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小さくなった夫が可愛すぎて困ります  作者: piyo
第二章

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23.ノエル、六歳の夫に翻弄される

少し長めです。

誘拐事件からしばらくの間、夫はどこか不安定な様子を見せるようになった。


時折、黙り込んでしまったり、ふと遠くを見ることがあったり。

急に抱きついて甘えた様子を見せたかと思えば、触れられるのを嫌がることもある。


「どうされました?」と私が尋ねても、彼は「ううん、なんでもない」と言うばかりで、理由は頑なに話してくれなかった。

アレックスやマーサに聞いてみても、はっきりとしたことは分からない。


まだ誘拐事件のことが尾を引いているのだろうと思い、無理に踏み込まず、そっとしておいた。

けれど、それでも私の心はどこか落ち着かなかった。


サフィール様の明るく天真爛漫な笑顔に、かすかな陰りが差しているように感じられたのだ。


(力になってあげたいけど、理由もわからないし……)


そんなモヤモヤを抱えたまま、サフィール様は六歳の誕生日を迎えた。



「お誕生日おめでとうございます、サフィール様」


朝、同じベッドで目を覚まし、誰よりも早くお祝いの言葉を伝える。


すると彼は、眠たそうに目をこすりながら、今日が自分の誕生日だということを少しずつ思い出したのか、

その表情に朝一番の笑顔が浮かんだ。


「おはよう、ノエル。それから、ありがとう」


ベッドの中で小さな腕が私に回され、頬と頬がそっと触れる。


「一つ、君に近づいた」


耳元ではっきりとした口調で囁かれ、突然のことに胸がドキリと跳ねた。


(一つ年を取ったと言っても、まだサフィール様は六歳なのに……

それに、もう少ししたら私も一つ年を取るのだけれど)


――それでも、ほんのわずかな間だけは、その差が縮まる。


(今の……なんだか急に大人びて聞こえたわ)


戸惑いを隠せずにいると、目の前でサフィール様がくすりと笑った。

両手を口に当て、フフッと可愛らしく声を漏らす。


「うん、きょうは、とってもいい日になりそう!」


「もう、からかわないでください」


(この人、将来は人たらしになりそうで心配だわ!)


どぎまぎしたまま身体を起こし、ベッドから立ち上がる。


「さあ、早く起きて。みんなでお祝いをしましょうね。

まずは顔を洗って、それからお着替えしましょうか」


久しぶりに、小さな子に話しかけるような口調になってしまったが、サフィール様は気を悪くする様子もなく、自分もぴょんとベッドから飛び降りた。


「うん、ノエルもちゃんと着替えてね。

ぼく、たのしみにしてる」


「はい、ではまた後ほど」


先にサフィール様が自室へ入っていき、私も自分の部屋へ続く扉を開ける。

そして――目に飛び込んできたものに、「あ」と声が漏れた。


(あのときのワンピース……!)


部屋に足を踏み入れた瞬間、視界に入ったのは、アイラさんの店で試着した、サフィール様がデザインした真っ白なワンピースだった。誘拐事件のせいで、店にも立ち入り調査が入って一時は休業をしていたそうだが、なんとか誕生日までにお直しが間に合ったらしい。


