明るく、笑い飛ばすように言った。

「ええ、そうですわね。今日のお買い物のリストアップをするほうが、ずっと建設的ですわ」

「あ、それ気になります! 楽しみだなあ」

 ウィエルもフウもその意図を汲み取ってくれたのか、若干の無理やり感はあるものの今日の予定へと話を戻した。


 その後しばらく談笑しながら朝食を摂って、宿を出たのは九時を少し回った頃だった。

「レイフェンの庁舎はすぐそこですから、歩いていきましょう?」

 というウィエルの提案に乗って、町並みを眺めつつ歩くこと十数分。大きな公園の向こうに、庁舎と思われる建物が見えてくる。

「ここがレイフェンの中央公園ですわ。普段は市民の憩いの場ですけど、有事の際は避難場所としても使えるようになっていますの」

 ツアーの引率者宜しく解説を入れるウィエルの後に続きながら、物珍しそうにきょろきょろと視線が落ち着かないフウと佐藤。まるでおのぼりさんである。

「昨日着たときは夜だったからあんまり細かいとこまで見る余裕は無かったが、なるほどよく整備された町だな、ここは」

「ほんとうに、綺麗な町ですね~」

 すっかり気分は海外旅行客である。

「ふふ、ここレイフェンはコルーンと最も交流の深い町ですから。格好悪いところを、他国の方に見せるわけにはいきませんもの」

 そう応えるウィエルは、どこか誇らしげであった。

「さあ、つきましたわ。ここがレイフェンの庁舎です」

 たどり着いたのは、白亜の巨塔、と言った外観の建物だった。高さは目測で20m強、青白く光を乱反射するクリスタルをあしらったファザードが美しい。

「おお、こりゃまた見事な」

「わ、おとぎ話のお城みたいですね!」

「なかなか鋭いですね。この庁舎は昔、レイフェンを治めていた領主の居城でしたの」

「へぇ~」

 自然と二人の声が唱和した。ビルディング街に青々とした公園と荘厳な古城のある風景は、どこか欧風で気品ある佇まいであった。

「それでは、両替をしてもらいましょうか。受付は、1階にありますわ」

 ウィエルに続いて、庁舎のエントランスへ。外観同様に歴史と気品を感じさせる重厚な石組みの構造体が出迎えてくれたものの、そこにに無理やり自動ドアや段差解消用のスロープなどが取り付けてあり、美観を損なっているのが残念だと佐藤は思った。

 内部は、日本の市役所などの類の施設によく似ていた。1階に各種手続き用の窓口とロビーがあり、奥には銀行の支点と簡易郵便局らしきものが見える。

 御丁寧に『時空漂流者両替手続き窓口・こちら』と書かれた看板がかかっていたので、この調子ならば手続きに苦労することはなさそうだとフウと佐藤は同時に思った。


 予想通り、数分で両替の手続きは終わった。唯一少し手間取ったといえば、元の世界の身分証明書の提示を求められたことだろう。やはり金が絡む案件であるし、悪党が何もわからない時空漂流者から掠め取った金である可能性も大いにあるわけだから、確かに重要な手続きである。

 結果、2人の財布から日本円は綺麗さっぱり無くなって、新たにドゥエー通貨と呼ばれるミルナーヴァの共通通貨が収まっていた。ちなみに換金レートは1円=1ドゥエーである。わかりやすいことこの上ない。

「それじゃ、これから別行動だな。夕方、あの宿でいいんだろ?」

「ええ。存分に楽しんできてくださいね、サトーさん」

「はは、そっちもな」

 両替を済ませた一行は、庁舎の前で一旦解散することにした。ちょうどレイフェン軍基地方面行きのバスが庁舎前に到着したからである。

 いざバスに乗り込もうとして一段目のステップに足を引っ掛け、危うく転びそうになっている佐藤の姿は、傍から見てわかるほど浮き足立って見える。

 フウとウィエルは、そんな彼を生暖かい目で見送ったのだった。


「さて、じゃあ私たちも参りましょう」

「はい! まずはどこから回るんですか?」

 バスが視界から消えるまで見送って、ウィエルとフウは今回の主目的へと気持ちを切り替えた。

「そうですわね、まずはフウさんのお洋服を見に行きましょう? |その服(制服)は、少々目立ちますから」

「……えっと、そんなに目立ってますか?」

 少し不安そうに、フウは自分の服を摘む。この世界に来たときの格好、つまり千流川高の女子制服が今の彼女の姿だ。千流川高の制服は彼女のすむ近辺では一番評価の高いデザインで、彼女自身制服目当てというのも志望の一因だっただけに、悪目立ちするといわれると少し悲しい。

「うーん、いえね、とても良いデザインだとは思うんですよ? ただ、少し似ているので」

「似ている、っていうと?」

 ウィエルは、少し返答に困ったように言うと、何かを探すようにキョロキョロしだした。

「ああ、ありましたわ。こちらです」

 どうやら目当てのものを見つけたらしい。ぽんと手を打つと、フウの手を引いて庁舎の前、広報用の大型掲示板が良く見える位置まで移動した。スッと、ウィエルの細く長い指がひとつのポスターをさす。

「あのポスターですわ。見えますか?」

「うぇ? えーと……あ、アレですか?」

 ウィエルのさす先、そのポスターは、フェンヴェール軍への入隊を誘う大判のものだった。中央に縦書きででかでかと『来たれ若人! ミルナーヴァの剣となり、夷狄(エヴィロンス)を打ち払おう!』といかにもな文言が描かれてあり、それをはさむ様に見目麗しく誠実そうな一組の若い男女が、自信に満ち溢れた表情で描き出されていた。

 それを見た瞬間に、フウは全て悟った。

「ああ~、確かに似てますね」

 つまり、ポスターに描かれた女性のほうの衣装が、フウの現在の召し物にそっくりなのである。細かい部分で差異は見つけられるが、概ねが同じであった。

「あのポスターの方が纏っているのがフェンヴェール軍のA式軍装……平たく申しますと、軍の一般的な制服ですわ」

 ウィエルが補足で詳しい説明をしてくれる。要するに、今のフウの格好は軍隊のコスプレをしているような状態なのだ。

「うへぇ、だからさっきから、妙に視線が集まってたんですね」

 先ほどからちらほら飛んできていた好奇の目線はそれか、と納得するフウ。

「それだけでないとは思いますけど……さあ、それじゃあ気を取り直して、お買い物に出発しましょうか」

 ウィエルは何かほかに思うところがあるようだったが、次には心なしかへこんでいるフウの手をとって軽やかに駆け出した。いきなりのことに最初フウは驚いたが、そのおかげか鬱屈しかけていた気分はすっかり元に戻っていた。

 2人は歩くよりずっと速いスピードで、まだ色濃く朝の雰囲気を残す大通りを往く。本来ならば駆け足になっていて然るべき速度でありながら、歩調は緩やかに優雅である。それは、まるで魔法の光景であった。


 そうして2人がやってきたのは、大通りから一つ入った通りに面した、こじんまりとした洋裁店だった。『マリィの毛糸』と書かれた控えめな看板は、どこかレトロで良い雰囲気をかもし出している。店内に足を一歩踏み入れると、そこは看板に偽りなし、と言ったふうな雰囲気に溢れる佇まいだった。開店してしばらくもたっていないせいか、客はウィエルとフウの2人だけだ。

「あらあら、いらっしゃい」

 2人が玄関をくぐったときにカランと鳴った鈴の音を聞いたのか、レジで編み物に興じていた白髪の老婦人がふと顔を上げた。

「こんにちわ。御無沙汰しております、マリィさん」

「あらまあ、ウィエルさま。これはこれは、お久しぶりでございます」

 マリィと呼ばれた老女が、おそらく店主なのだろう。彼女は皺の深く刻まれた顔に柔和な笑みを作ると、恭しく挨拶を返した。それはしわがれていたが、とても生気にあふれた声だった。どこか瑞々しくさえある。

