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幻想機譚 ウィドラス  作者: 永多 真澄
旧約・ウィドラス
1/3

旧ウィドラス総集編2

「うーん、いまはあんまり首都に近づかないほうがいいと思いますよ~?」


 急に戸口から聞こえた、どこか間延びした声。それはうららかな春の風のような見かけを持っていたが、本質はどんなに固く戸を閉ざしても入り込む冷たい隙間風のようだとフウは感じた。

 声の主は、玄関の扉に少しだけもたれるようにして立っていた。きらめくエメラルド色のローブを纏い、フードを目深に被ったその人物は顔こそ窺えなかったが、その声と背格好から若い女であろうことが連想できた。

「いきなりそんなこと言われてもな。あんた、いつからそこに居た?」

 佐藤は極自然な動作で、フウを背中にかばう位置に移動していた。その声は落ち着いていたが、実際は内心の驚きを表に出すまいと必死である。

「ついさっきですよ? ん~、そこのお嬢さんが、フェンヴェールの首都に行こうっていったあたりからかしら」

 本当についさっきだった。それにしても、戸が開いたような音も人の気配もしなかった。隠蔽の魔法があるとして、それを使用して接近したのならば、ますますもって怪しい。佐藤は、女に対して警戒をあらわにする。

「いろいろ聞きたいことはあるが、人様の――まあ俺のじゃないけど、ウチに無断で入ってきてるんだ。それなりの理由はあるんだろうな?」

 佐藤の問いかけに対し、女は顎に手をやり何事か考えているような素振りを見せる。

「あ、あのー」

 と、そこに割り込んだのはフウだ。女は思案を中止して、フード越しにこちらに視線を向けたのがわかった。

「あ、あの。とりあえず、自己紹介しませんか? ほら、エルちゃんのお客さんかもしれないし。私、流凜 風靡っていいます。こっちの丸っこいのはレイピル」

 フウの対応は、どうにも怪しすぎるこの女に対していささか悠長に過ぎる対応ではないかと若干眉をひそめる佐藤。

 対する女は、レイピルの名前に周囲からは気づかれないほど小さく反応すると、クスリと笑った。

「そうですね~。名前も名乗らず、フードもかぶったままというのは、少し失礼でした」

 女はそういって、フードを脱ぐ。こぼれ出た長髪はローブのそれより更に鮮やかに透き通ったエメラルド色で、錦糸がごとく滑らかであった。若干垂目がちで切れ長の瞳は髪と同じく煌く翠色で、さながら宝石のようなそれは溢れんばかりの知性を湛えているように感じられた。肌は一点のくすみもなく、透明感があり瑞々しい。形容するならば、まさに絶世の美女であった。佐藤が覚えず息を呑んだ。

「わたくし、ウィエル・スプリットと申します。我が師、エルディオル様にお目にかかる為、フェンヴェールより罷り越しました。以後、お見知りおきを~」

 そういってウィエルと名乗った女は優雅に一礼をした。それはとても気品に溢れていて、彼女の育ちのよさを体現しているようだった。

「あっ……耳?」

 その優雅な礼に見とれてしまったフウであったが、さらりと流れた緑髪のなかから顔を出した、人と比べれば長く、水平に突き出したような耳に目を奪われた。フウは、そういった特徴の容姿を持つ種族を知っていた。もちろんそれは、映画や漫画などの「物語」のなかの存在ではあったのだが。

「あら、エルフを見るのははじめてかしら?」

 フウの呟きにも似た声を聞いて、ウィエルは微笑んだ。

「驚いたな。この世界には、魔法だけじゃなくてエルフも存在してるのかよ」

 佐藤も、エルフという幻想の種族のことは知識で知っていたから、一時警戒心を解いて感嘆の声を上げた。

「尤も、同胞はそんなに多くはありませんわ。4大国だと、フェンヴェールくらいにしか暮らしてないんじゃないかしら…… そういえば、あなたのお名前だけ伺ってませんでしたわ」

「あ、ああ。俺は佐藤。佐藤 勇作だ」

 ウィエルのどこかおっとりとした雰囲気とその美貌に毒気を抜かれた佐藤が名乗ると、ウィエルは何かに気づいたように手をぽんと打った。

「あら、そういうことでしたのね。サトーさんは、時空漂流者でいらっしゃる?」

 なるほどなるほどと一人頷くウィエルに、佐藤はチンプンカンプンといった表情を浮かべた。とはいえ、『時空漂流者』なんて字面から、大体何を言わんとしていたのかは読み取っていたが。

「あー、なんだい?その時空漂流者ってのは?」

 とりあえず確認のためにそう聞くと、ウィエルは「ごめんなさい、結論を急ぎ過ぎましたわね」といって簡単な説明を始めた。



「あー、つまり、俺は地球のある世界からこの世界に引っ張られちゃったってことかい?」

 佐藤は、多少げんなりしたふうに要約した。いろいろ感づいては居たものの、あらためて事実として突きつけられるとどうにも堪えるようだ。

「あれ、エルちゃんには聞かなかったんですか? この世界のこと」

 フウが横から、佐藤に聞く。すると佐藤はどこかバツの悪そうな顔をして、観念したように話し出した。

「実はこの森に着たとき、素人考えで食っちまった木の実に中ってな。この1週間ほとんど寝込んでたんだ。恥ずかしい限りだよ」

 なんでもエルディオルが解毒剤の製法を知らなければ命に関わるほどの毒に侵されていたらしい。おかげで高熱にうなされ、エルディオルと話す機会はほとんどなかったそうなのだ。

「それはもしかして、カラフサの実かしら?」

「お、詳しいな。確かそんな名前だったと思うよ」

 ウィエルが挙げた植物は、ここレイフの森に多く自生している多年草である。人の背丈ほどまで育つ植物で、春先のこの時期になると野苺によく似た実をつけるのだ。もっともこの実は劇薬で、人間が食せば確実に死に至るほどの毒性を持っている。

 ウィエルは、佐藤がエルディオルに出会えたのは幸運だったという。

 カラフサの実の毒はあまりにも強いので、並みの薬師では症状を抑える薬は作れても、完治させる薬は作れない。必ずどこかに後遺症が残るのだ。

「カラフサの毒を完全に消す薬を作れるのは、フェンヴェールではおそらくエルディオル様だけですわ~」

 あくまでおっとりと言うウィエルだったが、佐藤は内心冷や汗が止まらなかったという。


「えと、ウィエルさん」

 佐藤が顔を青くしているのを横目に、フウは時空漂流者について詳しく聞きたかった。具体的に言えば、元の世界に帰る方法をである。

「あら、なにかしら?」

 ウィエルは視線を佐藤からフウに移す。佐藤はようやく落ち着いたのか、顔に生気が戻っていた。

「あの、時空漂流者って、私たちみたいな境遇の人たちって、いっぱい居るんですか? 元の世界に帰る方法はあるんですか?」

 フウのそんな切実な質問に、ウィエルは少し驚いたような顔をして見せた。フウはそんなエルフを不思議そうに見つめていると、ややあってウィエルは語りだした。

「……あぁ! ごめんなさい。てっきり、貴女はミルナーヴァの人だとばっかり」

 やっぱり、名前と現在の容姿から来る勘違いがあった。フウはちょっぴり肩を落としてみせる。

「ええとそれで、気を取り直して時空漂流者のことでしたわね。う~ん、そんなに多くはいないと思うわ。あ、でもこれは記録に残ってる人たちはっていうことだから……」

 つまりは、記録に残らなかっただけで多くの漂流者がいたのかもしれないということだ。たしかにこんな森の中などに一人で放り出されれば、生きて助けをもとめることは困難だろう。その点、自分は幸運だったのだなと、胸をなでおろすフウ。

「それと、帰る方法だけど。これは確立されているわ」

 なんでも、フェンヴェール国首都「スプリーティア」の大神殿にいけば元の世界に帰れるのだという。これにはフウと佐藤が、飛び上がって小躍りしながら喜んだ。

 フウがこれまで読んだことのあるこういう異世界につれてこられるような物語なんかだと、たいてい元の世界に帰る方法がない。そういう知識が根底にあるから、ウィエルの話す内容は意外であったし、明確な希望であり、目標であった。

「それじゃ、早くスプリーティアに……」

「う~ん、それがね。今は難しいの」

 はやる気持ちを抑えきれないといったフウが息巻くのを、ウィエルは制止した。

「そういえばさっきもそんなことを言っていたな。どういうことだ?」

 佐藤は努めて冷静に、水をさすようなウィエルの言葉の意味を問うた。フウも真剣なまなざしで、ウィエルの言葉を待つ。

「……エヴィロンスって、わかるかしら」

「ッ!」

 フウはウィエルの質問に一瞬固まるも、こくりと頷いた。次いで佐藤に視線を向けたウィエルに対し、佐藤も「名前だけなら」と応える。

「彼らが何者なのかは、正直私たちもわからないの。1年前に突然ミルナーヴァに現れて、侵略を始めて……。彼らの力は強大で、私たちミルナーヴァの民は苦しい戦いを余儀なくされているわ」

 ウィエルは、悔しそうに語る。そこまで聞いて、佐藤はおおよその察しがついた。

「つまり、元の世界に帰るための神殿がある街は、エヴィロンスの勢力圏内ってことかい?」

「ええ。1年前、エヴィロンスの出現とほぼ同時期に電撃的な侵攻を許してしまったの。王族や領民の一部は辛くも難を逃れて、今は「ファースティア」がかりそめの首都になっているわ」

 そう語るウィエルは、本当に悔しそうに言った。「一部は」とわざわざつけたという事は、つまり逃げることが出来なかった人々のほうが多かったのだろうというのは想像がついた。フウにも佐藤にも故郷を追われた経験はないが、その悔恨は筆舌に尽くし難いものがあるのだろう。

「ウィエルさん……」

 フウはそんな彼女に掛ける言葉が見当たらず、自分のボキャブラリの少なさに歯噛みする。佐藤も神妙な顔で、ウィエルの話に聞き入っていた。森の一軒家に感傷的な雰囲気が漂いはじめた、そのとき。

『……ったく、さっきから聞いてりゃあよう! ヘタな芝居も、大概にしやがれってんだ』

 フウの膝の上のもこもこ――レイピルが、苛立たしげに吐き捨てた。

「レイピル!?」

 レイピルのあまりの空気の読まなさに驚いたフウが諌めようとするも、彼はとまらない。

『フウビもユウサクも、こいつのペースにコロッと乗せられやがって、ちったぁ警戒したらどうだ?』

 レイピルは、今まで黙っていた分を取り返すようにまくし立てる。本人なりに、我慢していたのだろう。

『確かに今、テメェが話した内容に嘘はねェんだろうよ。だがな、本当の目的も話しちゃいねェな? スプリット。フェンヴェールの簒奪者、その末裔ヨォ』

「ちょっと待ってよレイピル。ウィエルさんはエルちゃんのお弟子さんなんでしょ?それなら、別に訪ねてきたっておかしくは……」

 レイピルの、ウィエルの素性を知っているような口ぶりや簒奪者というワードに引っ掛かりを覚えつつも、フウが口を挟む。

『……フウビ、ちょっと考えてみな。お前がたとえば人ンちを訪ねたときに、目的の人物がいなかったらどうするよ?』

 が、レイピルは更に苛立たしげにフウを一瞬睨んだ後、やれやれといったふうな表情をして諭すような口ぶりで尋ねた。

「えと、お家の人に行き先を聞くかな……」

『そうだよな? ならその目当ての人物が一人暮らしってことを知ってて、留守で。それでそいつのウチに見ず知らずの人間がいたら? 普通は不審に思うよなァ。「おまえら誰だ」って、誰何するもんじゃねェか?』

