8.ノエルは夫を泣かせてしまう
その日の夕食のメニューは、ノエルが塊肉のビーフシチュー、サフィールがミートボールのシチューだった。
ノエルが美味しそうに肉をほおばる姿を、じとりと横目で眺めるサフィールに、ノエルはふっと口元を緩めて揶揄いを口にする。
「大きなお肉が食べられるのは、永久歯を持つ大人の特権です」
「なんだその特権は。乳歯でも嚙み切れる自信はあるぞ」
「いやいや、もし嚙み切れなくて喉につまったらどうするのです? 元の姿に戻ったときの楽しみが増えて、むしろ良かったのでは?」
笑いをこらえるノエルに、使用人たちも笑いを堪えて頬を噛みしめているのが見える。
「……本当に、みんな元に戻ったら覚えていろ……」
恨みがましい顔をしながらミートボールを口いっぱいに頬張るサフィールは、可愛い以外の何者でもなかった。
◇
就寝時。
昨日に引き続き、二人は夫婦の寝室にいた。
二人とも、昨日より緊張がほぐれているのか、自然にベッドに並び、シーツを被る。
「明日、私は朝から研究室に行くつもりだ」
おもむろに、サフィールが口を開いた。
(研究室? え、この姿でお仕事をするというの?)
「あの、有給を取っていると言ってませんでしたか?」
「ああ。休暇中だが、解毒薬の進捗が気になる。確認したら、速やかに帰るつもりだ」
「ああ、なるほど、納得です。一週間以内で部門の方にお任せしていると言っていましたもんね」
一週間であれば、明日で中日を迎える。
関係者に中間報告を聞きに行くのだろう。
気を付けて行ってらっしゃいませ、と言おうとしたが、その言葉を口にする前に、サフィールが再び口を開いた。
「それで……もし、君がよければ、一緒に来ないか?」
「え?」
「結婚してから、材料の卸しの契約も無くなって、ろくにうちの職場の者に挨拶もできていなかっただろう?
周りの者からもよく『奥方はどうされているのか』と聞かれていたんだ。せっかくの機会だから、と思ってな」
確かに、急遽契約が打ち切られ、仲良くしてもらっていた部署の方たちに結婚の報告もできないまま去っていくことになり、気がかりではあった。
ただ……
「いいんでしょうか?」
「? 何がだ?」
「私が、妻だと公に言ってしまって……」
ノエルは、サフィールが結婚式を挙げようとしないのは、二人が契約結婚をしているからであり、将来は彼の都合のいいタイミングで離縁されるものだと思っていた。
そのため、自分を妻として職場に連れていくと、来るべき日に夫が気まずい思いをするのでは、と懸念したのだ。
「みんな君と私が結婚していることは知っているというのに、なぜ今さら隠す必要があるんだ……」
「いや、だって……」
言い淀むノエルに、サフィールの顔に影が差した。
「君が……君の夫が、私であることを大っぴらにしたくないなら……いい」
「え!?」
サフィールはそう言うと、シーツに顔を潜りこませた。
(ど、……どういうこと? なんで旦那様の方が拗ねてるの?)
ノエルはシーツの上からポンポンと夫の小さな身体を叩く。
「そんなことあるわけないでしょう」
ここで黙っていても、事態は拗れるだけだ。
はっきりと自分の気持ちを告げた。
「私はただ、あなたが契約上の妻の私と、将来的に離縁することになったとき、困るのではないかと思っただけです」
「な……なんだとっ!?」
サフィールは飛び起きるようにシーツをがばりとめくり、上半身を起こすと、子供のものとは思えない凄まじい形相でノエルに詰め寄った。
「なぜ、離縁する必要があるんだ!? 君は、私との婚姻を一時的なものだと考えていたというのかっ!?」
「え……はい。違うんですか?」
きょとんとした表情で答えるノエルに、サフィールの表情には絶望の色が広がっていく。
さっきの勢いはどこへやら、彼は顔を俯かせ、それきり黙り込んでしまった。
「え、ええと……旦那様? 大丈夫ですか?」
急に静かになった夫に、ノエルも身を起こし、彼の顔を覗き込むようにして様子を伺うと――
(え、嘘でしょ!?)
彼の目には、涙が滲んでいた。
そんな彼を見たノエルの胸は、ある思いでいっぱいになった。
――こ、こんな小さな子を泣かせてしまった……っっっ!!!
中身は大人で、しかも夫だというのに、ノエルの頭の中は「子供を泣かせた」ということで、完全にパニックになっていた。
慌てて夫を胸に抱き寄せ、「よーしよし」と頭を撫で、背中をさする。
てっきり「子供扱いはやめてくれ!」と怒って泣き止むものだと思ったのだが、
彼はそのまま胸に顔を擦りつけ、じわりとノエルの服を濡らしていった。
しかも、小さい子にありがちな泣き方で、必死に我慢しようとした結果、しゃくりあげる声が胸元から聞こえてくる。
(やってしまった……)
泣かせた上に、間違いなく彼の自尊心まで傷つけてしまったに違いない。
ノエルは声をかけることもできず、ただひたすらに背中を撫で、抱きしめ続けた。
ひっく、
ひっく……
夫の声にならない泣き声だけが、部屋に響く。
しばらくして、段々と落ち着いてきたのか、彼はやっと、抱きしめられた姿勢のまま口を開いた。
「…………絶対にっ、離縁なんてしてやるもんかっ……」
「……!!!」
まだしゃくりあげるのが残ったまま、必死に訴えてくる幼い言葉が、ノエルの胸を一撃で貫いた。
「わ、わたしだって、こんな可愛らしいあなたと離縁なんてしてやるものですか!」
少し大きめの声で言い放つと、その勢いのまま、両腕できつく彼の小さな身体をひしりと抱きしめ、ベッドへ身体を預けた。
ノエルは額と額を合わせ、サフィールの真っ赤になった瞳をまっすぐに見つめる。
「明日は、私も同行します。きちんと、私のことを妻として紹介してくださいね、旦那様」
「うん……」
幼さの残る短い返事に、またもノエルの心は撃ち抜かれ、彼を抱きしめたまま眠りについた。
――サフィールが眠れなかったのは、言うまでもない。
続きは今日の夜9時頃更新。
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