「さまはやめてくださいな。マリィさんのほうが、わたくしなどよりずうっと立派な方ですのに」

 ウィエルも、優しい微笑を浮かべる。

「ふふふ、ウィエルさまはお変わりありませんね。それで、今日はどうなさったのかしら?」

 マリィはころころと笑う。実に可愛らしい老人だと、フウは思った。老女は簡単な挨拶にも似た短い会話を終えて、ウィエルの用を尋ねた。

「ええ。この方、フウさんというのですけれど。フウさんの洋服を一揃え、仕立てていただきたくって」

「流凜 風靡です。よ、よろしくお願いします」

 ウィエルがそういって、隣のフウをずいと押し出す。フウは少しどぎまぎしながらも、簡単な自己紹介をした。

「……っ!? そう、そうでしたのね」

 マリィは笑みをそのままにスッと目を細めてフウを見た。彼女の名を聞いて何かに納得したように小声で言うと、笑みを戻す。そのほんのわずかな表情の機微にフウは気づくも、取り留めて気にはしなかった。

「ふふ。それじゃフウさん、早速採寸にかかりましょ。久しぶりのウィエルさまからの頼みとあっては、こんなおばあさんでも腕が鳴るわ」

 マリィは、そういって腕まくりをした。現れた腕は見かけの歳ほどに細いながらも、どこか力強さがあった。

 店の奥に案内されたフウは、まず採寸ということで上着を脱いで、薄着となった。ポケットから良く使い込まれたメジャーを取り出したマリィは、その時点で職人の目つきだ。対象にストレスを極力与えず、それでいて作業は手早く。その動作は見事なまでに洗練されていて、てきぱきと各部の採寸が行われていく。3分足らずで、採寸は終わった。

 次にマリィが手にしたのは、帳面と色鉛筆だ。小さな丸眼鏡を鼻に乗せれば、そこにいるのはファッションデザイナー。当然デザインも彼女の仕事である。フウに要所要所で質問を投げかけながら、迷い無く帳面に鉛筆を走らせる。

 物の数十分で、精細なデザインスケッチが数案完成した。無論、フウの要望はどれにも全て盛り込まれている。

 結局、フウがデザインを選ぶのにかかった時間でマリィは5回お茶を淹れなおした。

 悩みぬいた末に決定したデザイン案をもとに、更に細かい部分を詰めること数十分。

「ふぅ、こんなものでどうかしら」

 マリィが鉛筆を置いて、丸眼鏡を外す。それはもはや書き直す必要すらないほどに完成されたデザインであるという自負の表れだ。

「わあ、素敵です! これ、完成はいつごろになるんでしょうか?」

 出来上がったデザインを見て、フウは目を輝かせる。シンプルながらも彼女のつぼをしっかり押さえたデザインで、文句のつけようが無い。できあがりが今から楽しみで仕方がないと言った様子だ。

「完成は、そうねぇ……」

 マリィは、ちらりと壁の時計を見る。時刻は、そろそろお昼に指しかかろうとしていた。

「ふふ、びっくりすると思いますよ、フウさん」

 横からウィエル。何のことだろうとマリィの言葉を待つフウ。

「ううん、お昼ご飯の用意もしなくちゃだから、パパっとやっちゃいましょ」

 そういってマリィは立ち上がると、店の最奥にある小部屋へ2人を案内した。小部屋には所狭しと様々な生地や糸、裁縫用具が並べられており、中央に人一人は入れるほどのスペースがぽっかり開いている。部屋の入り口で困惑顔のフウとうきうきした様子のウィエルが見守る中、マリィはその部屋の中央へ。ふぅっと一息深呼吸をして、

「さあ、はじめますよ」

 と、妙に通る声で宣言した。

 スッと、マリィが前方、針山に手をかざす。彼女のしわがれて節ばった指先がいつくしむ様に、静かに針の頭を撫でる。するとどうだ、部屋中から俄かに光の粒子が立ちのぼり、次の瞬間に眩い光が小部屋を満たした。

「わっ」

 とフウが驚いた一瞬の間に、スロー再生してもまだわからないような凄まじいスピードで生地が舞い、針が飛び、糸が奔る。マリィは真剣な表情で針山に手をかざし続ける。一瞬で既定の寸法に裁断された生地は次の瞬間には他の生地と縫い合わされて、洋服のパーツがコンマの秒で組み上げられていく。最後に細やかな刺繍のワンポイントが施され、デザインと寸分の狂いも無い真新しい洋服が完成した。御丁寧にハンガーにかけられた状態である。光が霧散してゆく。かかった時間は、十秒にも満たない。

「マリィさん。これ、タオルです。どうぞ」

 いつの間に用意したのか、白いふかふかしたタオルをマリィに手渡すウィエル。平静を保っているように見えて、マリィの額はじっとりと濡れていた。

「ありがとうございます、ウィエルさま。久しぶりでしたから心配だったのですけれど、最近では一番の仕上がりになりましたわ」

 そういうマリィの表情は晴れやかで、自信に満ちていた。職人の笑みだ。

「どうでした、フウさん」

 そのあまりの早業と完璧な仕上がりに圧倒され、未だあっけにとられてポカンとしているフウに、ウィエルが若干のしたり顔をにじませて聞いてきた。

「え、えっと、すごかったです。あれも魔法なんですか?」

 あれが魔法で無かったら何だというのだ、というほどにフウ自身確信をしていたが、確認の意味もこめてウィエルに聞き返した。

「ええ、最高位の裁縫魔法ですわ。使い手は、魔縫使い(ソーイングマスター)マリィ・マトバーリアをおいて他になし、と謳われるほどの」

「マリィさんって、そんなにすごい人だったんですか!?」

 えらく誇らしげに、ウィエルは語る。目の前のおばあさんが、そんな有名人だったことに驚くフウ。

「あらあら、いやだわ。魔縫使いなんて、もう何十年も前の話ですのよ? 今はほら、こんな小さなお店を切り盛りするのに精一杯なんですもの」

 おほほ、と上品に微笑んで仕事終わりのお茶をたしなむ老女。

「わざわざ人払いの魔法をかけておられるのに、ですか?」

「ふふ、ウィエルさまはやっぱり意地悪ですわね」

 ウィエルの指摘を、それだけいってかわす。

「先生こそ、相変わらず意地悪なお方ですわ」

 ウィエルは懐かしむような口調で微笑んだ。

「あっと、先生って言うことは……」

 何とか会話についていこうと、フウ。

「ええ。わたくしの家庭教師をされてましたの。幼い頃の話ですけれどね。勿論裁縫もですけど、マリィさんにはいろいろなことを教わりましたわ」

「お懐かしいですわねぇ。あの頃のウィエルさまは、それはもうおてんばで。男の子に混じっては日が暮れるまで、泥んこになって遊んでおられましたものね」

「ふふ、そのあとにはいつも、マリィさんにこっぴどく怒られていましたっけ」

「そうでしたわね。そうそう、あの時も――」

 昔話に花が咲く。もはやついていくことは諦めたフウだったが、今までよりもずっと自然な笑顔を見せているウィエルが新鮮に思えて、ほっこりしながら二人の会話を聞くことにした。


「あら、いけないわ。もうこんな時間」

 それから十分ほど立ったろうか、ふと時計を見てマリィは言った。昔話の切り上げの合図だった。

「フウさん、着心地はどうかしら」

「すごく良いです。肌触りもいいし、大きく体を動かしても生地が突っ張らないし」

 出来上がった服を試していたフウは、そのあまりの着心地のよさに感服していた。自分の一挙一投足に服が無理なく追従してくれるため、とても動きやすい。姿見で確認すると、真っ青に変色してしまった自分の髪と、グリーンの上着に白いホットパンツは見事なまでにベストマッチしていた。