「確かに、あん時は俺が「何しに来た」って聞いたが、普通は逆だな」

 佐藤が、数十分前の会話を思い出すようにして同意した。

『だろォ? つまりだ、その女はもともと俺たちがここにいることを知った上で、それを目当てに来てんだよ。エルディオルは口実だ。本当の目的を言い当ててやる。お前の目的はこの俺、幻想機レイピルとその契約者フウビ。違うか?』

 そういってウィエルを睨みつけるレイピルは、そのマスコット然とした風貌でも相殺しきれないほどの獰猛さを発していた。自分に向けられた明確な殺気に、ウィエルは観念したように大きくため息をつく。

「はぁ~、流石は幻想機。泣き落としは通用しませんか」

 先程までの寂莫たる雰囲気を脱いだウィエルは、そう言いながらつかつかとフウとレイピルの前まで歩み寄り、突然フウの手をとった。いきなりの行動に驚いて固まるフウと、更に殺気を高めるレイピル。佐藤も佐藤で、何かあれば即応できるようには身構えた。

「本当はもうちょっと順を追って説得するつもりだったんですけど…… ルリンさん、貴女とレイピルの力を、ミルナーヴァのために貸してほしいのです」

『順を追ってだァ?その気にさせて、の間違いだろうが』

「……否定は、しませんわ。ルリンさん、それでもお願いします。今のミルナーヴァには、幻想機の力がどうしても必要なんです。身勝手なお願いなのは重々承知していますし、貴女を欺こうとしたことにも謝罪いたします。ですが、どうか、どうか力になって欲しいのです」

 レイピルの嫌味が多分にこもった言葉に、若干良心の呵責に苛まされたように顔をゆがませたウィエルであったが、それでもウィエルはフウの目を見つめてひたすら懇願した。フウはそれを正視して、ウィエルの瞳に確固たる信念があることを感じ取った。それはレイピルとの共感で勘が鋭くなったからかもしれないし、そもそも彼女が持つ感受性のなせるわざなのかもしれないが、とにかくフウは、今のウィエルの言葉には嘘がないことを確信した。隙間風のように空々しさが、その言葉にはなかった。

 だがしかし、だからといってウィエルの言葉においそれと頷けるほど、覚悟は決まっていなかった。当たり前だ。フウはまだ高校2年生の、17年ぽっちしか生きてない少女、子供でしかない。

 ウィエルの言葉に頷くということは、すなわちエヴィロンスとの戦いに巻き込まれることを意味している。ウィエルは、自分を戦場に立たせようとしている。

 レイピルと契約した以上すでに巻き込まれているとはいえ、ことさら積極的に巻き込まれに行けるほど、覚悟は決まっていなかった。

 だからフウは、踏ん切りがつかなかった。だからウィエルの翡翠の瞳をただ見つめて、その真摯な思いを感じて、ただ迷うしか出来なかった

「そんな女の子に頼らなきゃならないほど、戦況は逼迫してるのか?」

 フウが応えあぐねていると、その困惑を感じ取ったのだろう。佐藤は話に割り込むことによってウィエルの意識を自分に向け、フウに少しだけ落ち着いて考えを整理する時間を作る。あのままではウィエルに詰め寄られるままに了承していたろうから、これは正しく助け舟だった。もちろん、ウィエルの狙いはそれだった。

 レイピルは愉快そうな表情でざまあみろとばかりにウィエルを見たあと、よくやったと内心で佐藤を褒めた。佐藤が何も言わなければ、自身がウィエルの企みをくじくつもりであったことはもはや言うまでもないだろう。

「……ひどい状況ですわ。エヴィロンスの力は確かに強大ですが、今は何よりも味方が足りないのです。最初にスプリーティアを落とされたとき、フェンヴェール常備軍は実働戦力の4割を失いました。首都奪還のために各主要都市から戦力をかき集めていますが……」

「全然足りてないわけだ」

 ウィエルは首肯する。だが、やはり佐藤は腑に落ちない。目の前の少女、フウの膝に丸まっているもこもこしたマスコットのようなモノが、壊滅寸前の軍の数の劣位を覆すほどの戦力になるとは到底思えなかったのだ。

 フウという少女にしてもそうだ。エヴィロンスを退けたという話は聞いたが、佐藤はエヴィロンスに遭遇した経験がないためその戦力を計りかねていた。

幻想機(そいつ)女の子(フウビちゃん)で、本当に戦局がひっくり返るもんなのか?にわかには信じられないな。そもそも、幻想機ってなんなんだ?何であんたはそこまで幻想機にこだわるんだ?」

「私も、教えて欲しいです。エルちゃんは連れ去られて、レイピルもへそ曲げちゃって…… このまま、何も知らないのはいやなんです。ウィエルさん、お願いします!」

『誰がへそを曲げてるだァ? ……フン。確かに、俺たち幻想機についてなーんにも説明しねェまま、戦列に加われってのは筋が通ってねえ。言っとくが、俺が喋るつもりはねェぞ? スプリット、テメェの口で説明すんのが筋だ』

 佐藤は、考えてわからないなら聞けとばかりにウィエルに質問を投げかけた。それにフウが真剣な眼差しで便乗し、レイピルが唸った。

 ウィエルは少しの間迷った。しかし佐藤を見、フウを見、レイピルを見て、最後に虚空に視線をやると、意を決したように、というよりは本当に観念をしたように、フウらに向き直った。


「……そうですわね。お話しましょう、幻想機のこと、幻想機のチカラのこと、その成り立ちを」


 ウィエルは、静かに語り始める。




 一方その頃、レイフの森から遠く離れたフェンヴェール臨時首都ファースティア辺境では、臨時首都絶対防衛線をめぐりエヴィロンス侵攻群とフェンヴェール守備隊の激しい戦いが繰り広げられていた。

 気の滅入るような曇天の下双方一進一退を繰り返しながら、戦端が開かれてすでに2時間が経過しようとしている。

 最前線では隙なく甲冑に身を包んだ騎士が、数騎で連携をとってエヴィロンスと刃を、銃火を交えていた。

 その騎士の足元を注視すると、騎士の膝くらいまでの背丈でこれまた甲冑に身を包んだ戦士が、小型のエヴィロンスたちと鎬を削っていた。

 小人の戦士か、と言われれば、それは違う。確かにミルナーヴァに小人族が存在しているが、彼らはどちらかといえば技術者、生産者タイプの人種である。前線に出てくる事、まして最前線で剣を振るうなどは滅多にない。

 つまり彼らが小さいのではなく、最初に目を惹いた騎士がデカイのだ。

 8メートルばかりの背丈を持つそれ、「魔導騎兵」と呼称される巨大な甲冑。これこそがミルナーヴァの魔法文明と科学文明の粋を集めて生み出された人々の希望を護る強固な盾であり、エヴィロンスへ鉄槌下す研ぎ澄まされた剣である。

 白をベースに鮮やかな青の差し色がなされたその巨体は磨きぬかれた宝石のような外装をエヴィロンスの体液に染め、鬼神の如く戦場を跋扈する。その剣尖が閃くたびに数多の敵は刈り取られ、火砲の嘶きは確実に死を振りまく。そんな一騎当千とも言うべき魔導騎兵1個中隊16騎を投入しても、エヴィロンスとの戦闘は熾烈を極めた。


『シルフリーダーより各隊、状況知らせ』

 とてもじゃないが快適とはいえない狭い操縦席内に、戦場の真っ只中にありながら落ち着きを保つ壮年男性の野太い声が飛び込んできた。シルフ中隊(シルフィーズ)の名前にそぐわないことこの上ないその声は、新型魔導騎兵「アルデバンサー」で構成された中隊において、ただ1騎だけ1世代前の魔導騎兵「スプリガン」を操る中隊長からの通信である。

「こちらシルフ3、ランサー小隊(チーム)! 全機健在ながらタマ切れ寸前(からっけつ)。補給の許可を……っと」

 報告を続けながらも、接近する敵を戸惑いなく撃ち殺す。言ってるそばからタマが切れた。電池の切れ掛かっていた魔導式レールガンを亜空ラッチに投棄して予備の電源呪符をリロードさせると同時に、目前に迫る甲虫のような大型種エヴィロンスを空いたメインアームが抜き放ったブロードソードで切り捨てる。その流れるような動作は、美しいまでに洗練されていた。騎兵小隊を任されるだけの実力の発露であるかと言われれば、それは否。これくらいを容易く出来なければ、この戦場を生き残れない。

 中隊長からの返答を待つ間にも、ランサー隊隊長(ランサーリーダー)が駆るアルデバンサーは、向かってくる3体のエヴィロンスを片腕で保持したままのブロードソードで易々と切り裂いていく。虫人間の節を見極め、そこに刃を滑り込ませることで毀れを最小限に防ぐ。両断されたエヴィロンスが噴出させた体液で汚れた剣を軽く払い、次なる獲物を探す。絶命の確認はしない。する必要もないほどに、それは必殺であった。

 流れるような動作で、踊るように敵を屠る。その一撃は流麗でありながら、重い。見惚れるほど優雅でありながら、もたらすのは死だ。

 すでに何十体もの敵を葬り去りながらも、彼に疲労の色は少ない。彼の部下も各々2体以上の大型種を相手取りながら危なげなく渡り合っているのが確認できたし、僚騎の的確な援護射撃のおかげで彼の負担は格段に減少しているからだ。皆が皆、エヴィロンス殺しのプロフェッショナルであった。

 それでも次から次へと沸いてくる昆虫人間たちに、舌打ちしてしまうのを誰が責められようか。

『こちらシルフリーダー、了解した。補給を許可する。ランサーの補給による一時的な穴は、アックスでカバー』

『シルフ2、了解(ラジャ)

 中隊長のありがたい決断と、アックス隊隊長(アックスリーダー)からの短い通信を聞くや否や、ランサー隊隊長(ランサーリーダー)は即座に部下に指示を飛ばした。

「ランサーリーダーからランサーズ各騎! 聞いての通りだ、第2分隊より補給開始!2騎編成を崩すなよ、補給中も警戒を厳に!」

了解(ラジャ)

 部下たちが即応し、一時的に補給地点まで後退。抜けた穴はアックス小隊がすぐさまカバーした。迅速かつ誠実な仕事が、アックス小隊の持ち味だ。

「第2分隊の補給完了後に、第1分隊の補給を行う! 焦る必要はないが、急げよ」

 ランサー隊隊長(ランサーリーダー)は自分でも無茶を言っていることを自覚しながら、補給を行う分隊の警護にすぐさま思考をシフトさせた。



 その後1時間近く続いた攻防戦はエヴィロンス側の撤退を持って終結し、フェンヴェール側は辛くも勝利した。

 しかし戦闘が残した傷跡は深い。魔導騎兵隊には損失が出なかったのは不幸中の幸いであったが、足元で小型種を相手取っていた歩兵部隊には少なからず損害が発生していた。

 防衛線の崩壊は免れたものの、死者24名、重傷者20名、軽傷者は100人越え。ガタガタになった防衛線の再構築には人が必要だが、今余力のある人間は少ない。

 まさしくジリ貧である。このような戦いがこれからも続けば、やがて追い詰められる。そうなれば、フェンヴェールは壊滅必至だ。

(姫、上手くやってるだろうか……?)

