6.ノエルは夫に自慢の薬草を説明する
すいません、ep.7を間違えてep.6として投稿していました・・・
朝、喉の渇きで目が覚めた。
(暑い……暖房でも入れたのかしら)
身体はうっすらと汗ばんでいる。
ふと、横にある塊に気がつき、「あ」と小さく声を上げた。
暑さの正体は、子供になった夫の体温だと瞬時に理解した。
ノエルの身体にぴったりと張りつき、身体の上に足まで乗せて絡みついている。
――これでは暑いはずである。
ノエルはサフィールの頭を、そっと撫でた。
彼の額もしっとりと汗ばんでいる。
その証拠に、彼のほうはシーツを蹴り上げていた。
(ああ、天使……)
ノエルは、朝から惚けたような表情を浮かべていた。
……が、見つめすぎたのか、天使の目がぱちりと開く。
数秒、二人で見つめ合ったのち、サフィールのほうが先に口を開いた。
「……暑い」
「あ、やっぱりそう思います?」
彼はそう言うや否や、すぐにベッドからぴょんと飛び降り、
サイドテーブルに置いてあったコップに水を注いで、一気に飲み干した。
前髪に手を入れて後ろへぐっと掻き上げる仕草は、その可愛らしい姿には、ひどく似つかわしくない。
見た目は子供、中身は大人の夫に、ノエルの心の奥底がくすぐられた。
「おはようございます、旦那様。二日目もお変わりなく」
「おはよう。いや、その言い方は語弊がある。残念ながら、二日目も変わったままだ」
はぁっと朝一番にため息をつく姿は、確かにノエルの知っている“キングリー室長”そのものだった。
「さて、そろそろ起きて支度をしますか。今日は私は昼前までは暇なので、二人で何をしましょうかねー」
「? 今日は何か予定があるのか?」
きょとんとした表情で尋ねる夫に、妻であるノエルは苦笑を漏らす。
「週初めと中日である今日の二日は、街の薬屋の仕事があるんですよ」
「……」
やはりというべきか、サフィールはノエルが仕事を続けていることを知らなかったらしい。
バツの悪そうな顔をしているが、彼が知らなかったことに対して、ノエルは特に何も感じていない。
だって、ノエルが仕事を続けてもいいかどうかは「契約条件」に明記されていたのだから。
ただ契約に則って、自由にさせてもらっていただけだ。
こちらも面と向かって「まだ働いています」などと、わざわざ伝えようともしなかった。
「昼前には出てしまうんですが、それまでは一緒に過ごしましょう。
夕方にはきちんと帰ってきますから、寂しがらなくても大丈夫ですよ」
「な、そういうわけじゃ……」
わかっている。
ノエルが不在にしたところで、夫が寂しがることなどない。
ただ、揶揄ってやりたくなって言っただけだった。
「ほら、まずは顔を洗って、着替えましょう。朝ごはんはもちろん一緒に取りましょうね。
それまでに、午前中に何をするか考えておいてくださいね。それでは」
「……」
初めて使う、自室へと繋がる扉を開ける。
自分のほうが支度に時間はかかるのは明白なので、夫を置いて先に寝室を後にした。
◇
「フッ……」
「おい、笑うな」
今日のサフィールの朝食は、まさかのパンケーキ。
しかも、ご丁寧にクリームでニッコリ笑った猫が描かれている。
付け合わせの人参は、今日は三角と四角。
もちろん、ブロッコリーもちゃっかりと添えられていた。
ちなみに、ノエルの朝食はいつもと変わらず、オムレツとパンにスープといったシンプルなもの。
当然ながら、オムレツに顔が描かれているはずもない。
「う、嬉しいですね、ニッコリ猫ちゃん……」
堪えようと我慢したが、完全にお子様扱いの夫に、笑いをこらえきれなかった。
しかも、昨日の夜ご飯のときにシャツにスープをこぼしてしまい、今日は食事用のエプロンまで付けられてしまっている。
もう、どこからどう見ても、子供にしか見えない。
ぶすっと不貞腐れながらも、パンケーキは好きらしい。
これについては何の文句もなく、ナイフとフォークで黙々と食べ進めていく。
(ブロッコリーは嫌い。パンケーキはたぶん好物ね)
今日もまた、サフィールの知らない一面を知った。
ほとんど食べ終えたところで、ノエルはサフィールに尋ねる。
「それで、今日これからしたいことは、何か思いつきました?」
「……すまない、考えてなかった」
その表情から、しまった、忘れてた!ということが容易に読み取れた。
彼はなんというか、非常にわかりやすい。
「それでは、旦那様が不在同然だったこの二か月の間に、私が改造した渾身の庭を見てもらってもいいですか?」