 ゆったり目の袖はそれでいてもてあますことは無く、スカートのような意匠を取り入れたホットパンツは洒落ていて、大人っぽさを演出していた。

 フウは、その服をいっぺんで気に入った。

「気に入ってもらえたようで私も嬉しいわ。作った服を喜んで着て貰える、これほど洋裁屋冥利に尽きることはないもの」

 マリィはそういって、今までで一番優しい笑みを浮かべた。


 縫いあがったばかりの服を着て、マリィの店を出たのがお昼に少し届かないあたり。昼食をとるには、少し早い時間帯だった。

 ちなみに服の代金は、ウィエルが持った。朝に両替したと言っても、高校生である彼女はもともとそんなにお金を持っていなかったからである。今彼女の財布の中には1000ドゥエー紙幣が4枚。到底服を一式買えるような(しかもオーダーメイドである)金額ではない。

 会計のときにやたら0の多い金額が提示されていたような気がするが、フウは努めて見なかったことにした。おごってもらった金額をわざわざ覚えているなんていうのは、無粋に感じられたからだ。

「えーっと、次はどこへ行くんですか?」

 とにかく、今は次のことを考えよう。そう考えて、フウはウィエルに尋ねる。

「そうですわね……本当は食料品を仕入れに市場へ行こうと考えてたんですけれど、もうすぐお昼ですし、それまで露店を回りましょうか」

 表通りから二つほど入った通りは常時歩行者天国となっている。そこは種種雑多な、それこそ清濁併せ呑んだような露店が立ち並び、暇を潰すのや掘り出し物を探すのにぴったりな場所なのだという。

 そういうわけでフウも特に反対する理由もなく、2人は露店通りへと足を運んだ。


「さあ、見ていってよー! こいつぁ今じゃあ貴重になっちまったラグラルキーンの特産品、キーン()だ!今日日こんなにいいものはめったに出ないぜ、それがなんと今ならたったの20000ドゥエー!」

「いらっしゃいいらっしゃい、そこ行く旦那、こいつはつい先日コルーンの商人から買い付けたばかりの電動式髭剃りだよ! まだどの店にも並んじゃいねぇ最新型だ! それが特別に、5000ドゥエー!」

「さあ、安いよ安いよー! そんじょそこらの工房よりも、よっぽど見事な装身具(アクセサリー)がより取り見取り、さあよっといで、よっといでー!」

 その露店通りは、商人たちの威勢のいい客引きに満ちていた。道幅は普通乗用車がギリギリすれ違えるほどで、長さはおよそ200m程度。そんな細長い空間は、様々な人と声で溢れかえっていた。

「わあ、すごいですね! あ。あのアクセサリー、可愛い!」

「運が良いときは、大通りのお店を回るよりもよっぽどいいモノが並んでいるんですよ。勿論、水物ですけどね」

 思わず目移りするほどの商品に溢れた光景にはしゃぐフウに、ウィエルはそういって微笑んだ。

「それにしても、すごいたくさんの人ですね! 今まで商業都市っていわれてもあまりぱっとしなかったんですけど、ここはすごく説得力があるって言うか」

「そうですわねぇ。通り自体が狭いというのもありますけれど、掘り出し物を探しに表通りの商人たちもこぞって訪れていますからね。ある意味、ここがレイフェンで最もにぎやかかもしれません」

 ウィエルの言うとおり、店頭で商品を吟味している人の中にちらほらといかにも商人然とした者が散見できる。

 露店といっても形態は様々で、立派な屋根のついた屋台のような移動式店舗から、ただ地面にシートを引いただけというものまで。ウィエルいわく、意外と後者のほうが良い品を扱っていたりするそうな。

 そんなわけで様々な品物を吟味しながら歩いていると、ふとフウはひとつの露天商に目にとまった。ビルとビルの隙間にひっそりとシートを広げただけのそれは、人がごった返す通りにあってあまり人が寄り付いていない。場所が悪いのだろうか、とフウは思った。

 ウィエルは他の店の商品の吟味に夢中なようだったので、フウは一人でその露天商の前に歩み寄った。

「えっと、すいません。このスカーフ、見せてもらってもいいですか?」

 店主と思われる髭面の男は、目を瞑って微動だにしなかったので、眠っているのだろうかと思いつつフウは声を掛ける。眠りこけているのだとすれば、不用心も甚だしい。

「ん、ああ。いらっしゃい。どうぞ、見ていってくれ」

 髭面の店主は瞑っていた目を薄く開けて、ぶっきらぼうに応える。どうやら、眠っていたわけではなさそうだ。

 店主の了承も得たので、フウはそのスカーフを手に取った。綿とも絹ともつかない不思議な、それでいて滑らかで肌理の細かい生地だった。それが淡い桜色に染められ、縁にはおそらく生地と同種の糸でもって細やかな刺繍が施されている。芸術品と見紛うばかりといっては些か誇張が過ぎるかもしれないが、それにしても高級感のある一品だった。気品がある、といっても良い。

「おじさん、これ、いくらですか?」

 フウはそのスカーフに、まさに一目惚れだった。手に取った瞬間、ずっと身に着けていたい、という欲求に駆られる。

 とはいえ商品である以上はそれを手にするために対価、代金が必要なわけで、果たして現在の持ち金で足りるかどうか、少々心もとない。

「……5000ドゥエーだ。っと、だが嬢ちゃんは今日最初の客だし、サービスしてやる。4000ドゥエーでどうだ?」

 店主はフウのとてもわかりやすい顔色を見ながら、金額を提示した。ものの見事にフウは食いついて、財布からなけなしのドゥエー紙幣を手渡す。

「毎度あり。そうだ、コイツもおまけしといてやるよ。カラフサの髪留めだ」

 店主は紙幣を数えるとにんまり笑った。動物的というか、野生的な笑みだった。彼はうきうき気分で去ろうとするフウに、おまけといって小さなアクセサリーを握らせた。丈夫そうな皮ひもに小さく赤い植物の実が結いつけられたそれは、やや無骨ながらも手間隙をかけられたものであることが窺える一品だった。

「わ、良いんですか? ありがとうございます! ……あれ、でも確かカラフサの実って」

 フウ自身は実物を見たことが無かったが、カラフサといえば佐藤が誤って口にしてひどい目にあったという毒草ではないか。

「ああ、嬢ちゃんはここらの人間じゃねぇのか。カラフサは確かに猛毒の実だがな、長い時間かけて乾燥させると鮮やかな赤色を発色するんだよ。その間に毒もほとんど消えるから、口に含みさえしなきゃ、害はねぇ。このあたりじゃ乾燥させたカラフサの実は魔除けになるってんで、ポピュラーなアクセサリーなんだぜ」

 不安げなフウの視線を感じ取ったのか、店主はそういって安心しな、と笑った。フウはこんどこそありがとうと頭を下げ、その場を後にした。


 フウが戻ってくるのとほとんど同時で、ウィエルも買い物を終えたらしい。購入したのは、どうやらローブの飾り留め金のようだった。

「あら、フウさん、それは?」

「あ、これ? さっきそこの露店で買ったんですけど、本当は5000ドゥエーのところを4000ドゥエーにおまけしてくれて、おまけって髪留めまでもらっちゃったんです!」

 フウの手にするものに気づいたウィエルに、フウは実に嬉しそうな表情で語る。それを聞いて、ウィエルは少し表情を曇らせた。

「……あら、素敵ですわね~。少し見せてもらってもよろしいかしら」

「いいですよ」

 フウから件のスカーフと髪留めを受け取ると、ウィエルはそれをしげしげと眺めた。この世界のことがほとんどわからぬフウのことである。体よくカモられてボられたのではないかという懸念からだったが、そのスカーフを手に取った瞬間にそれは吹っ飛んだ。