 ランサー隊隊長は野外臨時ハンガーに佇む自分の愛機の整備風景を眺めながら、タバコに火をつける。まだ若い男だった。

 彼は遠くにある古い知己、フェンヴェールの姫君のことを思った。これが逃避であるということは、彼も頭の片隅で理解していた。

『ちょっと幻想機を探しにいってきますね~』

 などといつものふわっとした調子で宣言して旅立って以来3ヶ月。いまだ音信不通で、幻想機探しが首尾良くすすんでいるとは到底思えない。

 幻想機が伝承どおりの力を持つというなら、確かにこの停滞した現状をひっくり返してくれることだって有り得るだろう。

 だがそれは、恐ろしく仮定尽くしの希望だということも知っている。まず姫が幻想機を見つけられるかもわからないし、幻想機に伝承ほどの力があるかもわからない。さらには姫が幻想機を使いこなせるかもわからないし、幻想機が伝承どおりの存在であったところでエヴィロンスには勝てないかもしれない。その全部が否定されることがあっても、その全部が肯定されることはまず有り得ない。

 彼は、自分が抱いているのが希望なのか、それともただの奇跡への渇望なのかがわからなくなってきて、盛大に煙を吐く。奇跡への渇望というものこそが希望だとすることも出来るだろうが、彼はそれが何か特別な違和感を持っているような気がして、それを肯定することが出来なかった。

 頭をぼりぼりと掻いた彼はタバコを踏んでもみ消す。これから自室に戻って書かなければならない報告書や日報なんかの提出物に、目を通しておかなければならない整備報告書や部下から上がってきた日報、陳情などの書類の束を思い浮かべてげんなりとした。

(あ~あ、まだエヴィロンスとやりあってるほうが、気が楽だ)

 華々しい戦果を挙げた小隊長殿は一人ごちて、重い足取りで自室を目指すのであった。



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 いい加減立ち話もなんだということで、年季の入ったキッチンの長テーブルにて顔を突きあわせた3人と1匹。新たに佐藤が淹れなおしたホットココアのマグを両手のひらで抱きながら、ウィエルは徐に口を開いた。

「幻想機は、大きな力。個人の手に余るほどの力でありながら、個人でしか行使できない強い力です」

 彼女は胸元から、銀のプレートを取り出した。複雑な紋様が彫り込まれ、アクセントに鮮やかな紅い宝石が填まった小指大のそれ。フウが、はっとしてレイピルを見た。レイピルはまさか、という顔をしていた。

「これは幻想機の待機状態、省魔力モードとでも言うのかしら? 幻想機は契約者の魔力を消費して活動をするから、これが一番魔力を使わない状態ね。そして……もう出てきてもいいわよ、フェンヴィー」

 ウィエルが銀板に囁くと、眩い光が迸った。レイピルが出現したときと同じ光だと、目をひそめながらフウは思った。

 やはり光は一瞬で収まって、ウィエルが手にしていた銀板も同時に消えていた。そうして出現したのは、純白の翼と長い尾を持つ美しい鳥であった。ぱちくりと瞬きをして、長い睫毛に縁取られた金の瞳であたりを見回す。

『ぷっはー、ようやく出られた! さっきから暇で暇で、死んじゃうかと思ったわよ、御主人! あ、この娘がレイピルの新しい契約者? ほぇー、意外と可愛いじゃん。レイピル、良い娘みつけたじゃない……って、そういえば三百年ぶり? うわー、そう考えると懐かしいわー。レイピルちょっと太った? あ、そんなワケないか、幻想機だもんねー。もーそんな怖い顔しないでよ相変わらずだなぁ。ただのジョークじゃないジョーク。挨拶代わりの! もう、眉間にしわ寄せちゃってぇー。そんなんだから女の子にモテな……』

『うるせェんだよ馬鹿鳥野郎! 黙って聞いてりゃピーチクパーチクと、少しは静かにしやがれ!』

 いきなり機関銃の如く喋り始めた。フウらが最初に抱いた荘厳なイメージは数秒で崩れ去っていた。イライラが最高潮に達したレイピルが止めなければ多分いつまでも喋り続けていただろう鳥は、『おー怖い怖い』などといいながら二、三度3人の頭上を旋回したあと、ウィエルの肩に着地した。

「驚かせちゃったらごめんなさい? この子はフェンヴィー。私と契約した風の幻想機ですわ」

『うん、そういうことで、みんなよろしくー! あ、名前はさっきエルを通して聞いたからわかるよ。確かフウビとユーサクだよね! んー、なんか言いにくいしフウとユウって呼ぶね、それで良い? よろしく、フウ、ユウ!』

「それ、逆にわかりにくくないか?」

 思わず佐藤が突っ込んだが、フェンヴィーはどこ吹く風とばかり。あまりのマイペースさに、言葉も出ない2人。

『昔っから変わってねェな、フェンヴィー。お前がピーチクパーチクうるせェから、幻想機の威厳ってもんが軽んじられるんだよ。ちょっと黙りやがれ』

「……レイピルが言っても、説得力ないと思うなあ」

 挑発するようなレイピルの言葉に、フウがボソリと呟く。

『んだとォ!』

 レイピルは、今日何度目かの怒声を上げた。



「えぇと、話を進めてもいいかしら?」

「いやいや、引っ掻き回してんのはあんたのパートナーだろ」

 フェンヴィーの登場によりグダグダになりかけていた場を落ち着かせようとウィエルが発言するも、佐藤の的確な突っ込みに返す言葉がない。

「……フェンヴィー、静かにしないと待機状態に戻すわよ」

『わ、わかった! 黙るから、それだけは勘弁して!』

 だから声のトーンを少し落とし、凄みを持たせての警告であったが、これは効果覿面だった。ファンヴィーは一瞬ビクッと体を震わせると、器用にも羽で口にチャックのポーズをとって見せる。

「……ねえレイピル、待機状態ってそんなに嫌なものなの?」

 そのあからさまな様子を見て、フウは自身のパートナーに聞いてみる。

『金縛りみてェな感覚だからな。あんまり気持ちいいもんじゃねぇよ』

 レイピルの言葉に、ウィエルの肩の上でフェンヴィーがぶんぶんとうなずくのが見えた。それは確かにいやだなあと、フウは苦笑する。ウィエルも少し困ったような笑みを見せた。

「今のこの子達は第1フェイズ。契約者以外にも姿が認識できるけれど、幻想機としての力はまだ発動していないの。出来る事って言ったら、今みたいにお話をしたり触ったりすることくらいかしら」

 ウィエルは人差し指を使って、肩のフェンヴィーを撫でる。フェンヴィーは一瞬ビクッとしたが、すぐに撫でられるに任せた。和んでいいのか判断に苦しむ光景だった。

「そして、本来の幻想機としての役割……契約者の魔力を増幅・最適化させることが出来るようになるのが、第2フェイズ。幻想機はもともと、1人の魔法使いが1千の敵を倒せるようにと作られた古代魔力兵器なの」

「いきなり物騒だな」

「だからこそ伝説になったとも言えますわ」

 佐藤は、若干引き気味である。ウィエルの話が全て真実とも思えないが、そんな化物みたいな存在が2体も目の前にいるのだから仕方ないといえるだろう。

「で、でも、ウィエルさん。どうしてそんな強い力が必要になったの?いくらなんでも、やりすぎなんじゃあ」

 若干引きつった顔でレイピルを見るフウ。視線を向けられたレイピルは、恐れ入ったかとばかりに胸を張った。

「幻想機が作られたのはおよそ3千年前。何の前触れもなく現れて、ミルナーヴァに破壊と絶望を撒き散らした悪魔"エヴィシー"と戦うためだったと伝説に残っているわ。奇しくも、エヴィロンスによって脅威に晒されている現状に相似しているの。伝説ではその後、幻想機はその力によってエヴィシーを倒し、世界は平和に導いたあと、その巨大すぎる力を三つに分けて封印し、永久の眠りについたと締めているわ」

「なんだ、ほとんど御伽噺じゃないか。あんたらはそんなのに縋ってこんな女の子を戦わせようとしてたってのか?」

 佐藤が不愉快さを隠そうともせずに発言した。

「……そうですわね。私たちも、御伽噺の存在だと思っていましたわ。一年前、私がフェンヴィーの封印を解くまでは」

『いや~、あん時はやばかったね。私も寝起きで力が制御できなくてさー、気づいたら山ひとつ消し飛ばしちゃって。いや、今は流石に自重してるけどね? エヴィロンスだっけ、あれ1ダースにはオーバーキルだったわー』

「……フェンヴィーはスプリーティア大聖堂に封印されていました。エヴィロンス首都侵攻のおり、私は独断でフェンヴィーとの契約を断行、それをもってエヴィロンスを撃退する心算でしたが、結果は先程フェンヴィーが語ったとおり。大聖堂に侵攻してきたエヴィロンス部隊を大聖堂ごと吹き飛ばして、それだけでした。私は魔力切れで倒れて、目が覚めたころにはスプリーティアは陥落していましたわ」

 ウィエルが悲痛な面持ちで語るのに、フウは共感を覚えた。彼女も力を暴走させてしまった挙句、エルディオルを奪取されるという真新しい経験があった。

「なるほど。3分の1でそれだけの力を持ってるんなら、全部あつめりゃエヴィロンスだかにも勝てるだろうって踏んだわけだ」

 短絡的過ぎるんじゃないかと問う佐藤に、ウィエルはゆっくりと首肯する。

「短絡的だというのは重々承知ですわ。ただ、先刻お話したとおり、我々フェンヴェールには戦力が足りないのです。圧倒的に。私たちにとって、幻想機が最後の希望なんです」

 ウィエルはいつの間にか空になっていたマグを置き、フウに詰め寄ってその手をとった。

「だからフウさん、お願いです。フウさんたちが元の世界へ戻るためにも、フェンヴェール首都奪還に協力して欲しいんです!」

 ウィエルのその現実的な言葉に、フウは心が揺らぐのを感じた。元の世界に帰るために、ウィエルに協力するのもやぶさかではないと、そう思った頃に、ふとひとつの疑問が浮上した。

「……あれ、でもスプリーティアの大聖堂からじゃないと元の世界には帰れないんですよね? 確か大聖堂って、ウィエルさんが吹き飛ばしちゃったって……」

「ううん、心配御無用よ。世界を超える力の源は、大聖堂に封印されてたフェンヴィーだか……ら…………あ"」

 ウィエルがしまったと口を押さえる。フウはよくわかっていないようで首を傾げたが、佐藤は思いっきり食いついてきた。

「おいおいおい、ちょっと待て。フェンヴィーってその鳥だろ? なら、今すぐにでも俺たちを帰すことができるんじゃないのか!? 元の世界に!」

 フウも気がついたようで、はっとウィエルを見る。射貫かんばかりの視線に小さくなったウィエルが目を泳がせるのを見て、2人は確信した。

『そいつァ無理だな』

 しかし、そこに意外な人物が助け舟を出した。レイピルである。

「どういうことなの?」

 すかさずフウが聞くと、「簡単な話だ」とレイピルは続けた。

『単純に、魔力の総量がたりねェよ。フェンヴィーは世界移動のためのキーでしかねェからな。スプリットの魔力量は確かに常人の数倍はある。だが、世界移動に必要な魔力にゃあこれっぽっちも足りてねェな』