「渾身の庭?」
「ええ。庭師から一区画をお借りして、男爵領から持ってきた薬草を植えているんです」
「……それは、見たいな」
(よし、食いついた)
ノエルは内心でガッツポーズをした。
「ぜひ。必要であれば、種類についてもご説明して差し上げます」
こうして、朝食後の二人の予定は、庭の散策――ノエルの薬草畑の披露に確定した。
「こちらが、ジル草です。開発部にも卸させていただいていた、回復薬の原材料となるものです。今はまだ芽吹いたばかりの状態ですね。
それで、こちらが――」
この屋敷に嫁いできて約一か月。
最初は苗だった薬草も、すっかり成長し、いくつかは収穫時期を迎えていた。
ノエルが説明する前に、サフィールが「この花は?」「効能は?」と次々に尋ねてくるものだから、
ひとつひとつ丁寧に説明していくことになった。
「いつも、粉末や乾燥した状態で仕入れているから、
こうやって地面に生えて花を咲かせているのを見るのは新鮮だ」
「ふふ。確かに、保存や持ち運びに便利なように加工した状態で納品されますから、
こうして自生している姿を見る機会は、なかなかありませんよね」
「そうだな……
だが、ジル草だけは、実家のキングリーの屋敷で育てていた時期がある」
「え?」
サフィールの意外な告白に、ノエルは思わず目を丸くした。
「昨日言っていた絵本に、回復薬の作り方が載っていたんだ。
絵本の中では、自生していたジル草を使っていてな。
だから私も、加工品じゃなくて、親に頼んで種を買ってもらった。
最初は芽が出なくて……でも、庭師に相談して、肥料や水はけを工夫したら、ちゃんと芽が出た。
あのときの感動は、いまでも忘れられない」
昔を懐かしむように、ぽつりと呟くサフィールから、ノエルは目が離せなかった。
というのも、ノエルが初めて「薬草」として認識した植物も、ジル草だったからだ。
ピンク色で小さな花を咲かせるジル草は、男爵領に山ほど生えていた。
畑から種が散らばり、あちこちで芽吹いたのだろう。
ある時期、庭の花壇が一面ピンクに染まり、
それを庭師が一生懸命抜こうとするのを、必死で止めた記憶がある。
「私の実家、キール領ではジル草が自生していて、一時は大繁殖したことがあったんです。
庭師は発狂しかけていましたが、私にとって、庭一面がピンクに染まった光景は、忘れられない思い出の一つです。
……なんだか、ジル草で感動したという点では、私たち同じですね」
柔らかな微笑みを向けたノエルに、サフィールは目を僅かに見開き――
それから、彼女と同じように、自然と柔らかく微笑んだ。
(あ……)
自嘲気味でも皮肉めいてもない、その緩んだ笑みは、一瞬にしてノエルの心を掴んだ。
赤くなった顔を、咄嗟に両手で押さえ、サフィールとは別の方向に身体を背ける。
(天使の笑顔の破壊力は凄まじい……)
「……ここの屋敷は昔、家族の別荘として使ってたんだが……」
ノエルの話に触発されたのか、サフィールはもう一つの思い出話を話し始めた。
「実家でジル草を育てていた時期と同じ頃のことだ。
この近くの森に、種をばら撒いたことがある。
野性のほうが育つんじゃないかって実験みたいにして……
しかも、種だけ撒いたから、結果芽吹いたかもわからない。
けれど、もしかしたら……
男爵領と同じで、その年は大繁殖して、ピンク一面なっていたかもな」
「まぁ……。もしその光景を旦那様が見ていたら、きっと私と同じように感動していたはずですわ」
「そうかもしれないな……」
懐かしむような、何か想像するような表情を見せるサフィールをノエルはじっと見つめる。
(また一つ、旦那様のことを知ることができた)
昨日まで本当に形式だけだった夫が、"サフィール"という人物として自分の中で急速に形づくられていく。
――なぜかわからないが……心の奥が、じわりと熱を持った。
そんなノエルの心境を知る由もないサフィールは、もう違うものに興味を移していた。
自然と彼女のスカートに手を伸ばし、説明をねだる。
「次はこっちの薬草の説明をしてくれ。嗅いだことのある匂いがするんだが、なんだったのかが思い出せない」
ノエルは先ほどまでとは違って、目線を合わせるようその場に屈んでみせた。
「あ、はい。これは――」
大きさは歪だが、隣り合って仲良く庭で過ごす夫妻を見て、
使用人たちもようやく春が来たなぁと、温かい目で見守っていた。