「これは……キーン布ですわね。しかもずいぶんと上質の。それとこっちの髪留めも、ラグラルキーン伝統の細工が施してありますわ。これを、本当に4000ドゥエーで?」

「はい!」

 それは、あまりにも値段不相応だった。真っ当な店で購入すれば、併せて3万ドゥエーはくだらないだろうという品物である。ぼったくられたのではないかという疑惑は跡形も無く消し飛んだが、代わりに急速浮上してきたのが、盗品をつかまされたのではないか、という懸念だ。

「フウさん、ちょっとそのお店まで案内してくださるかしら」

 ウィエルは努めて剣呑さを表に出さないよう表情をつくろいながら、フウの案内で件の露店を目指した。

「えーっと、あ。あそこのお店です」

  フウがさすのは、先ほどと同じ場所にこじんまりと店を構える髭面の店主だ。やはりまた目を瞑って、微動だにしていない。

「よろしいかしら?」

「ああ、いらっしゃ……あ!?」

 ウィエルが店主に声を掛けると、フウのときと同じように軽く目を開けて、その後はフウと違い、あからさまに驚いて大きくその目を見開いた。

 その反応にますますウィエルの疑念は募ったが、それと同時にとある既視感を併発した。この髭面と先ほどの声に、どこか覚えのあるような気がしてならないのだ。そしてそれは数秒後に解消された。

「あ、貴女はもしや、ウィエル・スプリット様では?」

「あなた、もしかしてレイル・ライウェルト師……?」

 2人の発言はほとんど同時であった。ウィエルの抱いていた不信感は一気に霧消して、また店主は店主で驚愕の表情を緩めた。

「おお、お懐かしゅうございます。スプリーティア陥落の報を聞いて後、御身の無事を祈らなかった日はございません」

「レイル師こそ、ラグラルキーン滅亡の折に行方がわからなくなったと……!」

「恥ずかしながら、こうやって生き恥を晒しております」

 どうやら知己であったらしい2人は、そうして再会を喜んだ。またしてもフウは置いてけぼり出会ったが、せっかくの感動の対面に水をさすことでもない。成り行きを見守ることにした。


「ええっと、じゃあおじさん……レイルさんは、ラグラルキーンで一番の工芸品職人だったんですか?」

「……ううむ、どうやらそのようなんだが、あんまり実感が無くてな。俺の作るものなぞ、まだまだ児戯の域を出てねぇ半端もんばっかりだって言うのによ」

「レイル師は、昔から自分のことを過小評価しすぎなのです。先ほどフウさんに売却した品にしたってそうですわ」

 ちなみにレイルにしてみれば、フウから受け取った4000ドゥエーという金額でさえ「ふんだくった感」があるのだという。それを聞いて、ウィエルはほとほとあきれ返っていた。

「むむむ…… しかし今回はこうして再会のきっかけになったのですし、大目に見ていただきたい。ウィエル様のお小言も懐かしくはありますが」

 レイルは、悪びれた様子も無く言った。それにしても、フウを相手取るときとウィエルが相手のときで喋りかたがまったく違う。

「レイルさん、レイルさん。さっきからウィエルさんに対してだけ対応がすごく丁寧なんですけど、何か理由があるんですか?」

 それが気になったフウは、ウィエルが気を逸らした隙に小声で聞いた。するとレイルは少し驚いた顔をして、

「なんだ、知らないのか? ……まぁだが、こういうのは本人に直接聞くもんだ。ウィエル様が話されてないんなら、俺が話す資格はねーよ」

 と、あからさまに答えをぼかした。それってもうほとんど答えじゃないの? と思ったフウだったが、それ以上の追求はやめた。どう考えても徒労に終わりそうだったからだ。



 しばらく談笑して、気がつけば昼食には少し遅い時間となっていた。昼食を一緒にどうかとウィエルはレイルを誘ったが、彼はそれをやんわりと断わると、ウィエルもそれ以上誘うことはしなかった。別れ際、レイルはコルーンに渡るつもりだ、といった。

「良かったんですか、あのまま別れて?」

 昼食時の食堂街を歩きながら、フウは聞く。話を聞いている限りではそれなりに親しい間柄であったようだし、これが今生の別れにならないとも限らないのだ。

「うーん、そうですねぇ……」

 ウィエルは、困ったような表情で言葉を捜した。

「今日会えたのだから、いつかまた会えますよ。レイル師は私の知る限り、一番の工芸家にして求道者ですから、あの方の進む道を邪魔したくはありませんし」

「そういう、ものなんですか?」

「そういうものなんです」

 ウィエルの言葉は、どこか確信に満ちていた。

「……」

 ここへ来て、フウは元の世界のことを想った。この世界に来てからはや3日、向こうでも同じだけ時間が進んでいるとすれば、そろそろ騒ぎになっていてもおかしくは無いだろう。もしかしたら、テレビや新聞で取り上げられたりしているかもしれない。両親の心配はいかほどだろう。級友や先生にも心配をかけてしまっているだろう。あの時あの三叉路で別れてしまったことを、シオは気に病んでいないだろうか。

「どうしました?」

 よっぽど思いつめた顔をしていたのだろう。心配そうに、ウィエル。

「……元の世界のことが、いまさら心配になっちゃって。みんなに心配かけちゃってるんだろうなって思うと、いろいろ考えちゃって。……ダメですよね、それでウィエルさんまで心配にさせてちゃ」

 フウは、無理やり笑顔を作った。一旦考えてしまうと、望郷の念はなかなか頭を離れてくれなかった。

「良いんですよ、フウさん。大丈夫、帰る手立てはあるのですから。私も、出来うる限りはお手伝いしますわ」

 ウィエルは、そういって優しく微笑んだ。

「そのためには、エヴィロンスを除かないといけない、ですか?」

「ええ。ですが、無理強いは致しませんわ。エヴィロンスからスプリーティアを奪還しないでも、フウさんたちが帰る方法を模索するくらいは、責任を持ちますわ」

 どこまでが本音なのかはわからないが、ウィエルは確乎たる口調でそう言った。

「えと、ありがとうございます」

 フウは、少しばかりは勇気付けられたとばかりに表情を明るくしたのだった。


 昼食に訪れたのは、ウィエルのオススメだという小ぶりなレストラン。昼食時から少し外れた時間帯からか、人もまばらで落ち着いたランチを堪能することができ、フウは御満悦だ。ウィエルもそんなフウの様子に、ほっと胸をなでおろしたような、優しい微笑を浮かべたものだ。

 レストランを出た後は市場へと向かい、生鮮品の買い付け。ウィエルが山になった荷物を魔法で宿にポンポンと転送するのは圧巻であったし、佐藤を連れてこなかった理由にも納得のフウであった。


 そして楽しい時間は矢の如く過ぎ行き、そろそろ青い空の片隅に茜がさすころ。時刻で言うところの午後4時と少し。それは来た。



――気をつけろ、何か来る


 不意に、フウの思考に割り込む声。レイピルのそれだと察するのに、数秒を要した。

「何かって、何?」

 フウはレイピルをマスコットモードで呼び出す。白いもこもこの狼は、その外見にそぐわない険しい表情で、虚空を見ていた。

『おい、鳥。お前のほうでも何か感じねェか?』

 レイピルは、その唸るような声のままにウィエルを、その幻想機であるフェンヴィーを見た。

『んー、あ、ホントだ。きてるきてる、何か来てるわ。でも遠くてまだ良くわかんないなあ。良くこんなの見つけたわね、さすがわんこは鼻が利く』

 ウィエルに呼び出されたフェンヴィーも、何らかの接近を感知したようだ。二匹のやり取りを聞く限り、それが良いものだとは到底思えない。

『うるせェ、手羽にされてェか』

『ご勘弁。っと、でたわよー、情報。間違いないわ、エヴィロンスねそれも大きいのが10ばかり』

「10!? それに大きいのって……」

「……おそらく、狙いは私たちでしょうね。フェンヴィー、到達までの猶予は?」

 フェンヴィーの報告に、驚きを隠せないフウ。一体でも厄介なエヴィロンスが十体まとめてというのも脅威に思えたし、大きいの、という単語からは不吉な予感がビシビシと漂っていた。