 レイピルはすうっと細めた目でウィエルを見て、言う。

「魔力の量なんて一発でわかるもんなのか? そもそも魔力ってのが何かよくわからんが」

 佐藤がふしぎそうに尋ねる。これに答えたのはフェンヴィーだ。もう喋りたくて喋りたくて、仕方がないという感じだった。

『ほらほら、私たち幻想機って魔法使いを補佐するために作られたわけじゃない? だからこう、グラフみたいな感じ?で他人の魔力を見ることが出来るの。フウも練習すれば|私たち(幻想機)の見てる魔力グラフを見ることが出来るよ』

「そうなの? レイピル」

『まあな。お前が俺の力を上手く使えるくらいになりゃあ、そういうことも出来る』

 へぇ、と感心したフウはレイピルのマネをして、目を細めてウィエルを見た。

「あ、みえた」

『!?』

 フウが目を細めると、ウィエルの顔の横辺りに魔力量の棒グラフが出現した。ちょうど、ロールプレイング・ゲームのステータス画面のようだとフウは思った。フウはその状態のまま首を回し、佐藤を見る。すると同調するようにレイピルの顔が自然に佐藤へ向くと、やはり顔の横辺りにグラフが表示される。これは面白いぞ、と今度はレイピルを見てみたが、流石に表示はされなかった。

「あ、自分のは見れないんだね」

『ったりめえだ。自分で自分の顔が見れるかよ。それに見るんなら、ちゃんと言ってからにしてくれ。 勝手に首が動くのは気持ち悪ぃんだよ』

 レイピルが泣き言を言うので、フウは素直にごめんと謝って笑った。

『へー、なかなか素質のある子じゃない。幻想機と1発リンクなんて、何百年ぶりかの逸材よ』

 フェンヴィーはその様子を見て、ただただ驚いているようだった。



 結局、フウがだした結論は「保留」であった。

 元の世界に帰るのにはフェンヴィーの力と100人程度の魔術師の力が必要だということもあったし、もともとスプリーティアへ向かうつもりであったこともあり、ファースティアへの旅の終わりまで最終的な決定を先延ばしにしたのだ。

 ここレイフの森からファースティアまでは、およそ3000キロもの距離がある。日本列島がすっぽり入ってまだあまるほどの距離であるから、どうせどんなに急いでも2週間はかかるのだ。モラトリアムとしてもちょうどいい期間であるとして、ウィエルも同意した。

 最短のルートを選択すると途中何度かエヴィロンスの勢力圏に接近することもあるので、準備を万端に整える。主のいなくなったこの家から使えそうなものを運び出し、今は佐藤の軽自動車に積み込んでいる最中であった。

「そういえば思ったんだけど……」

 荷物を積み込む作業を続けながら、フウは小型の端末を手に何かを考え込んでいる様子のウィエルに尋ねた。

「あら、何かしら」

「いや、さっきからウィエルさん、何やってるのかなって」

 言外に遊んでないで手伝えといわれたように感じたウィエルは、バツの悪そうな顔をして弁解をした。

「あ、これはサボってるんじゃなくてですね? この自動車、電源呪符駆動に改造してあったのでそれの調整をしてたんですよ~」

「電源呪符?」

 聞きなれない単語にフウが首をかしげていると、家の中からちょうど大荷物を持った佐藤が現れた。

「ああ、そういえばエルさんがなんかそんなことを言ってたな。電源呪符仕様に改造しといたって」

「……エルちゃんって、自動車の整備も出来ちゃうんですか?」

「さあ? まあそん時はもう魔法見せてもらってたし、さほど疑問には思わなかったな」

 結局、佐藤も詳しいことは知らないらしい。自然と、二人の視線がウィエルに向いた。

「ええと、簡単に説明するとですね」

 何というか、ウィエルの説明お姉さんっぷりが板についてきている。

「電源呪符って言うのはですね、魔術師が雷の魔法を封じ込めた呪符ですわ。ミルナーヴァでは一般的な動力源で、今はほとんどの機械はこれで動いているんじゃないかしら」

 そういって、ウィエルは佐藤の車の給油口を開く。ガソリンタンクや燃焼機関は綺麗に取り払われているようで、本来ならは給油キャップである蓋を開けて、中から細長い半透明の板を取り出した。

 それはアクリルのように見えたが、どうやら水晶のような鉱物で、表面には細かい文様が描かれていた。

「これが電源呪符ですわ。さいわい私は雷の魔法も使えますし、燃料の心配は御無用です」

 そういってにこやかに微笑み説明を終えると、静かに電源呪符を戻すウィエル。

「魔法が使える世界だって話だったから、てっきり中世くらいの生活水準なのかと思ったが、結構科学と魔法が密接に絡んでるんだな……」

 佐藤は自分で電源呪符を抜き出して、しげしげと眺めながら感心しきりであった。そういえばエルの家の照明は蛍光灯であったし、コーヒーメーカーは電動だった。

 フウは、ミルナーヴァに抱いていた「剣と魔法の世界」という認識を、少し改めなくてはならないな、と感じたのだった。



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「ちっきしょー! いきなりこれかよ!」

 足元は最悪に近い森の小道を、1台の軽自動車が爆走する。先程からアクセルべた踏みの佐藤は、バックミラーに映る黒い人影を目線でさしながら叫んだ。

「無茶苦茶だろ!なんなんだよ、あれは!」

「あれが、エヴィロンスです」

 応える助手席のウィエルも、あまり余裕は無い。そもそもこの5ドア2WDのAT車(無駄に天窓付き)がぬかるみや枯れ枝、石ころなどの障害物をものともせずスピードメーターを振り切るほどの速度で走行できているのは、彼女が移動補佐の風の魔法を行使し続けているからであるし、探索や障壁などの魔法も常時行使状態であるからだ。

 彼女の相方、風の幻想機フェンヴィーは狭い車内を光りながら飛び回っている。ウィエルの魔法行使にあわせて最適な位置取りをしているということは理解できても、後ろをちょろちょろ飛び回られては気が散るな、と佐藤は思った。

「佐藤さん!前!」

「うぉお!?」

 一瞬気が緩んだところに、後部座席から声。炎の幻想機レイピルを膝に抱くフウの声だ。ハッとする間もなくほとんど直感的にハンドルをきる。この段階になってようやく倒木が行く手をふさいでいたことを認識し、直後に強い横Gが襲い掛かる。後ろの荷物から幾らか食器類の割れる音が聞こえた。もったいないな、と思う。

 タイヤが深々とわだちを刻み、落ち葉や腐葉土といった堆積物を盛大に巻き上げる。車は半ばスピンするような急旋回で、辛くも倒木を回避した。

 しかし、速度は落ちた。背後のエヴィロンスがもはや目と鼻の先である。

「サトーさん、アクセルを!」

「お? ああ!」

 助手席から飛んだウィエルの声に、考えても始まらんとばかりに佐藤はアクセルを思い切り蹴っ飛ばした。

 電源呪符から瞬間的に大電力が供給され、モーターが唸りを上げる。それは同時にタイヤを駆動させ、莫大な推進力となった。

 タイヤが数回空転し、次に大地をつかんだ。それは後方に大量の堆積物を投射する投石器のような格好になって、追っ手の侵攻を阻害する目くらましとなった。

 スピードメーターの針がそのまま一回転するんじゃないかと思えるほど急激に跳ねて、一気に盤外へ。佐藤はシートに縫い付けられるような強烈な慣性に抗い、飛ぶように急発進した愛車を巧みな運転技術で御して倒木を迂回。そのまま森の出口目指して爆走する。

「ッち、しつこい奴らだ!」

 土煙を切り裂いて、エヴィロンスが再び現れる。バックミラー越しにそれを確認した佐藤は吐き捨てて、すでにべた踏みのアクセルをへし折れるんじゃないかと思うほどに更に踏み込む。

「あんたの魔法で、どうにかならないのかよ!」

「以前この森に張られていた結界が邪魔をして、索敵が甘いんです! とにかく森を出ないと……!」

 今現在逃げに徹しているのは、追っ手の全容をつかみたかったからだ。レイフの森の中では、エルディオルが張っていた結界の残滓により著しく探索魔法の精度が落ちる。

「ここで取りこぼしてしまうと、あとで必ず面倒なことになります! だから……」

 直後。ドカンという乾いた爆発音と共に沿道に火柱が上がった。続く衝撃に揺さぶられるも何とかスピードを保った佐藤が、驚く。

「なんだってんだ! あいつら、飛び道具まで持ってんのかよ!?」

「……魔法を使える固体が混じっていたようですわ。私がサポートしますので、サトーさんは運転に集中してください!」

「やってるよ!」

「爆発来ます、右!」

 佐藤は小刻みにハンドルを切って、進路をずらす。先程までの予測進路上に橙色をした光の塊が突き刺さったかと思うと、爆発した。それをサイドミラーで確認しながら、佐藤はハンドルを握る手を強める。額ににじむ脂汗が、水滴を作りそうなほどであった。

 ウィエルの指示に従って、右に、左に爆発を避ける。そのたびに爆発は土を抉り、木立をなぎ倒す。深々たる森が無残にも破壊されていったが、今自然破壊に構っていられるほど、一行に余裕は無かった。

「この森、出口はまだなのかよ!」

 的確なハンドル操作を続けながらも、泣き言めいた悲鳴を上げる佐藤。

「すぐです! およそ1キロ!」

 ウィエルがナビゲートをしている間に視界が開けた。1キロなど、200キロ毎時オーバーで爆走するこの車にとっては数秒も要さない。

 森の入り口、木で組まれた簡素な車止めを吹き飛ばして、ようやくアスファルト舗装された道路と呼べる道路へ躍り出た。

「速度そのまま、頼みます! フウさんは、移動補佐と障壁をお願いします!」

 ウィエルはそういってシートベルトを外すと、激しい振動をものともせずに天窓を開け、助手席のシートを足がかりに車外へ半身を乗り出す。信じられないほどの風が車内に傾れ込んできた。

 いきなり走行補佐を任されたフウは一瞬戸惑ったが、膝に座るレイピルの強い眼差しを感じて覚悟を決めた。目を薄く閉じると、この車を包む大気の流れがレイピルを通して視覚化した。彼女はそれにすっと意識の手を伸ばして操作をする。やり方は驚くほどすんなり理解できた。レイピルがにわかに輝いて、天窓から吹き込む暴風がぴたりとやむ。

 同時に探索をやる余裕さえあった。彼女自身の風の魔法は周囲の対流を読み解き、レイピルの炎の魔法が自分たち以外の熱を感じ取った。追っ手のエヴィロンスは3体……いや、4体。