勝手な想像に過ぎないけれど、ハンガーラックに吊るされ、こちらを向いているその一着は、

「早く着て」とでも言うように、静かに私を待っている気がした。


普段は身支度はすべて自分で整えている。

けれど、今日は違う。


「奥様、おはようございます」


ノックの音とともに、マーサが部屋へ入ってきて、丁寧に一礼した。


「本日は私が奥様の仕度をお手伝いいたします。

坊っちゃんのためにも、とびきり可愛くいたしましょうね!」


張り切った様子で告げるマーサに、思わず頬が緩む。


「ええ、よろしくお願いするわ。サフィール様を、驚かせて差し上げなくてはね!」


最近、どこか様子のおかしかったサフィール様。

けれど今朝の彼は、いつもの無邪気な笑顔のままだった。


できることなら――

今日という一日を、なんの憂いもなく、ただ幸せな思い出として過ごしてほしい。


私は「よし」と小さく気合を入れ、マーサとともに仕度に臨んだ。



サフィール様のお祝いは、午前中に行うと前もって決めていた。


最近の彼は、すっかり昼寝の習慣もなくなっている。

けれど、ときおり午後になると急に眠たそうにして、そのまま眠ってしまうこともあった。


祝いの途中で眠くなることはないだろうが、念には念を、である。


午前中に屋敷の皆で祝い、午後はサフィール様の好きなことをして過ごす。

そして夜は誕生日のディナー――そんな流れだ。


そして、今の私は、マーサの手によって、すっかり着飾られていた。


真っ白なワンピースに身を包み、華奢なチェーンのネックレスを首元に添える。

耳には、素朴な石をあしらったイヤリング。


普段はハーフアップや後ろで三つ編みにすることが多い。

けれど今日は、首元のレースを引き立てるため、複雑に編み込んだ髪をすっきりとアップにまとめてもらった。


仕上げに、崩れないようしっかり目のメイクをしてもらう。


「奥様、とてもお綺麗ですよ。これは坊っちゃんの反応が楽しみですねぇ」


マーサの声とともに、鏡の中の、少しだけ見慣れない自分がこちらを見つめていた。


「ありがとう、マーサ」


ここまで身なりに気を遣ったのは、結婚して以来、初めてのことかもしれない。


マーサに促され、席を立つ。


(サフィール様は……褒めてくださるかしら?)


胸の奥が落ち着かないまま、私は朝食のため食堂へと降りていった。



マーサとともに階下へ降りると、入り口の前でサフィール様が立っていた。

どうやら、席にはつかず、私のことを待っていてくれたらしい。


「すみません、お待たせしてしまいました」


サフィール様を見ると、彼も今日は装いがいつもと違うことに気付いた。

きっと、アイラさんのお店で、今日のための衣装を一緒に仕立ててもらったのだろう。


普段はフリル襟や大きなリボンタイのついたブラウス姿が多いサフィール様だが、今日は少し大人びたシャツに、リボンではなく細身のネクタイを締めている。

ベストも着用し、半ズボンではなく長ズボンだ。

髪の毛も、金色の巻き毛を分け目で整え、おでこを出してセットされている。


小さな男の子から少年へと一歩踏み出したような印象のサフィール様に、思わず感想が口をついた。


「今日のサフィール様は、とてもかっこいいですね」


まるで小さな紳士だ。

可愛さよりも、「かっこいい」が一番しっくりくる。


「――ノエル、とっても綺麗だ」


ところがサフィール様は、自分が褒められたことよりも、

私の装いにすっかり意識を奪われたかのように、大きな目でじっと私を見つめていた。


「ふふ、ありがとうございます。あなたが一生懸命考えてくれたものですから、私によく似合っているでしょう?」


照れを隠すように、敢えて自慢気におどけてみせた。

すると彼は少し頬を赤らめ、低く小さな声で呟いた。


「うん……すごく、よく似合ってる」


「あ、ありがとうございます……」


(ま、真面目に褒められてしまったわ。それじゃあ、どうしたらいいのかわからないじゃない……)


思わず顔を伏せ、大きな瞳の視線から逃れる。


すると彼は、すっと私の前に小さな手を差し出して言った。


「いこう」


おずおずとその手を取り、中へ入る。

まるで、結婚式の会場に入場するかのような緊張感だった。


席の前に着くと、椅子をさっと引かれる。

その完璧なエスコートぶりに感心しつつ、胸は思わずときめく。


(いつの間に、こんなマナーを覚えたのかしら……)


心は全然落ち着かないまま、いつもと変わらず二人で朝食を頂く。


今朝のメニューは、小さめのパンケーキ。

サフィール様の好物でもある。


普段なら、彼の分にはクリームで動物の絵が描かれているのだが、今日は私と同じ、ベーコンが乗った甘くないパンケーキだ。


六歳になった今、メニューまで大人仕様に切り替わったようだ。


「猫ちゃんが描かれてなくて、良かったんですか?」


思わずこれで良かったのかを確認してしまう。

これまでは、「きょうはウサギさんだ!」と描かれた動物を、毎回彼は楽しみにしていたからだ。


しかしサフィール様は、眉間に皺を寄せて口を尖らせ、こう言った。


「ぼく、もう六歳だから大丈夫」


「あら、そうなんですね」


その反応に、ちょっぴり寂しい気持ちになったのは、内緒だ。


ただ、味覚は正直なようで、サフィール様が丁寧に一口切って口に運ぶと、少し残念そうに「甘くない……」と呟いた。

その反応を見て、どこか安心してしまう自分がいた。



「ねえ、ノエル。ごはんの後、ぼくの部屋に来てもらってもいい?