 ウィエルは冷静に、情報の分析を急がせる。その傍らで携帯端末を操作し、どこかへ電話を掛ける。コール音無しで、電話はつながった。

「私です。……ええ、ええ。そう。御察しのとおりで」

『到達予想でたわ、あと30分』

「聞こえたかしら、あと30分よ。……そんな悠長なことを言っていられる場合でして? ……ええ、お願いいたしますわ」

 ウィエルはそういって電話を切ると、未だうろたえているフウに向き直った。

「フウさん、敵が来ました。幻想機に選ばれたものの責務として、この世界の民として、私はこれから接敵予想地点へ向かいます」

 ウィエルの視線は、強かった。その翠の瞳は射抜かんばかりに、ただフウを見つめていた。

『フウビを戦場に出すつもりか? まだ俺の使い方もわかっちゃいねェってのに』

 レイピルは、フウビの肩に居座って言った。

「……それを決めるのは、フウさんです。私でも、貴方でもありませんわ」

 レイピルの言葉に臆すことなく、ウィエルは言った。

「フウさん。今一度、私、ウィエル・スプリットは貴女に要請します。私と共に、幻想機の力を持って、エヴィロンスを討つ事にどうか力をお貸しください。勿論今ならまだ、引き返すことは出来ます。エヴィロンスはレイフェンの守備隊に任せて、フウさんは皆さんとシェルターに逃げてることだって出来ます。ですが、この世界の根本からを救うには、あなたの力が不可欠なのです。どうか、決断を」

 選択を突きつけられ――その選択自体は以前から提示されていたが、その猶予をいっぺんに短縮されて。フウは混乱の極地にありながら、確かにその状況を観察して、答えを模索していた。

 戦いは、怖い。傷つくのは、怖い。傷つけるのは、怖い。痛いのは嫌だ。つらいのは嫌だ。悲しいのは嫌だ。脳裏に飛び交うのは、否定の言葉だ。

 だけれども、ここで逃げてどうなる、と思う。ここで逃げれば、あの和風旅館も、マリィの店も、あんなに賑わっていた露天通りも、一切合財が失われてしまうだろう。それは物理的な話だけではなくて、フウの精神世界に深い傷跡を残してしまうに違いあるまい。

 今の彼女は何も出来ないただの高校生の少女ではなくて、力がある。それも莫大な力が。それをひた隠しにして、自分以外の全てを犠牲にするなど、出来るものか。

 あの時、あの車内でフウは、「目覚めが悪い」と確かに言った。自分に戦う力があるというなら、自分に守る力があるというなら、それを使わずしてなんとする。自分ひとりがおめおめと生き残って、元の世界に戻って、それで本当に満足か? 答えは否である。フウの答えは、否である。

 だから、フウの答えは是だ。フウはその力を使うことにした。最後の踏ん切りがついた。

 感情の一部を共有する肩のレイピルは、やれやれといった顔をした。しかし、すぐに表情を引き締めて、主人の"言葉"を待った。


「……やります。私も、戦います!」


 ここに、真の意味で一人の魔法使いが誕生した。



+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+



「やります。私も、戦います!」

 鈴を鳴らすような少女の声は、どこまでも鈴と凜と。

「ありがとう、フウさん」

 ウィエルは、その誓いにも等しい言葉をしかと受け止めて、謝辞をひとつだけ返す。優しい微笑みはそのままに、強く信念のこもった眼差しで。

「このまま跳びます。手を」

 短く言って、ウィエルは徐に手を差し出す。覚悟の決まった女は強いというが、多聞に漏れず重ねられたフウの手にはもはや迷いは無かった。

 刹那、淡い燐光を残して2人と2匹はレイフェンの表通りから忽然と姿を消した。居合わせた通行人がぎょっと目を剥く中、そのちょうどのタイミングで町中の広報用スピーカーが緊急事態を伝える放送を開始した。

『緊急放送、緊急放送。本都市にエヴィロンスの大部隊が接近しています。市民の皆様は、慌てずに落ち着いて地下シェルターへの避難を開始してください。繰り返します、本都市にエヴィロンスの……』



 ふわりとした若干の浮遊感を感じたフウは、気がつくと平原に立っていた。

(荷物を転送してたときと同じ光だ)

 周囲に散る燐光の残滓が、転移魔法による瞬間移動であることを知覚させる。

「いきなりでごめんなさい。フウさんは転移魔法初めてでしょう? なにか身体に異常は感じますか?」

 目の前のウィエルが若干心配そうな顔で尋ねてきたので、フウは問題が無いことを伝える。

 ウィエルは一度にこりと笑うと、すぐに表情を引き締めた。普段はおっとりとした美人ではあるが、真剣な表情もまた美しい。

「フェンヴィー」

『あいよっ』

 肩に視線を向ければ、あいわかったとばかりに軽快にうなずくフェンヴィー。小さく肯き返したウィエルが軽く手をかざすと、2人の眼前の空間に立体的な周辺地図が投影された。

「現在私たちがいるのが、ここ。レイフェンの街から西に15キロ、レラクル平原のど真ん中です。私たちは、ここでエヴィロンスを迎え撃ちます」

 ウィエルの言葉に合わせて、立体地図上の「RELACLE」と表記されただだっ広い平原に青い光点が二つ表示される。その背後には「LAYFEN」の文字。次々と地図上に情報が追加されてゆく。二つの光点をはさんでレイフェンと反対側に、今度は赤い光点が十ばかり表示された。刻々とその位置を変える赤い光点は、明らかにレイフェンを目指して移動していた。光点群の上にはデジタル式のカウンターが表示され、刻一刻とゼロに向かって時を刻んでいる。おそらくこれが到達予想時間だろうことは、フウにもわかった。刻まれている時間を信じるならば、接敵まであと20分と少し。

「この青いのが私たち、ですよね? で、この赤いのがエヴィロンスで……えっと、私たちだけでエヴィロンス10体を相手取るんですか?」

「ええ、勿論」

 即答である。

「幻想機本来の姿である第3フェイズの力を持ってすれば、取るに足らない数ですわ」

 にこりと笑って、ウィエル。

「本来の姿? 第3フェイズ?」

 理解の追いついていないフウは、ウィエルの言葉を反芻する。ウィエルは頷く。

「第3フェイズは幻想機の力の全てを完全に目覚めさせる、いわば最終形態ですわ。尤も、3つに分離している時点で製造当事ほどの力はありませんけど、それでも絶大な力を誇ります。……口で説明するよりも、実際に見てもらえば。フウさんの魔術センスがあれば、出来るはずです。少し離れてくださいな、そう、そのくらい。……フェンヴィー、準備はよろしくて?」

『いつでもオッケー!』

 フウが十分離れたのを見計らって、ウィエルは肩のフェンヴィーに問う。対するフェンヴィーは軽快に肯定を返して、待ちくたびれたとばかりに張り切って空に舞い上がった。

 俄かに周囲の空間がざわめく。ウィエルを中心にエメラルド色に輝く魔法陣が形成され、藍色に染まり始めた空を照らす。すぅ、と軽く息を吸って、陣の中央でウィエルは指笛を吹いた。高く高く澄んだその音色は藍の夜空を裂く。空の裂け目は瞬時に伸張してまばゆい巨大な魔法陣となり、そこへ優雅な軌跡を描いてフェンヴィーが飛び込んだ。莫大な魔力にて形成された魔法陣を抜けたフェンヴィーはその魔術的組成情報を再構築され、姿を変じさせる。

 それは白く輝く流麗な一羽の鳥であった。ただしその大きさは、その立派な翼を広げると10メートル以上にもなる。フウは子供の頃に図鑑で読んだ、遥か古代の巨鳥を思いだした。