『ウィエルさん、エヴィロンスは4体います。見えてる3体と、影の中に1体』

 フウは無意識にテレパシーを送ると、ウィエルが頷くような意識が返ってきた。同時に、強い戦意といったものが感じられる。

 ウィエルは、自分でも感知し切れなかった4体目の存在を言い当てたフウに感動すら覚えた。この娘こそ、本当の魔法使いなのだといまさら確信を持った。

 ひとまずその感動を脇において、ウィエルは迫るエヴィロンスを睨んだ。いつの間にかその肩にいたフェンヴィーの"眼"が、精密な座標と行動予測をウィエルに与える。

 ウィエルは両の掌を組んで指鉄砲を作ると、親指をターゲット・サイトとして手始めの1体に狙いを絞った。

「バン」

 言霊を引き鉄に、人差し指に圧縮した膨大な魔力を一瞬で開放する。それは嵐の塊だ。荒れ狂う風を内包した弾丸が、周囲の空気と擦れて光の尾を曳く。それはさながら、光の矢だった。

 第1射は過たず追っ手の1体に命中すると、内包された嵐は鉋の如くエヴィロンスの体をそぎ落としていく。そこに、彼ら自慢の強固な甲殻など何の意味も成さない。

 第1の標的の絶命を確認するまでも無く放たれた第2射・第3射は、同様に、そして確実に追っ手を食い荒らした。それらが死の瞬間を考える隙さえなく、である。

 3体目の絶命と同時に、その影から行き場を失った4体目、魔法を使えるエヴィロンスがぬらりと姿を現した。今までの3体と違い、青黒い色をしたひょろ長だった。

 自分たちがこうも容易く返り討ちにあうとは思ってもみなかったのだろうか、それは一瞬呆けたようにぴくぴくと長い触角を震わせて立ち尽くしていた。その隙を、ウィエルが見逃すはずも無い。

「ラスト」

 短く言い放たれた死の宣告。魔法が使えるはずの4体目は障壁を張る暇さえ、むしろそれを考える暇さえ与えられずに嵐の餌食となって消滅した。


「フウさん、周囲の敵はどうですか?」

「うーん、もういないみたい。レイピル、何か感じる?」

『いいや。追っ手は大丈夫っぽいな』

 薄く目を閉じたままのフウが周囲の安全を告げた。レイピルもそれに同意する。

「ふぅー……」

 ぼすん、とウィエルは助手席に滑り落ちた。

「おう、お疲れさん」

 佐藤は前を見たまま、助手席のエルフをねぎらう。追っ手がいなくなった今、彼もアクセルを踏む足を緩め、堅くハンドルを握っていた手を交互にひらひらとしながらリラックスしていた。スピードメーターは、60キロ毎時程度を指し示している。

「森を抜けてしまえば街までずっと草原ですから、襲撃の心配はずっと少なくなるはずですわ」

 手の甲で額の汗をぬぐいながら、ウィエル。フェンヴィーが、甲斐甲斐しくシートベルトの装着を手伝っていた。

「たしか、近場の街でも半日だったっけか。方向はこっちであってんのか?」

 車窓に映る景色は鬱蒼とした森のそれではなく、地平線まで続く青々とした草原に変わっていた。

「ええ、レイフの森を背にして、太陽を右手に。この方角で間違いありませんわ」

 ウィエルは胸元から引っ張り出した懐中時計を覗き、太陽の位置を確認して肯定した。

「……ずいぶん原始的な。地図とかコンパスは無いのかよ」

「大丈夫ですわ。街まで一本道ですから、迷うことはありません」

「そうかい」

 たしかに、目の前に続く道は地平線の向こうまでただひたすらにまっすぐだった。こりゃ楽でいいやと、佐藤が思ったその時だった。

 唐突に、制動がかかったかのようにがくんと車体が揺れた。またしてもエヴィロンスか!と慌てて周囲を見渡すが、その気配は無く、すわガス欠かと思い燃料計を見れど、いまだ半分以上の貯えはあった。

 ウィエルと佐藤が顔を見合わせていると、フェンヴィーが何かに気づいたように、羽で後部座席をさした。

「あらあら」

 ウィエルが納得したように微笑んだ。

 そこには、丸まったレイピルを抱いて静かに寝息を立てるフウの姿があった。ようするに、今の今までかけっ放しだった移動補佐の魔法が、彼女の睡眠に伴って解除されたのだろう。

『ッち、まぁた魔力の使いすぎだ。こいつは加減ってもんをしらねェ。フウビが寝ちまったらしょうがねえからな、俺も寝るぜ』

 あくびをかみ殺したようなレイピルの声がしたかと思うと、その姿は光に包まれてフウの首にかけられた銀板の姿となった。

「きっと、慣れないうちに高位魔法の連続行使をしちゃったから、必要以上に魔力を浪費しちゃったんでしょうね…… 寝かせておいてあげましょう。サトーさん」

 そういうウィエルの顔には慈愛の表情が見て取れた。裏表の無い優しい女の顔だ。その横顔は、もしかしたらこのエルフも本当はただの優しい女なのではないかと佐藤に思わせた。

「ああ。なるべく静かな運転を心掛けるさ」

 そういって佐藤は少し速度を落とし、カーステレオのスイッチを入れた。ゆったりとしたインストロメンタルが、優しくスピーカーから流れる。

「素敵な曲……サトーさんは、とても良い感性をお持ちの方ですわね」

 ウィエルは優雅にそういって、スピーカから流れる曲に耳を預けた。

「アニメ・ソングのアレンジメドレーなんだけどな。あんたも疲れたろ、しばらく休んだらどうだい?」

 照れて頬を掻く佐藤は、先程からウィエルがわずかに見せている疲労感を感じ取ってそう促した。

「ええ、そうですわね。では、お言葉に甘えて」

 ウィエルはほっとしたように微笑んで、そっと目を閉じた。程なくして、静かな寝息が聞こえてくる。やはり、慣れているとはいえあれだけ派手に魔法を使っていたのだから彼女も疲れていたのだろう。

(ま、そういう俺も結構疲れてんだけどさ。こういうときは、男の俺がしっかりしないとな)

 佐藤は心の中でかっこつけて、小さくはにかむ。

『なかなか紳士じゃん、ユウ。見直したよー。……あ、でも寝てる間のエルやフウにいたずらしたらダメだかんね? 』

 フェンヴィーは佐藤の方にとまって称賛の言葉を掛けると、再びウィエルの方に戻って今度はニヤニヤ顔でからかってきた。

「しねえよ……」

 小声で反論したが、それを待たずにフェンヴィーは銀板に戻っていた。ほとほとマイペースな奴だと嘆息しながらも、いまだ終わりの見えぬ一本道に安全運転を心掛ける佐藤であった。



「ン……」

「お、目が覚めたみたいだな」

「あ、おはようございます。寝ちゃってたんですね、私」

 バックミラー越しに、どこと無くデジャブを感じる会話。フウはいつの間にか眠ってしまったことに気づくと、少し気恥ずかしそうにした。

「気にすんなって。俺はただ運転してただけだけど、フウビちゃんは魔法をバンバン使って助けてくれてたんだぜ? 疲れるのも当然さ」

 そういって、佐藤は助手席で気持ちよさげに眠っているウィエルを指差した。

「魔法を使い慣れてるっぽいコイツだって、相当疲れてたみたいだからな」

「ほんとですね。なんかウィエルさんってすごい美人!って感じだったけど、寝顔可愛いな~」

 後部座席から身を乗り出してウィエルの顔を覗き込むフウは、血色のいいウィエルの頬をつんつんしたい衝動を必死で押さえて言った。

「そうだなあ。起きてるときはなんていうか裏のある感じだけど、今は普通の女の子って感じだもんなあ」

 佐藤は運転に集中しながらも、若干頬を緩めてフウに相槌を打つ。本人が聞いていればしこたま怒られそうだが、反応がないところを見れば未だ夢の中なのだろう。

「そういえば、私どれだけ……?」

「あぁ、大体3時間くらいかな。いやいや、フウビちゃんの寝顔もウィエルに負けず劣らず、可愛かったよ」

 そんなふうに言われて急に恥ずかしくなったのか、顔を真っ赤にするフウ。

「……時々思うんですけど、佐藤さんってデリカシーないですよね」

「っと、すまんすまん」

 口を尖らせるフウにやや誠実さに欠ける謝罪で返す佐藤。同時に、本当にこの子は普通の女子高生なんだな、と思った。

「しっかし、フウビちゃんも大変だよな。身一つでこんなわけわかんない世界に放り出されてさ。おまけに|物騒なもの(幻想機)なんて背負わされちゃって。……大人としてはさ、代われるくらいなら代わってやりたい位だよ。本当に」

 自分でも綺麗事を言っているなという自覚が佐藤にはあったが、紛れも無く本心であるのも確かだった。こんな女の子一人がいろいろ背負わされているのに、大人の男であるはずの自分が何も出来ないというのは、ひたすらにもどかしく感じられていたのだ。

「そうですね……でも、佐藤さんだっておんなじ境遇だし、実は結構心強いんですよ?」

 フウは少し悲しそうな顔を見せたが、すぐにそれを引っ込めて笑顔で言った。まだどこか寂しさの残る笑顔だったが、それでも佐藤の気遣いを真摯に受け止め、逆に佐藤を気遣うような発言さえしてみせる。その強さに、佐藤は感心した。

「ははっ、そういってもらえると嬉しいよ。ありがとな」

 だから、佐藤も素直に感謝で返す。そして無事に元の世界に帰るまで、この子を守ってやらなきゃな、とも思った。

 確かに戦闘力で言えば、今のフウのほうが格段に上だろう。だが、やはりどうしても、彼女は高校生なのだ。勉強して、部活に汗を流して、友達と目一杯遊んで、アルバイトして、恋をして……そういった一切が許されてなきゃならない存在なのだ。一番自由であるはずの、自由であれるはずの時代なのだ。それがこんな理不尽に翻弄されて、フイにしてしまうようなことが許されてなるものかと、佐藤は思うのだ。

 これは大人の責任である。女の子一人、自由のひとつを守れなくて、何が大人だ。なにが男だ。

「……まだ出発して時間もたってないけどさ。コイツの話、心は決まりそうかい?」

 だから聞いた。"コイツの話"というのは勿論、ウィエルの持ちかけた「幻想機の契約者としてフェンヴェールに所属し、エヴィロンスと戦う」という選択肢である。

「……やっぱり、そんな早くには結論を出せないですよ。戦いなんて嫌ですけど、日本には帰りたいですし」

 フウは、いきなり話を切り出されて困ったように笑う。

「それだって、別にスプリーティアを奪還しないでも魔力の強い人さえ集めれば何とかなる話だろ?」

「うーん、それはわかります。でも、この世界の人たちが苦しんでるのは本当みたいだし、私に手伝える力があるのに、その人たちを見殺しにするのってなんていうか、目覚めが悪いんです」

 フウはやはり、困ったようにそう言った。けして偽善で言っているのではないのだろうと佐藤は思う。でなければ返答に迷うことも無いだろうし、「目覚めが悪い」なんて表現はしないだろう。それに、この少女はどうも表裏がなさ過ぎるように感じられる。

「でも、異世界の人間の問題だ。俺たちには元来、関係ない話だぜ?」

「異世界でも、人は人じゃないですか。やっぱり見捨てるのって、気が引けますよ」

 少し意地の悪い問いを投げかけてみても、彼女は即答で否定した。

「ん、だよな。フウビちゃんならそういうと思ったよ」

「もう、からかわないでくださいよっ」

 佐藤は頬を膨らませるフウの様子を見て、余計な心配は不要かもしれないなと感じた。聞いている限り、後は踏ん切りの問題だ。急かさずに、彼女の決断を待とうと思った。

「それにしても、ウィエルさん本当にぐっすり眠ってますねー」

 少々強引だが、フウが話題を変えてきた。あまり考えすぎると塞ぎ込んでしまいそうになるのがわかっていたからだし、そうなってしまうと車内の空気も重くなってしまうのがたやすく予想できたからだ。