パーティーまで少し時間があるでしょう?」


二人が食べ終わる頃、サフィール様がこのあとのことについて尋ねてきた。


「もちろんです。でも、少し準備がありますので、終わったらすぐに伺うようにしますね」


朝食後は、パーティーのセッティングの準備が控えている。

手を動かすのは使用人たちだが、取り仕切るのは私だから、最終確認をしておきたかったのだ。


サフィール様も当然そのことは承知していたのか、優しい声でこう言った。


「急がなくていいからね」


(なおさら、早く終わらせないと……)


サフィール様の気遣いが嬉しくて、私は準備を早く終わらせ、彼の部屋へすぐに向かおうと心に決めた。



コンコン


「どうぞ」


中から返事が聞こえ、「失礼します」と言ってゆっくりドアを開ける。


目に入ったのは、相変わらずシンプルな部屋。

物が少なく整頓されており、夫の記憶がなくなってからもその状態は維持されていた。


私が入ると同時に、椅子に座っていたサフィール様が立ち上がり、こちらへ向かって手を差し伸べる。


「ぼくのために準備をありがとう。疲れたでしょう。

こっちへ来て、座って」


手を引かれるがまま、彼のベッドに腰を下ろす。

サフィール様も、私の横にすとんと腰を下ろした。


「ごめんね、忙しかったのに」


「いえいえ。もう終わらせてきたので大丈夫ですよ。

逆に、パーティーの開始まで余裕ができました。

それで、なにかお話があるのでしょうか?」


わざわざパーティーの前に時間を作ってと言ってきたのだ。

おそらく、このときでないといけない何かがあるのだろう、と私は予想した。


「うん、そう。ノエルに、お願いしたいことがあるんだ」


「お願い、ですか?」


サフィール様は立ち上がり、机の上に置かれていた本を手に取って私に見せる。


「これを、君に読み聞かせてほしい」


手渡されたのは、『エルと魔法薬』の絵本。

記憶がなくなる前の"旦那様"が大事にしていたものだ。


彼が"サフィール様"になってから、何度か読んでほしいとせがまれたこともあった。

しかし、私はどうしてもページをめくることができず、代わりの絵本を読んで避け続けてきた。


その本が、いま私の膝の上に置かれている。


角の擦り切れた絵本を、そっと指先で撫でる。

どこか感慨深い気持ちで、しばらく見つめた。


これまでも、読んであげたい気持ちはあった。

けれど、ページをめくろうとすると指が震えてしまい、どうしても読むことができなかったのだ。


いつしかサフィール様も、私にこの本を読んでとせがむことはなくなっていた。

だからこそ、こうして手に取るのも、ずいぶん久しぶりだった。


「……やっぱり、だめ?」


伺うように問いかける声に、私はゆっくりと首を振る。


――今なら、大丈夫な気がする。


「……隣に座ってください。今なら、読んで差し上げられる気がします」


彼は小さく微笑み、「ありがとう」と言って、再び私の隣に腰を下ろした。


サフィール様が座ったのを確認してから、私は緊張しながら表紙をめくる。

一ページ目には、鮮やかな魔法薬の絵が描かれている。


もう一枚、そっとめくる。


『エルと魔法薬』


そのタイトルの下に、「昔々」から始まる物語の文が続いていた。


「昔々、とある村に、エルという女の子が、父親、母親とともに暮らしていました――」


実際に読んだことがあるのは、あのときの一度きり。

けれど、その内容はしっかりと頭の中に残っている。


私が静かに読み進めるのを、隣のサフィール様は黙って聞いていた。


寝る前の読み聞かせでは、決まってページの途中で「ねえねえ」と声をかけてきて、中断することもしばしばあった。

けれど今は、そんなこともせず、じっと物語に集中している。


「あるとき、エルは幼なじみの彼と喧嘩をしてしまいました。そのきっかけは、とても些細なものでした――」


物語の中で名前が出てくるのは、『エル』ただ一人だけ。

当時、自分と少し名前が似ているな、と思ったことを覚えている。

そして今も、ページを追いながら、まったく同じことを思ってしまった。


やがて物語は、エルの幼なじみが流行り病にかかる場面へと進む。

エルは彼を救うため、試行錯誤の末に魔法薬を作り出すのだ。


ページをめくる指が、かすかに震えてきた。


「エルは、まず、材料を――集め始めました――」


(……だめかもしれない)