 鈍い光沢を放つ金属にも似た外皮、緑色に光る眼。その長い尾の外縁部は限りなく薄く、鋭利な刃物を思わせる。

 幻想機フェンヴィー。それは一見して鳥型のロボットにフウには見えた。

 やがてウィエルの足元にあった魔法陣がせりあがり、同時にウィエルの姿が消える。後に残されたのは霧散した魔法陣の光の残滓のみで、それは転送の光によく似ていた。

『これが、第3フェイズ。幻想機の本来の姿ですわ』

 フウの頭に、直接ウィエルの声が滑り込んだ。レイピルの声を聞くのに似た感覚だな、とフウは想った。

「これが、幻想機……!」

 遥か上空を旋回する幻想機フェンヴィーを仰ぎ見て、フウは感嘆の声を漏らした。

 次に、果たしてこんな芸当が自分に出来るものかと不安になる。ウィエルは「出来る」と言ったが、そもそも方法すらわからないのだ。

『心配すんな』

 不安に駆られそうだったフウに声をかけたのは、レイピルだ。彼はひどく真摯な瞳でフウを見つめる。

「私、レイピルの力を使いこなせるのかな? レイピルの本当の姿なんて、私見たことないんだよ? 本当に私に出来るのかな」

『もちろんだ』

 フウの不安を払うように、自信に満ちた口調で、やや食い気味にレイピルは断言した。

『フウビ、いまさら怖気づいてんじゃねェよ。お前は俺の契約者で、俺はお前の幻想機だ。出来ねェことなんて、端からねェ』

 あまりにも自信たっぷりなレイピルを見て、フウはふきだしそうになった。同時に、不安が霧散するのも感じる。

『ヘッ、単純な奴だな、お前。だが、魔法使いなんてのはそれくらい単純でいいのさ』

「それ、ほめてるの?」

『さァな』

 珍しく優しげな口調になったレイピルにフウは驚いて、しかしすぐに口調を元に戻してぶっきらぼうに言う相棒に笑いをかみ殺す。フウの心に余裕が生まれて、それはそのまま魔力となった。

「わかった、ありがと。……私たちも行くよ。レイピル!」

 心からの謝辞と共に、あくまで朗らかに、フウは宣言をする。

『頼んだぜ、相棒』

 ニヤリと2者は視線を交わし、次いで各々に面立ちを引き締める。

 フウは加速した思考の中で、高度な魔術式を事も無げに組み上げると、(くう)を見た。初めて行う所作の一つ一つが、昔から慣れ親しんだもののように感じられる。理由はわからないが、理由なんて必要なかった。ただ結果だけが、純然とそこにあった。

 空間が戦慄く。荒野を吹く風が、フウを中心に巻き上がる青い風となった。風は更に密度を増し、やがて物理的な壁を超過して魔術的な存在へと変移すると、そのまま青く輝く魔法陣を描き出した。

 その中央で、フウは右手を勢いよく跳ね上げる。魔力をはらんだ風が唸りをあげて吹きすさび、それは渦を巻いて彼女の前方に巨大な魔法陣を形成する。

 レイピルはフウの肩から勢いよく飛び降りると、そのまま力強く大地を蹴って、唸る風をものともせずに魔法陣へ突入した。膨大な魔力が、その姿を書き換える。

 それは輝く白銀の狼。王たる気品をその碧の眼に閉じ込めた気高き獣。

 力強い四肢としなやかな胴は銀色の装甲版に覆われ、まばゆい光沢を放つ。鋭い牙と爪は金色にぎらつき、そのありあまる攻撃性を微塵も隠そうとしない。

 足元で渦巻く魔法陣が、術者を幻想機のもとへ運ぶ。青い光の残滓を残して、フウはその場から掻き消えた。


 その様子を上空からつぶさに観察していたウィエルとフェンヴィーは、一発で第3フェイズを発動させたフウに驚きを隠せなかった。自分たちでけしかけておいてなんだが、ウィエルにしてもまさか本当に初っ端でやってのけるとは思っていなかったのである。一回目は確実に失敗するとして、感覚だけでも掴ませることが出来れば、と思っていたのだ。最悪エヴィロンスはウィエル一人で片付けて、フウはレイフェンに転送、後日みっちりと訓練を、と考えていたのだが、いい方向にプランが台無しになった。

『あの子、ほんとに逸材中の逸材なんじゃない?』

「そうね……。なんにせよ、計画をもう一回練り直す必要がありそうね」

 幻想機フェンヴィーの操縦席、とでも言うのが一番しっくりと来るのだろう、人一人がやっと入れるほどの狭小なスペースで、魔力光の照り返しを受けるウィエルはそっと、妖艶なまでの笑みを見せた。


「ッ……わっ!」

 フウは目の前の景色が平原のそれから瞬時に狭いなぞの空間へと移り変わったことに驚いて、思わず声を上げる。

『ヨォ、調子はどうだい、相棒』

「レイピルの声? それじゃあ、ここは……」

 その空間に響くのは、確かにレイピルの声。あらためて周りを見渡すと、転移の残滓である魔力光以外に光源は無く薄暗かった空間に、光が灯る。

 白いつるりとした結晶質の壁面は、それ自体が淡く発光している。どこにも入り口のようなものは見当たらず、窓のようなものも無い。ただただつるりとした壁が、左右天地にあるだけだった。

 次に自分が腰掛けている台座のようなものに目線を移す。ちょうどフウが座っている部分は皮張に似た手触りで堅すぎず柔らかすぎず、座面に負担をかけず、だがしかし体が沈みこまない程度の適度な弾力を持っている。それはオートバイのシートによく似たつくりとなっていた。そのまま視線を前方にスライドさせると、オートバイで言うところのハンドルがある部分には半球状になった青い水晶が埋め込まれているのが見て取れる。視線を足元へ下ろすと、鐙のようなものが浮いていた。何に支持されるでもなく中空に浮かぶ鐙にファンタジーを感じつつ、おずおずとフウはハンドル部――水晶に触れる。

「きゃあっ!」

 冬場の静電気を強烈にしたような刺激が、フウを襲う。次いで、様々な情報が彼女に流れ込んできた。それは奇しくも、レイピルに初めて触れたあのときに似た感触だった。

『詰め込み学習ですまねェが、今は時間もねェからな。これで、大体のやり方はわかったろ?』

 再びレイピルの声が聞こえる。今フウに流れ込んだ情報、それはありていに言って「レイピルの動かし方」である。

 ぐわんぐわんと響く頭を軽く押さえて、フウは首肯した。

「一夜漬けって、私の性にあわないんだけどなぁ」

『なら、あとでスプリットにでも聞くこった。アイツなら、喜んで講義を始めるだろうよ』

「……そうする」

 今後の予定を頭の片隅で考えながら、今度こそフウは確固たる意思でもって水晶、幻想機との入出力インタフェースを、操縦かんを握った。

 途端に、フウの視界を様々な計器やグラフ、マップなどのオブジェクトが埋め尽くす。それは本来見えるはずの外の景色を完全に遮っていて、フウを困惑させる。

「ちょ、ちょっとレイピル! なにこれ、外見えないよ!?」

『すまねェ。なにせ300年寝てたからな、整理すんのを忘れてた』

「もうっ!」

 あっけらかんと言ってのけるレイピルに頬を膨らませながらも、とりあえず外が見える程度にはそれらを整理した。特に難しい操作などは無く、視界を埋め尽くすオブジェクトたちは彼女の思うとおりにスイスイと移動した。

「わあ……っ」

 そしてようやく目の前に広がる景色に、フウは目を奪われた。

 場所は先ほどの平原で間違いが無いが、先ほどまでよりもその視点はずっと高い。そして意識せずとも、ずっと遠くを見渡すことが出来た。遥か地平線まで続く原野といっても良いレラクル平原に、沈みゆく茜の太陽。朱に染まった空と藍に染まった空が交じり合い、綺麗なグラデーションを描くその空は、異国情緒、いやさ異世界情緒に溢れる光景で、思わず接近するエヴィロンスも忘れて見とれてしまうほどの荒削りな絶景であった。