「そうだな。いろいろ聞きたい話もあったんだけど、まぁ今はそっとしとこうぜ」

 佐藤は、その話題転換に乗る。未だ起きる気配の無いウィエルの寝顔にほっこりしたようなフウは、佐藤の提案に「わかってますよ」と微笑んで応えた。



「するめいか」

「カレーライス」

「ス、す……スライム」

「んー、ムース」

「またス!? ええと、す、す、す……駿河トラフ!」

「え、えらいマニアックだなあ。フか、ふ、ふ……」

「ふわぁああ……」

「あ、起きた」

 結局ウィエルが目を覚ましたのはフウから遅れて1時間後であった。最初はとりとめの無い雑談をしていた佐藤とフウだったが、話題も少なくなってきたのでしりとりに興じていた次第である。現在、佐藤による「す」攻めの真っ最中であった。ちなみに日はだいぶ傾いてきたが、延々と続く一本道の終わりは依然見えていない。

「あら、おはようございます」

「おう、おはようさん。疲れはとれたかい?」

 佐藤はしりとりを中断して、まだ寝ぼけ眼のウィエルに尋ねる。

「ええ、もうすっかり。どれほど眠っていましたか?」

「そうさな、4時間くらいか?」

 ダッシュボードの時計を見て、佐藤。自分でも、意外と長いこと走っているなあとぼんやり感じた。

「あらあら、そんなに?」

 少し気を抜きすぎたかしら、などと小さく呟く声が聞こえたが、佐藤は努めて聞かなかったことにした。フウはそもそも聞こえていなかったようだ。

「それにしても佐藤さん、ずっと運転しっぱなしですよね。大丈夫なんですか?」

 未だあくびをかみ殺すウィエルを微笑ましく眺めながらも、ずっと運転を続けている佐藤を気遣うフウ。

「ん、ああ大丈夫。仕事柄、長距離の運転は慣れてるしな。それにもう日も落ちてきた。ここで時間を浪費して、結果こんな草原のど真ん中で野営なんてのは御免こうむりたいからな」

 佐藤はハハハと笑って言う。実際のところ佐藤の疲労も限界に近かったのだが、まあ何というか、見栄を張っているのである。

「仕事柄って、佐藤さんって何の仕事してたんですか? 長距離ドライバー?」

「……気になる?」

「えっと、じゃあ、はい」

 佐藤が神妙な顔で聞いてきたので、フウもその雰囲気に引っ張られて少し神妙な顔つきになって頷いた。

「それはね……」

「それは……?」

 どこか遠くを見るような佐藤に、ゴクリ、と唾を飲むフウ。

「ヒ・ミ・ツ」

「ぶん殴っていいですか?」

 人差し指を顔の前で振りながら、語尾にハートマークでもつけてるのかといわんばかりの口調でそんなことをのたまう佐藤に、少々乙女として相応しくない発言が飛び出すフウ。慌てて佐藤が謝罪した。

「いやいや、悪い悪い。流石に今のは自分でもひいた」

「もう、答えたくないんなら別に答えなくてもいいですから、そんな勿体つけないでください!」

 2人のそんなやり取りを、ただにこにこしてみているウィエル。おそらく首を突っ込みたくないんだろうなあと佐藤は感じた。

「ごめんごめん。ほら、EGFって知ってるかな? たまーにテレビでCMも流れてるんだけど」

「あ、しってます。 佐藤さん、EGFで働いてるんですか?」

 EGFというのは、最近勢いに乗り始めた便利屋である。キャッチコピーは『浮気調査から網戸の張替えまで』。何かの略称らしいが、フウはそこまで詳しくしらない。せいぜい、ドラマなんかの合間に流れたCMでその存在を知っている程度だ。

「うん、そうそう。俺が社長なの」

「ぶん殴っていいですか?」

「いやいやいや、マジマジ。今度は本当だって!」

 据わった目でレイピルを呼び出しかねないフウに、佐藤は慌ててポケットの名刺入れから一枚の名刺を取り出して渡した。

「……『株式会社Escapade Gadget Factory代表取締役 佐藤 勇作』って、ほんとに佐藤さんが社長なんですか?」

「ま、名義上はね」

 ちょっと得意げな佐藤に、本当に驚いた様子のフウ。ついでに正式名称も今知った。直訳すると「無鉄砲な道具工場」だろうか。何でも屋にしては変な名前をつけたものである。ウィエルもフウの手にした名刺を覗き込んで、「あらまあ」と驚いたように呟いた。

(……絶対なんか悪巧みしてんだろうな)

 そんなウィエルを見て、佐藤は思った。初対面での印象の悪さが手伝って、どうも佐藤はこのエルフが信用し切れていない。

「そういえば、あとどれくらいで街につくんだ? 出発してからだいぶ経つのに、まだ草原しか見えないぜ?」

 ライトのスイッチを捻りながら、佐藤。そろそろ本格的な夜闇が辺りを包み始めていた。

「んー、そうですね……私が眠っていたのが4時間でしたね。スピードは、ずっとこの調子でしたか?」

「ああ、そうだな。大体60キロ前後だよ」

 こんなどこまでもまっすぐでスピードの出し甲斐のありそうな道路はめったに無いのと、彼女たちが寝ている間は本当に暇だったので、出来れば150キロくらいでとばしたかったのだが、燃料計と相談してやめた。電源呪符を充電できるウィエルが眠っていたこともあり、スピードは終始控えめであった。

「……それでしたら、あと30分くらいかしら。ちょっと失礼?」

 ウィエルはそう断わると、カーナビに触れた。この世界に衛星が無いのか、そもそもこんな異世界の地図など収録されていないために無用の長物と化していたカーナビが光に包まれると、そのモニターにこの辺一帯の地図が表示された。

「おいおい、これも魔法か?」

「ええ。そんなに難しい魔法じゃありませんわ。この機械もミルナーヴァ(ここ)のものに似ていますし、ちょっと周波数帯を弄ってこちらの電波を拾えるようにしたんです。元の地図ソフトは流石に使えなかったので、私の記憶を変換してデータに放り込みました。だから私の知ってるところにしか案内は出来ないのですけどね。これでも私、機械弄りは好きですのよ?」

 さらりと言ってのけるウィエルに、さすがに驚く佐藤。魔法と科学文明といえば相反するものという認識が彼にはあったが、どうやらこの世界では認識を改めなければならないようだ。どちらも同じほど成長して、密接に絡み合っているらしい。便利な世界だな、と思う。

「……どうやったのかはよくわからんが、とりあえずありがとう。で、この街が目的地の?」

「ええ。フェンヴェール辺境では五指に入る大都市、『レイフェン』ですわ」

「大都市ねえ。そりゃ楽しみだ」



 それから走ること数十分、地平線の彼方まで草原だった景色に変化が現れた。今までの原野然とした草原地帯から、明らかに人の手によって整備されている整った草原地帯となり、やがて月の光を水面に映す豊かな田園地帯となった。ウィエルいわく、稲田らしい。だんだんここが本当に異世界なのか不安になってきたフウと佐藤だったが、レイフェンの街壁が見え始めたあたりで、ああ、やっぱここ異世界だと思い直した。

 そのすすけた青白い壁は、城壁と言っても過言でないような重厚な壁であった。そして高い。いつの間にか、フロントガラスに映る景色いっぱいが壁であった。

「おっきい壁だなあ」

 フウが、後部座席の窓に張り付くようにして外を見ながらつぶやいた。確かに、それくらいしか感想が出ないくらいには大きい壁だ。

「もう日がとっぷり落ちちまってるけど、街の中には入れるんだろうな?」

 佐藤が車を運転しながら、助手席のウィエルに尋ねる。こういった場合、日没と同時に門を閉めるのが相場だろうという頭があった。

「心配しなくても大丈夫ですよ~」

 ウィエルはお気楽に、手をひらひらさせて言った。


 そんな調子で数分。壁の天辺がフロントガラス越しには見えなくなるくらいの距離まで近づくと、今まで1台も見かけなかった乗用車を数台発見できた。

 曲線を主体にしたいかにも未来カーといったいでたちのそれらに混じって、5年前に6年落ちで購入した佐藤の角ばった軽ワゴンが走る。今走っている道路は壁の周囲をめぐる環状線のようで、どんどん車の数も増えていた。

『およそ、300メートル、先、左、です』

 ポーンという警告音と共に、聞きなれたカーナビの合成音声が道を示す。見れば、ちょうど高速道路のインターチェンジのような施設が目に入った。

「あれが、シティゲートですわ」

 ウィエルが解説する。門に門番の時代はすでに過去の産物で、今は電動ゲートに電子ロックの時代だとウィエルは胸を張った。


 本当にここは魔法の世界なのだろうかと、なんだか肩透かしを食らったような表情のフウと佐藤であった。



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 シティ・ゲートは、高速道路のインターチェンジそのものといった形だった。全部で10ばかりあるレーンごとに発券機と精算機のようなモノが一台ずつと、その奥にはトラ縞に塗られた可動式のバー。

「……さっきから常々思ってたんだけど、異世界とか、魔法の世界とかのなんていうか、情緒がぶち壊しだよな」

「あー、なんかそれわかります」

「うーん、そういわれましても……」

 上から佐藤、フウ、ウィエルの順だ。シティゲートに連なる車列がさっきから遅々として進まないのもいやに現実じみていて、ここが異世界であるという意識を希薄させる。

「それにしても、エヴィロンスなんて化物が暴れてるって御時勢にしちゃ、ばかに簡単なセキュリティだな」

 遠くでゲートを通過していく車を見て、佐藤。1台につき、ほんの数秒ほどしか拘束時間が無い。それでなんでこんなに渋滞しているのかといえば、ゲートを通過した後にぎっちり車がつまっているのだ。純粋に数が多いというのもある。

「あの第1ゲートは通行税の徴収機でしかないですからね~。煩わしい検査諸々は、第2ゲートに集約されていますし」

「なるほど」

 そうこういっている間に、佐藤たちのばんが回ってきた。運転席側のパワーウインドウをおろしたところで、フウがはたと気づく。

「あれ、そういえば佐藤さん、お金持ってるんですか?」

「え、俺ってそんなダメ人間に見える? 一応社会人だし、いつも財布には1万円入れとくようにしてるんだけど」

「いやいや、そうじゃなくて。こっちの世界のお金ですよ!」

 高いのか安いのか微妙なデザインの財布を見せながらいう佐藤に、呆れ顔でフウ。「あ」と、やっと気づいた佐藤は、冷や汗をたらりと流した。

「……あー、ほら、ここにお札の挿入口みたいのあるし、もしかしたら使えるかもしれないじゃん」

 無駄だとわかっていながらも、とりあえず千円入れてみる佐藤。案の定、べーっと吐き出される千円札。

「……」

「……」

 排出された千円札を無言で受け取って、じっと眺める。肖像の野口英世に笑われているように感じられたのは、皺のせいだろう。そっと財布に戻す。そんな佐藤の一連の動きを眺めていたフウは、収支呆れ顔だった。

「えっと、サトーさん、これを」

 見かねたように、助手席のウィエルが一枚のカードを手渡してきた。雲母のような光沢を持った黒いそれは、クレジットカードのようだった。ますます魔法の世界が遠ざかっていく。

