24. ノエルは夫の誕生日を祝う
「お誕生日おめでとうございまーす!」
「ふふ、ありがとー」
サフィール様の誕生日会は、ランチには少し早い時間から始まった。
雲ひとつない晴天の空の下、庭いっぱいに笑い声が広がる。
平日の昼間ということもあり、集まったのは屋敷の者たちだけの、こぢんまりとしたパーティーだ。
けれど、使用人たちも皆そろって彼を祝うのだから、気心の知れた家族のような集まりとも言えた。
「サフィール坊ちゃんが大きくなられて、私もとても嬉しゅうございます。まだまだ長生きせねばなりませんなぁ」
アレックスが目を細める。
「そうだね。まだまだここにいてもらわないと困るから、ちゃんと長生きしてね」
サフィール様は屈託なく笑う。
アレックスにとっては、これで二度目の“六歳の誕生日”だ。
その言葉は、もはや孫を通り越してひ孫へ向けるような響きを帯びている。
「はい、私から坊ちゃんへのプレゼントです。一日一つまでですよ?」
マーサが差し出したのは、色とりどりの飴が詰まったガラス瓶。
陽光を受けてきらきらと輝き、思わず手を伸ばしたくなるほど鮮やかだ。
「ありがとう! たくさん食べたいときは、バレないようにしなくっちゃ!」
こう言ってる時点で、一つ以上食べることがバレているのだが、そこはお誕生日ということで、誰も彼を咎める者はいなかった。
それからも次々と、屋敷のみんながサフィール様の元へやってきて、プレゼントやお祝いの言葉を贈る。
やがてテーブルには、目にも美味しそうな料理が次々と運ばれ、全てが出揃ったところで、使用人たちも一度手を止め、歓談モードに入った。
人の波が少し落ち着いたタイミングで、私はサフィール様に声をかける。
「六歳のお誕生日おめでとうございます。私からのプレゼントはこちらです」
大きな包みに入った袋を、彼の前にどんと置いた。
彼はその大きさに目を丸くする。
「わぁ、大きい! 開けてもいい?」
「もちろんです」
胸の中で、小さな期待とドキドキが膨らむ。
袋を開け、中のものを目にした瞬間、サフィール様の目がぱっと見開き、やがて満面の笑みでプレゼントを抱きしめた。
「ははっ! 最高のプレゼントだ! これで猫ちゃんも寂しくないね!」
私も自然と笑みを返す。
そう、私の贈り物は、一年前に旦那様に贈った猫ちゃんのぬいぐるみ――その対になる、クマちゃんのぬいぐるみだった。
以前、サフィール様がふと零した言葉を、私は覚えていた。
「ねこちゃんは、いつも一ぴきで、さびしそう……」
舌足らずな声でしょんぼり言う彼を、どうしても愛おしく感じてしまった。
けれど、教育上いきなりプレゼントを贈るのはよくないと考え、ずっと与えるのを我慢してきたのだ。
「今日は猫ちゃんとクマちゃんに挟まれて寝ることにする」
「あら、じゃあもう私の添い寝は必要ありません?」
「ノエルのいじわる」
晴れ渡った空から降り注ぐ日差しが、パーティ会場を優しく照らす。
賑やかで、それでいて温かみのあるこの場は、言葉にできないほど尊いものに感じられた。
「そろそろ、ケーキの時間ですよ」
皆のお腹が少し満たされた頃、料理人がワゴンを押して、大きなホールケーキを運んできた。
真っ白な生クリームの上には、真っ赤ないちごが敷き詰められ、中央には猫ちゃんの顔を描いたチョコレートのプレートが飾られている。
その大きくて美味しそうなケーキを目にしたサフィール様の目が、キラキラと輝いた。
ただ――ひとつだけ、サフィール様は違和感を覚えたようだった。
「ろうそくの数、めちゃくちゃ多くない?」
運ばれてきたケーキを見て、私もつい「おや?」と思ってしまった。
しかし、それはどうやらマーサの仕業だったらしい。
「ろうそくの数は三十本ですよ、"旦那様"」
してやったりといった様子で言うマーサに目を向けると、彼女はにっこり笑って私にバチンとウインクをした。
(私の言ったこと、気にかけてくれたのね――)