記憶が確かなら、次のページには、森に生えたジル草を摘むエルの姿が描かれていたはずだ。


この絵本の話をした翌日、"旦那様"は私にその花をプレゼントしてくれた。

時間をかけて摘んできてくれたのに、「偶然見つけた」と、不器用な嘘までついて。


あのとき貰ったジル草は、押し花にして、栞として大事に部屋の引き出しに閉まってある。

私の――宝物だ。


だんだんと声を詰まらせていく私の膝の上に、サフィール様の小さな手がそっと添えられた。


「ねえ、ノエル」


静かで、優しい声で名前を呼ばれる。


いつの間にか、あの舌足らずだった話し方は影を潜め、はっきりとした言葉で話すようになっていた。


「ぼくが、続きを読んでいい?」


「え――」


「ノエルに、この話を聞かせてあげたいんだ」


子ども向けの絵本とはいえ、対象年齢はやや高めで、ときおり難しい綴りの単語も使われている。


――もう、彼は一人でこの本を読めるのだろうか。


成長への驚きと、ほんの少しの寂しさ。

いくつもの感情が胸の奥で絡まり合い、言葉にならなかった。


けれど、彼の気持ちは受け取りたい。

私は静かに口を開いた。


「……お願いします。聞かせてください」


そう告げると、サフィール様はにこりと微笑み、本を私の手から自分の膝へと移す。そして、物語の続きを読み始めた。


「エルはまず、ピンクの花の咲くジル草を探すことにしました。彼女の家の裏は鬱蒼とした森で――」


流暢な語り口だった。

ときに抑揚をつけながら、主人公であるエルの感情まで丁寧に乗せていく。


ページに描かれた、ピンクの花弁をつけたジル草。


その絵が視界に入った瞬間、胸がぎゅっと締めつけられた。

思わず目を逸らしたくなる。


それでも――


彼が淀みなく物語を紡いでいくから、いつの間にか私はすっかり話に引き込まれていた。

そして、挿絵にも、そっと視線を戻していた。


「――エルは、幼馴染の病をすっかり取り去ってしまいました。そうして彼女の作った魔法薬は、またたく間に村中へと広まったのです」


ベッドに横たわり、安らかに微笑む幼馴染。

その傍らで、薬を飲ませるエル。


まるで、最初に彼を看病した日の私たちのようだった。

……ただし、彼は挿絵の幼馴染と違って、薬の味にずいぶん苦い顔をしていたけれど。


物語は、もう終盤。


それまで白黒が多かったページから一転して、鮮やかな色彩が見開きいっぱいに広がる。


「二人はようやく、心から仲直りしました。エルは思います。この日の景色を、一生忘れることはないと――」


咲き乱れるジル草の中、向かい合い、手を取り合う二人。


その花畑は、遠い昔――実家で見た景色の記憶を、静かに呼び覚ました。


ぱたん、と本を閉じる。


特別な物語ではない。

主人公が魔法薬を作り、幼馴染を救い、喧嘩の末に仲直りをする――ただそれだけの話。

むしろ作者は、物語よりも魔法薬の作り方に重きを置いているほどだ。


――それなのに。


どうして、こんなにも心を揺さぶられてしまうのだろう。


「……パーティーのあと、ノエルに、いっしょに来てほしい場所があるんだ」


本を膝に置いたまま、サフィール様が静かに告げる。

もちろん、返事は決まっている。


「はい」


彼の袖が、そっと私の頬に触れた。


「……せっかくのお召し物が、汚れてしまいますよ」

「ノエルの涙を拭えるなら、服も喜んでるよ」


冗談めいたその声に、胸の奥がまた熱くなる。


私は俯いたまま、静かに涙を零した。


残り四話。

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