「お……ああ、助かる」

 なんとなく女性におごらせているような気分になって微妙な顔をした佐藤だったが、この状況で背に腹は変えられない。素直にお世話になることにした。……先ほどから後ろの車がパッシングを連発しているので、あまり悠長にしてもいられなかったというのも多分にある。

 佐藤が急いで精算機のカードリーダーと思しき機器にカードを通すと、短い電子音のあとにすんなりバーが上がった。佐藤はふぅと一息ついて、ゆっくり車を出す。

「ありがとうな」

「いえいえ~。もともと渡そうと思っていたのですが、フウさんと貴方のやり取りが面白くって、つい切り出すのが遅れてしまいましたわ」

 申し訳なさげな佐藤がカードを返すと、微笑を浮かべてウィエルが言った。確かに考えてみれば、ウィエルはここにゲートがあることは最初から知っていたはずであるし、佐藤らが現地通貨を持っていないであろうことは想像にたやすかったはずである。

「……本当にいい性格してるぜ、あんた」

 ジト目を向けてくる佐藤に、ウィエルは微笑みをもって返すのみであった。


 ジリジリと進む車列に流されること数分、ようやく第2ゲート前に到着した。簡素なバーだけだった第1ゲートと違い、こちらは重厚な鉄扉。可動式の隔壁といってもいいかもしれない。それが見たところ、20ほど。それぞれに長蛇の列が出来ている。

「オーライ、オーライ。はいストップー」

 笛と手信号で誘導する係員は、青い制服の上に薄い皮鎧をまとい、帯剣していた。こういう不意打ちでファンタジーがやってくると、佐藤はどういう顔をしていいのかわからなくなる。

 ベルトコンベヤに乗せられた佐藤一行の車は、四角くて白い巨大な装置に通される。空港によくある、荷物検査機の大型版のようだと佐藤は思った。事実、その通りである。

 装置を抜けた先にも数人の係員がおり、車載物に異常がない旨を告げられ、次いで身分証の提示を求められる。佐藤はほとんど無意識に財布から免許証を、フウは自分のバッグから学生証を出そうとして、固まった。

「ん、どうしたんだ? はやくしてくれ、後がつかえてるんだ」

 怪訝そうに催促をしてくる係員。どうしたものかと悩むが、いい解決法が浮かばなかった。しかしウィエルの説明にあったように時空漂流者がそこそこ認知された存在ならば、特に悩むでもなくここでそれを明かしても問題ないのではないか、と佐藤は考え付く。

「あ、ああ。俺たちは……」

「この方々は、私の旅仲間ですわ。身柄は、私が保証します」

 その佐藤の言をさえぎって、ウィエルが係員に一通の紙筒を手渡した。怪訝そうに受け取った係員は手渡されたモノを広げると、その内容に目を見開き、紙とウィエルを交互に数回見た。そしてやけに恭しく紙を丸めなおして返すとその場で膝を折り、深々と頭を垂れたではないか。

「どんだ失礼を致しました! どうぞ、お通りください」

「そんなに畏まらなくても結構ですよ」

 そんな係員に慣れた様子でウィエルは顔を上げるように促す。係員は飛ぶようにゲートの開閉操作をしていた別の係員のところまで走ると、開門するよう指示を飛ばす。ゲートの操作員は一瞬ワケがわからんといった顔をしたが、係員の鬼気迫る説明を聞いて顔を青くし、すぐさまゲートを操作した。

「お勤め、ご苦労様です」

 ゲートを通り際にウィエルが係員たちにそう微笑みかけると、彼らは立礼の最上級をとってそれを見送った。簡素とはいえ鎧を着ていたせいか、それはとても決まっていて、格好良かった。

「……いったい、今度はどんな魔法を使ったんだ?」

 背後でゲートが閉まるのを確認しながら、佐藤が尋ねる。

「フフ、気になります?」

「ああ、すごくな」

 ウィエルは係員に見せた件の書簡をそっと袂に仕舞うと、妖艶な微笑を伴って尋ね返す。佐藤はうなずいた。

「それはですね……」

「……それは?」

 勿体つけるウィエルにえらく嫌な予感を感じつつ、それでも彼女のつむぐ言葉を待つ佐藤。

「ヒ・ミ・ツ・です」

 眼前で言葉に合わせてすらっと長い人差し指を振りながら、甘ったるい声でウィエルは言った。

 それは驚くほど堂に入っていて、反論のしようが無かった。予感が的中した佐藤でさえ、返す言葉を見失うくらいにはさまになっていた。

「……ちぇー」

 だから、佐藤はこう呟くほかなかった。


 シティゲートは壁の中腹、ちょうど地上から20mばかりの位置に設置されているので、街の一般道まで壁に沿って設けられたランプウェイで降りることになる。高台になっているということはそれだけ見晴らしもよいということで、ゲートをくぐってから数分の間はレイフェンの煌びやかな夜景を遠くまで見渡すことが出来た。地上20mの車内にまで街の活気が伝わってきそうなほどの大都市である。

「ここがフェンヴェール辺境随一の都市、レイフェンですわ」

 ウィエルが、街の光に目を細めて言った。

「へぇ、なんていうか100万ドルの夜景って感じだな」

 佐藤も、そのすばらしい景観に感心しながら車を走らせる。

「それにしても、本当に大きな街ですね! 千流川市位の広さはありそうだなあ」

 フウはずっと遠くを見渡すようにして、その大きさに驚いていた。レイピルの力を借りた彼女の視界は、遠くレイフェンの街の反対側までに達している。

「しっかし、これだけ広いのにびっくりするほど平坦だな。まあ、さっきまで走ってきた原野を見れば、そんなに驚くことでもないか」

 何の補助も受けていない佐藤の目でも結構遠くまで見渡せるのは、ひとえに起伏が少ないからだ。周囲の広大な原野を切り取って町にしたとするなら、この広く平坦な地形にも納得できる。実に住みやすそうだ。

「レイフェンは古くより交易で栄えた都市ですわ。ここはコルーンとの国境に一番近い街ですからね。ここで揃わないものはないと言うほどに物資の行き交う街ですから、今からお買い物が楽しみです」

 ウィエルはうきうきとした表情で言った。お買い物というワードに、フウが目を輝かせる。

「女の子が買い物好きってのは、どこの世界もかわらないんだな」

 その様子をバックミラー越しに眺めて、佐藤は苦笑した。


 ランプウェイを降りるごとに夜景は徐々に見えなくなり、やがて一行が夜景の一部になる頃には、夜景に変わって精細な街の景観を見ることが出来た。ランプウェイに接続された幅員20m程度の道路はまっすぐどこまでも続いており、ウィエル曰くこれがレイフェンのメインストリートで、街の反対側のゲートまで続いているのだという。この道路を基準に厳格な区画分けがされており、レイフェンの町並みは上空から見下ろせばさながら碁盤の目のように整った形をしている。

 町並みを彩る建物は主として日本でもよく見られるRC造のビルであったが、時たまツタの這った年季のいった石造りの建物などが目に飛び込んできて、飽きさせない。以前大学の卒業旅行で行ったイタリアの町並みに似ているな、と佐藤は思った。古きと新しきが渾然一体となって、絶妙な景観を作り出している。

 メインストリートに接する建物はそれが古きにしろ新しきにしろ、みな商いの用途に供するものであった。歩道の一角にテーブルを並べたカフェテラスでは種種雑多の人々がティータイムや夕食を楽しんでいる姿が散見できたし、列を成している飲食店も多い。スーパーマーケットと思しき施設からは大荷物をかかえた親子連れが談笑しながら出てくる姿が見られた。大きなガラスカーテンウォールの建物群は商社だろうか、背広姿の男たちがせわしく出入りしたり、退勤の時間帯なのだろう、晴れ晴れとした表情で建物を後にする人々の姿も多い。そういった人たちはメーンストリートから一つ入った路地にこぞって消えていくので、おそらく飲み屋街になっているのだろうことは想像にたやすい。あの赤レンガの建物は銀行だろうか。その隣の石造りの重厚な建物は郵便局のようだ。

「どうです、素敵な街でしょう?」

 ウィエルが、誇らしげに言う。

「ああ、結構いいところだな。……まあ、いろいろ気になるところもあるけど」

「……やっぱり、佐藤さんも気になります?」

 対するフウと佐藤はその光景には感嘆の息を漏らしながらも、どこか落ち着かない様子であった。突っ込みたくて突っ込みたくて仕方ないという雰囲気だった。

「気になること、ですか?」

 ウィエルが、はて、と小首をかしげる。

「なんていうか、本当にここ異世界なのか? あそこの看板も、あの幟も、全部日本語で書いてあるんだけど」

「それに、さっきの石造りの建物、思いっきり〒(郵便)マークついてましたよ!」

 2人の言うとおり、先ほどから目に飛び込んでくる町並みのいたるところに日本語で書かれた幟や立て看板があった。二人の中で辛うじて残っていた異世界観が音を立てて崩れていく。まだアルファベットならもう少し納得できた、というのが2人の共通認識である。

「ええと、あの文字はミルナーヴァの共通言語ですわ。フウさんたちの世界でも同じ言語が使われていたのはラッキーでしたわね。現に私たちこうやっておしゃべりできてますもの」

 何をいまさら、と言ったウィエルの反応。

「え、なんかこう、翻訳の魔法とかを使ってたんじゃないのか?」

「私もてっきり、そうなのかなって」

 対する佐藤たちの反応に、ウィエルは首を横に振った。

「いえいえ、そんな魔法は一切使っていませんわ。レイピルに確かめてもいいですわよ」

「ほんと? レイピル」

『ああ、言葉を書き換える魔法ってのがあるにはあるが、アイツは一度もそれをつかってねェよ』

 銀板からレイピルをマスコットモードで呼び出して尋ねる。レイピルも、翻訳魔法の行使は否定した。

『そもそも、言葉を書き換える魔法ってのは相手の魔法に割り込んで発動を阻害する妨害魔法の1種だしな。第一ミルナーヴァにゃ1つしか言葉がねェから、翻訳なんて必要ねェのさ。お前らの故郷にはそんなたくさんの言葉があんのか? めんどくせェ世界もあったもんだぜ』

 俺はそんな世界にゃ行きたくないね、と、レイピルは締めた。

「な、なんて都合のいい……英語が苦手な奴にゃ最高な世界だな。ここは」

 佐藤は、乾いた笑いを漏らすことしか出来なかった。



 メインストリートを走ること十数分、大きめの道路同士が交差する点には地球同様交差点があって、信号機もちゃんと青赤黄色であった。佐藤らがちょうど交差点に差し掛かったあたりで運悪く信号は変わり、赤になった。

「この世界でも、赤は止まれでいいのか?」

「ええ。赤が止まれ、黄色は注意、青が進めですわ」

「なるほど、オーケー」

 文化圏が違えば色の持つ意味も変わる。昔のロボットアニメでは降伏のために白旗を揚げたが、敵対者にとって白旗は徹底抗戦の印であった。なんていう話もあるだけに慎重にもなったが、そこも日本同様らしく、佐藤はひとつ安心してブレーキを踏んだ。

 どうやらこの交差点は今佐藤たちが走るレイフェンを東西に貫くメインストリートと南北のメインストリートがちょうど交わるところだそうで、長い待ち時間の間、目の前を通り過ぎるたくさんの車を眺めて時間を潰す。