午前中、準備の途中でろうそくの色を相談していたとき、つい呟いてしまったのだ。
『旦那様は今日で三十歳か……』
その年齢の数だけ、ろうそくを丁寧に並べてくれていたのだった。
「三十……!? ぼく、一度で消せるかなぁ……」
不安そうなサフィール様に、横からすかさず提案した。
「じゃあ、実際に火をつけるのは六本にしましょう。
そうすれば、一度で消すことができますよ」
私の言葉に、サフィール様は目を輝かせ、手をポンと打った。
「なるほど! それなら大丈夫だね!」
アレックスが六本のろうそくにマッチで火をつけ、「せーの」とみんなに声をかける。
全員で一斉に、
「サフィール様、お誕生日おめでとうございます!」
大きな声で祝福すると、サフィール様も笑顔で応える。
「ありがとう!」
そして、ろうそくに向かって一気に息を吹きかけると、六本のろうそくはすべて消えた。
満足げな笑みを浮かべるサフィール様に、全員から盛大な拍手が巻き起こる。
私も、心の中で大きな拍手を送った。
お祝いの気持ちとともに、思わず心が感動に震える――
(一度で吹き消すことができるなんて、成長なさいましたね!)
もちろん、こんなことを口に出したら怒られるだろうけれど、胸の奥でそっと喜びをかみしめていた。
一人分にカットされたケーキがみんなに振る舞われ、その上品な甘さに舌鼓を打っているとき、サフィール様がくいっとワンピースの袖を引いた。
「ノエル」
お皿を持ってこちらを見上げるサフィール様は、片手で猫ちゃんの顔が描かれたチョコレートプレートを持っていた。
「半分、食べていいよ」
「えっ!? そんな……そこを食べられるのは、お誕生日の人だけの特権ですよ」
誕生日ケーキのメインといえば、主役が食べるチョコプレート。
だから、半分いただくなんて、そんな大それたことはできないと、思わず遠慮してしまう。
けれども、サフィール様は私とは考え方が違ったようだ。
「お誕生日の人が、食べさせたいと思った人に、これを自由に食べさせてあげることができるんだよ。
それで、ぼくはこれを君に食べてもらいたい」
「ええー……」
そんな、「悪いですよ」と口を開いた瞬間、プレートの半分を口に突っ込まれてしまった。
反射的に口を閉じ、プレートは半分に割れる。
恥ずかしい気持ちが半分、解せない気持ちが半分で、モグモグとチョコの甘さを味わう。
「もう半分はぼくが食べるんだ。はい、食べさせて」
半分私がかじってしまったプレートがお皿に戻され、「え、本当に言ってるの?」とサフィール様を見る。
彼はニコニコとしながら、口を薄く開いた。
助けを求めようと周りを見ると、いつの間にかみんなが温かい目でこちらを見ていた。
(ああ、なんだか逃げ場がなくなってる……)
まだ余韻の残るチョコの味を噛みしめながら、渋々半分のプレートを摘まむ。
「……はい、あーんしてください……」と小さく言い、口の前に差し出すと、サフィール様は小さな口でパクリとかじりついた。
もちろん、半分と言えど、私のように一口で食べられるはずもなく、結局は自分の手で残りを持ちながらモグモグしている。
「うん、おいしい!」
「それは、ようございました……」
チョコの美味しさに嬉しそうな姿を見て、私もつい苦笑を漏らす。
(やっぱり、こうやって見ると、まだまだ小さな子供だわ……)
一年前に比べると、彼はぐっと成長した。それは見た目だけでなく、情緒の面でも。
けれど、無邪気に微笑む姿は、以前と何ら変わらない。
(あ、いけない……)
――「以前」というのが、もう旦那様のことを指していないと気付いて、少し胸が痛んだ。
もう、二度と会えない、不器用で、よく眉間にしわを寄せていた夫。
記憶の中の表情は、今のサフィール様に塗り替えられていっている。
割り切っていたはずなのに、自分の中で思い出が消えていくことが、どうにも悲しく……そして酷く寂しかった。