『フウさん、聞こえているかしら?』

 そんな光景にうつつを抜かしていると、飛び込んできたのはウィエルの声だ。レイピルの首をもたげさせ、上空を旋回するフェンヴィーを視界に納めたフウは、高揚した気分のままに肯定の返事を返す。

『ふふ。まずは、おめでとうございます。流石はフウさん、私の見込んだとおりでしたわ』

「えと、あ、ありがとうございます」

 通信は声だけから、映像を伴ったものに変じていた。画面越しに見るウィエルの微笑みはいつもどおりであったが、どこか獰猛さが感じられてフウは一瞬たじろぐ。

『動かし方はどうですか?わかりますか?』

「はい、レイピルが教えてくれました。やれます」

 ウィエルは次の瞬間にはその獰猛さを引っ込めて、普段と変わりない雰囲気を纏いなおした。若干の違和感を感じつつも、スムーズに意思の疎通が行われる。

『エヴィロンスが進軍速度を速めたわよー。このままだと、大体接敵まで5分ってとこね』

 次いで聞こえてきたのは、フェンヴィーの声。はっとしてマップに目をやると、確かに赤い光点の移動速度が速くなっていた。

「どうして……!?」

『おそらく、幻想機の出現を感じたからでしょうね……』

 きわめて冷静に、ウィエルが分析する。

『フウさん。敵の狙いは私たち幻想機ですが、このままの進軍速度だと突破を許してレイフェンに被害が及ぶ可能性があります。ですから……』

「打って出る、ですか?」

『理解が早くて助かります。いけますか?』

「……はい!」

 キッと前方を見据えて、フウは明瞭な返事を返す。ウィエルは通信越しに頷きかけると、フェンヴィーをエヴィロンス群に向けて加速させた。

「行くよ、レイピル!」

『おうよ』

 操作水晶を握る手に力を、意思をこめる。体を前傾に、鐙にしっかり両の足をかけ、ただひたすらに走れと念じる。レイピルはそれに光より速く即応して、その巨体を爆発的に加速させた。

 逞しい4本の足が大地を掴み、豪快に蹴り飛ばす。ダメ押しとばかりにレイピルの背中から、数枚のプレートを束ねたような箱が展開する。それは魔術式斥力推進(マギフィンスラスタ)ユニットという名の加速装置だ。ユニットが魔力の供給を受けると内部のプレートが魔術的な共振を起こし、そのプレート間に擬似的な質量を持った魔力光を蓄積させる。それを背後の空間めがけて投射することによって得た反動を、加速に利用する装置である。ユニットは絶えず魔力光を噴出し、レイピルを荒野を駆ける銀の弾丸そのものとした。

『魔力切れは気にするな、フウビ。お前の魔力は、俺が補う』

 ガンガン加速するその只中で、レイピルはフウに語りかけた。これまででわかったフウの弱点、それは莫大な魔法力と引き換えの持久力の無さだ。第3フェイズを発動させた現在のレイピルは、フウの魔力を起爆剤にして体内の魔力炉で無尽蔵ともいえる魔力を生成できる。

「ありがとっ、レイピル!」

 フウは、不敵な笑みを浮かべて短く言った。



 レラクル平原の西端より、短距離の転移を織り交ぜて疾駆する一団があった。エヴィロンスである。

 あまりにだだっ広い平原のため周囲に比べるものが無く、遠目ではその大きさを測りかねるが、大きいものでおよそ10メートル、小さいものでも5メートル強の身長を持つ。それが10体。

 その二脚が大地を蹴る爆音に紛れて、キリキリと金属の軋むような音が混じる。詳しいことはわからないが、どうやらこれが彼らの"言語"らしい。

 集団の先頭を行く甲虫に似た一体が、何かに気づいた。それはキィンと一際高い音を発すると、それを合図に10体のエヴィロンスが散開、前方から迫る"|目標(脅威)"に対し、即応できる態勢を整えた。

 上空から見るとちょうど金槌のような陣形を展開する。

 やがて目標の姿を捉えた後衛、金槌の柄の部分に位置する魔術師タイプのエヴィロンスが先制の魔法攻撃を開始。

 する直前に目標が放った雷撃魔法に貫かれ、爆発四散した。


「うふふ、命中~」

『御主人、スッゴイ悪い顔してるよ』

「あらあら」

 フウさんに見られていないかしら、と心配するウィエルに、呆れるフェンヴィー。そんなやり取りをしながらも、敵からのロックオン警告を先読みしてひらりひらりと機体を旋回させながら、的確に雷撃を放つ。

 幻想機フェンヴィーの額にある水晶のような器官から、ウィエルが生身で放つものの数百倍の威力はあろうかという雷撃魔法が放たれる。戦士タイプのエヴィロンスに比べただでさえ装甲の薄い魔術師タイプのエヴィロンスの外皮などは、一撃で貫通できる威力がある。それを連射できるウィエルとフェンヴィーはまさに化物のような存在で、先ほどの「フェンヴィー単騎でのエヴィロンス殲滅」の言葉が夢想でないことを如実に物語っていた。


 本来魔術師タイプのエヴィロンスは、ミルナーヴァの主力兵器である魔導騎兵との戦闘において、脅威になりうる存在である。厚い装甲を持つ戦士タイプのエヴィロンスに隠れるように、後方からそれなりの威力を持った魔法を飛ばしてくるそれらは、魔導騎兵乗りからしてみれば厄介なことこの上ない存在なのである。

 しかし航空戦力であるフェンヴィーにとって平面的に展開するだけの戦士タイプなど壁にはなりえないし、またその俊敏な機動性の前に魔術師タイプは照準を絞り切れない。更にウィエルの未来予知寸前の先読みによって攻撃を仕掛けようとした傍から先に撃破されるという、完全に狩られる側の立場に陥っていた。

 ものの数秒で、3体いた魔術師タイプのことごとくがフェンヴィーによって撃破された。残った戦士タイプからは、舌打ちが聞こえてきそうな状況だった。

 戦士タイプは、空から一方的に攻撃を仕掛けてくるフェンヴィーから、標的を新たに接近するもうひとつの機影、レイピルに切り替えたようだった。確かに、まだ現実的な手段である。

 実際、現在の高度に陣取るフェンヴィーの放つ攻撃では、戦士タイプに対しての決定打は与えられない。両の翼から鉄をもたやすく切り裂く風の刃を放つものの、距離があるためせいぜいが装甲の表面を削ったり、雷撃にしても装甲を貫くことは叶わず、外皮表面を穿つかひるませたりする程度しか効果は無い。

 うざったいにはうざったいが、空を飛んでいるために手が出せないフェンヴィーよりは、まだ地を駆けるレイピルのほうが与し易いと考えたのであろう。

 勿論、次の一瞬で彼らはその見当違いを大いに悔いることになるのだが。


「は、や、いっ!」

 駆け出しは良好だったとはいえ、現在のレイピルのスピードは時速でおよそ300キロ。新幹線とだって併走できるほどの速度は、フォーミュラカーのリアウイング宜しくレイピルが魔法で発生させている強力なダウンフォースが無ければ、一瞬で虚空へ投げとばされかねないほどである。

 フォーミュラカーどころか軽自動車、果ては原動機付き自転車すら運転した事のないフウにとって、その速度はあまりにも未知数であった。進行方向を制御するのに手一杯で、エヴィロンスとの彼我距離やフェンヴィーとの連携などもまともに考えていられないほどである。スピードを落とせばいいのだろうが、そんな初歩的なことに気づけるほどの余裕も無かった。ただひたすら前を見て、機体を安定させることだけで頭がいっぱいなのだ。それで何とかそのスピードを制御しているあたり、やはり末恐ろしいほどの才能である。