 すると突然、遠方からサイレンの音が聞こえてきた。日本の消防車のそれによく似た音だった。道行く車がこぞって左側につけて一時停車してるのを見るところ、やはり緊急車両の類なのだろう。

「おー、火事か?」

「……いえ、これは違いますね。おそらく、フェンヴェール軍の輸送部隊でしょう」

 音を聞いただけで、ウィエルがいった。よくわかったな、と佐藤は、この世界の軍隊がどんなものなのか、興味深そうにその到来を待った。サイレンの音が、次第に大きくなる。

 まず最初に通過したのは、ライムグリーンに塗装されたジープタイプが綺麗に横並びで2台。片側3車線あるうちの2車線を占有し、サイレンを鳴らしているのもこれだったので、おそらく先導車なのだろう。続いて同じくライムグリーンの軍用トラックが4台連なり、その後ろから2車線の幅員いっぱいを使うほどの、全長で15メートルはあろうかという大型のトレーラーがやってきた。おそらく、本命はこれなのだろう。

 そして、佐藤はそのトレーラーの荷台に釘付けになった。幌がかけられており中を窺い知ることは残念ながら出来なかったが、幌越しに見える全体的なシルエットは、横たわった人間の体によく似ていた。そしてこれが一番重要なのだが、そのシルエットは人間より遥かに大きい。トレーラーの荷台を占有するそれは、優に8メートルを超えていた。これだけの情報が揃えば、佐藤の脳裏に浮かぶものはひとつである。

 やがてフェンヴェール軍の車列はドップラー効果を残して過ぎ去り、ちょうど信号が青に変わった。が、佐藤はきらきらとした表情で、アクセルを踏むのをすっかり忘れていた。

「ちょ、佐藤さん佐藤さん、青ですよ!」

 後部座席からフウに呼びかけられるのと盛大にクラクションが鳴らされたのは同時で、ようやく佐藤は我に帰り、車を発進させた。しかし未だ、興奮さめやらぬ表情である。

「なあ、あれってもしかして……」

 佐藤は先ほど目の前を通り過ぎていったトレーラーの荷について、現地の人であるウィエルに尋ねた。子供のように嬉々とした表情で、である。

「あら、サトーさんは魔導騎兵を御存知でしたの?」

「いや、知らない。でも、なんとなくわかるぜ。あれ、対エヴィロンス戦用の人型兵器……つまり、巨大ロボットだろ!」

「ええ。御明察、ですわ」

 やたらとテンションの高い佐藤に、やや引き気味に微笑んでウィエル。

「えっと、佐藤さんってロボットマニアなんですか?」

 フウは、自分のクラスにもいたロボマニアの男子生徒達をなんとなく思い浮かべる。アニメ誌を持ち込んでは新作ロボアニメの情報にはしゃぎまわっていた彼等とテンションの上がり方が実に似ていたからだ。

「おう、勿論!」

 満面の笑みで即座に佐藤は肯定する。あまりのテンションの高さに、流石のフウも若干ひき気味だ。

「もともとさ、EGFだって巨大ロボットを作るために結成した会社だったんだぜ? まあ、資金調達にはじめた便利屋がいつの間にか本業になっちゃってたけどさ。それでも、俺はロボットが好きでさ。まあ会社の奴に黙っていろいろやってはいたんだけど、まさかこんなところでホンモノの巨大ロボに出会えるなんて! 最高だ! ガキのころからの夢が叶っちまった!」

 頼んでもいないのに、べらべらと堰を切ったように語る佐藤。ちゃんと前を見て運転しているのか心配になりながらも、そのロボットにかける熱意だけはしっかりと感じられたフウであった。



 やがて一行が到着したのは、表通りから少し入った宿場街の中でも歴史を感じさせる外観の、もっとストレートに表現すればうらぶれた雰囲気の一軒の宿だった。

「さ、つきましたわ」

 裏手の小さな駐車場に車を止め、ウィエルに先導されながら暖簾をくぐる。外観は寂れた様子だったが内装はなかなかに立派で、純和風の温泉旅館を思わせる佇まいであった。

「……何でこんなに和風なんだろう」

「だなあ」

 もう疑問に思うのも面倒だといわんばかりに投げやりなフウに、佐藤も同調する。

「マスター、お久しぶり」

 そんな二人をおいて、ウィエルはカウンターに腰掛ける白髪の男に声をかけた。ウィエルの言葉を信じるならば、この宿の主人なのだろう。彼は目を悪くしているのか、睨むように目を細めて声の主を追った。

「おお、ウィエルさんかい。レイフェン(ここ)に来るのは久しぶりやのう」

 主人はそれがウィエルだとわかると、表情を崩した。

「ええ。三人なんだけど、空いているかしら」

「ああ、このところ客足は減る一方でナァ。ほとんどあいとるよ」

 空欄の多い宿帳を取り出して、苦く笑う。あまり経営が芳しくないのだろう。

「ほら、最近なんとかっていう化けもんが湧いたろ? あれのせいでこの有様よ。っとと、こんな時間やけど飯はどうするかね」

 忘れるとこだったわいと笑う主人に、ウィエルも微笑んで部屋に届けてもらうように頼む。

「ここの料理は、絶品なんですよ」

 二人のそばに戻ってきたウィエルは、そういってウインクした。


「ふぃー……」

 飯の前にまず風呂だ!とウィエルが主張したので、大浴場で佐藤は一人、ゆったりと旅の疲れを洗い流していた。総檜の浴槽は匂い芳しく、とても心が安らぐ。

(まさか異世界に来てまで、こんなしっかりとした風呂に入れるとはなあ。露天風呂が無いのが残念だが)

 壁の一面を切り取る窓の外は、小さな坪庭。笹竹の植えられたそれは奇妙な奥行きを感じさせ、檜の香りとあいまって絶妙な癒しの空間を作り上げていた。

 浴槽になみなみ張られた湯をすくい、顔をぬぐう。肩まで浸かっていても苦にならないほどながら、けして温くはないちょうどいい湯加減に、今日一日の疲れが溶けて消えていくような感覚を佐藤は覚える。

(しっかし、本当に貸切だな。だーれもはいってこない。もったいないな、ほんとに)

「佐藤さーん、湯加減はどうですかー?」

 湯船の中で手足を曲げたり伸ばしたりしてリラックスしていると、壁一枚隔てた女湯から呼びかけられた。フウの声だ。

「おーぅ、いい感じだわ。そっちはどうだーい?」

「はーい、いい湯でーす!」

 どこか気恥ずかしさを感じながらも、壁越しにやり取りをする。客が他に一人もいないから出来る事だ。


 しばらくして、佐藤は先に浴場を出た。壁の向こうから聞こえてくる、やれ肌が綺麗だの胸がでかいだの尻がでかいだのという姦しい会話に、いろいろな意味でのぼせたからだ。

 先に部屋に戻っているのは不義理だろうと考えて、大浴場前のロビーでしばしボーっとしていると、近づいてくる人があった。宿の主人だった。

「ようあんちゃん、隣いいけ?」

「え、ああ。いいっすよ」

 佐藤がそういってベンチの隣を少し空けると、主人はどっこらせと腰を下ろした。

「あんちゃん、酒大丈夫か?」

「おわ、ありがとうございます。いいんすか?」

「いいんよいいんよこのくらい。サービス、サービス。わはは」

 主人が差し出してきたのは、金属製のジョッキに注がれた琥珀色の液体(ビール)だった。佐藤にそれを受け取らせると、主人は豪快に笑って自分のジョッキをこれまた豪快に煽った。

「わっはっは、仕事中に一杯やるっちゅうんも乙やなあ」

 泡の口ひげをつけて、主人は笑った。すでに杯の半分が消えている。なぜかさっきからとても楽しそうである。

「っかー、やっぱ風呂上りにビールは最高ッすね!」

「わはは、いい飲みっぷりやな、あんちゃん!」

 佐藤も負けじと、ありがたくビールを頂戴した。何気にこの世界にやってきて初めて飲む酒だった。

「そーやったそうやった。俺なぁ、あんちゃんに聞きたいことがあったがよ」

「へ、なんです?」

 残り半分を一気にあおった主人は、思い出したかのように話題を切り出した。

「あんちゃんは、一体どこの出身だい?」

「あ、エーっと、俺は……」

 その問いは突然で、答えに窮する佐藤。まさか別の世界からきましたなんていって、信じてもらえるのだろうかと逡巡していると、主人は続けた。

「おれは、富山や。ずいぶん長いことかえっとらんけどなあ」

「へぇ、トヤマ……富山!?」

 故郷を懐かしむような主人が口にした地名に、危うくビールを噴出しそうになる佐藤。必死で堪える。

「わはは、その様子じゃ、あんちゃんも日本人で間違いないみたいやなあ」

 主人は、うんうんとうなずいた。

「えっと、じゃあ御主人も日本からここへ?」

「ああ。ありゃあまだずっと昔やったな、今でも忘れんわ。まだ働き盛りの頃によ、仕事の終わりに高岡の駅前で呑んどったがやけど、つぶれちまって、気づいたらここにおった」

 酒も入っているからか、それともこのために酒を入れたのか。しみじみと主人は語った。遠くを見つめる瞳は、遠き日の故郷を見ているのかもしれない。

「でも、何でまた帰らずに、こんなとこで旅館を?」

「ああ、俺ン頃は、戻る方法が無かったからやな。それに、レイフェン(ここ)の生活が結構面白かったんもでかいんやろうなあ。右も左もわからんかった俺を拾ってくれた、先代への恩義もあったし」

 なんでもこの旅館の先代も流れてきた日本人だったらしく、当時は珍しかった日本風の旅館で一世を風靡し、1代でこの旅館を築き上げたのだという。今の御主人はこの世界に流れてきて後、丁稚奉公から今の立場にまで上りつめたそうだ。なかなかのサクセスストーリーである。

「まあ、物珍しさが無くなった今じゃ、ごらんの有様やけどな」

 主人はまたわははと笑ったが、今度は少し元気が無かった。

「でも、いい旅館ですよ、ここ。風呂なんて最高した」

「きのどくな。そういってもらえっと、先代も浮かばれるわ」

 主人はそういって杯に残っていたビールの水滴を集めて飲み干すと、すっくと席を立った。

「こんなじいちゃんの与太につき合わせてしもて、ありがとうな」

「やや、ただボーっとしてるよりは、ずっと実のある時間でした。()()もうまかったですしね」

 そういって空になったジョッキを手渡す。主人はそれを受け取って、わははと笑った。

「ちょうど頃合やし、料理運ばせるわ。うちの板の腕前は確かやから、味は保証書もんやぜ」

「期待してます」

 にこやかに佐藤も立ち上がる。そんな佐藤の肩に主人は手を置いて、

「ここは日本とにとるようで、全然違うとこやからな。いろいろ困ることもあるやろうけど、あんちゃんらちならきっと何とかできるやろう。若いしな」

 そういった。佐藤の肩に置かれた手はしわがれて骨ばっていたが、目の前の男の生き様が凝縮されたような力強さがあった。

「それと、同郷の誼や。次来たときはだまーって安くしてやるから」

「ははは、ありがとうございます」

 しっかりと営業も忘れていない。


 主人とウィエルの言ったとおり、飯は最高にうまかった。


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