『前方1キロ、12秒で接敵だ(エンゲージ)。どうする?』

「どうできるのっ!?」

 こんなにスピードをだしていながらも、レイピルはのんきに報告。もうちょっと早く言ってよと喉まででかかった文句を押し込めて、フウは最善手を模索(まるなげ)する。

焔尾剣(テイルブレード)か、焔鳴戟(ハウルショット)が有効だろうな。どっちにする?』

「テイルブレードっ!」

『OK。テイルブレード、セット。そのまま突っ込め!』

 応える代わりに、フウは操作水晶に強く思いをこめた。瞬間にスラスターが爆ぜんばかりの魔力光を噴出して、レイピルを更に加速させる。常人では、そろそろ残像が見え始める速度までの加速である。

 その標的となった戦士タイプのエヴィロンスは、そもそも自分たちが標的としていたはずの鋼の狼が膨大な魔力光の残滓だけを残して掻き消えるのを目の当たりにし、動揺する暇も無くそのどてっぱらにひどく熱いものを感じ、次の瞬間には息絶えていた。

 焔尾剣(テイルブレード)は、その名のとおり幻想機レイピルの尾を刃として用いるオーソドックスな武装である。炎の幻想機の面目躍如と言ったところか、その刀身は鉄をも優々と融解させる超高温となるため、その速度とあわせれば戦士タイプのエヴィロンスが誇る装甲といえどなます切りの有様である。

「う、わ! 振り回される!?」

『慣れるしかねェよ』

「やっぱそれしかないんだ」

 問題は、人であるフウが操るには癖が強いというか、少し慣れがいるというか、取り回しづらいところだろうか。フウに尻尾などないのだから。

 まあ、現状のように敵が密集している状態ならば何の問題もない話ではある。どうせ敵の攻撃は今のレイピルに当たらない。遅すぎるのだ。ならば、ブレードを展開したままで集団の中に飛び込んで適当に走り回ってやればいい。いくら散開しているとはいえ、今のレイピルの速度を考えるならそれは密集隊形と何もかわらなった。そして、走るだけならそれくらいの細かい操作を、フウはこなせるようになっていた。この数秒で彼女はスピードに慣れ、レイピルに慣れていた。フウ本来のポテンシャルは言わずもがな、最初に頭に直接叩き込まれた「レイピルの操縦法」の情報がおおいに効いている。あれによって、フウは初めての操縦にして熟練者並みの知識だけは最初から持ち合わせている状況になっていたからである。

「飛び込むよ!」

『かまわねェ、やっちまいな』

 最初のエヴィロンスに叩き込んだテイルブレードをそのまま振り抜き、回転モーメントを使って急制動と方向転換、脚が大地を踏みしめるよりも先にそれを蹴飛ばして、一気に敵集団の只中へ飛び込んだ。目にもとまらぬ速さである。


 エヴィロンスたちは、何が起きたのかわからないうちに蹂躙されていた。目標の狼が姿をくらましたかと思うと光の軌跡だけが煌き、先頭の戦士タイプが真っ二つに両断されていた。あるエヴィロンスはその末路を看取ることも出来ず、ひどい浮遊感に襲われたかと思えば自分の腰から下が倒れこむのを見て、全てを悟りきる前に意識を失っていた。あるエヴィロンスは正中線で真っ二つにされ、視界のぼやけを感じながら息絶えたし、ひどい者では片手を切り飛ばされたあとに痛みにあえぐ暇すらなくもう片方も切り飛ばされ、足を切られ、くず折れたところで首を落とされて息絶えた。

 レイピルはその速さでもってあまりにも無造作に、それでいて無慈悲なまでな正確さを持って、その場のエヴィロンスに等しく死を与えた。

 そのままエヴィロンス群を突破して充分距離をとり、そして減速。スラスターが急激な逆噴射を行い、大地を抉ってレイピルは停止する。真っ赤に赤熱化した機体表面が周囲の空気と触れあい、白い湯気が全身から立ち上ると同時に、背後のエヴィロンスが連鎖的に爆発した。

 爆炎をバックにゆっくり振り返るレイピルの上空にフェンヴィーが来て、通信を入れてきた。フウはずいぶん久しぶりにウィエルの顔を見た気がしたが、彼女らがエヴィロンス群と接触してまだ1分も経っていない。

『お疲れ様です、フウさん。周囲に敵の反応はありませんし、これで一件落着ですわ』

「ウィエルさんも、お疲れ様です。……それにしても幻想機ってすごいんですね、あれだけのエヴィロンスを、こうもあっさり倒せちゃうなんて」

 あらためて感心したように、背後で今ば燻るエヴィロンスの死骸をなるべく見ないようにフウは言った。

『ええ。すごい力です。それだけに、危険でもありますが……今はそれよりも、フウさんの無事な初陣を祈りましょう? 早速レイフェンに帰還を』

『ま、待って待って、待ってください御主人! これまずいですよ、あいつら斥侯(マーカー)です。本隊の遠距離転移反応あり、後方20キロ!』

 労をねぎらおうとしたウィエルの言を遮って、フェンヴィーが泡を吹く。

『数は!?』

 ウィエルも流石に顔を引き締める。

「ここから後方20キロって、レイフェンの目と鼻の先じゃ……」

『転移予兆から推測するに、数は100越えだな』

 フェンヴィーとリンクして情報を先読みしたレイピルが、冷静に恐ろしいことを言う。お株を奪われたことに若干のムッとしたようなフェンヴィーだったが、すぐにそんな場合じゃないと思い直す。

『ムムゥ、わんこに良いとことられた……じゃなくって、転移予想は3分後。御主人、どうします?』

『勿論、駆けつけますが……フウさん、レイピルの調子はどうですか?』

 即答したウィエルだったが、心配そうにこちらの状況を尋ねてくる。フウは初陣であるし、上空から雷撃を打っていただけのフェンヴィーとは違ってレイピルは戦場を縦横無尽に走り回り、剣を振るっていたのだ。消耗が大きいのは、自明である。

『問題ないといいたいが、なにぶん300年ぶりだ。魔力炉を落ち着けたい。5分くれ』

 これに応えたのはレイピルだった。感覚共有で、フウにもレイピルの話している意図は理解できる。要するに今は起き抜けにマラソンして息が上がっている状態だから、それを落ち着ける時間が欲しいということだ。強行できなくも無いが、それをやって魔力炉がオーバーフローしましたではお話にならない。

 ウィエルは数秒考えて、結論をだした。

『わかりました。私たちはひとまず、出来うる限り迅速にレイフェンへ向かいます。向こうの駐留軍にも、話は通しますわ。フウさんはレイピルが落ち着くのをしっかり待って、来てください。はやる気持ちはわかりますが、無理は禁物です』

「……ッ! わかり、ました」

『では、そのように。レイピル、フウさんをよろしく頼みます。……フェンヴィー』

『わかった。最大戦速だねッ! レイピル、あんた今は老犬(おじいちゃん)みたいなもんなんだから、無理すんじゃないわよ!』

『いちいちうるせェよ老いぼれ鳥が。……さっさと行きな!』

 飛び去り往くフェンヴィーは器用に右の翼をあげてそれに返礼すると、目にもとまらぬ速さで視界から消えた。

「そういえば佐藤さんってレイフェン軍を見学に行ってたよね。ちゃんと避難できてればいいけど……」

『ナァに、アイツなら心配はいらねェだろうよ』

「レイピルって、ずいぶん佐藤さんをかってるよねー」

『……そうかもな』

 いつに無く素直なレイピル。

『転移予想まであと2分、あいつらの足ならギリギリ間に合って態勢整えられるくらいだろうが、レイフェンの連中の動きが気になるな……』

「だいぶかかりそう?」

『俺か? カップラーメン作ってる間で元気になってやるよ』

 レイピルが、渾身のギャグを決めて不敵に笑ったような気がしたが、まったく面白くないどころかギャグだったのかすらわからなかったので反応に困るフウであった。


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